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 最新科学の進化システムによる税制改革と需要側自力高度経済成長と財政再建
 需要側内需主導進化システム自力経済成長と財政再建への科学的税制改革理論


2021.04.03 最新理
論更新2015.2.18開設) 東京地方税理士会  税理士 吉越勝之

 悪意の利用で無い限り、私は本論文の著作権を主張せず、自由な利用を認めています。
 全有権者の最大の関心事は、内政では全国民へ強制的に課せられる租庸調・年貢つまり税制であり、外交では安全保証である事は一揆や戦争の多い日本の激動の歴史で明らかです。
 更に人類は自然生態系の一部の存在であり、自然システムの遵守が求められています。
故に人間個人の経済活動で規制強化して良い場合は自然生態系を長期継続的に維持する為と、同一生物種の行動原則である自由平等(対等)競争を遵守する為だけで、他は自由にすべきです。
 故に「個人の自由を実質的に規制抑圧する友愛精神に基づく規律と団結を優先する組織の自由は諸悪の根源で」、個人の自由を束縛する組織の自由を徹底排除する事が不可欠です。
 つまり真の自由思想とは、本人の自由も他人の自由も認めあい、新事実の発見は自由平等(対等)競争で全てを決着する、進化システムの時に限り経済社会は自力経済成長します。
 価格競争のみを優先し、経済の増殖性と多様性を抑圧している原因は強制性の税制です。
 消費税を始めとする間接税強制国家では企業経営にコスト改善不能の間接税を強制され、その分企業努力による生産性向上は不能で、硬直化した最悪企業体質をもたらしています。
 後段詳述の通り自由主義市場経済では、対所得の実質的租税負担率は精密な国民の家計調査報告から算出される、総消費性向(消費支出+非消費支出=総消費/所得)と一致します。
 故に本論は人間の自由平等(対等)競争の絶対性の本性から消費税も富裕税も両方不可で、対所得租税平等率負担の個人消費の進化システム性と国民の95%超の膨大な数の低中所得階層の高総消費性向を発揮する消費税無の高累進所得税制の優秀性を科学で立証しました。
 資産バブルの発生と崩壊は、高所得者層有利の税制の時のマネーゲームで発生します。
「人間社会に役立つ科学は事実の中からしか生まれず、理念やモデルから絶対に生まれない」

 経済学は「何のために存在するのかの存在意義が欠落している事と、更に経済学の論理の過程へ「自由」、「平等=対等=均衡」、「競争」と、「科学」の定義の不存在が大問題です。
 故に成熟経済における国家の役割と民間企業の役割の不明確が、経済学の大欠点です。
 「独占組織の国の役割は有効需要の長期増殖で、金回りの良い税制を構築する役割です」
 「競争組織の民間企業の役割は増殖された有効需要を、効率的に生産供給する役割です」
 故に企業が普通の努力で従業員の給与昇給を普通に実施するには、有効需要を長期継続的に定常状態で自然に増加される事が必要で、国民一人あたりGDPの増加や、税収の増加を実現する、国の強制力のある役割の競争力均衡の税制改革の必要性を詳細に記述しています。
 自然システムの増殖性は驚異的でこれを活用しているのが日米の実例である本論文です。
 成熟経済のOECD加盟先進35国の中で内需依存度世界一位が米国で、2位が日本です。
 有効需要が長期継続的に増加する国内環境を、自由平等(対等)競争の絶対性の憲法を遵守した消費税無の高累進所得税制で内需を創出する税制改革が、経済成長の源泉になります。
 故に「真の科学と自由平等(対等)競争の正しい定義と意義」更に「罰金の正しい定義と効果」へ無知な経済学・政治学研究者が自力経済成長へ大停滞・大混乱を招いています。
故に自由平等(対等)競争の税制の時に限り、個人消費の進化システム性が作動します。
故に真の自由競争も、真の平等(対等)競争も無害行為の消費に罰金の無い税制で達成される。

 そして消費税無の高累進所得税制の時に限り、進化システム機能と所得適正再配分機能を強力に発揮して、有効需要を自然増加させるので、対所得租税平等率負担で自力経済成長に役立つ事を、全国民が実質的にも直感的にも自身の所得の増加により理解できる為、強者が莫大な所得を享受しても、誰も格差の不満等を述べる国民の不安は無くなるのです。
有効需要や所得の増加は「個人消費の増加」−>「設備投資の増加」−>「国民所得の増加」−>「税収の増加−>財政出動の増加−>個人消費の増加」の「実体経済の良循環の過程」が必要です。 経済学は「実体経済とその派生に過ぎない資産経済の区別の重要性への無知が深刻です」 東工大の元人事院官僚であった市川惇信工学博士の「進化システム」は文科系学問へ大活用できて自然に増加する個人消費行為を消費税で罰金規制しては絶対ダメです。
 本論文は人間の本性の自然科学を活用し成熟経済において「有効需要(個人消費+設備投資)=>所得 の所得恒等式で国民所得増加の良循環の自力経済成長を証明した」事実に基づく、「消費税無の高累進所得税制が要因となる高度経済成長税制」で「国や地方の総消費性向を高める税制」で「実質的な平等を実現する事」によって自力経済成長を誘発し長期継続的に家計と税収と国民所得と国富を自然増加して貧富の格差やデフレやインフレを自動改善して財政再建を完全達成した、科学的な進化システム活用の「税制官僚政治家の池田保守本流税制改革理論」で内需主導の需要側自力経済成長を事実に基づき科学で追求した論文です。
 時代に合わせて常に財政需要の増加を要求される国家の財政再建する為には長期継続的に税収が自然増加する税制で且つ税制が自力経済成長に役に立つ税制でなければ成功しません。
事実の観察から事実の因果関係と再現性を発見でき、数学からは新事実の発見は出来ません。
 科学の理工科系でさえ数学は事実を解説する為に活用するだけで新事実の発見は不能です。
 因果関係(いんがかんけい)とは、ある事実と別のある事実との間に発生する、原因と結果の関係のことである。 さて現実社会で良い結果が出ている場合、悪い結果が出ている場合、何が原因事実なのか分析する事が文科系学問分野の最も科学的な役割りで研究対象です。
 因果関係によって対象を個別と見るか集団と見るか、確定的か相当的かで異なってきます。
 経済政策で全国民と全企業が最悪の影響を受けるのが消費税で、無害行為の個人消費に、これをしろ、あれをするな、と企業に大人件費が掛かる規制強化する消費税制です。 行為強制を伴う消費税は全民間企業と税務署に無駄な人件費コストの大負担を強制して競争を妨害し価格競争に甚大な悪影響を及ぼし、故に欧州等ではあらゆる税込価格が割高なのです。
 政治家が主導する政治主導は誤りで、憲法通り自由で平等な国民主導が科学的で正義です。 消費税と低累進所得税の税制改革で長期継続的に経済成長と財政再建両立の実例は皆無です。
日米で経済成長と財政再建の長期両立に大成功した本税制改革は再現性のある科学理論です。 リアルな人間社会では「結果が全てで、仮想の理論では憲法の幸福希求を実現できません」
 科学理論とは原因事実と結果事実の因果関係と再現性を観察し、実験や過去の成功事実の積み上げで立証し、更に事実に基づき帰納法で論理を構築して再現性を追求する学問です。
 故に非事実の「理念やモデルや信念の演繹法の理論」は非科学で、再現性はありません。
「進化システムとは」の定義は、長い本論の中ほどに詳細に解説しているので参照下さい。
 自然科学では自然な競争で進化増殖する個人消費等全てを、進化システムと言います。
 人間社会を自然生態系の一部と考える本論は「憲法による幸福追求の進化システムの進化経済学」と近似に気づき種内競争の自由平等(対等)競争の絶対性の重みを再認識しました。
更に人手不足の日本において企業の販売促進努力を減殺させ無害行為の消費へ罰金の欧州型付加価値消費税の維持に全企業と国が膨大なコストと人手浪費の実態は生産性に大損害です。
 更に消費税と低累進所得税制で全国民を貧困へ追いやり、財政再建に大マイナスの人手浪費の税制と上から目線の補助金行政では、経済成長と財政再建の両立は絶対不可能です。
「米国には先進国で唯一、自由平等(対等)競争に違反する欧州型消費税制は存在しない」
 故に世界の大国の中で財政負担が超巨大にもかかわらず米国経済が一番安定しています。
 今こそ文科系学問を目指す若者達が、文科系と言う未開拓の宝の山の中に隠された荒野へ旅立ち「文科系学問に対する疑問を自由平等(対等)競争の絶対性を基準として、科学と進化システムと集団的知性を武器に人間に役に立つ有用な進化経済学理論を創造する時代です」

 故に進化経済学の完成に役立つ「経済学と税制の融合が経済成長理論の成功に貢献します」
 自由平等(対等)競争の絶対性による対所得租税平等率負担の原則に基づく最高所得税率の高低と経済成長率の高低の正比例の因果関係は「結果事実の前に必ず原因事実(税制改革)が発生している時系列関係」と「同一タイプの原因(税制)によって、同一タイプの結果事実が高確率で生じる恒常的連接」(再現性)で過去日米100年間の税制が規則的に誘発した絶大な経済効果が本理論の疫学的証明となり「個人消費の進化増殖性」と低所得者層の高総消費性向の効用と高所得者層の低総消費性向の弊害と税制の所得適正再配分機能を融合した需要側の自力経済成長理論の作動原理を、本論文で論理証明と疫学証明しました。
 適正な税制改革が財政再建と自力経済成長を実現するという、私の論文の根拠となる年度別最高所得税率と自力経済成長と財政再建を、以下の別表2実データーでご参照下さい。
         別表2 http://yosikosi2019.xsrv.jp/Document_04/betu2.pdf

 逆に既存経済学と政治学等の文科系学問のよるべき規範が不明なのが大問題なのです。
 故に「個人の自由を実質的に規制抑圧する友愛精神に基づく規律と団結を優先する組織の自由は諸悪の根源で、個人の自由を束縛する組織の自由を徹底排除する事が肝要です」
 人間が組織を作り組織内に地位を決めると権威が発生し、結果として一部の人間が優位となり他の多数はイエスマンになり、良心の自由を自己規制するので社会進化は停滞します。
 故に正しい自由思想とは、本人の自由も他人の自由も認めあい組織の束縛を排除し自由平等(対等)競争で決着する進化システムの時に限り経済社会は自力経済成長できます。
 日米の経済史を観察すると「財政出動と対所得租税平等率負担の消費税無の高累進所得税制の組合わせの時に限り長期継続的な自力経済成長の再現性が別表2のデータで証明された」
 本論文は経済学の供給側経済成長理論との融合を目指す需要側内需主導経済成長理論です。
 科学の原理とは米国独立宣言の「自由と平等ルール」と市場経済の「競争」が本質です。
つまり科学の本質とは「自然の摂理の尊重の種内競争」が核心で「成功事実の積み重ねです」
 租税を科学で各所得階層毎に対所得租税平等率負担させ「誰一人有利不利を作らない事を平等」と言い、有効需要の自然拡大で税収増の財政再建も高度経済成長も同時達成できます。
 資産バブルの発生と崩壊は、高所得者層有利の税制の時のマネーゲームで発生します。
 事実に基づき科学的に論理すれば「平等の定義とは」企業が生産する商品に当該企業の法人税も当該企業の高額所得の経営陣の高率累進所得税も全てコストとして事前に全商品に、企業会計原則に従い平等にコスト配賦されている為、それを消費した低所得者層は自らの所得に対して過大に租税を事前負担し過ぎており、高所得者層は自らの所得に対して租税は過少負担の事実があり高累進所得税制で対所得租税平等率負担へ調整する事が必要となります。

 故に平等=対等=均衡であり弱者救済で無く事実に基づく客観的でドライな税制なのです。
 科学や正義は事実をありのままに情報公開する所から始まり事実の隠蔽は最悪を招きます。
科学は事実に基づく「進化システムと集約された集団的知性の真の民主主義」と一致します。
 事実や科学から遊離する経済学が直面する経済学の第三の危機の原因は本論の通りです。
 つまり進化システムの個人消費等の有効需要が増加しないのに、政府が供給力増強政策だけを採用すると需給ギャップが生じて厳しい価格競争に陥り売れ残り商品の山に埋もれるのは当然です。 故に国家の役割の有効需要の自力自然増加を継続的に実現する対所得租税平等率負担の無害行為の個人消費を罰金規制しない消費税無の高累進所得税制が最重要です。
 科学では正解は原則一つしかないのに、正解と主張する意見が多数ある経済学は迷信です。
 経済学は「実体経済とその派生に過ぎない資産経済の区別の重要性への無知が深刻です」

 有効需要(個人消費+設備投資)を毎年増加させるには国民所得を継続的に増加させる有効需要自然拡大税制(個人消費+設備投資=>国民所得)の個人消費の進化システム性を活用して有効需要の自然な良循環で長期拡大する財政負担ゼロで自力経済成長も国民所得も税収の自然増も自動で達成できて財政再建成功を再現する仕組みを、日本の敗戦後の平和大復興や64東京五輪や新幹線や高速道路の整備に大財政出動したのに短期間に財政再建に大成功した再現性の高い科学的な税制改革「大蔵省主税局長、事務次官を歴任した天才池田勇人首相」の、過去の米国の2人の大統領が社会実験済みの進化システムで無害行為の個人消費を不自然に罰金規制する逆進性のある欧州型消費税無の対所得租税平等率負担の当時の都留博士など経済学者達が揃って大反対した池田保守本流税制の国税最高所得税率75%を25年以上続けた高累進所得税制の大成功は事実として経済学の根本的な大錯誤を証明しました。
 また昭和59年(1984)から高累進所得税の減税の開始が高所得者層有利となり結果として資産バブルを引き起こし、バブル発生と平成2年初頭からのバブル崩壊をもたらしました。
 消費税無の高累進所得税の時代は一度もバブル発生も崩壊も事実としてありませんでした。
 故に仮想のモデルや理念を構築して条件で正解が複数ある文科系学問は疑似科学で、リアルな事実を尊重し事実を突き詰めて研究して再現性と因果関係を明らかにして、正解は原則1つしかない理工科系学問の「大効用のある真正科学」へ文科系学問を大進化させる時です。
 更に米国でも経済学者の大反対に関わらず第一次大戦勝利の大戦費を短期間に消化し財政再建に大成功し長期継続的な好景気をもたらした欧州型消費税無のウィルソン大統領の最高所得税率7%を77%へ11倍に大増税した高累進所得税制と、ニューディール政策と第二次大戦勝利の大戦費による大財政赤字を、ケインズを始め大経済学者達の大反対を押し切り、断行して短期間で財政赤字を脱し財政再建に大成功し長期継続的に好景気をもたらした再現性の大成功例の、既にウィルソン大統領が社会実験済みのルーズベルト大統領の欧州型消費税無の最高所得税率90%以上の高累進所得税制を後述の日米90年間の「青色の別表2」をクリックすると、事実として経済学の根本的な大錯誤と、税制と経済学の融合による進化システムと集団的知性の理解の重要性が明らかになり、更に結果として自力経済成長と財政再建両立成功の再現性で本論が真正科学である事実を、実データーが論理疫学証明しました。
 人類は自然生態系の中の一部であり、憲法どおり真の自由と平等を守れば「自然の増殖性が発揮され国民所得と税収の増加と自力経済成長と財政再建の両立が自動的に達成されます」
 消費税と低累進所得税の税制改革では経済成長と財政再建不可で国家財政は破綻します。
 そして伝統工芸品への消費も、伝統行事や社会福祉への寄付金も激減して、地方は衰退の危機に陥っている。 国民所得が増加しないので最低支出で生活するようになったからです。
 他の経済成長理論も真の科学では無いので長期的再現性は全く無く、有用性も全く無い。
 経済の現状認識を全て主観的なマクロ経済学の言葉で表現し、客観的な事実の因果関係や事実のビックデーターに基づかない非科学判断の累積が経済財政の最悪化を招来しています。

 ベーコンは科学には権威など必要ない。科学とは「観察という確かな事実」を元にして、「事実と矛盾なく構築されるべき」と偏見に満ちた学問を科学の帰納法で大改善しました。
科学とは事実と事実の因果関係と再現性を観察し帰納法で有用な真理を追求する学問です。
「人間社会に役立つ科学は事実の中からしか生まれず、理念やモデルから絶対に生まれない」
 消費税による不景気の浸透に伴い価格競争が激化し、特に強い価格競争を持つ力の強い大企業が価格競争上、力の弱い中小の下請けや仕入れ先へ強い圧力をかけ安値発注が常態となり、人間を血の通った人間では無く、ただの安値仕入のための部品としか考えなくなり、「人間疎外の経済社会を増長して来ました。」 人間の営む経済社会を改善できるのは人間しかいないので、平成2年からの長期継続的な日本の連続不景気の原因は本論の通り無害行為の個人消費を罰金規制する欧州型付加価値消費税の強化にあるので、平成元年以前の池田勇人税制へ回帰する事が、「全国民へ対所得租税平等率負担の回復と、表現の自由の一種の個人消費も無税で自由に増加し、国民所得も継続的に増加するので財政負担も必要なく、更に全国民の97%超は減税になり3%未満が増税になるだけで」政治的にも全く問題が無いのです。
 更に内需と国民所得が長期継続的に増加する為、企業の営業利益は普通の努力さえすれば、確保できる経営環境が維持されるので人間性に外れた無理な強圧態度の必要もなくなります。
 科学では地球上で自然増殖する自然生態系の自然システムを、進化システムと言います。
 自由論の自由とは危害行為の自由へは規制強化し、無害行為へは自由化するのが正解で、消費税は無害行為への規制強化は憲法違反ですが、私は違憲立法審査権を争う資力も時間も無い。「故に国家組織は誠実で正直な国民の無害行為の自由には徹底して規制緩和を行い、善意の国民への不正直で不誠実な悪意の危害行為には、聖域を設けず徹底規制強化すべきです」

経済学は集団科学としての自然科学:進化システムの力で無から有の富を生み出す学問です
 文科系学問の科学化は国民個人と集団ルールの自由平等(対等)競争の絶対性に基づく強制力のある税制は再現性と大成功を招来し、反自由反平等の税制は再現性無く大失敗します。
科学の論理方法は理工系の再現性の帰納法主導が正解で、演繹法主導の文科系は最悪です。
 事実や科学から遊離する経済学が直面する経済学の第三の危機の原因は本論の通りです。
 日本の税制改革は米国と正反対にGDP(国内総生産)の85%の個人消費と設備投資と企業売上の内需の増加を公平・中立・簡素のプロパガンダ(国家的政治宣伝)の欧州型消費税制で不自然に罰金規制して輸出免税の消費税還付を行い自国民不利・他国民有利と個人消費課税不利・貯蓄非課税有利と、米国には無い不自由不平等競争の税制です。「直間比率の是正等のプロパガンダで、自力経済成長と財政再建を再現する税制改革の排除は大間違いです」
 故に新興宗教の教義のような「直間比率の是正」等の非科学主張の税制は必ず失敗します。
 米国には先進国で唯一、自由平等(対等)競争に違反する欧州型消費税制は存在しない。
需要側に増加が無いのに供給側ばかり強化すればデフレと売残り商品の山を作るだけです。
 本論の有効需要自然拡大税制の税制改革は、自力経済成長と財政再建を同時達成します。
 本論文は経済学の供給側経済成長理論との融合を目指す科学的需要側経済成長理論です。
 現場で汗水たらす低中所得層の個人消費の進化システム機能と所得適正再配分機能発揮の有効需要自然拡大税制の税制改革で、有効需要を増加し税収自然増で財政再建を達成します。
 需要供給両増加の自力経済成長と通貨で支払い義務がある税制は密接な関連性があります。
 税制改革で「全国民へ強制適用される所得税制」が、経済的人間行動へ対所得租税平等率負担で適応の場合に限り、自力経済成長や一人当たり国民所得の長期継続増加を促進します。
 だが日本の税制は人間行動に不適応不適正で自力経済成長と財政再建の両立は不可能です。
 故にABC分析でGDP85%を占める内需拡大の有効需要自然拡大税制の効用は絶大です。
 有効需要自然拡大税制を採用する場合、個人消費を社会の進化と変化に適応させて適正に拡大進化させる為には全国民へ科学的な消費者教育が重要であり、カジノ推進論議は需要側主導の進化システム経済成長理論における消費者教育の根本を誤る、最悪の愚民政策です。
 更に有効需要の増加無しでは既存商業者との無用な需要の争奪戦になり経済は疲弊します。
 要は人間の過剰性の本能による買い物依存症は多額になっても生産者の所得に等価変換される利他的効果があり、且つ商品の格納に物理的な制約があり依存には限界があるが、カジノは不正な資金洗浄に利用されたり、物理的制約が無く高額の依存症に陥る危険性が大きく、更に強欲な民間カジノ業者の所得に等価変換されるだけで、利他的効果が全く無いからです。

 消費税無の高累進所得税制の存在により有効需要は時代と共に自然に拡大し、それを自由な市場経済で自動的に個人消費と企業の設備投資へ変換し、更に所得へ等価変換する所得恒等式から企業売上・税収を自然増すれば行政サービスを低下させない内需主導自力経済成長は可能で、突然発生する大自然災害からの復興や、時代と共に老朽化するインフラの最新技術での維持改修や社会保障政策や防衛力強化へ財政出動しながら財政再建は完全可能です。
 自力経済成長には個人消費を自由化する進化システム内需拡大税制が内需主導経済成長させ、逆に現状税制では社会へ需要を創造出来ず、現状維持のコストが削られ未来が危険です。
 本論は表現の自由の一種の無害な個人消費の進化システム増殖性に着目した自力経済成長理論で全国民と国家と企業が行う経済行動は本論によって科学の自力経済成長を達成します。
 
累進所得税を減税し逆進性有の欧州型消費税を増税しながら低所得層へ補助金を支給する見た目の社会福祉を主張する政治家は、消費税の非効率な高コストと低生産性を企業に強要し、個人消費の進化システム増殖性と所得再配分の自力経済成長を否定する最悪政治家です。
 
小保方さんが200回成功したと広言しても客観的に大成功事実が無ければ虚偽発言です。
 「事実は小説より奇なり」で「経済成長は科学の進化システムで成り立っていたのです」
科学とは、事実と事実の因果関係と再現性を観察し、帰納法推論で真理を追求する学問です。
 つまり科学の本質とは「自然の摂理の尊重の種内競争」が核心で「正義をもたらします」
 つまり科学や正義には前提条件があってはならず、事実どおりの、あるがまま自然のままに理論が構築されたものが科学の理論であり、正義の理論なのです。 故に自然界における同一生物種の自然の摂理の「自由平等(対等)競争の絶対性=科学であり、正義なのです」
 科学とは科学の定義を遵守する以外の「目的や前提条件や制約条件は一切無いのです」
 逆に帰納法の科学の定義を遵守しない、演繹法でどんなに正しそうな目的や前提条件を設定した理論でも非科学であり、再現性や効率性はゼロで、いずれ最悪へ進みます。
故に自由平等(対等)競争の税制改革で、財政再建と自力経済成長の同時達成を目指します。

経済学は集団科学としての自然科学:進化システムの力で無から有の富を生み出す学問です
 文科系学問の科学化は人間個人と集団ルールの自由平等(対等)競争の絶対性に基づく強制力のある税制は再現性と大成功を招来し、反自由反平等の税制は再現性無く大失敗します。
科学の論理方法は理工系の再現性の帰納法主導が正解で、演繹法主導の文科系は最悪です。
 事実や科学から遊離する経済学が直面する経済学の第三の危機の原因は本論の通りです。
 日本の税制改革は米国と正反対にGDP(国内総生産)の85%の個人消費と設備投資と企業売上の内需の増加を公平・中立・簡素のプロパガンダ(国家的政治宣伝)の欧州型消費税制で不自然に罰金規制して輸出免税の消費税還付を行い自国民不利・他国民有利と個人消費課税不利・貯蓄非課税有利と、米国には無い不自由不平等競争の税制です。「直間比率の是正等のプロパガンダで、自力経済成長と財政再建を実現する税制改革の排除は大間違いです」
 故に新興宗教の教義のような「直間比率の是正」等の非科学主張の税制は必ず失敗します。
 米国には先進国で唯一、自由平等(対等)競争に違反する欧州型消費税制は存在しない。
需要側に増加が無いのに供給側ばかり強化すればデフレと売残り商品の山を作るだけです。
 本論の有効需要自然拡大税制の税制改革は、自力経済成長と財政再建を同時達成します。
 本論文は経済学の供給側経済成長理論との融合を目指す科学的需要側経済成長理論です。
 現場で汗水たらす低中所得層の個人消費の進化システム機能と所得適正再配分機能発揮の有効需要自然拡大税制の税制改革で、有効需要を増加し税収自然増で財政再建を達成します。
 需要供給増加の自力経済成長と通貨で支払い義務がある税制は密接な関連性があります。
 税制改革で「全国民へ強制適用される所得税制」が、経済的人間行動へ対所得租税平等率負担で適応の場合に限り、自力経済成長や一人当たり国民所得の長期継続増加を促進します。
 だが日本の税制は人間行動に不適応不適正で自力経済成長と財政再建の両立は不可能です。
 故にABC分析でGDP
85%を占める内需拡大の有効需要自然拡大税制の効用は絶大です。
 有効需要自然拡大税制を採用する場合、個人消費を社会の進化と変化に適応させて適正に拡大進化させる為には全国民へ科学的な消費者教育が重要であり、カジノ推進論議は需要側主導の進化システム経済成長理論における消費者教育の根本を誤る、最悪の愚民政策です。
 更に有効需要の増加無しでは既存商業者との無用な需要の争奪戦になり経済は疲弊します。
 要は人間の過剰性の本能による買い物依存症は多額になっても生産者の所得に等価変換される利他的効果があり、且つ商品の格納に物理的な制約があり依存には限界があるが、カジノは不正な資金洗浄に利用されたり、物理的制約が無く高額の依存症に陥る危険性が大きく、更に強欲な民間カジノ業者の所得に等価変換されるだけで、利他的効果が全く無いからです。

 消費税無の高累進所得税制の存在により有効需要は時代と共に自然に拡大し、それを自由な市場経済で自動的に個人消費と企業の設備投資へ変換し、更に所得へ等価変換する所得恒等式から企業売上・税収を自然増すれば行政サービスを低下させない内需主導自力経済成長は可能で、突然発生する大自然災害からの復興や、時代と共に老朽化するインフラの最新技術での維持改修や社会保障政策や防衛力強化へ財政出動しながら財政再建は完全可能です。
 自力経済成長には個人消費を自由化する進化システム内需拡大税制が内需主導経済成長させ、逆に現状税制では社会へ需要を創造出来ず、現状維持のコストが削られ未来が危険です。
 本論は表現の自由の一種の個人消費の進化システム・増殖性に着目した自力経済成長理論で全国民と国家と企業が行う経済行動は、本論によって科学の自力経済成長を達成します。
 
累進所得税を減税し逆進性有の欧州型消費税を増税しながら低所得層へ補助金を支給する見た目の社会福祉を主張する政治家は、消費税の非効率な高コストと低生産性を企業に強要し、個人消費の進化システム増殖性と所得再配分の自力経済成長を否定する最悪政治家です。
 
小保方さんが200回成功したと広言しても客観的に大成功事実が無ければ虚偽発言です。
 「事実は小説より奇なり」で「経済成長は科学の進化システムで成り立っていたのです」
科学とは、事実と事実の因果関係と再現性を観察し、帰納法推論で真理を追求する学問です。
 つまり科学の本質とは「自然の摂理の尊重の種内競争」が核心で「正義をもたらします」
 つまり科学や正義には前提条件があってはならず、事実どおりの、あるがまま自然のままに理論が構築されたものが科学の理論であり、正義の理論なのです。 故に自然界における同一生物種の自然の摂理の「自由平等(対等)競争の絶対性=科学であり、正義なのです」
 科学とは科学の定義を遵守する以外の「目的や前提条件や制約条件は一切無いのです」
 逆に帰納法の科学の定義を遵守しない、演繹法でどんなに正しそうな目的や前提条件を設定した理論でも非科学であり、再現性や効率性はゼロで、いずれ最悪へ進みます。 故に自由平等(対等)競争の税制改革で、財政再建と自力経済成長の同時達成を目指します。

 経済学は集団科学として科学(進化システム)の力で無から有の富を生み出す学問です。
 私はアリストテレス演繹法を強く批判していますがアリストテレスの、全体とは部分の総和以上の存在である、と最初に気付いた集団科学のシステム発想の発見は尊敬しています。
 個々の人間(国民)の生き死にや出生や行動を予測する事は絶対に不可能であるが、表現の自由・良心の自由を国家が保証し国家が情報公開を徹底した上で、人間(国民)を集団として把握すれば「確率的に国民全体の生き死にも出生も、行動も科学的に予測できるのです」。
 民間経済で好例は生命保険・交通事故等の損害保険などの保険業で、商売として成り立っています。 これが集団の科学であり集団的知性も、その一環で国家意志の決定に重要です。
 池田勇人首相が残念だった事は、彼の言葉で彼の税制理論を後世に伝えなかった事です。
 そして人間の持つリチャード・ドーキンスのいう利己的遺伝子は後段の「自由平等の時に限り」利己的遺伝子の個人消費が利他的結果の他人の所得に等価変換され自力経済成長を発揮します。 自己の個人消費行為が自動的に他人の所得という利他的果実に所得恒等式で等価変換される個人消費が持つ特別な利他的性質を理解すれば個人消費を不自由に消費税で罰金規制している危険性が理解できて、欧州や日中韓の景気が回復しない大原因が分かります。
「科学では成功事実の客観的な観察が不可欠で、再現性の無い理念やモデルや信念は非科学の迷信に過ぎず、事実を離れた権威による理論は非科学で再現性も経済成長もありません」
 西洋の「真理(神)は細部に宿る」や武士道の「葉隠」の「大事の思案は軽くすべし、小事の思案は重くすべし」の意味の重要性を全く分かっていない学者や専門家が多すぎます。
 
戦前戦後の米国の好景気は戦争と言う大規模公共事業が原因で無く消費税無の対所得租税平等率負担の高累進所得税の税制改革で全国民へ有利不利の無い「平等の実現」が原因です。
 
故に高度経済成長は偶然でも時代のせいでもなく消費税無の高累進所得税制が大原因です。
 米国には先進国で唯一、自由平等(対等)競争に違反する欧州型消費税制は存在しない。
 市場経済では企業と国家の維持費用(経費+法人税や累進所得税や消費税等)は、企業が商品価格へ維持コスト(経費+法人税や累進所得税や消費税等)として企業会原則に従い全商品に平等に原価配賦して消費者へ商品販売して事前にコストを回収した上、労働者や仕入先へ経費を支払い、且つ全国民へ対所得租税平等率負担で所得適正再配分機能を持つ消費税無の高累進所得税制で租税負担させる時に限り「自由と平等の実現により有効需要と国民所得の増加という最高の経済効果を発揮するのです」  現税制では総理省統計局の家計調査報告で明らかなように総消費性向が低く貯蓄性向が高い超高所得者層が不平等に租税負担率が低く、且つ大多数の弱者の低所得階層は総消費性向が高い故に租税負担率が高いので租税負担で不利になり経済活動に余裕が無くなり需要の過剰性の縮小が続いているので学者達は事実を良く観察し反省し、平等の実現となる対所得租税平等率負担の税制改革を目指すべきです。
 更に罰金(ばっきん)とは刑罰の一種であり、行為者から強制的に金銭を取り立てる財産刑であり、消費者本人の行為である個人消費行為に課税する消費税は罰金であり、罰金効果の因果関係によって増税すると本人の個人消費等の有効需要は停滞縮小してしまうのです。
 逆に所得とは収入から必要経費を除いて課税される利益のことを言うが、収入は他人行為で得られる他人から付与される金銭であり、付与するかしないかは他人の行為で決定し、他人行為で金銭を付与された本人へ課税しても罰金には全く当たらず、他人にとっては、本人が高率課税されても痛くもかゆくも無く、他人も本人も罰金効果は全く生じ無いのです。
 この細部の、個人消費への課税と、所得に対する課税の絶大な違いの理解が大事です。
 故に罰金では無い所得税等の直接税は大増税しても経済成長には全く悪影響はありません。
 逆に株式投資家として成功したケインズの減税乗数理論や輸出乗数理論は全国民の為では無く、国民の10%に満たない株式投資家階級(資本家)有利で、残りの90%超の国民を犠牲にした階級主義理論で、本論文は全く逆に「どの所得階層も階級も犠牲にせず財政出動無しに全国民の所得を平等に長期継続的な向上を目指す自由平等(対等)競争の税制を論じており」、結果として国内の有効需要を長期継続的に自然増加し自力経済成長と財政再建を同時達成します。 逆にケインズ理論は過剰貯蓄が予想される為、理論に合成の誤謬を付け加え彼の非科学理論が主張通りに成らなかった場合の言い訳まで準備していた曲者です。
 ケインズ理論は株式投資家(資本家)階級ファーストの近代経済学の主流の理論であるが、当時の労働者階級ファーストの「資本論で一世を風靡したマルクス経済学」に対抗して論理が組み立てられており、マル経も近経も、特定階層に照準を合わせた理論であり、各々がその立場に立てば無敵の経済理論になっています。 ところが何々フアーストの思想は、結果として国家内は事実として各種階層や階級が混在した多様性の有る国民構成なのに不自然に階級別に有利不利を持ち込み国家全体へ分断と非効率を持ち込みました。 逆に国家内は多様な階級や階層が混在する故に、全所得階層や全階級に有利不利の無い自由平等(対等)競争させ、進化システムを作動させて経済を活性化させる本論文の「科学的税制改革理論」が必ず必要になります。 故に本質は需要側経済成長理論に分類されるケインズ理論を改善し供給側経済成長理論と融合させ自力経済成長と財政再建を同時達成できる「全国民や全階層や階級に有利不利の無い科学的税制改革理論と経済成長理論の融合が本論文の目的です」
 「つまり文科系学問が、相関関係に因果関係は含意しないとする2つの変数の相関が自動的にもう一方の原因を意味しない原則に無知で、経済学の専門家達が誤って消費税と所得税を相関関係で論じたのに対して、逆に本論は忠実に「前述の論点を事実に基づき新発見し」、両者の因果関係の違いを明らかにして、事実に基づき科学で再現性と成長性を証明しました。
 更に今から200年以上前の非貨幣経済時代の物々交換に照準を合わせて理論を確立した「供給は、それ自らの需要を生み出す」という「セイの法則」を未だに信奉している現代の供給側経済成長理論で経済政策を構築する日本の政治家と経済学者は、セイの法則が現代の貨幣経済時代に適応していない非科学的で古典的理論であるという事実認識が全く無く、正しい科学の需要側経済成長理論と供給側経済成長理論の融合へ修正すべきだったのです。
 更に直接税国家の小売店では販売商品の税率区分も単品毎の税抜き表示と消費税額の表示も全く不要で人件費コストは最小です。 逆に消費税依存国家は常に商品の税率区分を勉強し意識するストレスに悩まされ、更に一品毎の税抜き本体表示と税額表示に人件費コストを掛ける苦労を行為強制され、膨大な量つまり毎日国民一人当たり一日の全個人消費を平均10品目の消費をしていると仮定すれば、年間に10x1.2億人x365日で、4380億の表示コストやレジ処理コストが必要になり、更に生産者・卸業者・小売業者と多段階課税になるので、その数倍に達し、且つ納税は各段階ごとに個別の預かり売上消費税額の総額から個別仕入仮払消費税額の総額を差し引きして納税額を算出する必要があり、不必要でとんでもない人件費コストが必要になり大手間が掛かる大非効率税制で、不必要な手間と人件費コストが掛からない直接税国家と比べて、無駄人件費コストが膨大で生産性は大低下します。
 つまり人手不足の現代において消費税計算処理や表示に携わる官民合わせた労働者数は膨大であり、優秀な人材の浪費は国家が構築した大無駄システムです。 唯一米国は0です。
 故に自由平等を統制する国家は、国家全体に無駄なコストがかかり、発展繁栄できません。

 故に全国民・有権者は常にプロパガンダ・政治宣伝を嫌い、常に真実(科学)を求めます。
 だが人間は言葉で生活しており事実を隠ぺいされ更に文系学問の権威の理念を演繹法で解説されると人間は非科学のプロパガンダ政治宣伝でも真実らしく見え錯誤してしまうのです。
 故に情報公開の重要性と、報道機関の勇気ある事実に基づく真実の追求が必要不可欠です。
 自由平等(対等)競争の絶対性の税制改革は財政再建と自力経済成長を同時達成します。
 同様に国民を結果的に分断させる、何々ファーストや都民ファーストのキャッチフレーズは「特定階級有利を作る階級主義発想に過ぎず反自由反平等反競争の階級主義思想です。」

本論文は「主観的認識の天動説の非事実の権威の理念やモデル」を三段論法する非科学の「アリストテレス演繹法の文科系経済学を離れ、客観的事実を詳細に観察する再現性追求の地動説の科学のベーコン帰納法」の理工科系で論理し「人類という同一種同士では自由平等(対等)競争が自然であり科学であり」−>「税制改革」−>「自力経済成長」−>「財政再建」へ進む「因果関係と最新科学の進化システムと集団的知性」で「池田吉田保守本流税制の正当性を本論で立証しました。」 更に「現代地球上の最強生物である人類は異種間の弱肉強食競争では食物連鎖原則を守り人類は弱肉生物の増殖性を上回らない自己規制の資源管理を徹底しながら異種の生物を食して生命を長期維持しているのも自然で科学なのです」
 故に同一種の人間社会内で殺し合わず優劣を決める競争は種内競争であり、米国独立宣言や日本国憲法で規定されている通り、自由平等(対等)競争の絶対性遵守が原理原則です。
 自然界の異種間競争でも自然システムでは強者による弱者の過剰な殺戮は禁止なのです。
 凶暴な雄ライオンでも腹を満たせば、メスライオンや子供たちにエサを譲るし、過剰にエサを殺戮する事は無いのに、人間だけは過剰にエサ(所得)を取り貯蓄しようとします。
 この人間の強欲さを自由平等(対等)競争の絶対性の税制で常に適正化する必要がある。
 特にAIの進化により金融機関や全産業にリストラが開始されるのは必然であり(既に非正規雇用の割合の増加にも表れている)、このような経済環境下では国家全体の有効需要を長期継続的に増加させる進化システム機能とビルトイン・スタビライザー機能を持つ欧州型消費税無の高累進所得税制により長期継続的な有効需要の自然増加が必要不可欠になります。
 更に政治には「均衡(対等)」の「三権分立の高度化と安全保証政策」が重要となります。
 自然界原理の進化システムを不勉強の文科系エリートや学者は大反省の必要があります。
 GDP(国内総生産)の自動増加には有効需要の85%の国内個人消費を自然増加させる消費税無の高累進所得税制が必要で、日・中・韓や欧州の不自由不平等な税制は最悪です。
 経済成長には個人消費を自由化する、進化システム税制による需要増加経済が最善です。
 経済成長させ常に経済へ余裕を創造しないと安全維持のコストが削られ未来が危険です。
 つまり@個人消費+設備投資=−>所得 の所得恒等式と A所得=−>個人消費+貯蓄の所得恒等式 とB貯蓄−>設備投資の変換式が経済循環に存在しますが、@の所得恒等式で進化システム自己増殖できる経済要素は個人消費だけである事実が重要で、逆にBの変換式で設備投資へ変換できない「過剰貯蓄は経済循環の大ムダであり、逆に過剰な個人消費で設備投資へ循環する資金が不足する場合は金利を引き上げれば貯蓄増加で資金均衡します。
 つまり経済学の基本中の基本の所得恒等式が意味する所は、個人消費を長期継続的に増加すれば設備投資も増加できて、国民所得も増加できるという因果関係式を示しています。

「文科系学問が、相関関係は因果関係を含意しないとする2つの変数の相関が自動的にもう一方の原因を意味しない原則に無知で、相関関係を因果関係と大錯誤して演繹しています」
 つまり科学の本質とは「自然の摂理の尊重の種内競争」が核心で「正義をもたらします」
「科学とは、理工系の客観的原因事実と結果の因果関係を観察し矛盾なく説明する帰納法の真理追求の学問だが、文科系学者と政治家は主観に基づき非事実の権威による理念やモデルを演繹法の相関関係で演繹するので宗教や迷信に近い非科学に堕しており再現性の無い理念と事実が乖離している錯誤政策を国家国民へ再三提案し事実として大損害を続けています」
科学とは、事実と事実の因果関係と再現性を詳細に観察し有用な真理を追求する学問です。
 
更に現状経済学や税制は「自由平等(対等)競争の絶対性という科学的判断基準」が欠落している為「正しい現状認識」も「相関関係と因果関係の区別も出来ず」大混乱状態です。
「自力経済成長は」生物遺伝子の自己増殖(複製)機能と同一の進化システムの応用です。
「税制は国家なり」であり本論税制改革は科学で有効需要を自然拡大する革新技術です。
 本論の有効需要自然拡大税制の税制改革は、自力経済成長と財政再建を同時達成します。
 国家経済は供給側と需要側の均衡で成り立っている以上、供給側を規制緩和・自由化する場合は同時に需要側の規制緩和・自由化を実行しなければ必ず不均衡のデフレになります。
 経済成長は需要側の自然増加拡大ありきが出発点で進化システムの個人消費の増加を消費税で不自然に罰金規制している税制は最悪で、国家の役割りは過去に日米で大成功し証明済の有効需要自然拡大税制の採用による長期継続的な総需要の自然増加拡大であり、企業の役割は総需要の拡大に応じた科学で新製品の開発と新技術による労働生産性の向上のみです。
故に有効需要の自然拡大税制が無には国民所得の増加も自力経済成長も有り得ないのです。

 さて東京工業大学名誉教授市川惇信博士によれば、「対象を部分が結合して構成される全体として認識するとき、それをシステムと言い、部分を要素と言う」と述べています。
 そしてアリストテレスは全体(システム)は部分の寄集め以上の存在になると言っている。 2000年以上、全体(システム)の研究はなされていなかったが、20世紀に入りシステム論は急速に発達を遂げ、自然科学における中心的な概念として確立された。
 自然に生まれた「自然システム」は自然生態系の豊かな自己増殖と進化が実例であり、進化システムはこの機構をまねたものを言います。 進化システムでは同一種間ではお互い殺しあわず生き残って増殖した方が勝ちの自由平等(対等)競争の絶対性を遵守する時に限り生命が持つ自己増殖進化性が作動し、更に異種間では相手をエサとして食い殺す弱肉強食競争の弱者減少が作動するが、食物連鎖原則によって強者の強食性は弱者の増殖性を上回れない原則が作動します。 自然生態系はこの巧妙な仕組みによって繁栄しており進化システムの自由主義市場経済は同一種の人間行動の結果である以上、意志意欲で増殖競争する「個人消費」(企業側から見ると商品の生産販売競争に他ならない)は憲法や自然法を正しく解釈する同一種間の自由平等(対等)競争の時に限り人間が持つ個人消費の増殖進化性が作動し発揮され無限の経済成長(進化と増殖性)と財政再建が実現します。
 進化システムの自己増殖性の機構は、市川博士が解明した事実を参照して下さい。
 さて「科学技術の進化システム性」はノーベル経済学賞を受賞したソローモデルから「供給側経済成長理論」へ発展し、「個人消費の進化システム性」は本論の「需要側経済成長理論」へ発展し、両者が合体するときに最大の経済成長効果を発揮します。 科学技術や知識の進化システム性と違い「個人消費や設備投資の進化システム性」については、他に文献が無く個人消費が進化システムであることを次の通り詳細に解説します。
 つまり「個人消費や設備投資」は「市場経済」で繰り広げる「突然変異を伴った」「商品増殖競争の一環」であり人間文化の表現と理解すれば誤りがありません。
 
つまり現在、市場で生き残って進化システム増殖競争を繰広げる商品群は古代から現代までの間に競争に生き残っている商品なのです。 現代でも使われている土器や陶器は縄文時代に誕生し、米は弥生時代に誕生し、木工製品は古代に誕生し青銅や鉄製品はその後に誕生し、1760年代以降の産業革命によって、個人消費の突然変異は無数に発生し、鉄道は1800年代に、内燃機自動車は1800年代終わりに誕生し、飛行機は1900年初頭に、プラスチックス商品は1900年代に誕生し、更にテレビは1950年代に急速に発達し、パソコンは1980年代に急速に発達し、太陽光発電は1990年代に発達し、携帯電話は1995年以降急速に発達し、更にサービス商品については歌舞伎は江戸時代に誕生し、映画は1900年代に全盛を向かえ、野球やサッカー、歌、アニメ、ゲーム更に医療、教育、介護福祉、環境保護等の「各種サービス産業の誕生など」時代とともに「内需の個人消費の種類、質、量」の多様な分化と系統が発生し競争を繰広げながら累積増加の一途をたどり、この経済的な内需の選択肢つまり「個人消費の種類・質・量の増加」が、その国の過剰性の文化であり経済成長なのです。 つまり産業のサービス化は必然であり、それに直接罰金課税強化する消費税制は最悪です。  所得が増加する経済環境で国民が環境保護に関心を持てば自然に環境保護個人消費や設備投資が増えるのです。 資本主義は人間個人をセンサーとして個人消費増殖性をシステム的に所得増加に結びつけた、過剰性の人間文化の貨幣経済的表現なのです。 結局個人消費は人間の意志と意欲の化身であり、自由(無税)に対等競争させれば生き物のように増殖し進化して所得増へ変換するのです。 本論を読み進むうちに、経済成長理論の根拠となる自然生態系の食物連鎖の頂点に立つ最強生物の増殖繁栄は、地球環境に適応する下層生物の増殖繁栄に完全に依存し最終的には食物連鎖の最下層、陸上では植物相、海洋では植物プランクトンの増殖繁栄が鍵を握っているメカニズムと全く同様に、膨大な中低所得者層の高総消費性向を活用する税制改革によって個人消費が増進し高所得者層の高所得は支えられるのです。
 進化システムとは本人の意志意欲の化身であり自己決定性があり、その時代の環境に適応して増殖した方が勝ちの一見競争に見えない「自由平等(対等)競争」でありDNAで自己増殖する生物の増殖と同一であり、憲法の「表現競争の自由」の一種の個人消費、科学技術、民主主義、市場経済、インターネット等の自由を言い参加の自由が不可欠です。
 「故に国家組織は誠実で正直な国民の自由の為には規制緩和を徹底して行い、不正直で不誠実で他の国民へ危害を与える悪意の国民の自由には、聖域を設けず規制強化すべきです」

 故に経済を増殖成長させるには大衆の巨大な意志の進化システムを絶対に罰金課税や規制してはならず、経済成長率の高さは個人消費を課税しない税制次第なのです。
 故に進化システムは国家が、憲法目的の幸福の追求や国民福祉の向上を自己実現するための最重要な手段となります。  システム工学で近年確立された進化システムは人間と社会とを結びつける国家システム(制度法律等)も研究対象にしており「国家の特定分野(科学技術、個人消費等)の情報単位の種類、質、量」を自由競争の中で自己増殖する競争過程を持つものを進化システムと言います。 進化システムは規制しなければ、必ず現状より大衆の意欲意志で増殖拡大し蓄積する為、無形の個人消費へ参加の自由によって預金引き出しや前向き借入金を自由に行って資金を作り抑圧無く実行させれば、有形の資産や所得貨幣へ等価変換して強力に国民所得増加と自力経済成長を達成できるのです。
 競争を促進するには自然システムと同様、自由平等(対等)
競争原則が絶対条件です。
 故に自由に対する規制緩和と規制強化を定義する原理原則は1800年代に誕生したイギリスの大哲学者・経済思想家のジョン・スチュアート・ミルの自由論です。
 「故に国家組織は誠実で正直な国民の自由の為には規制緩和を徹底して行い、不正直で不誠実で他の国民へ危害を与える悪意の国民の自由には、聖域を設けず規制強化すべきです」

 (進化システム)は自由平等(対等)競争で優劣の決着をつけるので完全自由化の規制緩和が必要です。 逆に(非・反進化システム)は弱肉強食競争なので自由平等
(対等)
競争に役立つ規制強化のみが、進化や自力経済成長に大貢献します。
 さて「内需の個人消費や設備投資」と「科学技術」の両者が持つ自己増殖性は、システム工学の「人間の過剰性の本能を活用した進化システムの自己増殖競争」です。
 膨大な数の個人消費の一つ一つの積み重ねが、自力経済成長の源泉になります。
 故に特に総消費性向の高い低中所得者層に有利不利の無い対所得租税平等率負担の所得適正再配分機能を持つ消費税無の高累進所得税制による税制改革が必要不可欠になります。
 人間は進化システムを蓄積し、常に現状より、より良いものを必要以上に追い求める「過剰性の本能」を持ち、地球環境に適応し生き残り繁栄してきた特殊な動物なのです。
 さて進化システムの個人消費を順調に増加させるには「自己増殖する自然生態系と全く同一の自由平等(対等)
競争条件を保証すると、国民大衆は勝つためのチャンスが増加していると感じ、心の中の個人消費の注意を引く、興味を抱く情報単位の種類、質、量を増加し、消費行動の総和を、常に現状より増加累積し、結果として経済成長と所得増を達成できる強力なシステムなのです。」 故に進化システムの自由な消費者心理や自由な科学心を、統制しようとする全体主義や共産主義では経済も社会も発展しないのです。
 よって本人の自由意志で増加できる個人消費は絶対に消費税で課税してはならず、一部エリートが公平、公正、簡素等の思い込みの理念や目的を掲げて、進化システムの個人消費を罰金規制すると個人消費が減少し、等価変換される国民所得が減少し「合成の誤謬に陥り」良かれと思って構築した制度や法律から予想外に悪い結果が生じます。
  逆に非進化システム(所得、当選、受験競争等)
は正に競争らしい競争だが自己決定性が無く他人の意志に決定を委ねる競争なので自己増殖力が無いため、所得再配分を強化する為の課税や規制も全く問題無く、対等競争が実現するよう課税や規制をすればするほど良い効果が生じます。 ゆえに競争の区分区別を厳格にして、何をどの位規制するのが正しいかを決めるのは市場経済の第一線で活動している五感の発達した「自由平等(対等)競争」を日常的に行なっている国民大衆の過半の意志の総和なのです。
 逆に経済の第一線現場に立たず、前提条件をつけて物を言う。
 机上の空論のエリートは競争現場を不知の為、現実の現場を正しくコントロールする判断に間違いが多いのです。よって国民大衆の厳格な代議制民主主義が必要になるのです。
 つまり自然界の自然システムには「時代時代に適応し生き残りを唯一の目的」として「生物進化の基本となる自然本来の自由平等(対等)
競争ルール」が厳格に存在し、これは人工進化システムにも必須条件となり「参加の自由」「同一種内の自由で対等で平等な増殖繁殖競争(内部競争原理)」「異種間の弱肉強食競争(外部競争原理)と(食物連鎖原則)」「環境内循環原則(廃棄物の自然分解を含む)」「突然変異の競争参加」のルールを厳守すれば進化システムが作動して市場経済は自動的に豊かに無限に繁栄できるのです。
 逆に市場経済において自由平等(対等)競争ルールに反する競争者の所得(食料)独占を容認する不自然な低累進所得税制と、個人消費の参加の自由を罰金規制する消費税制が経済不況を招いています。
 さて進化システム原理を満たす4つの条件とは日立デジタル平凡社の世界百科事典の市川惇信博士の論旨から引用すると
*1.遺伝子を要素とするシステムとして遺伝子型が存在する。 遺伝子型は対応する個体(表現型)を作りだし、表現型は遺伝子型の複製の場になる。 つまり人間の経済社会に置き換えると国家は誠実で正直な国民を要素(部分)
とするシステム(全体)であり、強制力のある制度や法律は国民大衆の自然な本人の自由意志や意欲の「行動表現」を制御する、事実上の人間の遺伝子型と全く同様な作用をするのです。 極論すれば国家において国民大衆の自然な本人の意欲や自由意志の「行動表現」を制御する慣習や文化や宗教や国家目的さえも、ドーキンスの述べるミームとして国民大衆の行動を制御する遺伝子型として作用するのです。 よって同一問題が発生しても異なったミームの遺伝子型を持つ国家国民別に反応は異なってくるのです。 したがって国家が経済成長や社会進化を果たすには何が進化システムであるかを見分けた上、国民の自由意志や意欲に基づく行動を制御する拡大された遺伝子として作用する制度や法律等の中核に自然システムと全く同一の根源的な概念である自由平等(対等)競争というルールを進化システムへ導入する必要があるのです。 「自然科学の分野ではあらゆる要素が自由平等競争で構築されているが」「社会科学の分野では本人の意志と意欲と行動表現は、慣習や文化や制度法律で制御されがちなので自然状態に近づける為、本人の意志意欲と行動の自由平等(対等)競争原則を特別に注入する必要があるのです」結局「経済成長は買物意欲という消費者心理に左右されるので自由平等(対等)競争厳守の税制でなければならないのです」 特に成熟経済に達した個人消費行動は本人の自由(無税)意志と意欲を完全に認めないと増加しない性質があり、税法に自由平等(対等)競争原則を導入すると所得再配分効果も加わり個人消費は強力に増殖を開始し等価変換で創出される国民所得が大幅増加できるのです。
 *2.遺伝子型のシステム構造は変異する機会がある。
 それは遺伝子型と表現型の形質の変異を引き起こす。
 成熟経済に達した市場経済は自然と同じく「常無しの、定めの無い無常の世界であり」常に一ヶ所に止まれず、進化しようとする流動性があるので、其の時代の理念や目的は、其の時代に存在する国民が個別に設定すべきであり「自由平等(対等)
競争ルールと生き残り目的」以外の公平、公正、簡素など固定的理念観念は個人消費を規制抑圧停滞させるだけなのです。  課税しなければ変化する経済環境に適応し、その時代の、より良い個人消費という表現型に変異が生じ遺伝子型(従来の個人消費)との競争に表現型が積極的に参加し、その時代の経済地球環境に適応増殖する全ての表現型(より良い消費)が競争で生残り、次世代の遺伝子型として強力に増殖普及するのです。
 *3.表現型の間に資源獲得競争が存在する。  競争は「優劣の結果」をもたらす。
 それは遺伝子型の間の「自己複製頻度の競争」に他ならない。
 *4.生態系を支える外部資源が存在する。
 経済活動のため国家外からの原材料の輸入や地球資源からの自国採掘に相当する。
 自力経済成長にとって最重要なのは貿易体制における「輸入であって輸出ではない」。
 しかも「外国との人と物の過剰な往来は、過剰な空輸、海運、陸送を招き、大量のCo2が発生する自然破壊を深刻化し、同時にエネルギーコストの過剰な無駄の発生原因になります」
 逆に国内での自由平等競争による、円滑な人と物の往来は最小のCO2の発生と最小のエネルギーコストで国内総生産(GDP)を急拡大し、自力経済成長と財政再建をもたらします。

 つまり「外部資源を活用し」「自己複製という構造を持ち」「より良いものへ変異しなが

(過剰性の文化)
」「変異も競争へ参入しつつ結果として増殖普及しないものが淘汰され、環境に適応し増殖普及するものが生き残り進化する」という4つの機構を持つ自己増殖システムで、自由平等(対等)競争条件を備えるものが進化システムです。 個人消費も進化システムであり、自由平等(対等)競争条件を厳守すると「自己複製という増殖性」が強まり自己決定性ならびに変異の容認性と市場経済における競争による優劣の決定機構を持ち、個人消費増殖の無形の意欲から前向きの借入金等を通じ有形の所得貨幣へ等価変換し資金を創出増殖する手法が資本主義なのです。 進化システムはシステムがそれ自身を作り出すことから自己組織システム(組織論)、自己創出システム(生物系)等と言われ現代ではその活用が急速に進んでいます。 さて人工システム(法律制度など)開発上のシステム作成の指導的原理は以下の5点であります。
1.初期目的の達成度 2.社会的受容性(分かりやすさと利便性)
3.環境変化への適応性 4.機能性能の拡張性と柔軟性5.経済性と信頼性
 そこで国家はシステム的存在であるので膨大な数の国民へ適用する拡大した遺伝子として作用するシステム(法律、制度等)を作り上げる場合、上記の5点の「システム作成の指導原理一点一点」について「条件を満たしているか」を常時チェックし、予測してから実行し、実行後はこれを評価し反省し、再度改善し実行し直さなければなりません。
(
これは経営学でいう計画・実行・評価の無限サイクル)これが膨大な数の国民をシステム的に統治せざるを得ない国家が為すべき最も重要な作業なのです。
 国民全てが生き残る、国民が望む国家遺伝子を作りあげなければ国家は進化成長しないのです。  故に自由平等(対等)
競争原則に反する制度や法律や思想は、結局進化成長しないため、数十年、数百年後には必ず淘汰される運命になってしまうのです。
(進化システム例) ――――― >(非進化システム例)
 1.
個人消費・設備投資       1. 所得(国民所得)
 2
.市場経済             2.計画経済
 3
.大衆主導の民主主義国家     3.真の全体主義・真の共産主義
 4
.事実に基づいた科学技術     4.事実と遊離した理念・観念・迷信
 5
.インターネット         5.管理主体がある商用情報システム
進化システムの作動メカニズム以下の通りであり、真理は単純で機能的なのです。
1.進化システムは生き残り目的以外の目的(理念や観念など)を持たず進化の「過程つ
まりルール」だけを持つ。 故に人により作られたシステムにもかかわらず特定の個人や
組織と言えども自由平等競争以外の理念で制御してはいけない構造を持つ。
2.進化は、より良く環境に適応するために変異が起こり、変異が競争に参入し「結果」
として進化増殖競争が起こる。 つまり「普及増殖するものが」すべて良しなのです。また変異とは「試行錯誤を行って学習し改善するという」意味が含まれています。
3.外部環境、内部状態の変化に対してシステム全体として柔軟に適応して頑健。
つまり国民大衆という要素(部分)
が自由平等(対等)競争原則で組み上げられ、経済地球環
境へ柔軟に変異適応している結果、そのような全体システム(国家)
は頑健である。
4.システムの一部が競争による淘汰圧力からはずれたとき、爆発的に増殖する。
 つまり進化システムの市場経済はバブル発生の可能性があり、均衡目標設定の要あり。

5.分化と系統が発生する。人間は生き残りのために過剰性の文化を創出している。
 つまり進化システムは必ず増殖成長進化し、分化や系統が発生する為、人間の個性や文
化の多様性が発揮されるシステムである。  したがって増殖成長進化しない場合は、その進化システムのどこかの自由平等競争に欠陥があると認識して差し支えない。
 
市場経済では「主として倒産等の擬似死のルールを持つ民間企業同士の弱肉強食競争」
(組織同士の外部競争)と「国などの擬似死のルールを持たない独占組織の内部の自由
平等(対等)
増殖繁殖競争」(構成員個人による内部競争)の2種類の重要な競争方式が存在するのです。 外部競争方式を包含した内部競争方式が主たる競争方式として、その国家経済に定着しているときに、その国の市場経済は最も進化繁栄するのです。
 故に競争とは現実の経済環境に適応接近しようとするための手段がその本質なのです。
 そして人工システムは「進化システムであるときに限ってシステムとして強力に進化する特徴」を有しているのであり、実例と歴史が雄弁に物語っています。
 
そして進化システムは時間が掛かっても必ず非進化システムに勝利してゆくのです。
 
さて進化システムにおけるキィーワードは「競争」であります。
 本書は「協同」という概念は「競争」という概念の正反対であるゆえに広義において進化システムにおける競争概念の一部と判断しています。
 国家の最高目標は「国民全員の幸福の追求」という不可能と思われる生き残り目的への挑戦であり、これを達成するためには自然システムでの人間が持つ二つの本能つまり共同体への帰属本能から生ずる利他的な共同体意識と、本人自身(個体)
の生存本能から生ずる利己的な競争意識の同時存在こそが、これを達成するための重要な手段なのであります。 
 つまり人間は「競争意識・利己的意識・営利精神」と「協同意識・利他的意識・ボランティア精神」を本能的に同時に持っており、本書では密接不可分なものとして理解する調和のとれた競争を提案しているのであります。 そして国民大衆は「消費者」(需要)
であると同時に「労働者」(供給)であり「個人消費を通じて国家運営の費用の負担者」
であると共に「国家政策の受益者」であるという二面性を持ち、この場面場面により正反
対の均衡の取れた常識ある経済行動をする存在として把握しています。
 よって国民大衆が組織運営する膨大な数の町内会や自治会では、年会費収入の20倍の借金をすることなど無いのに、エリートには常に非常識性があり彼らは理屈をつけて膨大な借金をする国家運営をしてしまうのです。
 真珠湾攻撃一年も前に、ヨーロッパ大陸を支配下においた、世界最強のナチスが孤立無援の英国を昭和15年8月、世界最強の空軍2500機で攻めてさえ、わずか35−40キロのドーバー海峡を乗り越えられなかった事実を軽視して使用可能の零戦350機で当時国力10倍のアメリカに戦いを挑んだ、日本の国家エリートの非常識性は、現在も全く変わらないのです。
 進化システムは元手不用の自立的な自己増殖システムであり「人間が作る人工進化システムの本質」は人間がより良い生活をするための、個人や集団としての進化能力や増殖能力を十分に発揮させ活用し手足となるようなシステム(遺伝子としての法律や制度等)を構築するのが目的であるから、自然人である人間のより進化し、より幸福になろうとする内在する強い本能を引き出す心理や意識、無意識的な感情、嗜好、本性、特質、相互作用など人間集団内の自然で有機的な自由平等(対等)
競争を導入したシステム(特に全国民へ強制適用される税制)でなければ効率の良い遺伝子型の法律や制度になり得ないのです。

 ノーベル物理学賞の湯川秀樹博士は「社会や科学を進化させる独創性は、少数派から生まれ、多数派から絶対生まれないので、多様性を重視せよ」と常々言っておられました。
科学とは科学の定義を遵守する以外の「目的や前提条件や制約条件が有ってはなりません」
 理工科系学問はリアルな事実を帰納法で論理し因果関係と再現性を確かめるので真正な科学であり、文科系学問の演繹法は理工科系の小保方さん事件と同じく200回成功したと言っても因果関係と再現性を確かめないので、真正科学では無く無効用の疑似科学なのです。
 現代経済学の多数派は非科学で無効用のセイの法則やケインズ理論に依存している為、成熟経済の先進国では長期継続的に財政再建と経済成長の両立に大成功した実例は皆無です。
 科学の真実は一つである為、現代の百花繚乱の経済理論は全て疑似科学にすぎません。
 故に帰納法の科学の定義を遵守しない、演繹法でどんなに正しそうな目的や前提条件や制約条件を設定した文科系理論も非科学であり再現性や効率性はゼロで、最悪へ進みます。

 つまり国家の役割は「有効需要を増加させる有効需要自然増加税制である消費税無の高累進所得税制の採用と財政出動が、国家の基本的役割であり」、企業の役割は「国家が創出した有効需要を消化する為に効率的な生産体制を構築する供給力強化が基本的役割りです」
 つまり有効需要は国家しか創出増加できず、企業では有効需要を絶対に増加出来ない科学的事実を政治家や経済学者は真に自覚しなければなりません。
 故に自力経済成長と財政再建の両立達成へ、国家は自らの役割を放棄してはなりません。
 しかも国家リーダーはいくら言葉が勇ましくても、カネ(予算)が無ければ災害復興も自衛力強化を出来ないのも事実で、税収や国民所得を自然に自動で長期継続的に増加できる有効需要自然増加税制の「消費税無の高累進所得税制が国家経営に不可欠となり、日本の戦後から平成元年までの再現性のある保守本流の池田勇人税制の大成功実例が証明しています」
 AIやロボットで国家が自力経済成長するが如き風潮は幻想にすぎず、国家が有効需要自然増加税制で有効需要と税収を毎年継続増加しない限り、AIやロボットをいくら大量生産しても、人間しか出来ない個人消費を増加できず経済成長は不可能で大不況に陥ります。
 つまり自由平等(対等)競争を厳格に遵守しない非科学の税制や競争政策によって、無利息で資本市場から大量に資金を調達できる上場企業と全く異なり、設備投資に自己資本か借入(100万円借金でも個人保証や担保が必要)に頼らざるをえない中小企業は、有効需要が消費税制と低累進所得税で自己増加しない事も重なり、競争力均衡化の税制や平等取扱いの競争政策の不存在により上場企業との競争に敗れて、シチッター通り商店街ばかりになりました。 これは国家の消費税+低累進所得税制と競争政策の根本の大錯誤が原因です。

 個人消費(所得へ等価変換する)は、最終消費者の人間個人しか実行できず、機械や企業では絶対にできない為、人間個人である生活保護者162万人や重度の身体精神障害者261万人等が直接間接に個人消費する商品原価には、国家維持費用(税金)や企業維持費用は平等に含まれ実質的に各人が事前に全負担して毎年自動的にそれに関わる他人の所得へ等価変換して国民所得を増加している「強い経済的役割りが存在している事実が重要で」、健常者に過剰な経済的負担を掛けず、自分の負担は自分が原因の総消費を所得恒等式で、関わる他人の所得へ等価変換して、自力経済成長エンジンとなる重大で有用な役割と所得適正再配分機能と自由平等な未来の医療介護の進化に貢献しているという、自身に重大な経済的効用があり、生活保護者や重度の身体精神障害者達は「後ろめたい気持ちを持つ必要は無いのです」
 ただ事実を偽り不正受給する悪人は、徹底して厳正に取り締まらなければなりません。
 個人消費は企業組織も機械も絶対に不可能で、健康で文化的な必要最低限度以上の生活を希求する人間個人しか実行できず、故に人間集団の周囲にしか経済循環構造は発生しないのです。
 人間に良く似た働き者のアリのコロニーにはほとんど「働かないアリ」が2割ほど存在する。そして「働かないアリ」が存在しないと、コロニーは長続きできない。進化生物学者で北海道大学大学院准教授の長谷川英祐氏が率いる研究グループは、長期にわたるアリの行動観察やコンピュータシミュレーションを通じて、こんな意外な事実を発見した。一見、短期的には非効率に見える「働かないアリ」の存在が、組織の長期存続に大きな貢献をしている。
更に人類は進化する生物である以上、時代の経済進化に適応する為に常に国民の家計支出も国家の財政支出も時代に適応して増加する為に、個人消費の進化システム機能を活用した継続的企業売上増加や税収増加の自力経済成長と財政再建できる税制改革こそ最善なのです。
 ノーベル賞は直ぐに成果の現れない大学の基礎研究に財政援助できなければ、日本はノーベル賞受賞は難しくなり、防衛力強化も税収が増加する税制でなければ不可能になります。
これは自由平等(対等)競争の国民所得の増加で全てを決着する資本主義経済の構造です。
 税制は増税すればするほど経済成長率が低下し財政再建が悪化する税制は最悪で、税制改革は増税すればするほど企業売上が向上し税収増で財政再建できる科学税制が最善です。
 経常収支赤字が発生しない債権国経済へ到達した日本経済の国民所得を長期継続的に連年増加させるには需要側の内需を自然増加する個人消費の規制緩和・自由化が必要であり、欧州型消費税無の高累進所得税制による自力経済成長は政府が憲法を遵守し他人の権利を侵害しない自由平等(対等)競争の過去に日米で再現性を確認済みの人間の進化システム能力を発揮させる表現の自由の個人消費を無税化して人間の過剰性の本能を適正に発揮させ個人消費の自然増加と企業設備投資増加の有効需要(パイ)の自動増加を所得恒等式で国民所得の増加へ等価変換し良循環させるのは国家税制の役割で全国民と全企業へ夢と希望を与えます。
 過剰性の文化とは人類が幸福を追求する為に、必要最低限度を超えて、常に現在より、より良い、より安全な、商品を欲求する、人類だけが持つ特殊な文化です。(世界大百科事典)
 つまり「ケインズ理論を含む既存の全経済理論では、租税を非消費支出として」個人消費の消費性向から分離して統計把握している所に、本質的な誤りがあります。  「租税の本質は貯蓄では無く、国家へのサービス料の負担つまりサービス消費支出で個人消費なのです」
  しかも「人と物の過剰な往来は、過剰な空輸、海運、陸送を招き、大量のCo2が発生する自然破壊を深刻化して、同時にエネルギィーやコストの過剰な無駄の根本原因なのです。」
 故に対所得租税平等率負担税制を構築するには池田勇人の税制改革理論が正解なのです。

  自力で可能故に他国の需要や富を収奪しない「他国へ迷惑を掛けない日本の稼ぐ力の輸出を自制する購買力平価を維持する通商政策こそ」経常収支0均衡の円安株高政策で内需主導経済成長は促進され企業は自国生産に固執せず他国に貢献する消費地生産に転換すべきです。
 経常収支の黒字転換は1981(昭和56年)で、強欲な経常収支黒字追求でバブル崩壊です。
 勿論「自国生産・自国消費」「他国生産他国消費」での個別企業の利益追求はOKです。
 欧州型消費税は逆進性等で不自由不平等の根源であり消費減少や低所得層へ非効率な補助金行政を行いながら企業へ大コスト負担させるマッチポンプ政策(放火しながら消火)の最悪税制で財政悪化と生活悪化を急速に促進する最悪税制である事を本論文は証明しています。
 欧州型消費税は個人消費の進化システム増殖性と自力経済成長を否定する非科学税制です。

 欧州型消費税制は貧富の格差拡大と不自由不平等の根本要因であり存在を容認できません。
 「事実は小説より奇なり」の科学で「財政効率化は最新科学で成り立っていたのです。」
科学とは、事実と事実の因果関係と再現性を詳細に観察し有用な真理を追求する学問です。
 つまり科学の本質とは「自然の摂理の尊重の種内競争」が核心で「正義をもたらします」
 自由平等(対等)競争の絶対性の税制改革は財政再建と自力経済成長を同時達成します。

 逆に日本が対外純資産世界一を追求する事は、戦争時に勝者が対外純資産を差し押さえられる「安全資産の意味」しか無く、経済で他国迷惑・自国不利の円高をもたらし最悪です。
 内需の有効需要(パイ)さえ増加できれば企業の供給力は科学の進化で増産は可能です。
 個人消費行為へ罰金規制をしている欧州型消費税無(以下消費税無は同じ)の高累進所得税制を採用すると、表現の自由の一種の「個人消費」が「他人の所得へ等価変換され他人の幸福へ寄与するので」、「人間同士の良循環の絆を再現できるのが真の自由主義経済なのです」
 逆に貯蓄は消費税上非課税の有利扱いで個人消費を節約させ無駄に貯蓄を増加させても設備投資へ変換できず所得恒等式の通り貯蓄の増加は所得の増加へ変換できず、更に累進所得税減税で生じる強欲な資産家階級の過剰貯蓄は資産経済のキャピタルゲインの値上り益狙いのマネーゲームの原資となり資産インフレが発生し、土地や株式や資産の仮需を大発生させ実体経済に無益で、過剰な資産経済の仮需の資産バブルの発生からバブル崩壊へ進む大要因となるので、政策目的の為の必要最低限度の資産所得に対する減税や、課税の繰り延べ以外、資産減税措置を多用すると国家が資産経済のマネーゲームをあおっている結果になるのです。
 実体経済とは、市場経済のうち消費財や設備投資財の需給を言い、資産経済を含まない。
 自国民消費不利・他国民消費有利や、消費は課税不利・貯蓄は非課税有利など自由平等(対等)競争違反がまかり通る消費税制は自由平等(対等)競争の米国には存在しません。


 日本経済が過剰な経常収支黒字を強欲に追求する事は、必ず他国の経常収支赤字による他国不安定化と安全資産としての円高をもたらす為、過当競争の大原因を生み出し自国企業へも大迷惑になり国家の経常収支黒字を追求する輸出依存経済成長政策は経済的に戦前の植民地主義と同じで根本的に大間違いなのです。 GATTで輸出補助金が禁止になった為、消費税の輸出免税還付を輸出促進税制に活用する国家の強欲にケインズは協力していたのです。
 更に経済発展段階が順次進みサービス経済化が進むと国家の財政再建の為とは言えサービス行為への消費税による罰金課税は「個人消費の減少と、累進減税による強欲な高所得者階層の過剰貯蓄がマネーゲームで実体経済に全く役立たない資産バブルを引き起こし、更にその資産バブル崩壊の結末のデフレによって深刻な実体経済の大不況の発生要因になります」
 更に世界の他国に依存する外需依存型経済成長による経常収支黒字の強欲な追求は自国にも他国にも前述通り最悪の結果をもたらす為、輸出依存の経済成長戦略は絶対にダメです。
 故に2016.4.29米国財務省は中国・日本・韓国・台湾・ドイツの5ヵ国と地域を対象に、為替に悪影響を及ぼす政策に「監視強化」を発表して経常黒字増加を徹底監視しています。
 故に国家の存在目的は「最大多数の最大幸福」(企業の存在目的は株主利益の最大化)であるので、日本の国家戦略は他国需要依存では無く経常収支ゼロを目指す「自国生産・自国消費」、「他国生産・他国消費」の為替相場の自動均衡作用を活用する経常収支ゼロ政策つまり長期戦争になっても絶対に負けない「食糧安保」と、究極のエコとなるフードマイレージ(最短の食糧輸送距離)の「国家レベルの地産・地消」となるグスタフ・カッセルの購買力平価の円安株高になるように自国商品と他国商品との個別の国内価格競争力を関税で均衡化して、進化システムの消費税無の高累進所得税制による膨大な自国個人消費(内需)の継続的自然増加の内需主導で供給の増加を誘引して自力経済成長を自動実現し「長期継続的な国民所得と国富の増加を追求する成長戦略が他国経済のリスクにも無関係で最も安心安全な政策です」
 進化システムの定義は強い自力増殖性を持つ自由平等(対等)競争の種内競争の自然生態系を創造した自然システムをそっくりそのまま踏襲したシステムを進化システムと言います。
 故に自由貿易を隠れ蓑に輸出大企業の意志に沿ったTPP条約は国の自主権を制約し国別の独自性や自由度を奪う危険性が大で、現状の「WTOの最恵国待遇と内国民待遇」を遵守した時代の自国・他国の経済状況の変化に柔軟に対応した輸入関税によって国内経済に悪影響を出さず内外の自由貿易を実現する経常収支ゼロを目指す通商政策で購買力平価の円安・株高を実現し更に有効需要自然拡大税制で内需経済成長と財政再建を同時達成すべきです。
 目の前でエリート達の理念と思惑による経済ブロック化と複雑な規制強化の結果の、経済活動の硬直化がもたらしたEUの失敗と、常に時代の経済環境に柔軟に適応する二国間交渉へ優位性を見出す米国の自由経済の原理原則に基づく、通商政策を理解すべき時です。
 故に国によって経済環境は全く異なる事実から出発しなければ自力経済成長できません。
常に競争現場の実体験が無いエリート達の思惑や予測など絵に描いた餅でしかないのです。
 米国には先進国で唯一、自由平等(対等)競争に違反する欧州型消費税制は存在しない。
 米国は輸出還付制度を伴う欧州型付加価値消費税制を世界で唯一絶対に採用しない国家で、故に進化システムが作動し米国の株価は常に史上最高値を更新し続けているのに日本は平成1年4月に導入した欧州型消費税制の悪影響で、平成1年12月に史上最高値38,957円を付けて以後、企業の消費税納税開始直前の平成2年2月から始まった円・株・債券トリプル安から日本の資産バブル崩壊が始まり、現在に至るも株価は史上最高値の38957円の半分にも達していない状況です。 更に国富は敗戦時の0から当時3190兆円までわずか43年で達成した素晴らしい実績の年平均74兆円の増加率だったが、欧州型消費税制採用23年後の平成23年の国富は3048兆円に減少し、国富は増加する所か減少しています。
 事実の情報は政治家とエリート達が隠蔽し事実は大失敗なのに、国民の税金を使って失敗していないのでいずれ成功すると、政治家はプロパガンダ(国家政治宣伝)を続けています。
 欧州型消費税は逆進性有で消費減少や低所得層へ非効率な補助金行政を行いながら企業へ複雑非効率な課税徴収処理を負担させ、マッチポンプの放火しながら消火する非科学税制で財政の悪化と国民生活を急速に悪化する最悪税制ある事を本論は事実で証明しています。
欧州型消費税は個人消費の進化システム増殖性と自力経済成長を否定する非科学税制です。
 「事実は小説より奇なり」の科学で「自力経済成長は最新科学で成り立っていたのです」
科学とは、事実と事実の因果関係と再現性を詳細に観察し有用な真理を追求する学問です。
 つまり科学の本質とは「自然の摂理の尊重の種内競争」が核心で「正義をもたらします」
 経済成長には個人消費を自由化する、進化システム税制による拡大均衡経済が最善です。
 本論の有効需要自然拡大税制の税制改革は、自力経済成長と財政再建を同時達成します。

経済成長させ常に社会へユトリを創造しないと安全維持のコストが削られ未来が危険です。
 自由平等(対等)競争の絶対性の税制改革は財政再建と自力経済成長を同時達成します。
 自国民消費不利・他国民消費有利や、消費は課税不利・貯蓄は非課税有利など自由平等(対等)競争違反がまかり通る消費税制は不平等の根源で自由平等競争遵守の米国では違法です。 
 欧州型消費税制は貧富の格差拡大と不自由不平等の根本要因であり存在を容認できません。

 戦前正しそうに聞こえた「欲しがりません勝つまでは、や、贅沢は敵」は、実は結果として豊かな経済力や生産力を生み出せない非科学標語の大プロパガンダ(政治宣伝)でした。
 表現の自由の一種の個人消費という行為が、自動的に他人の所得という利他的果実に等価変換されるという個人消費が持つ巧妙で特殊な利他的性質を理解すれば個人消費を罰金規制している消費税の危険性が理解でき欧州や日中韓の景気が回復できない原因が分かります。
 結果として強欲で自己中な国家や国民を経済学が多数輩出し、経済を大混乱させています。
 罰金とは刑罰の一種であり「本人行為者から強制的に金銭を取り立てる財産刑」である。
 交通違反行為者は「罰金」を徴収されるのを嫌い、行為者は交通違反をしなくなります。
 同様に個人消費行為者は「消費税を徴収されるので個人消費を最小限に節約」します。
 個人消費を節約すれば設備投資も節約され、自業自得で国民所得は絶対に増加しません。
自力経済成長は、より良い生活を求め個人消費を自由化する進化システム税制が最善です。
 ベーコンは科学には権威など必要ない。科学とは「観察という確かな事実」を元にして、「事実と矛盾なく構築されるべき」と偏見に満ちた学問を科学の帰納法で大改善しました。
科学とは事実と事実の因果関係と再現性を観察し帰納法で有用な真理を追求する学問です。
 経済成長は有効需要の増加で初めて可能となる為、成熟経済段階へ到達したら、有効需要を創出する自力経済成長を可能にする消費税無の進化システム高累進所得税制が不可欠です。
 自然人が持つ能力で複製や変異できる「遺伝子」や「個人消費」や「知識」や「科学」等は全て進化システムです。逆に機械やAIで複製できるものは進化システムではありません。
 更に人間社会で自由平等(対等)競争の絶対性の内部牽制制度(良心の自由)を持たない組織は悪や強欲に弱く、捜査や査察が及ばない聖域に悪や強欲が集まる習性を防止できない
 国家組織も政党組織も企業組織」つまり「民間組織も公的組織も皆同じです。」
 故に宗教へ聖域を与えるとオウム真理教事件が起こり、国家主権へ聖域を与えると、某国のように核兵器や弾道ミサイル開発を平気で強行するのです。 国家も人間個人も同一です。
 更に所得恒等式を構成する個人消費・設備投資・所得・貯蓄の4つの経済要素のうち、進化システムの「個人消費と設備投資を自由平等(対等)競争の絶対性(米国独立宣言や日本国憲法に正確に規定されている)で取り扱う時に限り」、「経済学は自然科学へ変身し」進化システムが個人消費と設備投資へ作動し、長期継続的に個人消費の増殖性が発揮され設備投資の増殖性が発揮されて、家計収入・企業収入・財政収入の増加で自力経済成長します。
 本論は文科系学問の経済学が、何故人間社会に対して自然科学系学問と全く異なり、圧倒的に効果が無いのか検証した結果、本論通り自由平等(対等)競争の取り扱いの違い、つまり科学としての因果関係と相関関係の理解の根本に錯誤の大原因を発見しました。
 例えば消費税制の「公平・中立・簡素」は自由平等と真っ向から対立する、大錯誤である。
 理工科系は事実に基づき帰納法で推論し、文科系は権威の理念の演繹法推論の違いです。
 理念や主義とは「ある物事についての、こうあるべきだという固定的考え」を言うが、理念等は人によって認知バイアス(偏り)がある為、「その国毎の、その時点の、最大多数の最大幸福を追求する自由平等(対等)競争を基本とする柔軟な科学思想に全く反しています」
 故に本論では権威の理念や編集されたデーターでの演繹推論でなく、理工科系と同じ自ら調べた生データーに基く帰納法で再現性を確認した真理を探究する帰納推論に徹しました。
 (膨張宇宙論の基礎を確立した天才アインシュタインの名言)
@ 大切なのは、疑問を持ち続けることだ。神聖な好奇心を失ってはならない。
A 物事はできるかぎりシンプルにすべきだ。しかしシンプルすぎてもいけない。
B 常識とは十八歳までに身につけた、偏見のコレクションのことをいう。
C 私の学習を妨げた唯一のものは、私が受けた教育である。
D 正規の教育を受けて、好奇心を失わない子供がいたら、それは奇跡だ。
(ケネディが尊敬し、大統領就任時の助けとなった日本の財政再建の神様の上杉鷹山の名言)
・成せばなる、成さねばならぬ何事も、成らぬは、人のなさぬなりけり!
(明治維新を牽引した、陽明学に基づく貝原益軒の名言)
・知って行わざるは知らざるに同じ! 
「知行合一が最善であり、知先行後の朱子学は最悪」
 当時の学問は知行合一にほど遠く、実証主義から知先行後の朱子学の観念主義を批判した。
 この思想はF・ベーコンの科学を定義する、事実に基づく帰納法主義と同一です。
 科学も市場経済も政治も「結果が全てであり科学も経済も政治も結果の正義を追求します」

 進化システムの定義は強い自力増殖性を持つ自由平等(対等)競争の種内競争の自然生態系を創造した自然システムをそっくりそのまま踏襲したシステムを進化システムと言います。
 経済政策の成功は全国民へ自由平等(対等)競争の絶対性遵守の税制が強制適用される時に限り、強力に市場経済へ進化システムが作動して自力経済成長と財政再建を達成します。
 国家は税収が毎年安定増加しなければ、計画的な財政出動などは絶対に不可能なのです。
 戦後税制を作り上げた天才池田の高累進所得税制の敗戦後から平成元年(消費税制を強制導入して、低累進所得税制併用税制へ改悪)までの43年間は、毎年対前年で税収は必ず安定的に連続自然増加したので、その科学的原因を事実に基づき分析研究したのが本論文です。
 本論の有効需要自然拡大税制の税制改革は、自力経済成長と財政再建を同時達成します。

 何故欧州は間接税中心主義なのに、米国は直接税中心主義なのかは、欧州は歴史的に権力者から自らのフトコロをのぞかれる事を嫌う国民性であるのに対して、米国は国家は国民が作るものであり全国民は自らのフトコロを明らかにして税を負担しあう国民性だからです。
 米国には先進国で唯一、自由平等(対等)競争に違反する欧州型消費税制は存在しない。
 更に現代の米国や日本の国民性は正直で誠実である事は望ましいとする価値観であり、正当な理由が無い限り、法律行為の言行不一致(ウソ)は、原則として法律違反になります。
 正直で誠実な言行一致は、経済社会へ進化システムを作動させる前提条件となります。
 逆に欧州や中韓の権謀術策は悪では無く騙された方が愚かだという思考が大問題です。
 故に刑法では、任意捜査と強制捜査があるが、任意捜査において言行不一致の疑い(ウソ)を立証できた場合は科学的方法で該当者の行動を期間を決めて観察・監視する事はやむを得ない。 これは刑法で予防拘禁を禁止している事に対応する措置である。 プライバシーや黙秘権の乱用は真実の発見を遅らせ悪意の人間を助長し善意の人間を危険に晒します。
 国家は正直で誠実な国民の為に存在し、不正直で不誠実な国民の為に存在する訳で無い。
 故に不誠実で不正直な国民に対して規制を課すのは、国家としての当然の責務なのです。

 経済学の本質は集団科学:国家は国民一人一人を構成員とする全体であるというシステム理解に基づく自然科学(進化システム)の法則で無から有の富を生み出す学問なのです。
更に日本人の国民性に染みついている諸行無常の無常観は自然生態系の死生観と近似です。
 有効需要自然拡大の税制改革による自力経済成長と財政再建は需給の多様性に最適です。
 故に良い事はやる、悪い事はやらないという正義感と価値観を心に確立しながら、事実の詳細な観察に基づく再現性を追求する理工科系帰納法論理への大転回が必要です。そして理念と事実の不一致を錯誤と言い錯誤は過去の歴史において大損害の大原因になっています。
大悪例は全体主義や共産主義や小さい政府の減税乗数理論やグローバル新自由主義等です。
 理念や主義とは「ある物事についての、こうあるべきだという根本の固定的考え」を言うが、理念等は考える人によってバイアス(偏り)がある為、その国毎の、その時点の、最大多数の最大幸福を追求する自由平等(対等)競争の柔軟な「科学思想に全く反しています」日本は米国と全く異なり「憲法に規定する自由と平等を、司法も立法も行政も全く遵守せず」憲法違反の欧州型付加価値消費税制を平気で導入し、自業自得で不況を招いています。
 米国には先進国で唯一、自由平等(対等)競争に違反する欧州型消費税制は存在しない。
 日本人は「自由と平等の深遠で科学的な意義」を全く理解していない愚か者ばかりです。
 日本は明治維新で国家制度の大部分を階級政党制のドイツと英国から導入しました。
 そして明治維新から現在147年経ちますが、良く考えると米国の自由平等(対等)競争を厳格な遵守し模倣した敗戦から平成元年までの43年間は日本国は幸せな時代を過ごしたが、それ以外の欧州列強を模倣した期間は国家に不幸ばかりが到来し全国民は最悪でした。
 徳川時代の統治階層であった武士階級の自己改革(自己啓発)を引き起こした明治維新を大成功させたのは、科学に近似の陽明学への傾倒が真実を発見し大改善できた理由です。
 平安時代の世襲制の貴族主義と異なり日本で永年続いた武家社会は有能なリーダーが勝つ「下剋上が当たり前の日本」は市場経済と類似した柔軟な競争を行う日本の競争社会は、国家統治における欧州の世襲の固定的な貴族社会と一線を画す柔軟構造の社会となりました。
 しかも士農工商という身分制度は中国から導入したとはいえ、その順位を明確にした身分制度は経済的弱者の農民を士の次に位置させる等、明治以後の「職業に貴賤無し」の労働観を決定して、市場において経営者と労働者が協力する日本独特の経営統治となりました。 
 更に陽明学は、知って行なわざれば、知らざるに同じの「知行合一」を主張し、「知先行後」の徳川幕府の朱子学を打倒し、近代的科学技術を素直に大規模に導入できたのです。
 しかし自力経済成長は理工科系の生産の供給側に限られ、文科系の個人消費の需要側自力経済成長への科学化は全く研究がなされず、逆に欧州の階級主義の導入に注力したのです。
 故に米国独立宣言や新憲法に規定された人間社会における「自由平等(対等)競争の絶対性」のもたらす重大な効用(進化システム)ついて、エリートは全く不勉強だったのです。
 米国には先進国で唯一、自由平等(対等)競争に違反する欧州型消費税制は存在しない。
 本論の有効需要自然拡大税制の税制改革は、自力経済成長と財政再建を同時達成します。
 故に国家という大組織へ求められる機能は、PLAN(計画):DO(実行):SEE(評価)の三大経営機能の内、PLANとSEEの評価機能を充実させ、特にSEE機能は国家が直接行い、DO機能は民間の自由な市場経済機能へ完全に任せるのが、基本中の基本です。
 大企業でも旭化成建材の杭打ちデーター改ざん事件、三菱自動車カタログ燃費詐称事件、東芝の長期不正会計事件、東洋ゴムの試験データーの偽装事件、タカタのエアバックの不適正事件やシャープの外資化などは大企業組織のコンプライアンスの問題とは言え、大企業経営のPLANとSEE機能を不自然に歪めた、良心を失った経営陣の自業自得に過ぎません。
 科学に、権威など必要ない。 科学は、「観察という確かな事実」を元にして、「観測事実と矛盾しないように構築されていく」べきなのだ。 このフランシスベーコンの「事実に基づく帰納主義」は、当時、最も説得力を持った革命的な考え方であり後の「科学」というもののあり方を完全に決定づけた。 「科学哲学史(1) 帰納主義 1600年頃の記述より」

 理念や主義や信念の主観論は変化する諸事情をバイアスに基づき判断するので必ず失敗し、事実に基づき自由平等(対等)競争で決める客観論の科学の進化システムは必ず成功します。
 理念等の主観論の大欠点は、客観論の事実に基づく知識が根本的に不足している点です。
 つまり人間は本質的に自然生態系に存在する「一動物に過ぎず自然システム(進化システム)ルールに支配されている動物に過ぎないという事実に基づく科学的認識が重要です」。
 ただ人間は地球上に生息する他の全生物には無い「過剰性の本能(生きるのに必要最低限度以上を常に欲求する本能)」を保有している特殊な動物であり、これを発揮させる為に憲法で幸福追求の権利や自由平等を保証した長い歴史で、科学的にルール化されていたのです。
 従ってこれを常に正しくコントロールしなければ、とんでもない事態を招くのです。
 それは科学と称しながら事実に基づかず再現性の無い非科学の政治経済の文科系学問のアリストテレス演繹法推論は、「理念と事実の不一致の錯誤」が非常に多く非科学推論が全体主義や共産主義や計画経済や市場原理主義等の大過を生み出し、結果として全世界へ大損害を生み出し続けています。 故に政治や経済学の文科系論理方法を、莫大な果実を上げている理工科系の「事実に基づく再現性のベーコン帰納法推論」へ大改善しなければなりません。
 「理念や主義とは、ある物事についての、こうあるべきだという根本の固定的考え」を言うが、理念等は考える人によってバイアス(偏り)がある為、その国毎の、その時点の、最大多数の最大幸福を追求する自由平等(対等)競争の「柔軟な科学思想に全く反しています」故に全国民へ「誰一人有利不利の無い自由で平等な税制が強制適用される時に限り」経済や社会へ進化システムが自動的に作動します。 故に内政の長期継続的な成功や失敗は税制の選択で決まります。 ビスマルクの鉄は国家なりと同様「税制は国家なり」なのです。
 日本国憲法で定める「教育の義務」「勤労の義務」「納税の義務」は事実として日本国民の三大義務であり「平等」(納税は対所得平等率負担)扱いが科学的な原理原則です。

 第一次世界大戦で米国ウイルソン大統領が欧州型消費税無の最高所得税率大幅引き上げの高累進所得税制改革での需要側の自力経済成長と財政再建の長期継続的な同時達成の大成功と、第二次世界大戦で米国ルーズベルト大統領のニューディル政策を支えた既にウィルソン大統領が社会実験済みの欧州型消費税無の最高所得税率大幅引き上げの高累進所得税制改革で米国を長期継続的な需要側の自力経済成長・大物量生産と財政再建の同時達成の大成功へ導いた税制を、米国と戦いながら研究していた戦中に主税局長を歴任し末端の税務的現実や事実(財閥企業の柔軟性の無さや生産力増強対応の弱さ)を良く知る税制官僚政治家で米国の長期継続的な経済的大成功の原因を理解していた池田勇人は所得倍増計画を掲げ成功を期して米国で二人の大統領が既に米国で社会実験済みの欧州型消費税無の最高所得税率を国税75%へ大幅引き上げた(地方税を含めると92%)累進所得税制を、減税乗数理論を根拠に大反対した当時の経済学者達を無視し成功を確信して断行して10年計画の所得倍増計画を僅か5年で達成し戦後の徹底的に破壊された国土と生産設備を財政出動しながら財政再建を長期継続的に同時達成した奇跡の高度経済成長を支えた進化システム税制を構築しました。
 本論の有効需要自然拡大税制の税制改革は、自力経済成長と財政再建を同時達成します。
 生物の同一種内競争の自由(平等)対等競争の遵守は国家経済発展の基礎であり、しかも
 有効需要自然拡大の税制改革による自力経済成長と財政再建は需給の多様性に最適です。
 まず既存経済学は経済成長と財政再建の同時達成へ長期継続的な大成功実例が皆無の「ケインズの減税乗数理論と輸出乗数理論に偏重した、非科学と不正義の理論に過ぎないのです」
 事実として長期継続的な大成功実例の無い減税乗数理論や輸出乗数理論を鵜呑みにする経済学者達は最悪で、この理論を信じて国家政策を遂行していくと必ず失敗が待っています。
 正義とは自然法に基づく道徳概念で「生物の同一種内競争の尊重】と一致します。
 故に愚かな政治家にインバウンド(訪日外国人旅行)が経済活動へ特別な好影響を与えるようなウソを垂れ流している人物を注意しない経済学者達の非科学思想を軽蔑しています。
 インバウンドの内、母国へ持ち帰るお土産品や海外へ持ち出す商品の消費税全額還付して輸出と同一であるのに、物の輸出より、観光客誘致に更に財政出動が必要であり、不自然で長期継続性が無い一時的な経済循環のインバウンドを求めて、母国へ持ち帰るお土産品や海外へ持ち出す商品の消費税全額還付を垂れ流しながら財政支出と財政出動を要する財政効率が最悪の経済政策です。
 インパウンドは特別な財政負担無しで日本に興味を持った自然なインバウンドだけで十分で、財政負担は日本国民向けの安定した経済循環に強力に役立つ財政出動に限るべきです。

 世界一の8000万人のインバウンドを誇る、仏の財政赤字が止まらず若年労働者の失業率が世界平均19.7%より高い23.8%である事実がインバウンドの無効性を証明しています。
消費税と低累進所得税の税制改革では経済成長と財政再建は不可で国家財政は破綻します。
 本論の有効需要自然拡大税制の税制改革は、自力経済成長と財政再建を同時達成します。

 つまり現代では事実のビックデーターを活用して証明しなければ科学ではありません。
 ビックデーターを活用すれば、民間では保険業が成り立ち、国家ではビックデーターの国民の家計調査報告から低所得階層は高消費性向であり、高所得者階層は低消費性向である事実が証明され、これに基づき逆進性の消費税は廃止しなければならず、更にビルトイン・スタビライザー機能(景気自動安定化装置)を有する最高所得税率の高い高累進所得税制が対所得租税平等率負担の進化システム機能と所得適正再配分機能を持つ税制で、長期継続的な自力経済成長と財政再建の同時達成に成功する事実が科学的に論理証明・疫学証明しました。
 有効需要(個人消費+設備投資=>国民所得)を人間個人の、現状より新しい物、より良い物、より安全な物、機能の高い物を欲求する過剰性の本能を経済成長エンジンとして活用し、人間の欲求に基づく個人消費を増加できる所得増加税制を構築して長期継続的に連年有効需要を自然増加させる消費税無の最高所得税率の高い対所得租税平等率負担の高累進所得税制を採用すれば、日米の長い歴史が証明しているように国家は財政再建に成功し、全企業は好景気で潤い、全所得階層の家計収入は平等に増加し、経済は長期継続的に良循環します。
 米国ではこの欧州型消費税無の最高所得税率の高い対所得租税平等率負担の高累進所得税制の第2次大戦からケネディ時代まで最高所得税率90%以上で、格差も無く好景気と低失業率の「1940-1950年代を古き良きアメリカとして」常に無意識に懐かしんでいるのです。
 故に人間の本性の事実に基づく科学と正義を無視すると、日本の合計特殊出生率は改善されず、日本の少子化は歯止めがかからず日本民族の消滅は未来の現実になってしまいます。
 特に戦後の合計特殊出生率は悪くても2.0前後に推移していたのに昭和41年の丙午年の合計特殊出生率1.58を下回る、平成元年は消費税と低累進所得税制の導入によって1.57へ低下し、更に現在に至っては少子化対策は当時より格段に改善されているのに、1.45前後と最悪状態であり、更に男女ともに未婚率が劇的に悪化し平成元年以前に比べ現在は男は10倍、女は5倍も悪化しており最大の原因は幸せな家庭生活を送れない、税制の徹底した改悪により発生した実質低賃金と、労働密度の高いユトリの無い生活環境の悪化が大原因です。
 実体経済とは、有効需要を伴う実在する経済活動を根拠とする経済のことをいいます。
 実体経済には実体経済の派生に過ぎない「キャピタルゲイン狙いの資産経済」は含まない。
 アメリカで累進所得税減税の最高所得税率引き下げのウワサが流れるだけで市場が株高になるのは、強欲な高所得の資産家階級が資産経済で活発にマネーゲームをして資産バブルを実現できる余剰資金を得る最も簡便で合法的な方法が最高所得税率引き下げ減税だからです。
 しかし資産経済におけるバブル発生は、実体経済にインフレ等の悪影響しか無く、いずれ資産バブルは実体経済が伴わないので崩壊すると最悪の経済不況が襲い掛かってくるのです。

 実体経済とは、市場経済のうち消費財や設備投資財の需給を言い、資産経済を含まない。
 本論の有効需要自然拡大税制の税制改革は、自力経済成長と財政再建を同時達成します。
 逆に実体経済を活発にするには本論の有効需要自然拡大税制の税制改革を断行する以外に方法はなく、実行できる政治家だけが天下を取り自力経済成長と財政再建を同時達成します。
 日本の実質的な経済状態は想像以上に悪化しており、高所得の国家統治階層への不平等な有利扱いにアグラをかいている強欲さと無知無理解が景気回復出来ない最大要因なのです。
 特に資本主義理念を特別視し、キャピタルゲインの特別有利扱いの思想は大錯誤です。
 経済の現状認識を全て主観的なマクロ経済の言葉で表現して、客観的な事実や事実のビックデーターに基づかない非科学の判断の累積が日本の経済財政の最悪化を促進しています。
 自力経済成長と財政再建の同時達成が出来ない現状言葉だけの経済理論が最悪なのです。
 人間の本性は利己的と利他的の平等が重要で、正義を尊重する科学の経済学が必要です。
 減税乗数理論と輸出乗数理論の長期継続的な成功実例0であり、グローバル経済もマクロ経済手法も言葉のウソに頼るプロパガンダに過ぎず、総務省統計局の家計調査報告の全国民の個人消費支出の長期増加が無ければ、純粋に科学的に経済的に景気回復とは言いません。
 このままでは自己中に偏重した米国や中国の統治者の力の思惑に基づく論理に日本は押し潰される恐れが大で本論の経済的事実に基づく科学の正義論で対抗しなければなりません。
 更に「卑怯=自由平等(対等)競争の絶対性違反との知識が、普及していない国が多く」、テロつまり無防備な一般市民を殺す自己中の殺人を卑怯と考えない知識が残念至極です。
 人類は同一種ゆえに「卑怯行動は犬畜生にも劣る行動という知識の普及が大切です」
 故に理念や宗教の名の下に、正々堂々としない卑怯な振る舞いは恥ずかしい事なのです。
 更に経済学では「無駄の科学的定義」さえ本論通り定まっておらず大混乱しています。
経済の真の無駄とは個人消費や設備投資にならない「過剰貯蓄」で、過剰貯蓄が資産インフレからバブルを発生させ長期継続的に実需の増加に役立たず最後にバブル崩壊を発生します。
 更に「AIで大失業時代が到来しても」米国発の大恐慌や第一次世界大戦、第二次大戦の戦後財政再建や日本の戦後復興を見事に達成した本論文の消費税無の高累進所得税制の税制改革理論を採用すれば、常に進化システムと所得適正再配分機能で有効需要は自然に増殖拡大し貧富の格差を縮小し、時代に適応した個人消費を購入できる国民所得へ有効需要を自然増加する為、科学技術が発達し進化して新商品や新産業が誕生して消化できるので心配は無く、この税制下での人間の本性が市場経済で発揮されて、全ての諸問題を自動解決します。
 故に自力経済成長は「より良い、より安全を求める人間の本性(過剰性の本能)の進化システムの個人消費で成り立っているので」、原発復興や震災復興つまり地方経済の回復には長期継続的な財政出動は不可欠で経済的に無駄では全く無く、長期継続的な財政出動無しには地方の発展や再生は絶対に成功しません。 更に人間の生活区域である市街化区域の放射性物質の除染だけでなく、市街化調整区域や山林・原野等の用途地域以外の膨大な面積の除染作業も財政出動を徹底して行い、被災地域に住む人間を始め動植物が完全に安心安全に生き残れる自然環境を作る事業が昔の新田開拓や開墾と同じく地域の土地の価値の上昇につながり長期の経済基盤となり、被災地への居住意欲が高まり合計特殊出生率が高まるのです。
 広島や長崎の発展を考えれば、原発事故への財政出動は無駄では全く無かったのです。
 つまり地方への財政出動の金銭は絶対に無駄に消える事は無く、市場経済機能と対所得租税平等率負担の、消費税無の高累進所得税制によって地方で発生した総需要は結果として地方を潤し最後に都市の有能な国民へ所得として還元し税収も自然増加する仕組みになのです。
 国家も個人の家計も企業も、収入が長期継続的に自然増加しなければ安心して長期の計画的な支出の増加などは絶対に不可能なのです。 故に進化システムは人間と言う同一種が作り上げた憲法で規定された最大多数の最大幸福を追求する自由平等(対等)競争の絶対性の過程・プロセスを遵守した自然科学の強力な増殖力と進化力を持つ「個人消費に着目した消費税無の高累進所得税制で対所得租税平等率負担を実行すると大増殖と進化を開始します」
消費税と低累進所得税の税制改革では経済成長と財政再建は不可で国家財政は破綻します。

 本論の税制改革の有効需要自力拡大税制は、自力経済成長と財政再建を同時達成します。
そして国家の進化には自己啓発と責任感のある国民へ自己改革する教育が何より重要です。
 日本国憲法第13条の「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。」は、米国独立宣言と同じく理念的規範として設けられているのでは無く、自然法で人間の本性の遵守すべき基準として厳密に規定されているのを誤解しています。
 米国独立宣言の「自由と平等の絶対性」は、独立宣言起草責任者5人の内、実際に起草文案を執筆したのはジェファーソンであり、彼は「ジョン・ロック、フランシス・ベーコンおよびアイザック・ニュートン」など英国経験主義者の自然科学を勉学し、彼らのことを「世界が生んだ最も偉大な3人」と呼んで博物学者になり、客観的認識の自然法を習得しました。
 1776年の米国独立宣言では、全ての人間は生まれながらにして平等であり、創造主によって生命、自由、および幸福の追求を含む不可侵の権利を与えられていると宣言し、この権利を確保する為に、人々の間に政府が樹立され「統治者・政府は被統治者の合意に基づく場合に限りにおいて正当な権力を得る」と宣言し、これが民主主義の原理となっているのです。
 これに対して1789年のフランス革命は「友愛という不自然な主観的理念」取り入れた革命であったため、欧州ではフランス革命から同じ思想の仲間を同志・同志と呼び合う「全体主義と共産主義」と言う二極化した党派性の強い独裁国家を生み出す原因を作り出しました。
 日本国憲法は米国憲法を準拠して構築されているので、日本憲法の科学的基準からすると付加価値消費税は国民個人が、より良い安全な個人消費をして幸福追求しようとする行為を罰金で規制しているので科学の原理原則から日本国憲法違反だったのです。
 つまり自由平等(対等)競争の絶対性は「全国民の幸福追求の唯一の手段だったのです」

 米国には先進国で唯一、自由平等(対等)競争に違反する欧州型消費税制は存在しない。
 罰金とは刑罰の一種であり「本人行為者から強制的に金銭を取り立てる財産刑」であり、消費税は個人消費行為と設備投資行為の両者の増加拡大行為に対する罰金に他ならず、科学的な規制事実を公正・中立・簡素という言葉で誤魔化し正当化しているのが大問題です。
更に「なぜという疑問を解決するのが科学であり自然科学はこの追及を徹底しています」
 故に文科系学問でも人間社会における何故という疑問を大切にする研究態度が大切です。
 故に、敗戦直後から昭和の終わりまで池田首相の消費税無の高累進所得税制時代に限り自力高度経済成長が続いたのか、権威に依存せず事実を詳細に観察し研究する態度が科学です。
 フランシス・ベーコンは、「科学に権威など必要ない、観察という確かな事実」を元にして「事実と矛盾なく構築されるべきだ」と因果関係と再現性を追求する帰納法を確立しました。
 故に今こそ、文科系経済学を演繹法から帰納法へ大転回する時期だと考えています。
 つまり小島よしお氏では無いが「科学には権威など、そんなの関係ネーが科学なのです」
 さすれば「個人消費の進化システム機能の重要性を再認識し、政治に党派性を持ち込まず、時代の環境に柔軟に適応する集団的知性を発揮できる国民政党制の政治が科学になります」
 経済学者は良く高累進所得税制を採用すると富裕層が海外へ逃げると鬼の首を取ったように言うが、海外へ逃げたかったら逃げても全く問題は無く、日本国へ納税意志の無い「資本主義的愛国心の無い人間に対する情報公開を徹底すれば、日本国民はそのような人間に対して二度と個人消費や所得を与えなくなる為、国籍変更時の資産移転の課税さえ適確に行えば、何の心配もなく日本で努力する次善の国民へ富と国民所得が集中するので心配はありません。
 本論の有効需要自然拡大税制の税制改革は、自力経済成長と財政再建を同時達成します。

 本論文の内需主導自力経済成長理論を科学的に解説すると、一.の対外経済政策と 二.の国内経済政策=池田勇人税制改革理論の採用に単純明快に科学で集約されます。
一.対外経済政策としては戦争を開始し長期戦になった場合の日本の最大の弱点である食料自給率(欧米先進国は70%−200%なのに、海洋に孤立した日本はわずか39%に過ぎず、長期戦に耐えられない)を向上する為とフードマイレージやエネルギー効率の向上の為の商品マイレージを向上する為に「自国生産・自国消費」「他国生産・他国消費」を本質的テーマとして、グスタフ・カッセルの購買力平価説の円安株高へ導くリアルな事実と事実の因果関係を詳細に分析する帰納法で論理し、モデルや理念に基づく目的と手段を演繹する演繹法を排除します。 故に対外経済政策としては経常収支ゼロ政策で円安株高政策をめざし、民間企業が輸出したい場合は、工業製品の生産拠点を、更に消費地へ直接投資を行い「他国生産・他国消費」で他国労働者を雇い他国消費者へ直接販売して他国経済へ大貢献しながら自国企業の資本の増殖に大貢献する経常収支均衡政策と、進化システムの科学で自力経済成長の個人消費の自由化促進と最短のフードマイレージになる「食糧の自国生産・自国消費」の事実に基づく通商政策である長期戦争に耐えられる食糧安保とエネルギー効率向上に大貢献する「最短のフード・マイレージの地産地消」となる内需主導の自力経済成長が最善です。
 故に日本の関税自主権は日清・日露戦争の大勝利で開国から50年かけて欧米からやっと獲得した「自由の権利」なのに、それをTPPで放棄する事は反自由貿易です。
 TPPが成立すれば、市場経済は明日何が起こるか分からないのに、自国の国内制度への障害となる固定的な多国間TPPルールが強制適用され、日本の固有文化で作られた柔軟な国内制度がグローバル企業に都合良く解釈され法改正へ圧力が加えられる恐れがあります。
 関税をゼロにするのが自由貿易とする思想は大錯誤であり、自由貿易とは二国間の商品別の各国の価格競争力を経常収支0を目標に均衡化する制度の関税自主権と為替の変動相場制がメインで環境変化の激変にも柔軟に対応できる柔軟性を持つ自由貿易の最善制度なのです。
 逆にグローバル企業にとって賃金の安い労働者を雇い自国生産でき、更に他国から自国へ関税無で部品を輸入できれば自国内で頑張って来た国内企業を淘汰して競争企業を排除できる手段を持つ強欲なグローバル企業はTPPを利用するので、いくらエリート達が詳細に設計しても固定的制度では経済環境の激変には対処できず長期的に問題が発生する不自由不平等な制度です。 人間に多様性があるように国にも多様性と立地条件があり関税をゼロにすると商品毎に異なる価格競争力を自国の関税で自主調整できず、カネを持っている多国籍企業の強い価格競争力で自国市場の需要や富を自由に収奪できて植民地と同じ結果になります。
  同一種内競争の自由(平等)対等競争の絶対性遵守は国家経済発展に最善であり、しかも総需要自然拡大する税制改革による自力経済成長と財政再建が経済の多様性に最適です。
 人間社会の、小が大に事(つか)える弱肉強食競争の事大主義は経済停滞の大原因です。
 総需要自然拡大の税制改革による自力経済成長と財政再建は、需給の多様性に最適です。
 自由平等(対等)競争の絶対性の税制改革は財政再建と自力経済成長を同時達成します。

 二. 19621986の池田勇人税制の消費税無の高累進所得税制(国税最高所得税率75%)は、ケインズの減税乗数理論で武装した当時の主要経済学者達に大反対されたが、池田首相は、経済学者を経済や財政や税制の本質を知らない素人集団と評し、当時の主流の経済学者の大反対を排除し、官僚政治家として東洋の奇跡の長期経済成長に大成功したのは事実です。
 科学も経済も政治も結果が全てで長期継続的な大成功結果がなければ、成功と言いません。
 理工科系の科学の分野では、事実に基づく因果関係と再現性の帰納法で論理します。
 そこで本論文の事実に基づく帰納法の因果関係の再現性の科学で解説すると次の通りです。
 @消費税:個人消費に対する罰金を廃止すると人間の本性で個人消費が自然増加します。
 A個人消費が自然増加すると、供給を増加する為に設備投資の増加が必要になります。
 Bすると個人消費と設備投資の自然増加を等価変換した、国民所得の増加が実現します。
 C結果として国民所得と税収の継続的自然増加が実現します。
 D更に所得適正再配分税制が作動すれば消費性向の高い低所得階層へ適正に所得が再配分されるので、国家全体の消費性向が向上して、次の個人消費@の増加へ経済が良循環します。
 以上のサイクルによって需要側内需主導自力経済成長が長期継続的に良循環します。

 さて経済や社会を上から目線で見る欧州の国家リーダー達と全く異なり、米国同様下から目線で見る事が出来た税制官僚政治家の池田勇人の科学的な税制理論と池田を見出して秘蔵子として偉大な政治家に育て挙げた外務官僚政治家の吉田茂の自由平等(対等)競争の絶対性を遵守した米国型の経験主義を実践したのと同じく本論は現代の言葉による理念やモデル重視の長期継続的な大成功例の無い科学に無知な経済学と政治家に警鐘を鳴らしている論文です。 池田首相の発言と伝えられる「貧乏人は麦を食え」は、マスコミが池田の発言を非科学的な「お涙頂戴式で情緒的な戦前の日本経済を長期戦に勝てない経済体質へ弱体化させた:欲しがりません勝つまではや贅沢は敵:と同じプロパガンダ記事に過ぎなかったのです。
 池田首相の真意は発言や政策の中に述べられているように、「貧乏人は麦を食って生き残れ、金持ちは米を食って税金を支払え。 これを継続する事が全国民を豊にする経済原理に合致した国税最高所得税率75%(地方税を含むと92%)の高累進所得税を断行しました」
 日本のマスコミも経済学も某国等と同じく、お涙だ頂戴式で正しそうな非科学的論理や、非科学の経済学に固執して真理を探究せず、大反対していた失敗を、後悔しています。
 その点米国は戦争に当って、武器生産の大規模財政出動には十分な税収が必要な科学的常識から、ルーズベルト大統領はケインズを始めとする大経済学者達の大反対を物ともせず、ウィルソン大統領と同じく最高所得税率を大幅引き上げる高累進所得税を採用したのです。
 その結果は経済成長による長期好景気と税収増の財政再建の同時達成を達成したのです。
 全国民の一人一人の所得を向上しなければ「国家全体の、労働や生きるモチベーション(動機づけ)が上がらないのは当然で、エリートは無知で愚か者としか言いようがありません」
 逆に現代日本は与野党を問わず(もちろん世界中の政治家も経済学者も)、上から下まで「言語明瞭・意味不明瞭な再現性の無い政策や理論に固執する非科学エリート達ばかりで」現場は大改善に努力しているのに、トップは役立たずの政治家や経済専門家ばかりです。
 有効需-要自然拡大の税制改革による自力経済成長と財政再建は需給の多様性に最適です。
 日本の消費税無の対所得租税平等率負担の高累進所得税制を理由に日本を脱出したい資本主義的愛国心が無い人物は国民同士助け合う日本には全く不要で再帰国の場合は重税です。
 他国へ移住したければその時点の租税を適正に支払わせ国籍変更の情報を全国民へ情報公開すれば日本国民へ役立たない人間へは今後個人消費や所得を全国民は与えなくなり、本人へ与えていた個人消費や所得を日本国民の次善の人々へ与えるようになるので全く安心です。
 日本人の国民性は農耕民族の特徴と、進取の気性を持ち「集団の和と進取の労働に生きる価値を見出し」、欧米人の国民性は狩猟民族の特徴として「労働に価値を見出すより個人の個性と集団を管理する技術に、生きる価値を見出す」という根本的な違いがあります。
 つまり論理が上から目線に成りやすく、階級意識が強くなる大欠点があるのです。
 理念や主義や信念の主観論は変化する諸事情をバイアスに基づき判断するので長期に大失敗し、事実に基づき自由平等(対等)競争で決める客観論の進化システムは必ず成功します。
 理念等の主観論の大欠点は、客観論の事実に基づく科学が根本的に不足している点です。
 
 
 戦後の日本は経済人と官僚は一流、政治家は三流と言われていたのは事実だったのです。
 つまり戦後の平成元年までは、政権与党の自民党の混乱続きの党内情勢は「国会議員の個人優位・組織劣位の米国的な党議拘束を認めない国民の代弁者としての国会議員個人の良心の自由に基づく国民政党制的な政党運営をした結果で」憂国の財政官僚と経済人を育成して経済成長したのに、憲法51条には国会議員の院内発言に免責特権があるのに、マスメディアは混乱した政党内情を批判する誤った風潮(自由競争には常に混乱が当たり前なのに)のプロパガンダが全国民にも浸透し、政党の組織強化が自由な雰囲気の自民党内にも広がり各派閥の戦闘力は非常に強かったのに、弱い派閥が強い派閥につき従う事大主義の日和見が広がり、各派閥が権謀術策の組織強化ばかりに注力したため、個人の意見をはっきり主張する議員は抑えられ、自己反省しない科学へ無知な言葉巧みな政治家が自分が主役に出たくて、平成元年前後から無理やり欧州を真似して国家権力を振りかざして消費税を導入する為に「組織優位・個人劣位の欧州型の党議拘束や政党公認権を強化する階級政党制」へ突き進み、統治階層の国家リーダーの理念を最優先し支配下の議員や官僚に対する支配統制を強化した為、事大主義が蔓延し「理念と事実が乖離した錯誤政策ばかりで失敗を繰り返しています」
 特に階級政党制の政党リーダーは理念や信念という主観的認識で行動しているので、一度「固定的なあるべき姿」を思い描いてしまうと、新しい諸環境変化の情報がもたらされても、「あるべき姿」から逃れられなくなる現象を代表性バイアス(偏重)と言い、ある事が起きる可能性を、他の出来事の類似性(相関関係)に基づいて推測するので大失敗ばかりします。
 故に代表性バイアスとは、社会心理学の認知バイアス(偏重)の一種で「自分にとって都合の悪い情報を無視したり、過小評価したりしてしまう人間の非科学的特性の事を言います」

 故に民意を反映しない規律と団結は最悪を招くが、混乱を自由平等(対等)競争の絶対性(=自然)(=科学)で集約する集団的知性を求める間接民主主義システムは最善です。

 そしてダーウィンの自然淘汰(自然選択)説が人間社会へ作動して、最悪を淘汰して行く過程の「総選挙での無党派層や若者の棄権の多さが、人間社会の政治や経済の両分野の最悪の淘汰が進まず、大悪影響を及ぼしているのです」  故に党議拘束の無い無所属候補は「無所属の会」という日本唯一の米国型の国民政党を設立して政党助成金を受けて「無所属の会」を発展させるべきです。 「総選挙はその時代の諸環境に適応できない最悪の淘汰が目的であって」「その時代の諸環境に最善は適応するが、最善も次の環境変化に適応できるかどうか不明である為、最善を含む多数の次善を生き残らせる事が大切だからです
 要は当時の地球環境に最適化した史上最強の生物である、恐竜のあっけない末路と、その厳しい環境を生き抜いた現代の生物の祖先の弱小生命力の強さが多様性の重要性の証明です。
 つまり多様性の維持存続は何にも増して重要で米国の国民政党制は二大政党に見えて党議拘束禁止の為、米国の国会議員は国家採決では各自別々の自由平等(対等)競争遵守です。
 つまり「結果として政治の悪や不正は若者や無党派層の棄権が招く、自業自得なのです
 故に環境が変化しても、変化する客観的な環境事実に基づき、科学的な客観的現状認識で行動するバイアス(偏重)が無い柔軟な科学的な因果関係システムの重要性を表しています。
 つまり民主主義の三権分立は国家組織内の内部牽制制度に他ならず、組織内に良心の自由が存在しないと、権力の集中による「実質的な独裁が発生し不正や悪をもたらします。」
 故に日本の風潮である国家の組織経営に政治家こそ国民の選挙で選ばれており国家の最終決定は政治主導が正しいという認識は真っ赤なウソであり、あくまでも立法(組織経営に素人の政治家)と司法(裁判・検察官僚)と行政(官僚・公務員)の三者が対等に自由平等(対等)競争するのが民主主義の内部牽制制度(三権分立)であり、組織同士の対立は国家の三権分立が正しく機能している証拠です。 故に情報を公開し良心の自由での多数決が正しい。
 故に現代米国の国家組織の内部対立はアメリカの民主主義が正常機能している証拠です。
 故に法律違反の「事実の情報公開を厳正実施し、悪い者は悪い」「良い者は良い」「正しいものは正しい」と国民の過半数の多数決の集団的知性での決着が民主主義の原理原則です。
 例を挙げれば、戦後日本経済を世界一の経済大国へ導いたのは混乱を恐れない官僚出身の吉田首相、池田首相であり、逆に日本を並経済国へ引きずり下ろしたのは混乱を嫌い一致団結を追求する民間出身のエリート政治家達であった事実を厳密に知るべきであり、政治は「政治主導が正しいのだとか、政治家の方が優位だとかいう説は、三権分立の原則に反した、全くの錯誤に過ぎないのです」  三権分立は混乱を生み出しながらも、「事実の情報公開を徹底して厳正に行い」、「自由平等(対等)競争を厳しく遵守して」、「規律正しく選挙区の有権者の意志を託された国会議員の、良心の自由、表現の自由を発揮できて国会採決を実施できる」、「政党組織の意志に左右されない党議拘束無の制度的保証下で」「間接民主主義の全国民の集団的知性(意見)を集約できる多数決の科学的政治制度を構築するべきです」。
 多民族・多言語・多文化・多宗教の米国は世界で最も規律団結の困難な国家なのに何故、世界一の経済・社会の超大国へ進化できたのか? つまり自由競争は混乱がつきものだが、「国家に進化システムを機能させ混乱を集団的知性で最終集約できる国家構造だからです
 司馬遼太郎はアメリカを巨大で法的な人工国家と認識していたが、私は全く逆に米国は世界で唯一の自然生態系の種内競争の自由平等(対等)競争の絶対性の自然な進化システムを追及した「自然国家」であると認識しています。異種間の弱肉強食競争の適用は不自然です。
 自由競争を捨てた一致団結の政治経済では「ミルの自由論の天才の保障を失い続けます
 故に司馬氏と逆に米国以外の「全ての階級主義政党制の国家こそ人工国家」の認識です。
消費税と低累進所得税の税制改革では経済成長と財政再建は不可で国家財政は破綻します。
 米国型の国民政党制を採用せず、欧州型の階級政党制を採用している日本は「最低限度、国会議員の発言や採決を良心の自由に基づき自由に決定させる為に、「法人格付与法第五条第2項へ党議拘束禁止を挿入すれば」、日本国憲法51条との整合性が取れ且つ、進化システムや集団的知性が不完全ながら自然作動する、政治経済構造へ大改善出来るようになります」
 つまり日本の公職選挙法では、公認権への予備選の導入は非常に難しいからです。
 これは憲法51条で国会議員の発言や採決に自由は保障されているが政党という任意団体が政党助成金を受け取る為には法人格付与法による法人政党が条件があり、必ず政党の目的や規約や党則を作らなければならない為、理念や党則違反の除名処分など規律規定が必要で、結果として憲法51条で国家議員の表現の自由や採決の自由がいくら規定されているとは言え、党則により除名や処分されれば所属政党から政党助成金をもらえず公認も得られ無くなるので次回選挙で落選の覚悟しない限り憲法の趣旨と反対に自由な採決は出来ないからです。
 更に本質的に政党助成金の支給方法を改革し国会議員個人に支給し、政党組織へ所属国会議員個人がカネを出しあって、民間と同じに自由に政党を設立すれば良いのです。 さすれば社会や所属国会議員へ役に立たない政党組織が市場に存在する事は出来なくなるからです。

 トランプ発言に比べれば、憲法51条の表現の自由を持つ日本の国会議員のマナー違反の発言も日本の大手マスコミの過剰反応で良心の自由を委縮させています。 国家議員の発言は行動が伴わなければ、ひどい発言でも発言が個人の名誉棄損に当たらない限り「表現の自由の範囲内」となり「国会議員の発言が法律違反を証明された時に限り告発されるだけです」

 立法行動は必ず他人の利害に関係するので「欧州型の階級主義政党制の党議拘束に縛られない、自由平等(対等)競争の憲法を遵守した、」事実真実に基づく活発な論議が重要です。
 結論として明治維新以来145年経過した現在、米国大衆民主主義を模倣した戦後43年間は日本は幸せな時代を送ったが、欧州の階級主義政党制の民主主義を模倣した他の時代は不幸の連続でした。米国の自由平等(対等)競争の絶対性の科学の力は偉大だったのです。
 つまり「憲法に記載された良心の自由が遵守される場合に限り、表現の自由は許容される関係にあり、事実と異なる悪意から発せられた表現の自由まで認めている訳ではないのです」
 結局のところ「事実の情報公開が法律や科学にとって、なりよりも重要となります」

 更に国家経営は官僚の仕事(行政)であり政治家の仕事は国家経営の前提となる国民の声を良く聞いて情報を集約し、国家経営に役立つ法律を作り同時に行政を監視する仕事です。

 故に権力が集中する行政に政治家が影響力を行使すると国家経営に不正義が生じます。
 つまり事実を科学的にありのままに素直に観察し現状認識できる政治家だけが国家を適正に進化発展できるのであり、理念を重視して正しく現状認識できない政治家は愚か者です。 人間社会の、小が大に事(つか)える弱肉強食競争の事大主義は経済停滞の大原因です。
 有効需要自然拡大の税制改革による自力経済成長と財政再建は需給の多様性に最適です。
 自由な市場経済は事実に基づく科学で構成されている為、原因によって結果が時代の経過と共に必ず表れてくるので、錯誤経済理論ではいずれ悪い結果が現れ、科学的経済理論は良い結果が必ず数字として現れてきます。 日本が本論文の消費税無の高累進所得税制を採用していた昭和37年から平成元年までの27年間と、平成元年に日本が欧州を模倣して「公平・中立・簡素の錯誤理念で個人消費行為の進化システムへ不自然に罰金規制する欧州型消費税を導入し、加えてケインズの錯誤減税乗数理論で低累進所得税制へ税制改悪した平成元年から平成28年までの27年間の経済成長と財政再建と比較すると、いずれの税制が正しかったかの以下の如く結果は明らかであり「科学は観察という確かな事実を元にして観測と矛盾しないように因果関係を分析して論理を構築して再現性を確認しなければ、スタップ細胞事件の小保方さんや天動説と同じ科学の大停滞の大失敗が生じます」 これを大改善した帰納法のコペルニクス的転回の地動説によって自然科学の革命的な進化が開始され人間社会へ大進化が生じたと同様に、現代の文科系学問も帰納法で科学化する大改革すべき時です。
 つまり科学的に物事を見るには、事実をありのままに観察する「現状認識が大切です」
 自由平等(対等)競争の絶対性の税制改革は財政再建と自力経済成長を同時達成します。 
 私の本論文を執筆する上で大きな示唆を与えて頂いた3人の先達は「税制官僚政治家で消費税無の最高所得税率の高い高累進所得税制によって高度経済成長を実現させた池田勇人首相」と、「池田勇人を見出してアングロサクソン的な自由平等(対等)競争の絶対性を常に遵守した、集団的知性を本能的に理解していた外務官僚政治家の吉田茂首相」(現代米国のトランプの発言を許す米国の表現の自由と比べれば、バカヤロー解散はマスコミの過剰反応だったのです)と、東京工業大学院(工学博士)名誉教授の人事院人事官官僚も務めた市川惇信博士で、自然システムの進化性と増殖性を再現する「進化システム」を日本で確立して(世界で初めて、理論として確立した博士かもしれません)文科系学問を科学化する際に重要な役割りを果たす重大な示唆を無学な私に百科事典で与えて頂いた進化経済学の理論的原点で、上記三氏はノーベル賞級の大科学者」に匹敵する功績の大人物であると考えています。
 逆に株好きでセミプロ級の株投資家で成功していた自己中の経済学者のケインズの全理論は全体主義や共産主義と同じく強いバイアス(偏り)があり、市場経済の全所得階層内の一部の株投資階級(株主階級)や企業利益を最優先にして優遇する階級主義理論だったのです。
 「真理である長期継続的な自力経済成長と財政再建の同時達成を探究する科学的な経済学者ならば、最大多数の最大幸福と自由平等(対等)競争の絶対性を目指すべきだったです
 理念や主義や信念の主観論は変化する諸事情をバイアスに基づき判断するので長期に失敗し、事実に基づき自由平等(対等)競争で決める客観論の進化システムは必ず成功します。
 進化システムの定義は強い自力増殖性を持つ自由平等(対等)競争の種内競争の自然生態系を創造した自然システムをそっくりそのまま踏襲したシステムを進化システムと言います。
 理念等の主観論の大欠点は、客観論の事実に基づく知識が根本的に不足している点です。
 悔しかったら、成熟経済においてケインズ理論で長期継続的な自力経済成長と財政再建の同時達成の大成功国家実例を提示して見て下さい。 出来なければ小保方さんと全く同じ錯誤理論です。 過去の成熟経済の中でケインズ理論やセイでの大成功国家実例は皆無です。
 「逆に理論どおりに成功しない場合の言い訳に、合成の誤謬と言う逃げ道まで周到に準備した曲者でした」 科学理論では原則として最適解は一つしか存在しないのに、現状の百家争鳴の経済理論の乱立は現代経済学が非科学の錯誤理論に陥っている証拠でしかありません。
 有効需要自然拡大の税制改革による自力経済成長と財政再建は需給の多様性に最適です。 
 1930年代の世界大恐慌時の米国で、新進気鋭の経済学者ケインズの減税乗数理論と全く逆の、本理論通りの高累進所得税制を採用したルーズベルト大統領との緊張関係をケインズは大変心配したがルーズベルトは全く意に介さず相手にせず、日本の敗戦後復興時の池田首相も同様で、経済学者は経済や税制や財政の競争現場を知らない役立たずの減税乗数理論を振り回す愚か者集団と断じ相手にせず、両巨頭は自己の経験と科学を信じて大成功しました。
 つまり科学なら最適解は一つで再現性を期待できるが、統治階層の思惑により欧州各国の消費税の軽減税率は各国バラバラであり、また経済成長理論もバラバラで最適解に収れんされず現状の軽減税率も経済成長理論も非科学であり求められる再現性は全く期待できない。
 有効需要自然拡大の税制改革による自力経済成長と財政再建は需給の多様性に最適です。
自由平等(対等)競争の絶対性の税制改革は財政再建と自力経済成長を同時達成します。

         昭和37年(
1962)  平成元年(1989)   平成28年(2016
 GDP       22.8兆円   421.2兆円     531.6兆円 
 租税収入       2.4兆円      54兆円        57兆円
 公債(国債含)残高   ほぼ0円     161兆円       838兆円
 国民負担率       24.8%       38.5%          50.6

(注)国民負担率とは「対国民所得比で租税+社会保障費(財政赤字含)の負担を言う」
 更に
別表2 データーを詳細観察すれば成熟経済になった昭和45年対63年の池田高累進所得税制廃止までの19年間の租税収入増加率は税制効果による強力な自力経済成長で昭和45年の6.77倍であり故に平成元年以後の19年間も「池田税制」を継続していれば平19年の年租税収入は昭63年の6.77倍の330兆円(現実は55兆円)に達していたはずです。
 従って少子高齢化を計算に入れ見積もっても「池田税制」を継続していれば平19年は330兆円は無理にしても好景気と200兆円の年租税収入は確実であったと推計され、更に国民負担率をこのように大増悪させること無く自力経済成長は継続し租税自然増収は平成19年現在まで継続し膨大な自力経済成長と税収によって国民一人当たり所得は自然増加して個人消費をゆとりを持って実行できるようになりハイエナのように安売りを探す必要も無くなり所得の増加で消費の多様性は継続し良品質の良い消費を適正に消費できるようになり少子化対策や非正規雇用や年金や中小企業対策も地球温暖化対策や医療介護問題も生活保護の急増や自殺対策も更に防衛力強化も政策に充分財政手当できたはずであり、現状の非科学の税制を原因とする国民所得と経済成長の悪化と経済大不況を招いた与野党の責任は重大で税制を進化システム税制へ改善できれば、全ては自動解決できます。
 つまり国民負担率の急上昇は、低中所得階層からの国民負担の吸い上げに他なりません。
 根本的に税制を改善しなければ自力経済成長や財政再建など夢のまた夢に、必ずなります。
 つまり中小企業の経営者個人は
100万円の借金でも連帯責任を取るので、国の借金をとんでもなく増加させた責任は誰が取るのか、怒りは深く政治的責任にせよ、楽しみです。
 総実需要自然拡大の税制改革による自力経済成長と財政再建は需給の多様性に最適です。
 自由平等(対等)競争の絶対性の税制改革は財政再建と自力経済成長を同時達成します。

 まず人間が構築した社会や経済システムは、人間自身で過去の最善実例を参考に必ず改善できるという自然科学的な事実がある為、事実に基づき科学で挑戦して貰いたいと思います。
 人類の本性と種の生き残りには、社会的動物であるアリやミツバチと同様に個体の自己保存の利己的行動と、種(全体)の保存の為の利他的行動の平等が大切です。 遺伝子レベルで、ドーキンスの利己的遺伝子で経済を説明すると、個人消費+設備投資=>所得 の所得恒等式は利己的な個人消費が、結果として利他的な他者の所得へ等価変換される所得恒等式の科学の仕組みがそれであり、人類の本性の個体の利己的遺伝子の個人消費と、種(全体)の生き残りの為の対所得租税平等率負担税制で、種を長期継続的に進化増殖させる市川惇信博士が発見した進化システムの仕組みと所得適正再配分機能を組み合わせた利己的な個人消費を他者の所得へ等価変換させて種(全体)の生き残りを果たす巧妙な仕組だったのです。

 つまり損する国民と得する国民を作り出すゼロサム税制では、国論の分裂から政治的にも大きなエネルギーを注ぐ割には政策効果が全く出ずに、無益な税制論議になるのです。
 つまり「最大多数の最大幸福を追求しなければならない自由な市場経済では全所得階層にとって逆進性があってはならず、対所得租税平等率負担の高累進所得税制が最善です。」
 自由平等な資本主義市場経済の全問題はカネ(貨幣)で解決できるシステムである為、貧すれば鈍すを排する全国民を豊かに賢く導く税制が全ての問題を解決できる唯一の方法です。
これは自由平等(対等)競争の国民所得の増加で全てを決着する資本主義経済の宿命です。
 しかし強欲な資本主義では自由平等(対等)競争が遵守できず経済成長不可になります。
 更に膨大なコストを掛けコストを度外視すれば人類は48年前のコンピューターが未発達な1969年(昭和44年)の米国でアポロ11号が2名の宇宙飛行士を月面に着陸させ、更に無事に帰還させられたのです。 故に税収を挙げ財政を豊かにする事が科学技術の無限の発達に大貢献した事実と、日本のノーベル賞受賞者は青年期に必要な基礎研究を実施できた財政援助に恵まれた平成元年までの租税収入の自然増加時期に大恩恵を受けていたのです。
つまり過剰貯蓄を個人消費や設備投資へ完全等価変換できる税制が自力経済成長理論です。
 総実需要自然拡大の税制改革による自力経済成長と財政再建は需給の多様性に最適です。 
 自由平等(対等)競争の絶対性の税制改革は財政再建と自力経済成長を同時達成します。
  種の生き残りには、利己的と利他的意識の平等に役立つ自己中は大切で最善です。
 
 最後に自力経済成長の要点は本論の通りで、@経済学の基本中の基本の所得恒等式において、国民自らの意志で増加出来るのは、基本的に進化システムの個人消費だけであり、非進化システムの所得は個人消費の等価変換結果に過ぎないのです。故に国民所得を自然増加する為には、表現の自由の一種である個人消費へ自由(無税)を与えて国民の本性の利己的な個人消費を自然増加させる事により結果として利他的に、その商品の生産販売に携わった全ての企業と労働者へ国民所得を自動増加する結果を導き出すのが自力経済成長の秘訣です。
 従って「基本的に良い消費を行う消費者教育が重要で」、カジノ導入論議は最悪です。
 Aその為には個人消費を不自然に罰金規制している欧州型消費税を廃止し「自国民課税不利・他国民非課税有利や、個人消費課税不利・貯蓄非課税有利の不平等項目を排除し自由平等(対等)競争で個人消費の進化システム機能を復活させる高累進所得税制を採用します」
 B法人個人企業が生産する「全商品へ全租税コストは事前に全所得階層へ平等に全額原価計算で配賦され全消費者・全国民が平等負担」している為、全国民が納税義務者として事後に国家へ確定申告する際は総消費性向に応じて、未納分を対所得租税平等率負担の高累進所得税制で納税する必要があり、これを「経済的・実質的平等の実現」と私は言います。
 つまり内需主導の自力経済成長の本質は「全国民個人と全企業を、国家を仲介とする個人消費と生産の良循環で成り立っている以上」、低所得者階層の対所得の実質的租税負担率である総消費性向(消費支出+非消費支出=総消費/所得)は事実として極めて高く租税負担を事前に過剰に納付済みであり、逆に超高所得者層の対所得の実質的租税負担率である総消費性向は事実として極めて低く事前の租税負担が過剰に少ないので、事後の年末調整や確定申告時には、対所得租税平等率負担の高累進所得税制で対所得で平等率に租税負担させて納税する税制が正に平等なのです。つまり生産企業と国民の間に国家が税制を通じて介入し、強制的に自由平等の憲法の趣旨通りに、租税を対所得で平等率負担にする経済循環が科学的な納税システムとして機能する事がシステム工学が正義を果たす重要な役割りとなるのです。
 C故に超高所得者層は対所得の総消費性向が極端に低く、低所得者層は対所得の総消費性向が極端に高いという特性が事実の観察で明らかになっているので、総理府統計局の家計調査報告の対所得の「消費支出+非消費支出(租税や社会保険料)=総消費」が全所得階層で平等率になる方向に調整された有利不利の無い最高所得税率の高い高累進所得税制が、科学で安全確実に自由平等を実現し正義に則る自力経済成長と財政再建を同時達成するのです。
 自由平等(対等)競争の絶対性の税制改革は財政再建と自力経済成長を同時達成します。
  種の生き残りには、利己的と利他的の平等が大切で、他人に役立つ自己中は必要です。

 欧州型消費税の公平・中立・簡素や、長期継続的な大成功実例が皆無であるケインズの減税乗数理論や輸出乗数理論は科学的に再現性が無く、事実として、輸出乗数理論で韓国や中国が大失敗しており、更に減税乗数理論でレーガンやブッシュも大失敗し自由平等(対等)競争の自由な資本主義に反して結局、特権階級(超高所得者階層)が支配・服従関係を実質的に維持する為の、全体主義や共産主義やグローバル主義や金融資本主義等は国家経営を実行する時の、国家統治階層の非科学のプロパガンダ(国家政治宣伝)でしかなかったのです。
 資本の力と他国民の力を借りて標準化・単純化で低価格を追求する経済のグローバル化は根幹である自国の生産技術と消費の多様性を破壊し、良品質だが非効率で価格が高い優秀な自国の技術や消費を破壊し弱肉強食競争となり伝統の技術と消費を淘汰し経済縮小します。
 適正な自由平等(対等)競争によらない過剰な単純化・標準化による低価格競争で、優良な消費や生産技術を消滅させる事は長い自国の技術や文化の多様性の破壊であり最悪です。
 種の生き残りには、利己的と利他的の平等が大切で、他人に役立つ自己中は必要です。
これは自由平等(対等)競争の国民所得の増加で全てを決着する資本主義経済の宿命です。
 理念や主義や信念の主観論は変化する諸事情を固定的なバイアス(偏り)に基づき判断するので長期的に必ず失敗し、事実に基づき時代時代の状況の変化に適応して自由平等(対等)競争で決める柔軟な客観論の進化システムは必ず成功します。
 理念等の主観論の大欠点は、客観論の事実に基づく知識が根本的に不足している点です。

 本論文の根拠の「真理を探究する科学」と「事実」と「進化システム」と「集団的知性」の詳細な仕組みと解説は本論文の中と、私の他のホームページにも詳細に解説しています。
 文科系学問を科学化するには「適正な統計」と「事実の情報公開」が何より大切ですが、日本の統計と情報公開への姿勢は末端は努力しているが、統治階層の姿勢は、隠ぺいしよう隠蔽しようと複雑になり最悪です。 日本の統計と情報公開は分かりにくくなっている事実は統計や情報公開に対する規制強化と同じ効果をもたらしビックデーター集約に最悪です。
 自然科学では、同一種内競争は相手をエサとして認識せず殺し合わず自由平等(対等)競争で増殖した方が勝ちの競争を言い、異種間競争では相手をエサとして認識して食い殺して減少させた方が勝ちの弱肉強食競争を言うのです。 つまり人類は同一種であるので、同一種内競争の自由平等(対等)競争の原理原則を遵守した税制が科学であり、人間の生物としての本性に合致する科学税制下では必ず進化増殖性を発揮し自力経済成長を開始します。 故にミルの自由論の危害原理の拡張である他人や他国の嫌がる事、例えば物理的に危害を加えたり経済に危害を加えたりする事はしないという道徳観は重要で気分で判断しない事です。
 つまり他国を経常赤字にして通貨安にするいやがる政策は自制する政策が必要なのです。
 日本は経常収支のゼロ政策が最善で、輸出乗数理論は最悪政策と再認識すべきです。
 故に経常収支がゼロであれば対米貿易収支を米国から批判される科学的理由は無いのです。
 故にトランプがTPP脱退を表明しているのは本論と全く同一で経済的に正しいが、経済学と結託し減税乗数理論を成長政策と称して累進所得税の減税政策を打ち出せば短期的には株投資有利(資産経済有利)に働き一定期間は株高・資産高になるが、実体経済の実需が長期継続的に増加しないので実体経済は停滞・悪化し資産バブルは崩壊し大不況と大財政赤字に悩むようになり、逆に最高所得税率引き上げの増税政策を取れば大成功をもたらします。
 実体経済とは、市場経済のうち消費財や設備投資財の需給を言い、資産経済を含まない。
 自由平等(対等)競争の絶対性の税制改革は財政再建と自力経済成長を同時達成します。
 種の生き残りには、利己的と利他的の平等が大切で、他人に役立つ自己中は必要です。 
 しかし米国の需要と富を収奪している大経常収支黒字国の中国や日本を、トランプが攻撃するのは充分理解できるが、事実として経常収支赤字国のメキシコを攻撃するのは自由貿易体制を維持する以上、筋違いです。 ドルが国際取引や為替取引に使用される基軸通貨の地位を放棄し、基軸通貨発行特権も放棄する覚悟があれば理解できるが、その覚悟がなければ、メキシコが経常収支0に達するまでは、トランプ大統領は当該国家の通商政策の自由に異議を申し立てない、貿易と為替の自由の守護神の基軸通貨国家の自制心の強さが科学なのです。
 世界各国の経常収支黒字と赤字を相殺すれば0になる原理原則が作動するので、一国の過剰な経常収支黒字は他国の過剰な赤字になる科学原則がある事を理解しなければならない。 
 故に経常収支0が最適とする科学を経済学へ導入しなければ、ミソもクソも一緒の無知と錯誤が世界中を大混乱に陥としいれる恐れがあります。国家が企業と同じように自由貿易を旗印に利益(対外純資産)優先で他国から需要と富を収奪する強欲な経常黒字は禁止です。
 学問は普遍的真理を追究し人間社会を指導する「知識は力なり」の存在になることです。
 自由貿易の意義は輸出の自由では無く、他国と平等な「輸入の自由が本質的定義です」
 だからこそ輸出先国家が輸入で経済構造を破壊されない為に関税自主権を認められます。
 故に対外純資産世界一の日本の円が安全資産として過剰に円高になるのは当然の事です。
 世界中の経常収支黒字と赤字を相殺すればゼロになる相殺原理が有り、故に各国の経常収支はゼロ均衡が自由貿易体制では最善で購買力平価の円安の最適な為替相場を実現できる事実は、既に購買力平価説のグスタフ・カッセルや為替相場の統計的事実で証明しています。
 経済成長は他国の需要や富を収奪せず自国の内需を自力経済成長させるのが最適解です。
 「自国生産・自国消費」、「他国生産・他国消費」の長期安定円安政策が最善なのです。
 同時に長期戦争に備える「食糧安保」と「究極のエコのフードマイレージにも最適です」
 種の生き残りには、利己的と利他的の平等が大切で、他人に役立つ自己中は必要です。

 故に民間企業が輸出したい場合は、消費地への直接投資の「他国生産・他国消費」で他国労働者を雇い他国消費者へ直接販売して他国経済へ大貢献しながら自国企業の資本の増殖に大貢献する経済成長は経常収支均衡政策と進化システムの科学と個人消費の自由化促進の最短のフードマイレージになる「自国生産・自国消費」の通商政策の円安株高で長期戦争に耐えられる食糧安保に大貢献する「最短のフード・マイレージの地産地消」の自力経済成長が最善です。 故に日本の関税自主権は日清・日露の大戦争の勝利で欧米から50年掛けてやっと獲得した「自由貿易の権利」なのに、それをTPPで放棄する事は反自由貿易思想です。
 TPPが成立すれば、市場経済は明日何が起こるか分からないのに、自国の国内制度への柔軟性の無い固定的な多国間TPPルールが強制適用され、日本の固有文化で作られた柔軟な国内制度がグローバル企業に都合良く訴訟され法改正の圧力が加えられる恐れがあります。
 関税をゼロにするのが自由貿易とする思想に大錯誤があり、自由貿易とは二国間の商品別の価格競争力を経常収支0を目標に均衡化する制度の関税自主権と為替の変動相場制がメインで環境変化の激変にも、柔軟に対応できる柔軟性を持つ自由貿易の最善の制度なのです。
 逆にグローバル企業にとって賃金の安い労働者を雇い生産できる他国から自国へ関税無で輸入できれば自国内で頑張って来た国内企業を淘汰して国内競争企業を排除する手段として強欲なグローバル企業はTPPを活用できる為、いくらエリート達が詳細に設計しても固定的制度では経済の激変には絶対に対処できず長期的に問題を引き起こす不自由不平等な制度です。 人間に多様性があるように国にも多様性と立地条件があり関税をゼロにすると商品毎に異なる価格競争力を自国の関税で自主調整できず、カネを持っている多国籍企業の強い価格競争力で自国企業の需要や富を自由に収奪できるので植民地主義と同じ結果になります。
  同一種内競争の自由(平等)対等競争の絶対性遵守は国家経済発展に最善であり、しかも総需要自然拡大する税制改革による自力経済成長と財政再建が経済の多様性に最適です。
 人間社会の、小が大に事(つか)える弱肉強食競争の事大主義は経済停滞の大原因です。
 総需要自然拡大の税制改革による自力経済成長と財政再建は、需給の多様性に最適です。
 自由平等(対等)競争の絶対性の税制改革は財政再建と自力経済成長を同時達成します。
 種の生き残りには、利己的と利他的の平等が大切で、他人に役立つ自己中は必要です。
 税法でさえ、いくら詳細に制度設計しても悪意の脱税が完全撲滅出来ないと同様に、TPPをいくら詳細に設計しても固定的制度では環境変化や悪意に柔軟に適応できません。
 学問は普遍的真理を追究し人間社会を指導する「知識は力なり」の存在になることです。

 次にトランプ大統領が打ち出している国連分担金の見直し問題について
 人種のルツボと言われている米国は唯一の党議拘束無の国民政党制で表現の自由・良心の自由が国会議員個人にもマスメディアにも徹底的に保証されている真の民主主義国であり、過去にも小間違いを起こすことはありましたが、党派性を重視する階級政党制の欧州国家とは全く異なり大間違いの全体主義や共産主義や新自由主義等を生み出した事はありません。
 「KKK(白人至上主義)」の非合法化やマッカーシズム(赤狩り)を行い政党の組織化を防いだ米国は、国会議員の自由が尊重されていない露中・欧州と異なり科学に忠実なのです。
米国は自由平等の憲法を基準に三権分立が常に実行され大間違いを的確に防止しています。
 アメリカ国民から見た国連は、実質的に階級政党制を採用している米国以外の、国家権力を持つ現場で競争したことの無い少数のエリート階級の統治階層が参加する役立たずのサロンに過ぎず、参加国の全国民の意志を反映しておらず役立たずの階級組織と見ているのです。
 私自身もそれは事実だと考えており、武力行使をしたくない日本が常任理事国入りを目指して、他国からの投票を得るために莫大な国家予算を費やしている姿に大変疑問を持っており、やりたい国へ任せ無意味な常任理事国入りへは絶対に固執すべきでないと考えています。 
 更に国連本部はアメリカ・ニューヨークにあるのに、分担金見直しを言いだすトランプ氏の言い分は過激ではあるが、国民政党制の反エリート主義、平等主義から一理あるのです。
 ただこの発言や同氏の行動によって国連の弱体化を進むことを危惧しています。
 米国には先進国で唯一、自由平等(対等)競争に違反する欧州型消費税制は存在しない。
 総需要自然拡大の税制改革による自力経済成長と財政再建は、需給の多様性に最適です。
 自由平等(対等)競争の絶対性の税制改革は財政再建と自力経済成長を同時達成します。
 種の生き残りには、利己的と利他的の平等が大切で、他人に役立つ自己中は必要です。
 集団の和と労働に価値を見出す日本人と、個性と集団管理に価値を見出す欧米人の違い。
 正々堂々と戦う事に価値観を見出す日本人は、米国人の正直誠実の価値感と似ています。
 それが良く表れているのが、日本の勧善懲悪ドラマと、アメリカの西部劇の正義感です。
 勝ことに手段を選ばない嘘つきや卑怯者を嫌い善悪を事実に基づき区別する正義感です。 
 次にトランプ大統領の最大の問題は、自然の生態系へ大悪影響を与える地球温暖化・海の酸性化に対する、自然科学に基づく危機感の欠如が地球の未来にとって最大の問題です。
 パイプラインの敷設再開が米国へ何をもたらすか、注視する必要があります。
 総需要自然拡大の税制改革による自力経済成長と財政再建は、需給の多様性に最適です。
 自由平等(対等)競争の絶対性の税制改革は財政再建と自力経済成長を同時達成します。

 次に人間社会の自由平等(対等)競争の絶対性の唯一の例外は、国家の核兵器保有です。
 核兵器は人間の過剰性の本能との合体により、国家内に自由平等(対等)競争の言論の自由が抑圧され統治階層の狂気の独裁が強行されている国家組織が核兵器を保有すると、地球上の全人類絶滅の原因になりかねない為、「自由平等(対等)競争の例外事項」になるのです。
 故に日本の経済・政治に関して憲法改正問題と、防衛力強化問題があるが、本論文で後段に詳細に解説している通り米国へ核廃絶を訴えるなら「まず隗より始めよで、人類の生存を脅かす絶対悪である核武装の疑念を」日本国民自ら全世界へ払いのける核武装せずの日本憲法改正が絶対に必要になります。 正に日本は過去に国際条約である国際連盟から1933年に突如脱退したり、1936年にはワシントン海軍軍縮条約から発展したロンドン海軍軍縮条約から突如脱退して海軍増強に励んだり、ハーグ条約第2条違反の宣戦布告なき闇討ちの真珠湾攻撃で対米戦争を引き起こしたり色々な弁解理由はあるにしろ日本は「統治階層の独裁」によって米国を第二次世界大戦に引きずり込んだ、まぎれもない前科者の常習犯で、国際条約違反は日本のリーダー達のお手の物で、どこかの国と同じように他国の信頼を手玉に取って来た事実を考えれば、超民主主義国家である国民政党制の米国国民の疑心暗鬼は計り知れず、現在では相当払拭されているとはいえ欧州型の階級政党制を取り潜在的核兵器開発能力(ドイツは原発廃止政策により潜在的危険性は減少)を持っている日本がNTP(核拡散防止条約)を突如脱退して核兵器開発を進める恐れがあるとの疑念を、常に米国を始め世界各国に持たれております。

 そこで私は憲法9条を後段のように改正する事を、本論文で公表しています。
 つまり人間の社会(=国家)は人間の個人生活の拡張であり、国内で暴力禁止を叫んでも「強制力を持つ警察や検察や裁判所がしっかりしなければ絵に描いた餅にしかなりません」
 科学は聖域はないのに、宗教を聖域とした為に、オウム真理教事件を引き起こしました。
 嘘つきや悪人は捜査権の及ばない聖域に集まってくる為、聖域を設けてはならないのです。
 同様に現代の国際社会では違法国家を取り締まる強制力を持つ機関が存在しない以上、各国が自衛力を持つ事は当然の帰結になるのです。 ただ人類を破滅させかねない核兵器の禁止条約でも、国家主権の聖域を払いのけて、強制的に当該国家の内政に干渉し検査し検証できる国際機関を構築しない限り、全世界の核兵器禁止条約の実効性は科学的に不可能です。
 種の生き残りには、利己的と利他的の平等が大切で、他国へ危害を与えない事が大切です。
 集団の和と労働に価値を見出す日本人と、個性と集団管理に価値を見出す欧米人の違い。
 正々堂々と戦う事に価値観を見出す日本人は、米国人の正直誠実の価値感に似ています。
 更に人間個人が他人を殺して無罪になるのは世界共通「正当防衛」に限られており、当然に国際法で人間集団の国家にも認められているのに、日本国憲法は全く整備されていない。
 そこで過剰に米国へ日本の防衛を依存せず、まず日本憲法で集団的自衛権より、まず個別自衛権を全面的に完全に確立して自国の自衛能力と継戦能力を他国と対等に向上させ同時に日本憲法で非核宣言を行い世界で唯一の悲惨な被爆国である日本の過半数以上の国民の強い意志として世界平和へ特攻隊のように命を捨てて、純粋に利他的に世界平和を希求する意志を示す「まず隗より始めよで」まず他国を信頼する勇気ある証拠として、日本国憲法へ非核武装化宣言を憲法9条へ導入し同時に通常兵器による日本の正当防衛権確立の為に、現実の自衛隊を軍隊とする認識を日本国憲法改正で世界へ表明すべきです。  国際情勢は常に複雑変化するので「集団的自衛権」は、面倒でもその時々の国民の意志と、それに合わせて国会採決する方法が最善です。 米国や英・仏・露・中へ核武装廃棄を求めるより「まず隗より始めよ」で日本国憲法を世界平和のために核兵器禁止条約の遵守意志を明確にする、現実に核分裂物質を大量に保有し短期間で核武装可能な科学技術の発達した日本の「核武装せずの意志を明確にして」日米安保を堅持しながら、代わりに通常兵器による他国と対等な全面的かつ完全な個別自衛権確立を目指す、日本国の不退転の決意と意志を明確にし日本に対する核武装の疑念を払拭して世界平和へ貢献すべきです。  さすれば現在も将来も人類の生存を脅かす絶対悪である核武装をしない日本を、万一核攻撃の脅しや被害をあたえれば、逆に当該国家の国民の大多数から、そのような行為を行った統治者に不平等競争の核兵器を武器にする卑怯者の大非難が起こり、且つ同盟国の米国や他の核保有国も黙っていない確率は格段に向上する為、日本は通常兵器による個別自衛権の高度化だけに専念すれば良いのです。
 他国の政府は信頼できなくても、他国民大衆への情報公開と情報発信に努力した上で他国の国民大衆つまり人間を信頼する事は長期的には他国政府の政策転換を促し「理外の理の世界平和を生み出す源泉になるので」日本は情報公開と情報発信に更に努力する事が大切です。
 他国の国民大衆を信頼する相互信頼は「理外の理の世界平和」を生み出す根本です。
 他国の国民を信頼しない疑心暗鬼や権謀術策では世界平和など絶対に不可能ですから!
 世界平和では無く自国の生存だけを考えれば「自己中の核武装哲学になってしまいます」
 核兵器は気の小さい自己中が持ちたがる世界を破滅させかねない兵器ゆえに、核拡散防止条約を完全遵守する日本国民の強い意志を憲法へ導入し全世界の国家国民へ表明すべきです。
 相互信頼がなければ核兵器廃絶など絶対実現不可能なのです。 私の意見は安全保障条約で同盟を結んでいる「正直で誠実な国民性を持つ」アメリカを未来永劫絶対に信頼できるかといえば、科学的な情報公開に基礎を置く国民政党制(重大な決定は全て全国民の過半数の賛成が必要な集団的知性を備えた政治制度・政党制)を世界で唯一持つアメリカは、他の全ての国家(階級主義政党制で政権が交代すれば何を考えるか分からない)より、はるかに信頼できる国家であると私は考えています。 米国国民は日本の真珠湾攻撃で参戦を決意したのです。 NTP(核拡散防止条約)は日本が締結済とは言え階級政党制の日本では自己中政権に代われば明日にでも強引に脱退できる事は、過去証明済みで核武装化の危険は憲法改正を出来る時に実現し、簡単に核武装化できない自己規制(憲法改正)する事が大切です。
 これは日本が核兵器の誘惑を断つ世界非核武装化へ進む第一歩となる他国では簡単に出来ない日本の画期的行動になり、この「肉を切って骨を断つ憲法改正なら科学的に理屈が通り全日本国民の2/3の賛成を得られます。」
 総需要自然拡大の税制改革による自力経済成長と財政再建は、需給の多様性に最適です。
 自由平等(対等)競争の絶対性の税制改革は財政再建と自力経済成長を同時達成します。
 種の生き残りには、利己的と利他的の平等が大切で、他国へ危害を与えない事が重要です。
集団の和と労働に価値を見出す日本人と、個性と集団管理に価値を見出す欧米人の違い。
 正々堂々と戦う事に価値観を見出す日本人は、米国人の正直誠実の価値感に似ています。

 故に日本国憲法第9条の二項を「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の「核兵器による」戦力は、これを保持しない。 国の「核兵器による」交戦権はこれを認めない」
へ改正する事を強く提案します。 この改正によって日本国自身も「通常兵器による正当防衛の個別自衛権」を発揮できてるようになり自衛隊を軍隊化出来るのであり通常兵器による継戦能力の向上した軍隊へ強化し米国や中露へグズグズ非核化を提言するより「まず隗より始めよ」で、まず日本が「核兵器による武装をしない」と憲法で非核武装化宣言すべきです。
 国際条約からの突如の脱退と条約への違反行動は戦前の日本のお家芸であり、前科者である日本への疑心暗鬼は、現在でも他国の潜在意識に深く刻み込まれています。
 「核兵器によるという文言を9条の二か所に追加するだけの」簡単な憲法改正で済む上、現実の国際法では自衛隊を戦力として認めている現実を憲法で国内承認する結果をもたらし、更に国際法やハーグ条約や核拡散防止条約との整合性が図れて、他国の疑念を解消できます。
 更に通常兵器による個別自衛権で高度な自己防衛力を強力に発揮できるようになります。
 故に中途半端な集団的自衛権論議より本論の「個別自衛権の為に、核兵器による戦力を絶対に保持しないと自己規制の憲法改正宣言する方が」どれだけ疑心暗鬼の米国や中国や韓国や世界の支持を受け日本の個別自衛権の高度化を許容されるか計り知れない効果があります。
 尚日本の安全保障上、米国による国内への核兵器の持ち込みを容認する場合があります。
 核兵器廃絶を世界へ要求するには日本国民の命知らずの勇気が必要であり、それを堂々と憲法へ勇気を持って規定できる国家は「葉隠で武士道と云ふは死ぬ事と見つけたり」という武士道精神で特攻隊(相手軍隊しか攻撃しない)に命を捧げた日本人だけと考えています。
 攻撃手段を持つ相手の軍隊と刺し違えるのは平等・対等の原則で卑怯では無いのです。
 論理で核保有の相手国に対抗すると、論理的には自国も核兵器を保有する事が最善と言う結論になります。 だが「理外の理」にこそ生き残る道・平和を希求する道があるのです。
 日本人は名誉を重んじ卑怯を嫌う「理外の理」を理解できる「正直で誠実な性善説」と「他者への迷惑を嫌う珍しい国民性を持つ」ている為、「他国を相互信頼する集団的知性で」非核武装化への憲法改正は可能であると考えています。 世界平和を無視し「自国だけ生き残る論理では自己中の核武装哲学へ陥ってしまう」からです。  地球を支配した史上最強の自己中生物である、恐竜のあっけない末路が自己中への進化の危険性を証明しています。
 故に米国の脅威となる潜在的敵国は民主化されたとはいえ、世界史と科学の発達状況から見て「日独露」であることは、今も変わりなくドイツは原発廃止政策により実質的にウランやプルトニュウムの生産能力は0に近づき核兵器開発は実質的に不可能になってきました。
 現在ではドイツの原子炉級プルトニュウム在庫量は7トン程度で日本の45トンの16%しか保有していません。 残るは共産主義に近い民主集中制の階級主義政党制を採用する日本であり、おかしな政権やリーダーが日本に誕生すれば世界で原子炉級プルトニュウムを英・仏・露という核兵器大国とほぼ同量の45トンを日本が保有している事実から過去の実例の通り「突如NTPを脱退し手持ちのプルトニュウムやウランを原料として核兵器を開発しアメリカに対抗するのではないかとの危惧」を米国民の一部は常に真剣に考えています。
 1tで核兵器200発を製造できるので中国も韓国も世界も疑心暗鬼に包まれています。
 故に日本は憲法で核武装しないと宣言する自己規制の憲法改正が不可欠と考えています。
 つまり日本は唯一の潜在的「大量核兵器開発可能国である自覚が」大切です。 特に日本が小型人工衛星打ち上げ用に大成功した簡素で安価で即応性が高いイプシロン固体燃料ロケットは、「モバイル管制を含む様々な革新的技術を実現するロケット」として技術的に高評価されているが、あまりに高精度で高性能な為、、弾道ミサイルへの転用を疑う他国が米国を始め多数あり「固体燃料ロケット技術維持」という技術的観点からのみを重視して開発されている為、核兵器開発不可の自己規制の憲法改正が、逆に通常兵器による個別自衛権確立を促進できて「肉を切らせて骨を断つ決断」が全世界へ安心安全をもたらす一歩になります。
 それほど日本の科学技術は最先端を走っているのです。
 総需要自然拡大の税制改革による自力経済成長と財政再建は、需給の多様性に最適です。
 自由平等(対等)競争の絶対性の税制改革は財政再建と自力経済成長を同時達成します。
 種の生き残りには、利己的と利他的の平等が大切で、他国へ危害を与えない事が重要です。。
集団の和と労働に価値を見出す日本人と、個性と集団管理に価値を見出す欧米人の違い。
 正々堂々と戦う事に価値観を見出す日本人は、米国人の正直誠実の価値感に似ています。

 故に現場で直接汗水たらし働いている人が進化システムにより平均で対所得給与平等率昇給で報われる総需要自然拡大税制による自力経済成長と財政再建の税制改革が最重要です。
 需要が長期継続的に増加すれば普通の努力をする全ての企業売上げは常時増加するので、企業経営にゆとりが生じ、昇給も非正規からの正規労働者の転換も促進できて、更に発想を大転換して最低賃金規制を大幅に規制緩和すれば能力の低い労働者や高齢者や障害者やニートは企業の金の卵となり労働に大量参加出来て実質失業率は更に大幅に改善できるのです。
 需要が長期継続的に増加すれば普通の努力をする全ての企業売上げは常時増加するので、逆転の発想で「労働力人口」から国に切り捨てられている、家事労働者や学生や障害者や高齢者や即戦力の労働を諦めているニートなど、企業も即戦力にならず現行最低賃金のコストに見合わないので見捨てている大潜在的労働者の最低賃金を現状の半分程度にして企業内教育訓練を施せるユトリを作って教育訓練すれば、十分本論の低最低賃金に見合う労働力は大量に確保できて、人手不足解消と潜在的失業率の解消に市場経済機能効果で大改善します。
 最低賃金制のような規制の強化より、総需要を長期継続的に安定増加拡大して、企業売上を普通の努力で実現できる経済にする事が根本的な労働者の自動待遇改善の根本解決策になり、更に「ブラック企業から自由に転職し易い労働規制を強化」した方が自由で柔軟な労働市場の構築となり、過当競争は減少し企業はユトリある粗利益率向上経営へ大転換できます。
 つまり国民所得が長期継続的に増加拡大するようになると、ハイエナのように安物を追求する消費者は少数になり、良質で高機能な科学技術の進化に応じて新開発される新機能を持った新商品が売れるようになり、既存商品の大量生産の安値追求の無理な過当競争は無くなり粗利益率の確保が普通の努力で出来るようになり科学へ投資する企業経営も安定します。
 その上人手不足の日本経済において販売促進努力を減殺させる欧州型付加価値消費税制の生産性0の維持管理に全企業と国が優秀で即戦力の人手を無駄に膨大に浪費している事実は、国家財政再建と企業財政再建と国家体質と企業体質の強化へ大損害を与えています。
 実際問題として人手不足の掛け声は実態を反映せず、商店街のビラ配りや宣伝呼び込み等の単純作業は昭和時代は老年者の仕事だったのに現代は若い男女が多数従事しており、有能な即戦力追求ばかりの風潮が多数の若者を教育訓練する余裕を失い即戦力の従業員ばかりを採用し価格競争を勝ち抜こうとする誤った企業思想が蔓延している人手不足であり、実態は人手不足ではありません。 多数の若者を昔のように企業内で余裕で教育訓練するべきです。
 国家内には少数の学問優秀の国民と多数の学問が劣る国民の両方が事実として存在し、両者が生き残れる道を探して、最大多数の最大幸福を実現するのが国家の役割なのです。
 それを実現できるのがデフレやインフレを改善する総需要自然拡大の進化システムの個人消費へ罰金規制の欧州型消費税制無の、池田保守本流の高累進所得税制への本格回帰です。

 GDP(国内総生産)を増加する自力経済成長は「内需増加が主導で、供給の増加が従の因果関係で成り立つ経済現象です」 故にGDP(国内総生産)を増加させるには、まず需要の85%を占める内需を自然に自然増加させる欧州型消費税無の進化システムと、低中所得階層の高消費性向を活用する対所得租税平等率負担の高累進所得税制の採用が不可欠です。
成熟経済ではセイの法則は、前時代の非科学の遺物存在である事実が確かめられています。
 国家組織が需要の増加が無いのにGDP・国内総生産の言葉に惑わされ、企業の生産力ばかり強化すれば、デフレや売れ残り商品の山を作り出すだけの現実を目の前で観察していながら、非科学の経済学に固執し供給力ばかりを強化しています。 非科学教育は恐ろしい!
 日本の政治経済のエリートは徹底した非科学教育で、役立たずの無能な人達ばかりです!
 究極の道州制の幕藩体制を採用していた徳川幕府を打倒し、ようやく明治維新で中央集権体制へ進化し均衡ある国土の整備と自然な人口増加を達成する為に自力経済成長と税収と企業売上の自然増加で国が、地方と都市の所得適正再配分を地方交付税強化で地方の高い合計特殊出生率の活用に大成功したのに、自己中の道州制復活を叫ぶ愚か者が増えてきました!
 科学の事実で分析して道州制で大成功している国家は、日本を含め世界中で皆無です。
 社会科学では、帰納法による長期継続的な大成功実例の積み重ねこそ、科学なのです!
 だが秀吉も日本の初代総理大臣の伊藤博文も最下層の貧農出身だったのに、権力を握ると組織優位・個人劣位の欧州の権謀術策の、エリート階級主義に落ち込んでしまいました。
 石原氏に天才と評価された田中角栄元総理も全く同じで貧農の出身で、19才年長の当選が2
年遅かった官僚政治家で初当選の池田勇人の、吉田内閣における大蔵大臣就任に賛成に回り、官僚の操縦方法を身に付け池田を利用して活躍し、トップに上り詰めると欧州思想の組織優位・個人劣位の階級主義に陥り、個人優位・組織劣位でウソを嫌うアメリカ思想のキッシンジャーから信じられないウソつき、の評価をもらい案の定ロッキード事件を引き起こして失脚したのです。 言動不一致のウソは事実に反するので大失敗の原因になります。
 もちろん田中角栄氏は、消費税無の国税75%の最高所得税率の高累進所得税制を断行して、大財政出動が必要な、64東京五輪や新幹線開業や東名高速道路を起工を同時に行い、財政赤字を出すことなく大成功した保守本流の池田勇人を目の前に見て、税制は池田税制を維持継続し米国のニューデール政策の日本版となる「日本列島改造論」を打ち出したのです。
 また福田赳夫氏も保守本流の池田税制を維持継続しながら、第一次オイルショックで世界中がインフレに見舞われる中、財政金融政策を引き締めることによって、世界で一番早く悪性インフレ退治に大成功したのです。 つまり消費税無の高累進所得税制の時に限り、財政金融政策の引き締め効果が、自然に発揮される事が事実として科学的に立証されたのです。
 経済学界の大反対に関わらず消費税無の高累進所得税制の「ビルトイン・スタビライザー機能」と「個人消費の進化システム機能」の優秀性を、事実に基づく科学の再現性で論理疫学証明したのです。 つまり自由平等(対等)競争の絶対性は憲法通り大切だったのです。
 池田元総理大臣の目指した「最大多数の最大幸福を実現するには」個人優位・組織劣位の米国の草の根主義の「国民や国会議員個人が誠実で正直である事が条件で、自由平等(対等)の絶対性を遵守して競争するのが科学であり」何より重要である事実を表しています。
 種の生き残りには、利己的と利他的の平等が大切で、他人に役立つ自己中は必要です。

 日本が経済で参考にすべきは友愛理念で全体主義と共産主義独裁を生み出した欧州型階級主義では無く、事実に基づく自由平等(対等)競争の科学でGDP世界一へ導いた米国です。
国民が自由平等(対等)競争すれば自国民が希求する国家へ自力経済成長できるのです。

 本質的に憲法通り自由平等(対等)競争の絶対性を税制や経済や政治へ徹底すると、国内経済へ自動的に進化システムの科学が作動して国家全体が自力経済成長を開始継続します。
本論文は米国独立宣言の
5人が起草した自由平等の仕組みとシステムを解説した論文です。
 自力経済成長には自由と平等の定義と総需要拡大税制の必要性の科学的理解が重要です。
 故に自由平等(対等)競争の絶対性の税制改革は財政再建と自力経済成長を達成します。
 種の生き残りには、利己的と利他的の平等が大切で、他人に役立つ自己中は必要です。
 正しそうなプロパガンダ(政治宣伝)は真実を恐ろしくゆがめて伝える為、自業自得で全国民を不幸のドン底に突き落とす故、言葉は科学的に吟味して解釈しなければなりません。
 その言葉が非科学のプロパガンダなのか逆に科学=真実の言葉なのか区別は重要で「自由平等(対等)競争を遵守する言葉や税制は、進化を表し全国民へ豊かな経済と幸福な人間社会をもたらし、反自由反平等を内在する言葉や税制は全国民へ停滞と貧困をもたらします」
人類は言葉でコミニュケーションを取る動物である以上言葉が自業自得をもたらすのです。
 故に現状の消費税増税政策では自力経済成長と財政再建の同時達成に、必ず失敗します。
 日本の現状やEU諸国の最悪経済が事実を物語っています。 大哲学者で文科系学問の演繹法を生み出したアリストテレスの母国のギリシャの惨状が演繹法の限界を示しています。
科学とは事実と事実の因果関係と再現性を観察し帰納法で有用な真理を追求する学問です。

自由平等(対等)競争遵守を憲法に規定している日本市場へ「公平・中立・簡素」というプロパガンダ(政治宣伝)を持ち込んで個人消費の増加を罰金規制した消費税制が消費減を起こし総需要減少で多数のシャッター通り商店街の出現と全労働者の7−8割の職場を提供している中小企業の衰退を招き夢も希望も無く自殺者を多数発生させた政治家の大失政は大問題で、天才池田税制を理論化した本論の「権威に依存せず客観的な事実を詳細に観察した再現性重視の真実追求の帰納法の科学を採用する政治家と文科系学者の出現を期待します」

 全国民・全有権者は常にプロパガンダ・政治宣伝を嫌い、常に真実(科学)を求めます。
 だが人間は言葉で生きており事実を隠ぺいされ更に文系学問の非科学の権威の言葉を演繹法で解説されると人間はプロパガンダ政治宣伝によって虚偽が真実に見えてしまうのです。
 故に憲法に則した自由平等(対等)競争の絶対性の税制下や政党制度下で、組織(企業や国等)から受ける自己の給与や年金を、その範囲内で自由に自己が進化システムの個人消費で商品を消費すると、誰にも迷惑もかけず、その個人消費商品の生産から販売(供給)に関わった全ての他人の所得へ等価変換する結果をもたらす故「経済循環は自力と他力が融合した良循環となり、人生の大目的である他人を助ける事に役立つ事になり、表現の自由の自己の個人消費が他人の所得の増加となる為、人生の生きる目的と国民同士の経済的絆を構築できる為、党議拘束禁止で国会議員個人の表現の自由や良心の自由を認める事が、米国型の国民政党制の集団的知性で多様な社会へ柔軟に適応する独自の国家を構築出来ます」逆に民主集中制で党議拘束を厳格に守る階級政党制は結果として独裁の支配服従の温床になります。
 故に米国では党議拘束は禁止され、国家議員の表現の自由は憲法通り遵守されています。
 EUや国連理念を崇拝し欧州型消費税への国民の反発を無視する階級政党制の統治階層の無責任なプロパガンダのご都合主義・事大主義の理念優先の階級政治と異なり、英国のEU離脱が鮮明になり米国ではトランプやサンダース旋風が吹き荒れるアングロサクソンは、事大主義の固い理念を排し国会議員の表現の自由を遵守しながら経験主義の自由平等(対等)競争の絶対性を遵守して時代時代の優先順位を重視する、国民大衆の民意(集団的知性)尊重の、経済環境の変化に柔軟に対応する米国流の事実現実重視、再現性重視の柔らかい自然科学の民意優先の政治を学ぶべき時です。成功例のない減税乗数理論は経済に失敗します。
 種の生き残りには、利己的と利他的の平等が大切で、他人に役立つ自己中は必要です。
科学とは事実と事実の因果関係と再現性を観察し帰納法で有用な真理を追求する学問です。
 事実に基づく自然科学では、人間は大自然の自然生態系の一部に過ぎず、同一生物種内の相手をエサとして認識せず仲間として認識し優劣を決める自由平等(対等)競争しか行わず、他者を死の恐怖で支配し服従させる異種間弱肉強食競争の「権力や権威は不存在です」
 種内の自由の規制は危害原理(他人と人間社会に対する物理的・客観的危害は規制し、これ以外の主観的危害は規制しない)に限られ「自由とは危害原理を遵守した自由を言い」、「平等(対等)競争とは正々堂々としたフェアーな競争」を言います。 だが人体の内部では免疫系が自己・対・非自己を常に自動で認識し免疫細胞が日夜生死を掛けて異種の弱肉強食競争を繰り広げて細菌やウイルスを食い殺しているから人間は健康を維持できるのです。
故に文科系学問に不足しているのは進化システムと集団的知性の自然科学の知識の力です。


 何故有権者は民進党(旧民主党)の主張に全く耳を傾けなくなったかと言うと、現在の底なしの経済不況の大原因は、旧民主党が自民党・公明党を引き込んで消費税の増税を約束させた事実が原因である事を全有権者が良く知るからであり、民進党を応援すると民進党がどう言おうと、また民意を無視して消費税を増税するに違いないと確信しているからです。 つまり有権者にウソを言わない裏切らない自民党の方がまだマシと考えているだけなのです。 時系列で説明すると2009.8.30の総選挙では、自民党は小泉政権の末期に消費税増税論議を党内で解禁し麻生政権は消費税増税意欲満々な事を有権者も分かっていたが、自民党は消費税増税を打ち出すと総選挙に敗北する恐れを感じて公約には「税のあり方を思い切って改革し、消費税を社会保障・少子化対策へ特化へ」と柔らかい表現に変更している。 それに対して当時の民主党は「暮らしの為の政治を」キャチフレーズに「無駄遣いを無くせば」消費税増税無でも国家財政は改善されると公約し、消費税増税論議を行わず消費税増税無の印象で、有権者は民主党政権なら国民の9割超が実質的な増税となり暮らしを破壊する逆進性の消費税増税に踏み切らないと信じて投票したため何と議席の単独過半数を超える308名の候補者を当選させ戦後の保守政治を終焉させたのです。
 しかし民主党政権は2012.8.22に「消費税増税の国民の信を問う」という条件を付けて自民党と公明党の協力を取り付けて共同責任のような責任逃れの形を作って、消費税増税法案を可決し現在の深刻な経済不況や貧富の格差の大原因を作った訳で、民進党(民主党)の責任である事を全有権者が知っているので、有権者は「暮らしの為の政治」を裏切った民進党が何を言っても信じなくなってしまったのです。だが政治が現状を改善できず信頼を失つても誤りを素直に認め、小手先では無い事実に基づく民意に合致した根本的な改善政策を提示できれば道は開けます。
 同様に民意を無視した消費税3%施行直後の1989.7.23の参議院選挙では自民党は記録的な大敗を喫し参議院の過半数を失い政局は大混迷に陥った。更に民意を無視した消費税5%へ増税した最初の1998.7.12の参議院選挙では自民党は予想を上回る大敗北となり、また共同行動していた新党さきがけは議席を獲得できず事実上の解散となった。 更に民意を尊重してくれると期待して前回の衆議院選挙で300を上回る単独過半数の議席を獲得した民主党は、民意の期待を裏切り民主党政権が自民党を引き込んで消費税増税を柱とする社会保障・税一体改革関連法案を成立させ前回選挙の2012.12.16の総選挙で、308議席を57議席に大激減させる記録的な大敗を喫し、自公連立政権の誕生の原因を作りました。 ところが民進党は現在も敗北の原因も、自分達を応援してくれた民意の大切さも、全く分かっていないし、知ろうとすると努力もしていない。
 社会保障と組み合わせれば消費税増税を容認してくれると民意を甘く見たのが最悪でした。
 同様に自分の政権では消費税を増税しないと約束し巨大な小泉純一郎人気は末期に消費税増税論議を再開した途端、彼の本心が暴露されて雲散霧消し小泉人気は大暴落して氏への不信感は増幅し、現在では彼が何を言っても信頼して付いてくる支持者は極少数になってしまいました。
 保守本流の一億総中流を創造した高度経済成長税制である池田税制を長く経験している国民(=有権者)は直感的に徹底的に真実(=科学)を追求するので、成功がありえない消費税を拒否しており、国民は国民所得を自動的に増加してくれる個人消費行為への罰金規制を撤廃した欧州型消費税無(以下消費税無の意味)の池田高累進所得税制と社会保障の一体化こそ直感的に望んでいたのです。 民意(集団的知性)は常に真実(科学)を本能的に求めます。
 更に日本人が持つ経済に関する民意(集団的知性)通りに税制を改善すれば進化システムと所得適正再配分により、自動的に総需要は長期継続的に増加し国民所得も自動増加します。
 日本や世界の政治家の失敗を反省しない真実(科学)を隠蔽する事大主義の非科学性は最悪で、成功実例を積上げ観察して帰納法で再現性を確かめた科学的税制を導入する科学へ素養のある政治家や経済学者や官僚の出現に期待します。
 権威に依存した非科学の事大主義はダメです。
 理念や権威に基づく長期継続的な大成功事実が無い非科学税制を無理やり導入する政策は最悪の連続であり、多数の大成功事実や実例を確かめた再現性のある科学税制が最善です。

 欧州型消費税は逆進性有で消費減少や低所得層へ非効率な補助金行政を行いながら企業へ複雑で非効率な制度維持に大コスト負担させるマッチポンプ政策(放火しながら消火する)の非科学税制で財政の悪化と国民生活悪化を急速に促進する最悪税制ある事を本論文は証明しています。
欧州型消費税は個人消費の進化システム増殖性と自力経済成長を否定する非科学税制です。
「事実は小説より奇なり」の科学で「経済成長は進化システム税制で大改善できるのです」

 ベーコンは科学には権威など必要ない。 科学は、「観察という確かな事実」を元にして「事実と矛盾なく再構築するべき」と偏見に満ちた学問を科学の帰納法で大改善しました。
科学とは、事実と事実の因果関係と再現性を詳細に観察し有用な真理を追求する学問です。
 本論税制は対所得租税平等率負担を総務省の家計調査で計算しており、結果として全所得階層の全国民の所得増加を目指す、所得階層によって有利不利を伴わない税制を追求しています。
 成熟経済の過剰な輸出は他国の需要や富の収奪であり、政治家が目指すべきではありません。
 自由平等(対等)競争の絶対性の税制改革は財政再建と自力経済成長を同時達成します。
 種の生き残りには、利己的と利他的の平等が大切で、他人に役立つ自己中は必要です。

 カトリックには法王から一般信者に至る階層構造の上下関係と全国組織があります。
 さてカトリックの聖職者は特別な存在として結婚しない組織優位・個人劣位の固い友愛思想で結ばれている為、排他性があり」それに抗議するルターの宗教改革により「神の前では聖職者も一般信者も皆平等で結婚し一般の社会生活を送る人間個人全て平等と考える柔らかい教義のプロテスタントが建国した米国の独立宣言の自由平等(対等)競争の絶対性は個人優位・組織劣位の人間個人全て平等と考える柔らかい全国組織も法王も存在しない宗教」で自然生態系の同一生物の種内競争と同一で、日本国憲法にも明示され遵守が地球を生きる生物進化繁栄の基礎条件となります。米国の国民政党制とよく似ている事が明確です。つまり同一種内ではオス同士が優劣を決める自由平等競争(ケンカ)をしても殺し合う弱肉強食はしないのが同一種の生存競争です。
 これから派生した「最新科学の進化システムや集団的知性」に基づき柔らかい帰納法の再現性を活用する科学は、「進化システムや集団的知性で最善の政策を発見する方法」です。
 つまり時代時代の諸環境に直接に接して生活している全国民とその代弁者である全国会議員の良心の自由と表現の自由を遵守された環境で、全国民の過半数を超える意志で選出された大統領の政策に対する全国民や全国家議員の良心の自由の発揮度は高く、集団的実行力も高いのです。
  人間は自分の意志で決めた事を実行する時に最も能力を発揮する原理原則があるからです。
 故に第一次大戦にも第二次大戦にも国内の参戦不要の世論で参戦が大変遅れたが、国内世論の参戦必須の世論の高まりにより米国の全国民は税負担や労働面で大協力して大勝利しました。
 成熟経済の過剰な輸出は他国の需要や富の収奪であり政治家が目指すべきではありません。
 故に自由平等(対等)競争の絶対性の税制改革は財政再建と自力経済成長を達成します。
 種の生き残りには、利己的と利他的の平等が大切で、他人に役立つ自己中は必要です。
 科学とは、事実と事実の因果関係と再現性を詳細に観察し有用な真理を追求する学問です。

 逆にカトリックの本家の欧州社会は「組織優位・個人劣位の特定組織政党の党派性を持つ統治者の意志を堅持する固い思考の反プロテスタント・反米・反進化システム思考です。 
 しかし中国の兵法書の「柔よく剛を制す」を都合よく解釈して取り入れようとして足して二で割る日本の中途半端な姿勢は必ず失敗します。 柔らかい思考は正しい原因(手段)を重視し、固い思考は原因より結果を重視し結果の為に手段を選ばなくなり、必ず失敗するからです。
 私の思考は権威に依存しない八百万の神と神仏習合の日本仏教の科学的な原因(手段)を重視する武士道と、神道の柔らかい個人優位・組織劣位の原因重視の進化システム思考です。
 結局プロテスタント中心の米国と、カトリック中心の欧州は基本的に水と油なのです。
 故に日本の思想や税制や制度は必ず米国を参考にして、欧州を真似てはならないのです。
 特に私は浄土真宗の住職の末裔で「プロテスタントと類似の」宗教哲学を有しています。
 自由平等(対等)競争の絶対性の税制改革は財政再建と自力経済成長を同時達成します。
 種の生き残りには、利己的と利他的の平等が大切で、他人に役立つ自己中は必要です。
 故に自由貿易とは、輸入の自由が大原則であり輸出は輸入の範囲内に限り自由なのです。
 そして国家は自然条件・立地条件・国民性・人口の多少・民族の多少・文化・宗教・思想等に多様性があり他国に迷惑をかける他国の富や需要を収奪する過剰輸出に依存してはならず国家(国民個人の集団)より多国籍企業企業(組織)優位の新自由主義思想は危険です。
 池田首相当時の、経常収支が赤字常態の時代と全く異なり、現在は経常収支黒字が常態なのに国家がトップセールスする経済的必要性は全く無く、このような事に政治的労力を費やす事は当該企業や産業からの贈収賄があるのではないかとの疑念を持たれかねません。
 国会議員は国家国民の為に働くべきで自由貿易を隠れ蓑に企業の為に働いてはいけません。
 国家がやるべき事は需要側の税制改革で総需要拡大を実現すれば企業収益は大改善できます。
 故に、供給側の生産も販売も、その国の企業に任せる企業自主が大経済原則なのです。
 結果として当該国家で生産できない分を輸入するのは当該国家の輸出の範囲内で(当然支払できるドルの支払い余力はあるので)当然に自由であり、更に国家の経常収支を常に0にするように当該国家の商品別の生産力に合わせて商品競争力を均衡化する関税自主権は保護貿易でも何でもなく通商政策の中心の自由貿易の為の国家の本質的な原理原則なのです。
 この基本ルールを遵守しないと、無秩序な輸入国は膨大な貿易赤字で国民生活も国内企業損益も国家財政も完全に破綻するので、その国家の膨大な人口を誰が面倒を見るのですか?
 つまり他国の嫌がる迷惑を掛ける他国の経常収支を過剰に赤字にする輸出は避けなければならず、輸出をしたいなら当該企業が当該他国へ直接投資をして当該他国の労働者を雇い生産し当該他国の消費者に販売して、且つ当該企業の自己資本の増殖に努めるのが正解なのです。
 過去に成熟経済において国家が一部の企業や産業に有利に働くように政治力を発揮して、国家経済に成功した事例は皆無であり、商売人で無い政治家は、必ず大損害を発生します。
 某国も某国も政治家の通商政策によって最後は、自国経済が国家的な大損害を生じた事例は多数に上り、民間の商売の世界に政治家が安易に首を突っ込まず調整に徹するべきです。
 故に自由平等(対等)競争の絶対性の税制改革で財政再建と自力経済成長を達成します。
 種の生き残りには、利己的と利他的の平等が大切で、他人に役立つ自己中は必要です。
 成熟経済で過剰な輸出は他国の需要や富の収奪であり、政治家が目指すべきではありません。
 科学とは、事実と事実の因果関係と再現性を詳細に観察し有用な真理を追求する学問です。

 組織優位にすると組織のトップのバイアス(偏り)により「現場の時代時代に適応する良いアイデアや気づき」が陰に陽に押しつぶされ、結果として組織全体の成長に大悪影響が及びます。
 戦後財閥解体が進められたのに
1997(平9年)に独禁法が大改正され、従来の事業持ち株会社で十分なのに「他の会社の支配を本業とする財閥=純粋持ち株会社」が解禁され「ワークマンシップを持つ事業会社独特のアイデアや気づきが抑圧され大変危険な状態になりました」
 日本経済は昭和元年の消費税導入と、この財閥復活によりカネが全てで義理も人情も無くなり、膨大な数の中小企業をカネの力で支配する弱肉強食経済になり多様な中小企業や国民生活を切り捨てる日本の韓国化・中国化が急速に進み日本経済の多様性が急速に失われています。
 この自力経済成長出来ない日本経済へシステム化した全責任は与野党の政治家にあるが、後押しした文科系学者の責任も大で、財閥中心のカネの力による目的の為に手段を選ばない政治経済は多様性を尊重する自由平等(対等)競争に反するので、必ず格差は広がり財閥に後援された経済や企業や政治家のみが生き残り、全体として自力経済成長できなくなります。
 逆に「アイデアや気づきを含んだ多様性のある科学重視の個人消費(需要)と労働(供給)に対する経済学の所得恒等式に基づく崇高な自由論の価値観を尊重する本論文による税制が、自力経済成長の需要側主導で供給側を誘因して長期継続的な需給同時増加の大要因となるのです」

 故に経済活動の根幹は需要と供給の均衡で成り立っている以上、需要側主導の個人消費の進化システム性と消費性向への規制排除と、供給の源である科学的労働生産性の向上の両者の長期継続的な均衡と増加を直接的に「集団」で論じるのがインフレやデフレ無き本論の科学的自力経済成長理論であり、カネや資本をいくら論じても自力経済成長も財政再建も全く実現できません。
 故に長期経済停滞の現代を資本主義の終焉とか資本主義の転換点とか言う「無限の経済成長できる資本主義の本質に無知な専門家と言われる人たちの議論に惑わされないように!」
 輸入は関税さえ支払えば他国と平等に自由に輸入できるのが自由貿易であり、経常収支赤字国が競争力均衡化の為に輸入関税を徴収する事は、経済的に自由貿易の適正な側面です。
 そして時代時代の経済環境の変化と、商品別の価格競争力の変化に応じて商品別に輸入関税を交渉で国内商品と自主的に対応させる事は保護主義ではなく自由平等貿易の適正な側面です。
 逆に経済学が強欲で自己中な国家や国民を、多数誕生させ全世界を大混乱させています。
 成熟経済の過剰な輸出は他国の需要や富の収奪であり、政治家が目指すべきではありません。
 自由平等(対等)競争の絶対性の税制改革は財政再建と自力経済成長を同時達成します。
 つまり日本国憲法やアメリカ独立宣言で規定されている自由平等(対等)競争の絶対性は「理念では無く、人間自身が自分自身の人体の内外に対して持っている自由平等(対等)競争の絶対性の本質的事実つまり人体の拡張機能」を科学的に表している言葉だったのです。

 友愛と言う最悪理念を自由平等な経済に持ち込み仲間を同志と呼び合い多様な考え方を持つ人間社会に、特定の色や臭みを持つ特権階級を作り出す欧州の全体主義・共産主義等は自己中になり組織は必ず自分達有利の分派活動を行い自分達の階級組織を守る為、表現の自由へ規制を強化したりプロパガンダするので進化システムの無限の経済成長は不可能となり、逆に資本主義はカネという無色・無味・無臭な実在を自由平等(対等)競争の絶対性を遵守して全員を税制で自由平等に扱えば米国のように種内競争が活発化し、進化システムの表現の自由の一種である個人消費の自由を抑圧する欧州型消費税無しの高累進所得税制で進化システムを発揮させ、且つ対所得租税平等率負担の所得適正再配分機能を持つ高累進所得税制を全国民へ平等に適用すれば中低所得階層の高消費性向が活用でき、更に超高所得階層の過剰貯蓄を税収として吸収し財政出動に活用するので、個人消費が進化システム自己増殖性を発揮し低中所得者層の所得自動増加を実現し時代時代の環境へ自動適応して自力経済成長・財政再建の税制改革で経済環境や自然環境に適応する無限の自力経済成長と財政再建が可能となります。
 更に有能な超高所得階層は中低所得階層の高消費性向で創出される総需要の増加を市場経済機能により所得増加へ等価変換し最も恩恵を享受する階層となり、中低所得者層の所得も同時に増加するので「損して得取れ」で、国家と全国民がともにWIN・WINの関係になるのです。
 更に国家の政党制度を党議拘束を認める階級政党制から国会議員一人一人の良心の自由と表現の自由を認める米国型の党議拘束無の国民政党制へ移行すれば「国会でも総選挙でも」全国会議員と全国民の良心の自由と集団的知性が発揮され社会進化が確実に促進されます。
 市場経済と政治は膨大な数の全国民を扱う「集団科学」の分野(民間企業では保険業等)であり、「正しい統計と自然科学の進化システム・集団的知性」を活用する分野です。
 故に国家の存在目的は民主主義の原点になった哲学者ベンサムの「最大多数の最大幸福」であり、企業の存在目的は「株主利益の最大化」と正反対であり「国家リーダーと企業経営者の行動目的は正反対なのです」 故に国家の正義(最大多数の最大幸福)を実現する第一歩は経済を平等に適正化する為に全国民へ適用される「所得適正再配分税制の採用」です。
 両者の存在目的を歪める事は不正になり解決には自然な進化システムの活用が最善です。
 故に人間社会は国民と言う自然な人間の集団で成り立っている以上、「国家の経済・社会の構造が自然な人体の機能構造と近似の時に限り、無限に進化・経済成長できるのです」
 従って市場経済機能により国家の大都市(心臓)に集まる所得(血液)を地方へ再配分して均衡ある国土を構築する為の国家機能(地方交付税)は重大な作用をしていたのです。
 つまり人体の隅々にまで血液を平等に分配して全細胞を平等に健康にさせる人体と同様に、国家も国民が居住する国土の隅々まで時代時代の健康で文化的な最低限度の生活を営めるように個人消費に進化システムを作動させる欧州型消費税廃止と、対所得租税平等率負担の高累進所得税の所得適正再配分機能発揮の税制と地方と都市の所得再配分を行う地方交付税によって国土全体の均衡ある発展と地方の良好な住環境を活用し合計特殊出生率の大幅向上を同時達成できます。
 科学とは、事実と事実の因果関係と再現性を詳細に観察し有用な真理を追求する学問です。
 つまり成熟経済において「新自由主義やグローバル主義や減税乗数理論や輸出乗数理論は共産主義や全体主義と全く同じく、バイアスが掛かった理念で構成されており、科学から離れて長期継続的な大成功実例が世界で皆無な、非科学の再現性の無い主張に過ぎません」
 悔しかったらこれらの理論で長期継続的な自力経済成長と国家財政再建の同時達成の大成功実例を提示して見て下さい。 提示できなければ小保方さんと全く同じ再現性の無い錯誤です!
 科学とは「自由平等(対等)競争の絶対性を遵守した個人消費の自由を遵守した消費税廃止の、対所得租税平等率負担の高累進所得税制で市場経済を運営する時に限り、科学の偉大な力により「進化システム」と「集団的知性」が機能して不可能と考えられる自力経済成長と国家財政再建の同時達成が実現するのであり、別表2 へ掲載した長期継続的なアメリカの欧州型消費税無のウィルソン税制の実績とルーズベルト税制の実績と日本の欧州型消費税無の簡素で効率的な対所得租税平等率負担の池田吉田高累進所得税制の、戦後43年間の実績を別表2の通り詳細に観察すれば納得できます。科学は成功実例の積み重ねで証明します。

 それに比べて演繹法に凝り固まった役立たずの固い理念と信念に基づく再現性の無い論理方法に固執する非自然科学の政治家や経済学者は、早く思考のコペルニクス的転回が必要です。
 本論は(ベーコン 帰納法)(ミル 自由論)(ベンサム 最大多数の最大幸福)(ダーウィン 種の起源)に基づき帰納法主・演繹法従の自然科学の理工科系論理で推論しています。
 全国民・全有権者は常にプロパガンダ(政治宣伝)を嫌い常に真実(科学)を求めます。
 しかし人間は言葉で生きており事実を隠ぺいされ、更に文系学問の非科学の権威の言葉を演繹法で解説されると人間はプロパガンダ政治宣伝によって虚偽が真実に見えてしまうのです。
 成熟経済の過剰な輸出は他国の需要や富の収奪であり、政治家が目指すべきではありません。
 故に自由平等(対等)競争の絶対性の税制改革は財政再建と自力経済成長を達成します。
 種の生き残りには、利己的と利他的の平等が大切で、他人に役立つ自己中は必要です。

 『科学には」権威など必要ない「観察という確かな事実」を元にして「観測事実と矛盾しないように帰納法で考え再現性と真理を追求する論理体系を、科学と定義したのはベーコンで、文科系学問は事実に基づかない権威に依存し理念やモデル中心の演繹法の三段論法のアリストテレス演繹法推論ゆえに、真理追求を忘却した宗教のような非科学であり危険です。
 故に2000年以上固く信じられ演繹法で論理する迷信に過ぎない天動説を、事実を徹底追求する科学的帰納法の推論方法である帰納法理論の端緒となった「地動説を発見したコペルニクス的転回の帰納法主・演繹法従の論理で現代の経済学等の文科系学問全般も大革新すべき時です」
 更に伊藤光晴氏は28年先輩の池田勇人首相の母校、京都大学経済学名誉教授で週刊エコノミストに「現実から遊離する経済学 いま直面する経済学第三の危機」を特別寄稿しています。   
 そして矛先をアメリカ経済学の主流派のゲーム理論の数理モデルに固執する、事実と合致しない非科学的姿勢に批判を浴びせています。 だが同じ京大法学部出身の先輩の池田の税制改革が事実として長期継続的な自力高度経済成長と財政再建の同時達成の奇跡の戦後大復興の大成功事実を目の前で観察して、経済学が科学なら税制も研究対象にすべきなのに「税制は政治の聖域として研究対象から外した伊藤氏の経済学の非科学な態度は残念です」
 抗生物質ペニシリンの発見は不純物が迷い込まない前提のシャーレに迷い込んだ青カビを原因として活用した結果に過ぎず、聖域無しに全分野研究対象にする理工科系の科学の成果です。
 同じく既存の学問の権威に反するIPS細胞しかり、不純物の混入による半導体のトンネル効果を発見した江崎ダイオードしかり、権威のニュートン力学では説明のつかない宇宙や原子核内における素粒子の動きを「観察し事実に基づき新発見したアインシュタインの相対性原理」しかりであり「権威に依存せず新事実を観察する重要性を明らかにしたフランシスベーコンが理工科系を帰納法の論理で事実に基づき既存の常識や権威を打倒して科学へ大進化させました」

 文科系学問も早く勇気を持って事実に基づく科学の帰納法へ大転回すべき時です。
 大切な事はわずかな観測誤差を見逃さず、それが発生した原因を徹底追及する姿勢です。
 文科系の科学化には「人間の本性」の「進化システムと集団的知性の研究」が重要です。
 特に研究分野に聖域を設け特別扱いする文科系学問の理念重視の姿勢は、常に大問題を引き起こします。 税務や刑法については誠実で正直で法律を遵守している国民は調査されても何のやましい事は無く、逆に不正直で不誠実で法律を遵守しない国民は調査を恐れているので、悪意の人間を摘発する事が誠実で正直な国民の利益を擁護する事になるので、国内の全国民、全組織を平等に調査対象にすべきなのに、理屈を付けて抜け穴を残し「宗教を特別扱いしたためにオウム真理教事件を防げず正直で誠実な多数の国民へ大被害を発生させ」、「政治家や国家組織を特別扱いしたために多数の政治家がらみの汚職事件が多発し、現在でも見つからなければOKで、政治家がらみの政党組織や政治家と企業の癒着は深刻です」
 同様に慈善事業や公益法人は特別扱いされているため、胡散臭い事例も多発しています。 
 ロッキード事件もアメリカ側の情報が端緒になっており、アメリカの「最大多数の最大幸福を追求する」全国民、全組織を対象にする公正取引委員会や内国歳入庁の厳しさは日本人の想像に絶しているのです。  本件は成文法の日本では政治的問題として捉えられており、常に曖昧に処理されますが判例法の訴訟社会のアメリカでは不正を許さない内国歳入庁と公正取引委員会の長い歴史の判例法で確立されている「正直さと誠実さを基準に」、全アメリカ国民と全米の官民組織と外国へ、内国歳入庁と公正取引委員会が注意と警鐘を鳴らした事例なのです。
 したがって「正直さと誠実さで全米国民に対応したトヨタは、結局その主張は科学的に客観的に確かめられ騒動は終息しました」。 逆に「VW事案は欧州や日本で長年通用していた客観的に不正がある不正直と不誠実な事案」と判明し、正反対の大騒動になりました。
 「誠実で正直である事は、科学であり、どこの国でも通用する真の世界標準なのです」

 日本の税制は成熟経済(経常収支黒字)に到達しても平成元年までは欧州型消費税無の高累進所得税制で有ったので自力経済成長と財政再建を達成し、同様に第一次世界大戦にしぶしぶ参戦し膨大な財政赤字を記録した米国を短期間で財政再建し好景気を招来したのは、ウィルソン大統領の高累進所得税制と欧州型消費税無の小売売上税(貯蓄は非課税の区別は無い)の組み合わせ税制であり、同様に世界大恐慌からの脱出のニューディール政策の実行と第二次世界大戦に参戦し膨大な財政赤字を記録した米国を短期間で財政再建し好景気を招来したのは「減税乗数理論のケインズが大反対した」ルーズベルト大統領の高累進所得税制と欧州型消費税無の小売売上税の組み合せ税制で、この税制によって日米は他国へ迷惑を掛けず内需主導の自力経済成長が可能になり、自国の経済規模の自動増大による無限経済成長システムだったのです。
 全く逆にEU(一部北欧含む)は域内経済先進国が時代と共に経済後進国を域内に加盟させ低率だが経済成長できたのは、新規加盟の後進国輸出に支えられた為で、消費税+低累進所得税制で個人消費の進化システム性の内需の増加拡大が活用できず、結果として輸出は他国の需要の収奪になり後進国の経常収支赤字の原因になるので限界が早晩やってくるのです。
 つまりEU各国は欧州型消費税有+低累進所得税制の組み合せ税制で、個人消費と設備投資の進化システム性を罰金規制し内需主導の自力経済成長不可の経済体質になっています。
 なお米国の小売売上税には輸出還付制度は無く、欧州型消費税と全く正反対です。
 日本では観光客の爆買いに対して、膨大な消費税を還付するが、米国では有り得ません。
 自国民消費不利・他国民消費有利や、消費は課税不利・貯蓄は非課税有利など自由平等(対等)競争違反がまかり通る消費税制は自由平等(対等)競争の米国では存在しません。
 市場経済では自己の個人消費増加が他人の所得増加に等価変換される所得恒等式の因果関係があり、同様に他人の個人消費増加が自己の所得増加になる因果関係が事実として発揮されます。
 本質的に人間社会の自己と他人で作る社会は、根本的に人間同士支え合う仕組みで出来上がっており、従って時代と共に個人消費を常時増加する進化システム税制は必要不可欠です。

 政治権力に歯向かう勇気が無い日・欧・中・韓と違い大統領の浮気や不正が平気で問題になる訴訟社会の米国では、実害が発生するとわずかな不正直や不誠実や不平等が大問題になります。
 ロッキード事件も端緒は日本では発見不可でしたが、米国で端緒は発見されたのです。
 IMFの専務理事でEUで絶大な権力を持っていた仏の経済学者で大政治家のストロスカーンが、米国で強姦容疑で逮捕された事件は単純売春が合法となっているフランスと、単純売春でも原則禁止されている米国の違いを甘く見た権力志向の姿勢が裏目にでた事件です。
 日本でも米国の沖縄駐留の司令官へ問題を起こすくらいなら地元の風俗店を利用しろと発言した、米国の法規範や判例法を知らない日本の政治家の発言にビックリしました。
 だからアメリカでは売春婦の取締に平気でおとり捜査を行うので大量逮捕できるのです。
 米国の自由平等(対等)競争の絶対性を厳しく守る姿勢を甘く見てはいけないのです。
 人間社会では自由平等(対等)競争を遵守する社会だけが自力経済成長できるのです。

 つまり資産の土地や建物は登記簿謄本で閲覧できてプライバシーは無く、故にカネを特別扱いする理由は全く無いのです。 更にカネには思想信条も無く無色透明・無味乾燥でプライバシ−も無いので、全てのカネについては全ての分野を平等のルールで調査する制度が、自由平等(対等)競争の絶対性の「科学のルール」であり、民間組織に対しても宗教組織に対しても、政治組織に対しても、公益組織に対しても、国家組織に対しても、特別扱いせず民間企業とカネは当該分野の共通ルールに基づき、逃げ道なく調査対象にすべきなのです。
 故に警察権力は思想信条へ絶対に介入してはならないが、カネには思想信条が無く、且つ各分野の組織は各々存立目的が全く違うので規制する法律も違い、規制機関が全国民へ常に分かりやすく各組織のカネの流れの説明責任を果たすには、必要経費の支出に領収書が必要な事は中小企業労働者も全組織労働者も必要最低限の知識である以上、民間・政界・官界・公益界等の全組織の不正経理を正す正義の維持には、カネの動きを防犯カメラのように調査できる、現在各省庁や地方団体に分散している調査決定権限(監督権限は別)と予算と人員を、カネの流れを客観的に追及できる反面調査が得意で適正か不適正かを判断できる税務署に権限を集中し「平等(対等)ルールでシステム化する米国の内国歳入庁のような組織に改組して」不正の逃げ場を根絶して「最大多数の最大幸福」の国家正義を達成すべきです。
 全ての組織の不正と巨悪は存在目的とルールを逸脱する不正経理から始まるからです。
 私もマイナンバー制度を一貫して擁護してきましたが、現状の「総務省主導の複雑で一瞬で多重処理しようとするする制度では危険が多く」、逆に現状の紙ベースの諸手続きは複雑であるので不正者はボロを出しやすく窓口で不正者を見破ってきた長い歴史と経験があるので、全く変えず「住所・氏名・生年月日にマイナンバーをプラスするだけの」、長年定着していた「住民基本台帳カードのカード番号を全国統一のマイナンバーに書き換え」、その全国民の全市町村データーを国の各省庁のデーターベースへ全転送するだけで、全国に散らばる不正者を担当省庁が疑義を持ったり発見した時に限り、当該国民のマイナンバーを基礎に、各省庁の担当者が各々のデーターベースにアクセスしてコンディショナルサーチ(条件検索)で効率的に不正者を見つけ出す、大部分の正直で誠実な国民には全く無関係となる、安価で簡易で効率性と有効性の高い統一番号制ならば全国民も受け入れやすく、普及も早かったはずです。 つまり国民が求めているのは直接現場で巨悪を見つけ出す努力する公務員の眼力で、全国民は公務員削減の為のコンピューターに自動チェックさせる効率化を強く求めている訳ではないのです。
 全国民は巨悪や不正を見抜く現場公務員の努力に期待しているのであって膨大な量の公務員の仕事をコンピューターで自動処理させ公務員の削減を求めているわけではないのです。
 コンピューターの自動処理では頭の良い巨悪に一旦すり抜けられると、味を占めた巨悪はすり抜け技術を標準化して継続的な国家被害は甚大になるのです。 それに比べると今まで通りの事務処理では現場の窓口の不正を見抜く経験や知識を時代に応じて進歩させ教育し、巨悪の不正処理を見抜ける機会も飛躍的に増えて、見抜く人間の目が増えれば被害の最小化に役立つのです。
 全事務仕事を自動処理させる為マイナンバーをパスワードのようなセキュリティの高い使い方を前提にして、多機能性を持たせた為、コンピューターのセキュリティは厳重にせざるを得なく、アクセスにも複雑な手順が必要になり全体として使い勝手が全く悪く、重たくて複雑なシステムに成ってしまいました。 効率性や利益性追求は民間企業だけで充分なのです。
国家の存在目的は「最大多数の最大幸福であり、企業の存在目的は利益の追求」と反対です。
 現状のマイナンバー制度によって税務や社会保障の最前線で働く税理士や公務員は、多大な労力のコスト負担とリスクへの不安と国民の不満の最前線に立たされて困惑しています。
 本質は、正直で誠実な国民へ柔軟に適応し且つ、カネの流れに不正直不誠実な悪質国民をあぶりだす補助手段に使えれば良いだけなのに、現状は多機能を詰め込み過ぎて大失敗しています。
 集団システムは1億2000万国民の内、1億1000万人以上に普及しないと「全国民のカネの流れを適正に把握するシステム」としては有効性に乏しく失敗する可能性が大だからです。

 更に経済活動に正義を持ち込み進化させる手段は税制のルールにあり、故に民間企業が世界中に生産拠点を持っても「品質管理は1ルールで行い、税金計算も1ルール」で行うのです。
  特定の組織を特別扱いすると、必ず原則逃れが特別扱いの内部から生じるので、誰でも理解しやすい共通ルールで軍隊の憲兵と同じ組織調査や監査が絶対に必要になるのです。


 同様に日本や欧州の経済学者達は自ら長期継続的な成功事実を説明できる独自の経済成長理論を事実に基づき科学的に新理論を打ち立てれば良いのに批判ばかりに終わっています。
 私に言わせればトマ・ピケテイ氏ですら、主流経済学者の中で、経済学へ科学の本質の創造的破壊の大革新出来ず経済学界の中でウロウロしてコペルニクス的転回へは未到達です。
 中世では厳格な宗教勢力からの迫害を恐れ、現代の民主的に見える現代国家でも階級主義や事大主義にまみれた政治経済勢力からの迫害を恐れ、真実追求に口をつぐんでいます。
 つまり真実を追求する科学では「自由平等(対等)競争の絶対性(アメリカ独立宣言、日本国憲法に明記)」という同一生物種が遵守している絶対性原理」以外に前提条件や聖域は全く無く、全分野を徹底研究対象にしなければならないのに政治が及ぶ「税制を与件条件・聖域として研究対象外にしている為」経済学は客観性が無く本質を改善できない、非科学の研究者の主観的認識の主張対立ばかりで人間の社会生活に全く役立たない学問に陥っています。
故に私のような経済成長オタクでも事実に基づく科学的改善策を提示できるのに日本や欧米の経済学者達は科学の本質へ迫る勇気が無く各派非科学の無効用な理念争いをしています。
 更に米国は第二次世界大戦では日本軍の暗号を、早期に日本語や日本人の行動パターンを米国の日系人を総動員して解読済みで転換点となったミッドウェー海戦での日本軍の暗号を解読された事が大敗北の原因で、更にドイツの絶対不可能と言われたエグニマ(暗号機)を解読し、解読した事実を戦後まで徹底して国家機密にした情報戦に長けた国家なのです。
 更に米国はヒットラー暗殺の機会はいくらでもあったのに自由にさせたのは彼の戦略が間違ってばかりであり科学的で有能な将軍がナチスのトップになることを恐れた為なのです。
 私は何故アメリカが絶対に欧州型消費税制を採用しないかは、既に欧州型消費税制が非科学で自力経済成長の大妨害原因である事を知り国家機密にして自国有利を享受しています。
 米国の手の内を秘匿するポーカーゲーム陽動作戦で、各国は右往左往しているのです。
 忠告しても直さない国も米国は致命的な不利にならない限り放置するのが米国の戦略です。
 そういう意味でアメリカもまた、他国へ科学的に強制忠告しない自己中国家なのです。

 人間集団で成り立つ国家において政治家や経済学者等の真の存在意義は、客観的な事実に基き全国民の各種能力を全発揮させる偉大な科学の力で国家を自力経済成長させる事です。
人間や全自然生物の生死は明日をも分からない確率でしか無く全国民の生存確率を高めるのが国家の役割で経済的自由平等(対等)競争が増殖と生存確率を高める最善条件なのです。
 欧州型消費税は逆進性有で消費縮小や低所得層へ非効率行政の給付を行いながら、企業へ複雑で非効率で大コスト負担させるマッチポンプ(放火しながら消して回る)非科学税制です。
欧州型消費税は個人消費の進化システム増殖性と自力経済成長を否定する非科学税制です。
 「事実は小説より奇なり」の科学で「大効率化は最新科学で成り立っていたのです。」
 自力経済成長には個人消費を自由化する、進化システム税制による拡大均衡経済が最善です。
自力経済成長させ常に社会へユトリを創造しないと安全維持のコストが削られ未来が危険です。
 個人消費と設備投資への消費罰金税制では停滞経済に陥り、個人消費と設備投資へ無税自由化税制へ改善すると科学の進化システムの原理原則が作動し事実に基づき膨張経済を開始します。
 日本では個人消費の7割は鋭い直感脳の女性が行うため欧米より消費税の悪影響が大きい。
 更に個人消費と設備投資商品の価格には全租税が原価算入済みで購入者は事前に全租税を平等に原価負担済である為、確定申告は対所得租税平等率負担を実現する負担調整措置なのです。

 さて米国は、欧州の理念争いや利権争いの国家の合従連合でサラエボ事件を契機に勃発した第一次世界大戦においても、第二次世界大戦においても米国はモンロー主義(孤立主義)により数年間参戦しなかったが、同盟国からの再三の参戦要請や自国の真珠湾が宣戦布告無の不意打ち攻撃された為、参戦せざるを得なくなり武器生産(武器と言う平和な人間生活にとって究極の大無駄だがその時点で必要な)の大生産力を発揮し際限のない他国国民と米国の若者の命の継続的な無駄な喪失をアメリカ参戦によって短期間で終結させ防いだのです。
 故に企業損益の無駄の定義と国家財政における無駄の定義の大差異が明らかになります。 
 つまり国家財政の使用に過剰な無駄排除を叫ぶ愚かさを、私は強く警告しています。
 国家財政の使用に遵守しなければならない原理原則は自由平等(対等)競争の絶対性のみで、国家には公共事業となる平和時に無駄と考えられる武器の生産も、戦争の場合は必要がある事を理解し、国家は自由平等(対等)競争で最大多数の最大幸福を追求するのが存在目的であって、企業損益と株主利益を追求する企業と存在目的が全く異なり「国家の過剰な無駄排除百害あって一利無で「過剰貯蓄の排除だけが重要という事実を国会議員は理解しなければなりません
 故に全国民の人間集団で成り立っている国家は、人間個人の基本機能を充分発揮させ、時代時代の環境に適応する内需で憲法や米国独立宣言の「自由平等(対等)競争の絶対性の行動原理を守るだけで良く」無駄も肥やしにして自力経済成長(進化)できるのが国家です。
 国家の行動は利益追求を目的とする民間企業と正反対で無駄の徹底排除は最悪なのです。
 つまり国家と企業では「無駄の定義は正反対になることを、理解しなければなりません」
 また市場経済の競争原理は総需要(国民所得)の民間企業による奪い合い競争に他ならず、総需要(国民所得)が増加しないのに、カジノの経済効果3.7兆円という銀行や大学の説明を信じると現代日本のゼロサム経済では、他産業の売上減少につながり大問題です。
 成熟経済では人間が生きる為に最低必要な商品は既に手に入って不足は少なく、供給を増加しても国民所得(総需要)が増加しない限り売れ残り、セイの法則は成立しないのです。
 経済学の専門家と言われる人たちは、こんな簡単な原理原則さえも分からないのです。
 成熟経済で必要なシステムは需要側内需主導の長期継続的な総需要増加増加税制です。

  「国家が遵守すべきは自由平等(対等)競争の絶対性だけで現状の議論は最悪です」
 故に国家の行動原理と民間の行動原理は正反対で正しく理解する事は絶対に重要です。

 故に国家財政における無駄の科学的な定義は常識と全く異なり「設備投資にも個人消費にもならない過剰な貯蓄が無駄と定義されるのです」 これはケインズの指摘のとおりです。
 つまりカネは天下の回りものは真実で所得恒等式が順調に循環する仕組みが重要なのです。
 まず実体経済所得恒等式には資産経済(金融経済)=キャピタルゲイン狙いの資産取引を除外する原理原則を守らなければなりません。 つまり資産投資はキャピタルゲイン狙いの現金等価物投資ゆえに生産に直接関与する設備投資にならず、減価償却も無く貯蓄と等価であり、過剰貯蓄の元凶になるのです。 つまり資産投資(金融投資)は有限なものを買い占めると値段が上がる事を良く知る資産家のマネーゲームであり、経済学の王道では無く、設備投資から除外するという認識が大切で、本質的に所得恒等式の 貯蓄=−>設備投資 だけが順調に循環するように、実体経済の総需要を長期継続的に増加させる経済論理を再構築しなければなりません。
 実体経済とは、市場経済のうち消費財や設備投資財の需給を言い、資産経済を含まない。
 単純に投資と言っても資産金融投資は設備投資と全く異なるという科学的認識が重要です。

 ここに税制と財政出動の自力経済成長に対する重要な効用が判明し、科学的に過剰貯蓄を税収で国家が対所得平等率負担で徴収しそれを原資に財政出動し、更に個人消費の科学的な進化システム性を発揮させれば拡大均衡経済となり長期継続的(無限に)自力経済成長が可能となるのです。 故に設備投資は時代と共に個人消費+設備投資=>所得が長期継続的に無限に増加すると時代と共に国民所得も長期継続的に無限に増加するのであり、それに比べ資産投資や金融投資は有限な資産を買い占めで値上がり益を狙う経済成長に貢献しないマネーゲームに過ぎず、一過性でピークに達すると実体経済へ悪影響を及ぼし、必ず資産バブルは崩壊する運命にあるのです。
 またデフレやインフレや格差は、需要と供給を強力に調整する税制や財政が根本で金融政策でデフレやインフレを解決する事は絶対にできず、微調整手段にしかなり得ないのです。
 故に強力な解決方法は自由平等(対等)競争を実現する消費税なしの高累進所得税制です。

 さて市場経済と政治は膨大な数の全国民を扱う「集団科学」の分野(民間例では保険分野等)であり「正しい統計と自然科学の進化システム・集団的知性」を活用する分野です。、
 国民所得を増加する自力経済成長は所得恒等式通り、国内個人消費の増加が不可欠です。
 個人消費の増加により設備投資の増加も企業売上や給与の増加も税収の増加も可能です。
 故に自力経済成長は国内需要の増加ありきで始まるので経済成長には税制改革が必須です。
 同一種の生物種内では進化論通りにお互い殺しあわず自由平等(対等)競争の絶対性のルールが存在し、日本国憲法より米国独立宣言の方が表現の自由を遵守し経済進化しています。
 そして同一種で仲間を万一にも殺して良い場合は、正当防衛に限られているのです。
 EU諸国とロシア・日中韓の階級政党制の統治階層や文科系学者は、目の前の現状認識自体がリアルな事実に基づかない理念や権威の理論に基づくバーチヤルリアリティという仮想現実を事実と誤認して「思惑や思いつきや思い込みで経済や政治を操っていると満足している為」科学の原理を熟知したリアルで効果のある政策など構築できず、いつも経済環境や自然環境の変化の所為にして必ず失敗します。 ただ米国の国会議員には表現と良心の自由が存在しリアルな事実に基づき集団的知性で結論を求めるので、いずれはリアルで効果的な科学的税制を構築できます。

 全国民が最も嫌う強制適用される制度は「税制」であるのに最悪の消費税を「公平.中立.簡素」と理想の普遍的前提の如くの理念が大錯誤で、全国民の毎日の進化システムの増殖拡大性を発揮する膨大な数の全国民の表現の自由の一種の個人消費行為と設備投資行為に対して本人交通違反者に交通反則金を課すと同様な罰金課税規制する消費税によって個人消費行為の増加を妨害して結果として国民所得の増加を妨害し、更に所得の使い道を消費税非課税の貯蓄へ誘導して個人消費行為停滞によって経済規模を縮小する消費税は最悪で自力経済成長へ自動拡大循環する「税制の大原則の自由平等(対等)競争の絶対性」に反して経済停滞を引き起こしています
 逆に累進所得税制が自由平等(対等)競争に反していない巧妙な仕組は後段で詳述します。
 更に消費税が簡素でない事は、法人税、所得税、消費税、相続税、贈与税、その他多数の税法の中で、税の専門家である税理士が損害賠償訴訟を受ける件数や損害賠償金額が最も多いのが消費税制であり、それを担保する税理士職業賠償責任保険の保険事故の件数は、多くの税法の内、消費税がダントツに高い割合であり、平成26年の全件数の41.2%が消費税であり保険事故1000万円以上の大口案件の35件の内の16件(45.7%)は消費税で簡素な税制の歌い文句と正反対に専門家の税理士でも理解と管理が難しい税制で、一般納税者の手におえる税制では無く、本論に詳細に述べる通り、民間企業経営の根本である売上に国家が勝手に課税して商品価格を吊り上げ販売促進に大悪影響を与え更に生産活動に無関係な無駄な大コストを負担させ企業コストにも官庁コスト最悪コスト負担の最悪税制です。 更に欧州型消費税制は膨大な自国民消費および内需には消費税を課税し、逆に他国民消費および輸出取引には消費税を免税として全額還付する恩恵を与える内外不平等で更に個人消費課税・貯蓄非課税の内需が縮小する大不平等税制です。
 そして消費税を還付しながら、輸出促進経費を全て自国民へ負担させる不平等税制です。
 全国民の個人消費へ進化システムが機能し所得適正再配分機能が作動する、消費税無の高累進所得税制は全国民が自分の所得を他人が増加出来て、他人の所得は自分が増加出来る相互自助税制であり、現状の1.2億人の全国民と5200万世帯の個別の所得状況を膨大に管理し、欧州型の貧しい低所得階層へ役所がお恵みを与える膨大な行政コストを掛けて役所に依存させる補助金行政は不要となり、自主独立の気概を持つ国民意識を醸成できる為、社会保障制度は憲法通り生活困窮者に対する実質調査を伴う生活保護制度や障害者制度へ集約できる為、大規模な財政再建の改善となり国民所得の長期継続的な増加の実益も得られます。
 国家は憲法で全国民へ自由平等を宣言し納税の義務を課す以上、法律のプロでは無い全納税者に複雑怪奇な税務手続きを強制し民間企業に手間のかかる事務作業を強制する他人の迷惑を考えない自由平等な経済活動の企業会計原則に反する大悪影響が出る消費税制を強制して不景気を招き倒産や自殺の原因となる消費税増税と、財政悪化を招く最悪な最高所得税率低下減税を主張する責任ある無能な政治家個人へ、我々と同様に納税者へ損害賠償責任を負うべきです。
 中小企業経営者や国民は100万円の借入でさえ個人保証して責任をとるのですから!! 

 総務省統計局の家計調査は市場経済の国民生活の収支の実態を知る唯一の手掛かりであり、個人消費支出+非消費支出(租税と社会保険料)=総消費支出は、全所得階層が生活する為の事実として「絶対的必要経費」であり、全所得階層共に時代の進化に応じて事実増加する総消費支出を継続負担する為に、個人消費の自己増殖機能である進化システムと対所得平等率負担する所得適正再配分機能を持つ消費税無の高累進所得税制は全世帯の90%以上を占める膨大な中低所得者層の高消費性向を活用できるので事実として最善効用を発揮します
 そしてカネは無色透明・無味・無臭であるので、本来は資産所得・不労所得である利子所得・配当所得・不動産所得・山林所得・譲渡所得なども勤労所得と同じ税率を適用するのが、適正であると考えています。 理由は人間の個性により不労所得で稼ぐのが得意な国民と、勤労所得で稼ぐのが得意な国民と、国家の中で多様性のある国民の才能を伸ばすには自由平等(対等)競争の中で、人為的に有利不利を作ると国家の自由平等の進化の到達先を見誤るからです。
 同じく反復性の低いキャピタルゲイン狙いの譲渡所得にしても、有限な資産を買い占めれば思惑で値段が上がる事(資産バブルの発生)を熟知する資産家の強欲を防ぐ為には税制が科学の平等扱い以外の理念で、キャピタルゲインに甘い取扱いを与える税制ではバブルを招来します。
 そして時代に応じて、その所得者本人が所得を個人消費に使おうが、貯蓄に使おうが自己責任の「本人の自由」なのが市場経済なのです。結果として所得税を課税した上で本人の自由使用の個人消費には消費税という罰金課税、貯蓄は非課税という消費税法自体が自由であるべき所得の使い道に有利不利を持ち込んだ為に経済成長に反する経済不況税制として作用しているのです
 故に自由な市場経済で総需要(個人消費+設備投資=国民所得=企業売上)を安定的に長期継続増加させ所得を増加するには国民の過剰性の本能を適正に発揮させる消費税無の対所得租税平等率負担の池田吉田保守本流税制で自力で自動増加させる方法が最善の税制です。
 更に外需の他国需要に依存すると他国経常収支赤字と他国通貨安の大迷惑になり、且つ日本が経常収支黒字で円高になる日本企業不利となるので経常収支均衡の円安株高政策が最善です
 個人消費+設備投資=国民所得=企業売上で、更に設備投資は個人消費の増加に比例して増加するからです。 更に市場経済の経済循環において「過少消費が原因で滞留する実需にならない過剰貯蓄の増加は、消費税と言う個人消費の進化システム妨害税制と、所得適正再配分機能不全の低累進所得税制が原因となって生じた因果関係の結果であり「過剰貯蓄の増加と経済不況とデフレは相関関係に過ぎず、科学の因果関係と原因事実は税制に有ったのです」
 逆に過剰消費の結果の過少貯蓄やインフレは「金利引き上で簡単に対策が取れるのです」
 故に貯蓄と設備投資が均衡増加するように、自動調整できるのが「進化システム機能と所得適正再配分機能を持った税制改革の基本的役割で、微調整が金融政策の役割」なのです。
 全国民・全有権者は常にプロパガンダ・政治宣伝を嫌い、常に真実(科学)を求めます。
 だが人間は言葉で生きており事実を隠ぺいされ更に文科系学者の非科学の権威の言葉を演繹法で解説されると人間は虚偽のプロパガンダ政治宣伝でも、真実に見えてしまうのです。
 故に民間企業が輸出したい場合は、消費地への直接投資の「他国生産・他国消費」で他国労働者を雇い他国消費者へ直接販売して他国経済へ大貢献しながら自国企業資本の増殖に大貢献する経済成長は経常収支均衡政策と進化システムの科学と個人消費の自由化促進の最短のフードマイレージになる「自国生産・自国消費」の国家の省エネの地産地消通商政策のグスタフ・カッセルの円安株高を実現して長期戦争に耐えられる食糧安保に貢献する自力経済成長が最善です。

同一種生物種では進化論通りにお互い殺しあわず自由平等(対等)競争の絶対性のルールが存在し、日本憲法より米国独立宣言の方が表現の自由や良心の自由を遵守し経済進化できる為、米国は多民族・多言語・多宗教・多文化で世界で最も経済成長しにくい国家なのに、ミルの自由論の危害原理を遵守して常識外の天才の存在を保証しているので超大国を維持できています
 そして同一種で仲間を万一にも殺して良い場合は、正当防衛に限られているのです。

 日本語の欠点として「言葉に具体底がなく」言葉の理念を深く分析せず語呂盤のようにパチパチ操れば真実らしく聞こえてくる為、事実に基づかず科学的に分析しない非科学のプロパガンダが常に横行していると「日本人とヤダヤ人」を著した山本七平氏は述べています。
 「真の科学の論理方法とは」「自由とは」「平等とは」、更に「真の公平とは」「中立とは」「簡素とは」の「正確な言葉の定義」の為の、事実に基づく科学的検証が全く不足しています
 貧困が貧困を呼ぶ負の連鎖を断ち切る、時代に適応する進化システムの個人消費の自動増加を活用する税制が最善で科学的税制改革で需要側内需主導自力経済成長と財政再建が必要です。
 経済学は集団科学として自然科学(進化システム)の力で無から有の富を生み出す学問です
 個人消費に自由無税を与えると進化システムエンジンが作動し個人消費は自動増殖します。
「消費税導入前までは消費税の民間徴税コストは0であったが」導入後は企業を「徴税機関」として人手不足の時代に徴税管理を下請させ民間の徴税コストは天文学的金額に激増しています
 更に官庁徴税コストも消費税納税義務者の法人個人計312万社で多額に達しています。
 つまり経済的に生産性ゼロの何の価値も生まない無駄な作業に全日本企業と税務署が膨大な人件費コストを掛けているのです。 故に欧州型の消費税国家の商品価格は欧州型消費税制を採用しない米国企業より無駄なコストで所得は増加しないのに商品価格だけは高くなります。
 故に消費税が廃止になると官民合計の膨大な徴税コストがゼロとなり設備投資へ回せる資金が増加し生産効率が増強し更に官民の事務系の優秀な人材が相当数不要になり生産現場へ活用できて人手不足を大改善して労働生産性が大幅向上し利益率の向上へ大貢献します。
 つまり商品原価を徹底して考えると、採掘から生産販売に至る全工程において地球から得られる自然物は全て人間以外への支払いは全く無く、故に原価は全て人間への支払いである為、商品原価は最終消費に至るまでに掛かった全人件費の累積値である事が分かります。
 故に市場経済の全租税は個人消費商品に原価算入されて最終消費者が全負担しています。
 更に膨大な商品量や取引の商品の一品一品に厳密に複数税率で消費税の課税と徴収を義務づける事は、当然にその事務処理や膨大な商品の価格表示や処理に大人件費コストが掛かり、需要の増加に貢献しない真の無駄の発生となり、労働生産性が大幅低下するので経済的に最悪です。
 また主婦の直感脳の感覚は夫の給与から天引される所得税は間接税に過ぎないという実感であり、自分が消費する買物の消費税は正に直接税で消費行為に対する罰金の痛税感を嫌うのです。
 故に消費行為への消費税を廃止し罰金の痛税から解放されると消費性向が大改善します。
 罰金の科学的定義:本人行為者に対する財産刑である事実に全く無知であり、自動車運転者に対する交通反則金の効果を調べれば直ぐに判明するのに、論理の迷路に陥っています。
 逆に個人の累進所得税は直接税なのに罰金で無い巧妙な理由を後段で詳述しております。
 故に自力の進化システムによる税制改革と自力経済成長と財政再建の同時達成が正解です。
 消費税制へ深入りするほど個人消費の多様性は失われ事実として経済縮小を続けています。

 内需主導の自力経済成長にとってコスト低減ばかりを追求する単純化・標準化グローバル経済化は最悪で、生産設備や技術の多様性と個人消費と商品の多様性の維持・承継にも最悪です。
 逆に「自国生産・自国消費」、「他国生産・他国消費」が経常黒字赤字を生まず最善なのです。
 自由平等(対等)競争によらないカネの力による強欲な経済のグローバル化が原因で世界や地方の経済の多様性と進化システム自己増殖性がどんどん失われ世界経済や日本経済の自力経済成長の機会も既存商品も技術も失われ、経済は長期継続的な停滞に直面しています。
 更に欧州型消費税制強化と低累進所得税制が「経済学の第三の危機」を招来しています。
 日本は現在でも外需依存度は15%に過ぎず、しかも他国の需要を収奪する輸出依存は常に米国の監視と為替市場の円高を招く為、財政政策とくに税制改革による膨大な内需主導の自力経済成長こそ他国から迷惑の声が出ず自由に自力経済成長できる最善の経済政策です。
 輸出依存経済成長理論は経済的に、戦前の領土拡張主義と全く同じく、根本的に大間違いなのです。 ケインズは他国の迷惑も考えない自己中で何も分かっていなかったのです。
 故に進化増殖する自然生態系と同じく、進化増殖する市場経済も「多様性の増殖が最も重要で、個人消費(需要)の多様性、供給(生産)の多様性の維持(増殖)が、進化システムにとって最も重要になります。」 「故に不自然な税制による多様性の消滅は絶対不可で、自然な自由平等(対等)競争の絶対性を遵守した競争の結果でしか消滅を追求してはならないのです」
 故に需要の大役割を担っていた多様な個人消費を消費税による抑圧と、供給の大役割りを担っていた多様な中小企業の不利扱いによる競争力低下と、政治経済の大錯誤の世界グローバル化の単純化・標準化による大企業の有利扱いによって経済の多様性が消滅しています。
 故に日本も税制改悪によって韓国と同じ経済の財閥化と貧富の格差が進んでいるのです。
 日本経済の中で大格差を生み出し続けているのは資本主義では無く、税制が原因です。
 政界のエリートは事実誤認で効果的な税制改革は全く生み出せず事実を観察せず無能です。

 潜在需要が膨大にあった時代と違い、世界経済の過半が成熟経済に到達し潜在需要が大幅に縮小した現代では、進化システムで需要を適正に創造するのが最善で「供給が需要を作り出すと定義した欧米経済学のセイの法則」や「ケインズ理論の減税乗数理論・輸出乗数理論」で長期継続的な経済成長と財政再建の同時達成に大成功した国家は皆無どころか、逆に減税乗数理論に政治生命を掛けた米国レーガン大統領やブッシュ大統領は経済成長と財政再建の同時達成に大失敗し国家破綻の瀬戸際まで追い詰められました。 同様に輸出乗数理論に国家の命運をかけた中国と韓国は国内経済循環がうまく機能せず、やはり国家破綻の瀬戸際に追い込まれています。 
 自分の頭で考えず科学の本質から外れた経済理論を信じてプロパガンダ(政治宣伝)して経済成長と財政再建の同時達成と格差改善に常に大失敗して、政治的失敗の連続を喫しています。
 つまり欧米の経済学は非科学の権威の迷信を信じている為、演繹法の非科学の経済学から脱皮できず、事実の観察と事実の再現性や因果関係を論理する科学の帰納法への大転回が不可欠で、更に集団科学である「進化システムと集団的知性の研究こそ現代経済学に必要不可欠です」
 進化システムと集団的知性の研究者は世界に少数存在し、日本の官僚の中から市川惇信、吉田茂、池田勇人等の最新科学を活用し良業績を上げた個人を輩出したが、官僚経験が無い純粋民間政治家から、最新科学を活用し良業績をあげた政治家を全く輩出していません。
 つまり国家と企業の存在目的は正反対なので科学の活用方法も正反対だからです
 故に市川惇信博士(東京工業大学大学院卒・工学博士 名誉教授・人事院 人事官)の「進化システム」や、ダグラス・エンゲルバート等の「集団的知性」など文科系学問の根幹に関わる柔軟に変化する外部環境に適応進化する事実に基づく科学理論を既存政治家は信用せず「権威者の論理」を絶対視する古く固い固定的な、事実でない理念を演繹する非科学者が文科系学者に多数存在し最新自然科学者の市川博士やエンゲルバートやダーウィンやアインシュタインの大効用の自然科学の帰納法理論を、屁理屈をこねまわして排斥しています。
 「グローバル化」や「TPP」や「小さな政府の新自由主義」や「道州制」のプロパガンダ(政治宣伝)は生物の進化論(人類も生物の一種)と経済的事実の詳細な因果関係の観察事実に全く反しており、更に集団科学の「進化システムや集団的知性」から見ると社会経済政策も社会的動物のハチやアリにも劣る最悪な政策ばかりを打ち出し理論の大混乱を招いています。
 輸入は輸入関税さえ支払えば他国と平等に自由に輸入できるのが自由貿易であり、経常収支赤字国が競争力均衡化の為に輸入関税を賦課する事は経済的に自由貿易の重大な側面です。
そして時代時代の経済環境の変化と、商品別の価格競争力の変化に適応して商品別に輸入関税で国内商品と自主的に平等に価格設定し競争させる事は保護主義ではなく自由貿易の側面です。
 逆に経済学が強欲で自己中な国家や国民を、多数誕生させ全世界を大混乱させています。

 逆に第二次大戦敗戦後、「戦前の強欲で出る杭は打って競争相手をつぶす発展性の無い」財閥企業の企業実態を税務行政の現場で良く知る池田勇人は日本の生産力の乏しさをアメリカと比較して当時のルーズベルト税制の自由平等(対等)競争の先進性に求め、経済学者達のケインズ経済理論等による長期継続的な成功実例の無い役立たずの空理空論の言葉だけの経済成長の為の減税主張等を全く信じず、個人消費の進化システムと所得適正再配分機能を発揮させるルーズベルト税制の長期継続的な成功事実だけを信じる科学への鋭い眼力と帰納法推論を持っていた、戦中に大蔵省主税局長、戦後大蔵事務次官を歴任し、米国の凄まじい物量生産を可能にした税制の持つ偉大な力を痛感した京都大学法学部卒の天才税務官僚の保守本流の池田勇人が推進した、不自然な欧州型消費税を廃止し個人消費の進化システム性と所得適正再配分機能を持つ高累進所得税制(戦後43年間の保守本流の良循環税制)の別表2 掲載通りの成功事実に基づき長期継続的な再現性を発揮する内需を連年増加拡大する長期継続の消費と設備投資と適正な貯蓄の増加を所得恒等式で所得の増加へ因果関係式で再現する科学の税制改革と自力経済成長と財政再建の同時達成を事実に基づき主張します。
 池田勇人は企業の財閥化を嫌い「個人のアイデアを商品開発に素早く結び付ける中小企業の有用性に気付き」それを米国のルーズベルト大統領税制を参考に日本へ採用したのです。
 国家は正直で誠実な全国民の為に自由平等(対等)競争の絶対性の市場を作る役割です。
 自己責任・自助努力による自由を尊重したミルの自由論における危害原理遵守(他人個人と人間社会に対する物理的・客観的危害は規制し、これ以外の主観的危害は規制しない)は個人の価値観の自由な多様性を尊重し、更に国家の多様性も尊重した思想だったのです。
 山中で道迷い、現在位置が不明ならば、分かるところまで戻るといった「基本に忠実」な科学的行動が遭難を防ぐ最善の方法です。 思い込みの推測で前へ進むのは大変危険です。
これは第一次世界大戦の膨大な戦費調達(公共事業)の為に民主党ウィルソン政権が行った当時の超低最高所得税率を10倍以上に引き上げた税制改革で長期継続的な財政再建と自力経済成長の同時達成実現の故事がありました。 その後共和党と経済学の減税乗数理論による更なる好景気招来を目指して最高所得税率の大低下減税政策を実行したのに予想に反して事実は世界大恐慌が発生し、その3年後の1932年に政権を取った民主党ルーズベルト大統領はウィルソンの故事にならいケインズ等経済学者の大反対の大合唱を歯牙に欠けず前大戦時と同じ高累進所得税制で財政再建と自力経済成長の長期継続的な大成功事実を再現しました。
 科学は、成功事実の再現性で証明するのです。 小保方さんが200回成功したと言葉やモデルで幾ら広言しても、客観的な事実として再現性の大成功事実がなければ大虚偽です。
 故に「科学とは」過去の長期継続的な成功事実の蓄積が科学であり成功すると広言しても長期継続的な成功事実が無いものは非科学で錯誤か詐欺かプロパガンダ(政治宣伝)です。
 ベーコンは科学には権威など必要ない。 科学は、「観察という確かな事実」を元にして「事実と矛盾なく再構築されるべき」と偏見に満ちた理工系学問を科学の帰納法で大改善した。
 科学とは、事実と事実の因果関係と再現性を詳細に観察し有用な真理を追求する学問です。
 市場経済と政治は膨大な数の全国民を扱う「集団科学」の分野(民間事例では保険等)であり、「正しい統計と自然科学の進化システム・集団的知性」を活用する分野です。、
 個人消費と設備投資への消費罰金税制では停滞経済に陥り、個人消費と設備投資へ消費税無税税制へ自由化すると科学の進化システムの原理原則が作動し、膨張経済を開始します。
 日本では個人消費の7割は鋭い直感脳の女性が行うため欧米より消費税の悪影響が大きい。
 更に個人消費と設備投資商品の価格には全租税が原価算入済みで消費者は事前に全租税を平等に原価負担済である為、確定申告は対所得租税平等率負担になるよう負担調整措置です。

 欧州内の欧州型消費税で長期継続的な自力経済成長と繁栄に大成功した国家は皆無です。
 更に正しそうに高累進所得税を批判し単一税率(フラットタックス)や人頭税を主張している非科学のアジテーターが沢山存在しますが、これらの非科学の税制が長期継続的に大成功した事実は皆無で大失敗実例ばかりです。 大成功事実の観察こそが「科学」なのです。
 消費税制と減税乗数理論に固執する人には長期継続的な大成功実例を示せと迫れば、答える事は出来ず、しどろもどろするのがオチであります。 つまりウソ理論だからです。
 経済成長理論も全く同じで、成熟経済で長期継続的な財政再建と自力経済成長を同時達成できる税制改革でなければ理論はウソ理論なのです。本理論は真の科学で証明しています。
 更に国家は連年税収の自然増加が無ければ安心安全に新規事業など計画出来ないのです。
故に自由平等(対等)競争の個人消費無税化の消費税無の対所得租税平等率負担の高累進所得税の税制改革で進化システムの個人消費の自由化により全所得階層で対所得租税平等率負担で有利不利ない良循環の自力経済成長と財政再建(長期継続的な税収と企業売上増加)を同時達成できる需要側の進化システム自力経済成長の税制改革と財政再建を追求しました。
 更に高所得者階層の高所得は実は膨大な数の日本の低中所得者層の個人消費で事実支えられている為、その高所得者が日本の高累進所得税制を嫌い外国へ逃避すれば情報公開によって、その人物へ所得を与えていた消費者は、その者の生産する商品を購入しなくなり国内で活躍する他の日本人の生産する商品を購入して所得を与えるようになる為、国民の義務の税制を理由に日本を脱出したい資本主義的愛国心が無い人物は、日本には全く不要なのです。
 その海外逃避者の持ち出した現預金は、その時点の徴税をしっかり行えば良いだけで、その時点以後は国内消費者から継続的な所得を得られなくなり日本へ損は全く発生しません。
「つまり経済活動は個人消費(他者へ所得寄与)ありきが、経済循環の基本だからです」
 逆に日本国籍を捨てた人間が高齢になり日本の福祉医療制度を求めて帰国する利己主義者には高率課税する制度を準備して、日本の税制下で頑張る日本国民の保護を図るべきです。
 故に米国のルーズベルト税制は最高所得税率が92%でも国家経済に悪影響が全く無く、
逆に自力経済成長で世界大恐慌対策の公共事業であるニューディール政策と第二次世界大戦で発生した大財政赤字を事実として短期間に財政再建し、低中所得階層ばかりで無く高所得階層の所得増加にも大貢献しました。国家が行うべき「公共事業と個人消費行為への罰金規制を排除する欧州型消費税無(以下消費税無の意味は同じ)+高累進所得税制の組み合わせは科学的に無敵」で事実として論理証明・疫学証明された科学的に整合性のある税制です。
 本論文は文科系演繹法の経済学によらず帰納法原理による科学的自力経済成長論文です。

 科学は事実(FACT)で論理を構築するので市場経済に有益で経済学や政治学は非事実(NonFACT)の言葉や理念やモデルで論理を演繹する宗教と同じ非科学で最悪です。
 リアルな行動=事実(FACT)で論理する陽明学と、バーチャルな非事実(NonFACT)の言葉=理念=モデル中心の朱子学とは、招来する科学の効用と効果は大違いです。
 新しい行動から新しい事実が生まれ、このうち役に立つものを選択するのが陽明学の先進性であり、既存の理念(主観的認識)だけでは新しい事実は生まれず朱子学の後進性です。
 故に人間社会では「行動」から「事実」が誕生する科学の因果関係で陽明学は最高です。
現代の文科系の経済学等は後進性の非科学の権威の理念を演繹する朱子学に陥っています。

 結果として強欲で自己中な国民や国家を経済学が多数誕生させ世界を混乱させています。
権威の事大主義や有職故実から離れ経済に真に役立つ「科学の新理論の発見」が重要です。
市場経済では科学的税制改革へ近づけば近づくほど経済パーフォーマンスが高まるのです。
 理念の政治経済は宗教と同じ非科学で最悪で、事実に基づく科学は真の正義で最善です。
 科学は言葉では無く行動の結果の「事実の観察」から帰納法で構築する必要があります。
 経済成長と財政再建の同時達成のための既存の税制改革理論や経済成長理論や財政再建理論は「事実・真実と再現性の追求が不徹底の為」、到底科学とは言えず各学派の権威に依存した理論の乱立は、真実を追求する科学とは別物の、前提条件を設けた宗教争いです。

 科学では自由平等(対等)競争の絶対性以外、何の前提条件も設けてはならないのです。
松下幸之助は小学校4年で貧乏で中退しており、20世紀最高の物理学者といわれたアインシュタインは大学に残れずスイス特許庁3級技師の時に独学で特殊相対性原理を発表しており、米国最高の発明王と言われたエジソンも小学校を3ヵ月で中退した貧乏人の子で、正規の教育を受けられないという困難に見舞われたが図書館などで独学した人物だったのです。
故に彼らは権威に依存せず「自分独自で理論を自己進化させ真実を追求した人物達」です。

 同様に国民全員は、より良い生活を追求する過剰性の本能と言う内生的エンジンを保有している為、これを自由平等に自己進化させる進化システム税制が国家発展の為の基本です。
故に人間の過剰性の本能の内生的エンジンを進化システム税制で自由化しなければダメです

 税収も企業売上の増加も順調だった消費税導入前の1980年代は官民ともに科学の基礎研究に膨大な予算を投入できたので、その20-30年後の成果が近年の日本のノーベル賞受賞者の多数受賞に貢献しているのであり、健全な税制改革は国家発展の基礎になるのです。

 民間では絶対に認められない税の強制価格転嫁や表示カルテル制度は独占禁止法の適用除外にしなければ成立できない、消費税制は自由な市場経済に不適応で不適正な税制です。
 故に自由な市場経済の独占禁止法は進化システムを自動的に作動する為の守護神であり、消費税の円滑かつ適正な転嫁の確保の歌い文句で民間では独禁法違反の消費税の強制価格転嫁及び表示カルテルは「独占禁止法の適用除外としなければならない非合理制度」です。
逆に所得税や法人税は独占禁止法違反になる要素が全く無い経済的に超合理的な税制です。

 更に過度経済力集中排除法が昭和30年7月に田中首相によって廃止され、金融ビッグバンの一環で平成9年(1997)に橋本首相は消費税の5%増税と同時に独占禁止法の財閥解禁を実行し「財閥=純粋持株会社」の復活を行い、経済活動における「カネの力」の優先順位が飛躍的に高まり、科学に重要な全国民のアイデアや気づきを「カネの力」で抑圧する環境が出来上がってしまいました。 米国にも財閥はありますが自由と平等とそれに伴う表現の自由、良心の自由が厳重に守られたシャーマン法やクレイトン法7A条の事前届出審査制度により純粋持株会社の安易な設立は抑制され、独占や寡占の弊害の抑制に役立っています。
 日本にも純粋持株会社の事前審査制度は設けられたが米国に比べて日本では「自由」も「平等」も正確に定義されておらず、米国では表現の自由の一種の個人消費を罰金規制する消費税は非導入であるのに、日本では消費税で個人消費を罰金規制する最悪な税制を徹底採用し総需要が増加せず故に国民所得も企業売上も増加せずゼロサム経済に苦しんでいます。
故に日本人の国民性は米国と全く異なり「韓国中国と同じ事大主義や、強い者にはまかれろの国民性で」「雰囲気や力に弱い国民性が国民のアイデアや気づきを規制抑圧しています」
 故に日本では意識して全ての過剰な力を排除する「自由、平等」の遵守が大切なのです。

過去の長期間の日米の別表2の最高所得税率と財政再建の因果関係をデーター観察下さい。
市場経済は言葉や理念では無く膨大な事実の集合から構築されているので科学であります。
本文は所得倍増計画の一億総中流とデフレ・インフレ解消と経済学の第三の危機解消の自力経済成長と財政再建の同時達成を再現した池田吉田保守本流税制の進化システム需要側内需主導経済成長理論
で「自由平等(対等)競争の絶対性の税制改革で総需要(パイ)を自動拡大し需要自動増加で企業の供給増加を導く対所得租税平等率負担の自力経済成長理論です」
 正しそうに聞こえた「欲しがりません勝つまでは、や、贅沢は敵!」は錯誤標語でした。
 本論文は「(文科系)学者は平気でウソをつく」を著した精神科医で評論家の和田秀樹氏や「バカの壁」(話せば分かるはウソ)や「中枢は末梢の奴隷」を著した解剖学者の養老博士やジェフ・マドリックの「世界を破たんさせた経済学者達:許されざる七つの大罪」の問題意識の「言葉で真実を追求する難しさを根本解決する科学の重要性」を著した論文です。
 文科系学者は平気でウソをつき政治家が都合よく権威づけに利用する関係にあるのです。
理工系学者は錯誤すると小保方さんのように「事実の再現性」を追求されるが文科系学者や政治家は錯誤理論でも文科系は最初から非科学と観念されて再現性を追及されずウソや錯誤をやり放題で文科系の進化には再現性のある客観的事実を追求する科学扱いが不可欠です。
 「錯誤とは理念(主観的認識)と事実(客観的)の不一致を言います」 故に政治家やエリート達が「理念、理念」と言い始めたら、今度はどんなもっともらしいウソをつくか、国民やマスコミは身構えなければならないのです。 「人間社会が行う市場経済の経済活動は事実の蓄積で出来上がっており」理念やモデルで出来上がっている訳ではないからです。
 自由・平等(対等)・競争や進化システムの科学的本質の理解によって「経済が自己責任・自助努力で成り立っている事実」を理解でき税制自身の改善無くしては長期継続的な税収増加も企業売上増加も絶対に達成出来ない事実を理解できます。コンピューターはソフトが無ければ、ただの箱で「国会議員(政治家)も中央官僚も、人間社会に役立つ確固たる科学知識が無ければ、ただの人です」経済学と税制は本来「無」から「莫大な有」を生み出す学問であり所得が先か消費が先かの議論は無意味であり需要を増殖拡大する科学的税制が重要です。故に市場経済で貧富の格差や競争格差や経済不況を発生するのは全国民へ強制適用される税制が自由平等(対等)競争の絶対性の科学の原理(後述)へ違反している為です。
 故に全国民へ自由平等(対等)競争の絶対性遵守の科学の原則で税制改革されていれば何の財政負担も不要で長期継続的に自然に自力経済成長と財政再建の同時達成を再現します。
これは膨大な数の全国民の人間個人個人が「幸福を無限に追求する過剰性の本能」という内生的エンジンを自然保有している為でそれを自然に適正に完全発揮させる税制が重要です。
 さて地球上の全国家の経常収支黒字と経常赤字を相殺するとゼロになる事実があります。
 故に国家の存在目的は自国の国富を増大する政策が重要で、長期継続的に他国の需要を収奪して他国を経常赤字にして自国の経常黒字を増加させて円高を招く輸出依存の経常収支黒字追求は誤りである事は、韓国が経常黒字を積み上げて過剰なウォン高で全韓国企業が苦しめられている事実でも明瞭です。 故に「和をもって貴しとなす」という「他国の需要や資産を収奪して自国が利を得る外需依存経済成長理論を潔しとしない」日本文化で育った優秀な日本の通産官僚なら企業の過剰生産拠点を消費地への移転を指導し当該他国の均衡ある発展に貢献し、日本の経常収支ゼロを目指し「為替相場の自動均衡作用」を活用したグスタフ・カッセルの購買力平価説の円安株高を実現して、総需要拡大の自力内需経済成長を目指す事は長期継続的に可能で、大企業へ経常収支ゼロを目標に整合性のある情報公開と経営指導を実施し、他国国民に依存せず膨大な金額に達する多様な内需拡大で一億総中流を目指す保守本流の池田税制の個人消費の進化システムの活用と、所得適正再配分機能発揮の税制で「自国の国富」の拡大増加を図る強力な需要側内需主導の経済成長が国家の存在目的です。
 このコンセプトが日本憲法や米国独立宣言で保証されている科学で再現性のある人間社会へ役に立つ自由平等(対等)競争の科学的税制です。故に官僚の能力を発揮させるには池田の能力を見極めて全官僚を統括する事務次官へ大抜擢した吉田茂首相のような先見性のある決定権者の政治家が必要です。 他国へ輸出したい大企業は消費市場へ直接投資をして当該他国へ生産拠点を移転し当該他国の経済発展へ貢献して自社資本の増殖に努めるべきです。

何故米国は欧州型消費税制を絶対採用しないのか、それは全世界で米国だけが欧州型消費税が自力経済成長の大阻害要因である事を理解している為です。これは米国の国家機密です。
故に米国は日本や欧州のような自国民不利・他国民有利の消費税による輸出還付制度は絶対採用せず米国はこの国家機密に対して沈黙を守り常に他国民と平等競争を維持しています。
 つまり他国が選択する政策が米国へ不利にならない限り沈黙を守り、誤った他国の政策でも米国に不利にならない限り尊重するのが米国です。間違ったら間違った国の責任です。
 米国は「自己責任・自助努力の自業自得」が自由な市場経済の大原則と考えています。
 日本は他国をイチイチ批判するより自国が科学的に正しい政策を実行すれば良いのです。
 人類は地球上の全生物の内、他の地球生物に無い、常に現在より、より良い生活を求めて「幸福追求行動する過剰性の本能」を持った唯一の特別な生物なのです。 故に市場経済は人間行動を「自動制御するシステム」であり、「自由平等(対等)競争の自然システムと同じく進化システムを遵守した時に限り」国家経済に役に立つ豊かさと多様性を招来します。
 市場経済には需要(消費)側と供給(生産)側の両側があり「規制改革では供給側の規制緩和を行う場合は、必ず需要側の規制緩和・自由化を同時に行わなければ不均衡となり、デフレが発生する大原則の事実があり」、「金融政策は経済の微調整の効果しかありません。」
また政策の立案者である市場経済の競争現場の末端事実の知識に無知なエリート等が自分自身の経験や常識を信じないで事実に基づかない非科学の長期継続的な成功例の無いグローバル主義や新自由主義等の理念を信じて権力にすり寄る学者等に自分達の思い付きと思い込みの政策を立案させて実施する政策決定では、非科学ゆえ再現性が無く大失敗例ばかりです。
市場経済では大成功実例がある主張を科学と言い、成功実例の無い主張を非科学と言う」
故に現状の経済再生の為の政治家が立案している政策は大成功実例の無い政策ばかりで、成功確率はゼロであり「労多くして功無の財政支出ばかりを費やす大失敗を継続しています」
税制を総需要拡大税制へ改善しないまま輸出に依存し日本が過剰な国債を発行し財政出動ばかりすれば国家の財政は極悪化し不自然な円高株安で財政再建は絶対に不可能となります。
 日本を自然な円安株高と自力経済成長体質へ改革するには経常収支の過剰な黒字を自制する通商政策と、自由平等(対等)競争の絶対性遵守の内需主導自力経済成長税制(理論)で内需と税収を長期継続的に増加する消費税無の池田高累進所得税制への回帰が最善です。

 明治維新で日本の初代内閣総理大臣になった伊藤博文は秀吉と同じ下層の貧しい百姓出身者だったのに権力を持つと権力志向の階級意識の強いヨーロッパ思想に傾倒し、自分自身を誕生させたのは自由平等(対等)競争の米国思想であった事実に気付かず、福沢諭吉や板垣退助を退けたのは大失敗でした。 結果として友愛の階級政党制を真似た伊藤博文は国会議員への表現の自由と良心の自由を抑圧する国会議員への党議拘束を容認し、結果として強欲な統治階層のプロパガンダ(国家的政治宣伝)に誘導された全国民個人と全議員個人の表現と良心の自由の大切さの無知から自由を抑圧し、友愛政党の理念で「集団的知性」や「進化システム」を発揮できない「戦前の全体主義・軍国主義思想の基礎原因」を構築しました。
 米国思想の根幹の自由平等(対等)競争の絶対性は豊かな生態系を作る「同一生物種が事実として遵守している絶対性原理と同一で、人間社会に適用すると以下の通りとなります」
 @ 天は人の上に人を作らず人の下に人を作らず福沢諭吉。板垣死すとも自由は死せず。
   同一種の生物社会には役割はあっても階級も格も無く、階級も格も不要で害悪です。
 従って国会議員同士も国民同士も皆、平等(対等)に競争して決着すべきで、自分自身の優劣は自分自身では絶対に決められず、他者の役割評価によって客観的に決定する科学的な正しい仕組みの他力本願の党議拘束無の国民政党制の整備が「集団的知性」に不可欠です。
 A 職業に貴賤無し。個人の尊重は何より重要で企業組織は個人の生活向上の役割だけ。
 B 知能を持つ人間のアイデアや気づきは個人の専権事項で組織では絶対に不可能です。
 C 自然生態系と同じく人間社会で増殖性を発揮できるのは「進化システム」だけです。


「国家経済おける無駄」と「企業経済における無駄」の全く異なる「無駄の科学的定義についての両者の経済的考察@とA」と「都市と地方の経済的役割B」について
 ここに国家経済における自由平等(対等)競争以外の企業損益的な財政支出の利益性の追求は行なってはならない原理原則と、都市と地方の役割を理解する重要性が存在します。
 故に本論は徹底して国家財政政策に役立つ国家経済を論じて、企業経済論は論じません。

@、経済成長は人間が最低限度に生きるため以上の物を常に欲求する「過剰性の本能」を活用して作られている社会で日本の国民は150年以上前の明治以前では電気も無く自動車も電車も飛行機も無く、歩いて国内外を移動する動物同様の生活で長年生きてきたのです。
 従って現代の人間社会の身の回りにある物すべてが、「科学に支えられた過剰性で満たされており、過剰性の本能を持つ人間と地球上の他の動物・生物と隔絶した相違なのです。」
 故に過剰性の部分は、人類が最低限度生き残る為には、無駄以外の何物でもないのです。
 故に生きるために必要最低限度以上のムダな貨幣の使用(個人消費=商品購入)は人間独自の過剰性の本能による文化であり、結果として他人の所得を創出する行為つまり国民所得創出行為で人類の多様性の文化であり、更に税制の所得適正再分配機能の発揮によって国民の幸福追求と生活水準の向上のための自力経済成長を実現しながら、高コストの地球環境保護商品や介護や医療等の高コスト個人消費を確保する為の根本的な所得増加の原因(手段)となるのです。  したがって適正な個人消費を定義する事が大切であり、不平等をもたらす自国民へ損害(他国民の観光客は消費税を免税)を与えたり、自己や他人の生活を侵害する恐れがある個人消費は規制すべきであり、カジノなどは、その最たるものであります。
 しかも総需要が増加しない状況で、カジノで需要を吸収すると他産業へ大悪影響です。
 故に市場経済における真のムダとは「過剰な貯蓄」と「企業利益とコストを追及するあまり消費地と生産基地を切り離す地消地産と正反対の思想で商品の移動に過剰な二酸化炭素を作り出し、地球環境を過剰に破壊するグローバル生産システム」が大問題なのです。
 最大多数の最大幸福による国家経済における無駄な個人消費や設備投資には増殖拡大の進化システム性があり必ず所得恒等式により国民所得を生産するので無駄は全く無いのです。
 ここが企業利益を追求し株主利益を徹底追求する企業経済と全く異なる点なのです。
故に国家経済における無駄と、企業経済における無駄とは区別して理解する事が大切です。
 国家経済における真の無駄とは、消費にも設備投資にもならない「過剰貯蓄」なのです。
 個人消費は人類の持つ他の生物には全く無い過剰性の本能による文化であり、人類生き残りに必要不可欠のものであり経済と経済成長のために常識と異なり重大効用があるのです。
 しかし個人消費の増加は「消費税無の高累進所得税制下で無ければ増加出来ないのです」

 たとえば国家を巨大な企業と見れば、巨大な無駄と直感される古代エジプトの何の付加価値も利益性も生み出さないピラミッドの建設が1000年以上続けられ、これが巨大な公共事業の所得再分配事業でありエジプト文明を興隆させたという説がある事や、私の理論から、利益どころか破壊をもたらす歳出の巨大な浪費と非効率をもたらす戦争と高累進所得税制との組み合わせの時に限り、景気の急回復が図られている事実から国家財政には利益性を求める事は全く無意味であり経済成長には害悪であり国家財政の歳入政策、つまり消費税無の高累進所得税制こそ自力経済成長の重要なポイントになるのです。 戦争とは口は悪いが、巨大な公共事業に過ぎず、直感的には無駄な事業と思うのに、好景気をもたらす結果が出る事実は、高累進所得税を支払ってまで国民が支持している無駄は、無駄では無いのです。
 故に国家経済は情報公開の中で全国民による「自由平等(対等)競争の絶対性遵守のルール(間接民主主義であれば国民政党制:国会議員の良心の自由が確立された)の下で」最大多数の最大幸福を目指すのが国家の存在目的であり、全有権者の過半以上賛成で決定される事ならば何でも実行できるのが国家であり利益性等を事細かに議論する必要は無いのです。
 つまり国家は攻撃されれば利益や効率を度外視して戦争さえも受けて立たなければいけない存在だからです。 つまり国家(国民の集団的存在)は企業と全く異なり、国民が生まれてから死ぬまで国民個人と寄り添って利益性や効率性を無視して国民の幸福を追求しなければならない存在なのです。これが効率性重視で利益を追求する企業経済と大きな違いです。
 つまり国家を巨大な企業のように考える思想があり、国家に利益性や効率性を追求する新自由主義思想が蔓延しており、行き着く先は、働かない高齢者や身体障害者や生活保護世帯等のカネが掛かり付加価値を生まない国民に対する攻撃性が相模原障害者施設殺傷事件に端的に表れ始めました。しかしこれらの働けない階層が存在する事による巨大な需要(本人たちの個人消費と国民の納得した財政支出)の創出が自力経済成長の大原因になっています。
 進化システムの個人消費は人間以外の組織も企業も機械も絶対に創出出来ないからです。
 故に「進化システムで最大多数の最大幸福を追求する国家の存在目的」と、「国民の一部の株主階級の利益追求の企業の存在目的」は全く異なるという事実の認識が最重要です。
 故に人間社会は効率重視だけでは絶対に成り立たない部分があるのに、それを追求した結果が独裁国家による弱者の抑圧や大量虐殺に繋がっています。 このような思想は一見強い国家を作り上げられるように見えて事実として長期継続的に成功した国家は皆無なのです。
 これが社会的動物の不思議な特性であり、働きアリでも巣の中に全く働かなくて、エサだけもらって全く問題なく暮らしている相当数の個体が存在する事実が確認されています。
 つまりそのような存在を容認する事で「集団の維持」を実現しているのであって、常に効率ばかりを追及していると集団が疲弊して長期継続的に集団を維持できなくなるのです。
 永い人類の歴史の中で「批判の多い表現の自由の民主主義という制度だけが、確固として生き残ってきた事実を再認識する必要があります」 つまり社会的動物であるアリやハチの社会も実は女王が重要な決定を下している訳で無く末端の膨大な数の働きアリや働きバチが重要な決定を集団的知性で協同で下していたのです。皆に大事に守られ外部と接していない女王には現状認識できず、逆に働きアリやハチは常に現状認識し競争し決定できるのです。
特に人類は科学の進化がすごく需要さえ増加すれば生産性は天文学的に向上できるのです。
これによって全国民は自己決定した事業は自己責任の経験を積み重ねる事が出来るのです。
ここが企業経済における無駄の徹底排除と、国家経済の無駄の意義が全く異なる所です。
 しかも国家経済の資金循環は下記の通りであり、この中で預金を取り崩したり借入したりして自己の意志で増加できるのは自由平等(対等)競争の進化システムの個人消費(商品購入)だけであり、設備投資の増加は個人消費(商品購入)が増加した場合に限るのです。
 逆に所得は下記の所得生産式以外では、自ら預金を取り崩しても借入しても自己の意志で
は全く増加出来ない非進化システムなのです。
 従って我々が規制すべき個人消費は人間個人や社会に現実に被害を及ぼす恐れがある個人消費だけであり、これ以外の個人消費に道徳を持ち出し規制してはならないのです。
(左側)現状の経済学の所得恒等式的数学理解  (右側)筆者の代入式的数学理解
 (左辺)  (右辺)              原因(左辺)  結果(右辺)
 所得=個人消費+設備投資           個人消費+設備投資=―>所得
  (所得恒等式という)          (人間の無意志下で行われる所得生産式)
 所得=個人消費+貯蓄             所得=―>個人消費+貯蓄
                      (人間の意志下で行われる所得変換式)

 設備投資=貯蓄(貯蓄恒等式という)   設備投資<―=貯蓄(貯蓄設備投資変換式)

(本式の利点)等式と考えると左辺と右辺を同時に増加させる方法で迷路に陥るが、代入式と考えると所得を生産するには
「右側の左辺の原因の増加だけを考えれば良く」再現性のある科学的な因果関係式となる。

 上記の通り「所得生産式は個人消費+設備投資=―>所得」であり、経済的に見れば全
ての個人消費や設備投資(ムダと思われる資金使用)でも結果として経済循環資金に投入
され経済成長に役立つ資金となるのです。 つまり国家経済では一度市場に出て経済循環に投入された資金は「過剰貯蓄か不正蓄財による滞留以外」必ず経済循環して消えて無くなることはないのです。 つまり自由平等(対等)競争の絶対性だけを遵守すれば良いのです。
 逆に所得の変換式や貯金投資変換式で明らかなように「過剰な貯蓄」は設備投資や個人消費に変換されず所得にも等価変換できないので経済的に見れば循環資金とならず「退蔵資金」となり経済的に見れば「経済成長にも国民所得の増加にも役立たない全くの無駄(道徳
的には良しとしても)」になり市場経済に合成の誤謬を発生させるのです。
 ここに経済と道徳の違いによる大誤解が生じるのです。
 従って個人消費の無駄の効用により、先進国は経済成長を果たし、自国民の一人当たり
国民所得の増加と生活向上を果たしてきたのです。
 実例を若干例示すると、人間が生きるために絶対必要とも思われない、第三次産業のサ
ッカー、野球、競輪、競馬、その他の各種スポーツ、歌、アニメ、ゲーム、漫画、映画な
ど数限りがありません。
 無駄を生産する人がいて、消費する人がいて、経済は成り立っているのであるから、経
済の基本は国民合意の上でドンドン無駄を作り、それを消費し、高累進所得税制のフィル
ターを通すと所得適正再配分機能が働き、高消費性向の低所得者層に所得が再配分されて、国民所得は増加し高経済成長となり、財政再建が果たせるのです。
 その際に重要な事は地球の環境保護教育や情報の公開を徹底して行い、国民の消費者教育を行い、これらに役立つ適正な個人消費と生産を行う制度を国家が整備することなのです。
 さて無駄な?公共事業のニューディール政策と高累進所得税制の組み合わせこそ世界大
恐慌が招いた米国の深刻な経済不況からの脱却政策だったのです。
 つまり無駄な個人消費や設備投資をしても資金が消滅するわけではなく所得として還流
し循環するから全く問題が無く、問題は資金を個人消費や設備投資に使ったりせず単純に「退蔵貯蓄の死に金として資金を滞留させ循環させない、高所得者層の経済的強欲さが大問題」なので、更にそれを強欲な資産バブルのマネーゲームで資産買い占めで値上がり益を狙う使用は最悪です。 故にここに対所得平等率負担の高累進所得税制の必要性があります。
 だから結果として成熟経済に到達しても、人間の生きるために必要以上のものを欲しが
る過剰性の本能によって、適正な無駄と思われる個人消費や設備投資によって所得が生産され、そして所得再配分が適切におこなわれ」、国民が飢える事なく、その時代、その時代の
あらゆる環境に適応した「現状より、より良い生活を無限に欲求する人間の強烈な本能に
よって個人消費や設備投資が積極的に行われれば経済成長は無限に持続可能なのです。」
 環境が変化する以上人間とってこれで満足などと言う状況は絶対に到来しないのです。
  しかし無駄には地球資源消耗と言う副作用も伴うので、早く地球資源消耗型の無駄経済
から高コストの再生資源・循環資源利用型の過剰性経済(無駄適応経済)へ移行する見本
を示さなくては世界経済が資源枯渇と環境破壊で終わりを迎えてしまいます。

 しかし根本的に人間は「衣食足りて礼節を知る」のことわざでも明らかなように、衣食
が満たされ現在を生きる心配が無くなると、始めて「周囲や将来や環境に気遣う意識が現
れてくるのです。」  人間は中途半端な経済段階を乗り越え、全国民の個人消費が充足された真の成熟経済段階に到達して始めて「国民は自分達自身と子孫の生き残りの為にも環境保護を真剣に考えるようになるのです。」 
 これは地球環境保護意識が成熟経済へ到達した国家の国民ほど高いことでも明らかです。
 先進国の企業と国民は高コストを負担し科学技術を発達させ、「生産から廃棄までを考えた地球資源循環利用型」の商品を大量生産・普及し、良質な個人消費生活である、「地球環境を破壊しない経済」へ早く移行し、発展途上国と国民へ見本を示さなければなりません。
 資本主義市場経済では全てを規制や強制ではなく「価格(コスト)」と「国民意識」の
改善でによる自由競争で解決しなければならないので、経済成長は絶対に必要なのです。
 もし自給自足を離れた中途半端な経済において、経済成長の無い状況を作りあげると、
人間は現在を生き延びることに必死となり競争は激化し、国民所得が増加しないので地球
環境保護に反する、安価な地球資源消耗型の商品しか購入出来なくなるので、企業も科学
技術の粋を集めた地球環境保護と利便性を両立させた高コスト商品を大量生産販売できな
くなり、コストも下らず商品は普及せず、地球資源消耗型経済から抜け出せません。

A、ムダとは何であろうか?
 日本は江戸時代の終焉の開国(安政5年、1858年)から2007年現在、明治・大
正・昭和の大問題を経て平成となって、わずか149年しか経過していないのです。
 1929年のアメリカで発生した世界大恐慌からも、現在わずか78年しか経過してい
ないのです。
 地球上に単細胞生物が誕生した6億年まえから生物は進化を続け、ついに旧人誕生は概
ね20万年前と考えられており、現代人の新人誕生は概ね4万年前と考えられています。
 それでは人間が生きるために必要最低限の生活を維持してきた時代をいつにするかによ
って、それ以後に誕生した商品とサービスは全てムダであり、ムダを生産し、消費して経
済活動を行っているに過ぎないと考えられるのです。
 私はとりあえず250年近く続いた江戸の鎖国時代の生活水準を日本人の生きるための
最低生活維持条件と考えると、この生活を現代の全国民1億2000万人が維持するには、
現代の生産力をもってすれば、2割の2400万人の労働人口で充分維持できると直感し
ています。  つまり現代の8割の人間はムダを生産し消費しているのです。
 つまり人間が生きていくための最低生活では、自動車も新幹線も電車も飛行機も不要で
あり、もちろんビルも電気もガスも電話も携帯もデレビもパソコンもゲームも野球も不要
なのです。  結局のところ何がムダかの議論は無意味であり現代生活のほとんどが最低限生きる為にムダであり、我々は過剰性を身にまとい、過剰性を食し、過剰性の住居に住んでいるのです。  つまり我々人類は過剰性のムダを生産し個人消費して等価変換結果の所得(所得の源泉)を分配しあい生活している生物なのです。
 この根本的な問題意識を経済学者はもっともっと議論すべきです。

 したがって経済活動は無駄そのものであり、無駄を分配して生きているのであるから、
道徳や修身を持ち出して無用の無駄と、有用な無駄と区別し、無駄を排除しようとする試
みは国家経済においては全く無意味どころか害悪でしかないのです。
 国家経済では「自由平等(対等)競争の絶対性の遵守だけで」利益性の追求はダメです。
 結局、株主利益を追求する民間企業の活動には無駄を排除する効率的思想や、その基本となる貯蓄優先思想は重要ですが、国家経済では過剰貯蓄は経済的に大無駄なのです。
 つまり利益追求を目的とせず、市場経済全体の増殖拡大を目的とする国家経済には自由平等(対等)競争の遵守以外に修身や道徳を持ち出して、無駄を排除することは、国家経済に「過剰貯蓄という絶対的な無駄」をもたらし害悪ですらあるのです。
 逆に国家経済においては国家の過剰消費や過剰設備投資は市場経済の循環に算入されるので、道徳的にはともかくとして経済的に決してムダにはならないのです。
 国家経済においては、銀行等を通じて個人消費や設備投資に使われない「過剰貯蓄こそ
究極の害悪をもたらす無駄」であり「労働者の給与として分配された結果のどんな個人消
費、設備投資も」全く無駄では無いのです。
 したがって「無駄な公共事業や国家事業という記事や表現は根本的に誤っており」正し
くは「国民が関与する自由平等(対等)競争によらず、一部の政治家や官僚の利得意志に
よる事業」は違反と言うべきなのです。
 つまり我々人類は過剰性に生きる生物である以上、徹底して過剰性の科学を発展させ、
地球環境の中で生き抜く道を見つける以外、生き残ることは出来ないのです。
 つまり全ての無駄に見えることは、無駄から所得が生産されるのが経済であるので、個
人消費や設備投資に無駄はないのです。
 国家の業務に民間と同様な効率性や利益性を求めたがる主張がありますが、全くの誤り
であり、国家の存在目的で大切なのは自由平等(対等)競争のルールを厳守した国家事業
を行うことであり国民全員の幸福追求や、生き残りの追及であり、結果として所得の適正

再配分の仕組みを作ることなのです。
 国家事業の内、問題なのは「経済的な絶対的無駄=過剰貯蓄」と「地球環境に被害を与えたり人間の社会生活に不平等や被害を与える事業」だけです。
 国民所得の大部分は無駄な個人消費と設備投資の等価変換結果に過ぎないのであり、無駄な個人消費も設備投資も実は国民所得を生成するという意味で無駄では全くないのです。
 私は消費を美徳とも悪とも、言っているわけではなく、淡々と重要な事実を述べている
に過ぎないのです。 従って人類は無駄と思われる努力を通じて早く地球環境保護経済つまり地球資源循環利用型経済へ移行する科学技術と個人消費へ到達しなければなりません。
 しかし経済には絶対的無駄、つまり真の無駄である過剰貯蓄が存在するのです。

 その前に市場経済における貨幣の効用をお話したいと思います。 「貨幣とは」個人消費、設備投資、所得、貯蓄とともに作り出される「需要と供給」と言う経済活動において商品移転の手段としてベルトコンベアの役割を果たすものであり、商品は無限に生産でき、同時に寿命が尽きると無限に廃棄されるが、貨幣は無限に循環するが、廃棄されることは絶対に無いのです。
 したがって市場に出たカネは「退蔵貯蓄以外」消えてなくなる事は絶対に無いのです。
 発展途上国援助も経済の最初の離陸(テイクオフ)には若干の資金は必要になるが、敗
戦の焼け野原から他国の援助も受けず国家が膨大な借金もせず復興した日本のように、後は人間の本性である進化システムの個人消費の自己増殖作用を尊重し増加する個人消費と設備投資の合計値を国民所得の増加に等価変換しながら自助努力で自力経済成長できるのです。
 それでは援助しても援助しても、果てしの無い資金不足に陥る途上国経済は「何の無駄が発生しているのでしょうか」。 それはその経済ではしっかりした税務署機能が整備されておらず「過剰貯蓄、資金退蔵、外国への不正資金持出」の為に資金の国内循環が枯渇してしまい国内個人消費にも国内設備投資にも貨幣が循環しないという経済の絶対的無駄(死にカネ)の発生を国家が容認している為なのです。 税務署機能は経済成長に不可欠なのです。
 つまり個人消費や設備投資には経済的にムダはありえないが、貯蓄には貯蓄すればする
ほど過剰貯蓄は絶対的な無駄となり資金循環を枯渇させ、市場経済の循環資金量を減少さ
せ、経済へ甚大な悪影響を与えるのです。
 ケインズも「国内個人消費にも国内設備投資にも使用されない、過剰貯蓄は害悪である
と明言しているのです。」 したがってこれを避けるためには、消費性向の低い高所得階層(逆に言えば貯蓄性向の高い高所得階層)へ納税者統一番号を伴った対所得平等率負担の高累進所得税制によって応能負担を強化する事によって、国家の所得再配分機能を強化し、高消費性向の低所得者層への資金循環を強化し、国家全体の消費性向を引き上げ国民所得を増加生産することは資本主義市場経済の自力経済成長するための絶対必要条件になるのです。
(筆者注.消費性向+貯蓄性向=1)
 結局のところ、高累進所得税制は強力な自力経済成長エンジンとなり、常に景気過熱とインフレの危険性が付きまとうので、その際、国家は財政支出を極小化してブレーキを掛けな
ければならないのです。 これが財政再建を早期に実現できる秘密なのです。
 景気過熱のインフレなら公定歩合引き上げと財政出動削減で簡単に対処できのです。
 逆に消費税増税や低累進所得税制は自力経済成長へブレーキとなり、常に景気後退とデフレの危険性が付きまとうのです。
 したがって国家エリートである財政当局は、その時代時代の経済環境に合致した税制を、
勇気を持って選択する必要があるのです。
 たとえば巨大なムダと直感される、古代エジプトの何の効率性も利益性も全く生み出さ
ないピラミッドの建設が長年続けられ、これが巨大な公共事業の所得再分配事業でありエ
ジプト文明を興隆させたという説があることや、私の理論から、効率どころか破壊や道徳に問題がある歳出の巨大な浪費をもたらす戦争と高累進所得税制との組み合わせの時に限り、景気の急回復が図られていることから、国家の効率性や利益性と経済成長つまり景気とは全く無関係であり国家の歳入政策、つまり税制・高累進所得税制こそ自力経済成長の重要なポイントになるのです。 戦争とは口は悪いが、巨大な公共事業に過ぎず、直感的には無駄な公共事業と思うのに、好景気をもたらす結果が出ることは、高累進所得税を支払ってまで納税者と全国民が支持している無駄は、無駄では無いのです。
 結局、経済成長にとって大切なことは、歳出構造の議論より、歳入構造つまり税制改革
の方が重要なのです。 そして大量の国債を発行し、巨大な公共事業つまり巨大な財政支出を実行しても所得適正再配分機能を強化した高累進所得税制でなければ経済へ良い影響は全く得えられず、消費税ありの低累進所得税制下では大量の国債が残り財政は極度に悪化することは日本の実例で明らかです。 勿論私は戦争礼賛論者ではないので、ご安心下さい。
 しかし旧ソ連が自国だけが生き残りたいために、正反対の思想のナチスヒットラーと相
互不可侵条約を結んだり、日本軍国主義と日ソ不可侵条約を結んだりしたために、ドイツ
と日本が南方へ進出する基礎を作ったような、自己中心的な政策に加担することには絶対
に反対します。 我々は「国民一人一人の自由平等(対等)競争原則の絶対性」を守るために、同価値観の国々と力をあわせ、断固戦う必要が出てくる場合があることを、常に肝に銘じていなければならないのです。 自国だけ助かろうと不可侵条約まで結び油断したスターリンのソ連はナチスの奇襲攻撃に大被害を出し戦死者は軍民あわせて2000万人(日本の軍民合わせた大戦の死者は300万人)に達したことを決して忘れてはなりません。
 自業自得でツケは必ず自分へ戻ってくるのです。

B、都市と地方の関係は心臓と末梢の毛細血管の関係と同一です。
 生物では一つの個体と群体があるが、群体は結局、高度には進化しなかった。
 生物が各種の臓器を統一的にコントロールして一つの「個体として機能する生物」は極めて高度に発達進化し、最終的に人類が誕生したのです。
 したがって国家は「人間の個体集合」である以上、国家を人間の生物機能を拡張した一つの生命体と考えることが大切で、都市と地方の問題は、心臓と毛細血管にも例えられます。
 心臓は心臓のみで生きることは不可能であり、毛細血管は毛細血管のみで生きることも
不可能なのです。 経済活動を見てみると、地方に設備投資された公共事業の資金は、結局色々なルートで市場経済原則に則り個人消費の増殖に伴う所得の増殖を繰り返しながら大企業や国家の中枢が存在する東京に吸い寄せられてくるのです。 そしてその資金をまた地方へ再配分使用することにより、資金は常に血液のように日本中津々浦々まで栄養を運んで循環し、日本全体の所得構造や立地条件・生活水準を向上改善するのです。
 これはまるで人体の心臓と毛細血管の関係や脳と末梢神経の関係に酷似しているのです。
 したがって現在、都市の税金は都市のみで使い、地方の税金は地方で使うべきとする、わがままな利己主義が正しいと信じられ、国家内の異なる地域や所得階層の異なる部分の循環均衡のとれた発展を目指す所得再配分機能を強化する国家哲学と正反対の国家哲学であり、道州制の議論や地方交付税の大幅減額と税源移譲が盛んに行われ、道州制を採用すれば、ほとんどの問題が解決するかのような議論が行われていますが、事実として世界中で道州制で長期継続的に大成功した実例は世界的に皆無な非科学政策なのです。 事実として究極の道州制を取っていた徳川幕藩体制を明治維新の中央集権体制で大成功したのです。
 本当に国民の生活向上にとって道州制が効果があるのか、機能は発揮するのか理念ではなく事実を元に詳しく検討する事が最重要です。 政治家へ責任を取らせる必要があります。
 特に地方経済の発展のためには、良く調べて実行しなければ結果として消費税導入や戦前の大不況のような大失敗を、またしでかします。 地方交付税の配分は客観的な数字で自動配分し、カネの使い道は情報を公開して地方自治体に任せることが重要です。
 だが私には自由平等(対等)競争を遵守せず事実に基づかず世界で長期継続的な大成功事実が無い、理念や理屈をこねくり回す非科学的な道州制が成功するとは全く思っていない。
 昭和の終わりまで大成功した国家システムを放棄するには、新しい国家システムの結果
予測が大切であり、民間経営なら厳しい検討は当たり前の事だからです。 主張する以上、予測が違えば政治家の責任を、常に厳しく追及すべきです。
 現在生き残った生物は、地球生命の誕生の6億年前から、厳しい地球環境の激変を何回も乗り越え競争し、一度も絶滅しなかった地球史上最強生物の子孫であり、地球自身や太陽系
自身の激変以外には、この世の終わりなど存在しないのです。
 まず成功した実例と事実を信じ、科学的に足らざるを補う工夫をすることが先決です。

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((文科系学者は非科学の演繹法なので、偉大な科学の理系の帰納法へ大転回する時です))

(本論文の結論部分 以下約1200文字)
 科学は地球上で時代時代の環境に適応し無限に自動増殖する自然生態系を自然システムや進化システムと呼び自由平等(対等)競争の絶対性を遵守する国家経済にも適用できます。
 故に直接現場で汗水たらし働いている人達と政治が本論の進化システムの総需要自動拡大税制を「原因」で引き起こす、総需要の自力拡大の「結果」を経済学の所得恒等式で国民所得の増加へ等価変換する「経済学の因果関係式」で自力経済成長と財政再建を税制改革で完全実現すると全従業員の長い人生へ夢と希望が出現し、全所得階層の平均で対所得給与平等率昇給で報われる為、競争の中で全社一丸となってやる気の出る企業体質へ大改善します。
 つまり私が「人間社会の経済成長(進化)に有益で効果的な税制と政治」を分析する過程で見つけた日の目の当っていない「進化システムと集団的知性」(既に世界に少数の研究者が存在する最新科学)が実は重大で科学的な自力経済成長の手段になる事を発見しました。
 この「進化システムと集団的知性の集団科学」は地球上に存在する全動植物中、唯一過剰性の本能を持ち且つ高度な知能と知性を備えている社会的動物の人類に適用できるのです。
 つまり人類と言う社会的動物が地球上で無限に進化(経済成長)する為には「過剰性の本能の知能と知性を国別に集団科学でコントロールする仕組が必要であり、それが本論の最新科学の進化システムと集団的知性」で「自由平等(対等)競争の絶対性遵守」が結論です。
 そして人間の脳は他の地球上に存在する全生物種と全く異なり高次RAM構造なのです。
 さてROMの構造ですが、これは『Read Only Memory』の略でして、その名の通り読み出し専用のメモリの事で書き込む事は製造段階での1回のみ可能で、これにデータを追加したりする事はできません。 そのかわり電源を切っても記憶内容が消えない(この事を『データの不揮発性』と言う)のです。 身近な例で言うと、プレステ等のゲームCDとかも同様で パソコン関連機器で言えば、CD−ROMやDVD−ROM等々がそうです。 同様な脳構造を持つ昆虫が親に教えられてもいないのに精密複雑な行動できる不思議な理由です。
 続いてRAMは『Random Access Memory』の略でROMと違い記憶内容を自由に読み書きする事ができ進化した知識を後世代に伝達する教育改革の重要性を表しています。しかし電源が切れると記憶内容も失われてしまう為(データの揮発性)コンピュータ本体内部のメインメモリも実はRAMであり、新知識を後世代に伝達する教育の重要性を表しています。
 韓国や中国の歴史認識の日本との差異は正に事実の記憶伝承の科学的正確性の有無です。
だから言いたければ言わせておけば良く、日本は日本で正しい主張を続ければ良いのです。
科学の結果は全て自業自得に自分へ回帰するので他国の言い分など無視すれば良いのです。
自由主義社会では表現の自由が認められ、その中からいずれ真実が明らかになるからです!

 経済成長と財政再建の同時達成の為には「長期無継続的な自力経済成長と毎年自然増収を実現する税制」と「円安株高の経済良環境を構築する通商政策」の以下が絶対不可欠です。
 経済成長には縮小均衡経済は最悪で、進化システム税制による拡大均衡経済が最善です。
経済成長させ常に社会へユトリを創造しないと安全維持のコストが削られ未来が危険です。

(1)税制については個人消費の進化システム性発揮の欧州型消費税制無と所得適正再配分機能を持つ対所得租税平等率負担の高累進所得税制によって、個人消費の自然な進化システム増殖性発揮と、低中所得階層へ所得適正再配分による高消費性向の自然活用が重要です。
(2)国内外の競争力を均衡化(対等化)する為、他国の経常収支を赤字にしない、迷惑を掛けない通商政策の「経常収支0政策(輸入した金額だけの輸出)への自制」が重要です。

現状の文科系学問では「相関関係は因果関係を含意しないという 科学や統計学で使われる2つの変数の相関が自動的にもう一方の原因を意味しないという原理原則に無知なのです」
 つまり「科学とは原因と結果の帰納法の因果関係で理論展開する学問なのに政治家や学者が無効用の演繹法の相関関係で理論を展開するので錯誤の国家政策ばかり立案しています」
更に現代経済学や税制は「自由平等(対等)競争の絶対性という科学的判断基準」が欠落しているため「正しい現状認識」も「相関関係と因果関係の区別も出来ず」大混乱状態です。
 産業革命は、2000年以上続くアリストテレスから始まる演繹法論理を、F・ベーコン(1561-1626)が自然科学学問を壮大な帰納法論理へ体系化し最新の帰納法(帰納法主・演繹法従)で産業革命を大成功させる科学の基礎理論を確立し飛躍的な革新を実現しました。
 故に理工科系学問は事実に基づく帰納法論理の科学であるが、現状の文科系学問は人間個人の不確実性を前提に非事実で非科学の理念やモデルや信念に基づく演繹法論理に未だに固執しています。 逆に現代は正に「人間社会を事実として集団として捉え、不確実性を徹底して排除した確率論・統計学で確立されている大数の法則で、編集されていない生のリアルな統計的事実から理工科系の帰納法論理の科学で活用して、人間社会の幸福追求の、最大多数の最大幸福を実現する確率的で無駄の無い事実に基づく帰納法論理の科学で再現性を確かめた効果絶大な税制や制度へ、文科系学問を演繹法から帰納法の科学へ、コペルニクス的大転回が絶対に必要な時期になりました。ギリシャの財政再建の現状を見てもアリストテレスの演繹法では有効な財政再建と自力経済成長の同時達成の財政再建理論を生み出せません。
 人間は自己決定権のある個人消費を他人の所得へ自動的に等価変換できる「特殊な事実を発見し経済成長してきた動物です」 故に消費税無の高累進所得税制を採用して「貧乏人は麦を食って生き残れ!金持ちは税金を払え!」を長期継続すれば科学的税制の偉大な力によって金持ちも貧乏人も皆豊かになると説いたのは戦後復興の端緒を開いた吉田茂の秘蔵っ子の税務署長経歴も長く苦労人であり大蔵省税務官僚を歴任した保守本流の池田勇人でした。
 故に自由な市場経済では総需要(個人消費+設備投資)の安定した長期継続的な増加拡大を保守本流税制による個人消費の進化システム遵守と所得適正再配分機能を持った消費税無の高累進所得税制で自動実現すれば一円の財政負担も無しに科学的に自力経済成長も税収の長期継続的な増加も簡単に実現できる為、安心安全に確実に財政再建も実現できるのです。
 本論はその仕組みを過去の日米で長期継続的な大成功実例「消費税無の池田高累進所得税制税制、消費税無のルーズベルト大統領高累進所得税制、消費税無のウィルソン大統領高累進所得税制を研究分析して、本論税制の経済効率の高さと再現性を事実で証明しています」
 米国は理工科系ばかりでなく世界で唯一文科系学問の政治や経済も帰納法(帰納法主・演繹法従)で維持されて構築されているので、大誤りが少なく世界一の超大国を維持できています。更に米国は神の前では聖職者も信徒も皆平等を唱えるプロテスタントが建国した国家であり「社会組織や文化の根底には宗教が有り」徹底して自由平等(対等)競争の絶対性の思想が存在する「八百万の神を持つ自由平等に寛容な日本と極めて類似性を持っています」
 つまりプロテスタント(抗議する人々)は、カトリックの信徒より聖職者を上位として組織化し特別扱いする思想に抗議して、ルターの宗教改革を通じて米国を建国したのです。
 つまりプロテスタント中心の米国と、カトリック中心の欧州は基本的に水と油なのです。
 故に日本の思想や税制や制度は必ず米国を参考にして、欧州を真似てはならないのです。


 更に罰金(ばっきん)とは刑罰の一種で自由行為の規制の為に本人行為者から強制的に金銭を取り立てる財産刑で正に消費税は個人消費の本人行為者から取立てる罰金と同一で個人消費行為の大妨害要因で逆に何故所得税が罰金にならないか科学根拠は後段で詳述します。
「税制は国家なり」であり「本論税制は科学で総需要へ好影響を与える技術革新なのです」
 科学とは事実に基づく帰納法主・演繹法従の論理体系で理工科系学問が採用しています。
 『科学には」権威など必要ない「観察という確かな事実」を元にして「観測事実と矛盾しないように帰納法で考え再現性を追求する論理体系を科学と定義したのはベーコンです」
 文科系学問は事実に基づかない、権威による理念やモデル中心の論理体系であるアリストテレス演繹法体系ゆえに事実追求を忘却した非科学であり不自然で非効率で且つ危険です。

「競争の格差」から生まれた「貧富格差」「所得格差」「健康格差」「生命格差」等の経済的な全ての格差の原因は自由平等(対等)競争の絶対性に違反する自己中の高所得階層のエリート達が有利になる不自由、不平等の、進化システムの個人消費を税制で規制し、更に対所得租税不平等率負担の所得税制を強制適用した結果であり、結果として全国民の1%以下の超高所得階層有利、99%以上の中低所得者層不利の税制に全てが起因・原因しています。
 これらを完全に解決するには、まず自己増殖拡大性のある進化システムの個人消費の完全無税化と所得を適正再配分する対所得租税平等率負担の高累進所得税制が必要不可欠です。

 「錯誤・誤りとは、理念(主観的認識)と事実(客観的)の不一致を言います」
 故に政治家や経済学者達が長期継続的な成功事実も確かめないまま「理念やモデル」と言い始めたら、今度はどんなもっともらしい言葉で事実に反するウソ理論(プロパガンダ・政治宣伝)を主張するか国民やマスコミは身構えなければならないのです。人間が行う市場経済における人間社会の実生活は「リアルな事実やリアルな統計の集積で出来上がっており」バーチャルな理念やモデルや編集された統計で構築されている訳では絶対に無いのです。
 故に「科学とは」過去の長期継続的な成功事実の蓄積こそが科学であり、小保方さんのように理工科系分野でも成功すると何回広言しても再現性がない場合や、文科系でも長期継続的な大成功事実が無いものは、非科学で錯誤か詐欺かプロパガンダ(政治宣伝)なのです。

((総需要の拡大税制と経済循環について)) 
経済成長は需要側の増加拡大ありきが出発点なのに、個人消費の増加を消費税で罰金規制している現状税制は最悪で、最善の「国家(政治家)の役割り」は過去に日米で大成功し証明済の消費税無の高累進所得税制である総需要拡大税制(理論)の採用による「長期継続的な総需要の増加拡大」であり「企業(経営者)の役割」は総需要の増加拡大に適応した科学による新製品の開発と新技術による労働生産性の向上で総需要の増加拡大を消化する事です。
 現状は「全国民個人へ強制適用される所得税や消費税」が現実の経済的人間行動へ適正に適応していない事実が大問題なのです。特に「所得の使い道は、個人消費と貯蓄しか無いのに、個人消費は全額罰金課税、貯蓄は全額非課税の消費税は所得の使い道に国家が意図的に不平等に介入し所得の使い道を貯蓄へ有利誘導している事実は全国民個人が行う経済的人間行動へ極端な不平等をもたらし需要側の個人消費の増加の進化システムを大妨害しているのに加え、経常収支黒字を増強すれば自由な為替相場が各国の経常黒字を0に近づけようとする自動均衡作用が働き購買力平価説も働くので必ず円高になり、輸出企業の採算性は悪化し更に大量の激安商品が日本国内へ流れ込み国内の内需企業の採算性は更に悪化し、日本経済は自力経済成長が全く不能になってしまいます。経済学へ科学的な発想の転換が重要です。

 更に「金回りの良い活力ある自由な市場経済を構築するには」、市場経済の原理原則として原材料の採掘から生産加工・販売に係る全法人個人企業は、自社経費や全租税を自社商品の原価(コスト)へ全額を原価計算で原価配賦して個人消費させ販売して「原価資金回収を行い」その資金で「全原価を支払う経済循環」で国家への全租税の納税も、その一環です。
 この家計・企業・政府を循環する無限の資金の流れを「経済循環」と言います。 本論はこの経済循環全体を人間の欲求に応じて時代と共に適正に膨張させる方法を論じています。
 故に企業の売買する一商品毎の自由な消費行為を罰金妨害する消費税は、人間の自由な経済的人間行動を妨害して「経済的な資金循環の拡大の金回りを、意図的に不自然に悪くしています」自由な本人の経済的人間行動を罰金規制する税制や制度は絶対に廃止すべきです。

事実に基づき科学的に考えれば時代が変わったという意見は全くの間違いです。人間社会で事実として「リアルに実在するものは人間と国家が構築した制度(税制)」だけであり人間の存在(本質や特性)は有史以来全く変わっていない為、変わったのは「人間の作り上げた制度(税制)だけ」です。 故に人間はより良い生活を追及する動物である以上、その過剰性の本能に適応する制度(税制)を構築する努力が経済活動を活発にする基本で、大成功した税制実例を多数集め事実に基づく帰納法の再現性で自然科学税制を組み立てるべきです。
 故に良循環の市場経済構築には事実として「国民(人間)一人一人が同時に持つ消費機能と生産機能の両面を自然な進化システムで十分発揮させ活用するシステムが不可欠です」
 まず非科学の権威に基づく演繹法理論で長年教育を受けている現代の文科系学者や研究者は「帰納法による事実の再現性を追求する科学の本質に全く無知であり帰納法理論で事実の再現性を追求する科学のイノベーションへ日本の文科系学問システムを大転回する時です」
 故に文科系学者の助言で演繹法理論で作った国家政策は理念やモデルや言葉が如何に立派でも再現性が無い非科学政策で、財政負担の割には効果が全く上がらない政策ばかりです。
 現代の需要側の政治家や文科系学者の非科学の演繹法の経済政策は人間社会へ現実に大損害をもたらしており、逆に供給側の理工系学者は帰納法で再現性を確かめた科学による労働生産性向上の機械化等の政策の偉大な力は立証済みで今は需要側理論を科学化する時です。
 実体経済は消費(需要)者と生産(供給)者の両面性で成り立ち、実体経済から派生する資産の値上がり益を追求する資産経済を除外して考えるのが、実体経済の本質なのです。
我々が追求すべきは実体経済の自力経済成長と一人当たり国民所得の継続的増加拡大です。

 経済学で明らかな通り、「国民所得は実体経済の、個人消費+設備投資=−>国民所得、の所得恒等式で生産されるのです」
 ところが消費税導入以降、国家統計とくに莫大な国家予算を使用して集計(集約)しているリアルな個人消費の基礎資料となる総務省統計局の家計調査年報が「収入」「消費支出」「非消費支出」等のリアルな実数の把握が一覧で簡便に出来ているのにコンピュ−ターの発達にも関わらず、全てをインターネットで公開せず企業に奉仕する販売戦略の策定に利用しやすいように「消費支出」だけに特化してインターネットで公表するようになっています。
 これでは国家国民へ奉仕しようとする若い経済研究者が中央図書館に行かなくても気軽にリアルな所得階層別等の「収入」「消費支出」「非消費支出」「貯蓄」「借入返済」の「一覧の実数に接近して」国家の為のマクロ経済政策を研究改善する機会を奪っている結果をもたらしていると言っても過言でなく、既存の有名経済学者やシステム工学者達の国家へ助言や抗議をする勇気の無さと強い事大主義的思想を感じています。
 早く非科学の演繹法の朱子学から、科学の帰納法の陽明学へ大転回すべき時です。
米国の経済統計と比べて日本の経済統計は、全く分かりにくく活用しにくくなっています。
「由らしむべし知らしむべからず」の朱子学では真実に接近する道を自ら閉ざしています。

 まして金融政策は上記所得恒等式には構造上直接的に良影響を与えないが、税制や財政政策は上記所得恒等式に直接良影響を与える事は上記恒等式から素人でもすぐに分かります。
 金融政策の金融緩和で真っ先に動きだすのは資産の値上り益を追求する有限な土地や株式を借金して買い占れば必ず値上がりするのを分かっている借入返済に余裕のある金持ち階級(高所得階層)で資産の値上がり益追求では実体経済の国民所得増加の実現にはならず、高所得階層の累進減税要因と合体すると資産バブルの大発生要因になる実例は多数あります。
 更に低中所得階層や中小企業は返済見通しがつかない金を借りてまで、設備投資や個人消費をすることは絶対にしない上に、更に金融政策で金融緩和しても直接的には所得恒等式が作動せず、国民所得を増加生産することにはならず国家が無用なリスクを抱えるだけです。
 故に税制や財政が所得生産式に直接に大好影響を与える為、財政出動は国の返済能力が大問題になる為、税収増加の税制政策との融合が大事で税制の技術革新が不可欠となります。

 次に「自由の定義は」社会の進化の為に正確に定義したのは「危害原理を含むミルの自由論」でした。 「真の自由とは何か」を正確に定義したのは英の哲学者ミルだったのです。
 国会議員と国民の個人尊重の重要性と自由は憲法13条、19条で定義されています。
 次に「真の平等とは」日本国憲法が第14条に保障している平等と、その実質的な保障内容となる後段説明の通りの「各所得階層別の対所得租税(国民負担)平等率負担(総務省の家計調査報告のリアルな実数から算出できる)の原則を平等と言う」のです。 
 人間社会の競争とは進化論の種内競争原理の自由平等(対等)競争の絶対性を中心とする時代時代の優先順位を重視する国民の時代時代の民意つまり集団的知性の尊重を言います。
従って本論文は既存の税制改革理論、経済成長理論、財政再建理論を科学の帰納法へ大転回して過去の日米の長期継続的な大成功実例に基づき偉大な科学の再現性で証明し論理・疫学証明しました。演繹理論は事実の成功実例を参考にせず、全て思い込みの理念や言葉やモデルを演繹法で組み立てた連鎖販売類似の錯誤理論で長期継続的に成功した実例は皆無です。
 既成の全野党は消費税10%へ増税反対・現状8%消費税維持を叫んでいるだけです。
現在世界で欧州型消費税制全面廃止を叫んでいるのは私と米国(現に米国は全世界で唯一の欧州型消費税制を絶対に採用しない国家)位で、日本の政治家や経済学者は日本の自力経済成長と財政再建へ欧州型消費税制の現実の危険性と悪効果に、全く気付いていないのです。
ギリシャの現状を見てもアリストテレスの演繹法は有効な経済成長理論を生み出せません。

((帰納法と演繹法の違いと、科学の帰納法で構築した本論文の基礎となる事実について))
本論文は以下の事実の因果関係を活用して構築した「帰納法主・演繹法従」の理論です。
 理工科系学問は帰納法理論で、文科系学問は旧態依然の演繹法理論で大違いです。!!
 科学とは、権威など必要ない「観察という確かな事実」を元にして「観測事実と矛盾しないように帰納法で推論して再現性を確認しなければならないと定義したのはベーコンです」
 故に「結果事実を引き起こす力を持つ原因事実と結果事実の因果関係の過程を分析研究して論理疫学証明して」結果事実の再現性を確認する「帰納法の論理を科学と定義」します。
 理念や信念を演繹法で導き出した再現性の無い・未確認の理論は主観的な思い込みが強く非常に危険で、逆に客観的な事実の観察から成功実例をまとめた帰納法で導き出した科学理論は再現性が高く、大成功の可能性は非常に高くなります。
 本体価格に8%の消費税を賦課する販売と、本体価格のみの消費税0%の販売では、どちらが企業売り上げが増加するかを予測すれば消費税0の商品販売の方と帰納推論できます。
 科学論理を構築するには権威や事大主義や有職故実から事実を分離し「事実の客観的観察と事実と事実の因果関係を詳細に観察して、推論できた人間社会へ役に立つ知識(因果関係の「原因事実」)を人間の道具として用いて、人間社会が意図する「結果事実」を引き起こす方法が事実に基づく帰納法の科学なのです」 経済は需要側があって成り立ち「需要ありきが経済の出発点です」故に内需の増加事実が無いのに、供給側ばかり増強すると中国のように売残りの山とデフレで経済不況を招来するのは当然の事なのです。 事実と遊離している権威や事大主義は客観的事実で自力経済成長を追求する科学にとっては大妨害の大要因でしかありません。 例えば経済学の権威と言われ永年信じられている演繹法のセイの法則は成熟経済では長期継続的な成功実例の全く無い事実と異なる非科学の大錯誤だったのです。
「税収の伸びは税制自身の性能で決まり」消費税無の高累進所得税制の成功は昭和20年の年税収ゼロから43年後の平成元年には年税収は55兆円へ伸び財政赤字も国債も少なかったのに、消費税と低累進所得税制導入の26年後の平成26年は年税収54兆円と税収の伸びが全く停滞し、且つ大財政赤字と膨大な国債を累積し続けている最悪の事実があります。
 人間社会の自然科学の真の発展には「権威を離れた真実追求の異端の勇気が不可欠です」
現状の税制や制度を改善しなければ大企業との大競争格差で経営困難に陥っている全企業数の99.7%の伝統の老舗や優秀な職人を抱える多数の中小企業を引き継ごうとする子供達はごく少数しかいません。 更にその中小企業の労働者(公務員と大企業の労働者を除く全労働者の70%)が待ち望む給与の引上げは「総需要が連年増加する税制による内需依存の自力経済成長の下で初めて安定した中小企業経営で連年給与引き上げが可能となるのです」

 これを実現する為には、国家がその存在目的に反するグローバル化や新自由主義の非科学の権威や迷信から早く離脱し「市場経済の供給側を事実として大改善してきた自然科学の多様性の知識と効用を理解できる理工科系学問の帰納法推論へ需要側の演繹法推論の文科系学問を大転回させ、自然科学の力を活用した帰納法論理の税制改革と財政再建が不可欠です」
 人間個人の行動は千差万別であり不確定・不確実であるが、人間社会を個人の集団として把握すると、階級別に平準化された特性が明確になり科学的な理論化が可能になります。
 正に民間の保険業は確率論の基本法則である大数の法則の考え方に基づく仕組みである。
そしてエリートが全国民から不都合情報を隠ぺいして、必ず不正が生ずるのは世の常です。
 国家は個性は多様でも正直で誠実な国民によって成立している共同体と仮定するとプライバシーでさえ特別に過剰に隠ぺいすると不正者有利で正直者は馬鹿を見る結果になります。
 故に私は文科系の既存経済学や既存政治学の日本のエリート達が何故膨大な貿易の経常収支赤字と財政赤字を抱える多民族.多言語.多宗教.多文化.大人口の米国が長期継続的に自力経済成長できている秘密と要因を科学的に研究しないのか非常に不思議に感じています。
 真の科学では長期継続的な成功実例がある税制のみ政策として安心安全に採用できます。
 本論は全国民の1%の高担税力者は増税になるが、低担税力の99%は減税となります。
故に本論文の科学税制を正面から主張する政治家は議論しても絶対に選挙に勝てるのです。
 更に
同一種の人間社会では厳しい競争現場の実情を知らないリーダー達による、上から目線での挌重視や階級意識の国家経営は大弊害で、個人優位・組織劣位が大原則なのです。
福沢諭吉の「天は人の上に人を作らず、人の下に人を作らず」や石田梅岩の「職業に貴賤なし」の自然科学の種内競争の進化論に基づく憲法意義を正確に理解しなければなりません。
故に文科系学問は理工系学問に比べ客観的に事実を観察する科学心が全く欠如しています。
 例えば何故に円は安全資産と言われるかと言うと、日本国は対外純資産残高が経常収支黒字の蓄積に裏付けられて24年連続で世界一となっている事が第一の原因なのです。 
 国の借金が1000兆を超えて円は危険なのに円高になるのは政府が異常に他国の経常赤字を増加させる経常黒字にまい進して対外純資産を積み増すから自由市場が罰金として円高にしているのです。「為替監視対象国に指定されている日本は自制の選択肢を研究すべきです」米国の反欧州・反エリート・反統制の反欧・反日中韓の感情の本質を理解すべきです。

(家計調査報告の 対所得の 消費支出+非消費支出=総消費支出の総消費性向について)
 市場経済おける国民の家計調査は経済の実態を総合的に把握できる唯一の方法なのです。
 後段詳述の通り、消費支出+非消費支出(租税・社会保険料)=総消費支出は 国民が市場経済で普通に生きていく為の「絶対的必要経費」であり、故に総需要を自動増加拡大しながら国民所得を自動増加する消費税無の高累進所得税制により、所得階層別に全階層ともに対所得で非消費支出で平等率になるように仕組む税制が「租税平等率負担の税制」で所得適正再配分機能を持ち且つ進化システムである個人消費の自己増殖(複製)性発揮の応能負担の自力経済成長(国民一人当たりの所得増加)を達成する次ヶ項で分析の自己増殖税制です。
 事実として経済成長には金融政策は微小な効果しか無く財政政策の財政出動も税制が適正でないと逆に財政悪化をもたらすだけです。 故に強力な自力経済成長に因果関係のある税制は「自由平等(対等)競争の強力な所得再配分機能を持つ消費税無の池田吉田保守本流所得税」だけであり、事実の本論文で毎年の継続的国民所得と税収の増加を証明しています。
 現状税制は個人消費を常時罰金規制する大衆増税を強行して個人消費へ最新科学の進化システムを作動させず、更に池田吉田所得適正再配分機能の保守本流税制を否定しています。
 逆に所得階層別に個人別の所得を細かく把握して実施する給付型の社会保障制度も補助金型の諸制度も全て事務手続が煩雑で行政効率が極端に悪く財政支出が多額になり且つ不正を完全に防ぐ事は至難の業であり、更に多大な行政コストや給付や補助金支出をする割には政策効果は極めて低く、それより本税制で国民一人あたりの所得が毎年向上すれば、社会問題の7−8割は自動解決し国民が政府に頼る給付も補助も不要になり財政再建に大効果です。
 本質的に毎年、国民一人あたりの国民所得を長期継続的に増加し、「高所得者層と低所得者層の貧富の格差を自動的に改善する所得適正再配分税制」を採用すれば、欧州型の政府に頼る社会保障制度から、自己責任・自助努力型の簡素な社会保障制度へ改革できるのです。
 後段に詳述掲載の通り、対所得の総消費支出は低中所得階層は過剰高負担で、超高所得階層は過剰低負担という「本質的に不平等な事実」があります。 故にこれでは国家が国民を平等に取り扱っておらず、この貧富の格差を改善しながら同時に能力のある高所得階層の更なる所得の増加を保証する「天才池田勇人首相が実現した消費税無の高累進所得税制を採用する以外に方法は無く、経済学の金融政策では、絶対に経済良効果は発揮できないのです。
 更に日本は「寄付の文化が根付いておらず且つマネーゲームの大好きなばくち打ちの国であり」所得再配分機能税制こそが国家が行うべき適正な役割と考えている国民性なのです。
 もちろん所得適正再配分政策には色々の方法があるが、現金給付は個別対象者の所得把握や処理手続きの行政効率が最悪で、且つ不正請求の排除が難しいという大欠点があります。
 現場の複雑な事務処理の為の過剰な財政支出が必要になり財政再建へ反するばかりです。
 逆に所得適正再配分税制は簡素で行政効率が高く且つ全国民へ平等で厳格な税務調査で裏付けられるので不正が発生する可能性は非常に低く抑えられ且つ消費税無の高累進所得税制であれば大量の全国民が平等扱いとなる為、所得の発生段階から真の平等と進化システムの個人消費の増殖機能が完全発揮され確実に一人当たり国民所得と税収が毎年増加できます。

(市場経済における「家計と企業と国家の資金流入と流出の資金循環」の本質的循環構造)
(総理府統計局家計調査報告の「消費支出+非消費支出=総消費支出への理解が重要です」)
1.
市場経済の全企業は自社の全税金は他の人件費等の原価と同様に複式簿記で自社商品に原価計算で原価配賦して商品販売する事で、全税金コストも企業維持コストも個人消費から「企業へ全額資金流入」しています。 各別の資金の流入・流出の循環理解が重要です。

2.
各社の法人税は納付する事で資金が企業から国へ資金流出し、「1」と見合いで均衡します。
 法人税は企業所得に課税する税金で企業所得は、企業意志では無い他者の意志による家計の個人消費によってもたらされるので、企業所得に法人税をいくら課税しても、個人消費を減少させようする法人の力は生じず、手品のような巧妙なシステムになっているのです。

3.
各社の源泉所得税は総額給与を社員に支払い、源泉税を本人から徴収し企業が預かり、それを企業が国へ資金流出で納税し、「1」の資金流入との見合いの金額で継続納税できます。
 個人所得税は個人所得に課税する税金で個人所得は、本人意志では無い他者の個人消費意志等によりもたらされるので、個人所得に所得税をいくら高累進課税しても、所得者意志に無関係に他者の個人消費意志等で本人所得を決定されるので、他者である所得付与者の意志を妨害しない手品のような巧妙なシステムになっているのです。
 しかも「1」の企業への個人消費や設備投資による資金流入時には所得階層の区別なく平等に流入してくるのに、家計からの流出時には低所得階層の総消費性向は極端に高く、高所得階層の総消費性向は極端に低いという、対所得の不平等率な税負担(流出)問題を解決するには本論の強力な所得適正再配分機能を持つ高累進所得税制しか解決方法はないのです。

4.
消費税は税込の課税売上の家計の個人消費から「企業へ資金流入」し、企業は税込の課税仕入れで商品を仕入れて販売するので、課税売上と課税仕入れの差額の消費税の資金流出で納税を行うことで、商品原価では「1.」との見合いの「資金流出の納税」となります。
 ただし消費税が、既述の法人税や所得税と本質的に決定的に違うのは、消費税は全て本人意志で決定する個人消費行為に課税しているため、交通違反行為に対する交通反則金のような、個人消費行為に対する罰金効果が強力に個人消費へ作動し、その自然な増殖拡大性を妨害し総需要が増加拡大出来ない「極端に金回りが悪い」結果がもたらされているのです。
 さて池田勇人の先見性は最先端科学に匹敵し、シャープ勧告は基本的な部分で錯誤があり、技術面で優れていたに過ぎない。  特に池田は総理大臣になると消費税無しの最高所得税率75%(地方税含めると92%)の超高累進所得税制を採用して10年計画の所得倍増計画を、僅か5年で達成し、以後の高度経済成長(国内総生産の増加)と財政再建の基礎を確立しました。 当時の欧州は個人のフトコロに手を突っ込まれる税制を極めて嫌う国民性が強く間接税が発達した欧州の歴史の延長線上に昭和29年のフランスの付加価値消費税制の制定があり、逆に同年吉田池田コンビは事業消費税の廃案を実現していたのです。
故に戦後絶対に欧州に追いつけないと思われていた日本が高度経済成長で追い越しました。

 自力経済成長理論は税制依存という、科学的な事実で成り立っていたのです。


(消費税無の高累進所得税制の池田勇人税制が自力経済成長の再現性に大効果ある証明)

 消費税無の国税最高所得税率75%(地方税を入れると92%)の池田高累進所得税制の時代 1962−1983年の21年間を下表の通り詳細に国家統計事実を観察すると、役立たずの経済学と違い、消費税無の高累進所得税制は長期継続的に経済成長と税収増加による財政再建を誰が総理大臣になろうが再現性を持って実現し、悪性インフレもデフレも発生させず、自力経済成長を長期継続した事が「事実として証明されています」。  その後、最高所得税率の減税を開始した結果、超高所得階層は最高所得税率の引き下げ減税によって過剰な資金余裕が大規模に発生する事を発見し資産の値上がり益を狙った有限の土地・株式の買占めのマネーゲームで資産インフレを発生し大儲けして、更に最高所得税率引下げを重ね更に金融緩和が重なり高所得階層へ更に余裕資金を与えた為、大規模な資産バブルが発生したが消費税を導入したので、内需が増加しなくなり平成2年2月から資産バブルの崩壊が開始した事実を詳細に観察して、税制と自力経済成長の因果関係を科学的に解明しました。
 私のような年寄りが足を引きずって神奈川県立図書館へ半日行って調べれば、あいまいな言葉では無く、事実として、このような有用な事実を科学的に観察し分析研究できます。
 日本国は幸せなことに国家統計の信頼性が比較的高く、50年間の日本経済の世帯ごとの世帯人員の変化や、世帯当たりの実収入の変化を国家が大規模予算を使用して実施している家計調査報告のリアルな数字を税制や経済政策へ活用できて適正に研究分析できます。
 更に企業と国家の全組織の租税を含む全原価は、市場経済の全商品に平等配賦され、消費(需要)と生産(供給)の無限経済循環の中で個人消費や設備投資の全原価は消費者が全負担しているという客観的な事実があり、更に自由な個人消費の自動増殖とそれを等価変換して生じる所得が税制で所得再配分され自動的に平等調整されるのを真の自由経済と言います。

  一世帯当たり一か月間の収入と支出の内訳平均  総務省統計局 家計調査年報より  
         昭和40年度(1965) (勤労世帯)

年収入 世帯 有業人員 (実収入A) 消費支出+非消費支出=総消費支出(B)B/A
10-20万未満 2.91人 1.17人 (19832)  18556 + 654
= 19210   96.8
70-80
万未満 4.26人 1.54人 (65708)  50094 + 5255= 55349  84.2
200
万円以上 4.72人 1.71人 (157111) 97581 + 27433= 125014  79.6
 平均     4.12人 1.52人 (64839)  48765 + 5541= 54306  83.6

一世帯当たり一か月間の収入と支出の内訳平均  総務省統計局 家計調査年報より 
        昭和57年度(1982) (勤労世帯)

年収入 世帯 有業人員 (実収入A) 消費支出+非消費支出=総消費支出(B)B/A
100-150
万未満 2.62人 1.19人(118535) 113644 + 8349= 121993  102.9
450-500万未満 3.95人 1.57人(390386) 264259 + 53679= 317937  81.4
1000
万円以上 4.09人 1.96人(825836) 466905 + 186149= 653054  79.1
 平均     3.80人 1.55人 (393014) 266063 + 57488= 323551 82.3

一世帯当たり一か月間の収入と支出の内訳平均  総務省統計局 家計調査年報より 
        平成26年度(2014) (勤労世帯)

年収入 世帯 有業人員 (実収入A) 消費支出+非消費支出=総消費支出(B)B/A
266
万未円満 1.49人 1.12人(195921) 141460 + 23072= 164532  83.9
562-638
万円 3.01人 1.51人(457470) 276876 + 81848= 358724  78.4
1018
万円以上 3.36人 1.85人(904883) 471728 + 134996= 606724  67.0
 平均    2.74人 1.49人(468367) 280809 + 86439= 367248  78.4

 国民は法人税、所得税、消費税などの全租税を複式簿記による原価計算で企業が生産する全商品へ原価配賦して個人消費によって企業が全額負担回収するシステムとなっている為、総消費支出割合が実質的な「全国民の真の租税・社会保険料負担率」になっており、この科学原理を理論化した本論文により消費税無の高累進所得税制要因が自力経済成長と一人当たり国民所得の継続的増加と財政再建の長期継続的な同時達成のために最善である事を論理証明(本論文で)・疫学証明(池田税制・ルーズベルト・ウイルソン税制)しています。

 リアルな事実が表示された上表を詳細に観察すると、池田首相の消費税無の最高所得税率
75%の高累進所得税制でさえ一世帯当たり対実収入で高所得階層の租税負担率は平均より若干低いが(昭和40年で平均83.679.64%低く)(昭和57年で平均82.379.13.2%低く)、消費税制が導入されている平成26年に至って78.467.011.4%も低く、更に逆進性が強い消費税は非消費支出に不算入で、逆に消費支出に税込で表示されているので、高所得階層の租税負担は対所得で平均11.4%低いと表示されている以上に大幅に低く抑えられ、国が過剰に高所得階層を保護し過ぎて大財政赤字を発生させ国の借金が1000兆円を超えたしまった大要因なのです。 故に消費税主導国家には、良い未来はありません。
 故に消費税無の最高所得税率75%の時代はリアルな実収入で月
393014(昭和57年)−64839(昭和40年)=328175 は個人消費や貯蓄の原資となる、17年間の月平均の実収入の増加額で、故に月328175/17年(57年−40年)=月平均18833の実収入増になっていた事が統計で明らかでこれが日本の奇跡の戦後復興と奇跡の経済成長の実態だったのです!
 故に一世帯当たりの月平均の実収入が増える税制が経済政策の中心になるのです。
 それに比較してその時期以後の低累進所得税制と消費税制の
30年間(S59−平26年)では多く見積もっても468367(平成26年)−393014(昭和57年)=75353 は30年間の月平均実収入増加額で、故に月75353/30年=月平均2511円しか実収入の増加は無く、この間の経済不況の実態で税制は本論詳細説明の通り偉大な効果を持っていたのです。
 何故このような結果になるかは本論文の科学的な事実の因果関係分析をご参照下さい。
 市場経済で内需の実需を生産する進化システムの事実を詳細に観察する事で、システム事実の因果関係が立証出来て、本論通り科学で自力経済成長を論理・疫学証明致しました。
 そして上表の数字を見れば現状の賃金アップの殆ど無い停滞している時代と、消費税無の高累進池田税制時代の事実としての実収入や個人消費の、全所得者層もれなく平等で安定した増加率が、現状との圧倒的な違いを事実で確かめられ本論の正当性を証明できます。
 なお「非消費支出とは租税や社会保険料」を言い、最低生活に欠かせない支出なのです。

(年度別全租税収入と年度別増加率と最高所得税率との関係性について)
年度 最高所得税率 全租税収入 増加率   年度 最高所得税率 全租税収入 増加率
37年  75% 2.4兆円  9%  平成
1年 50% 54.5兆円 消費税3%始
 38年  75% 2.7兆円  
12.5%    2年 50% 60.6兆円 11.1
 39年  75% 3.2兆円  
18.5%    3年 50% 61.5兆円  1.4
 40年  75% 3.3兆円   
3.1%   4年 50% 56.6兆円 ▲7.9
 41年  75% 3.7兆円  
12.1%    5年 50% 55.7兆円 ▲1.6
 42年  75% 4.4兆円  
18.9%    6年 50% 52.1兆円 ▲6.4
 43年  75% 5.3兆円  
20.4%    7年 50% 52.8兆円 1.3
 44年  75% 6,5兆円  
22.6%    8年 50% 52.3兆円 ▲0.1
 45年  75% 7.8兆円  
20%     9年 50% 55.5兆円 6.1
 46年  75% 8.4兆円  
7.7%    10年 50% 52.4兆円 ▲5.5
 47年  75% 9.7兆円  
15.4%    11年 37% 50.9兆円 ▲2.8
 48年  75% 13.4兆円 
38.1%    12年 37% 53.9兆円 5.8
 49年  75% 15兆円   
11.9%    13年 37% 50.9兆円 ▲5.5
 50年  75% 13.8兆円 ▲
8%     14年 37% 47.6兆円 ▲6.4
 51年  75% 15.7兆円 
13.7%    15年 37% 46.9兆円 ▲1.4
 52年  75% 17.3兆円 
10.1%    16年 37% 49.7兆円 5.9
 53年 75% 21.9兆円  
26.5%    17年 37% 53.9兆円 8.4

 54年 75% 23.7兆円  8.2%     18年 37% 55.5兆円 2.9
 55年 75% 26.9兆円  13.5%    19年 37% 55兆円  ▲0.1
 56年 75% 29兆円    7.8%     20年 40% 44.2兆円 ▲19.6
 57年 75% 30.5兆円  5.1%     21年 40% 38.7兆円 ▲12.4
 58年 75% 32.3兆円  5.9%     22年 40% 41.4兆円 6.9
 59年 70% 34.9兆円  8.0%     23年 40% 42.8兆円 3.3
 60年 70% 38.2兆円  9.4%     24年 40% 47.0兆円 9.8
 61年 70% 41.9兆円  9.6%     25年 40% 46.9兆円 ▲0.2
 62年 60% 46.7兆円  11.4%    26年 40% 53.9兆円 14.9
 63年 60% 50.8兆円  8.7%     27年 45% 未定
 (注)私にはカネも手間暇をかける余裕も無く、且つ長年の 全租税収入+税外収入=国家の実収入の合計額 が統計書に正確に記載されていないので私が統計資料から推計した結果ですので、大きな誤りは無いと思いますので、上表から結論を述べると以下の通りです。

(結論)
  1.最高所得税率国税75%の昭和37年から昭和58年の池田税制の21年間でさえ、高所得者階層の総消費支出を対所得で低負担に設定し保護しており、それ以下の最高所得税率の低い時代や消費税制の時代は更に高所得者階層を過剰に低負担にし過ぎて租税収入の絶対額も伸び率も大停滞し財政悪化は顕著になり且つ自力経済成長もできなくなっています。
 池田税制の21年間は誰が総理大臣でも、無関係に税収は伸び続け、超好景気でした。
 ただ昭和50年の田中角栄首相の1年間だけは第一次オイルショックの世界的影響で対前年で租税収入が減少しただけで、他の20年間は全て対前年で常に大幅な税収増加を記録し累積の経済規模の拡大と国民一人あたりの所得の増加は目を見張るものがありました。
 税収が自動増加するという事は税制の計算構造が変わらない限り国民所得が自動増加している事実を表しており自力経済成長の基本構造は進化システムの消費税無の高累進所得税制こそ正解でした。 それに比べて平成1年からの経済学者が推薦して政治家が導入を決定した、非科学の消費税+低累進所得税制時代は税収も国民所得も伸びない暗黒の時代に陥ったのです。 いまこそ文科系学問を演繹法学問から科学の帰納法学問へ大転回する時です。
2.消費税無の高累進所得税の時代(池田税制時代、ルーズベルト税制時代、ウィルソン税制時代)の順調な自力経済成長の時代と消費税時代の惨憺たる有様は経験事実に基づく科学的検討無の非科学の経済学や成長理論が全く錯誤と誤謬にまみれている事を表しています。

「ケインズの減税乗数理論」や「消費税の公平・中立・簡素」は、如何に錯誤と虚偽理念にまみれているかリアルな上表の結果事実から明らかになりました。 株売買の成功者であるケインズは金融資本主義・新自由主義の元祖で株購入の自己資金を確保する為、事ある毎にルーズベルトの高累進所得税制を批判したがウィルソン税制の大成功を踏襲していたので、成功実例も無い大口たたきの国の財政の大切さも知らない愚かな経済学者としてルーズベルトはケインズを全く相手にしなかったのです。
 ケインズはルーズベルトとの論争を常に避けたので、徹底した論争をしないままでした。
 日本も全く同じで、池田高累進所得税制に当時の経済学者達は猛反対したが、池田勇人は現場の事実を知らない非科学な経済学者達と軽蔑し大反対の大合唱を全く無視したのです。
 結果として第二次世界大戦の物量と経済再生に大成功し勝利したルーズベルトと戦後日本の奇跡の復興に大成功した池田勇人の大成功は事実で再現性と結果を証明しているのです。
 再現性の無い結果事実の出ない理論はスタップ細胞事件の小保方さんの200回成功したと広言しても再現性が無かった場合と全く同じで非科学の思い込みの錯誤理論だったのです。

(県別の合計特殊出生率の事実と地方経済活性化の科学的必要性)
合計特殊出生率とは人口統計上の指標で、一人の女性が一生に産む子供の平均数を示す。
都道府県別にみた合計特殊出生率表の統計的事実は以下の通りです。
都道府県 平成24 平成23
全国 平均 1.41    1.39
北海道   1.26    1.25
   1.36    1.38
   1.44    1.41
   1.30    1.25
   1.37    1.35
   1.44    1.46
   1.41    1.48
   1.41    1.39
   1.43    1.38
   1.39    1.41
   1.29    1.28
   1.31    1.31
   1.09    1.06
神奈川    1.30    1.27
   1.43    1.41
   1.42    1.37
   1.47    1.43
   1.60    1.56
   1.43    1.41
   1.51    1.50
   1.45    1.44
   1.52    1.49
   1.46    1.46
   1.47    1.47
   1.53    1.51
   1.23    1.25
   1.30    1.30
   1.40    1.40
   1.32    1.27
和歌山    1.53    1.49
   1.57    1.58
   1.68    1.61
   1.47    1.48
   1.54    1.53
   1.52    1.52
   1.44    1.43
   1.56    1.56
   1.52    1.51
   1.43    1.39
   1.43    1.42
   1.61    1.61
   1.63    1.60
   1.62    1.62
   1.53    1.55
   1.67    1.68
鹿児島    1.64    1.64
   1.90    1.86

 上記事実から東京、大阪等の大都市の合計特殊出生率は極めて低率であり、人口減少の大原因であるので、地方から生活の為に大都市へ移住する若い夫婦の地方流出を食い止めなければなりません。 それには 個人消費+設備投資=国民所得 の所得恒等式を正確に理解し、個人消費と設備投資を実行して生活できるのは人間だけであり、国家全体で生み出される国民所得が企業組織によって大都市へ集中する所得によって発生する大税収を、国家が税収の偏在を調整することを目的とした地方と都市の税収適正再配分機能の地方交付税を徹底活用して地方の人口や広さを総合的に勘案し地方と都市の均衡ある国土発展を充実させる税収を均衡に再配分すれば、地方経済は再生され国家全体の均衡ある発展へ大改善され、且つ都市と地方の生活水準が平準化へ近づくので、地方の若者が職を求めて大都市へ移住する必要が無くなり、子育て教育環境が良好な地方に留まるようになり地方の合計特殊出生率は更に改善され維持され国家全体の合計特殊出生率はシステム的に自然に改善されるのです。
 道州制で都市の税収は都市で使い、地方の税収は地方で使うという道州制は非科学です。
 明治維新によって究極の道州制であった徳川幕府の幕藩体制から中央集権へ大改革した事によって成功した「最大多数の最大幸福と平等」を子々孫々へ維持追求する事が大切です。
 更に市場経済の全租税は個人消費商品に原価算入されて事前に最終消費者が全負担しています。 故に年末調整や確定申告は、対所得租税平等率負担で調整納税しているのです。
 故に日本経済を道州制という、徳川幕藩体制へ退行させる危険思想には注意が必要です。
 日本の人口減少体質を大改善するには事実として市場経済原理によって自動的に有能な資産家が多数居住し力の強い大企業本社が存在する都市に集中している所得や税収を地方交付税を大幅増額して国家が地方へ所得適正再配分の良循環を作り出し、地方の雇用環境や住環境を大改善して、若い夫婦が出生率の高い良好な住環境・教育環境の地方で安定して定住し子供を産み育てられる政策こそが地方創生の本命政策になります。
  そして地方から生ずる余剰労働力だけを安心安全に都市部へ吸引すれば良いのです。
そして都市部の労働力不足は科学の発達による機械化と労働生産性0の消費税制維持に関わる膨大優秀な労働力を消費税制廃止で転用し全人材を企業の生産性分野で活用すべきです。
 地方へ雇用環境や住環境改善の為に大財政出動すれば、結果として地方の個人消費の増加は、循環を繰り返しながら経済良循環と市場経済機能によって自動的に力の強い大企業や有能な資本家が存在する都市部や高所得者層の所得として循環回収されるので安心安全です。
経済循環や資金循環は心臓や各種臓器が配置された人体構造と全く同一構造をしています。
 故に都市の税収は都市で使用し、地方の税収は地方で使用すべしと言った、もっともらしく聞こえる道州制の理念は、経済良循環に違反した事実と異なる大錯誤だったのです。 
 道州制を礼賛する非科学のアジテーターが存在しますが、非科学の道州制が長期継続的に大成功した事実は皆無で失敗実例ばかりです。大成功事実の積み重ねが「科学」なのです。
 狭い地域だけでカネを循環させようとする、根性が小さい思想が経済縮小の大要因です。
 カネは天下の回りものこそが正真正銘の経済拡大の大要因だったのです。 同様に消費性向の低い超高額所得階層から消費税無の高累進所得税制で国家が税収を徴収し、それを公共事業で使用すると公共事業は消費性向の高い低中所得者層の労働者の給与として支払われる為、結果として所得適正再配分機能と個人消費の進化システム機能が作動して個人消費が長期継続的に連年増加する作用が続き個人消費の等価変換結果の国民所得も連年増加し市場経済機能によって有能な超高所得階層も低所得階層も自動均衡して所得再配分されるのです。
大効用の再現性を発揮する科学は「原因事実と結果事実の因果関係の研究から誕生します」

(国家の科学的存在目的と、国の役割と企業の役割の重大な違いについて・・後段詳述)
国家の役割である科学の「最大多数の最大幸福」を忘れた経済学と政治学が過剰に高所得者階層有利の税制を改善しない現状を観察して、全面的に改善勧告したのが本論文です。
 つまり言葉では無く、事実として「人間へ生きる夢と希望をもたらす」「最大多数の最大幸福」は自由平等(対等)競争の絶対性の、特権を認めない全所得階層にわたる対所得租税平等率負担の消費税無の高累進所得税制で自由平等(対等)競争の効用がもたらされます。
 「国家の真の役割は」平和な全国民の生き残りを追求した日本国憲法や米国独立宣言に明記された全国民と全国会議員が自由平等(対等)競争の絶対性を遵守して「憲法前文通り他国の需要や資産を収奪する不均衡な経常収支黒字、対外純資産積み上げの通商政策を改め、購買力平価の円安株高を実現し」為替差益・差損の無い国内企業と外国企業の国内価格競争力の均衡化を図り国内企業の経営の安定化を達成し、更に税制による内需の個人消費の科学的な進化システム性と所得適正再配分機能を活用する、高消費性向の低所得者階層と低消費性向の高所得階層間でカネを良循環させる、「個人消費の増加+設備投資の増加=−>所得の増加 の所得恒等式を活用して」内需拡大の対所得租税平等率負担税制である消費税無の高累進所得税制のデフレ・インフレ改善税制を採用する事で、長期継続的に国内個人消費と設備投資の総需要を自動的に連年増加拡大し内需拡大によって他国へ何の迷惑も掛けず一人あたりの国民所得の連年増加(つまり賃上げや外注単価の引き上げ)を実現する総需要(パイ)連年拡大の消費税無の高累進所得税制を採用して「一人当たり国民所得を連年増加させるのが真の国家の役割であり」これを「企業の役割と誤解しているのが現状の経済学です」
 しかも内需の増加には必ず前向き借入金の増加を伴うので適正な金利確保も実現します。

 更にランチェスターの法則や、1997(平成19年)の独禁法の改悪による純粋持株会社の解禁で日本の大企業の財閥化による市場の実質的な寡占が可能になりミルの自由論(危害原理)に違反する実質的な自由平等(対等)競争の絶対性違反が発生して都市部の優秀な高所得階層や莫大な資金力を持つ大企業へ個人消費や国民所得をストロー効果によって吸い上げられる為、地方経済はシャッター通り商店街等へ疲弊する為、市場経済原理で自動的に都市部に集まる所得や税収を国家による強制的な地方交付税支出の大幅増額によって競争の対等性を回復させ、地方経済へカネを良循環させる事は、市場経済再生へ資金が一部に滞留すること無くカネ回りの良い総需要の自力拡大と人口減少の少子化対策へ絶対に必要です。
故に新自由主義や道州制や金融資本主義は、全体主義や共産主義と同じ錯誤にすぎません。

逆に自力経済成長で日本を豊かで多様性のある経済大国へ成長させ国富と国民所得を連年増加させる時代に合致する財政需要を満足させる税制を構築する事が国家の絶対的役割です。
そして「アイデアや気づきを含んだ多様性のある科学重視の労働に対する崇高な価値観を尊重する経済社会の構築が自力経済成長の供給側の継続的な供給増加の大要因となるのです」

 組織優位の財閥化が進むと現場の事実を知らないエリートの財閥組織のトップの意志に反する「事業会社の現場からの時代時代に適応する良いアイデアや気づき」が陰に陽に押しつぶされ、組織全体の多様性は喪失し結果として財閥組織は経済成長に大悪影響を与えます。

 つまりカネが循環する市場経済の中で、時代の環境に適応する為に「連年やむを得ず増加する財政出動や公共事業による歳出増加に応じて」自由平等(対等)競争の絶対性を遵守しながら、時代時代の優先順位を重視する国民の時代時代の民意つまり集団的知性を尊重して、個人消費の進化システム機能と所得適正再配分機能を発揮する「消費税無の高累進所得税制で歳出の連年増加に応じて、税収の連年増加で歳出を回収する自己増殖できる自由平等(対等)競争の絶対性を遵守する税制を如何に科学的に構築できるか」に掛っています。
これは国家と言う市場経済は「自己責任・自助努力の自業自得の自己解決存在」ゆえです。
 故に国会議員は「最大多数の最大幸福」の政策を立案する立場であるので、適正な政策立案に当たっては国民所得の平均値近くの生活水準で生活して生活実感を得ている人物が望ましく、国家議員は「カネ儲け」や「税制に有利不利の不平等」を持ち込んではなりません。
 国民全員に強制適用される税制に不自由・不平等があると必ず進化システムが不作動となり、経済循環に不均衡が生じ自力経済成長と国民所得の増加は大停滞を開始します。
 「故に国会議員は国によるカネ儲けを考えてはならず、公共事業に効率性や利益性を追求してはならず、唯一自由平等(対等)競争の絶対性を徹底して追求するだけで良いのです」
 米国共和党政権が最高所得税率を25%へ大幅引き下げで発生させた米国発の1929年の世界大恐慌から、1933年に民主党ルーズベルト政権が誕生し、ニューディール政策と言う経済復興計画を立案し、同時に最高所得税率63%に引き上げて失業率と財政再建を大改善しながら逐次最高所得税率を92%まで引き上げニューディール政策と第二次世界大戦の欧州戦線と太平洋戦線の2大正面作戦に膨大な戦費を費やして勝利しながら、終戦後3年以内に財政再建を完了するという奇跡を事実として成し遂げました。 税制の勝利です。
 公共事業は必ず低中所得労働者の所得に還元される性質があるので、公共事業は自由平等(対等)競争で決定する事が重要で、効率性や利益性の追求は企業と異なり重要ではない。
 極端に言えば戦争は大規模公共事業であるが、効率性や利益性を追求するものではない。
故に公共事業による経済復興と消費税無の高累進所得税制の組み合わせは最高の良循環経済を招来します。 この事実を参考に池田勇人は総需要拡大税制によって国家の受発注単価の引き上げを積極的に消化できるルーズベルト税制と同じ欧州型消費税無の高累進所得税制を採用し、敗戦の焦土から、奇跡と言われた戦後43年間で世界一の国際競争力国家を構築し戦後100年間はイエローモンキィーの顔を二度と見たくないと豪語していた西欧諸国を尻目に再度日本が「消費税無の高累進所得税制の自由平等(対等)競争の絶対性遵守の税制改革で自力経済成長と財政再建を同時達成し、敗戦国に関わらず台頭してきた事実は税制の科学的勝利です」
 正に「国家の役割は需要(消費)側」で「時代に適応して需要を増加する個人消費の進化システム機能と所得適正再回収機能(=所得適正再配分機能)を持つ税制で自然に長期継続的な内需の増加を達成する役割と、自由平等(対等)競争の適正な政策の財政支出によって最大多数の最大幸福を追求する役割が国家の役割です」この場合「国家は効率性や利益性を追及してはならず自由平等(対等)競争の絶対性が遵守されているかどうか」で十分です。
 両者を同時に実行する時に限り国家は自力経済成長と財政再建を同時達成できるのです。
消費税を廃止し個人消費を自由化すると自然システムと同じ進化システムが作動し個人消費の自然進化増殖拡大性が発揮され内需の自動増加、総需要の自動増加拡大が図れるのです。
 もちろん同時にインフレとデフレも自動改善する偉大な自然科学的な力を持つ税制です。
 更に国家の役割は「最大多数の最大幸福」の実現である以上、民間にまかせると不正が発生しやすい全国民の生命維持や商品の最終評価(品質管理)は、国家の役割てす。
 つまり経営学の経営サイクルの「PLAN・DO・SEE」の内、計画と実行は市場経済競争原理が作動するので民間企業に任せるのが効率的だが、「悪貨は良貨を駆逐する不正が発生しやすい」SEEの最終評価だけは予算をケチらず国家が責任を持っても行うことによって、責任の所在を明確にできて国家内の全経営サイクルを常に適正に維持できます。
 逆に「企業の役割は供給(生産)側で需要の増加に誘引され供給を増加する機械化等の生産性向上で供給を増加する役割で」正直に誠実に効率性や利益性を追及するのが役割です。
 国と民間企業の役割分担は以上のように厳格に決まっており、国家と企業の役割は事実として正反対で、対応する国家統治者と企業統治者は全く違った事実に基づく科学的知識で経済の原理原則を良く理解して、各別に的確に経営できる全く異なった能力が必要なのです。
「供給側を担当する民間企業は一部の絶対存在の株主階級に奉仕する」立場であり法に反しない限り徹底して効率と利益を追求するのが企業の役割で賃金の増加を企業に求めるのは筋違いで、国家が需要側の内需を連年増加すれば企業の賃上げは自然に可能になります。
 故に「需要側を担当する国家は全国民へ奉仕する最大多数の最大幸福を追求する絶対存在」で自由平等(対等)競争の絶対性を遵守する税法を制定して総需要を拡大するのが国家の役割で供給側の民間企業と正反対に効率性や利益性を追求する必要性は全く無いのです。
 故に供給側の労働者の賃上は需要側を長期継続的に増加する国家税制へ改善すれば可能となり、更に国家は連年継続的に税収が増加すると時代に適応した公共事業の進化充実も可能となります。
 国家の最大の課題は特定の階層や人間が公私混同や有利な租税負担で済ませていないかどうかだけが問題であり、公私混同したり対所得租税負担率が不平等であれば、税制改革や税務調査により高累進所得税制によって正しく納税させれば国家に適正に税収が上がるので、税務的に経済的に悪影響は全く出無いのです。 問題は税務調査をすり抜ける違法脱税や特定階層に有利な税制による合法脱税による経済循環から漏れ出すカネが大問題なだけで、これに対して世界で一番厳しい税務行政を行っているのが「税金大国のアメリカであり超高所得者層の税に対する反発は極めて激しいのですが、連邦政府は全国民をバックに膨大な数の訴訟合戦を繰り広げ決して負けていません」しかし米国の現状は欧州型消費税制を採用してい無いとは言え低累進所得税制によって所得適正再回収は為されていない事が大問題です。
 平成元年以前の戦後43年間は敗戦の年税収ゼロから年税収55兆円まで、第一次オイルショックの昭和50年1年間の対前年の税収微減を除き、戦後43年間は一貫して税収は自然増収を続け対前年で税収は増加するばかりで、消費税無の高累進所得税制は国民所得と自力経済成長と税収自然増加を連年実現する科学的な自力経済成長の自然増収税制だった事は日米の税制史()を詳しく観察すれば本論文は既に論理証明・疫学証明済なのです。
 国家財政は税制で成り立っているので日本の税務行政の現場も健闘していますが政治家達が自分達に都合の悪い税制の現場を熟知している主税官僚を退け意図的に税制の現場に無知な国家予算をペーパー上で企画立案する主計官僚を全官僚トップの事務次官に永年配し予算を使う政治家にとって有利になるように事実を観察せず税制を政治家自らと支持母体に有利になるように反自由・反平等に複雑怪奇にいじくりまわしている為、現状税制では税収は対前年どころか27年前の池田税制の税収さえ上回る事が出来ない最悪税制に陥っています。
 故に現在の大財政赤字は官僚の責任では全く無く、完全に自己中政治家達の大責任です。

 故に「政府が最悪税制を採用すれば最悪の結果しか招来せず」国家国民の自力経済成長にとって全く役に立たない無能無益の存在になるのです。同時に「公共事業も悪では無く公共事業の最大の目的は政策目的の達成と同時に最大多数の最大幸福を求める所得再配分の手段であり故に自由平等(対等)競争の絶対性遵守の税制さえ遵守すれば公共事業と連動して国家は善の存在となり」自力経済成長と財政再建が実現され結果として公共事業の効率性や利益性の追求は国家には全く不要で自由平等(対等)競争の競争入札であったかが重要です。
 全国民へ強制適用される税制が進化システム増殖性を発揮し且つ所得適正再配分機能を発揮すれば公共事業に例え非効率性や不利益性が存在しても、最終的に税制によって市場経済は「ロールズの正義論」や「ミルの自由論」に合致した市場経済で自動調整できるのです。
 しかし商品の原価計算の仕組みや複式簿記の仕組みを理解できない学者や政治家には統計的に消費性向と関連づける本論の事実に基づく科学の真髄をなかなか理解できないのです。
 また特に効率性や利益性を追及してはならない分野(機械化による労働生産性向上が期待できない分野、特に介護分野や医療社会保障分野等)は国家が民間企業のように効率性と利益性を追求して受発注単価の引き下げばかりを追求するのは大錯誤の事実であり労働者の生活維持には連年受発注単価を引き上げるべき事実があり、その為に連年税収が増加する税制の採用が不可欠です。 故に国家が個人消費の進化システム性と所得適正再配分機能を活用して総需要を連年増加する税制の役割の実現が良循環の市場経済の成長拡大に不可欠です。
 国家が公共事業の現場へ効率性や利益性を過剰に追求する風潮を作り出したのは大錯誤で不正行為を排除する自由平等(対等)競争の絶対性の原則を遵守させるだけで良いのです。
 後は自由平等(対等)競争の入札が遵守されていたどうかの確認だけで良く、無知な政治家が出来もしない過剰に効率性利益性を追求する事は最悪で、民間企業に任せるべきです。
 後は消費税無の高累進所得税制が自動的に市場経済の総需要の増加を発揮するので「税務署や警察の現場」の税務行政や警察行政への正しい人材育成の為の財政負担をすれば良い。
故に同一種の人間社会では階級意識は最悪で、個人優位・組織劣位が大原則なのです。
 故に文科系学問は理工系学問に比べ、事実を観察する科学心が全く不足しています。

 故に最悪の「独禁法の公正取引委員会」では、消費税の円滑かつ適正な転嫁の確保のため、事業者等が行う消費税の自由平等競争違反の「転嫁及び表示カルテル」を消費税導入時と同様の「独占禁止法の適用除外」として認める最悪のカルテル容認です。 故に公正取引に、独禁法の適用除外を認めないと自由な市場経済競争が成り立たない不自由で不平等な税制が最悪の消費税制なのです。
 更に「子会社の株式の取得価額(最終の貸借対照表において別に付した価額があるときは、その価額)の合計額の、当該会社の総資産の額に対する割合が百分の五十を超える会社」を持株会社と定義して認めました。 「日本では戦前の財閥本社は純粋持株会社の形態を採っていました」 しかし財閥の経済発展にもたらす欠点を事実として実体験で徹底して熟知していた吉田首相と池田首相は戦後に制定された過度経済力集中排除法によって財閥解体を行い更に独禁法を制定し、戦後は持株会社の設立及び既存の会社の持株会社化を50年以上厳禁して来ました。 ところがそのような実体験の無い国際競争力強化の理念で凝り固まった新時代の政治家による金融ビッグバンの一環で1997年に独禁法の改正によって純粋持株会社が解禁され企業の財閥化が法律で容認される現行の会社法の成立となりました。
 国際競争力確保の美名のもとに結局韓国同様の財閥制度が日本にも導入される事になり、圧倒的資金力を持つに至った現状の純粋持株会社の圧倒的資金力に基づく競争力に対抗する中小企業の競争力は常に微力に過ぎなくなり、旧独禁法の下に自由平等(対等)競争を享受し戦後発展したソニーやホンダ等の中小企業の独創力と経営力で流動的に輩出した大企業群を今後の日本社会が第二のソニーやホンダを輩出できるか私は大変疑問を持っています。
 故に圧倒的資金力を持つ財閥の株式の支配権を認めるようになった日本社会は「資本と経営の分離は名ばかりになり資本が経営に口出しする事は当然になり」支配権を継承する階級が韓国同様に階級固定化する動きが現実になりつつあり諸環境に適応してダイナミックで流動的だった中小企業の独創力と経営力を阻害する大要因になると私は強く危惧しています。
 故に根本的に改善するには会社の経営権を手練手管と資金の力で組織的に浸食できる日本の新会社法を「自由平等(対等)競争の絶対性原則」へ改善する必要ありと考えています。
 故に経済学ばかりでなく法学も、科学では無く、非科学の事大主義に染められています。
 
本論で明らかな如く日本は過剰な国際競争力は不要なので、企業内外の実質的対等性つまり自由平等(対等)競争の絶対性遵守の科学性を確保する制度へ大改善すべき時です。

(消費税無の高累進所得税制が自力経済成長を再現する科学的事実の再発見について)
 本論文でも既に記述している通り、「総理府家計調査報告と言う事実に基づく長年の時系列のビックデーター」から、消費税制時代と低累進所得税制時代の国民所得は増加せず、消費税無の高累進所得税制時代は誰が総理大臣になろうが無関係に国民所得が急上昇している事実は記載の通りなのです。 故に自力経済成長は金融主導より税制主導が最善なのです。

 @「個人消費と設備投資は本質的に自動的に所得に等価変換できる」が「過剰貯蓄は本質的に所得へ等価変換できず、過剰貯蓄は経済循環で滞留する」最悪な性質を有している。

 更に設備投資は順調に個人消費が増加拡大しないと、企業は設備投資を行わない市場原理が事実としてあります。 市場原理に反して政府が企業へ設備投資を要請しても無理です。
 故に消費性向が低い高所得階層を、不平等な税制で貯蓄へ誘導する国家では、結果として国民所得は増加せず貧富の格差は増大し合計特殊出生率は低下し国家は衰退するので、対所得の所得階層別の消費性向を平等率へ調整する為の非消費支出の増加を目指す、消費税無の高累進所得税制は自力経済成長と財政再建の同時達成を目指す国家の必須税制になります。

 A時代に応じて自動増殖拡大性を持つ進化システムの個人消費行為を、交通反則金のような罰金の消費税は、自由な市場経済の停滞を招く最悪の税制です。 罰金の定義を調べれば直ぐに分かる大錯誤を、科学で事実を調べない理念重視の大経済学者が大錯誤しています。

 B真の自由主義市場経済とは憲法に定められた自由平等(対等)競争の絶対性の範囲内で「自己中を追求するのが企業の役割」であり、「最大多数の最大幸福を追求するのが国家(国会議員)の役割」で、両者がそれぞれ別々に正しく行動しなければ国家は衰退します。
 それにはまず「自由」と「平等」と「競争」の正しい定義を事実に基づき科学的に本論で詳述している通り、正しく理解する事が正しい政策を立案する国会議員の義務となります。

 C根本的に文科系学問を人間の不確実性を前提とした旧態依然の「知先行後の朱子学」のアリストテレス(ギリシャの現状をもたらした)の演繹法に固執せず、ベーコンが開発して劇的に科学技術を発達させた「知行合一の陽明学」の帰納法で文科系学問を、人間社会を集団として理解してビックデーターを活用して事実を論理する学問へ再構築する教育改革が文科系学問の大飛躍になると確信しています。事実の裏付けには常に行動が必要だからです。

 実体のない、責任を問えない組織の主観的認識でうやむやになる組織責任や理念より、実体のある客観的な個人責任と事実を徹底的に追求する米国流の個人の良心の自由を科学的に発揮させ真実を追求する全国民へ強制適用される税制や、党議拘束禁止の国民政党制確立や、文科系学問を事実に基づく再現性と因果関係を徹底追及する科学化への帰納法教育大改革が、過去に実験済の再現性が発揮され日本の未来の栄光繁栄に大貢献すると確信します。
 何故政党組織や国家組織のエリート達はこのような無責任な政策や主張をしても責任が問われないかと言うと、米国や日本の民間組織のように個人責任を徹底して追求する文化や法律が公的組織には無いからです。 米国では官民区別なくエリート達も常に個人責任を徹底して追及されますが、日本の政党や官庁組織(国会議員等は特別職の公務員)の公務員が決めたことは「国家の無謬性の思想」が正しいとの前提が基礎にあり「国民に損害を与えた場合の民法上の損害賠償の責任も刑法上の責任追及も、公的組織で決めた事は個人責任を徹底追及しない無責任なうやむや文化と、それに追随する法律や規定」が存在している為です。
 民間企業では消費者や株主が日常的に企業活動を徹底監視し、おかしな製品を生産したり販売すれば証拠集めも比較的簡単で損害賠償請求が比較的簡単に出来たり、膨大な数の消費者が直ちに反応し売上減少と言う厳しい社会的制裁が有り個人責任の追及が出来やすい体制になっています。 ところが政党組織等や官庁組織つまり公務員組織では目に見える監視体制が全く無いため選挙以外で個人責任追及の社会的制裁手段は無く、更に組織のガードが固い為、個人責任追及の不正の証拠集めも困難であり、意志さえあれば政策効果の無い大小の不正や無駄遣いは、やり放題で結果として密かに個人が利得を得ている場合が多いのです。
 国民大衆や中小企業は100万円の負債でも裁判で個人責任を追及されるのに不平等です。 そこで国家議員等が不正や国民へ損害(経済効果無の場合を含め)を与えた政策を決定したと比較的簡単な証拠で客観的に認定できる場合や官庁組織で各部署の稟議を通って決済された案件であれば、事実と異なる内容や事実の隠ぺいや虚偽説明や不正な稟議に印を押した全ての人間個人の責任を上からしたまで責任の大小に応じ、例えば特別職の公務員である国会議員等の最高責任者は最大2000万円(例えば実質的な被害が数百数千倍でも)を限度として、記憶なしとか、知らぬ存ぜぬとか本人の自白なしでも、官を民と同じく個人責任を簡易に追及できる制度を作るべきです。 特に公的組織の場合は問題が発覚するまで長期間発見が遅れるのが通常なので時効は最低10年は必要と考えます。実質的に国家国民へ損害を発生させた場合に損害額を評価し追求して政治的責任だけに終わらせない法体系が、無責任で非科学的なプロパガンダ(政治宣伝)の政治家を横行させない土壌を作り出す本質です。
 もちろん精密な証拠集めて客観的に不正を証明できれば、限度無の責任追及は当然です。
 個人責任を追及する事で不勉強で危機感不在の無責任政策の発生を相当防止できます。
 個人責任を徹底追及できる体制を作らない限り、政治家や公務員の不正や無責任行動を防止できません。 勿論無責任な政治家を選んだ国民が悪いのだという議論はありますが、それは自由平等(対等)競争の絶対性の表現の自由や情報公開が、全報道機関へ完全に遵守されている環境下でしか成り立たない論理であり国会議員に党議拘束があり、国会議員の表現の自由が無い政治環境での国会採決には絶対に個人の良心の自由を発揮できないからです。
 日本の現状では国会議員個人や公務員個人の損害賠償責任を追及する以外、政党や官庁組織内の力の強い者に従う、自らの保身だけに走る無責任体制を打破する方法はありません。

民間企業では組織で決めた事でも株主や消費者や刑法が個人責任を追及できるように、政管組織で決めた事でも国民へ被害を与えた場合は米国のように構成員を裁判に引きずり出し誰に責任があるのか徹底して追及すべきです。 うやむやにしては経済社会は進化しません。
 日本の大欠点は国会議員個人の良心の自由を束縛する、政党組織の「組織優位・個人劣位の党議拘束を合法としている憲法違反の政党の党規約にあり、党議拘束は国会議員の良心の自由を実質的に抑圧し少数の有力政治家による政党支配の温床になっており、本質的に自由平等(対等)競争の憲法に真正面から違反していますが」政治学や経済学の学者達は、西欧の中世と同じく政治や経済勢力の迫害を恐れ常に徹底研究する勇気が無い非科学姿勢です。
 ただ国会議員への党議拘束が排除されている米国だけは、遅くても確実に株価は常に史上最高値を更新して、確実に経済社会は進化発展しています。 いずれ税制も改善されます。

(人間社会における、自由な市場経済の必要最低限度のルールの事実について)
生物の進化論では自然界の環境変化に突然変異して巧みに適応して多様性のある豊かに繁栄する自然生態系をもたらした自然システムが事実として存在し、人間も生物である以上、人間の営む市場経済も自然システム準拠の進化システムで構築すると自力経済成長できます。
 人間社会の市場経済における最低限度のルールはダーウィンの進化論における人類という同一種の危害原理を伴った種内競争原理を具現化したアメリカ独立宣言・日本国憲法に宣言されている「自由平等(対等)競争の絶対性であり、ミルの自由論の科学と同じなのです」
 つまりミルの自由論の如く個人が個性を発揮して他者を害する事なく(危害原理)多様な幸福追求ゲームを営む事。これが米国型の個人の社会的自由で、天才は個人のみに誕生し組織に誕生せず刑法の原則も故意過失の個人を罰して責任が曖昧な組織の罰則規定は少ない。
 独裁は国会議員の自由意志を抑圧して規律団結を優先して表現の自由に反して国会議員や国民個人を不自由・不平等に陥れる党議拘束ありの組織優位・個人劣位の欧州型の階級主義政党制から政党組織による国会議員の支配・服従から始まります。  独裁では統治階層にとって都合の悪い事実を隠ぺいする非科学の隠ぺい体質となり、隠ぺい事実への批判も表現の自由も抑圧されるので全国民へ思考停止をもたらし想像力も停滞し、自国の諸環境に適した豊かな創造性や多数の良いアイデアの正しさを決定する自由競争が組織優位・個人劣位の権力で抑圧され、統治階層にすり寄る国会議員や国民や企業を有利扱いする不自由不平等な事大主義の階級主義(挌の重視)に陥り、表現の自由に基づく個人消費や科学の進化拡大増殖性が阻害され、脱工業化のサービス経済の「進化システム」も「集団的知性」も「多様性」も失われ、経済社会の柔軟性が失われ、固定化して自力経済成長不能国家となります。
 それなのに日本の政党は欧州諸国主導の国連やIMFや世界銀行という階級意識エリート達のサロン過ぎない組織に権威を見出し、現実の市場経済の競争現場の末端にいる大衆を無視する権謀術策の欧州の階級政党エリート達の思惑や外需依存経済成長理論に激しく振り回されています。事実を科学的に詳しく観察すれば内需依存の経済成長理論の方か再現性がある科学なのに、欧州の経済学者達が演繹推論で構築した再現性の無い理念やモデル中心の非科学の外需依存経済成長理論に固執しているのが誤りであるという冷静な認識が重要です。
 明治維新以来、欧州を追い求める政策は必ず最悪をもたらし、米国は最善ではないが常に、次善をもたらします。 このような町内会にも劣る非科学の国際組織の常任理事国入りを目指して加盟各国の後援を取り付ける為、膨大な国家予算を他国へ浪費する事はほとんど無駄な努力です。国内で必要な予算を国内で需要がある所へ使用すれば、使用するほど進化システムの内需主導自力経済成長で内需の進化増殖と経済成長と財政再建へ大貢献します。
 進化論の種内競争である個人の自由平等(対等)競争の絶対性だけが自然科学なのに、フランス革命の「友愛」は国家内に同志・同志と呼び合う仲間同士の階級が絡んだ友愛精神の組織優先を絶対視する人為的な事大主義をもたらし、組織は不自由・不平等をもたらし特権階級や独裁を認める全体主義や共産主義等を助長する体質となり「事大主義の理念で組織化された階級政党制を誕生させる端緒となり人間社会へ最悪の要因を作り出しました」 逆に個人の独立した自由平等(対等)競争の絶対性の米国には階級が絡んだ友愛精神は無く、欧州と異なり階級を嫌悪するので組織化された階級政党は誕生せず米国には共和党や民主党でさえ全国組織の党首も党代表も委員長も存在しません。故に米国は国会議員個人の良心の自由を束縛する党議拘束を禁止の為、時代時代の諸環境に適応しようとする市場経済の競争現場を良く知る国民大衆の意見を代弁する国会議員の競争によって、それらの国会議員が決定する法律は常にアメリカを最悪の方向には向かわせない「集団的知性を発揮しています」
つまり言葉では無く事実として、人間へ生きる夢と希望をもたらす「最大多数の最大幸福」は自由平等(対等)競争の絶対性の特権階級を認めない税制や政党制度でもたらされます。
 そして米国は自由平等(対等)競争に真に努力しない企業は、例え自国NO1自動車製造企業のGMでも競争で倒産させた厳しい国家なのです。 そこには条件を付けたり特別に有利・不利を認める階級意識はありません。 自由平等(対等)競争で厳正に決めるのです。
 故に同一種の人間社会では階級意識は大弊害で、個人優位・組織劣位が大原則で、非科学の演繹法推論の文科系を、役に立つ事実に基づく科学の帰納法推論へ大転回すべき時です。
 事実として国家が消費税無の進化システムと所得適正再配分税制を構築し、内需の総需要さえ連年自動増加させれば企業の人件費を増加させても企業経営に支障が出ない為、需要側の自力経済成長税制重視へ国家が早く大転回すれば後は市場経済が自動拡大良循環します。
 さすれば年間3万件近い中小企業の膨大な廃業を相当程度食い止められようになります。
 建設業では国家の公共事業を請け負う大企業の下請け中小企業の法人化を進め、更に仕事の発注には自由競争入札を推し進めているので、下請けの受発注単価は上がらないのに同時に下請け中小企業に大コストアップ要因の協会保険の強制加入を推し進め協会健保か国民健保かの加入の自由を従来通り認めれば良いのに協会健保加入を強制するので現実に中小企業の廃業倒産が広がり労働者の職場の多くは失われ、中小企業が育成した有能な建設労働者はちりちりばらばらになり、事実として有能な建設人材育成場となっている中小企業という職場を破壊して建設業を始め有能な労働者不足を規律重視の国家政策が引き起こしています。
 故に同一種の人間社会では階級意識は大弊害で、個人優位・組織劣位が大原則なのです。
 更に国家は連年長期継続的に税収が増加しないと時代に適応した事業を充実できません。
 故に文科系学問は理工系学問に比べ、事実を観察する科学心が全く不足しています。

(文科系学問は宗教と同じ非科学である事実について・・後段詳述)

自然科学系・理工科系の学問は科学と言われ「事実を観察する帰納法で構築され再現性が確認され人間社会の進化発展に事実として大貢献している」のに、現代の経済学等の文科系学問は「上から目線の高等数学で記述されたモデルや理念を演繹法の言葉で演繹するだけで、市場経済で発生している事実を詳しく観察せず」宗教と同じ説教を垂れ流すだけのプロパガンダ学問で現実の効用は全く無く「事実に基づかないので再現性も無く膨大な副作用を発生している非科学で人間社会の長期継続的な経済の改善進化に現実に全く役立っていません」
 これらは事実として平成元年以降の日本の経済事実の最悪状況で明確に証明できます。
 これを全面的に改善するには自由平等(対等)競争の絶対を遵守する日本国憲法やアメリカ独立宣言に則った「税制改革(消費税廃止の高累進所得税制へ復帰)」・「教育改革(文科系学問を演繹法から科学の帰納法への論理体系へ大転回)」・「政治改革(党議拘束の禁止、国会議員の表現の自由の確立)」の平成の三大改革が必要不可欠で、一人の国会議員でも「志」さえあれば、「志」あるところに道はあり、経済不況で大迷惑している政界・マスコミ界・官界・産業界・労働界さらに多数の有権者の「志」ある仲間が、必ず助けてくれるので、まず勇気を持って本論の日本経済の再生復興・安全保障へ財政負担は一円も必要ないので、全面的に実効性のある大改革へ取り掛かってほしいものです。 「労多くして効なし」は現状の演繹法の経済学や政治学の、事実と異なる錯誤の多い言葉や理念の思いつきや思い込みで行動する、現代の政治家や経済学者等の文科系学徒の為にあるような格言です。
行動=事実(FACT)で構築する陽明学と、言葉=理念で構築する朱子学の違いと同じ!
 良い事はやる、悪い事はやらない。 事実の発生には必ず行動が伴うので「言葉には錯誤が多いが、行動と事実はウソをつかない」  いくら良い言葉を並べても、悪い言葉を並べても、良心を持っている人は良い行動を行い、本心は悪意を持っている人は必ず悪意の行動を行う原則があります。行動と、行動に伴って発生する事実を観察して科学的に判断しろ!
 自力経済成長と財政再建の同時達成には「消費税無の池田吉田高累進所得税制(戦後43年間の保守本流税制への回帰)の税制改革が本論で詳述している通り必要不可欠です。
 更に行動が伴わない組織政党の理念ばかりを追求する階級政党制の日本では、米国同様の行動を伴う事実を追求する国民政党制へ転身できるのは無所属の国会議員だけであり是非とも過去に存在した「無所属の会」を参考に国会議員が5人集まり無所属政党を設立した上で「各議員個人の表現の自由を遵守し」採決も政党へ忠誠を誓う必要が無く各人自由であり一致団結する必要が無い為、最小限度の政党維持経費で済み、且つ議員個人が国会と有権者へ忠誠を誓う国民政党制となり情報公開と国会議員個人の良心の自由と個性を発揮できます。
 真に良い政策であれば必ず有権者の過半数超は無所属でも必ず応援してくれるからです。
 国民政党制は「全国民の集団的知性を国会内で最も集約しやすく」、且つ国家組織の全構成員の望む政策であれば政策効果は最も上がることは既に経営学でも立証ずみなのです。
 日本の「既成政党の党派性を嫌う若い国会議員と有権者」に武士のような自制心と科学心を発揮する「個」を勇気を持って確立してもらい、その行動が結果として「集団的知性」と「進化システム」を発揮して日本の大失敗の繰り返しを米国同様に防止できると確信しています。  国民政党制なら「党議拘束なし」で「政党組織に束縛されず」良心の自由で自分の意見を十分発言できて国会採決でも自由意志で自己責任で採決に参加できる為、選挙でも事実に基づき一生懸命勉強して、有権者の負託に答える採決行動を伴う主張を展開出来るからです。 若い志を持った国会議員と有権者の「個人」の勇気と活躍を強く願っています。
 求められれば日本国の自力経済成長と財政再建の為に、私も全面的に応援行動します。
 現代の日本の政治・経済は明治維新時と全く異なり権威と事大主義とカネになびく非科学性が充満しています。 明治維新は徳川時代の権威や階級を重んじる事大主義の朱子学を批判し、科学の陽明学が実行され初代総理大臣は実力主義で徳川末期の最下層の貧農の生まれのカネで苦労をした伊藤博文が就任し、日露戦争で明らかな如くカネが無ければ科学で戦争は長期間継続出来ない事実を知っており科学の結論から不利な条約を受け入れたのです。
 明治時代は理念を軽視し「事実を重視して観察する科学精神」で大成功を納めました。
 昭和時代の戦前は事実を軽視し理念に偏重し全体主義の理念を重視して大失敗しました。
非科学の理念の演繹法の文科系を役に立つ事実に基く帰納法の科学へ大転回すべき時です。
 故に同一種の人間社会では階級意識は大弊害で、個人優位・組織劣位が大原則なのです。
 更に国家は連年長期継続的に税収が増加しないと時代に適応した事業を充実できません。
 故に文科系学問は理工系学問に比べ、事実を観察する科学心が全く不足しています。

(進化システムと自然システムについて・・後段詳述)
国家は事実として人間(国民)を部分とする全体(集団)の存在(システム)である以上、国家が進化成長する為には人間の身体機能を拡張した機能を完備する必要性があります。
 更に地球上の豊かな自然生態系を創り上げた自然システムと同じ機構を持つシステムを、「進化システム」と言い、自由な国家経済へ活用すると強力な進化増殖性をもたらします。
 故に経済活動ではカネは人間の血液と同様に、身体(国家)を進化成長させる為には栄養を隅々に行き渡らせる循環機能が必要で、その為には心臓の機能(国家の所得適正再配分や所得再回収機能)や脳の機能(政策立案機能)や免疫機能(身体内の非自己である細菌や癌を攻撃する警察機能)や自己防衛機能(外敵からの自衛機能)等が絶対に必要になります。
 更に「表現や個人消費や科学や知識や参加の自由」は事実として全生物中、唯一人類だけが持っている過剰性の本能を活用した「危害原理付の自由を絶対的本質とする進化システム機能と所得適正再配分機能を持つ税制」は、人間社会に科学で膨大な効用をもたらします。
 この人間の強力な自力経済成長と財政再建の同時達成能力を活用したのが本論文です。
 非科学の演繹法の文科系を、実用的な事実に基づく帰納法の科学へ大転回すべき時です。
 故に同一種の人間社会では階級意識は大弊害で、個人優位・組織劣位が大原則なのです。
 更に国家は連年長期継続的に税収が増加しないと時代に適応した事業を充実できません。
 故に文科系学問は理工系学問に比べ、事実を観察する科学心が全く不足しています。

(内需主導自力経済成長システムにおける国内システムと対外システムの区別について)
 本論文は米..韓等の他国からの影響を受けない自力の経済成長理論を目指しています。
 さて日本は平成元年までは消費税無の高累進所得税制の時代であり、第一次オイルショックの時は日本は世界で最も早く需要減少に適応して、自力で景気回復を達成できたのです。
 さて世界大百科事典によれば、「対象を部分が結合して構成される全体として認識する時、それをシステムと言い、部分を要素と言う。」 システムにおいて要素を、システムとして認識し、あるいはシステムを、より大きいシステムの要素として認識すれば対象は階層構造を持つシステムとして認識される」 そこで全世界を相手に単純化・標準化を目指すグローバル化のシステムは「国家と言うシステムの部分の多様性を学者がシステム的に完全に無理解である事を表しており正しそうに唱えても、全体主義や共産主義と同じ非科学に過ぎず」これに踊らされた多くの為政者によって全世界に大損害が生じている事実があります。
まず国家は国民と領土を要素(部分)とする全体システムで各国は完全に多様な存在です。
 グローバル主義は全世界経済を標準化・単純化しようとする統治者の思惑の、上から目線で多様性を否定する非進化システムで自然システムや進化システムに全く反した思想です。
 故に「輸出主導の通商システムについては」以下の理由により、他国の需要の収奪になり危害になり無限の経常収支黒字の維持は不可能で、故に「経常収支ゼロの円安株高が最善」で外需依存の輸出主導経済成長理論の円高は全面的に大錯誤です。外需依存経済成長理論に基づく輸出増加は円高と他国の通貨安をもたらし他国の危害になるので他国の需要を収奪する、輸出は輸入した分だけに止める経常収支ゼロへ自制する国家経営=購買力平価の円安株高の維持が最善なのです。この対外政策の長期継続的な維持と消費税無の高累進所得税制採用が内需主導自力経済成長理論の基盤となり、他国に迷惑を掛けず長期継続的な内需増加と国富の全面増加をもたらし株高と税収と国民所得の長期継続的な自動増加をもたらします。
 故に国家は経常収支が黒字に転じる成熟経済段階へ到達したら為替相場で購買力平価の円安株高を維持し、資本の自由化による通貨の上下を安定させ企業経営の波乱要素である、為替差損・為替差益を最小限度にする為には「通商政策は常に経常収支ゼロを目指す生産拠点の海外移転が最善と認識して行動する事」です。 別項で詳述しているが優秀な日本の官僚であれば「和をもって貴しとなす」の精神で官の適切な情報公開と民間への経営指導によって調整は可能となります。同時に民間でも最新技術の秘匿と漏洩の防止は重要な課題です。
 逆に日本の経常収支が過剰な赤字になりそうなら外国の生産拠点の一部を日本へ復帰させれば、直ちに経常収支均衡へ回復できるので日本の国家経営は全く心配いらないのです。
 次に「国内システムについては」対外システムさえ他国へ迷惑・危害を与えないシステムになっていれば「国内システムは自由平等(対等)競争の絶対性遵守の消費税無の高累進所得税制の進化システムと所得適正再配分機能を備えた税制を採用すれば、無限の内需主導自力経済成長がOKなシステムとなり改善が望まれる国内の全経済問題が全面解決できます」 
非科学の演繹法の文科系学問を役に立つ事実に基づく帰納法の科学へ大転回すべき時です。
 故に同一種の人間社会では階級意識は大弊害で、個人優位・組織劣位が大原則なのです。
 更に国家は連年長期継続的に税収が増加しないと時代に適応した事業を充実できません。
 故に文科系学問は理工系学問に比べ、事実を観察する科学心が全く不足しています。

(全体主義・共産主義の大欠点と資本主義の通貨としての銀行券(カネ)の本質について)
 「法王から一般信者に至る階層構造の上下関係と全国組織があり、聖職者は特別な存在として結婚しない組織優位・個人劣位のカトリック思想」に抗議するルターの宗教改革により「神の前では聖職者も一般信者も皆平等で結婚し一般の社会生活を送るプロテスタントが建国した米国独立宣言の自由平等(対等)競争の絶対性は個人優位・組織劣位の思想」で自然生態系の同一生物の種内競争と同一で日本国憲法にも明示され、遵守が地球を生きる生物進化の基礎条件となります。これから派生した「最新科学の進化システムや集団的知性」に基づき柔らかい帰納法の再現性を活用する科学は経済集団の根本的進化を促進する存在です。
逆にカトリックの本家の欧州社会は基本的に反プロテスタント反米の反進化システムです。
 基本的に水と油の思想の良いところを取り入れようとする日本の姿勢は必ず失敗します。
私の理論は自然と武士道と神道に一番近い個人優位・組織劣位の科学の進化システムです。
 特に私は浄土真宗の住職の末裔で「プロテスタントと類似の」宗教哲学を有しています。

 そこで長期経済停滞の現代を資本主義の終焉とか資本主義の転換点とか「無限の経済成長できる資本主義の本質に無知な専門家と言われる人たちの議論に惑わされないように!!」
友愛と言う最悪理念を持ち込み仲間を同志と呼び合い多様な考え方を持つ人間社会に、特定の色や臭みを持つ特定階級を作り出す欧州の全体主義・共産主義は自分達の階級を守る為、表現の自由への規制が多く進化システムを活用した無限の経済成長は全く不可能であり、逆に資本主義はカネという無色・無味・無臭な実在を自由平等(対等)競争の絶対性を遵守して全員を平等に扱えば米国のように進化システムの表現の自由の一種である大部分の個人消費の自由(無税)を徹底して認める欧州型消費税無しを完全に遵守し、且つ対所得租税平等率負担の所得適正再配分機能を持つ高累進所得税制を全国民へ平等に適用すれば中低所得階層の高消費性向が活用でき、更に超高所得階層の過剰貯蓄を税収として吸収し財政出動に活用できて時代時代の経済環境と自然環境へ自動適応して無限の経済成長は可能となります。
 更に有能な超高所得階層は中低所得階層の高消費性向で創出される総需要の増加を市場経済機能により所得増加の恩恵を最も享受する立場となり中低所得者層の所得も同時に増加するので「損して得取れ」になり、国家と国民がともにWIN・WINの関係になるのです。
 更に国家の政党制度を党議拘束を認める階級政党制から国会議員一人一人の良心の自由と表現の自由を認める米国型の党議拘束無の国民政党制へ移行すれば「国会でも総選挙でも」全国会議員と全国民の良心の自由、集団的知性が発揮され社会進化が確実に促進されます。
 市場経済と政治は膨大な数の全国民を扱う「集団科学」の分野(民間事例では保険等)であり、「正しく統計と自然科学の進化システム・集団的知性」を活用する分野です。、

 カネは自由な人間の本性に適応した中立性が有り、日銀から発行され、民間金融機関へ支払われ「経済活動の血液として経済循環へ使用」され、最終的に日銀へ持ち込まれ「還流」されるまでの間、市場経済内のカネは自力経済成長(前向き借入金の純増となる)で増える事があっても、株価の大暴落等でも絶対に消えて無くなることはない特性を持っています。
  そしてカネは経済活動に使用され個人消費が増加を開始すると、それを消化する企業の設備投資の増加を誘発し、それに伴って国民所得の増加も税収の増加も開始するのです。
 つまり「個人消費の増加ありき」が自力経済成長の原点なのです。 アメリカのメディアでも日本の新聞でも「個人消費の増加が経済の最大の関心事になるのは当然の事なのです」
 個人消費の増加には進化システムの個人消費を自由化する「消費税無の高累進所得税制」が大切で、消費税制を廃止する事で表現の自由の一種である「個人消費の自由を確立して」日本の平成元年までの戦後43年間の税制と経済実績で明らかなように、個人消費の自由拡大の進化システムが作動するようになり所得の増加と所得階層別の消費性向に応じて個人消費が自然増加を開始するようになると「市場経済機能が有能な全国民の1%の低消費性向の高所得者層へ所得を集中する役割を発揮し」同時に「高累進所得税制が自動的に所得適正再配分機能を発揮し全国民の99%の高消費性向の低中所得者層へ所得を再配分する経済良循環機能を発揮するようになり」所得階層間のカネ回りが良くなり常時個人消費は増加するので国民所得も増加し企業の経営マインドは常に全体需要が増加するので、普通の努力をしていれば倒産の危険は少ないので過剰な競争意識を持つ必要が無くなり安心して労働者の賃上げにも応じられるようになり自力経済成長や財政再建を自然に自動的に実現できるのです。
 しかも高累進所得税制を維持していればインフレもデフレも自動的に改善できて超高所得者層の仮需による資産バブルも過剰貯蓄選好も同時に自動防止できる為、結果として資産バブルの発生も資産バブル崩壊も本論通りの税制改革で防止できていたのに大変残念でした。
日本は消費税導入と累進減税した為に両方同時に大失敗し国家国民へ大損害を与えました。
さて消費税無の高累進所得税制によって個人消費が増加し結果として企業経営者の設備投資意欲が増加すると民間銀行からの「設備投資用の前向き借入金」も同時に増加するのです。
 つまり「カネは天下のまわりもの」という日本の格言は深遠な意味を持っていたのです。
 逆に不自由不平等税制により1%の低消費性向の超高所得階層へカネが集中するようになり、99%の高消費性向の低中所得者層へカネ回りが悪くなると、結果として国家全体は低消費性向となり国家経済全体の個人消費の増加は減退して「国民所得も停滞し、高所得階層の過剰貯蓄は個人消費にも設備投資にも等価変換できず深刻な経済不況へ陥るのです」。
 つまり「生産設備の設備投資には大量の労働者が必要となり」故に「設備投資には所得適正再配分機能もあり個人消費の自然増加による自力経済成長へ大効用があります」。
 逆の税制による「非設備投資つまり金融投資の増加は大量の労働者の必要性は無く」故に「所得再配分再配分機能も無いので個人消費の増加の自力経済成長に無益無効用なのです」
 市場が不景気になると民間銀行からの借入金返済用の借入金や、資産バブルになると土地や株式などの「金融投資用・非設備投資用の後ろ向き借入金」のカネが「貯蓄=−>設備投資」の経済循環から外れて「その分はカネが市場経済で循環しない無駄ガネとなり滞留して」経済循環は悪循環になり循環が阻害され不景気になったりバブルが崩壊したりします。
 故に民間銀行の貸付に「前向き貸付(設備投資)と後ろ向き貸付(金融投資)」のいずれが多いか少ないかに、国家の経済政策担当者は、常に注視する必要があるのです。
非科学の演繹法の文科系学問を役に立つ事実に基づく帰納法の科学へ大転回すべき時です。
 故に同一種の人間社会では階級意識は大弊害で、個人優位・組織劣位が大原則なのです。
 更に国家は連年長期継続的に税収が増加しないと時代に適応した事業を充実できません。
 故に文科系学問は理工系学問に比べ、事実を観察する科学心が全く不足しています。

(生存競争の事実と自由平等(対等)競争の絶対性の事実について・・後段詳述)
 生存競争とは同一種の生物における種内競争である事実はダーウィンの進化論の自然科学で証明されています。その種内競争である人間同士の生存競争が「自由平等(対等)競争の生き残って増殖した方が勝ちの全体数が増殖する競争であり、異種間の相手を食い殺した方が勝ちの全体数が減少する弱肉強食競争とは異なる事実」を、まず理解する事が大切です。
 そしてアメリカ独立宣言と日本国憲法の「自由」と「平等」と「競争」は正に人間の生物としての生存競争である種内競争と多様性を、表現している事実を理解する事が大切です。
そして生物の「自由」と「自然選択説」によって「事実として」生物多様性をもたらし自然生態系は種内競争で自然に世界の隅々まで生物を進化させ増殖拡大させた事実があります。
 故にグローバル経済や新自由主義による世界経済の多様性を破壊する単純化・標準化は大錯誤・大誤謬の学説です。
非科学の演繹法の文科系学問を役に立つ事実に基づく帰納法の科学へ大転回すべき時です。
 故に同一種の人間社会では階級意識は大弊害で、個人優位・組織劣位が大原則なのです。
 更に国家は連年長期継続的に税収が増加しないと時代に適応した事業を充実できません。
 故に文科系学問は理工系学問に比べ、事実を観察する科学心が全く不足しています。

 (所得恒等式による個人消費と所得の不思議な関係と等価変換式について・・後段詳述)
 利己的遺伝子の個人消費という行為が、自動的に他人の所得という利他的果実に等価変換されるという個人消費が持つ巧妙で特殊な利他的行為を理解すれば個人消費を罰金規制している消費税の危険性の事実が理解でき欧州や日中韓の景気が回復しない原因が分かります。
 罰金とは刑罰の一種であり「本人行為者」から強制的に金銭を取り立てる財産刑である。
交通違反すると違反行為者は「罰金」を徴収されるので国民は交通違反をしなくなります。
 同様に個人消費行為者は「消費税を徴収」されるので個人消費を最小限に節約します。
 事実に基づき所得を正確に定義すると、いくら本人が主観的に自己の努力した結果と主張しても、他人や企業が評価して労務の対価として支払行為をしないかぎり所得は発生せず本人の意志と行為だけでは所得は発生しません。  故に所得は他人評価で付与される特性なので本人所得税は他人課税では無いので、他人にも本人にも罰金効果は発生し無いのです。
 故に本人行為で他人から1000万円借入入金しても、所得には絶対にならないのです。
 次に経済学で証明されている所得恒等式は次の通りで「各々の因果関係は明確です」。
個人消費+企業設備投資=−>所得、 所得=−>個人消費+貯蓄、 貯蓄=−>設備投資+個人消費(故に設備投資にも個人消費にもならない過剰貯蓄は滞留し悪循環の要因です)
 更に個人消費と設備投資は比例関係にあり、個人消費が増加しなければ企業の設備投資は絶対に増加できない正比例関係にあります。所得恒等式は経済的絆の因果関係式なのです。
 ところが道州制や消費税制の公平・中立・簡素と言う事実と全く異なる誤った理念に日本の全国会議員が陥ってしまった為に、地方交付税の大幅減額によって「都市と地方の経済循環(経済的な絆)」が断ち切られ合計特殊出生率の高かった地方の大衰退につながり少子化が政策的に大促進され、更に消費税制の導入や超高所得者有利の不平等な低累進所得税制化への最高所得税率低下減税の為に「低中所得階層と超高所得階層の経済循環(経済的な絆)」が断ち切られ国民所得の自動増殖が不能となり、更に「国家と国民の経済循環(経済的な絆)」が長期継続的な税収の自然増収が不可能になり財政出動の減少で断ち切られ、各所得階層へ格差が大幅に広がり、カネが都市や高所得階層に集中し、地方や低中所得階層へ回らなくなりシャッター通り商店街や非正規労働者の大幅増加につながり、更に1%の超高所得者階層ばかりにカネが集中し99%の低中所得階層へカネが回らなくなり、更に個人消費の進化システム性が消費税で妨害され、全国民の過剰性の本能が作動しなくなりGDPの85%を占める個人消費など内需が、所得適正再配分機能が無い低累進所得税制によって低消費性向の高所得者層の所得は増加するが高消費性向の低中所得階層の所得が増加しなくなり国家全体の低消費性向が固定化し、国民所得の自己増殖が20年以上不能になりました。
 個人消費が増加しないので国民所得も増加せず貯蓄の増加も停滞するようになりました。
 カネを地方に回しても低所得階層へ所得再配分しても、市場経済機能により自然に自動でカネは都市や有能な超高所得階層へ経済循環で還流してくるので、全く心配は無いのです。
 更に消費税無の高累進所得税制によって進化システム機能が作動し所得再配分されれば高消費性向の低中所得者層の所得は進化システムの個人消費によって自然に自動的に個人消費の内需が長期継続的に連年増加するため、国民所得も税収も連年増加するようになります。
 つまりカネは天下の回りもので「経済循環のカネの絆が、自力経済成長には最重要です」
更に国と地方の財政支出の比率は2対3と言われているのに税収入の割合は逆に3対2になっており国と地方の不平等を是正するには、従来の地方交付税は最善の存在だったのです。
 人間の身体を健康に保つには身体の隅々へ血液を十分行き渡らせる政策が大切なのです。
 故に本論通りの保守本流税制であれば輸出に依存せず「内需の需要側に進化システムと所得適正再配分機能を常時作動させるので」、労働者の仕事が無くなると言われる10年後、100年後でも全く国民一人当たりの国民所得の伸びや自力経済成長に停滞が無く、これに「対応する供給側は超労働生産性向上の少労働社会になっても格差は過剰に拡大せず」本論税制であれば完全に人間社会へ適応できて最大多数の最大幸福を常に維持できるのです。
非科学の演繹法の文科系学問を役に立つ事実に基づく帰納法の科学へ大転回すべき時です。
 故に同一種の人間社会では階級意識は大弊害で、個人優位・組織劣位が大原則なのです。
 更に国家は連年長期継続的に税収が増加しないと時代に適応した事業を充実できません。
 故に現状の文科系は理工系学問に比べ、事実を観察する科学心が全く不足しています。

 (実質租税負担率の計算方法と経済良循環の関係について・・後段詳述)
 実質租税負担率の計算は統計的事実である総務省統計局の家計調査報告の観察が大事で、個人消費支出は個人消費商品を生産している民間企業等に対する個人消費支出と、非消費支出は税金や社会保険料という公的商品に対する消費支出であり「個人消費支出+非消費支出=総消費支出」として把握し「実質租税負担率=総消費支出÷所得」と本論で定義します。
 そして各所得階層の実質租税負担率=国内市場経済全参加費用÷所得とも言えるのです。
 更に各所得階層の個人消費性向は高所得階層は低率であり、低中所得階層は高率であるので対所得の実質租税負担率を非消費支出で調整し「平等率」へ仕組むのが平等の実現です。
 複式簿記の原価計算によって全ての租税は事前に、平等に商品原価に配賦済みの事実があります。 つまり総消費支出は国家経済内で生活する全国民が所得に応じて標準的に生活する時に必要となる総消費支出であり全所得階層別に実質租税負担率を各所得階層ともに平等率になるように非消費支出で調整するのが「消費税無の高累進所得税制」であり、「真の公平・中立・簡素」で簡素・簡便な税制なのです。 現状は有害な消費税制を併用しているので平成元年以前と比べて確定申告の手引きをはじめ、税制全般が複雑になり簡素ではなく税理士も企業も税務署員も税務処理に2倍位以上の徴税コストがかかるようになりました。
逆に超高所得層の最高所得税率の高い超高額税額も事実として適正にコストに配賦され商品原価へ転嫁されるので対所得で有利不利の事実は無く「真に公平・中立・簡素な税制です」
 つまり市場経済における「商品価格」には、その商品が生産され販売されるまでの全過程に関わった個人と法人の人件費等や全租税負担を、複式簿記により事前に平等に原価配賦して原価計算し商品価格を決定し、個人消費を通じて循環資金が企業や国家へ資金が回収されて経済循環が無限に良循環している事実があります。 更に個人や法人が確定申告して納税する行為は経済循環の事後工程に過ぎないのです。それで国民から毎年汲めども尽きぬ税収や原価を国家や企業は個人消費(企業売上)から無限に循環回収することができるのです。
 従って「消費税無の高累進所得税制」によって長期継続的な需要(個人消費)の増加を実現し、結果として長期継続的な国民所得の増加と税収の増加を達成できる事実()があります。 逆に消費税制があると個人消費を罰金規制しているので、進化システムの個人消費の増殖拡大機能や多様性が妨害され、更に自動的に行われる「個人消費+企業設備投資=−>所得」へのスムースな等価変換が妨害されている事実があり結果として自力経済成長と財政再建の同時達成は不能となり国民所得の増加(労働者の賃上げ)も不能になります。
非科学の演繹法の文科系学問を役に立つ事実に基づく帰納法の科学へ大転換すべき時です。
 故に同一種の人間社会では階級意識は大弊害で、個人優位・組織劣位が大原則なのです。
更に国家は連年長期継続的に税収が増加しないと時代に適応した事業を充実できません。
 故に文科系学問は理工系学問に比べ、事実を観察する科学心が全く不足しています。

(国家観において司馬遼太郎氏と本論の自然科学の観察結果の異なる国家観について)
 日本国憲法第25条「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」 故に国家は生活困窮者に対し健康で文化的な最低限度の生活保護(諸事情により生産に関与していなくても)を実施しています。 更に個人消費(所得へ等価変換される)は最終消費者の人間個人が行うもので機械や企業では絶対にできないので、人間個人である生活保護者162万人や重度の身体精神障害者261万人などが直接間接に個人消費で購入する商品原価には、国家維持費用(税金)や企業維持費用は平等に含まれ実質的に各人が自ら負担して、毎年自動的に膨大な他人の所得へ所得恒等式で等価変換されているという「強い経済的絆が存在している事実が重要で」、健常者に過剰な経済的負担を掛けず、自分の負担は自分で実質的に個人消費を通じて関わった他人の国民所得へ等価変換して、自力経済成長エンジンとなる重大で有用な役割と所得再配分機能と自由平等な未来の医療介護の進化に貢献しているという重大な経済的役割があります。
 社会的動物のアリやハチの世界でさえ集団を維持する為、働かない個体が、常に2−3割が存在している事実があります。  全国民は消費者と生産者の二面性を持ち科学による経済循環では生活困窮者の個人消費は高消費性向のため(機械は個人消費を行わないので需要増加に役立たない)例え生産者の役割を果たせなくても経済良循環に好影響を与えるのです。 更に生活困窮者は子孫を多く誕生し、且つ現実を熟知する有能者も多数輩出します。故に人間の集団維持に欠かせない存在なのです。

 国別に立地や自然環境や人口や宗教や文化に多様性や独自性があるのに人為的なグローバル化や新自由主義による標準化・単純化は環境破壊と経済停滞の元凶です。
 司馬遼太郎氏の国家観では、アメリカは普遍性のある文明を持つ法律ルールに基づく地球上唯一の「人工国家」という国家観と主張しています。 しかし私は本論で徹底して述べている米国という国家の国家観は、地球上で最も自然システムルールを遵守した自然で科学的な国家であるとする観察事実の国家観です。米国の根幹を流れる「同一種生物の共食いしない種内競争原理」を人間社会へ置き換えた「自由平等(対等)競争の絶対性」の国家観であり法律は非成文法で、徹底して判例法であり徹底して素人による陪審制度の国家なのです。
 つまり米国は基本的に権威や階級が無い、原始社会のルールを基本にした国家なのです。
 つまりアメリカという国家は人工的と言うより、自然生態系を模した自然ルールの国家であるので、自然生態と同じルールの税制であれば自然に豊かに進化し繁栄していくのです。
 米国以外の国は、自然の摂理に反した不自然な不自由不平等な理念の人工的税制ルールで凝り固まった国家ばかりで、決して進化も自然に豊かに繁栄する事も絶対にできません。
ただ日本は八百万の神であり神仏習合の国であり宗教にも階級意識は無く、人種にも過剰な階級意識は無く男女にも過剰な階級意識が無い国なので米国類似の自由平等(対等)競争の絶対性の消費税無の高累進所得税制へ復帰さえすれば、米国より進化し経済成長できます。
非科学の演繹法の文科系学問を役に立つ事実に基づく帰納法の科学へ大転回すべき時です。
 故に同一種の人間社会では階級意識は大弊害で、個人優位・組織劣位が大原則なのです。
 更に国家は連年長期継続的に税収が増加しないと時代に適応した事業を充実できません。
 故に文科系学問は理工系学問に比べ、事実を観察する科学心が全く不足しています。

(事実に基づかない経済学と国家政策への批判について)
 まず通商政策で経常収支黒字増大の輸出で世界市場を席巻する政策が善という思想は、中国経済を見れば大失敗である事実で証明されました。 同様にウオン高に苦しむ輸出依存の韓国経済を見ても大失敗である事実は証明済みです。科学理論なら事実を観察すべきです。
 故に国内経済の成長は「自国生産・自国消費=自業自得での経済成長理論が最善」です。
食糧自給率を高めなければ基本的な食糧安保など夢のまた夢で万一の自衛戦争に敗戦です。
 結果としてガラパゴス商品として非難された国内のみで普及している商品は善なのです。
 つまり通商政策は本論後段で詳述している「経常収支ゼロの円安株高」が最善であり、TPPで国家が輸出で儲かる等の、国家を企業類似と見立てた新自由主義の発想こそ円高となり最悪です。国家と企業の役割分担は本論詳述の如く異なる科学的事実を認識すべきです。
 事実として中国経済と韓国経済の非科学の大失敗を詳細に観察することをお勧めします。
故に国内外の1%の富裕層へ奉仕する輸出依存で高品質農作物を生産する有能な農家を育て99%の国内消費者に普通の農作物を生産している普通の農家を見捨てる政策は最悪です。
故に過去の農政に協力した正直者はバカを見る作為的政策は必ず長期的には大失敗します。
 最善は経常収支ゼロ均衡という国の立地条件による国内事業者の多様な生産条件や他国へ迷惑を掛けない為の関税自主権に基づく通商政策の経常収支ゼロ均衡で自制すべきです。
 事実として日本は戦後43年間にわたり消費税無の高累進所得税制を採用していたので長期継続的に自力経済成長と財政再建を続け一度も経済政策に失敗せず昭和48年の第一次オイルショックでさえ世界で最速で立ち直ったのは日本だけでした。税制が最重要なのです。
 ところが既存の経済学理論は科学と標榜しながら、事実として「理論の大部分は高等数学でもっともらしく記述され、肝心の事実の観察はわずかで」、科学の定義である「事実の詳細な観察から事実の因果関係分析と再現性の確認が必要なのに何も為されておらず、既存経済学は宗教と全く同じく既存の権威の強いバイアスが掛かった非科学の学問であり、全体主義や共産主義のプロパガンダ学問と全く同一なのです。 経済学や政治学等を、事実に基づく再現性のある科学にしなければ、日本国を危険に晒し財政破綻さえ起こしかねません。
非科学の演繹法の文科系学問を、役立つ事実に基づく帰納法の科学へ大転回すべき時です。
 更にWTOの補助金協定では、輸出を条件に交付される国家補助金と国内産品の優先使用に基づく国家補助金が、禁止補助金として、WTOでは交付が原則禁止の事実があります。
つまり消費税は莫大な輸出免税還付金と言う輸出還付制度があり明らかに内需専門企業より競争上、輸出企業に実質的に有利に働き輸出補助金的性格があるがWTOの構成国が消費税中心の欧日中韓の多数国である為、問題にもならず輸出依存経済学の基礎になっています。
 つまり消費税を多額納税する「内需専門企業」と比べ、消費税が多額還付される「輸出併用企業」の消費税還付額は年数千億円規模に上りコスト的資金的に非常に有利で、内需企業と輸出企業は不平等取扱いとなり、内需専門企業は非常に不利になり、不自由不平等です。
その上外国の経済事情、為替条件で輸出企業の経営環境は常に不安定なのに対して、本論の需要側内需主導経済成長理論の内需中心企業の経営の安定成長は際立って良好になります。
 米国の間接税である小売売上税には輸出企業優遇の輸出還付制度は無く、自国民不利、他国民有利の不平等な欧州型消費税制は、自由平等のアメリカでは絶対に成立しないのです。
故に米国では「他国民による爆買いと、他国民へのみ高額消費税を還付して他国観光客の誘致経費を自国民のみへ負担させ財政悪化を喜ぶ」愚かなマスコミも政治家もいないのです。
不自由不平等の経団連の中枢は輸出併用大企業幹部に占められ政治的悪影響が大問題です。
 しかもあの口うるさい米国は貿易競争では自由な為替相場を武器に欧日中韓に絶対に大負けしない通貨システムを作り上げ、更に消費税の自力経済成長妨害効果を国家機密として秘匿して絶対に消費税を採用しない自己中の米国は経済競争に勝つ為に沈黙を保っています。
 日本では消費税の輸出還付金制度に支えられた商品コストの削減が、内需専門企業よりコスト競争で明らかに輸出併用企業に有利の不平等となり、内需の減退(内需専門企業の人件費支払いの減少)につながります。 故に自由平等(対等)競争の進化システム税制を採用する内需大国で且つ基軸通貨発行特権を持つ米国は絶対に欧州型消費税制を導入せず輸出還付金制度の無い小売売上税に専念しています。 人間社会も市場経済も結果が全てであり、長い歴史が「支配と服従では良結果は出ず、自由平等(対等)競争の絶対性の時に限り」良結果が出る事実が疫学証明されています。故に未来の諸環境変化に適応する企業の経営自主権へ弊害(米国の干渉による裁判多発)をもたらすTPPより、輸出は輸入の範囲内に自己規制する他国需要を収奪しない経常収支均衡を遵守して想定外の未来の環境変化に柔軟に適応できる従来の関税自主権と購買力平価の円安株高を維持する「内需主導自力経済成長政策が」時代の環境に柔軟に適応できる日本企業の健全で自主的な企業経営に必要不可欠です。
 武器輸出を逐次解禁して輸出増強を目指す政策は日本の最新の武器技術の漏えいにつながり最悪です。 第二次世界大戦で日本が開戦後の6か月から1年間有利に戦えたのは日本の最新の軍事技術を輸出せず秘匿していたからで、ゼロ戦も捕獲され徹底的にゼロ戦を分解されて研究された後は、敵戦闘機に対する優位性を全く失った悲しい歴史で証明できます。
 私は日本の武器輸出は厳禁で、たとえコストが高くても国産技術は秘匿すべきで自国生産・自国消費を主張します。 そして内需主導の日本経済が自国生産・自国消費で継続的に税収が増加すれば高コストの武器増産は全く問題ありません。故に自力経済成長で国民所得を増加拡大する再現性の本論文の税制改革理論は絶対必要不可欠で自力経済成長要因になります。大人口・多民族・多言語・多宗教・単一国家で最も経済成長が難しい自己中の米国が何故長期継続的に世界一の超経済大国へ成長できたのか本論は徹底して分析研究しました。
非科学の演繹法の文科系学問を、役立つ事実に基づく帰納法の科学へ大転回すべき時です。
 故に同一種の人間社会では階級意識は大弊害で、個人優位・組織劣位が大原則なのです。
 更に国家は連年長期継続的に税収が増加しないと時代に適応した事業を充実できません。
故に文科系学問は理工系学問に比べ、事実を観察する科学心が全く不足しています。

(組織優位・個人劣位の思想は最悪で「個人優位・組織劣位の思想」が最善である事実)
 つまりミルの自由論の如く個人が個性を発揮して、他者を害(危害原理)することなく多様な幸福追求ゲームを営むこと。これが個人の社会的自由。 同時に天才は個人にしか誕生せず刑法も原則は故意又は過失の責任を個人に追求し、責任が曖昧な組織への罰則規定や追求は少ない。 この原理原則の事実から個人優位の自己責任で成り立つ国民政党制は最善で、組織優位の自己責任が不明確な組織優位の階級政党制は最悪です。  国民政党制は「国会で全国民の集団的知性を最も集約しやすく」、且つ国家組織の全構成員の望む政策であれば政策効果は最も上がることは既に経営学でも立証ずみなのです。 だから私は当時応援していた国会議員から政党助成法に意見を求められた際、助成金は国会議員個人に支給し、議員個人が自分の所属する政党へ党費を納付する順序にしなければ個人優位にならないと激しく主張したのに、結局組織政党へ直接助成する方法になり政党助成法の成立により少数の幹部により運営される政党の力関係が所属国会議員個人より圧倒的に組織優位となり議員から個性を奪い天才的な政策は生まれず税制改善が実現できない大原因になっています。
 更に国会議員の競争の本質は選挙に勝利する事であり、その為に高額な選挙資金が必要であり高額な選挙資金を提供してくれる高所得者階層や政党組織を後援してくれる階級組織に有利な税制を推進する事は与野党の政党組織に一致している組織心理で、故に階級政党組織は、必ず実質的な党議拘束で国会議員の良心の自由を支配するので人間の良心の自由を発揮できない階級政党制は最悪で、国家国民の為に国民政党制にすべき重要な論点があります。
 故に階級政党制は最悪で国民個人重視の国民政党制へ移行して欲しいが、難しかったら最低限度「国会議員の表現の自由を確立するために、党議拘束の禁止」を法定化すべきです。
 つまり最高裁判所における裁判官の個人の合議制の「評決の自由」と同じにすべきです。
非科学の演繹法の文科系学問を、役立つ事実に基づく帰納法の科学へ大転回すべき時です。
 故に同一種の人間社会では階級意識は大弊害で、個人優位・組織劣位が大原則なのです。
 更に国家は連年長期継続的に税収が増加しないと時代に適応した事業を充実できません。
 故に文科系学問は理工系学問に比べ、事実を観察する科学心が全く不足しています。
 最後に非科学の演繹法の文科系学問を帰納法で科学化の教育改革を実現出来れば、文科系を学ぶ若者は、私のように全ての事実(統計的事実を含む)を詳細に「観察」するようになり、文科系学問は新事実発見による新理論の開発領域の宝の山となり、文科系学問のイノベーションが日本の第3次産業革命の有力なツール・道具になります。 本論文は過去の日本が既に実験・実証済みであるので、実行には他国と全く異なり大きな障害はありません。


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「知識は力なり」のベーコンは科学の帰納法を構築した17世紀の科学の巨人で事実のふるまい(因果関係の「結果事実」)を観察し、そこから推論できた知識(因果関係の「原因事実」)を人間の道具として実利に用いる(人間が意図する「結果」を創出する)事実に基づく帰納法を構築した。 ベーコンは、2000年以上続いたアリストテレスの権威による演繹法では再現性がなく、事実に対する真摯な観測を重視した帰納法による再現性のある科学を主張して構築し、前近代的な既存の権威から学問を完全解放し、理工科系学問の科学化を進め、結果として18世紀のイギリスの産業革命を創出する大偉業を成し遂げたのです。

現代こそ演繹法の既存文科系学問を帰納法へ大改革して第二の産業革命を起こす時です。
「論理展開」には「帰納法と演繹法の2つが存在し」理工科は自然科学ゆえに「リアルな事実に基づく帰納法で再現性を実証する」因果関係と観察重視の論理展開を科学と定義しています。故に「帰納法は」下から目線の因果関係の事実積みあげ方式で再現性があるので科学であり「演繹法は」普遍的前提から上から目線の論理展開方式で再現性が無く非科学です。
 しかし文科系学問は事実に基づく実験が出来ないと考え主観的な権威の理念やモデルを演繹して結論を得る三段論法の演繹法つまり普遍的前提から論理展開して結論を得る事実に基づかない論理方式で事実に基づかないので科学と言えず新事実を発見しても普遍的前提を修正出来るシステムでない演繹法は「再現性が無く有害な非科学の恐れ有」と定義されます。
 故に権威の普遍的前提と与件で構築されている「狭く固い論理の演繹法」では市場経済の進化と変化による新事実に適応できず長期継続的な再現性が全く無く科学ではありません。
 逆に科学に権威など必要ない、科学は原因事実から「観察という確かな客観的な事実」を元にして「客観的な観測事実と矛盾しないように結果事実を引き起こす力を持つ原因事実との因果関係の過程を証明して論理展開して」結果事実の再現性を厳密に確認する「広く柔らかい論理の帰納法が真の科学と定義」しています。 小保方さんの誤りを正す方法です。
 つまり事実を詳細に観察せずに「思い付き、思い込みで行う学問は百害あって一利なしの非科学であり、いづれ日本国へ大被害・大損害をもたらします」 故に「事実を自然に素直に詳細に観察する地に足の着いた科学的な学問」が、今まさに求められているのです。
故に科学では「帰納法主・演繹法従」の時に限り、科学論理で真実に到達できるのです。
 故に文科系学問論理を理工科系同様に演繹法から帰納法の科学へ大転回すれば、理工科系同様に「文科系学問を社会へ役に立つ宝の山のイノベーション学問へ大変身できるのです」
 故に現状の文科系学問・特に経済学と政治学は、国家統治階層の「美味しい言葉と裏腹に客観的な結果事実との深刻な乖離が」日常的に大問題を発性させ非科学を証明しています。
 市場経済の競争現場の末端に接せず苦労知らずの全国民の1%未満の政治家・経済学者・大企業経営者等の「統治階層の予測」は現実の競争現場へ無知故に最悪の錯誤誤謬が多い。
国家統治階層は不勉強で経済や政治の科学的本質の原理原則を全く分かっていないのです。
それに比べて全国民の99%の市場経済の末端に接して競争現場で直接苦労する「被統治階層は競争現場の厳しい現実を知る故に予測や判断は統治階層より遥かに優れているのです」
 故に文科系学問体系をバーチャルな権威の理念やモデルから演繹する演繹法から国家を構成する全国民を集団として把握しリアルに分析する民間の保険業や小売業の予測のような膨大な「人間集団の本質を所得階層別に突き詰めて」科学する膨大な量の事実(ビックデーター)に基づくリアルな帰納法の事実の因果関係で推論するコペルニクス的転回の税制や教育改革が自力経済成長と財政再建の同時達成に本論通り絶対に必要であると主張しています。
 また進化する時代に適応する国家の財政支出や国債返済は長期継続的に必ず増加する為、それに対応する税収も長期継続的に自然増収する進化システム税制が必要不可欠です。
しかも科学論理の構築には揺るぎない羅針盤のような絶対性の基準が必要で理工科系の自然科学では観測で確かめられたアインシュタインの相対性原理の光速度の絶対性が基準です。
 文科系学問の科学論理には人類は同一種ゆえに種の起源の自然科学の考古学的な観察事実で裏付けられたダーウィン進化論の「種内競争原理の自由平等(対等)競争の絶対性とミルの自由論」による「自由の定義」を羅針盤のような揺るぎない絶対性の基準と定義します。
 故に国家の「規制改革は危害原理該当行為は徹底規制し、無害行為は徹底規制緩和・自由化するのが規制改革原則で、自力で総需要の長期継続的な増加拡大をもたらす個人消費行為を罰金規制している消費税を廃止する「消費税無(米国には欧州型消費税無)の高累進所得税制」による所得適正再配分税制により、働けば働くほど個人の給与も株価も上がり国家税収も長期継続的に増加する夢も希望もある高モチベーションの税制改革が必要不可欠です」
自然界の異種間競争の弱肉強食競争は同一種の生身の人間同士の競争では認められません。
 しかし企業組織同士の競争には組織死(倒産)を認める弱肉強食競争はOKなのです。
故に生身の人間が関わる適正な競争である自由平等(対等)競争の絶対性に反した宗教や法律は、いずれ改善される運命にあります。改善しなければ不幸ばかりが発生するからです。
全国民個人へ厳しく適用される所得税制要因や消費税制要因は自力経済成長と財政再建と国民所得の増殖性・資本の増殖性・国富増殖性の良悪へ「強い大影響を与える大要因」です。
 米国独立宣言や日本憲法の自由平等(対等)競争の絶対性に違反する税法や法律は原則憲法違反です。  故に自由と平等がもたらす豊かさと多様性は、本論文どおり科学的な米国独立宣言で論理・疫学証明されているので自由と平等は宗教や法律より上位に君臨する絶対性原理なのです。 故に宗教も本論の自由平等(対等)競争の絶対性を科学的に教義の中へ取入れなければ、自然科学に反する非科学宗教つまりカルト宗教や過激派宗教に陥ります。
 本論の池田吉田保守本流税制は所得倍増計画を大成功させた自力で総需要の長期継続的な増加拡大をもたらす個人消費行為を罰金規制している消費税を廃止する「消費税無(米国には欧州型消費税無)の高累進所得税制」で、最新科学の「進化システム」と「集団的知性」と「所得適正再配分機能」を発揮する戦前戦中戦後の米国ルーズベルト税制を高度化して「資本の増殖を長期継続的に発揮する最強の資本主義税制」で「経済に株高と豊かさと多様性を実現するイノベーション税制」でした。 個人消費行為を完全自由化した「消費税無の池田進化システム高累進所得税制」の戦後43年間、対前年の税収は昭和50年の第一次石油ショックの1年間を除き連年増加の一途だった再現性は科学税制が奇跡を起こしました。
故に税制の選択は、税制効果によって良い結果事実を予測する確かな科学技術が必要です。
この税制は日米において
掲載の通り過去に長期継続的な再現性の大実績があります。
 更に経済は需要と供給のバランスで成り立っている以上、供給側のみを規制緩和・自由化するとバランスが崩れるので、必ず同時に需要側の個人消費の規制緩和を行わないと需給へ大不均衡を生じデフレを発生します。 この単純な事実さえ政治家や経済学者のエリート達は無知なのです。 科学の基礎を学んでいない文科系エリート達の大不勉強の結果です。
 例えば市場経済は正しく税制を構築すれば自動調整機能を発揮するシステムです。しかし国家統治階層が誤った税制を採用している場合は経済不況が生じると、人為的に景気を良くしようとするとEUのように、スクラップインセンティブ (自動車)減税を実施して新車販売を財政負担をして消費喚起しながら、他方高率な消費税で個人消費を罰金規制抑圧する「非効率なマッチポンプ政策を平気で採用する規制大好き国家群のEUでは」絶対に財政再建は難しくなるのは因果関係を考えれば科学的に自然な結果なのです。 非科学で非効率な「政治家が自分の権力を見せつける為に大好きな、火を付けながら消して回るマッチポンプ政策」の経済の思惑が良好なパーフォーマンスを発揮するはずがないのは当然の結果です。

 日本では戦後に制定された過度経済力集中排除法によって財閥解体が行われ独禁法によって持株会社の設立及び既存の会社の持株会社化が禁止されていました。だが日本版金融ビッグバンを推し進めた1997年(H9年)の独禁法改正によって純粋持株会社が解禁され韓国と同じく日本経済の財閥化が始まりました。持株会社とは、他の会社の株式を所有する事によって、その会社の事業活動を「支配する事を目的」として設立された会社を言います。
 事大主義の支配と服従関係の階級意識を実質的に経済活動に持ち込み、更に資本の力によって供給側の生産力のみを増強し生産性を高める事に注力したが、個人消費の罰金規制を継続したので需要不足で不況が進展した。 財閥化は韓国同様、利益追求の大企業によって中小企業分野であった小売業・飲食業・サービス業・小規模建設業・農林水産業にまで大企業が進出し資本と組織の力をフル活用し標準化・単純化により組織化・寡占化を推し進め大企業と中小企業の圧倒的競争力格差により、多様性を持つ中小企業は生き残る事は難しくなり戦後長らく培われた義理と人情につつまれた大企業と中小企業の共存共栄の気風の過半は失われ支配と服従意識と、これに対応する中小企業経営の困難さが加速され後継者の夢と希望が失われ日本の雇用の7割以上を担う中小企業は今まさに存続の危機に直面しております。
 そして膨大な数の中小企業の衰退は、自然発生的に全日本の地方地方に網の目を張り巡らしたように存在していたコミュニテイの維持が困難になり衰退に直結し、結果として地方都市はシャッター通り商店街ばかりになり、地方の長い伝統を支えてきた地方地方の伝統文化と日本文化のコミュニティの維持は困難になり衰退と国力の疲弊を招いています。 つまり国家の本来の存在目的である「最大多数の最大幸福」を忘れた経済学と政治学の過剰な高所得者階層有利を正そうとしていない税制を詳細に観察しているのが本論文のテーマです。

故に「自由平等(対等)競争を遵守する科学的で人間の本性に合致した税制」によって一円の財政負担無で長期継続的な、内需の個人消費の増加と設備投資の増加を実現し、結果として国民所得と税収の長期継続的な増加を実現し国家経済と中小企業振興に資するべきです。
 故に「消費税無の高累進所得税制は社会主義であると言う悪意の攻撃」はウソも100回言えば真実なるという、ナチスのゲッペルスの最悪のプロパガンダ(政治宣伝)と同一です。
 現状は「個人消費の増加=−>所得の増加」という「カネ同士の絆」を消費税という罰金が切断している為に、人間社会の全ての絆を破壊しています。不良な税制は最悪の結果をもたらします。 更に人類は地球上に生きる一動物にすぎず故に「利己的遺伝子」と「人間独特の過剰性の本能遺伝子」を必ず持っており人間が「自己中」である事は仕方ありません。
 同時に人間は同一種であるので他人をエサとして認識しない「共食い禁止遺伝子」を人類は必ず持っていますが、理念過剰の教育や宗教の刷り込みにより、共食い禁止遺伝子の作動を鈍らせると、同一種なのに世界中で経済も政治も殺し合いの大混乱を招来しています。
 自由平等(対等)競争の絶対性の遵守は、本能的に利己遺伝子で行動する人間に「共食い禁止遺伝子と過剰性の本能遺伝子」を適正に作動させる為の「人類の英知」であり自由で豊かで且つ過剰に格差の無い多様性を保持した進化システム経済社会構築に必要不可欠です。

本論を明治時代と敗戦後の昭和20年から昭和59年までの国家統治階層の「自制心」(日本人は特別と考える思い上がりを戒めた)と「科学心」(良い事はやる、悪い事はやらないとする行動重視)を心がけた、自由平等(対等)競争の絶対性を基準に、事実を詳細に観察すると税制改悪(最高所得税率の低下減税開始)の昭和59年より大失敗が続いており、早く税制を旧に回復し内需の総需要さえ自動増加すれば企業は人件費を増加して自力経済成長できる為、現状と正反対の税制や経済政策へ早く大転回しないと更に大損害が発生します。
つまり平成元年の消費税導入以降、全個人消費行為に罰金を課するようになったので、全消費者は最も嫌う消費税分のコスト増を激安商品を追求して経済的損失を避けようと激安商品に群がるハイエナのような消費者ばかりを、国家が人為的に育成してしまいました。
市場経済の景気回復は国家統治階層の人為的な作為では絶対に実現できません。 経済政策は自然科学的に人間の本性に合致して合理的に構築されている時に限り実現できるのです。
 激安商品に群がる消費者に対応できる企業は、価格競争力の強い大企業か、商才に長けた特別な中小企業か、義理も人情も無く人件費コスト徹底して削減できる低人件費コスト企業か、カネがあり機械化した高労働生産性現場(労働者をリストラする)を実現できる企業だけが生き残る経済環境を国家が作り上げました。  故に労働人口の7割以上を支えてきた普通のサラリーマンよりは遥かに努力しているが、普通の商才しか無くカネも無いので普通の競争力しか無い、義理と人情に厚い普通の中小企業は生き残れなくなり、全国各地にシャッター通り商店街と、優秀な技能を持つ膨大な数の善良な中小企業の廃業や後継者難を国家が最悪税制で政策的に生み出しました。 増殖拡大しないパイの取り合いに陥っています。
 自力経済成長には新自由主義や減税乗数理論は全体主義や共産主義と同じく、理念重視の真っ赤な誤りである事を事実が証明しています。 従ってこれらの弊害は、進化システム機能と所得適正再配分機能を持つ税制の力によって、総需要(=個人消費+企業設備投資=->所得)さえ連年増加してパイを自然に増殖拡大さえすれば、消費者は目を血走らせてハイエナのように激安商品を探す必要が無くなり、過半の消費者は適正価格で商品を購入するようになり、企業の経営環境は劇的に改善され雇用環境を無理に合理化(例えば正社員の非正規化)する必要が無くなる為、先ず国家が欧州型付加価値消費税制を廃止し、平成元年以前は当たり前だった、租税平等率負担の池田高累進所得税制に復帰することが、国家へ最大多数の最大幸福をもたらし、全国民にとって最大の幸せをもたらす事になるのです。  この税制こそ個人消費の進化システム機能を回復し、全国民の9割の低中所得階層の高消費性向を活用できて、長期継続的に超高所得者層の所得増加を安心安全に支える税制になるのです。
 山で道に迷ったら、事故を防ぐには、元の道へ引き返す勇気が不可欠と全く同様です。

税制の選択は、その税制効果によって良い結果事実を予測する確かな科学技術が必要です。
 消費税有の低累進所得税制では国家経済へ進化システムと所得適正再配分機能は全く作動しないので長期継続的な総需要の増加も、深刻な超格差社会と貧富の格差の改善も、国民一人当たり所得の増加も、財政再建も全く達成できず、「自国民の進化システムや集団的知性」を発揮させて自力で経済成長する機会や全国民の自立心発揮の機会を逃しており、その長年の損失は巨大・莫大であり、既存政治家と経済学者や財政学者の責任は大であります。

 さて日本は「ギネスブックに認定されている世界最古の国家で」日本神話上は紀元前660211日、初代天皇即位・記紀説であるが、科学的な世界史では客観的に4世紀頃と認定されています。 更に日本は神でさえ働き者であり、その精神はどんな事に対しても「一生懸命に取り組む働き者の日本人の労働倫理と誠実と正直を尊重する自制心の恥の文化」を日本の歴史の中で構築してきました。 更に神道の最高神は、議論が多かったが女性の天照大神と明治天皇がお決めになりました。 世界三大宗教であるキリスト教、仏教、イスラム教の一神教の最高神は全て男性であることを考えると、自然科学的に雌を尊重し、自然生態系の社会的昆虫の蜂や蟻、ライオンやゾウなどと同一の母系制社会として自国の国民性を理解した事は、生活保護とロボットが発達した高労働生産性経済下でも、労働に応じてバランスよく自力経済成長できる未来の国家の姿を的確に科学的に説明できるようになりました。
 即ち働きバチも働きアリも、常に集団の2−3割は全く働かないのに、それらの生活を保護し、腰軽々しく良く働く仲間が疲れて休むと、休んでいた者が働き出す事によって全体集団が長く存続できる仕組みになっており、短期的な生産効率を無理に上げると集団全体が致命的なダメージを受け長く全体組織が維持できない事が自然科学的に証明されています。
 更に科学が発達し人工知能やコンピューターやロボットで高生産性が可能になって「雇用の未来が脅かされても」人間の持つ過剰性の本能による個人消費の進化システム機能と所得適正再配分機能を持つ消費税無の高累進所得税制がある限り、必ず時代に適応して個人消費は無限に長期継続的に増加し、それに伴い設備投資も増加するので総需要は増加し等価変換結果の国民所得も増加する自力経済成長と財政再建は同時達成できて安心安全です。 更に八百万の神の自然崇拝の多神教は自由平等(対等)競争で特別な神の存在を認めず仏教伝来以来、神仏習合を定着させた事は日本の独創であり「天は人の上に人を作らず・人の下に人を作らず」は名言で「米国以上の高度な自由平等(対等)競争意識の国民性を育みました」
 更に「正直に誠実に、と言うアングロサクソンの道徳意識」と全く同一の「ウソと不誠実を嫌い正々堂々とした武士道精神」を好み、言葉(だけでは事実は発生しない)より、勇気を持って行動(事実の発生)へ突き進む、科学的な陽明学や実学を発展させ「労働を尊重する自由平等(対等)競争の精神が科学を発展させ勤勉な海洋国家日本発展の大要因でした」
 更に日本には世界最古の土器があり、世界最古の貝塚があり、世界最古の漆製品があり、世界最古の皇室があり、世界最古の木造建築があり、ギネスに載る世界最古の企業は1位〜3位が日本が独占し、世界の老舗企業の半分以上が日本に事実として存在すると認定され、尚且つ日本は世界最古の独立国という歴史ある独創的な国家だったのです。 つまり全国民の自己中意識を、和をもって貴しとなすの思想で中和教育して「自由平等(対等)競争への国民性を育み」過剰な理念を排し経験を重視したアングロサクソンより高度な自由平等(対等)競争の絶対性遵守の柔軟で勇気ある好奇心を持つ行動力ある国民性をもたらしました。
問題は「日本の国家統治階層に、その自覚が無く自分達の理念が正しいと党派性に固執する固い体質の階級政党制が大問題です」 欧州を模倣した与野党が階級政党の党派性の言葉の理念に固執していては日本の危機は救えません。有権者の政治離れは深刻で、その最大の原因は「真実を追求する科学心不在の既成政党の国会議員への不信であり」根本は既成政党の国会議員の言葉の事大主義(強い者につくご都合主義等)にまみれた政治姿勢にあります。
米国大統領選挙でさえ既成政党に対する批判は行動する候補者を求める予備選で明確です。
 国家を救えるのは幕末や明治時代の陽明学の教えで事実を発生する行動だけだからです。
 有権者も国会議員も価値観は百人百様であり、国家全体の価値観の決定は良心の自由を持つ国会議員の個人戦の全体競争で決める事が不可欠です。逆に政党別の組織戦で決める階級政党制では科学では無くプロパガンダの思惑の巧妙な力の強い一致団結を主張するリーダーが率いる政党が制するから多様な有権者の意見は無視されるので政治離れが起きるのです。
 一致団結無の、その時代に適応する政策を国会議員が良心の自由に基づき、自己責任で各人主張し、それを国民政党制の予備選挙で「公認候補者を有権者が選び」、他政党の公認候補者との一騎打ちで決める、多様な価値観から競争で「集団的知性を集約する国民政党制」は「全国民の集団的知性を発揮させる」非常に科学的な政治制度だったのです。
 予備選挙制度導入の大利点は、米国では政党の不当利得が事前に阻止され、且つ 政党の公認候補者の実質的な決定権が、 政党から予備選挙の「有権者へと移行」した事はである。

ここに米国が集団的知性を発揮して大間違いなく世界一の超大国に君臨している理由です。
故に階級政党制の日本で唯一国民政党制へ転身できるのは無所属の国会議員だけであり是非とも過去に存在した「無所属の会」を参考に無所属政党を設立して政党助成金をもらった上で一致団結する必要が無いので最小限度の政党維持経費で済み且つ政党では無く国会と国民へ忠誠を誓う国民政党制で議員個人の良心の自由と個性を発揮してもらいたいと考えます。
 日本の「既成政党の党派性を嫌う若い有権者と国会議員」に武士のような自制心と科学心を発揮する「個」を勇気を持って確立してもらい、結果として、その行動が「集団的知性」と「進化システム」を発揮して現状日本の大失敗の繰り返しを防止できると信じています。
 国民政党制なら「党議拘束なし」で「政党組織に束縛されず」良心の自由で自分の意見を十分発言できて国会採決でも自由意志で自己責任で採決に参加できる為、選挙でも事実に基づき一生懸命勉強して、有権者の負託に答える採決行動を伴う主張を展開出来るからです。
 若い有権者や、志を持った国会議員の「個人」の活躍を強く願っています。
国民大衆は次のような心理的傾向をもつ事から問題点ばかり強調されているが事実として情報公開を徹底すれば逆に競争現場の末端で活動しているので「集団的知性」を発揮します。
1.大衆は他人の態度や行動に同調しやすい。情報公開を徹底すれば判断は適正化される。
2.画一的な行動様式をとることが多い。 情報公開を徹底すれば行動も適正化される。
3.政治指導者による大衆操作(党派性のプロパガンダ)によって動かされやすい。
4.消費社会の進展とともに大衆は政治的無関心(ポリティカルアパシー)に陥りやすい1
情報公開社会になれば国民大衆の国家統治階層のプロパガンダを見抜く能力は極めて高く且つ国民政党制は政党内で国会議員が一致団結する必要が無い為、組織維持経費は最小限度となり選挙民の正しい民意把握と過半の賛成を得られる主張へ国会議員個人が努力するようになり有権者と国会へ忠誠を誓うようになり国会議員の政治レベルが大幅に向上します。
 故に国会議員が「数の論理より、質の論理」へ大転回し、言葉による党派性を無意味に争うのでは無く「事実を真摯に観察し」国民の生き残りにとって何が役に立つのかを「科学的に因果関係を明らかにして」科学的に再現性を議論するキッカケになる事が期待できます。

故にいま日本が行わなければならない自力経済成長と財政再建の同時達成の経済政策は!
 各所得階層に対所得租税平等率負担へ改善し、実質的な租税負担の有利不利を生じさせず且つ個人消費の進化増殖性を妨害しない消費税無の高累進所得税制への改善が最善です。
・まず第一に「租税平等率負担の消費税無の進化システム高累進所得税制への復帰です」
・第二に他国他国民へ依存せず経常収支ゼロ均衡の円安を目指す「自国生産・自国消費」、「他国生産・他国消費」の自力経済成長政策です。 日本の官僚はこの難しい生産拠点の調整を日本の国民性を発揮して官民一体となってやり遂げる予定調和能力は必ずあります。
 逆に輸出乗数理論は他国の経常赤字と円高をもたらすので取るべき政策ではありません。
 故に日本製の武器輸出は日本の最新技術の流出と輸出免税で財政赤字発生要因と円高要因となり、更に原発輸出は自国でさえ廃炉が困難であるのに他国で事故が起こる危険性と損害賠償の危険と輸出免税で財政赤字の発生要因と円高要因になります。 同様に膨大な予算を掛けて誘致する海外訪日客の、母国へ持ち帰るお土産品や海外へ持ち出す商品の消費税を全額還付する海外観光客の誘致は消費税収の財政での大赤字の要因です。 経済の科学的諸原理のシステム理解を詳細に出来る総合的でクールな目を是非持ってもらいたいと願います。
 他国民有利・自国民不利(自国民だけに負担させる)の政策では、納得を得られません。

 日本の宗教・八百万の神の自然信仰の神道は自然を尊重するので自然科学との親和性が非常に高く、且つ日本独特の神仏習合(すべての神仏は皆平等)の大乗仏教は自由平等です。

 従って日本の八百万の神という宗教観には、神に上下は無くすべて平等で、信者も聖職者も皆平等と言う日本人独特の現代の宗教観は、階級意識を排除してアメリカを建国したプロテスタント思想を、更に高度化した自由平等(対等)競争の絶対性の思想だったのです。
福沢諭吉の「天は人の上に人を作らず人の下に人を作らず」は名言で経済発展の基礎です。
 故に米国のワシントン初代大統領は党議拘束や公認権を乱用した「組織優位・個人劣位の欧州型の党派性を争う階級政党制」は事実を軽視し、抽象的で不毛な党派性を争う大欠点を持ち細部の事実から判断を下すには有害な政治システムである事実を何度も警告していた。
 その意味で日本の政党が階級政党制を堅持しているのは本来、日本国憲法違反なのです。
それは政党組織が事実上議員個人の表現の自由(採決権)を制限束縛して金魚のウンコのように政党別に無意味な党派性を振りかざし、所属国会議員が無理に一致団結行動させる愚かさを露呈しています。 小学校の生徒会や町内会より愚かな、国家組織の会費(租税収入)の20年分以上の借金を平気で行う無責任な運営実態からも露呈しています。
逆に与野党を問わず国民政党制の米国の国会議員は有権者個人の負託に答え国会と国民へ忠誠を誓っているのに、日欧の国会議員は与野党をとわず階級政党制で政党組織に忠誠を誓い支配され服従しています。 故に米国の国会議員は政党の支援を全く受けられない為、日本の国会議員より10倍勉強し10倍働き(一人当たり議員立法数の差で明らか)、個人的スキャンダルは有権者に忠誠を誓う国民政党制では致命傷になるので身ぎれいな議員が多い。
 階級政党制と国民政党制のシステムの大きな違いは、後段に詳しく解説しています。
 つまり経済学者や政治学者の怠慢が非科学の演繹法教育で国家へ大損害を与えています。 逆に日本人の宗教観は本質的に動植物の同一種内の自由平等(対等)競争の本質を素直に受け入れているので科学であり宗教へ階級や特別扱いを持ち込まなかった事は大正解でした。 
 所得階層によって国家が国民を不平等に取扱うと国民へ誤った階級意識を植え付けます。
 つまりカトリックの法王・枢機卿・神父・シスター(誰も結婚しない)へ至る組織的な宗教階層を一般信者と分けて特別階級と考える階級意識が欧州の階級政党を誕生させる要因になり、その点ルターの宗教改革で確立されたプロテスタント(法王・枢機卿・神父・シスターも宗教組織は存在せず、一般信者と同じく結婚する地域の教会の牧師のみが存在)は「聖職者も信者も神の前では皆平等」で聖職者組織という特権組織が排除された米国では、政党組織の特権(党議拘束や政党公認権)が禁止された国民政党制の誕生要因になっています。
 故に人間の価値観や考え方は良心の自由で人それぞれ100人100様である事実に着目し「政党幹部の思惑」で国会議員の良心の自由を政党が束縛禁止が、国民政党制なのです。
つまり国会議員一人一人が、統治階層に束縛されず「有権者の真の民意をくみ上げ」国会内で個人の意見を自由に政策主張をして賛同する国会議員に協力を求め、更にその議員を応援する有権者(ファン)の集まりで政党を構成するという下からの積み上げ方式の国民政党制度が「どの政策が被統治階層の過半の同意を得られるのか判定システムとして作動します」
これが国民も国会議員も一個人として尊重され個人優位・組織劣位の国民政党制なのです。
この方法で得られた政策は国民の事前の過半の同意を得ているので政策は自己責任・自助努力となるので実行への協力度は高く、且つ全責任は自国民自身の自業自得と納得できます。
 逆に全体主義国家・共産主義国家の独裁は全て組織優位・個人劣位の組織特権意識の強い階級政党制国家から誕生しているのです。 結果として民主主義国家では「政党=神」と考えれば現場事実を良く知らず政党特権を振りかざす政党幹部が政党を事実上支配し、所属国会議員をカネと党議拘束と政党公認権で支配する階級政党制は危険で「最新科学の進化システムと集団的知性が機能する個人優位・組織劣位の個人尊重の国民政党制」が安全です。
 つまり市場経済の末端の競争現場で活動していない統治階層と全く異なり全国民個人の99%は市場経済の末端に接して競争現場で労働する被統治階層は諸環境の中で事実に即して善悪良否を判断できる良心の自由の目を持つ良質のセンサーとして直接機能するからです。
 「人間個人は君子豹変す」で想定外の危機に際して、瞬間的に対応できるから安心です。
 人間とは地球上に生きる一動物にすぎず、故に「利己的遺伝子」と「人間独特の過剰性の本能遺伝子」を必ず持っており、従って人間が「自己中」である事実は仕方ありません。
 しかし同時に人間は同一種であるので他人をエサとして認識しない「共食い禁止遺伝子」を同時に持っているはずですが、理念過剰の教育や宗教の刷り込みにより、共食い禁止遺伝子の作動を鈍らせている為、同一種なのに世界中で経済も政治も大混乱を招いています。
 現状の人間社会の経済や政治の共食い状況は共食いしない野生動物よりも劣っています。
 自由平等(対等)競争の絶対性の遵守は、人間と言う利己遺伝子で行動する動物に「共食い禁止遺伝子と過剰性の本能遺伝子」を適正に作動させるための人類の英知だったのです。

((真の民主主義とは:アメリカ独立宣言で科学的に民主主義を正確定義しています))
 以下:米国独立宣言「我らは以下の諸事実を自明なものと見なす.すべての人間は平等に作られている.創造主によって,生存,自由そして幸福の追求を含む一定の侵すべからざる権利を与えられている.これらの権利を確実なものとするために,人は政府という機関をもつ.その正当な権力は被統治者の同意に基づいている.」と科学的諸事実を述べています。
つまり統治者の権力は「被統治者(国民大衆)の同意によってのみ正当とされる原則です」
 この定義の制度化こそが国民政党制であり正確な民主主義の定義の絶対性だったのです。
 故に米国のワシントン初代大統領は党議拘束や公認権を乱用した「組織優位・個人劣位の欧州型の党派性を争う階級政党制」は事実を軽視し、抽象的で不毛な党派性を争う大欠点を持ち細部の事実から判断を下すには有害な政治システムである事実を何度も警告していた。
つまり自由平等(対等)競争によらず国家同士のリーダーの「党派性の強い一個人の理念や思惑によって」、「全国民の意見を集約せず」且つ国内外の政治や経済環境の競争現場の事実を良く知る被統治階層(膨大な国民大衆)の同意を得ずに政策決定して対応しようとするので誤った政策が多数実行され国家の政治経済は長期継続的に大ダメージを受けてきました。  
国民政党制が日本憲法にも厳しく規定されている主権在民の科学の絶対性原則で、故に自由平等のもたらす「進化システムや集団的的知性」の知識の普及に限り真実の科学的な知識普及でありプロパガンダでは無く「自由平等(対等)競争に反する非科学の理念やモデルの普及は非科学のプロパガンダ(政治宣伝)で国家国民へ長期継続的に大不幸をもたらします」
 故に長期継続的な大成功実例の無い再現性の無い経済成長理論は非科学で無価値です。
外需依存経済成長理論は本論通り国家に厄災をもたらし逆に本論の税制改革による内需主導自力経済成長理論は国家と全国民へ、憲法通り国民所得増加の自由平等の恵沢を与えます。
 本論通り国債返済と時代と共に増加する公共事業の財源確保には、進化システムが作動し税収が連年長期継続的に増加する自由平等(対等)競争の高累進所得税制が絶対必要です。 「自力経済成長の経済成長エンジンである消費税無の高累進所得税制」は人間自身に備わっている進化システム機能を自由平等に発揮させて、生まれる個人消費の増殖性・多様性を国民所得へ等価変換し自由平等(対等)競争の増殖性・多様性の市場経済を構築する事です。
 
 私は日本の国会議員や経済学者や文科系学者やマスコミ界のエリートの皆様が何故現実に国家として大成功している目の前のアメリカと言う大成功の国家要因をオープンデーターに基き科学的に徹底して分析しないのか、素晴らしいお手本があるのに全く理解できません。
 故に私は日本のエリートの皆様に代わり米国を本論文で徹底分析し、子や孫の代に豊かな日本を構築する参考になるアメリカの政治経済財政の成功要因を徹底して分析しました。
 つまり建国後わずか240年の新興国米国は人種のルツボの移民大国で大人口・多民族・多宗教・多言語の最も経済成長しにくい米国へ政治の強い求心力と強い経済力(世界一の国民総生産と一人当たり国民所得)を与えたのは「米国独立宣言の自由平等(対等)競争の絶対性を遵守した国民と国会議員の個人を尊重する」「個人優位・組織劣位」のミルの自由論が基本で「進化システムと集団的知性」の国民と国会議員個人の自己責任・自助努力の自業自得の「国民政党制」と「個人消費主導の自力経済成長」の米国社会を目指した結果です。
 「国民政党制とは」政党による党議拘束は禁止、政党公認権も禁止、党首も全国組織も存在しない国会議員へ政党組織の全ての影響力を排除した「国会議員個人の良心の自由尊重の事実に基づく集団的知性を活用した最新の科学的政党制度」です。ミルによれば文明が発展する為には個人の個性と多様性、そして天才の誕生が保障されなければならないからです。
 欧州型階級政党制は「党派性を争う」非科学の理念重視の非科学制度で事実を軽視し抽象的で不毛な党派性を争う欠点を持ち、事実から科学的判断を下すには有害な政治制度です。
 つまり第二次世界大戦でアメリカの物量作戦を目の当たりにして日本の生産力劣勢の大要因を「戦中に主税局長だった池田勇人」は命を懸けて分析して米国が自力経済成長(物量大作戦)を実現できた大要因を、「「自由平等(対等)競争の絶対性を追求したルーズベルト税制」による「個人消費の自由」と「対所得租税平等率負担」の「消費税無の最高所得税率の高い高累進所得税制」の効果発揮と見破って、後日有名な池田勇人の総需要拡大の為の所得倍増計画発想の税制となり結果的に自力経済成長と財政再建を同時達成し「一億総中流つまり最大多数の最大幸福」をものの見事に大成功した事実は科学的に約束されていたのです。
故に池田は主要な経済学者の大反対など意に介さず「事実を重視する科学者だったのです」
 そして資金循環に規制妨害要因の無い「金回りの良い」市場経済を日本で完成しました。
 米国では個人重視のミルの自由論と、種の起源のダーウィン進化論の「種内競争原理の自由平等(対等)競争の絶対性」を国家が忠実に遵守した結果、市場での個人消費の増殖性と多くの天才の誕生を「進化システム」と「集団的知性」が建国後240年:2015年現在の大人口・多民族・多宗教・多言語の最も経済成長しにくい新興国の米国へ「世界一の国民総生産と人口2500万人以上の先進国で世界一の一人当たり国民所得」を達成しました。

 つまり権威ある専門家やリーダーの予測より現場で活動する人間達の「集団的知性」の方が遥かに優れている事実は最新の科学で実証されています。 つまり市場経済の現場へ直接接して活動している国民(被統治階層)は全国民の99%超に達しているが、市場経済へ直接接して活動せず統計書等から市場経済を推論するリーダーや専門家等の高所得階層(国家統治階層)は1%以下で、その予測は不正確で、「国民政党制の集団的知性」と「進化システム」の方が、はるかに優れている事は最新科学が論理証明・疫学証明済みだったのです。
米国はミルの自由論の通り「自由の偉大な力と危害原理の重要性を良く理解していました」
世界経済は長い歴史の中で政治経済の科学的本質を理解している米国の一人勝ちになります
 まず「ミルの自由論」において国家や政府が法律で個人の自由を制限したり規制して良い場合は、「本人行為が他人へ危害を加えたり迷惑を与える場合に限定されるという危害原理を定義しています」 故に「進化システムが作動する無害行為」については常に完全な自由を認める原則が、天才の誕生と自力経済成長を促進する原理原則です。 つまり自由を広く認めて社会慣習からの解放と天才の誕生と無限の自力経済成長を保証して、この「自由の定義」を遵守している自由平等(対等)競争の絶対性遵守の税制要因を詳細に研究した結果、個人消費の増加を妨害せず所得を倍増しながらデフレ・インフレを解消し、バブル発生も崩壊も抑制し、時代に応じて自然に資本増殖を実現できる最大多数の最大幸福の夢も希望もある強力な資本主義税制こそが「日本の消費税無の池田吉田高累進所得税制」だったのです。
 現状より最高所得税率を高くして対所得租税実質平等率負担を実現するだけなので一円の財政負担も無く、実質的に租税負担が増加するのは全国民の内1%未満の年所得4000万円超の超高所得者階層に限定され、それ以外の99%の所得者階層の所得税の増税は全く無く且つ負担していた消費税部分が無くなるので99%の国民は大減税になり租税平等率負担が実現します。 故に「一人一人の膨大な数の全国民は事実に基づく、より良い生活を欲求する過剰性の本能という科学の力を経済成長エンジンとして全国民が保有している為」地球に生きる全生物中唯一人間だけが持つ過剰性の本能へ自由平等(対等)競争の税制要因を加えると、より良い生活を強く求める人間の過剰性の本能欲求によって、より良い科学技術や個人消費や設備投資を本論の税制要因による因果関係に基づき進化システムの増殖性を引き起こし全国民の進化システム能力により個人消費と国民所得増加を強力に引き起こします。
 正に自由平等の人間性の本性発揮こそが真に新しい自力経済成長エンジンになるのです。

 因果関係とは科学的な「原因と結果の関係」のことを言い、一般には,事象Aが事象Bを「引き起こす」とき,ABの原因といい,BAの結果という。 このとき,ABの間には「因果関係」がある,という。 つまり「総需要の長期継続的な増加をもたらす結果」の原因は進化システムを作動させる国家税制にあるというのが本論帰納法の結論なのです。
 結果の相関関係では結果を引き起こす力は全く無いので、相関関係は因果関係を含意しない (Correlation does not imply causation)」は、科学や統計学で使われる語句で、2つの変数の相関が自動的に一方がもう一方の原因を意味するというわけではないことを言う。
 帰納法の因果関係を持つ国家税制要因によって国家内の総需要を自動的に増殖拡大させる方法が内需主導経済成長理論であります。 総需要さえ国家が長期継続的に増加出来れば企業はそれに適応して科学技術を発達させ労働生産性を向上し「供給」を自動増加できます。
 逆に我国が他国の需要や富を収奪する「外需依存経済成長理論では他国へ損害(経常収支の赤字)を与え且つ我が国は対外純資産の大黒字で円高を招く結果になるので最悪です」
 故にバーチャルな、事実では無い仮想の理念やモデルを演繹する演繹法で構築した外需依存経済成長理論は、相関関係があってもリアルな事実に基づく因果関係が存在しない為、科学の再現性が無い経済成長不能理論で、長期間経過後、いずれ必ず大損害をもたらします。
 事実に基づく効果や事実の積み重ねの経済史や税制史を正確に分析すれば「既存経済成長理論」が小保方さんと同じく如何に無効用で不正確で間違いが多いか直ぐに証明できます。
経済問題も政治問題も科学的に正しい理論で無ければ長期継続的な経済成長も長期政権の維持も絶対に不可能です。資本主義の父と言われた渋沢栄一の「正しい道理の富でなければ、その富は完全に永続する事は出来ぬ(「論語と算盤」)」や「正義論」の米国の哲学者ジョン・ロールズの「自由平等原理」や「正義とは何か」を理解した科学的で人間の過剰性の本能を理解した経済や政治でなければ長期継続的な経済成長も長期政権も絶対に不可能です。

 「経済活動は需要と供給で成り立っている以上」国家税制要因により総需要を長期継続的に増加さえすれば、企業は需要の増加に応じ人工知能や機械化等の労働生産性向上の設備投資を資本の力でできるので「供給の長期継続的な増加は可能となり需要と供給がバランスした成熟経済の進化システム資本主義のゆとりある内需主導自力経済成長理論」になります。
 故に需要の増加が無いのに供給ばかり増強すると売残りのゴミの山で経済成長不能となり、税制効果で長期継続的に総需要を増加すれば、企業の供給増加は売上増となります。
 そしてこれを経済学で公式化されている「個人消費+設備投資=−>所得」の等価変換の所得恒等式で所得を生産するのです。つまり個人消費や設備投資の増加を国民所得の増加へ等価変換すれば長期継続的に自動的に税収も国富も増加するので財政は早期に改善します。
 それ故、財政再建と公共事業と消費税無の高累進所得税制の「組み合わせ」は財政再建に不可欠な要素で、結果として自由平等(対等)競争の強力な市場経済国家を実現できます。
 それゆえ事実に基づき科学的に結果事実としての長期継続的な総需要の増加を実現する為の因果関係を持つ、結果事実を引き起こす原因事実を論理的・疫学的に研究分析すると、「第一に」人間の本性の進化システムの個人消費を税制により不自然に規制抑圧する欧州型消費税制要因を廃止すると不自然に個人消費の増加を国民が自己規制する必要がなくなり本人の欲求や本人所得の増加に応じて自由に素直に個人消費を増加できるようになります。
 「第二に」現状より常により良い生活を強く欲求する本能を持つ国民へ対所得租税平等率負担の所得適正再配分機能を持つ高累進所得税制要因を採用すると「国民の実質的な租税負担は対所得で平等率負担になり」国民所得の増加は全国民へ平等率で実現され且つ総消費性向が高い低所得者層の所得も総消費性向の低い高所得者層の所得も平等率に増加するようになるので「正義論の主張どおり市場経済の科学の力で長期継続的に国民所得や国富を増加する自力経済成長と財政再建を同時達成できて全国民は普通の生活を送れるようになります」
 つまり市場経済における「商品価格」には、その商品が生産され販売されるまでの全過程に関わった、個人と法人の全租税負担や人件費等を複式簿記による原価計算により全商品コストへ平等に価格転嫁済みで商品販売を通じて循環資金が企業や国家へ資金が回収されて経済循環が無限に良循環できる大原則があります。 それで国民から毎年汲めども尽きぬ税収や原価を国家や企業は個人消費(企業売上)から無限に循環回収することができるのです。
 故に総消費性向:(個人消費+非消費支出)/所得 が高い低所得の国民ほど国家の租税負担コストも民間企業コストも高く負担し、逆に総消費性向が低い超高所得の国民ほど租税負担も企業コスト負担も低いのが「市場経済と言う怪物への正しい科学の視点」なのです。
 つまり科学の視点では「非消費支出」は貯蓄では無く国家への個人消費に過ぎません。
 故に仮想の理念やモデルでは無く「人間集団の階層別の総消費性向(実質的租税負担)を非消費支出で調整する高累進所得税制の必要性と、対所得租税平等率負担を実現する因果関係を分析する技術が再現性のある科学であり」確実に安心安全な税制を採用できるのです。
 故に本論通り国家統治階層の人為や思惑の入らない自然科学の原理原則に則った税制要因の時に限り、長期継続的な自力経済成長と財政再建の同時達成が可能となるのです。
 故に科学は「観察という確かな事実」を元にして「観測事実と矛盾しないように構築されていくべき」というのがベーコンの再現性の帰納法原理なのです。 逆に既存経済成長理論は小保方さんと同じく「事実では無いモデルや理念や編集されたデーターに基く演繹法のため科学では無いので再現性が無く、故に本論は再現性のある最新科学の進化システムと集団的知性を取り入れた事実に基づき実績のある「科学的な進化増殖性のある市場経済の自力経済成長と財政再建の同時達成の消費税無の高累進所得税制を採用すべき事を論じています。
 つまり「事実を詳細に観察せずに、思い付き、思い込みで行う政治は百害あって一利なしの非科学的政治で、いづれ日本国へ大被害・大損害をもたらします」 故に「事実を自然に素直に詳細に観察する地に足の着いた科学的な政治」が、今まさに求められているのです。

 本論文で明らかな通り米国の世界大恐慌が発生した1929年以来、2007年までの79年間において、経済に強い共和党のイメージと正反対に長い歴史の結果事実を綿密に観察すると、「高累進所得税制を施行した民主党政権時代40年間の年平均株価上昇率の実績は12.68%で、低累進所得税制を施行した共和党政権時代の39年間の実績は年平均株価上昇率は7.18%であり」、同じく「民主党政権40年間の財政赤字発生額は年平均550億ドルであり、共和党政権39年間の財政赤字発生額は年平均1724億ドルであり」資本主義市場経済に強いイメージの低累進所得税制の共和党政権と経済学者のプロパガンダ(政治宣伝)と全く異なり、その経済財政パーフオーマンスは事実として最低最悪でした。
 1929年より以前の第一次世界大戦勃発の1915年から別表2の通り調査(観察)すると、資本主義が発達している米国において圧倒的に「大きな政府志向」の高累進所得税制の民主党政権時代の方が経済のパーフォマンスが圧倒的に高く「最大多数の最大幸福」を事実現実に見事達成しています。 「既存経済成長理論は、、既に時代遅れの非科学です。」
 また日本では昭和20年の敗戦から昭和63年の43年間の消費税無の高累進所得税制時代に国富0から国富3190兆円まで増額したのに、消費税を導入した平成元年(昭和64年)から平成25年末の「消費税制+低累進所得税制の25年間で」国富は全く増加せず3048兆円に減少した上に、公債(国債+地方債)は戦後43年の昭和63年末累積157兆円だったのに25年後の平成25年末には累積750兆円と600兆円増加しています。  
 つまり税収の自然増は税制の性能によって決定され、「消費税+低累進所得税制」の組み合わせは最悪で財政需要を賄えない事実を証明しており、昭和63年までの「消費税無の高累進所得税制」の自由平等(対等)競争の絶対性の税制の高パーフオーマンスによって公債増加は必要最小限度に抑えて見事であり、資本主義強国の最強の税制である事実は科学と実績が証明しています。 皆さんはプロパガンダ(政治宣伝)に誤魔化されてはなりません。
 政治家やそれを取り巻くマスコミや学者等のエリートは自分達に有利になるように仕組む天才であり与野党ともに自己中ばかりで、真に国家国民を憂え働く人は少数です。 ナチスの宣伝相ゲッペルスが言った「ウソを100回言えば真実になる」を実行しているのです。 
 国民大衆は与野党の既成階級政党政治家達に言いように騙され馬鹿にされているのです。

 残念ながら官僚は政治家と支配服従の関係なので、常に政治家が最終責任者です。
 国民大衆は常に官僚を責めますが、実は官僚の任命は政治家が行う為、政治家が公共事業や政策を自分に都合の良く行なえて政治家に忠実な官僚を選択する政治家が悪いのです。
 その意味で終戦直後の主税局長で税制へ明確で科学的な意見を持っていた池田勇人を官僚トップの事務次官に登用した吉田茂の経済財政への税制の影響力を知る眼力は慧眼でした。
 与野党の政治家のプロパガンダ(政治宣伝)は聞き流し、「事実を詳細に観察する科学の目と耳を養って、判断しなければならない選挙時には最悪を避ける判断をしましょう。」
 最善は簡単に得られないので、必ず最悪を避け、棄権せず次善を選択する事が大切です。
 故に政治経済で声高に主張して良いのは全国民へ科学的に自力経済成長や「最大多数の最大幸福」をもたらす「正直と誠実な自由平等(対等)競争の政策原理」に限るのです。
 これ以外の政治家・国会議員の声高に主張する正しそうに見えたり聞こえたりする理念やプロパガンダが国家国民へ大不幸をもたらして来た事実は、長い世界史が証明しています。

また「平等の定義」は、アメリカ独立宣言や日本国憲法で明らかにされているように全所得階層において対所得租税平等率負担の原則を堅持する、日本の戦後復興と財政赤字を同時改善した消費税無の池田高累進所得税制要因(最高所得税率75%、地方税込合計92%)が最善で見本は米国で世界大恐慌改善のニューディール政策と第二次世界大戦勝利の財政再建と景気回復の同時達成を長期継続的に大成功した米国民主党ルーズベルト税制要因(最高所得税率87−92%)と、第一次世界大戦勝利における景気回復と財政再建の同時達成に成功したウィルソン税制要因(同77%)で、逆に大失敗は膨大な財政赤字と世界大恐慌を同時継続的に招来した共和党クーリッジ税制要因(最高所得税率25%)とレーガン税制要因(同29%)だったのです。   なおクリントン税制要因(同39.6%)がレーガン税制要因から、わずか10%超の最高所得税率の引き上げ増税で自力経済成長と財政再建の同時達成に大成功したのは、当時米国の最大の競争相手国であった日本が減税乗数理論を信じて昭和59年から最高所得税率の引下げ減税を開始し高所得階層の過剰貯蓄が可能となり、更にカネ余りの金融政策や相続税の将来負担の急増の恐怖が後押しとなり高所得階層の利益選考の思惑から資産への仮需が仮需を呼び資産バブルが発生し始め円高になり、更に減税を続け平成元年には消費税制要因を導入し経済活動の基本である本人の個人消費行為(=企業売上)や本人の設備投資行為(=企業売上)へ財産刑である消費税と言う罰金規制を開始した為、本論通り内需の実需の増殖性・進化拡大性は喪失し、実体経済の総需要の増殖拡大が不可能になり、自己責任の自業自得で自力経済成長が不可能になり、頂点に達していた国際競争力世界一と言われた日本経済の資産バブルが平成2年2月に崩壊を開始し、同時に国際競争力は低下し更に「米国の世紀の第一次IT革命の興隆」が重なり、世界中からの設備投資資金が日本から米国へ変更した幸運が重なり、中途半端な最高所得税率の引き上げに過ぎなかったクリントン税制が成功したのは日本との相対的優位性の幸運が重なった為です。
 逆に罰金とは刑罰の一種であり行為者から強制的に金銭を取立てる財産刑であり、「罰金とは罰金対象の行為を抑止する科学的効果を狙った財産刑で」善良な運転者でも交通違反行為をすると罰金が徴収されるので交通違反行為は最小限度に抑止されるのです。実質的に消費税は本人の個人消費行為(=企業売上)や設備投資行為(=企業売上)に罰金を課して行為抑止効果を発揮しています。 平成元年以前に私が関わった当時の企業診断の消費者懇談会での多数の消費者の、税を取られる位なら余計な消費しないとの多数の発言からも消費抑止効果は明らかで、更に罰金の法的定義を詳しく調べるほど論理的疫学的に確信しました。
 まず罰金の正確な定義と罰金の科学的効果を知れば「消費税を税制改革法で、公平・中立・簡素」との定義は誤りです。エリート達は根本的に科学を知らない無知だったのです。
故に消費税を「公平・中立・簡素」とする普遍的前提から出発する演繹法は全て錯誤です。

更に第1次IT革命無しには米国は、この程度の最高所得税率の引き上げ増税では本論通り強力な自力経済成長効果は発揮できませんでした。 逆に消費税無の池田高累進所得税制要因を採用すれば幸運が無くても必ず財政再建と自力経済成長の同時達成は可能な事は本論で論理証明と疫学証明済です。事実の再現性は理念では無く事実の組合わせで達成されます。 
 故に科学では事実だけが重要で、理念やモデルは無効なのは理工系も文科系も同じです。 
 日本を戦後43年の長きにわたり敗戦の国富0の状況から国富3190兆円まで長期継続的に自力経済成長させた消費税無の高累進所得税制要因である池田吉田税制要因を平成元年に廃止した為、国際競争力世界一の称号は泡と消え、日本が正しそうに聞こえる「減税乗数理論」、「小さな政府論」、「道州制」、「儲ける国家論」を深く信じ込んだ為に、国家の本来の目的(最大多数の最大幸福)を失念し錯誤したので自力経済成長不能国家に陥ったのです。
日本の失敗は事実ではない理念やモデルを信じた非科学的な政治家と経済学者の責任です。
 この事実から「減税乗数理論・小さな政府論・道州制・儲ける国家論」は「世紀のガセネタ理論」である事実が明らかになり、戦前の大失敗標語である「欲しがりません勝つまでは」と同様に、個人消費行為を消費税で罰金規制するようになった為、個人消費の進化システム増殖性が作動しなくなり長期継続的な経済大不況と大財政赤字の大要因になりました。
 国家にとって必要なのは増加する国債返済と増加する公共事業の負担財源を進化システムと所得適正再配分機能がある自由平等(対等)競争を遵守する消費税無の高累進所得税制へ税制改革すれば、市場経済は適正に作動し税収も連年増加して安全に財政再建できます。
  更に最悪の消費税制は制度上、人件費は消費税の税抜不能だが外注費は消費税を税抜きできるので企業の税務戦略とコスト戦略から、企業は製品完成までの全工程を自社人件費で自社生産することを止めて、全生産工程を分割外注する事や、自社組織の分社化に精力を注いでいる為、製品生産の責任の分散化は激しく製品に対する自己責任・自助努力意識の低下を税制が後押ししている危険を強く感じ日本の全産業の自己責任意識の低下を危惧します。
 製品生産の自己責任の分散化はいずれ日本の全産業へ想定外の厄災をもたらします。
 そしてグループを支配する目的の持株会社の制度の導入は傘下のグループ内の会社間でも義理も人情も無い支配と服従関係の階級意識を生み、更に子会社とその下請けの外注先企業との上下関係は義理も人情も無い支配と服従関係や給与格差を生み出し、強い者だけが生き残る階級意識を作り出し所得階層別に差別意識を生み、商品製品の生産コストの節約競争の中で、「需要と供給で成り立つ経済活動の多様性を深く傷つけ」、経済活動の画一化・標準化・単純化・団結組織へ進みグローバル化やTPPは経済大不況へ進む象徴的な存在です。
結果として画一化・標準化・単純化・組織的団結の方向の究極の姿が全体主義・共産主義・新自由主義の独裁への方向性と同一で、経済の多様性の増殖拡大の方向性とは正反対です。
   
 故に豊かで多様な経済をもたらす自由平等(対等)競争の絶対性と、単純化・標準化による団結を良しとする強弱や上下の階級意識は「支配と服従」を生みだし、小が大に仕える事大主義へ陥りやすい風潮を生み出し、勇気ある国民の経済多様性の拡大障害になり生産過程の細分化は責任の分散化やあいまいさを生み出し、同時に貧富の格差を拡大し中小企業の大量の廃業を生み出し高所得者階層には苦労知らずのボンボン子弟を誕生させ、正直で誠実な大量の低所得者層子弟の教育の機会均等を奪って天才の大量誕生の大阻害要因になります。
「自由」・「平等(対等)」・「競争」の「厳格な定義」の理解が経済多様性維持の根幹です。
 故に与野党の政治家が主張するプロパガンダ(政治宣伝)には十分注意が必要なのです。

 人間:国民は企業が生産する商品を個人消費して生活しており、法人税、所得税など全租税は複式簿記による原価計算で全商品へ原価配賦されて個人消費によって全額負担回収されるシステムとなっている為、総消費性向が実質的な「全国民の真の租税負担率」になっており、この科学原理を理論化した本論文により消費税無の高累進所得税制要因が自力経済成長と一人当たり国民所得の増加と財政再建の長期継続的な同時達成のために最善である事を論理証明(本論文で)・疫学証明(池田税制・ルーズベルト・ウイルソン税制)しています。
 そして個人消費や設備投資は必ず国民所得に等価変換されるが、過剰貯蓄は国民所得に等価変換されず設備投資や個人消費に変換された分だけ国民所得に等価変換される為、過剰貯蓄は「資産バブル発生や合成の誤謬の大発生原因になる大マイナス要因にしかなりません」
 そしてベンサムの言う「最大多数の最大幸福」は国家の究極の目的であり、その為にはルターの宗教改革の思想、つまり「神の前では聖職者も信徒も平等と言う法王も神父も存在しない平等意識の原点となる米国流のプロテスタント宗教の源流」をつくりました。 ここに米国は権威の政治権力を持つ政治家(聖職者)も国民(信者)も平等と言う平等意識が芽生え、無意識に「自由平等(対等)競争の絶対性」以外のあらゆる権威や理念を認めない米国型の「集団的知性」のシステム導入つまり階級政党制の完全否定による「国民政党制」と、小が大に仕える事大主義を徹底して排除し言葉を重視せず行為や行動つまり事実の下からの積み上げ方式の「科学的な進化システム」を国家内で徹底して重視して長期継続的に自力経済成長できる国家税制である消費税無の高累進所得税制要因を採用し、更に契約を重視して大人口で多民族・多宗教・多言語・多文化の最も経済成長しにくい国家に関わらず建国後240年でGDP世界一に到達し成熟経済に関わらず現在でも自力経済成長を続けています。
 更に最善の民主党ルーズベルト税制やウィルソン税制へ復帰すれば、米国は世界不況を現代でも完全に改善して更なる自力経済成長が可能なのに民主党オバマ大統領は共和党レーガンと同じで減税乗数理論や階級意識へ傾くエリート意識で大改善への勇気が無く残念です。
 逆に欧州列強は歴史的宗教的に階級意識を温存する階級政党制を堅持し、結局、知先行後の朱子学に近い、小が大に仕える上から目線で全てを取り仕切る事大主義や思惑の権謀術策を重視しています。 つまり朱子学は「言葉の理念」を重視する学問で、行為・行動(つまり事実の発生)の裏付けのない学問であるので「事実に基づく科学」では無いのです。
 つまり貝原益軒に「知って行わざれば、知らざるに同じ」と見抜かれているのです。
結果として「市場経済は、全国民が幸福に生きる為の手段であって目的ではない」のに手段と目的を言葉の理念で取り違えた欧州は「手段の市場経済を目的とする市場経済至上主義」や「新自由主義、金融資本主義」を誕生させ「無害行為・行動を規制強化」してEUの経済学や税制を強欲で自己中な方向へ悪化させ国民性や経営者意識を大きく誤らせています。
その階級思想が日本でも地球滅亡へ進むグローバル経済やTPP構想を推し進めています。
 日本の武士道の精神は「知行合一」、「誠実で正直」、「自由平等(対等)競争の絶対性」を遵守して「真実追求の科学精神」や「契約の履行」の契約社会の本質に合致しています。
 故に「日本の資本主義の父と言われた渋沢栄一」や五代友厚が自由平等(対等)競争の絶対性の「誠実で正直を理解できる武士階級出身者」であったのは偶然ではありません。
故に日本は欧州列強の税制や制度ではなく、自由平等の米国を参考にした方が良いのです。


 自然に生まれた「自然システムとは」自然生態系の豊かな自己増殖と進化の仕組であり、「進化システムとは」この機構をまねたもので、草むしりしても無限に増殖する雑草の生命力や生物の進化論を事実に基づき科学化した再現性のある理論を進化システムと言います。
 「進化システムとは」同一種内ではお互い殺しあわず生き残って増殖した方が勝ちの自由平等(対等)競争の絶対性を遵守する、生命が持つ進化増殖性を作動するシステムを言う。
 逆に異種間では相手をエサとして食い殺す競争強度が高い弱肉強食競争が発生し、弱者大減少が作動するが食物連鎖原則によって強者の強食性は弱者の減少性を上回れない均衡や停滞を発生します。 
自然生態系はこの巧妙な仕組みによって絶滅せず進化増殖し続けており進化システムの資本主義は同一種の人間行動である以上、増殖する「個人消費行為」(企業から見ると商品の生産販売競争)は、憲法や自然法を正しく解釈する同一種内の増殖した方が勝ちの自由平等(対等)競争の時に限り「人間が持つ過剰性の本能が経済成長エンジンとして作動し個人消費の無限の多様性の増殖拡大(新商品の購買)である進化性(企業側からは新商品の販売)が発揮され、自力経済成長の増殖性と進化で財政再建を実現します」

2001.7.3から本論文以外に開設した主なホームページ論文の詳細は以下の通りです。
・私の論文の根拠となる年度別最高所得税率と自力経済成長と財政再建の別表2実データー
         別表2 http://yosikosi2019.xsrv.jp/Document_04/betu2.pdf
・(本論文)進化システムの科学による税制改革と自力経済成長と財政再建
  2015.2.18開設 http://yosikosi2019.xsrv.jp/Document_02/index.html
・クリントンと日本の池田税制が高度経済成長大成功の要因(別表2データー添付)
   2009.5月開設http://yosikosi2019.xsrv.jp/Document_03/index.html
・税制改革による経済成長と財政再建への構造改革 
   2001.7.3開設http://www.mirai-keizai.sakura.ne.jp/ 
他に・ディマンドサイド需要側経済成長理論と自由平等対等競争政策の絶対性等、多数あり上記の論文内容(別表2の実データー添付)を詳しく確認したい方は、そちらをご参照下さい。 

NEW)(進化システムの競争原理の増殖性と成熟経済における自力経済成長政策への応用)
 自然に生まれたシステムを「自然システム」といい、自然生態系の豊かな自己増殖性と進化が実例であり、「進化システムとは」、この機構を人工的にまねたものを言います。
 進化システムでは同一種内(人類も)の自由平等(対等)競争の絶対性を条件として、増殖進化性が発揮され、異種間では増殖性は無く弱肉強食競争と食物連鎖原則が作動します。
 さて「科学技術の進化システム性」はノーベル経済学賞を受賞したソローモデルから「供給側経済成長理論」へ発展し、「個人消費の進化システム性」は本論の「需要側経済成長理論」へ発展し、両者が合体するときに限り、最大の自力経済成長効果を発揮します。
 科学技術と違い「個人消費や設備投資の進化システム性」については、他に文献が無く、個人消費が進化システムであることを、次の通り本論文で詳細に解説します。
 つまり「個人消費や設備投資」は「市場経済」で繰り広げる「突然変異を伴った」「商品増殖競争の一環」であり、人間文化の資本主義的表現と理解すれば誤りがありません。
 故に現在、市場で生き残って進化システム増殖競争を繰広げる商品群は古代から現代までの間に競争に生き残っている商品なのです。 「進化システムは生き残り競争が本質です」
 現代でも使われている土器や陶器は縄文時代に誕生し、米は弥生時代に誕生し、木工製品は古代に誕生し青銅や鉄製品はその後に誕生し、1760年代以降の産業革命によって、個人消費の突然変異は無数に発生し、鉄道は1800年代に、内燃機自動車は1800年代終わりに誕生し、飛行機は1900年初頭に、プラスチックス商品は1900年代に誕生し、更にテレビは1950年代に急速に発達し、パソコンは1980年代に急速に発達し、太陽光発電は1990年代に発達し、携帯電話は1995年以降急速に発達し、更にサービス商品については歌舞伎は江戸時代に誕生し、映画は1900年代に全盛を向かえ、野球やサッカー、歌、アニメ、ゲーム更に医療、教育、介護福祉、環境保護等の「各種サービス産業の誕生など」時代とともに「内需の個人消費の種類、質、量」の多様な分化と系統が発生し競争を繰広げながら累積増加の一途をたどり、この経済的な内需の選択肢と生き残りつまり「個人消費の種類・質・量の増加」が、その国の過剰性の文化であり経済成長なのです。
 つまり産業のサービス化は必然であり、それに直接罰金規制強化する消費税制は社会の進化発展や生き残りにとって最悪です。 所得が増加する経済環境で国民が環境保護に関心を持てば、自然に環境保護の個人消費や設備投資が増えて環境に適応して生き残れるのです。

 資本主義は人間の良心や表現欲求を進化システムとして個人消費増殖性をシステム的に所得増加に結びつけた過剰性の人間文化の生き残りをかけた資本主義貨幣経済表現なのです。   
 結局個人消費は人間の意志と意欲の化身であり、自由(無税)平等(対等)競争させれば、生き物のように増殖し進化して所得増に等価変換するのです。
 本論を読み進むうちに、経済成長理論の根拠となる自然生態系の食物連鎖の頂点に立つ最強生物の増殖繁栄は、地球環境に適応する下層生物の増殖繁栄に完全に依存し最終的には食物連鎖の最下層、陸上では植物相、海洋では植物プランクトンの増殖が鍵を握っているメカニズムと同様に、膨大な下層の中低所得者層の高消費性向を活用する税制改革が必要です。

 進化システムとは本人の意志意欲の自己決定性があり、その時代の環境に適応し増殖した方が勝ちの一見競争に見えない「自由平等(対等)競争」でありDNAで自己増殖する生物の増殖と同一であり、憲法の「表現の自由」の一種の個人消費、科学技術、民主主義、市場経済、インターネット等は進化システム競争で「参加の自由と平等対応」が不可欠です。
 故に経済を増殖成長させるには大衆の巨大な意志意欲の化身の進化システムの個人消費を絶対に罰金課税規制してはならず経済成長率の高さは個人消費を課税しない税制次第です。
 故に進化システム税制は国家が、憲法目的の幸福の追求や国民福祉の向上を自己実現するための最重要な手段となるのです。
 システム工学で近年確立された進化システムは人間と社会とを結びつける国家システム(制度法律等)も研究対象にしており「国家の特定分野(科学技術、個人消費等)の情報単位の種類、質、量」を自由競争の中で自己増殖する競争過程を持つものを進化システムと言います。  進化システムは規制しなければ、必ず現状より、国民大衆の意志意欲で増殖拡大し蓄積する為、個人消費や設備投資へ参加の自由によって預金引き出しや前向き借入金を自由に行って資金を作り出し抑圧無く実行させれば、資金を有形の個人消費や設備投資へ変換し結果として国民所得へ等価変換して国民所得増加と自力経済成長を達成できるのです。
 種内競争を促進するには自然システムと同様、自由平等(対等)競争が絶対条件です。
 規制緩和と規制強化の対象をミルの自由論と危害原理で定義して、統一すべきです。
 進化システムの自由平等(対等)競争で優劣の決着をつけるには、危害原理を伴った自由平等(対等)競争の絶対性の税制下での、完全な自由競争が必要です。

 非進化システムの弱肉強食競争は自由平等(対等)競争に役立つ規制強化が不可欠で更に所得は個人消費+設備投資の等価変換結果に過ぎず自己増殖性が無い非進化システムです。
 さて「内需の個人消費や設備投資」と「科学技術」の両者が持つ自己増殖性は、システム工学の「人間の過剰性の本能を活用した進化システムの自己増殖競争」です。
 人間は進化システムを蓄積し、常に現状より、より良いものを必要以上に追い求める「過剰性の本能」を持ち、地球環境に適応し生き残り繁栄してきた特殊な動物なのです。
 「人類独自の過剰性の本能」こそ「人間の市場経済の自力経済成長エンジン」なのです。
 この人間の本質的特性を素直に理解し活用し、更にシステム的に発展させて人間が地球上の経済環境に適応し全国民が生き残っていく為の、進化システムを課税や規制しない、過去日米で実験済みの強力な税制を推奨しております。 さて進化システムの個人消費を順調に増加させるには「自己増殖する自然生態系と全く同一の自由平等(対等)競争条件を保証すると、国民大衆は生き残りと勝つためのチャンスが増加していると感じ、心の中の個人消費の注意を引く、興味を抱く情報単位の種類、質、量を増加し、個人消費行動の総和を、常に現状より増加累積し、結果として経済成長と所得増を達成できる強力なシステムなのです」
 故に進化システムの自由な消費者心理や自由な科学心を、統制しようとする全体主義や共産主義では決して経済も社会も発展しないのです。
 よって本人の自由意志で増加できる個人消費行為は絶対に消費税で罰金課税規制してはならず、一部エリートが公平、公正、簡素等の思い込みバイアスの理念や目的を掲げて、進化システムの個人消費を規制すると個人消費が減少し等価変換される国民所得が減少し「合成の誤謬に陥り」良かれと思って構築した制度や法律から予想外に悪い結果が生じます。
 逆に非進化システム(所得、当選、受験競争等)は正に競争らしい競争だが自己決定性が無く他人の意志に決定を委ねて競争するので自己増殖力も無いため、自由平等(対等)競争を実現するための課税や規制なら全く問題無く、対等競争が実現するよう平等対応で課税や規制をすればするほど、良い効果が生じます。
 ゆえに両者の区分区別を厳格にして、何をどの位規制するのが正しいかを決めるのは市場経済の第一線で活動している五感の発達した「自由平等(対等)競争」を日常的に行なっている国民大衆の過半の意志の総和(集団的知性)なのです。
 逆に経済の第一線現場に立たず、前提条件をつけて物を言う机上仕事のエリート達は直接現場を無知の為、現実の自由競争現場を正しくコントロールする判断に間違いが多いです。
 故に国民大衆の厳格な代議制民主主義(国民政党制へ近づく)が必ず必要になるのです。
 つまり自然界の自然システムには「時代時代に適応し生き残りを唯一の目的」として「生物進化の基本となる同一種内では自由平等(対等)競争ルール」が厳格に存在し、これは人工進化システムにも必須条件となり「参加の自由」「同一種内の自由で対等で平等な増殖繁殖競争(種内競争原理)」「競争力均衡化原則(同一種内の優秀な動物でも自分の生命の維持以上は食料を独り占めしない原則)」「環境内循環原則(廃棄物の自然分解を含む)」「突然変異の競争参加」のルールを厳守すれば進化システムが自動的に強力に作動して市場経済は豊かに無限に繁栄できるのです。  逆に市場経済において自由平等(対等)競争ルールに反する少数の競争者の所得(食料)独占を容認する不自然な低累進所得税制と、個人消費の参加の自由を規制抑圧する消費税制が極端な経済不況を招いています。

 さて日立デジタル平凡社 世界大百科事典に記載された市川惇信氏は東京工業大学院工学博士で、進化システムの定義を、次の4つの基本条件を満たすものを言うから引用すると。
 
対象を部分(国民個人)が結合して構成される全体として認識される時、それをシステム(全体)と言い、部分を要素と言う。全体は部分の寄せ集め以上の存在と認識されている。

*1.遺伝子を要素とするシステムとして遺伝子型が存在する。
   遺伝子型は対応する個体(表現型)を作りだし、表現型は遺伝子型の複製の
   場になる。
 つまり人間の経済社会に置き換えると国家は誠実で正直な国民を要素(部分)とするシステム(全体)であり、強制力のある制度や法律は国民大衆の自然な本人の自由意志や意欲の「行動表現」を制御する事実上の人間の遺伝子型と全く同様な作用をする国家遺伝子です。
 極論すれば国家において国民大衆の自然な本人の意欲や自由意志の「行動表現」を制御する法律や制度や慣習や文化や宗教や国家目的さえも、ドーキンスの述べるミームとして国民大衆の行動を制御する構成員である全国民集団のシステムとしての全体の国家遺伝子型として作用するのです。  よって同一問題が発生しても、異なったミームの遺伝子型を持つ国家国民別に反応は異なってくるのです。
 したがって国家が科学の進化システムを活用し自力経済成長や社会進化を果たすには、全国民の自由意志や意欲に基づく行動を制御する拡大された遺伝型として作用する制度や法律等の中核に、自然システムと全く同一の根源的な概念である同一種内における自由平等(対等)競争というブロセスルールを税制や社会制度へ強制的に導入する必要があるのです。
「自然科学の分野ではあらゆる要素が自由平等(対等)競争で構築されているが」「社会学の分野では本人の意志と意欲と行動表現は、不自由不平等な慣習や文化や制度法律で制御されがちなので、進化システムの自然状態に近づける為、本人の意志意欲と行動へ憲法どおり自由平等(対等)競争の絶対性遵守のプロセスを強制的に注入する必要があるのです。」   
 結局「経済成長は買物意欲という消費者心理に左右されるので個人消費の増加を不自由不平等に罰金規制する消費税制を廃止し、自由平等(対等)競争の絶対性厳守の税制で、対所得租税平等率負担の高累進所得税制を採用すれば所得適正再配分機能が作動し低中所得者階層の高消費性向によって、その時代その時代に適応して個人消費は適正に長期継続的に増加して、等価変換結果である国民所得も長期継続的に増加させるのが自力経済成長理論です」
 特に成熟経済に達した個人消費行動は本人の自由(無税)意志と意欲を完全に認めないと増加しない性質があり税法に自由平等(対等)競争原則を導入すると所得適正再配分効果も加わり個人消費は自然に増殖を開始し等価変換で創出される国民所得も適正に増加します。

*2.遺伝子型のシステム構造は変異する機会がある。
   それは遺伝子型と表現型の形質の変異を引き起こす。

 成熟経済に達した市場経済は自然と同じく「常無しの、定めの無い無常の世界であり」常に一ヶ所に止まれず、進化しようとする流動性があるので、其の時代の理念や目的は、其の時代に存在する国民が個別に設定すべきであり「自由平等(対等)競争ルールと生き残り目的」以外の公平、中立簡素など固定的理念観念は個人消費を規制抑圧停滞させるだけです。
 課税しなければ変化する経済環境に適応し、その時代の、より良い個人消費や制度法律という表現型に変異が生じ遺伝子型(既存の個人消費や制度法律等)との競争に表現型が積極的に参加し、その時代の経済地球環境に適応増殖する全ての表現型(より良い個人消費や制度法律)が競争で生残り次世代の遺伝子型として強力に普及増殖するのです。 「故に競争で生き残れば遺伝子型も表現型も次世代へ承継されるので正に進化システムなのです。

*3.表現型の間に資源獲得競争が存在する。
   競争は「優劣の結果」をもたらす。
 それは遺伝子型や表現型の間の「自己複製頻度の競争」に他ならない。

*4.生態系を支える外部資源が存在する。
   経済活動のため国家外からの原材料の輸入や地球資源からの自国採掘に相当する。
 自力経済成長にとって最重要なのは貿易体制における「輸入であって輸出ではない」。
 つまり「外部資源を活用し」「自己複製という構造を持ち」「より良いものへ変異しながら(過剰性の文化)」「変異も競争へ参入しつつ結果として増殖普及しないものが淘汰され、環境に適応し増殖普及するものが生き残り進化する」という4つの機構を持つ自己増殖システムで、自由平等(対等)競争のプロセス条件を備えるものが進化システムです。
 個人消費も進化システムであり、自由平等(対等)競争のプロセス条件を厳守すると「自己複製という増殖性」が強まり自己決定性ならびに変異の容認性と市場経済における競争による優劣の決定機構を持ち、個人消費増殖の無形の意欲から前向きの借入金等を通じ有形の所得貨幣へ等価変換し資金を創出増殖する手法が資本主義なのです。
 進化システムはシステムがそれ自身を作り出すことから自己組織システム(組織論)、自己創出システム(生物系)等と言われ現代ではその活用が急速に進んでいます。

 さて人工システム(法律制度等)開発上のシステム作成の指導的原理は以下の5点です。
 1.初期目的の達成度  2.社会的受容性(分かりやすさと利便性)

 3.環境変化への適応性 4.機能性能の拡張性と柔軟性  5.経済性と信頼性
 現状の非効率な税制や全制度は規制を強化して公務員が自分で動かず紙の上で企業や国民の事務処理で済まそうとしており、膨大な手間が掛かる制度ばかりで分かりにくく簡便で初期の目的を達成する柔軟性と経済性のある税制や社会保険制度等へ改善する事が大切です。
 
 そこで国家は国民を構成員とするシステム(全体)存在であるので、膨大な数の国民へ適用する拡大した遺伝子として作用するシステム(法律制度等)を作り上げる場合、上記の5点の「システム作成の指導原理一点一点」について「条件を満たしているか」を常時チェックし予測してから実行し、実行後はこれを評価し反省し、再度改善し構築する必要がある。
(これは経営学でいう計画PLAN・実行DO・評価SEEの無限サイクルで)これが膨大な数の国民をシステム的に統治せざるを得ない国家が為すべき最も重要な作業なのです。
 全国民が生き残る、国民が望む国家遺伝子を作りあげないと国家は進化成長できません。
 ゆえに自由平等(対等)競争のプロセス原則に反する制度や法律や思想は、結局進化成長しないため、数十年、数百年後には必ず自然淘汰され消滅する運命が必ず待っています。

(進化システム例) <―――――> (反進化システム例)
 1.市場経済            1.計画経済
 2.大衆主導の民主主義国家      2.全体主義・共産主義
 3.事実に基づく科学技術や思想    3.事実と遊離した理念・主義・信念
  4
.インターネット          4.管理主体がある商用情報システム
 
 自ら進化増殖できるものを進化システムと言い、増殖も消滅することが無い物を非進化システムという。
(進化システム例) <―――――> (非進化システム例)
1.
個人消費・設備投資         1. 所得(国民所得)

 進化システムの作動メカニズム以下の通りであり、基本的特徴は単純で機能的なのです。
                 
1.進化システムは生き残り目的以外の目的(理念や主義や信念など)を持たず進化の「過程つまりプロセス」だけを持つ。 たとえば生物系や生物種は自身で存在目的を持たない。
  故に人により作られたシステムにもかかわらず特定の個人や組織と言えども自由平等(対等)競争以外の理念等で制御出来ないし、制御してはいけない構造を持つ。

2.進化は、環境に適応するために変異が起こり、変異が競争に参入し「結果」として進化増殖が起こる。
  つまり競争に勝ち「普及増殖するものが」すべて良しなのです。
  また変異とは「試行錯誤を行って学習し改善するという」意味が含まれています。

3.外部環境、内部状態の変化に対してシステム全体として柔軟に適応して頑健です。
 故に国民大衆という要素(部分)が自由平等(対等)競争のプロセスで組み上げられ経済地球環境へ柔軟に変異適応している結果、そのようなシステム全体(国家)は頑健である。

4.システムの一部が競争による淘汰圧力からはずれたとき、爆発的に増殖する。
 故に進化システムの市場経済はバブル発生の可能性があり、常に正しいプロセスが必要。

5.分化と系統が発生する。
  人間は生き残りのために過剰性の文化を創出している。

これを人間社会に応用すると、進化システムは自然システムばかりでは無い。 人工システムにおいても観察される。 市場経済や交通システムや情報システムや組織などは、いずれも進化システムの機構を持った時に限り、進化増殖する。 結果として、それらは人間により作られたのにかかわらず、人は直接制御でき無くなる構造になっている。
 科学という知(知識)のかたちも仮説を遺伝子、モデルを遺伝子型、モデルから推論される事実を表現型と見なす時に、進化の機構を持ち進化システムと見なせます。
 技術の知(知識)も同様である。 興味あることに、人工システムは進化システムの時に限ってシステム(全体)として増殖進化する。 最近の事例としてはインターネットが、典型的な実例である。 進化システムの機構をもたないトップダウンで設計された多くの情報システムがインターネットに敗れ去っている。 計画経済も市場経済に敗れるなど、多くの実例が観察できる。 人はヒト・ゲノムという遺伝子型を持ち、それから作り出される個体(個人)という表現型を持つ。 これが継承可能である意味において進化システムの科学技術等がヒト・ゲノムに拡大的に付加されたと考えられる。 それが生み出す多種多様な進化システムは人間の拡大された表現型といえる。 国民を構成員とする国家(システム)は拡大された遺伝子型と表現型を持つので、人類は地球上の他の生物と全く異なる生物である。
 そしてその結果として進化システムの科学技術文明が爆発的に増殖しつつある。
(以上は東京工業大学院(工学博士)の市川惇信氏の事典記載内容)
 同様に「人間の意志や意欲で増加する進化システムの個人消費もプロセスを守れば進化システムとして自然に進化増殖は可能なのです」     (太字筆者 追加)

 つまり進化システムは自然に必ず増殖成長進化し、分化や系統が発生するので人間の個性や文化の多様性が発揮されるシステムである為「自由平等(対等)競争が不可欠」である。
 したがって増殖成長進化しない場合は、その進化システムのどこかの「自由平等(対等)競争の過程(プロセス)に欠陥」があると認識して差し支えない。
 市場経済では「主として倒産等の擬似死のルールを持つ民間企業同士の強い競争」(しかし個人の死は予定していない)と、国家内で擬似死のルールを持たない独占組織の構成員個人による自由平等(対等)競争」(弱い競争)の2種類の重要な競争方式が存在します。
 企業競争を包含した「自由平等(対等)競争の種内競争が当該国家の主たる競争方式」として、その国家経済に定着しているときに、その国の市場経済は最も進化繁栄するのです。
 種の進化増殖性は現実の経済環境に適応接近しようとする為の内部競争である構成員による自由平等(対等)競争の絶対性を遵守する時に限り発揮されるのが、その本質なのです。
 そして人工システムは「進化システムであるときに限ってシステムとして強力に進化成長する特徴」を有しているのであり、実例と歴史が雄弁に物語っています。
 そして進化システムは時間が掛かっても必ず反進化システムに勝利してゆくのです。

 さて進化システムの本質におけるキィーワードは「生き残り競争」であります。
 本書は「協同」という概念は「競争」という概念の正反対であるゆえに広義において進化システムにおける競争概念の一部と判断しています。
 国家の最高の目標は「最大多数の最大幸福の追求」という不可能と思われる生き残り目的への挑戦であり、これを達成するためには自然システムでの人間が持つ二つの本能つまり共同体への帰属本能から生ずる利他的な共同体意識と、本人自身(個体)の生存本能から生ずる利己的な自己保存の同時存在こそが、これを達成するための重要な手段なのであります。
 つまり人間は「競争意識・利己的意識・営利精神」と「協同意識・利他的意識・ボランティア精神」を本能的に同時に持っており、本書では密接不可分なものとして理解する調和のとれた競争を提案しているのであります。
 そして国民大衆は「消費者」(需要)であると同時に「労働者」(供給)であり「個人消費を通じて国家運営の費用の負担者」であると共に「市場経済の受益者」である、常に二面性を持ち、この場面により正反対の均衡の取れた常識ある経済行動する存在として把握し、故に本論文は「消費は寄贈であり、所得は受贈の二面取引と考えると」理解しやすい。
 本論文を理解すれば危険は、消費では無く過剰貯蓄であり、国家が経済破たんの瀬戸際に追い込まれた時は、個人消費は逃げられないが過剰貯蓄は国外へ逃げる大危険な存在です。
故に日本はいくら国家が借金しても破綻に追い込まれないとする論理は詭弁に過ぎません。
 つまり貯蓄は消費税上非課税の有利扱いで個人消費を節約させ無駄に貯蓄を増加させても設備投資へ変換できず所得恒等式の通り貯蓄の増加は所得へ変換できず、更に累進所得税の減税で生じる強欲な資産家階級の大過剰貯蓄はキャピタルゲインの値上がり益狙いのマネーゲームの原資となり資産インフレに陥り土地や株式や資産の仮需を大発生させ結局、実体経済に無益で、資産経済の仮需の資産バブルの発生からバブル崩壊へ進む大要因になります。

 つまり国民大衆が組織運営する膨大な数の町内会や自治会では、年会費収入の20倍の借金をすることなど絶対に無いのに、エリート達には常に非常識性があり、彼らは屁理屈をつけて膨大な借金をする国家運営をしてしまうのです。
 これは日本が第二次世界大戦参入一年も前に、全ヨーロッパ大陸を支配下においた、世界最強のナチスがアメリカ軍の参戦意志のない孤立無援の英国を、昭和15年8月、世界最強の空軍2500機と陸軍で攻めてさえ、わずか35−40キロのドーバー海峡を乗り越えられなかったナチスの事実現実を軽視したり、更に昭和16年11月にはソ連軍のレニングラード攻防戦で、ナチスドイツ軍がガッチリ抑止され勝敗の行方が分からない状況で、使用可能の零戦350機で当時国力10倍のアメリカに戦いを挑み米国を世界大戦に引きずりこんだ、日本の国家エリート達の非常識性は、現在も全く変わらないのです。

 進化システムは元手不用の自立的な自己拡大システムであり「人間が作る人工進化システムの本質」は人間がより良い生活をするための、個人や集団としての進化能力や増殖能力を十分に発揮させ活用し、手足となるようなシステム(遺伝子としての法律や制度など)を構築するのが目的であるから、自然人である人間のより進化し、より幸福になろうとするために内在する過剰性の本能を自然に引き出す心理や意識的、無意識的な感情、嗜好、本性、特質、相互作用など人間集団内の自然で有機的な自由平等(対等)競争を導入したシステムでなければ効率の良い遺伝子型の法律や制度などは作り得ないのです。

 さて「科学技術の進化システム性」はノーベル経済学賞を受賞したソローモデルから「供
給側経済成長理論」へ発展し、「個人消費の進化システム性」は本論の「需要側経済成長理論」へ発展し、両論が合体するときに最大の自力経済成長効果を発揮します。
 科学技術と違い「個人消費や設備投資の進化システム性」については他に文献が無く個人消費が進化システムである事を本論文で詳細に解説します。 事実として「個人消費や設備投資」は「市場経済」で繰り広げる「突然変異を伴った」「無害な個人消費の増殖競争」であり、過剰性の本能を持つ人間文化の資本主義的表現方法と理解すれば誤りがありません。
 そして日本人のルーツは、日本人のDNAの分析研究から、諸説はあるが18000年前頃の急速な地球寒冷化による海面低下で、大陸と陸続きに近い状況となりバイカル湖付近にいた旧石器人の一部が、樺太を経由して日本に流れてきた北方人である事は、Gm遺伝子の分布からみて推測できると分子生物学者は述べています。 そしてチベットの人々とも近縁です。 日本に流れてきた彼らは土器を使う縄文文化を世界の4大文明の遥か前から形成していたのは青森県の大平山元遺跡で16500年前の土器が出土していることでも明らかです。
 日本に住む縄文人たちの人口は、徐々に増え、本州を中心に分布しました。
 ところがこの縄文人たちの遺跡からは、目だった対人武器が出土されていない。
 その代り、彼らは、彫刻や装飾を好み、日々工夫して美しい土器や飾りを作りました。
  要するに戦う事を好まない労働重視の働きものだったのです。
  縄文の昔(欧州で比較すると新石器時代の昔)から男は対人武器より、もっぱら加工や工作の「労働を重視し」、「支配や服従」より「自由平等で対等性を尊重し」女性達が美しく着飾り、のびのびと安心して暮らせる文化と生活が存在した事が出土品から見てとれます。
 永い歴史でも、「日本人は本質的に個人と労働を尊重し」平和を求める国民性だった為、日本には奴隷制度や宦官や女性の纏足等の個人の自由を物理的に抑圧する悪習は無かった。
故に自由平等(対等)競争の絶対性遵守の税制を最も採用しやすい国民性を持っています。


さて自然システムは「膨張宇宙論」と全く同じく自然生態系も事実として自然に放置しておけば時代時代の環境に適応して自然に進化しながら豊かに増殖していくのは地球生命の持つ無限の自己複製能力にあり、この機構を科学で人工的に構築する機構を「進化システム」と定義しています。 この機構を活用するには地球生物の同一種の繁殖条件と全く同一の「自由平等(対等)競争の絶対性の内生的条件が絶対に必要で他は放置し自由にします」

つまり進化システムは、人間の持つ無限の自己複製能力と環境に適応して進化する能力を完全に活用する必要があり自由平等(対等)競争の絶対性の環境が必要不可欠だったのです。
「個々の人間にとっては制度は環境になるという事実を厳格に受け入れる必要があります」

 故に今こそ他国の需要を収奪する外需依存の経済成長理論は止めて、安心安全に自国の需要側自力経済成長理論で進化システムと集団的知性を発揮すれば自力経済成長を再現できる科学知識を普及させ経済学へ反映し地球の危機・経済学の危機を救おうではありませんか!
 欧州型消費税制要因は「公平・中立・簡素」どころか実質的に「不平等・対立・複雑」をもたらす税制で故に米国は欧州型消費税制を絶対に採用せず直接税主導を貫いています。  
 科学は原因事実と結果事実を分析して組み合わせた因果関係を論理証明した理論で再現性があり、非事実のモデルや理念は因果関係が無く相関関係のみで再現性が無い非科学です。
 現代経済学は、残念ながらモデルや理念で構築されているゆえ非科学で無効用なのです。
 さて国家は「一定の領土」と「全国民を構成員とする集団的存在であり」、「進化システムと集団的知性を発揮できる税制と統治機構の時に限り」人間個人も集団も、その本性を自然に発揮して自力経済成長と財政再建を同時に達成し長期継続できる国家組織になります。
故に自由平等(対等)競争の絶対性の消費税無の高累進所得税制は大効用の科学税制です。

 故に「国民個人も国民の集団である国家」も「自業自得」つまり「自己責任・自助努力」の本質は全く同一なのです。故に日本の武士道や陽明学の本質は帰納法の科学と同じです。
 陽明学は「言葉の理念」を軽視する学問で、行為・行動(つまり事実の発生)の裏付けを重視する学問である為「事実に基づく科学」であり無害行為・行動の規制緩和が大切です。
 故に貝原益軒の「知って行わざれば、知らざるに同じ」は陽明学の真髄です。

 「国家の役割とは需要の自然自動増加」の大要因となる国家税制の決定権と、その時代の国民に役に立つ財政支出の決定権を持ち、一方の「民間企業は供給が役割」で、逆立ちしても経済成長の根源になる「総需要の税制要因による自動増加の役割は全く発揮できません」
 つまり多様性を維持する為に財政支出を増加させて時代に適応する事業を行うのが国家の役割であり同時に、その財政支出の増加負担を安心安全に回収する税制要因を構築するのも「国家の役割で」その際、国民がより良い生活を欲求する過剰性の本能の経済成長の源泉となる進化システムの個人消費の増殖性を抑圧しない税制要因で、且つ所得適正再配分機能を持つ高累進所得税制要因の採用が低中所得階層の高消費性向を利用して個人消費が自然に自動増加し自力経済成長の強力な要因となり、高所得階層の高所得の増加に安心安全に貢献し自力経済成長する事実と、全国民と全企業へ有利不利が無い扱いとなる事実は過去の長い経済史が論理疫学証明しており本論が最善である事を証明済です。 自力経済成長理論の自由平等(対等)競争の絶対性遵守の税制要因である「消費税無の高累進所得税制の構築」が再現性のある事実に基づく科学が求める自力経済成長と財政再建の同時達成の税制改革です。
「企業の役割」とは、供給責任と株主利益の最大化であり基本的に自己中で強欲な組織で労働者への分配を第一に考える組織ではなく労働分配は市場と労使の競争に任せる組織です。
 故に企業の役割は国家が構築した進化システムによる長期継続的に自動的に増加する需要に同期して、事実として長期継続的に競争に打ち勝つ低コストで供給を増加する役割です。
 故に「国家の需要の長期継続的な自動・自然増加さえ実現できれば」結果として全産業・全企業の収益力は自動的に長期継続的に平均的に向上するので、企業の生き残りの不安は解消され過剰な弱肉強食競争意識は沈静化し、企業は供給を長期継続的に自力で増加する過程で市場機能を通じ無理なく自然に人件費の自然増加を自動達成して結果として若者も非正規社員も自動車やカメラや電化製品をゆとりを持って買えるようになり長期継続的に1億総中流に近づき子供を産み育てる女性の真の生活環境もゆとりができて大改善でき結果として合計特殊出生率の向上も実現できて租税収入増で高齢者福祉も充実できるようになるのです。
 更にこれによって企業は自動的にゆとりのある経営環境・労働環境を構築できるのです。
 故に市場経済と連動した適正な税制要因は経済成長と財政再建にとって万能薬なのです。

 そして市場経済では、有能で多様な商品を供給する企業を経営する高所得者層やそれらの企業が集中する地域へ、全国民の「個人消費+設備投資=−>所得」が商品選択を通じて自動的に企業売上として有能な人間や企業の存在する都市部へ集中する機能を「市場経済機能」と言います。 そして進化システムである個人消費を罰金規制しない消費税無の高累進所得税制を採用すると、自然に都市部に集中する所得や富へ「消費税無の最高所得税率の高い高累進所得税制を作動させると進化システム機能と所得適正再配分機能が発揮され、自動的に低中所得階層の所得も全階層平均で増加できて税収も自然増収となり且つ低中所得階層の高消費性向を活用できる上、更に人間は常に現在よりより良い生活を強烈に欲求する過剰性の本能が強い為、成熟経済になっても低所得者層の進化システムの高消費性向は維持され、自然に自動的に国民所得は継続的に自然増加できるようになるので税収も常に自然増加できる為、合計特殊出生率の高い居住環境や教育環境が良好な若年低所得階層の居住に適した地方への地方交付税の増額が可能となり、所得の市場経済機能による都市部への集中と、地方交付税による地方への資金の再配分の良循環が維持できて地方創生を活発化して地方都市から自力経済成長と財政再建の同時達成は可能となる人間の本性を活用する税制です。
 つまり池田勇人税制通り進化システムの個人消費を罰金規制せず消費を自然増加させながら、市場経済機能で高所得者層へ集中する「国民所得」を高累進所得適正再配分税制で高消費性向の低所得階層への所得も増加させ、更に次の段階で増加した個人消費を国民所得へ等価変換して税の自然増収を得て公共事業を実施すれば高消費性向の低中所得階層の所得も自然増加する為、次の経済循環の個人消費や貯蓄を増加できる「自力経済成長で良循環」する事実は池田税制で科学的に証明済なのです。経済学が科学と言うなら事実で証明できなければ科学ではありません。理念や言葉で錯誤させる小保方さんの誤りを犯してはなりません。
 事実の再現性がなければ科学とは言えないのでセイやケインズ理論は時代遅れです。

 更に需要の根源で人口増加のポイントとなる自然人の繁殖する住環境や生活環境は自然豊かな地方の方が断然優れ、都市化が進んでいる都市部ほど都道府県別の合計特殊出生率が極端に低く、この事実を素直に受け入れ活用する科学的姿勢が真の少子化対策立案の科学的政策の原点になります。 その意味で、その地域(都市)で集めた税収はその地域(都市)で使うという「道州制」や「小さな政府」や「新自由主義」の議論は理念の仮想に過ぎず長期継続的な自力経済成長と財政再建の同時達成の成功事実が全く無く、小保方さんと同じ「言葉重視の非科学の真っ赤なウソ」でしかなかったのです。 国家を発展させる為には国家を人間集団の全体と考え、進化システムと所得適正再配分税制で長期継続的な税収増加を実現し人間にとって居住環境や教育環境の優れた地方へ地方交付税を大幅増額して低所得者層の所得増加政策でなければ国家を自力経済成長させる事も少子化を改善する事も出来ません。
 地方で育った余剰労働力を都市部で吸収する良循環が必要なのです。 地方で十分暮らせるだけの所得再配分税制や地方交付税が十分あれば長期継続的な地方創生が十分できます。
 更に地方に配分された財政資金は市場経済機能で必ず有能な都市部へ循環還元されるので全く安心安全です。市場へ放出されたリアルな循環資金は消えて無くなる事はないのです。
 つまり地方交付税の地方への大幅増額や地方への投資は地方経済の活発化につながり、地方民間企業が活発化して労働環境も改善し、地方に留まる若者も増加し、地方の合計特殊出生率が維持され、地方から余剰労働者が誕生して、合計特殊出生率の低い都市部の労働力人口を支える良循環が作動するのです。 人間が構築するシステムは、常に上から目線のシステムでは無く、国家と言う全体集団を意識して集団全体が均衡が取れて発展するように下からの積み上げ方式で変化する時代に適応できるシステムとして構築しなければなりません。

 さて日本の神道の、教義の無い自然崇拝の八百万の神信仰と大乗仏教の神仏習合は大正解で日本へ無意識に自然科学の習熟に大成果をもたらしました。 絶対的な権威ある一神教の西洋のキリスト教国やイスラム教国や小乗仏教国の憲法では権威の影響力が強く実質的に信教の自由を徹底できず必ず他宗教を攻撃する非科学の理念の排他的思想が蔓延し過剰性の本能を本質的に持っている人間同士が殺しあう過激派が発生するのは止める事が出来ません。
自然生態系の同一種では殺し合わない野生動物より、人間は完全に劣っているのです。
 
 つまり「科学とは宗教や法律を超越して同一種の自然人が遵守しなければならない自由平等(対等)競争の絶対性」を遵守できる国家体制なっているかどうかが大切なのです。
 つまり経済学は本来「無から莫大な有(富)」を生み出す科学学問であり所得が先か個人消費が先かの議論は無意味で、必要なのは自然システムと同一の進化システムが作動する自由平等(対等)競争の種内競争原理の自動増殖条件(=無害な個人消費への増加の自由)を遵守する事が大切です。 つまり「所得」は個人消費の等価変換結果に過ぎないからです。
 つまり個人消費の増加が所得の増加をもたらす因果関係にある事実を経済学が失念して個人消費を罰金規制した欧州型消費税の為に「個人消費行為が規制抑圧されている事実」を無視して放置して且つ低所得階層ほど高消費性向(消費支出/可処分所得)で、高所得階層ほど低消費性向(消費支出/可処分所得)だと言う厳然たる「科学的の事実」も、経済学が時の政治権力の圧力を恐れて高累進所得税制を積極的に採用しなかった為に自動的に個人消費が増加しなくなり、結果として国民所得が停滞減少する自業自得を自ら招いているのです。
 消費税が「中立・公平・簡素」などと言う事実に基づかない反米的で非科学的なプロパガンダを日本国憲法下の税制改革法へ政治家が法定化した大錯誤・大誤謬を、憲法学者や経済学者や財政学者が憲法違反で違憲立法審査権を申請しない程、事大主義が蔓延しています。
 私は地団駄踏んでいますが、訴訟の資金も時間も無く、「知識を普及」するだけです。
 つまり欧州型付加価値消費税は個人消費行為を規制する罰金であるので個人消費が増加しなくなるのは当然で需要が増加し無ければ、供給が増加出来ないのは当然の事なのです。

 需要が増加しないのに供給の増加だけ強化すれば売残りのゴミの山を作るだけだからです
「自由と規制の本質的議論を怠ってきた事大主義の勇気の無いマスコミや学者や研究者の大責任で」規制改革とは名ばかりのご都合主義の改革が自業自得で自身へ牙を向いています。

 つまり徳川時代初期から幕藩体制を支えた知先行後(知識が先、行動は後)の朱子学は行為行動が伴わない言葉だけの事大主義の演繹法の学問で有効な新事実の発見観察と再現性の確認という科学の本質を理解できず国力の停滞が招いたが中国の陽明学の影響を受けた中江藤樹など少数の思想家が徳川初期から思想を受け継ぎ、徳川末期に討幕派を誕生させた吉田松陰等の知行合一(知識と行動の一致:知って行なわざれば、知らざるにおなじ)の陽明学の思想は「事実の発生には行為行動が必要」に力点を置いた為、新事実の観察と再現性の確認が勇気を持って出来るようになり誰にも束縛されず明治に入り一気に科学技術が急速に発達したのです。帰納法を確立したベーコンによって科学とは「観察という確かな事実」を元にして「観測事実と矛盾しないように帰納法で構築されていく」べきと定義されたのです。
 正に事実を発生する行動を重視する陽明学はフランシスベーコンが大構築した「帰納法の科学」(2000年以上続いたアリストテレスの構築した演繹法の大欠点を排除した)の日本版論理だったのです。 演繹法の言葉ばかりの学問は虚言を弄する者達の遊び道具です。
 事大主義は中国、韓国の普遍思想ですが、実はヨーロッパの主要思想でもあったのです。
 故に事大主義と正反対の言葉は、全てを事実と再現性で証明する「科学」だったのです。
 そしてこの科学思想を普遍思想にしているのが「自由平等(対等)競争の絶対性思想の生みの親であるアメリカ」と「八百万の神と陽明学と実学思想の日本」だけだったのです。
 しかし日本の天皇家以外の国家統治階層は、米国と違い事大主義にまみれています。

つまり経済学と税制へ、セイの法則やケインズの輸出依存経済成長理論や減税乗数理論がまかり通った「世界的な、需要>供給の時代」から成熟経済に到達した現代では個人消費行為の増殖性に裏付けられた事実に基づく「最新科学の進化システムと集団的知性」の科学的経済学へ改革しなければ「自力経済成長」も「自然環境の保護」も「デフレやインフレの解消や真の貧富の格差の改善」も「株価の上昇」も「少子高齢化対策」も不可能になるのです。
 セイの法則は1830年代フランスの経済学者で「供給はそれ自身の需要をつくり出す」と要約される古典派経済学の仮説で、それゆえ現代でも供給側経済成長理論だけが世界各国で採用される現代社会は個人消費の増殖性に反する税制を採用しても、供給力を増強すれば需要はセイの法則で必ず増加するので需給バランスすると思い込こむ「事実に反する思い込み症候群に侵されており」成熟経済になると進化システム税制を採用しない限り事実として絶対に個人消費の増加拡大に基づく需要は増加しないので、供給過剰のデフレに陥ります。
 つまり成熟経済になるとセイの法則は理論通りの再現性の長期継続的な事実が全く存在しないので、事実として非科学(錯誤)であることが、論理証明と疫学証明されました。
「経済成長の出発点は供給の増加では無く総需要の長期継続的な増加にある事実は素人でも分かる」のに過去の失敗の追求を恐れて改善しないエリート政治家や経済学者は最悪です。
 文科系学問の研究者は常に事実を追及せず既存の権威に依存する事大主義者ばかりです。
 需要さえ長期継続的に増加できれば、常に企業は機械化等で供給を増加できるのです。
 需要が増加しないのに、供給ばかり増加すれば売れ残りのゴミの山を作るのは当然です。
 
次にセイの法則に批判的だった「成功した株投資家だった1930年代から活躍したケインズは株投資好きの高所得階層の自己資金確保という利己的意識に凝り固まり、当時のルーズベルト米国大統領が世界大恐慌を乗り切るニューディール政策の財源確保と第二次大戦の欧州戦線と太平洋戦線の二正面作戦の莫大な戦費調達のために、第一次世界大戦でウィルソン米国大統領が高累進所得税制で経済再建と巨額戦費調達の財政再建に大成功した故事にならい再度高累進所得税制を採用して「大成功していた高累進所得税制と財政政策の併用事実を無視して」非科学的にことごとく反対し高所得者有利の「減税乗数理論」や「小さな政府論」や「他国の需要や富を収奪する輸出依存経済成長理論」を演繹法でケインズ理論として理論化し世界へ喧伝し世界を錯覚させた事が経済的大不幸の始まりです。 ケインズはルーズベルト大統領を常に避けていたが、逆にルーズベルトも非科学論理の虚言を弄する経済学者を全く信じず、反対に自身の頭で考えた過去の事実実績の再現性を確信して政策決定していたのです。 池田・吉田首相も戦前に文科系学者たちの虚言を弄する姿を目の当たりに見て日本が滅びて行く過程を実感していたので、所得倍増計画の高累進所得税制に猛反発した当時の主要経済学者の抗議を池田は全く受け付けず、事実現実に米国で膨大な物量生産に大成功した税制実例を参考にする事を選択し「戦後復興をニューディール政策と考え米国同様の高累進所得税制との組み合わせで再現性を確信し所得倍増計画」と名付けたのです。  
 元々学問と言うものが時の統治階層へ奉仕する学問としてギリシャのアリストテレスの「演繹法の論理」から発達し、朱子学同様の非科学である事実をルーズベルト大統領も池田・吉田首相も知っていたのです。
 ベーコンの「帰納法の理工科系論理で作り上げられ因果関係の原因事実が結果事実を引き起こす力を持つ科学化された再現性の理論の、ベーコンの知識は力なりは有名な格言です」
 故に相手国への破壊行為に過ぎない戦争も国家の財政負担を伴う公共事業であるというクールな事実の視点が重要なのに、事実無視の演繹法教育は最悪で教育大改革が不可欠です。
 つまり私は戦争を賛美しているわけでは無く、経済として考えると総力戦になると国民の全所得階層が兵器生産に従事するのでアメリカでは消費税無の高累進所得税制を採用していたので有能な高所得階層に集中する高所得が「自由平等(対等)競争の絶対性を遵守した所得適正再配分機能を持った消費税無の高累進所得税制によって全兵器生産労働者へ所得が適正に再配分されるので」兵器生産と言う社会生活に全く役に立たない愚かで生産性の無い兵器を生産しているのに、アメリカでは失業率は史上最低になり、且つ個人生活は国民全員、平等に営めるようになり更にゆとりを持って巨大な物量生産に全国民がまい進できた事が、中立を守っていた米国が他国からの強い要請に応じてやむを得ず参戦した第一次世界大戦、第二次世界大戦に物量で相手国を圧倒し大勝利した上に素早く財政再建も達成したのです。
「その本質的事実」に池田首相は早く気付き「所得倍増計画の税制」として採用しました。
 結局資本主義市場経済の財政再建では財政支出の無駄の追求に無駄なエネルギーを浪費するより、一旦市場経済へ循環資金として流出した資金は消えて無くなることは絶対に無く、経済不況になるのは、経済循環の中で高所得者層に過剰貯蓄として経済循環資金が滞留する為に不況が発生するので、経済循環の最初の段階から所得適正再配分機能と進化システム機能のある消費税無の高累進所得税制を作動させる事が絶対に必要で「歳入政策(税制)の税制改革の方が国家財政の経済良循環に不可欠」で「国民の過半以上が希望する必要不可欠な公共事業(歳出政策)」+「自由平等(対等)競争の絶対性を遵守する、個人消費に進化システムが作動する消費税無で且つ所得適正再配分機能のある高累進所得税制(=歳入政策)を採用し」全所得階層の所得増加も税収増加も実現する「需要があるので働けば働くほど給料があがる夢も希望もあるモチベーションが高い政策になり、自力経済成長と財政再建の同時達成と税収の拡大再生産を目指す税制」が最善で、過去に長期継続的な再現性による大成功実例が日米に多数ある科学的税制です。
 もちろんこれによってデフレもインフレも改善し、バブル発生もバブル崩壊も防止する仕組みを本論文は詳細に説明しており、この不思議で巧妙なシステムを良く理解して下さい。
 重要なのは歳出政策より歳入政策(税制改革)を正すのが国会議員の最優先の役割です。
もしかしたら米国ではサンダースとクリントンのコンビが実現してくれるかもしれません。

 更に民間企業の損益に重大な影響を与える為替相場については、円安の購買力平価を実現するには「経常収支黒字国家の日本では更に輸出を増強して経常黒字と対外純資産を積み増し安全資産化するという通商政策では、更なる円高を招き失敗続きの現状の通商政策と金融政策・為替政策を根本的に再検討する必要があります。」
 世界中の国家の経常黒字と経常赤字を相殺すれば0となる通商原理があるので、他国の迷惑つまり他国に経常赤字を生み出し、日本だけが経常黒字を享受するという通商政策では、為替の変動相場下ではグスタフカッセルの購買力平価説の通り必ず安全資産の円は、円高になるので日本全国の輸出企業へ自社の経営努力以外の為替相場により最悪の結果をもたらすので、購買力平価の円安を目指すには、強い輸出競争力を持つ日本国は他国経済を思いやる通商政策が必要で他国の適正な経済成長をバックアップする日本の経常収支のゼロ均衡を目指す「自国生産・自国消費」「他国生産・他国消費」への「企業と国家の自己責任・自助努力の自業自得」の通商政策への大変更の必要があります。 故に日本から輸出増強したい企業は日本からの輸出ではなく、消費地の他国へ直接投資をして苦労しても当該他国へ生産拠点を移転し整備し、他国の労働者を雇い他国の消費者へ販売する通商政策へ大改革し、「他国生産・他国消費」で他国経済に大貢献して感謝される通商政策へ変更し「日系資本を世界へ増殖する政策で配当や金利を得る政策へ転換し」、日本からの輸出増強という円高を招く無駄な経常収支を積み増しでは、株式相場や為替相場へ大悪影響をもたらすので、政策を大変更し日系資本の世界的増殖に最適な通商政策へ変更し適正な円安を維持できる通商政策が最善です。 もし日本が想定外に経常収支の大赤字国に転落した場合は、どこかの他国が必ず経常収支の大黒字国家になっているわけであるから、必要に応じて企業に経営指導と若干の財政負担を行い、海外の生産拠点の一部を日本国内へ再移転するだけで、日本を経常収支ゼロ均衡へ簡単に改善できるので、日本の官僚には国家・国民全体を考えて民間企業を調整・指導する国家経営能力があると私は確信しています。
 つまりこの通商政策は自由平等(対等)競争の絶対性遵守の通商政策であり、「自由論における危害原理(他国にとっては過剰な経常赤字は危害)」を遵守する政策になるのです。
 つまり企業は「国民の一部である株主利益の最大化を目的とする競争にさらされる組織」である以上、自身が生き残る為に「自己中で利己的意識で行動しても何ら差し支えなく」、その行為・行動が過剰であれば競争によって市場が淘汰される危険性がある組織なのです。
 しかし国家は競争にさらされない独占組織である以上、リーダーによって国家は常に利己的な独裁国家へ変身する危険性がある為、リーダーは構成員である国民の「最大多数の最大幸福を目的とする組織である事を忘れず」自己中や利己的意識の危険行動をしてはならず、常に他者や他国へ迷惑を掛けない利他的意識を持つ自主的で自制的行動を為すべきです。
故に教育改革には人類生存の最高原理であるアメリカ独立宣言で確立され事実としてその効用が証明された「自由」「平等(対等)」「競争」と「科学」の厳格な定義が不可欠です。
 その意味で既に「経常収支大黒字である日本が観光立国を旗印に膨大な国家予算を付けて、外国人観光客の観光需要を当てにするのは、従来の外需依存の経済成長理論で円高を招くだけであり」まず今の日本が根本的に取り組むべき問題は外需依存より第一に財政赤字解消に他ならず、訪日外国人の、母国へ持ち帰るお土産品や海外へ持ち出す商品の消費税収入は全額還付するので一銭の税収増加にもならないので訪日外国人誘致に掛った追加財政負担全額が追加財政赤字の大要因になるのであるから、このような人為的で無理な外国人観光客誘致政策を止めて、財政負担を掛けずに膨大な内需を進化システム税制で自然増殖させて、訪日観光客は民間努力の自然な外国人観光客誘致戦略で十分で長続きします。 この外国人の母国へ持ち帰るお土産品や海外へ持ち出す商品の消費税全額還付が、同一用途の自国民消費税全額納付の有利不利が自国民の租税の過剰な負担増の悪循環につながっているのです。
 訪仏外国人年8000万人を誇るフランスが財政赤字に苦しんでいる事実で明らかです。

 もし米国の人種構成を、単一民族の日本の複雑で硬直した制度環境へ持ち込んだら、米国のように経済成長する事は絶対に不可能で、その意味でアメリカは偉大な国家なのです。

 更にケインズは理論通り経済成長出来ない事を予想し「卑怯にも過剰な貯蓄は合成の誤謬を起こす可能性あり、ともっともらしい言い訳まで事前に作っています」 ケインズ理論が真に事実に基づく科学理論ならば卑怯な言い訳を事前に作らなくとも、再現性を発揮し理論通り経済成長するはずであり、ダメなら単純に再現性無の小保方氏と同じ錯誤理論です。
 更にケインズ理論で長期継続的に大成功したという国家実例を聞いたことありません。
 故に経済学の根幹のセイの法則もケインズ理論も再現性の無い非科学理論だったのです。
 科学的に進化システムと全所得階層が対所得租税平等率負担となる所得適正再配分機能が作動する消費税無の高累進所得税制による自力経済成長理論では、他国の需要や富を収奪せず他国へ輸出したい場合は他国へ直接投資して経済貢献し経常収支ゼロ均衡を目指す通商政策で購買力平価の円安を達成し、自国の総需要つまり内需の個人消費を毎年長期継続的に増加・多様化させて自然拡大させる安心安全なゆとりのある自力経済成長と財政再建を同時達成する自己責任・自助努力のゆとりある経済成長理論こそ科学で長期継続的な再現性が保証された、セイの法則とケインズ理論を超えたゆとりある自力経済成長理論だったのです。  
 故に本論は他国の需要を収奪せず不安定な外需や為替相場と無関係に安全確実な自由平等(対等)競争の絶対性の国家税制によって自己責任・自助努力で自国の個人消費行為の自然増加を阻害せず自力経済成長と財政再建を同時達成する税制改革理論・経済成長理論です。
 本論では「セイの法則」も「ケインズ理論」もアインシュタインの相対性原理以前の「静止宇宙論」に匹敵し、アインシュタインの相対性原理以後は膨大な科学観測によって「膨張宇宙論」が正解だったことが判明したのと同様に、経済学の「セイの法則」も「ケインズ理論」も時代遅れの中世の経済理論に過ぎず現代の成熟経済を全く正しく説明できません。
 それを正しく説明できる経済学と政治学へ大改革するには「最新科学の進化システムと集団的知性の存在」が本論通り民主主義国家の帰納法研究から明らかになり過去に進化システム税制を採用した時に限り長期継続的に大効用を発揮した、別表2の事実があり米国や日本憲法に合致するので文科系学問へ帰納法の教育改革を実施すべき事を強く提言しています。

理工科系学問は国家統治階層へ奉仕する学問としてアリストテレスが構築した演繹法で発達したが「ベーコンの帰納法の構築により、客観的な新事実の発見の重要性が認識され」ルネッサンスや産業革命を通して「理工科系学問は国家統治階層により国家発展へ役に立つ学問が求められ新事実を理論に追加できる帰納法を全面採用してきた歴史があります」
 同じく文科系学問も国家統治階層へ奉仕する学問としてアリストテレスが構築した演繹法で発達したが、国家統治階層にとって、ベーコンの帰納法を採用するには「人間の行動の不確定性や社会を集団として捉える技術や方法の未発達と、国家統治階層にとって不利益になりかねない帰納法の採用は見送られ」国家統治階層に奉仕する専門家の権威を演繹する演繹法の学問として発展してきた歴史があります。 しかしアメリカ独立宣言の遵守によって「米国の驚異的な進化発展が事実として確認され自由平等(対等)競争の絶対性の有用性が別表2で論理・疫学証明され、これを絶対性の基準として文科系学問も帰納法で論理できる事が分かりました」
 そして現代では保険業のように客観的に人間社会を集団として捉える方法も技術も発達し、人間行動の不確実性は集団でとらえると希釈され、平均的客観的に集団別の特性が調査分析できるようになったので、文科系学問も帰納法へ進化する時代が完全に到来しました。
 「文科系学問は科学と称しているのに」現代の全学科は既存の権威を相関関係で演繹する演繹法で分析研究しており、これでは事実の因果関係(相関関係は因果関係を含意しない)を分析研究する科学とは全く異なるので、長期継続的な再現性が無く且つ新事実や新発見を活用する事が出来ず「現代の文科系学問は再現性のある科学」として確立されていません。
因果関係とは「原因事実が必ず結果事実を引き起こす力をもっている関係を言うのです」
 学問対象が科学ならば、研究者は常に「因果関係の新事実の発見」へまい進しなければならないのに、ベーコンの「帰納法による科学の定義」が全く分かっていないのです。
 全文科系学問自身が学問の進化を逆に妨害して人間の経済・社会の進化発展に全く役立っていない為、全文科系学問を事実に基づく帰納法の科学的学問へ大改革が絶対に必要です。
 特に経済学・政治学・教育学等は特に真っ先に帰納法による科学化が求められています。

 経済学は「無」から莫大な「有(富)」を生み出す進化システムでなければなりません。  
 そして自由平等(対等)競争の絶対性を遵守する消費税無の高累進所得税制によって長期継続的に増加する税収や所得によって「最大多数の最大幸福」を実現する国民の望む賃上げが市場経済によって自然に実現し、税収は長期継続的に増加し国債の返済や地球環境維持の為の公共事業や社会保障や防衛力強化の為に活用することが出来る財政状態になるのです。
 つまり「地球上の全生物のうち人間のみが行っている貨幣経済」では、時代と共に国民は幸福を追求するするため常に進化し増加する「進化システムの個人消費」は「結果」として「自己満足の利己的結果」の他に、更に重要な全国民の所得の増加に役に立つ「第三者へ所得を稼得させる利他的結果の所得の増加」を個人消費が所得恒等式通りもたらすという「深遠な利他的定義こそが個人消費の本質」なのであり、逆に「所得獲得行動」は「結果」として「自らの金銭所得を獲得する利己的結果・非進化システム」しかもたらさないという「利己的定義こそが所得の本質」なのであります。
 故に本人の意志と行為で行う進化システムの個人消費へ消費税を課税すると罰金作用が働き進化システムの個人消費の増加を自己規制するので経済成長へ大悪影響が生じます。
 逆に本人の意志や行為と遮断された、他人行為で得られる本人所得へ累進課税しても本人所得へ罰金作用は全く生じず自力経済成長へ全く悪影響はありません。 
つまり本人所得の増加は本人の意志や行為に関係なく市場の第三者で決定されるからです。

 更に市場経済では商品価格へ複式簿記による原価計算によって原材料採取から生産販売に至る全過程の全租税負担も全企業経費も事前に平等に商品価格へ全額価格転嫁済みである為、全国民は個人消費で全租税も全企業経費も事前に全額負担済みの市場経済システムになっており故に全租税負担や全企業経費負担の「対所得平等率負担」(個人消費+非消費支出)/所得=総消費性向 を全階層で平等率に仕組む税制で、これを実現する税制が全国民へ所得適正再配分機能を持つ高累進所得税制で「全所得階層に実質的な平等の実現」をもたらして自然な国民所得の増加と税収の増加をもたらす為、適正で科学的な税制です。
 「非消費支出」は「貯蓄では無く、国家に対する個人消費に過ぎないからです」
 故に経済と税制の融合で生じる 個人消費+企業設備投資=−>所得、 所得=−>個人消費+貯蓄、 貯蓄=−>設備投資+個人消費(故に設備投資にも個人消費にもならない過剰貯蓄は滞留し悪循環の要因です)の所得恒等式による無限の経済循環の過程によって汲めども尽きぬ連年国民所得と国富増をもたらし税収は連年増収となる体制を確立できます。
 「継続は力なり」で大成功した池田税制では連年自動的に安心安全に税の自然増収が実現し、社会保障政策や防衛力強化政策や財政再建の着実な実行は完全に可能でした。
 今正に経済や政治理論へ進化システムのコペルニクス的転回が求められているのです。
 逆に長期継続的な成功実例が無い理論や政策は非科学で錯誤を社会へ蔓延させています。
故に全人間個人が本質的に持つ過剰性の本能へ「不自由不平等な税制」を強制適用すると、それが強者にとって生き残りに有利な税制と感じると、強者へその制度に則った強欲さの行動が強者の生き残り競争へ事実として役立つので税制が強者の強欲さを益々助長し最悪の税制環境に適応した経済循環によって、全国民の1%未満の強者は全国民の99%超の大多数の弱者から所得や富を「過剰性の本能で過剰に収奪して」所得格差拡大をもたらし強者の過剰性の本能の強欲によりバブル発生とバブル崩壊を必ず招き入れます。
 これを自由平等(対等)競争の絶対性の進化システム税制つまり「消費税無の池田吉田高累進所得税制を強制適用することによって強者は強欲しても生き残りに有利にならず大多数の弱者と相互協力する有利さを実感できるので」、豊かな自然生態系の自由平等(対等)競争の種内競争環境を実現する科学税制と、経常収支ゼロの国同士の対等性を担保する通商政策へ最適化すれば、自力経済成長が開始され「所得格差・競争格差は大改善されて」多様性のある豊かな夢も希望もある市場経済を再構築できて、強者も弱者も対所得租税平等率負担により相互に協力して自力経済成長と財政再建の同時達成を取り戻せる事実を本論文で詳しく述べています。 根本的に強者の高所得は、実は大多数の弱者の膨大な個人消費で支えられている相互依存が厳然と存在している事実を観察すれば本論を理解できます。
 故に理論が真に科学ならば本論通り「事実の詳細な観察」に基づき「原因事実から結果事実に至る全過程の因果関係を論理証明し、再現性つまり成功事実の長期継続性を疫学証明しなければなりません」 故に理論が科学である為には文科系学問も理工科系と同じ、ベーコンの事実に基づく新事実の発見を活用できる事実を観察する帰納法論理が唯一絶対性です。
 二千年以上前のギリシャのアリストテレスの理念中心の演繹法にこだわり新事実を発見できず活用できない演繹法ではコペルニクス的転回は全く望めず革新も不可能です。
 故にモデルや理念を演繹法で演繹した文科系理論は事実の因果関係も再現性も無いので正しい正しいと200回主張しても小保方さんと全く同じ錯誤となってしまいます。
 つまり演繹法は既存理論の演繹に過ぎず、新事実の発見を新理論に追加できません。
 故に文科系理論には推論方法の教育大改革が必要で、改革すれば大成果が上がります。
 事実は小説より奇なりであり、人の為になる大成功は常に常識の外にあるのです。
 そして研究者は勇気を持って「世の為人の為に努力すれば、いずれ必ず報われます」

 現状の国家税制は資本増加に貢献する高所得者層の実質租税負担率を低下し資本増加を高所得階層の力で促進しようとする「失敗続きの消費税有の低累進所得税制で欧州や日本では高所得階層絶対有利の逆進性の強い消費税主導の最悪税制」になります。
 逆に本論は対所得租税平等率負担を目指す自由平等(対等)競争の絶対性を順守する税制で、どの所得階層にも有利不利が無く且つ総需要拡大を人間の本能で自然に増殖拡大して結果として資本の強力な増殖拡大と自力経済成長と財政再建を安心安全確実に同時達成できる、既に過去日米で長期継続的に自力経済成長と財政再建の同時達成に、大成功続きの「科学的な消費税無の最高所得税率の高い高累進所得税制」です。

更に最大の問題は、理工科系自然科学を研究する科学者は全て現実の研究対象事実の競争現場の最前線で直接働き研究するのに対して、文科系学問を研究する学者は市場経済の現実の研究対象の競争現場から遠くはなれた所から間接研究するだけなので、常に錯誤が多く役に立ない理論ばかりなのです。 故に事実現実では無い理念中心の文科系学問研究の大欠点を科学的に改善する「集団的知性」を文科系学問の研究対象の最有力な手段として活用する事が文科系学問の研究対象の最前線の競争現場で直接働く多くの国民大衆の参加と知識を求めた「集団的知性」こそ事実に基づく文科系学問理論の科学化を推進する原動力になります。
更に科学は錯誤が多い理念ではダメで「事実に基づく再現性のある科学理論」が絶対です。
優秀な文科系エリート達が小保方さんと同じ再現性が無い錯誤を繰り返してはなりません。

 大陸諸国である欧州列強(階級意識の強い英国含む)の国民の過半は、宗教的にも政治的にも階級主義を本質的に容認しているので、実質的に不平等が容認されている組織優位・個人劣位の世界観を持ち、実質的に不平等を容認している社会なので権威者の統治階層が有利になるのは過剰にならない限り当然と考える国民性を持ち「知先行後の朱子学に近い強者に仕える事大主義に陥りやすい国民性を持っています」
 これに対してルターによって解放されたプロテスタント運動(神の前では聖職者も信徒も皆平等)の権威が存在しない宗教の進展と、マハンの指摘している海洋国家である米国の過半の国民は宗教的にも政治的にも不平等を認めない、階級主義を完全否定する、対等な独立自営市民の知行合一の陽明学に近い行動と、事実を重視して信教の自由と政治には形式的実質的に国民間で支配・服従を認めない個人の良心の自由を最優先する国民政党制(党議拘束も全国組織も党首も持たない政党)の国会議員個人を尊重する個人優位・組織劣位の世界観を持つ国家です。故に自主独立の「自己責任・自助努力」、「自国生産・自国消費」、「他国生産・他国消費」で、他国の需要や富を過剰に収奪する事を絶対に認めない国家観なのです。
故にミルの危害原理で他国へ迷惑を掛けない自主独立を最上の価値観とする国家なのです。
 故に日本は海洋国家であり欧州の不平等や権威を容認する権謀術策の階級主義が渦巻いている政治経済を離れ米国の自由平等の政治経済へ近づく道が日本経済再生の近道なのです。
 
「本論の需要側経済成長理論は、供給側経済成長理論を高度化する為の融合経済理論です」
 需要(個人消費)の自然増加を、消費税制で罰金規制している状態では、需要は絶対に増加できず、その状態で供給ばかり増加させればデフレが進行し、企業利益はゆとりを持って増加しないので、人件費を削減する事に最大の力点を置くので、景気の良循環など生ずるはずもありません。 個人も国家も同じ自己責任・自助努力の自業自得の結果なのです。
 国民も企業も国家も国民所得の継続的な増加が無いと何かを削減・犠牲にしなければ、新しい事業も貧富格差の改善も国民の所得向上も少子高齢化対策も多くの産業の企業収益の向上も社会福祉や社会保障の改善も何も出来ない状態つまり経済成長と財政再建の長期継続的な同時達成不可能状態に追い込まれるのは必至です。故に国家は人間個人が「常に安心安全でより良い生活を欲求し続ける特別な過剰性の本能を持った地球上唯一の動物であり、故にその特性を自然に発揮させ、国民所得を増加する為に個人消費の進化システムを活用した税制改革で国民所得を長期継続的に増加する税制改革理論を構築する責任が国家にあります。
 つまり「個人消費+企業設備投資=−>所得」の所得恒等式が経済学で証明されている以上、毎年個人消費が増加すると国民所得は必ず毎年増加するという科学的因果関係にあります。
 故に時代に合わせて自然に増加しようする進化システムの個人消費を国家税制が不自然に税制で妨害しない個人消費の無税化の仕組みこそが自力経済成長にとって絶対に必要です。
 そして個人消費が毎年増加すると設備投資も比例して毎年必ず増加する特性があります。
 「米国独立宣言や日本国憲法は、あらゆる問題をリーダー達による上から目線の無謬性を振りかざした支配と服従による決着では無く、リーダー達の無謬性を完全否定した国民全員による集団的知性の発揮と、進化システムの個人消費の増殖性を発揮する自由平等(対等)競争の絶対性の、自然の原理原則を遵守すれば無限の水、空気、食料等を汲めども尽きぬ無限に供給してくれる自然の驚異的な回復力で全ての問題を決着させる方法こそが、人間の過剰性の本能を適正に発揮させて同時にコントロールする基本構造である事実を明確に示しており、国家を人間集団として把握した場合の「進化システムと集団的知性は長期継続的な自然の増殖性のある内需主導の自力経済成長を実現する為の科学的な絶対必要条件なのです」
 「故に現代の経済学は人間社会や資本主義市場経済を自然生態系の一部であり、根本的に進化論の進化システムが適用される分野であるという事実を忘却している点に」大錯誤があり「役立たずの既存経済学に第三の危機」が叫ばれています。
人間が生きる為に最低限の文化的な消費生活を送れるようになった成熟経済段階に到達した市場経済を、更に継続的に適正に自力経済成長させるには全生物中唯一安心安全な生き残りを目指す人間だけが持つ過剰性の本能を適正に発揮させる科学である「進化システムと集団的知性」を効率よく実現する増殖性の経済学の経済循環をコントロールする税制改革と政治改革が「有能な国民と企業と国家を育成する鍵である事実を本論で論理疫学証明しました」
 この考え方は地球上に存在する全生物の競争には、生存競争である自由平等(対等)競争の絶対性の同一種内競争の生き残って増殖した方が勝ちの全体数が増殖する種内競争と、相手をエサとして食い殺した方が勝ちの全体数が減少する弱肉強食競争の二つが存在します。
 しかし同一種内の競争は前者に限るという事実の認識不足が大問題なのです。
 さて農林水産業や庭いじりを行った経験のある人は、汲めども尽きぬ水や電気や酸素を補う空気や食料は全て強い自然の再生力・増殖力が科学的に担っている事実を理解できます。
 放置しても自然の回復力・再生力・増殖力は妨害しなければ驚異的で素晴らしいのです。
 故に地球上に生きる同一種である人類の国毎の生存も経済活動も、自然生態系の自由平等(対等)競争の絶対性原則を遵守すれば人類の国毎の自然な生き残りや国毎の自然な繁栄を自然に望めるのです。(国毎に法律や宗教や文化が違う以上、国毎の差異はやむを得ませんが、どの国家でも人類には自由平等(対等)競争の絶対性は最上位の遵守義務があります)
 自然の生態系では原則的に同一種の殺し合いや共食いは無く同一種で殺し合いをするのは人間だけで「人間は犬畜生より劣る動物」なのです。 これは自由平等(対等)競争意識の欠如した自然の摂理に違反した過剰に理念観念にとらわれた人間達が自ら起こしているのです。 故にこの世は自己責任・自助努力で決着すべき世の中で「全ては自業自得なのです」

現代の先進国の巨大な市場を支えるには、適正な貯蓄や設備投資を、持続的に増加できる内需の個人消費の増加を有効活用する方法が是非とも必要で、他国の需要や富を収奪しない他国に迷惑を掛けない憲法に保証されている「ミルの自由論」に基づく進化システムの増殖性を発揮する適正な内需主導の税制改革で自動的に自力経済成長させる本論は自然科学に基づく適正な社会正義の実現への科学的解答になります。更に企業は国家税制により需要の長期継続的な増加さえ実現すれば、供給の増加は需要の増加に同期して科学技術の進化による労働生産性の向上で可能になる柔軟性と進化性を発揮して科学で国民所得を自動増加します。
 基本的に国家が内需主導の需要を継続的増加する税制改革を実施しない限り、企業は供給増加の為の設備投資などは絶対に対応不可能なのに、無知な政府は経済団体に企業の設備投資の増加を無理に呼びかけるなど、非科学の不自然な経済政策ばかりを打ち出しています。
  故に自由平等(対等)競争の絶対性から生み出されるのは「現在進行形の進化システム」と「未来の最適な国民行動を予測する方法」が「未来予測に適応する国民行動を引き出す集団的知性であり」、これらのヒントは適正に情報公開された「過去の長い歴史の中に、この二つの再現性は科学として埋もれている為、良く調べれば再発見できるのです。

税制は現状より増税すればするほど経済成長する税制でなくては財政再建へ役立ちません。

人類が生きる為に最低限度の文化的な消費生活を送れるようになった成熟経済段階に到達した市場経済を、更に継続的に適正に自力経済成長させるには、全生物中安心安全な生き残りを希求する人間だけが持つ過剰性の本能を適正に発揮させる科学である「進化システムと集団的知性」を融合した増殖性の経済学で経済循環をコントロールする税制改革と政治改革が「有能な国民と有能な企業と有能な国家を育成する鍵」である事を論理疫学証明しました。
 現代の先進国の巨大な市場を支えるには過剰な貯蓄、過剰な設備投資を、持続的に消化する内需の個人消費の増加を発揮させる税制が是非とも必要で、他国に迷惑を掛けない憲法に保証されている「自由論」に基づく進化システムの内需主導の適正な市場経済で自力経済成長させる本論は、自然科学に基づく適正な社会正義の実現への解答です。 企業は需要の増加さえあれば供給の増加は科学技術の進化で可能にする柔軟性と進化性があるからです。
国家の国内政治を安定させる為には「ベンサムの最大多数の最大幸福」の実現が大切です。
「最大多数の最大幸福」を実現するには「ミルの自由論」を厳格に遵守する事が大切です。
人間は自然生態系の中に生きる一動物に過ぎず、特別の存在では無く「人類が進化繁栄するには」事実に基づく自然の摂理・進化システムの増殖性を発揮させる事が重要になります。
故に「ダーウィンの進化論」は宗教や法律を超えた文科系学問の最上位に君臨する自然科学原理で「同一種内競争原理である自由平等(対等)競争の絶対性」で生き残って増殖した方が勝ちの再現性のある税制制度の時に限り「最大多数の最大幸福」を科学で達成できます。

 自国の国民純資産(国富)を増加するには、複式簿記の考え方と複雑な経済計算の考え方から@「住宅の建設」とA「企業の設備投資」とB「対外純資産」の増加以外ありません。
 2013年の@は1122兆円 Aは1601兆円 Bは325兆円の合計3048兆円が国富(国民純資産)となっています。 昭和20年戦後国土は徹底的に破壊され国富0の状態から池田高累進所得税制によって昭和63年末には国富3190兆円へ順調に増加したが、消費税導入の平成元年から国富は全く増加せず、微減の状況が続いています。
 逆に米国は世界大恐慌後のニューデール政策による巨額財政負担を消費税無の最高所得税率92%の高累進所得税制の税制面で支え所得適正再配分機能を発揮しアメリカ繁栄の基礎になり、且つ対独・対日の両正面作戦を財政面で支え大戦終了後わずか3年で財政再建を終了させたルーズベルト税制を高度化した池田勇人税制(吉田税制も池田が大蔵事務次官として指導した)の時代は、戦後の国富ゼロから国富3190兆円まで増加し続けました。

 ところがBの対外純資産を長期継続的に増加させると事実として統計データーや購買力平価説から必ず円高になり、民間企業収益に大悪影響を与えるので、G20の財務省中央銀行総裁会議における米国との取り決めの通り他国の需要を収奪するBの対外純資産の増加を長期継続的に図る戦略は必ず円高になり輸出企業の収益は大低下するので、為替操作で円安を目指すとG20の「為替操作国」になるリスクがあるからです。 故に基本的に日本国は経常収支0均衡を目指す通商政策つまり他国に過剰に輸出したい場合は、輸出ではなく他国に直接投資をして他国の労働者を雇い、他国で生産して他国消費者へ販売する他国経済へ貢献する通商政策を取るべきなのです。 これば世界各国の経常黒字と経常赤字を通算するとゼロになる世界経済の仕組みを理解すれば直ぐに自国だけ特別取り扱いは無理と分かります。

 故に自国で自由に達成できて、他国の需要や富の収奪にならない@、Aを長期継続間的に増加させるにはどうしたら良いかと考えると日本の国内需要(個人消費)を長期継続的に増加させれば当然に企業の設備投資や国民所得は自然に自動的に増加する為、経済循環によって@Aの長期継続的な無限の増加は可能になるので、これに適合した本論の税制改革が自力経済成長と財政再建に事実として完全に役立つ日本の自力経済成長の基本戦略になります。
 特に@、Aの合計はBに比べて8.4倍もあり、@+Aのわずかな増加率でも絶対値でBの増加率より経済成長に大好影響を与えます。
 事実として池田勇人が昭和37年消費税無の最高所得税率国税75%の税制改革と同時に自力経済成長を確信し所得倍増計画を宣言したのです。  彼は10年計画を予想していたが、オリンピックの開催も重なり、わずか5年で目標の所得倍増計画を達成したのです。
 ところが経済学の減税乗数理論(長期継続的な経済成長と財政再建の同時達成の成功実例の全く無い)を根拠とする米国共和党のレーガン税制(最高所得税率の低下減税政策)に触発されて、日本の税制は1984年から最高所得税率の低下減税政策を採用したため、想定外のバブルが発生してしまいました。 更に1989年(平成元年)に消費税3%、最高所得税率50%へ減税を断行した為、翌1990年(平成2年)からバブル崩壊を開始し、1999年(平成11年)から消費税5%へ増税し、最高所得税率37%への減税を断行したため、更なる深刻な経済不況となってしまいました。 自由主義市場経済にとって欧州型消費税の存在は自由であるべき個人消費を常時抑圧するので最悪な存在であり、最高所得税率の低下は本論で詳述の通り国家税制の持つ所得適正再配分機能の破壊に他ならず、低中所得階層の所得が増加しない為に彼らの高消費性向が生かされず、必ず経済社会の増殖性が失われ更に不平等や格差が進行し税収が増加せず、地方の人口増加に必要な地方交付税が潤沢に交付できず必ず長期継続的な経済不況と少子化に見舞われます。逆に自由な市場経済は科学であるので本論の自由平等(対等)競争の原則通りの税制戦略を立てれば必ず成功します。
米国共和党は減税乗数理論の経済学者が中心となり「大きな政府は悪」である決めつけるので、集団的知性や経済成長と財政再建の同時達成に成功できず完全な錯誤に陥っています。
 企業の経営体質と同じく、国家が多くの経常黒字を出すと当該国家の通貨価値の為替相場が上がるのが自然なのに、不自然に低く抑えると米国では年2回の「為替報告書」を米国議会へ提出し「為替操作国」と認定すると最悪米国は懲罰関税を課税する制度があるのです。
 つまり対米だけでなく世界を相手に経常黒字を多く出すと必ず素直に円高にならなければ
常に「為替操作国」として認定される危険があるので、円高を逃れながら長期継続的な外需依存の経済成長を実現する理論は、米国やG20の制度から根本的に不可能なのです。
 故に円高を逃れ、購買力平価の円安を維持しながら、長期継続的な経済成長と財政再建を同時実現するには本論の「自己責任・自助努力」、「自国生産・自国消費、他国生産・他国消費」の通商政策を整備しながら、自由平等(対等)競争の絶対性を遵守する消費税無の高累進所得税制によって無限の自力経済成長を達成する以外に、科学的な経済成長戦略は皆無である事実を証明しています。 世界中で新自由主義、新保守主義の低累進所得税制や欧州型消費税の増税政策や財政支出の大幅削減で長期継続的に大成功した国家はありますか? 
 答えて下さい、お願いします!  ウソをついてはいけません!!
 科学は事実で再現性を証明しなければ、科学ではありません。 小保方さんはSTAP細胞の実験に200回以上成功したと何度も言葉で公言したのに、みんなの見ている前で実験させたら1度も成功せず「ウソ」と断定され厳しい状況に追い込まれています。
 成功事実が無ければ、理工科系であろうが文科系の経済理論・税制理論であろうが全く同じであり、科学であれば「再現性」が必要で、無ければ非科学の迷信に過ぎないのです。
 故に世界的に長期継続的な自力経済成長と財政再建の同時達成の大成功事実が皆無な「公平・中立・簡素」の欧州型消費税は自力経済成長にとって大弊害が明らかになりました。

 つまり非科学の迷信に過ぎない減税乗数理論等の経済理論を根拠に強欲な高所得階層組織の「強欲な超高所得の国家権力者と、それを取り巻く高所得階層の御用学者と高級官僚で作り上げている欧州列強EUという組織の高所得者層のサロンに過ぎないIMFや国連では、日本が気づいて国力を増強してもらっては自分達のミスが発覚する為、既に日本へ10%超の欧州型消費税の増税を進言しており」私は心配しています。 権威と正しそうな理念を衣にまとう国連や国際機関の本質を良く知る米国は絶対に思い込みも信用もせずに、常に国連や国際機関へ是々非々で距離を置くのです。 国連とEUを信じる日本は愚かなのです。
朱に交われば赤くなるや類は友を呼ぶの例え通り、いくらうまい話やプロパガンダで説得されても日本が彼らに近づいてはなりません。 言葉を重視する朱子学(知先行後)に近い欧州と、言葉では無く事実と行動を重視する陽明学(知行合一)に近い米国思想の違いです。
 更に科学は言葉ではなく「事実と行動で証明されたもの以外、信じてはならないのです」
 言葉には錯誤が多く「行動の結果が事実である」ので、事実と行動から判断すべきです。
 外交交渉で相手の言葉を信じすぎると、相手が悪意があるとあなたは騙されます。
特に外交では「問題の事実と相手の行動から相手の真意を予測する事」が肝要になります。
  
 日本では室町時代の日野富子などによる現状日本と同様に「関銭や津料」等の流通税によって固定化して疲弊した日本経済を、織田信長が楽市楽座で自由化し膨大な経済力を得て天下統一にまい進したのです。 古代エジプト文明の公共事業である宗教的にはともかく経済的には無駄の極みであるピラミッド築造が一部の統治階層の個人的蓄財に国民所得が退蔵されるのを防ぎ財政出動付きの高累進所得税制として作用し、膨大な数の労働者の給与として所得再配分機能を発揮し当時の市場の経済循環へ使用された為、古代エジプト文明は順調に経済循環し長期継続的に繁栄したのです。 同じ事が東南アジアのミャンマーにおける3000にも及ぶ巨大な寺院と仏塔を残したバガン遺跡にも、財政出動付きの高累進所得税制として所得再配分機能が作動し格差の無い豊かな仏教王国を作った痕跡が残っているのです。
 市場経済では富や所得は強く有能な資本家へ必然的に集中する市場経済機能が強力に作動する基本特性があり古代から現代まで国家経済の基本命題は「集中する富を如何に所得適正再配分機能を駆使して所得の適正再配分を実現するか」であり、古くから税制の活用と財政出動は重大な関係性を発揮するので現代では最高所得税率の高い消費税無の高累進所得税制が、その役割であり米国のウィルソン大統領やルーズベルト大統領や日本の池田首相は税制と財政出動を組み合わせ長期継続的な経済成長を達成した事実が科学で証明されています。
 これは低中所得階層の高い個人消費性向を活用して自力経済成長効果を達成したのです。
 各所得階層へ本論詳細記載の通り「総消費を対所得で平等率負担させれば」実質的に高所得階層も所得に対して平等率負担にしかならず全所得階層ともに実質的に有利不利の無い対所得平等率負担原則の税制になる事実が科学的に証明されたのです。
 しかも高所得者層の高所得は実は旺盛な低中所得者の膨大な個人消費に支えられている相互依存の因果関係(個人消費+設備投資=−>所得)にある事は科学的に証明済なのです。
 もちろん貯蓄性向の高い超高所得階層には、それなりの努力と自制が必要であるので、国民が納得する範囲で国家による若干有利な最高所得税率の設定でもやむをえませんが!
 更に最新科学で個人消費に自由(無税)を与えると「進化システム」により個人消費が自動的に自己増殖を始める特性を、税制改革に活用できる事を本論で更に論理証明しました。

 現在の借金1000兆円を抱える日本経済が必要とする大改善点は
 @企業の新規開業の大幅低下や競争力格差への基本的対策が必要です。
 A貧富の格差拡大と合計特殊出生率の大幅低下と児童虐待やDVやいじめの大幅増加や介護負担や医療費負担の困難化、結婚をあきらめる若者の急増等への基本的対策が必要です。  
 B輸出にまい進する韓国や中国と同じく、日本企業を輸出にまい進させると日本企業の多様性は縮小し資本主義の末期症状である「輸出依存の企業の寡占化、独占化」が進み、実質的に輸出に有利な資本へ集中する韓国化・中国化・財閥化が発生し企業の寡占化・独占化が進み、更に労働者の一部の高賃金層と多数の低賃金層に二極化する最悪状況へ進みます!
 *現状は輸出にまい進する欧州型消費税制採用の韓国財閥経済や中国の官庁経済と同じく日本の大企業は中小企業分野へ資本の力で、例えば市場でセリを通さない不適正競争(需要曲線と供給曲線の均衡点をセリで探索する需要法則が働かない)の相対取引や市場外流通で卸売市場の商品流通の7−8割を押さえ、価格決定力を武器にドンドン中小分野へ参入し農林水産業や卸小売サービス業で中小企業を競争力で淘汰し、更に建築業等の内需産業へ進出したり、更に政府は大企業が輸出分野を社内に設ける事で自国の内需の個人消費の増加を消費税で押さえつけながら消費税免税の輸出にまい進させ輸出非課税の膨大な消費税還付を受けさせながら、「内需中心で消費税の全額納税負担に苦しむ中小企業」を実質的に淘汰するので、活発な国内経済競争は影をひそめ、見た目は自由でも実質的に不自由な資金調達力の制度的格差による弱肉強食競争で苦境に陥らせています。 この基本的改善には欧州型消費税制から離脱し池田科学税制により国家が税制による内需の継続的増加を図り国民所得の長期継続的な増加を図り一億総中流の豊かな日本を構築する以外に方法が無く個人消費への罰金課税は全面廃止し消費税を無税化しなければ個人消費に進化システムが作動せず自力経済成長は不可能です。 更に中小企業は100万円の資金を創出するにも利益を出し税金を支払って工面する以外に無く、且つ100万円借りるのでも経営者個人が個人保証しなければならず、国家は1000兆円借金しても誰も個人保証せず、大企業は返済不要の巨額の資金を資本金や増資で資本市場から無税手に入れたり、何百億円借金しても大企業経営者個人は個人保証する必要がないという、最初から不平等な制度で日本の市場経済は成り立っているのです。 故に中小企業支援制度は当然の事なのです。
 結局政党リーダー達の聞き心地の良い言葉と裏腹にダイナミックな国内企業集団の実質的な活力は大が小を食う弱肉強食競争で、中小企業は良い未来が描けず「日本経済の多様性と活力は急速に失われています」 この改善の基本は、内需主導経済成長理論の自由平等(対等)競争の絶対性の税制改革により国家が毎年継続的に国民所得を増加して全所得階層の一人当たり国民所得を毎年継続的に増加させ全国民を豊かにすれば国民が自主的に6−70%は自主解決できる問題ばかりで、更に自力経済成長で税収が毎年継続的に増加すれば国民が自主的には解決できない残りの2−30%の問題は国家が財政出動で解決出来るのです。
 ところが現状の日本はEUや中国・韓国の真似をして輸出依存の経済政策で輸出増加ばかりに血道をあげているので、いずれ円高の大副作用で返り討ちを浴びます。相手国の需要や富を収奪しなければ自国は絶対に豊かになれないと思い込む輸出依存経済理論の中国・韓国経済の行き詰まりと行く末が見事に既存経済理論や政策の大失敗を浮き彫りにしています。
  短期的にはともかく経済はいくら言葉で飾っても長期経過すると必ず「事実に基づき科学が結果を出すので」経済政策は必ず事実に基づく科学的政策でなければならないのです。
これが帰納法の科学の再現性で、現状の文科系演繹法の理論では再現性は期待できません。

 経済政策は他国の需要を収奪したり迷惑を掛けたりせず需要側内需主導の自力進化システム経済成長理論の「進化システムと所得適正再配分税制による自力経済成長が再現性のある科学の王道」で本論で詳しく解説しています。 経済は科学であり結果は必ず再現します。
 
 何故日本は科学技術が発達し自然科学分野のノーベル賞が多いのかの理由は、日本人の精神的支柱の宗教観が奈良平安時代からの神仏習合が原因であり、その中核となる神道は「人為的な教義が全く無い自然崇拝の宗教」で、自然科学の本質と極めて親和性が高く明治維新の開国で科学知識が素直に普及し大成功したのです。 西欧では人類は全能の神が創造したと深く信じられ低級な動物から人類が進化した事実を絶対に信じない科学進化論を否定する一部の国民が存在し、非西欧諸国でも国毎に存在する宗教の教義の絶対性を信じる一部の国民が存在するため、差別や階級が深刻な対立を生み出し、人間社会の自由平等な自然科学の発達を阻害し不自由不平等な社会を自ら作り出している国家は多数あるのです。 日本国(日本人の集団)の精神構造は例外中の例外の自然科学志向で相手が正直で誠実で自由平等(対等)競争で人に役立つのなら全ての相手と全ての宗教を受け入れ可能な国家なのです。
故に良い成果を上げていた米国民主党のルーズベルト税制やウィルソン税制を自然に素直に受け入れ日本の戦後復興に池田吉田保守本流税制として高度化して導入し大成功しました。
 故に自由平等(対等)競争で全分野を自由に研究対象にする帰納法の理工科系の自然科学は事実を事実通り受け止めて研究する学問であるが、文科系とくに経済学や哲学は何のかんのと理屈をつけて統治階層に都合の悪い不利な事実が内在する分野を与件として研究対象から外して不自由不平等な研究競争をする演繹法の学問で、結果として「再現性の無い」「人間社会に全く役立たない学問成果しか出せ無い事は全世界の現実を見れば良くわかります」
国家の存在目的は正直で誠実な国民を自由平等(対等)競争させるために存在するのです。

米国の税制は、日本の池田税制のように最善ではないが、それでも現状の米国の税制は、現状の日欧の税制より科学で役に立つ進化増殖性を持つ税制で、相対的に米国の自力経済成長率を高く維持出来て、結果として世界経済の中では米国の一人勝ちの状況になっています。
 本論は「事実に基づく自然科学が正義であるという帰納法の税制理論に基づいています」

自然科学では定説と観測事実のズレを徹底して追求することによって大発見が続きました。
・2000年超の天動説の定説をコペルニクスが太陽と惑星の動きの詳細な研究から、太陽系を発見し地動説へ大進化させました。 事実の詳細な観測こそが大発見の要因です。
・2000年超の重い物は軽い物より早く落下するという定説をガリレオはピサの斜塔からの大小2つの金属球の落下実験から、真っ赤な誤りを証明し、科学を大進化させました。
・アインシュタインはニュートン力学では説明のできない観測事実のズレを説明する為に、全ての観測事実と正確に一致するアインシュタインの相対性原理を完成し、素粒子研究や宇宙研究や半導体研究等の全ての科学技術の大進化に貢献し人間社会へ大変役に立ちました。
・今でも日本の梶田隆章博士が重さ0が定説であったニュートリノ素粒子を詳しく観測して質量が存在する観測事実を確認する世紀の大発見を成し遂げ、また一つ宇宙の謎を解明しました。素朴な疑問は「精密な観測事実の積み上げで始めて謎の解明を理論化出来るのです」
 科学とは、真実を追求する「観察という確かな事実を元にして観測事実と矛盾しないよう原因事実と結果事実の因果関係を明らかにして再現性を確認する」帰納法の理論を言う。
 つまり文科系学問も理工科系学問と同様な帰納法主、演繹法従の論理に改革すべきです。
 故に原因事実と結果事実の因果関係と再現性を証明する学問を科学と言い大効用があります。また事実の裏側には必ず「行動」があり、言葉や理念だけでは「事実は発生しません」
 ここに「知行合一の陽明学の効用性」と、「知先行後の朱子学の無効用性」があります。

 ところが文科系学問とくに経済学では定説と観測事実の不一致に対して「何故という疑問を持ち徹底追及する科学精神に欠け、政治的な税制分野を与件として研究対象から外した為」経済学はセイの法則やケインズの有効重要の原理の定説から全く抜け出せず、科学が発達した現代でも学問的迫害を恐れ過去の定説を勇気を持って否定できず米国共和党は高累進所得税制を悪と定説化しているので「レーガン低累進税制の大失敗を説明できず」また消費税制は公平中立簡素を与件として定説化している為「日欧の必死の経済成長努力と、現実の不況との観測事実の不一致の矛盾を説明できず」、「経済学は第三の危機」を迎えています。(別表2の観測事実のデーター参照) 故に人間社会や市場経済に真に役に立つ税制改革を経済学が全く提案できず体制派と反体制派の党派性の政治闘争の火種を毎回作っています。
 故に理工科系学問は事実に基づきリアルな競争現場の帰納法で研究していますが、逆に文科系はリアルな競争現場で研究せずバーチャルな机上の空論の演繹法で研究するので事実を精密に観測する精神が欠如して、研究者は錯誤(理念と事実の不一致)に陥っています。

自力経済成長は目に見えない需要と供給の同期増加が大切で需要が増加しないのに、国家が民間企業を叱咤激励し供給ばかり強化すると必ず供給過多で経済不況やデフレに陥ります。
 自由な市場経済で需要と供給を自動同期増加させるポイントは「人間は過剰性の本能と知性を持つ故に、米国建国の科学的知識を持った5人の先達の英雄が起草した自由平等(対等)競争の独立宣言と、それを基礎に作り上げた日本憲法で現状の国民生活より、常により良い生活を国民が欲求する幸福追求の権利の進化システムの個人消費の自由を作動させると自力経済成長と財政再建を実現するのが国家の役割なのに全く役割を果たしていません。」
 そして国民自身へ自己決定権のある個人消費や表現や科学に自由(無税)を与えると、各々は停滞せず自動的に増加と進化を開始するので、これを需要側へ適正に発揮させると無限の継続的増加を実現できるので「進化システムを厳守した国家税制の役割」が重要です。
故に人間は全生物中唯一、過剰性の本能と知性を持つ故に成熟経済段階に達すると国家財政の為とはいえ不平等に個人消費や表現の自由を税制で罰金規制すると正直で誠実な国民は進化システムの規制を遵守する特性を発揮して需要側が増加しなくなり経済不況に陥ります。
 故にアメリカ独立宣言や日本国憲法で国民の幸福追求の権利を保証するのは「成熟経済でも本人自身の表現や個人消費や科学等の進化システムの自由」を規定し無税化する時に限り進化システムの個人消費や表現や科学は自動的に効率よく同期して増加拡大するからです。
 故に自由平等(対等)競争を実現するのは消費税無の池田高累進所得税制だけなのです。
 「罰金とは罰金対象の行為を抑止する科学的効果を狙った財産刑で、消費税は罰金です」 

 新興国の米国が建国後わずか240年で、GDP世界一の超大国を実現し、成熟経済でも更なる自力経済成長を継続している大要因は人間の本性である過剰性の本能と知性を理解し、欧州列強と正反対の自由平等(対等)競争の絶対性遵守の個人消費・設備投資の自由化を徹底した機能的国家論の米国民主党の伝統である「欧州型消費税無の高累進所得税制による直接税主導で、総需要に進化システム増殖性と多様性を発揮させ」更に「所得適正再配分機能を発揮する高累進所得税制が成熟経済でも、その時代に合致する個人消費を自動拡大増加し米国へ自力経済成長と財政再建をもたらしたのです。 更に別の大要因が「科学による自由平等(対等)競争の正義の統治思想を採用した米国型の個人優位・組織劣位の国民政党制」(フランス革命は友愛という悪魔の不平等を内包する統治思想を採用した欧州列強型は組織優位・個人劣位の階級政党制)では「個人の良心の自由を保証された全米の全国会議員は全て個人戦の国会採決となるため国会議員は政党では無く個人で勉強しなければ選挙に勝ち残れない為、常に時代の経済環境に適応し有権者国民へ寄り添った科学的な主張を展開する為、有権者の政治的結論は常に「最悪へ収れんされず」最善が無ければ多様な次善の国家判断の内、より良い政策を自由平等に選択できる国民政党制(党議拘束無や予備選の導入)」である為「事実として集団的知性」が発揮され、且つ採用された国家政策が国民自身が望む方向であればあるほど国民大衆の自己実現欲求が高く政策実現への国民の協力が得られ科学の原理通り政策効率が高まってくる為、米国がGDP世界一へ成熟経済になっても自力経済成長が無限に継続している大要因なのです。 つまりアメリカは国民大衆が納得しなければ何も政策決定できず、逆に国民大衆が納得すれば、戦争さえ辞さない国家なのです。
 同様に市場経済は科学である為、欧州の階級政党制が民主集中制で国会議員を組織的に党議拘束で統制して国会採決へ臨む為、政党リーダーがいくら弁舌が巧みでも、政策が時代の経済環境に合致しない不自由不平等の非科学であれば最悪の結果が将来必ず現れます。
故に階級主義政党制は事大主義であり組織内外で小が大につかえる異種間の弱肉強食思想で強い勢力へ付き従うという増殖性無の非科学思想は勇気欠如の、事なかれ主義で最悪です。
 逆に国民政党制は生物の同一種内の増殖性を図る自由平等(対等)競争の種内競争で勇気を持って競争できる多様性と増殖性の進化システムと集団的知性発揮の科学競争原理です。

ポーカーゲームが国民的娯楽の米国は他国が米国へ危害を加えない限り他国の自由は認める国家であるが、自国有利の自国の秘密は絶対に他国が気づかないようにポーカーフェースでカモフラージュする国家であり、最も経済成長しにくい大人口・多民族・多宗教・多言語・多文化のアメリカが何故建国後わずか240年でGDP世界一を達成し維持継続成長し続けている原因・要因を本論は事実に基づき科学的に分析した結果、米国に追いつき追い越すには自力経済成長を目指した池田勇人税制へ回帰する以外方法が無いと本論で証明しました。
 消費税導入に狂奔していた昭和の終わりの日本政治に対して、あの口うるさい米国(当時は共和党レーガン政権)が何故無言を貫いたのかは、戦後欧州経済には一度も敗れた事が無い米国が、池田勇人税制によって欧州列強を一気に追い抜き国際競争力世界一に上り詰めていた日本を極度に警戒している中で、日本が米国の影響力からの独立を標榜し米国型の池田自力経済成長税制を放棄し、米国と張り合い国連での主導権を握っていた組織優位の理念に塗り固められた自力経済成長出来ない欧州型消費税制を採用するという、最悪手を採用しようとしていたので、あの口うるさい米国は絶対無言を貫いたのです。 しかし消費税導入後の日本のバブル崩壊があまりに激しく米国経済にも悪影響が出かねなかった為、平成6年に誕生した民主党クリントン政権の知日派の高官は何度も何度も消費税制の再検討を日本に忠告したのに、当時の日本の有力政治家やマスコミは米国からの影響力を排除する事こそ「あるべき姿であると代表性バイアスに陥り」「内政干渉」と激しく反発したので米国もあきらめました。 つまりアメリカは他国がどんな主張をしても言論の自由の国であり、主張を大部分受け入れるが、事実として他国の主張が自国に危険が及ぶ最悪となつたり他国の主張が事実と異なるウソの場合は国家も国民も激怒する国民性です。 米国は全てを「行動」で判断する「知行合一を重視する国民性で知先行後」の朱子学の事大主義を最も嫌う国家です。
 つまり米国には表現の自由があり、発言や主張では相手を決して罰しないが「行動や行為」に対しては厳しく対処する国家で、相手の言葉だけでは右往左往しない国家なのです。
 故に準備をしつつもギリギリまで他国の行動を待って真意を判断する粘り強い国家です。
 つまり臆病で、常に先に手を出した方が負けのチキンレースには、強い国家なのです。  
 ただ私はこのアメリカの考え方は極端と感じており「人間社会における自由平等(対等)競争の絶対性に反する言葉による辱めや攻撃は、絶対に許すべきでは無いと考えます」

 逆に日本人の政治分野の国民性はドイツの国民性に似て規律や団結を重視する階級政党制を採用し「与野党共に激しやすい性格で落ち着いて科学的に分析できない国民性なのです」
故に日本の政治家は「内政干渉」と「適正な忠告や助言」の意味も区別も出来ない輩です。
 故に国家は国民の集団的存在であり且つ「科学」は経験的事実の集大成であるので、地球上の自然生態系の中では「バーチャル(仮想)なモデルや理想の空想論に頼らず常に事実に基づく現実に役に立つリアルな事実の科学的追求」が大切です。(常にリアリズムの重視)
 故に科学は安易に権威に依存・服従せず自分の頭でリアルに考える習慣が重要です。
格言好きの私が作った格言を三つ記載して見ると
 1.組織は強くなればなるほど個人の自由なく、個人の自由なきところに良心の自由なし
 2.組織は強くなればなるほど支配と服従が強くなり事大主義が普遍的価値となる。
 3.天才は個人の自由から生まれ(自由論)、「自由を束縛する組織」からは生まれない。

次に選挙の意義ですが、国会議員の選挙は有権者が良心の自由を発揮して「まず最悪を選ばず次善を選ぶ」のが選挙の基本なのです。 言葉だけの中身の薄い政策や錯誤政策のプロパガンダ(政治宣伝)が横行する現代では「簡単な最善など無く」最善が無いからと言って無党派層が棄権すると投票率が下がり、結果として与野党ともにプロパガンダ(政治宣伝)がうまい候補者や組織政党が多く当選し結果として組織的な最悪政治が横行する結果となります。 本論で「最善の政策や税制」を提示した為、「その方向性に近づく政策や税制は次善」で「最善の方向性から離れる政策や税制は最悪で」これらを判断基準にすべきです!!
 過去に事実では無いプロパガンダ(政治宣伝)のうまい政党幹部につき従う選挙行動の結果が、良心の自由の無い勇気の無い事大主義の組織で動く国会議員を多数生み出し、全体主義独裁国家や共産主義独裁国家や新自由主義国家を生み出したのです。
 これは有権者国民の棄権を良しとする自業自得の結果が規律や団結や忠誠を誓う組織優位の固い考え方の議員を多数生み出し最悪の間違いを引き起したもので経済環境、社会環境、自然環境は「日々変化する為、変化する諸環境に適応した政策」を掲げる、その時々の次善の政策を提案する最善へ近づこうとする国会議員へ投票していれば最悪へ進まないのです。
 故に選挙を棄権せず次善の候補者へ投票する、繰り返しが時間と共に最善の候補者や政策に近づく最良の方法なのです。本人の行動を観察しプロパガンダ(政治宣伝)に注意です。
 規律正しく常に同じ候補者・同じ政党に機械的に投票するやり方は間違いで日々経済環境や自然環境は変化するので「最悪は避け、その時々の変化に適応した事実に基づく次善の政策を掲げた良心の自由を持つ人や政党を選挙で選ぶ事が正しい国家へ向う選挙の本質です」
 結果として、そのような場合に限り国家へ「集団的知性が発揮できます」
 故に無党派層の大量棄権は投票率が下がり最悪が希釈されず最悪政治を招くのです。
 学校教育における選挙教育の中立性は本論の選挙制度の真の本質を教育すれば安全です。

 故に市場経済で総需要を、その時代に適応して継続的に増加させて一人当たり国民所得を継続的に増加させる責任は、国家税制にあり、進化システム増殖性のある個人消費を罰金課税しない高累進所得税制が所得適正再配分機能を発揮して消費性向の高い低所得者層の所得も平等率に増加するため「最大多数の最大幸福」の自力経済成長を実現します。 そして経済常識に反して企業の責任は総需要の増加に合わせて進化システムの科学を発達させて供給を増加する責任しかなく、国民所得を増加する責任や役割はありません。故に国家税制で自力経済成長できるように進化システムの個人消費の無税化(罰金廃止)が絶対に必要です。

 故に「長期継続的な無限の需要の増加さえ実現できれば」民間企業は常に供給の増加を実現できる柔軟性があるので長期継続的な無限の需要側自力経済成長には不可欠だからです。
 逆に長期継続的な成功実例の再現性が無い主張は非科学の錯誤理論です。
自由な市場経済では全国民の表現の自由や個人消費の自由・無税や国会採決の自由を実質的に遵守する自由平等(対等)競争の絶対性で全てを決定すべきでリーダー達の無謬性を完全否定するので自由の正確な定義と自由の効用(進化システムと集団的知性)を正確に理解する必要があり、上から目線の無謬性で事大主義の支配と服従を当然とする従来からの不自由不平等をもたらす優越的国家論のエリート達(政治家等)の「科学への無知」が最悪です。
 さて罰金とは刑罰の一種であり行為者から強制的に金銭を取立てる財産刑であり、「罰金対象の行為を抑止する科学的効果が極めて高いので」善良な運転者でも交通違反行為をすると罰金が徴収されるので交通違反は最小限度に抑止されるのです。 故に経済学が「自力の、個人消費+企業設備投資=−>他力の、国民所得」へ等価変換する所得恒等式つまり所得生産式が自力の個人消費行為者や設備投資行為を直接課税して消費者から財産を取立て罰金課税する消費税は、罰金と同様効果を発揮し国民所得を自動増加する進化システムを不能にさせ「国民所得を自動低下する経済悪循環」となる事実を証明しています。 この罰金効果は法学分野では科学的に証明済なのに、経済学分野では「公平・中立・簡素として税制改革法で定義されているのでそのまま鵜呑みにして、科学的に全く注意が払われていません。」
 故に消費税を採用して個人消費増加による景気の持続的回復を実現しようとしても絶対に不可能で世界経済の現状にも明確に表れています。 逆に本人所得は本人行為では決定できず他者(会社等)の本人への所得支払行為による為、本人へ高累進課税しても所得支払をしている他者への課税では無いので支払行為者への支払抑止効果は全く無く、且つ税制が所得適正再配分機能を完全に発揮するので低中所得階層の高消費性向を活用できる為、経済好循環(景気の持続的回復)を実現する手品のように巧妙な仕組みの科学的な税制です。
 故に「需要さえ増加すれば」企業は労働者への所得増加を安心安全に実現できるのです。

 故に表現の自由の一種の「無害な進化システムの個人消費行為と設備投資」を「消費税で全面的に罰金規制する間接税中心」の日欧の欧州型消費税の輸出免税制度による外需依存の消費税巨額還付を刺激とする永年の「外需依存型経済成長による税収の低増加率による財政再建の大失敗」と、表現の自由の一種の「無害な進化システムの個人消費行為と設備投資行為を完全自由化(無税化)する高累進所得税制を採用して所得適正再配分機能を発揮する直接税中心」の永年の池田勇人税制で証明された「内需主導型需要側自力経済成長の大成功」との科学的税制効果の良悪の比較は税収の高増加率の財政再建比較で完全に証明できます。

 経済学研究者は第一に自己が行う「個人消費」や「設備投資」が結果として他人の「所得」に等価変換される事実、第二に所得の使い道は「個人消費」と「貯蓄」へ等価変換されるという事実、第三に貯蓄が設備投資に変換されない部分は過剰貯蓄になり合成の誤謬の発生原因になるという事実、第四に「個人消費」、「設備投資」「所得」「貯蓄」の内、自分の行為や意志で増加できる進化システムは主は個人消費であり従は設備投資と貯蓄で、自分の行為では絶対に増加できないのは非進化システムの「所得」である事実があります。
 これは諸事実の詳細な観察と経済学の所得恒等式から本論通り証明できます。
 故に自己の設備投資や個人消費の増加の為に自己の貯蓄で不足の場合は、設備投資で生ずる利潤や所得の増加を予測し、増資(直接金融)または借入金(間接金融)でまかなう経済手法は適法です。 正にこれが「需要側自力高度経済成長理論の資金の原資」になります。
故に自力経済成長の為には個人消費と設備投資行為を消費税で罰金課税してはなりません。
 次に民主主義については直接民主主義は最善であるが、物理的に間接民主主義を取らざるを得ない場合、国民政党制が次善で、階級政党制は最悪です。 党議拘束有りの階級政党制では国政が政党幹部に支配され「集団的知性が国政に反映できない」事が殆どだからです。

2001.7.3から本論文以外に開設した主なホームページ論文の詳細は以下の通りです。
・私の全論文の根拠となる実データー
         別表2 http://yosikosi2019.xsrv.jp/Document_04/betu2.pdf
・(本論)進化システムの科学による税制改革と自力経済成長と財政再建
  2015.2.18開設 http://yosikosi2019.xsrv.jp/Document_02/index.html
・税制改革による経済成長と財政再建への構造改革   

   2001.7.3開設http://www.mirai-keizai.sakura.ne.jp/
・クリントンと日本の池田税制が高度経済成長大成功の要因(別表2データー添付)
   2009.5月開設http://yosikosi2019.xsrv.jp/Document_03/index.html
他に・ディマンドサイド需要側経済成長理論と自由平等対等競争政策の絶対性等多数あり、上記の論文内容(別表2の実データー添付)を詳しく確認したい方は、そちらをご参照下さい。 

私が演繹法に基づく経済学と文科系学問の非科学性を強く非難しているのは次の理由です。
1.
科学とは、真実を追求する「観察という確かな事実を元にして観測事実と矛盾しないよう原因事実と結果事実の再現性の因果関係を明らかにして構築する」帰納法の理論を言う。
 非科学の文科系演繹法理論と全く異なり、科学の理工科系帰納法理論は、結果として人間個人や人間社会へ莫大な利益をもたらす理論であり理論は一つに集約され、且つ長期継続的に再現性を保証された役に立つ理論でなければ科学ではありません。 逆に長期継続的な成功実例も再現性も全く無い既存の多数の文科系経済成長理論は完全に非科学理論なのです。
 さて所得恒等式で無限経済循環する市場経済において自然循環エンジン機能を持たなければならない税制に、進化システム機能と所得適正再配分機能が存在しない場合、結果として個人消費や設備投資に変換されない「過剰貯蓄や過剰資金」が発生し、経済循環から外れた「過剰貯蓄や過剰資金」の「巨額な資金が市場に無駄に滞留して合成の誤謬を発生させ」その分は結果として所得へ等価変換されず経済学的に巨額な無駄な投機資金となり、利己的な利益を求めて資産バブル大発生や大崩壊の大要因になり、経済循環に大悪影響を与えます。
 つまり過剰貯蓄は経済循環に入らず「無駄に滞留」する為、投機資金になり「経済の過剰な無駄」になり、資産バブル発生や崩壊の大要因になり経済循環にも大悪影響を与えます。 現状の不自由不平等な税制要因で発生する「高所得階層の過剰貯蓄こそが経済不況の元凶」で、個人消費へ等価変換しない過剰貯蓄分が経済を停滞縮小させます。
 逆に100%進化システムの個人消費へ等価変換される「生活保護費等」は進化システムの経済循環へ悪影響を全く与えず、自力経済成長へ悪影響を全く与えません。
 更に不自由不平等の税制のままで過剰貯蓄を5−60年に一度の相続税だけで是正しようとすれば貯蓄が生前から、不正に流出したり、その長期間の膨大な人数のチエック体制や税務行政に膨大なコストが掛かる上、正確な貯蓄把握は変幻自在に変化する財産把握に絶対に対応不可能で供給側経済成長や進化システム需要側自力経済成長へ大悪影響を与えます。
 税制は市場経済の中で全国民が日常的に自由平等(対等)競争しながら、正直で誠実な全国民が誰一人有利不利の無い発生時点で所得を複式簿記で正確に把握できて税負担を簡素に決定できる税制であるルールが大変重要になります。
 従って財政再建の為に高所得者層から50-60年に一度過剰徴収するのではなく、日常的に租税平等率負担の高累進所得税制で徴収した上で個人消費を節約して構築した貯蓄に対する相続税は最小限度に止めるのが人間の自由意志(進化要因)を尊重する正しい税制です。

 人類は事実として地球の自然生態系の中で進化し生存してきた以上、人間が行う市場経済も自然生態系の科学原理から逃れられず遵守しなければ大悪影響を受けて最悪破綻します。
 それでは進化論の自然生態系の自然淘汰説の要点や科学原理とはどんなものであろうか。
@厳しい自然環境(外部環境)が、無目的に起こる突然変異を競争で選別し進化の方向性を与えるという説です。 自然な競争には異種間で行われる弱肉強食競争と、同一種内で行われる自由平等(対等)の増殖(繁殖)競争の2つが存在し人間社会の競争は種内競争です。
Aしたがってあらゆる進化段階の生物は競争を乗り越え自然生態系(全体)や強者に「必要であるかぎり」全ては生き残り生存できるシステムでなければなりません。 つまりは常識に反して最弱者こそ最強であり、多量の弱者が生存しなければ強者は生き残れないのです。
故に最弱で低機能の植物プランクトンでも増殖性を発揮し何ら問題なく生存できるのです。
 つまり「役に立つとか、必要である」という概念は非常に重要な意味を持っています。
Bまた競争によって強者が弱者を食い尽くすと、強者は生き残れなくなるという食物連鎖原則あります。 その応用が高所得者層の高所得は、実は低所得者層の膨大な個人消費に支えられている相互依存関係にあり、膨大な数の低所得者層の所得が低下すれば個人消費が低下し高所得階層の所得も必ず低下する関係にあり高所得者階層の高所得は維持できなくなります。 ここに利己的意識の強調の危険性と「利他的意識と平等意識」の重要性があります。

 人間は生命を持った自然生態系を生きる同一種の生物であり地球上に存在する以上、進化論や生物学等の自然科学の事実に基づく原則を全て意識無意識にかかわらず自動的に強制的に適用されるので、全ての国家政策は自然生態系の自然の摂理にかなっている事が重要で、良しにつけ悪しきにつけ自己責任・自助努力の自業自得の全国民の全生活へ現れる結果事実の良悪は、国家政策が科学原理を遵守しているかどうかの原因事実の良悪で決定されます。
故に地球上に生きる全人類の生活行動の結果である市場経済は自然生態系の一部なのです。
 自然生態系は自然状態を保てば自然に自動的に増殖拡大する科学の原理原則があります。
  更に自然状態とは生物における同一種内競争の自由平等(対等)競争状態を言います。
故に市場経済は自然科学の原理原則を守れば自力経済成長と財政再建が長期継続的に同時達成できて地球の自然生態系にも好影響を与え、守らなければ生態系へ大悪影響を与えます。
 逆に文科系学問の論理方法が自然科学の事実に基づく原因事実と結果事実の因果関係を追求し再現性を活用する日進月歩の大発見をもたらしている理工科系学問の帰納法ではなく、古代ギリシャ時代からの事実では無く人為的に権威の理念やモデルを理性主義の目的論で演繹する演繹法で論理し、結果として事実で生きる人間社会に役に立つ新発見など全く無く、事実で動く現実の社会へ全く役ただない結論や手段へ到達する「若き優れた人材のエリート達をバカの壁へ偏向教育し続けている」文科系の前近代性に強い危機感を持っています。
 故にダーウィンの進化論や、アインシュタインの相対性原理(絶対性は光速度のみ)や市川惇信博士(東京工業大学大学院卒 工学博士 名誉教授・人事院 人事官の経歴)の「進化システム」やダグラス・エンゲルバート等の「集団的知性」など文科系学問の根幹に関わる柔軟に変化する外部環境に適応進化する事実に基づく科学理論を全く信用せず「権威者の論理」を絶対視する古い固い固定的な、事実でない理念に固執して演繹する非科学者が文科系学者に多数存在し最新の自然科学者の市川博士やエンゲルバートやダーウィンやアインシュタイン等の大効用の自然科学の帰納法理論を屁理屈をこねまわして攻撃排斥しています。
 本論文では文科系学問は情報公開下で「自由平等(対等)競争の絶対性」を遵守して、その時代の環境に適応しようとする全国民が進化システムや集団的知性で法律や政策を選択すると良い結果が必ず得られるとする理論です。国家の法律や政策の選択は少数エリートの選択は悪い結果となり、現場の国民大衆自身の選択は必ず良い結果得られるとする理論です。
 現にアメリカ独立宣言にも日本憲法にも主権在民・自主独立を宣言し明文化しています。
この事実に基づき未来を予測する集団的知性は「帰納法による科学的予測理論」なのです。
 演繹法が科学的に正しいというなら、長期継続的な成功事実を再現性で再現して下さい。
 真実と証明されていない「消費税を公平・中立・簡素」と断定して演繹する税制改革理論を本論文は無効用の非科学と断定し科学の事実に基づく帰納法から、強く批判しています。
つまり罰金とは刑罰の一種であり行為者から強制的に金銭を取立てる財産刑であり、刑罰は行為者の行為を抑止する効果が高い。 そこで本論文は消費税は自由であるべき個人消費行為者・設備投資行為者から罰金を取立てるのと実質的に同一の消費税制の個人消費抑止効果が大欠点と考え、更に「個人消費+設備投資=−>所得」という経済学の基本の所得恒等式における消費税制と所得税制の二重課税批判(右辺と左辺への二重課税)と所得の使い道の所得恒等式における「消費と貯蓄」への異なる扱いの不平等課税性を強く批判しています。
 事実を見ようとせず中学生でもわかる数学の基礎の学者の無知には私は驚愕しています。

 次に、自力経済成長とは=国民所得の長期継続的な増加=国富(対内純資産)の長期継続的な増加 を言います。 自力経済成長理論では需要側主で、供給側従の理論になります。
 世界各国の対外純資産と対外純負債を全て相殺するとゼロになるので、各国の需要の奪い合いは無意味(大迷惑)であり、毎年各国ともに自主的に経常収支ゼロ均衡が最善です。
 究極の最善は「世界各国の対外純資産のゼロ均衡」であり、この時に限り為替変動相場制の下でも、経済学的に「一物一価の購買力平価(PPP)が実現」できるのです。
 これを追求したのが、通貨の変動相場制で1976年のキングストン体制で確立し、1985年のプラザ合意で、その威力(大幅なドル安・円高へ)をいかんなく発揮しました。
 経済学的に当たり前の原理原則です。 クスタフ・カッセルの購買力平価説は大事です。
 本論の考え方は更に2010年のG20のソウル宣言で世界の貿易不均衡の解消ために国内総生産GDPの4%を超えた経常収支黒字国家を米国財務省が「為替レート操作疑惑国家として指定して監視するルールを決めたのです。」  GDPの4%を超えない範囲内なら経常収支の黒字(他国の迷惑)の不均衡でも良いというわけでは全く無く、最悪では無いというだけで経常収支のゼロ均衡が最善で、2010年のG20で、既に日本も自国生産・自国消費と他国生産・他国消費の原則を強く求められていたのです。
日本も自主的にこれに近づく自助努力が必要で購買力平価の円安に近づく原則的方法です。
 外需依存の経済成長理論自身が真っ赤なウソと真っ赤な自己矛盾を内包していたのです。
つまり国家は他国の需要や富を収奪する他国に迷惑をかける利己的行動は自粛すべきです。
 更に自分個人が権威に接近する主観的で利己的意識に基礎を置く主張はしやすいが、客観的で利他的意識の真実の追求には「勇気が必要」なのは、自分が自己中の権威から攻撃される立場に追い込まれる恐れがあるからです。真実を追求するには常に「勇気が必要」です。

 そして国家の政策決定に際しては、右・左の意見を足して2で割るウエットな日本的な解決方法はもっともらしく見えるが、根本的な解決には全く役に立ちません。
 国家政策の決定には、事実に基づく科学的な原理原則を遵守した国家政策こそが「国民全員に根本的に役に立つ政策になります」

(文科系学問における自然科学的な絶対的真実と事実に基づく科学的な帰納法の必要性)
1.人類には他の地球上の全生物に無い「過剰性の本能と進化システム」を備えています。
 結果として同時に、人間性として社会的動物としての「集団的知性」も備えています。
2.競争には異種間競争の「相手をエサとして認識し食い殺した方が勝ちの全体数が減少する弱肉強食競争」と同一種内競争の「生き残って増殖した方が勝ちの全体数が増加する自由平等(対等)競争」の2つの競争があるが人類社会内の競争は同一種の種内競争が正しい。
(自由論の自由の定義と原理原則)
 他人へ迷惑を掛けない無害行為は完全自由化にしなければならない。
 故に個人消費や企業売上は無害行為であるので、無税つまり自由化しなければならない。
 逆に他人への危害行為や迷惑行為は絶対に規制抑圧(罰金課税)しなければならない。
(プラグマチスムに言う役に立つの意義)
 無害行為でも過剰性の本能に任せて役に立たない無益な行為・行動にのめりこむ事は依存症の危険性と無益の結果をもたらす為、無益行為は適度な自己管理が必要で出来る限り社会に役に立つ有益行為へ全力を尽くすべきです。それが市場経済での国家を成功へ導きます。
 (事実・行為と言葉・理念の絶対的区別)
 事実や行為は外部から客観的に確認できるので、それにはウソや詐欺や錯誤を内包していないが、言葉や理念は外部から客観的に真実かどうか確認できないのでウソや詐欺や錯誤を多数内包している可能性が大な為(プロパガンダでは特に顕著)、人間は生きていく上で「真偽を見極める心配性は大事な資質」です。

 故に常に自分の頭で考えて実証して確認する事が大切で、他人や権威の受け売りで満足しては危険なうえ進歩が無く大改革は絶対に達成できません。故に詰め込み教育は無益です。
故に真実を追求する科学理論は原因事実と結果事実の因果関係と事実の再現性が重要です。

2.理工科系学問が事実に基づく帰納法論理を、ルネッサンス以降採用しているのは直接現場で働く現場従事者(研究者)が発見した事実に基づく「事実の因果関係」と「再現性」が、現場従事者以外の全国民へ役に立つ大効用をもたらす論理である事が判明した為です。
 故に市場経済の近代化や科学化は気の遠くなるほど長期間が必要なので、長期間成り立つ理論が必要です。 そして結果の為に手段を選ばずは絶対だめで、良い結果の為には良い科学的手段を選ばなくては、長期継続的な良結果は絶対に得られません。(法治国家の原則)
 つまり人間社会で長期継続的な良結果を得るには、「文科系学問に必要な科学の本質」は「時の権威に勇気を持って反対する真実追求の科学的勇気が必要になる」宿命があります。
 そして科学では人間社会を「集団的存在」として扱うと自由な人間個人の主観的な不確実性は希釈され平等化され自由平等(対等)競争の絶対性で「進化システムや集団的知性」が正しく作動するようになり統計的に階層別の特性が明らかになり科学の帰納法で再現性のある経済成長をもたらす原因事実(消費税無の高累進所得税制)を因果関係で発見できます。
実例として民間の保険業は「正に国民を集団として扱い」科学的に危険を平準化(平等化)して帰納法で再現性のある科学的統計理論を構築できる事実と大効用を発見できました。

つまり既存の文科系学問は人間の判断や選択の不確実性・不確定性を大欠陥として理想を目指して全てを理性で解決しようとする理性主義・合理主義哲学で目的から手段を演繹する主観的な演繹法論理で発達した為に全く現場を知らない机上の空論の文科系学者や研究者が頭の中で考えた主観的理論しか生み出せず競争現場の多数の現場従事者の意見は全く反映されず「事実の因果関係」も「再現性」も無い無効用な理論が多数出来上がってしまいました。
 演繹法の理論は「再現性の無い」「役立たずの空理空論の非科学の空想論」ばかりです。
 故に文科系学問の演繹法論理は事実で動く人間社会にほとんど役に立たず、例えば法学分野では主観的な演繹法論理が重大な冤罪を数多く発生させている事は世間が良く知っている事実です。 法律論でも日本はヨーロッパ大陸法系に属しており,国民生活のほとんどすべての分野において成文法が存在するが,このように成文法が国法の基本となっているケースは成文法主義と呼ばれる。 これに対して英米法系の諸国では裁判所の判例の集積が国法の基幹的部分を構成する判例法主義とっており、重要なものは慣習法と判例法となっている。
 逆に成文法国家と判例法国家のどちらが科学の原理原則に近いかというと私自身は欠点が多くても、事実に真摯に接近しようとしている判例法の方が正しいと考えます。

 故に日本の強者の主観的な演繹法で作られている刑法に冤罪が多い事実も、日本の演繹法論理で作り上げられた政党制度や政治制度が全国民の意志を反映する民主主義とかけ離れた存在になっている事実も、国民大衆が強く感じている所です。
逆に帰納法で得られる結果はあくまでも現場事実に基づき確率や蓋然性でしか得られませんが絶対性の真実や最善など少数しか存在し無い為、最悪を避けた次善で良いのです。
 つまり最善へ向って次善の繰り返しが進歩であり、絶対的真実に近づく王道なのです。
 故に科学の基礎には主観ではダメで客観主義の経験論哲学の帰納法が基礎にあるのです。
 逆に演繹法は前提が「真実なら」結論も必ず「真実になる」という理路整然として規律正しい合理的論理方法に見えるが、実は絶対的な真実を発見する論理方法は事実に基づく客観的で科学的な帰納法しか存在し無いことは自然科学の全ての無数の大発見は帰納法研究で実現しており、自然科学の演繹法論理では失敗ばかりである事でも明らかです。 文科系の演繹法論理では、未だ科学的に再現性を証明されていない権威者の研究成果を絶対的真実として思い込み安易に絶対的事実や真実として」取り入れる為、真実と思いこんだ前提から手段を導出する演繹法は間違った手段を導出するので、結果として間違った手段からは間違った錯誤結果しか得られませんので演繹法理論は最初から自己矛盾で論理破綻しているのです。
 つまり演繹法論理には初めから根本的に「自己矛盾と自己破綻を内包していたのです」
 だから演繹法の文科系学問からは、役に立つ新発見や大発見が決して誕生しないのです。
故に自然科学や理工科系学問では真実追求不可能の演繹法主導の理論は存在しないのです。
 つまり文科系学問の研究者は現場の事実と離れたところで研究する学者やエリート達が中心で、編集されたデーターを基礎に演繹する、机上の空理空論の演繹法理論の学問である為、「理想的な理念と現実の生の結果事実の不一致の錯誤が無数に生じ」結果として事実の再現性が、全く期待できない無益で無効用の危害を含んだ錯誤理論になってしまうのです。
 逆に人間を集団として扱うと統計的に不確定性の人間個人から、各分野毎の平均的な人間特性が現れて帰納法で論理出来るようになり保険業が人間社会で科学的
 に成立しています。
 

3.本論文で明らかな如く現状の文科系理論は演繹法の為に科学ならば長期継続的な「再現性」があるなのに、現状の文科系理論には長期継続的な「再現性」が全く見受けられない。
 科学的にどんな宗教や主義等の下における人間社会でも、人間個人は憲法通り現状より常により良い生活をして生き残りたいと強く欲求する力(本能)を内生的に保有しているという「進化システム能力」を絶対性原理にする事は進化論や動物行動学から科学的に正しい。
 故に「経済を最新科学すれば」過剰性の本能(生きる為に必要以上のものを常に欲求する力・本能)の進化システムを発揮させる税制で内生的経済成長を構築できる為、達成手段は情報公開下の集団的知性の国民政党制で必ず可能となります。 国民政党制は国会議員個人が外部環境(税制も国民も環境となる)を感じ取る独立のセンサーとなり議員個人に良心の自由・表現の自由が保証されて、集団的知性を発揮できる政党制度・政治制度だからです。
 複雑で難しい現実社会を改革するには、常識にとらわれた既存理論をブレークスルーするコペルニクス的転回の、常識に全くとらわれない「科学の基本に忠実な」全く新しい科学的帰納法新経済成長理論が必要です。 科学とは事実の因果関係の手続き遵守する学問で、理工科系学問で明らかな通り、科学とは「観察という確かな事実を元にして、観測事実と矛盾しないように事実の因果関係を明らかにして構築されていく」帰納法の学問なのです。
 故に文科系学問は権威の見解を絶対的原理として三段論法等の演繹法で個別的な結論を得る方法で、観察事実に基づかない非科学ゆえに理念と結果事実の不一致の錯誤が大変多い。
故に国家は全国民を構成員とする集団として捉え文科系学問を帰納法主・演繹法従の事実の帰納法論理へ再組立して、演繹法主導の現状の文科系学問を大改革する必要があります。
 事大主義は中国、韓国の普遍思想ですが、実はヨーロッパの主要思想でもあったのです。
 故に事大主義と正反対の言葉は、全てを事実と再現性で証明する「科学」だったのです。
 そしてこの科学思想を普遍思想にしているのが「自由平等(対等)競争の絶対性思想の生みの親であるアメリカ」と「八百万の神と陽明学と実学思想の日本」だけだったのです。
 しかし日本の天皇家以外の国家統治階層は、米国と違い事大主義にまみれています。
 日本人には事実の行為を科学的に徹底追及する知行合一の陽明学や武士道の精神が存在するので自由平等(対等)競争の実践教育として、誰の命令指揮下に入ることなく、暗黙の共同作業をする集団登校や給食配膳や教室掃除等の人種や宗教や思想や貧富の格差等を超えた自由平等の自主的な実践教育によって、良心の自由や表現の自由の徹底が自由平等の真の理解に役立ち日本の科学教育の基盤が存在しますが文部科学省の文科系教育は演繹法中心の詰め込み教育に偏重して科学の事実の帰納法中心の導入政策が完全に不足しており最悪です。
故に法律や経済政策には現実に人間社会に科学的に役立つ理論が必要で現状の理想論の理性主義の文科系学問と正反対の実用的なプラグマチズムや日本の陽明学や武士道の精神に近い帰納法の科学教育へ大改革して真実を追求する役に立つ科学教育へ至急大改革すべきです。
 米国独立宣言さらに日本国憲法前文と11−14条に規定されている「自由や平等や幸福追求の権利」を「最大限度尊重すると規定されている科学的意義」は、全生物中で唯一人類が内生的に保有している過剰性の本能、つまり現状を基準として常により良い生活を追求する内生的な経済成長力を「集団内の全個人が、その力・本能を素直に自然に発揮するには国家遺伝子として作用する国家の法律(特に税制)に自由平等(対等)競争の絶対性を遵守して総需要の増殖能力を発揮させて」、米国以上に全国民の個人消費の進化システム能力(自力経済成長力)を発揮させる為には、これを絶対に妨害しない自由平等税制が不可欠です。
 特に人間社会では「危害や被害者なき犯罪を徹底して規制抑圧しつつ」、「当該国民の無害な個人消費行為を消費税で罰金規制しない税制が自然で多様性のある独自文化を推進して」当該国家が直面している経済環境や独自の自然環境に適応しながら自力経済成長します。
 つまり良心の自由、思想信条の自由、学問の自由、個人消費の自由の知識や行為が自力経済成長の大要因になります。 人間個人はセンサーとなり常に現在より、より良いものを追求する過剰性の本能がある為、組織優位・個人劣位の固い規律や一致団結で国民大衆へ抑圧的な欧州列強思想を排除した「米国以上に日本が個人優位・組織劣位の多様性と個性重視で個人消費行為を池田税制のように消費税で個人消費行為を罰金規制せず高累進所得税制で完全に自由化すれば進化システムが作動し」日本経済は長期継続的に総需要を拡大し自動的に内生的自力経済成長と財政再建を開始し、財政を本格再建できます。(戦後43年間の平成元年までの税制で税収や国富(対内純資産)は、常に対前年を上回る自然増収や増加の再現性を長期継続させた事で科学的に証明されています)  本論の論理は科学重視の日本の陽明学(知行合一を掲げた)や米国のプラグマチズム哲学を基礎に置き、欧州列強の合理的で理性中心と称する大陸合理主義哲学と正反対の進化システムの柔軟な哲学思想です。

 総需要の増加をもたらす国民個人の個人消費の増加が自力経済成長要因になる絶対的事実認識と、供給は機械による生産でも輸入でも増加可能である絶対的事実認識と、更に他国の需要や富を収奪する輸出依存は長期継続的な他国の迷惑と過剰な経常収支・対外純資産の大黒字を招き、グスタフ・カッセルの購買力平価説の因果関係から「過剰な通貨高を招き」(韓国・中国が悪例)民間企業の大赤字と大株安を招く絶対的な事実認識を根拠とする、本論は欧州の組織優位・個人劣位の固い規律や一致団結重視の思想と正反対の、米国の個人優位・組織劣位の増殖性と多様性の思想に基づき作り上げられた需要側内需主導経済成長理論と供給側経済成長理論が融合した内生的自力経済成長理論です。故に効率優先の組織優位・個人劣位の標準化・単純化の規律や一致団結重視の経済のグローバル化は大錯誤理論であり人類は進化のタネ(シーズ)を失い、更に温室効果ガスの過剰排出による地球温暖化による数百年、数千年間に起こる想定外の経済・自然環境の激変に柔軟に適応できなくなります。
 経済のグローバル化が過剰な先進国の資本の力により緑豊かな発展途上国の森林伐採や環境破壊を促進している事は明らかで、このままで温室効果ガスの排出を放置していると今世紀末以降は地球温暖化によって最終的に海水面は8.9メートル上昇し現在の地球の6億2700万人の居住地域が水没するとの予測結果(日本は3400万人の居住地域が水没)を米国の非営利法人研究組織の「クライメート・セントラル」が発表した。  故に地球上で移動する人間や商品・部品・材料の移動距離を過剰することによる、化石燃料の過剰消費による温室効果ガスの過剰発生や、経済のグローバル化で資本の力による環境破壊で地球の酸素供給力を低下させると過剰な温暖化ガスの排出につながるので、自国の経済成長は他国や他国民へ依存せず自力経済成長を徹底して人間や商品・部品の移動距離を最小化する省エネマイレージの実行が人類生き残りのキィーポイントになるので、強欲な利益を求める経済のグローバル化やTPPより「自国生産・自国消費」、「他国生産・他国消費」を徹底して各国の経常収支を自主的にゼロ均衡させる関税交渉の実施が大切な国の行動指針になります。
 故に本論は自力経済成長の革新的技術となる過去に再現性を事実として科学的に証明済みの国民所得の増殖技術である税制と連動する「個人消費と各種生産技術」の個人優位・組織劣位の増殖性と多様性を発揮する自由平等(対等)競争の絶対性の遵守を提案しています。
「1.」国家の統治階層を始め被統治階層も弱肉強食競争(自然界の異種間競争)を人間社会の「唯一の競争概念である」と過半数以上が理解している優越的国家論の国家と、米国のように統治階層を始め被統治階層も自由平等(対等)競争(自然界の同一種内競争)を「人間社会の正しい競争概念である」と過半数以上が理解している機能的国家論の国家とでは、根本的に税制と政治制度が極端に違ってきます。 つまり強者の統治階層が実質的に特別に有利か、統治階層と被統治階層が平等率あつかいとしているかの違いで、明確に税制や政党制度等において米国と欧州列強と日本では税制等の国家制度が大きく違います。正に全体主義や共産主義が誕生した組織優位・個人劣位の固い規律や一致団結重視の優越的国家論の欧州列強思想と全体主義や共産主義が誕生しなかった個人優位・組織劣位の多様性や自由な個人優位の機能的国家論の米国思想では「自由平等の扱いが根本的に大きく違ってくるのです」
それが結果として「思想や宗教や表現や良心の実質的な自由度の差へ明確に表れてきます」

.異種間競争の弱肉強食競争が正しい競争であると観念する固い規律や一致団結を重視する国家国民では必ず組織優位・個人劣位の事大主義で強者に弱者が従う国民性になります。
 現時点の世界の全ての独裁国家の不自由・不平等は、全独裁国家に共通しています。
 故に国会議員や国民個人に自由の無い「固い規律や一致団結」は、最悪なのです。
 @独裁組織の長の強者が意識する「主観的な正しさ」を絶対として演繹法で論理するので、統治階層にも被統治階層にも外部を無視する自己中が多数となり、外部環境に変化があった場合、決めた事や、契約を守るより、組織の長が絶対としている「正しさ」が国家・国民の判断基準となり、演繹法で論理して例え契約や条約で決められた事でも、屁理屈を点けて平気で破る事を何とも思わない事大主義の国民性となり組織優位・個人劣位の強者中心の欧州や日中韓や中東諸国など大多数の国々のリーダーの主観的・非科学的演繹法で勝つ為に手段を選ばない国民性が醸成されます。 それが平気でウソを織り交ぜるリーダーの権謀術策の中国の諸葛孔明やイタリアのマキアベリやドイツのヒットラーやソ連のスターリン等の非科学の巨人を創り上げた大要因で現代も継続しています。 科学は事実の因果関係の手続き遵守する学問である故に国家が全国民個人を構成員とする集団の全体であり、国民の最大多数の最大幸福を追求する以上、強者主導の組織優位・個人劣位は正反対の最悪の結果をもたらします。 実例は第二次大戦の階級政党制の英国の正直で誠実な平和宰相チェンバレンがヒットラーのウソを見抜けず強力に進めた宥和政策と軍縮政策が秘密裏に武器増産に励んでいたナチスへ安易に勝利を確信させ誤解させ、膨大な被害の第二次大戦へ踏み切らせた大要因を作った平和宰相の大誤算という歴史的事実・実例が現実に存在するからであります。
 犬猿の仲といわれた全体主義のヒトラーと東欧へ食指を伸ばしたい共産主義のスターリンが各自の思惑で、不可解な独ソ不可侵条約を締結し、逆に2年後に突如条約を破り対ソ電撃作戦を決行したドイツや、宣戦布告無き(戦争はハーグ条約で宣戦布告の手続きが国際法で絶対必要)奇襲つまり闇討ちを実行した日本など、世界には決めた事を誠実に正直に遵守するという科学的国民性が欠如した階級政党制の国家が国民政党の米国以外の全部なのです。
 従って米国以外の国会議員が金魚のウンチのように所属している政党ごとに同じ採決行動をする、規律や一致団結を重視し党議拘束で政党幹部に支配・服従されている民主集中制に基づく階級政党制(党議拘束有)の日欧中韓等の国家では、自由平等(対等)競争の絶対性の「国会議員の表現の自由」が遵守されないので「集団的知性」は作動できません。
 議員個人で国会へ忠誠を誓う米国では「所属政党の党議拘束は無く」国会議員が有権者の意志を代弁する良心の自由を発揮して個人戦で国会採決をする国民政党制であり、当該国家へ「集団的知性」が発揮される為、国家経済は進化し自力経済成長するようになるのです。
 科学とは事実を詳しく観察し、原因と結果の因果関係を徹底追求して再現性を確認する帰納法の学問で、演繹法の文科系学問こそ早く理工系の科学の帰納法へ大改革すべき時です。 
 正に日本も過去に国際的な約束事である国際連盟から1933年に突如脱退したり、1936年にはワシントン海軍軍縮条約から発展したロンドン海軍軍縮条約から突如脱退して海軍増強に励んだり、ハーグ条約第2条違反の宣戦布告なき闇討ちの真珠湾攻撃で対米戦争を引き起こしたり色々な弁解理由はあるにしろ、日本は統治階層の思惑によって米国を第二次世界大戦に引きずり込んだ、まぎれもない前科者の常習犯で、国際条約違反は日本のリーダー達のお手の物で、どこかの国と同じように他国の信頼を手玉に取って来た事を考えれば、超民主主義国家である国民政党制の米国国民の疑心暗鬼は計り知れず現在では相当払拭されているとはいえ、欧州型の階級政党制を取り潜在的核兵器開発能力(ドイツは原発廃止政策により潜在的危険性は減少)を持っている日本がNTP(核拡散防止条約)を突如脱退して核兵器開発を進める恐れがあるとの疑念を、常に米国を始め世界各国に持たれております。   
 故に党議拘束禁止で且つ党首も存在せず更に政党の全国組織も存在しない一人一人の国会議員個人が良心の自由を発揮し有権者の、その時々の意志や判断を代弁する国民政党制で国会議員個人が国会採決する超民主国家の米国へ核廃絶を訴えるなら、まず隗より始めよで核武装の疑念を、階級政党制の日本の国民自ら払いのける憲法改正が絶対に必要になります。
 故にアメリカの脅威となる潜在的敵国として民主化されたとはいえ、世界史と科学の発達状況から見て日独であることは今も変わりなく、ドイツは原発廃止政策により、実質的にウランやプルトニュウムの生産能力は0に近づき、核兵器開発を実質的に不可能にしました。
 現在ではドイツの原子炉級プルトニュウム在庫量は7トン程度で日本の45トンの16%しか保有していません。 残るは共産主義に近い民主集中制の階級主義政党制を採用する日本であり、おかしな政権やリーダーが日本に誕生すれば世界で原子炉級プルトニュウムを英・仏・露という核兵器大国とほぼ同量の45トンを日本が保有している事実から過去の実例の通り「突如NTPを脱退し手持ちのプルトニュウムやウランを原料として核兵器を開発しアメリカに対抗するのではないかとの危惧」を米国民の一部は常に真剣に考えています。   
1トンで核兵器200発を製造できるので中国も韓国も世界も疑心暗鬼に包まれています。
そこで日本は憲法で核武装しないと宣言する自己規制の憲法改正が不可欠と考えています。
 つまり日本は世界一の「潜在的核兵器開発可能国である自覚が」大切です。 特に日本が小型人工衛星打ち上げ用に実験が大成功した簡素で安価で即応性が高いイプシロン固体燃料ロケットは、「モバイル管制を含む様々な革新的技術を実現するロケット」として技術的に高評価されているが、あまりに高精度で高性能な為、、弾道ミサイルへの転用が疑う国家が米国を始め多数あり「固体燃料ロケット技術を維持する」という技術的観点からのみを重視して開発されているので弾道核兵器転用不可の自己規制の政治決断が絶対に必要です。

更に人間個人が他人を殺して無罪になるのは世界共通「正当防衛」に限られており、当然に国際法で人間集団である国家にも認められているのに日本国憲法は全く整備されていない。
 そこで過剰に米国へ日本の防衛を依存せず、まず日本憲法で個別自衛権を明確に確立して自国の自衛能力を向上させ同時に日本憲法で非核宣言を行い世界で唯一の悲惨な被爆国である日本の過半数以上の国民の強い意志として世界平和へ特攻隊のように自己中を捨てて純粋に命を懸けて世界平和を希求する意志を示す「まず隗より始めよで」まず他国を信頼する勇気ある証拠として日本国憲法の非核化へ憲法9条を改正し、同時に通常兵器による日本の正当防衛権確立の為に、現実の自衛隊を軍隊としての認識を憲法で世界へ表明すべきです。
 集団的自衛権は、その時々の国民の意志と国際状況に合わせて国会採決すれば十分です。
 米国やロシア等へ核廃棄を求めるより「まず隗より始めよ」で日本国憲法を明確に非核化し、日本国国民の不退転の決意と意志を明確にして日本に対する疑念を払拭すべきです。
 さすれば現在も将来も核武装しない日本を、万一核攻撃の脅しや被害をあたえれば、逆に当該国家の国民の大多数から、そのような行為を行った統治者に不平等競争の核兵器を武器にする卑怯者の大非難が起こり、且つ同盟国の米国や他の核保有国も黙っていない確率は格段に向上する為、日本は通常兵器による個別自衛権の高度化だけに専念すれば良いのです。
人間として他国の国民も信頼する相互信頼は「理外の理の世界平和」を生み出す根本です。
世界平和では無く自国の生存だけを考えれば「自己中こそ最善の哲学になってしまいます」
 核兵器は気の小さい自己中だけが持ちたがる世界を破滅させかねない兵器ゆえに、核拡散防止条約を完全遵守する日本国民の強い意志を憲法改正で、完全無欠に補強すべきです。
 相互信頼がなければ核兵器廃絶など絶対実現不可能なのです。 私の意見は安全保障条約で同盟を結んでいる「正直で誠実な国民性を持つ」アメリカを未来永劫絶対に信頼できるかといえば、科学的な経験主義に基礎を置く国民政党制(重大な決定は全て全国民の過半数の賛成が必要な集団的知性を備えた政治制度・政党制)のアメリカは他の全ての国家(階級主義政党制で政権が交代すれば何を考えるか分からない)より、はるかに信頼できる国家であると考えています。 NTP(核拡散防止条約)は日本が締結済とは言え階級政党制の日本では自己中政権に代われば、明日にでも強引に脱退できる事は、過去証明済みで非核化の憲法改正を出来る時に実現し、簡単に脱退できない自己規制(憲法改正)する事が大切です。

これは核兵器の誘惑を断つ世界非核武装化へ進む第一歩となる、他国では簡単に出来ない日本の画期的行動になり、このような憲法改正なら日本国民の2/3の賛成を得られます。
 故に私は日本国憲法第9条の二項を(前項の目的を達するため、陸海空軍その他の「核兵器による」戦力は、これを保持しない。 国の「核兵器による」交戦権はこれを認めない)へ改正する事を強く提案します。  日本自身も国際法で認められている正当防衛の個別自衛権を容認し自衛隊を通常兵器による継戦能力のある軍隊へ強化し、米国や中露へグズグズ非核を提言するより「まず隗より始めよ」で、まず日本が「核兵器による武装をしない」自己規制を宣言すべきなのです。
 「核兵器によるという文言を現9条の二か所に追加するだけの」簡単な憲法改正で済む上、現実に国際法では自衛隊を戦力として認めている現実を、憲法で国内承認する結果をもたらし、更に国際法やハーグ条約や核拡散防止条約との完全な整合性が図れるからです。
更に通常兵器による高度な個別自衛権を胸を張って構築できるように憲法が保証できます。
 故に中途半端な集団的自衛権論議より本論の「個別自衛権の為に核兵器による戦力を絶対に保持しないと自己規制の憲法改正宣言する方が」どれだけ疑心暗鬼の米国や中国や世界の支持を受け、日本の個別自衛権の高度化を許容されるか計り知れない効果があります。
 尚日米の安全保障協議による日本国内への核兵器の持ち込みを容認する場合があります。
 核兵器無の世界を希求するには全国民の命知らずの勇気が必要であり、それを憲法へ勇気を持って規定できる国家は「葉隠で、武士道と云ふは死ぬ事と見つけたり」というサムライ精神で特攻隊(相手の軍隊しか攻撃しない)に命を捧げた日本人だけと考えています。
 攻撃手段を持つ相手の軍隊と刺し違えるのは、平等・対等の原則で卑怯では無いのです。
 論理で核保有の相手国に対抗するには、論理的には自国も核兵器を保有する事が最善と言う結論になります。 だが「理外の理」にこそ生き残る道・幸せを希求する道があります。
 日本人は名誉を重んじ卑怯を嫌う「理外の理」を理解できる「正直で誠実な性善説」と「他者への迷惑を嫌う国民性を持つ」ている為、「他国を相互信頼する集団的知性で」非核化への憲法改正は可能であると考えています。 世界平和を無視し「自国だけ生き残る論理では自己中哲学へ陥ってしまう」からです。  地球を支配した史上最強の自己中勝者である恐竜のあっけない末路が自己中への進化の危険性を証明しています。

 日系アメリカ人は戦中に強制収容所に隔離されたが、日系アメリカ人は市民権を取り戻す為、陸軍442部隊を結成し、日本は枢軸国側で対米戦争しているのにヨーロッパ戦線に投入され枢軸国相手に勇猛果敢に戦い、死傷率314%を記録しアメリカ合衆国史上もっとも多くの勲章を受けた部隊として知られている。 これが戦後日系アメリカ人が米国で名誉を回復した大きな要因になっています。 裏切りを嫌い、怠惰を嫌い形式では無く実質を認めで戦争相手国の人種であっても平等(対等)に扱い表彰するフェアーなアメリカ人気質を表しています。 ここに私が米国を他の全ての国より信頼に足る国と考えている大要因です。
 故に上記のように非核宣言の憲法改正をして、米国へ苦言を呈するより「先ず隗より始めよ」で日本が世界へ見本を示すことで、日本を仮想敵国とする多くの人間の疑心暗鬼を静め相互信頼関係が高められ日本と友好関係を欲する人々が増加する効果は大と考えています。
 憲法改正によって日本が安易にNTPから脱退出来ないようになれば、米国の核兵器は絶対的な力となるので、日本の通常兵器(戦闘機など)の開発へ米国が介入してくる必要性は極めて少なくなり、日本の最先端の通常兵器の自国開発は更に容易になり、更に日本の最先端の通常兵器は絶対に輸出しない日本の通商政策との組み合わせが絶対に必要となります。
故に経済ばかりでなく兵器開発にも税収が連年増加する税制改革の必要性が痛感されます。
 第二次世界大戦では開戦当時国内で使用できるゼロ戦は300機しかなかったのに、開戦後7ヵ月ー1年間、当時の欧米の最新鋭の戦闘機に対して連戦連勝を重ねたのはゼロ戦の高性能の秘密が欧米に流出しなかったからです。 しかしゼロ戦が無傷で捕獲され、徹底的に分析研究され、対抗措置を施された戦闘機や戦法がアメリカで開発されるにつれ戦果は逆転され敗戦に追い込まれていくのです。 故に日本の武器輸出は結果事実として日本を仮想敵国とする相手国へ日本製の武器の機密拡散の危険性があるので、対抗措置を取ってくる相手国等を含めて、日本国の安全保障上、日本製の高性能な武器輸出は絶対に止めるべきです。
現代の日本は輸出余力は強すぎて他国に迷惑になっている為、これ以上の輸出は不要です。
 さて永い歴史の教訓(事実)から民主主義国家では、命のやり取りをする軍事の専門家の最高司令官でさえ専門エリートの将軍では無く、ド素人の文民政治家が、常に軍事の最高司令官として常に根本的な最終判断ができるようにシステム化しています。 専門エリートはどんな分野でも過剰性の本能が働き自己保身だけを考え、必ず勝つ為には手段を選ばなくなるので根本的解決を誤り、大ミスにつながりやすい特性を持っているからです。 
 まずこの事実を知ることです。 故に国家が人間集団で成り立っている以上、「子供の頃から順調な人生を約束されて予想通りの行け行けドンドンのエリート達の意見」と「子供の頃から苦労を重ね、自分の思い通りにならない想定外の危険を経験した国民大衆の心配性の意見」をどのように国家政策へミックスさせる事が最善なのか、全国会議員個人の良心の自由を国会で主張できる政治システムが、事前に国難を発生させない予防対策となる真の民主主義市場経済国家の政治システムとなります。 人間社会では「何故どうしてや、常識は本当に正しいのか、という科学の基礎となる疑問」と、明日の事は常に何もわからない無常の世界で「国家は損益を度外視し集団的知性の心配への配慮」をしなければならないのです。 「何故どうしてと、今ある常識は本当に正しいのかと、常に現場に立って疑問を持つことが、正しい科学的な知識へ到達する近道であり、自力による科学的追求が全く欠如している競争現場を知らない文科系専門家の」立てる対策には、相関関係と因果関係とを大錯誤し大失敗するケースが大部分であり、権威に依存する演繹法による探求方法では、危険が多いのは当然の結果で、文科系には科学的な集団的知性と自力による帰納法探求が最重要です。
 さて国家の自衛権は主権国家の固有の権利として国連成立以前から国際慣習法上で認められたのは個別自衛権だけであり、個別自衛権は国民個人が刑法上、不法行為に対する反撃が認められる「正当防衛」と「緊急避難」に由来する、国家の固有の反撃する権利なのです。
 それに対して集団的自衛権は国家固有の権利では無く、国連組織の国連憲章で認められた権利に過ぎず、国連の安全保障理事会には第二次大戦の戦勝5か国の拒否権があり、集団的知性を発揮できない安全保障理事会の機能特性上、代替措置として国家の合従連衡の北大西洋条約機構(NATO)やワルシャワ条約機構設立のために認められた自国の安全保障の為の政治的思惑の権利に過ぎず、集団的自衛権は国家本来の固有の権利ではないのです。
 故に集団的自衛権の発動には時間の経過と共に想定外の問題が多数発生するので、その時々の内外の政治状況と危険性は事前に想定する事は絶対に出来ない為、その時点その時点の国会で適正に最善の判断をすれば良いと考えており、故に私の憲法改正の主張は、個別自衛権の明確化と世界平和の為に日本のNTP(核拡散防止条約)脱退を事実上不可能にする、個別自衛権による自衛隊の軍隊化と、非核武装を同時宣言する改正にしたいのです。

 そして本論文の税制改革とTPP無の関税自主権の維持を実現して「食糧安保と内需主導自力経済成長と財政再建を達成して」、個別自衛権の長期間の継戦能力を向上する為の通常兵器による軍備を充実する政策を日本の安全保障政策の基本にすべきです。 従って集団的自衛権の発動は、その時点時点の国際情勢・国際取り決めその他を充分に吟味し手間はかかっても、その時点で従来通りの国会で慎重審議し採決決定する従来方式で十分と考えます。
更に現状の憲法教育は「子供達にウソを教育していると変わりなく」早く憲法の表現を国を守る戦力としての国際法の現実の自衛隊と整合性のある表現へ改正しなければなりません。
 そして他国から攻撃を受けた場合、我が国自身で自衛する個別自衛権で戦うことが前提としても、日本防衛のために安全保障条約による同盟国の米国との軍事的協力を得る事は、正直で誠実な米国国民と日本国民の過半数超の信頼関係から絶対に可能と私は考えています。
 故にまず「集団的自衛権」の議論より「世界が望む核武装無の個別自衛権」を日本国憲法で明確に子供にも分かる国際法に準じた表現への憲法改正が絶対に必要です。 少なくとも早期に憲法改正するには過半を超える国民が完全に納得できる憲法改正が必要だからです。

  まず国家とは国民個人を構成員とする集団である事実は憲法に明記されており、従って国家はリアルに人間個人自身と同一機能を持った存在へ作り変えなければなりません。

 例えば健康(平和)とは人間に危害を加える細菌や非自己(ガン等)と戦う免疫を支える白血球やNK細胞(ナチュラルキラー細胞)が体内で食うか食われるかの戦いで常時均衡勝利している状態を健康というのです。
 そして傷口に溜まる膿は、彼らが命がけで戦った彼ら自身の死骸の山なのです。
 更に人間の大人が、暴力をふるう他人に一定の抵抗力(腕力)を持っている事実を、国家規模までで拡張したのが自衛隊の存在なのです。
 つまり人間社会の市場経済では自己責任・自助努力の自業自得が大原則であり、他人や他国の富や需要を収奪する外需依存の経済成長では他国へ迷惑の危害を与えてしまいます。
 健康や平和は常に競争や戦いで均衡状態を維持することで成り立ち、健康も平和もバーチャルな言葉だけでは絶対に得らず、リアルな競争や戦いで得られるのです。
 故に個別自衛権は人間本来の免疫系の拡張に他ならず自国領土と自国民への個別自衛権は絶対に必要な機能で日本を含めて全国家に対して国際法で国連でも認められているのです。
 故に日本の主権国家としての固有の自衛権は国際法で初めから認められているのです。
 だからこそ日本国憲法の非武装の条文に関わらず、現実の自衛隊の軍備や戦力は国際法上適法に(国内憲法解釈は別にしても)自動的に認められているのです。
問題は戦争に敗れたとはいえ日本国憲法が人間の本質や国際法に外れた憲法表現であり、子供達に憲法の条文を見せれば子供達は素直に日本の自衛隊は憲法違反と思うのは当然です。
 従って現状の教育は「ウソを教育していると変わりなく」早く憲法の表現を個別自衛権を持つ国際法上の存在としての自衛隊と整合性のある条文に改正しなければなりません。
 故に個別自衛権は自国領土と自国民に対する攻撃に対して人間個人に対すると同様に自衛隊による「正当防衛」と「緊急避難」は国際法上許されるので、他国にいる一般市民である日本国民を日本へ輸送する為の自衛隊の輸送機の派遣は国際法でも当然に認められるもので、更に相手国の了解があれば自衛隊の戦闘機による護衛も認められるのです。
 逆に日本国自身が自分達で作った憲法の言葉の解釈に固執して、国際法の本質や人間の本質を見失う議論を重ねている事は残念でなりません。
 ただ非核宣言は世界で唯一の悲惨な被爆国である日本が、世界に先駆け全国民の意志として核兵器無しの平和へ命を懸けて取り組む勇気ある憲法改正案を採用すべきです。
 核兵器は気の小さい自己中だけが持ちたがる世界を破滅させかねない兵器なので、核拡散防止の日本の意志が憲法第9条の本質と考えると日本国の現実と整合性がとれてきます。
 故に私は日本国憲法第9条の二項を(前項の目的を達するため、陸海空軍その他の「核兵器による」戦力は、これを保持しない。 国の「核兵器による」交戦権はこれを認めない)へ改正する事を強く提案します。  つまり「核兵器による」という文言を二か所追加するだけの憲法改正で済むうえ、同時に国際的に自衛隊は戦力として認められている現実が憲法でも正確に認知され、更に国際法やハーグ条約や核拡散防止条約との完全な整合性が図られ、更に同盟国であるアメリカや世界との真の信頼関係(突如日本がNTPから脱退して核兵器保有を図るのではないかとの危惧を排除することになり)が得られ自衛隊は国内的にも正式な軍隊として認められ、日本の通常兵器の生産が広く認められ、自衛隊の士気も向上し憲法に沿った交戦規定や行動規定を事前に構築する事が出来るようになるからです。
 更に近隣諸国が日本へ爆撃可能な爆撃機を保有していれば「平等(対等)競争原則に基づき」日本も通常兵器で適正な攻撃能力を保有しても何ら問題なく、憲法9条と絡めて無理やり戦闘機の爆撃装置を外したり、空中給油機や空母を排除したり、敵基地攻撃能力を排除したり国際法や人間社会の本質を真に理解していない「不明確な憲法の言葉の演繹法の論理に拘泥して優秀な兵器の能力を低下させている愚かな政治家や学者の存在を悲しく思います」
 個別自衛権は通常兵器で強化すれば根本的な抑止力強化になるのです。その為にも私は連年税収自然増を達成できる欧州型消費税無の池田高累進所得税制の採用を主張しています。
 しかし「集団的自衛権」は第二次世界大戦において1939.9のドイツのポーランド侵攻から
1941.12に日本の真珠湾攻撃までの2年半近く参戦を自制した当時のアメリカ国民とエリート達の自制的な現状認識と、愚かな日本のエリート達の攻撃的な現状認識を比べると安易な集団的自衛権は危険です。 当時戦争ばかりしていた欧州や日本は米国が安易に参戦をしなかった分、犠牲は多かったが、それが独裁の危険性を欧州と日本へ自ら気付かせ、自ら進んで大戦後の国内政治体制を民主化して戦争にならない非独裁体制を築いて来たからこそ、今日の欧州や日本の長期平和があるのです。 
 つまり自己責任・自助努力と自業自得の自覚は当該国家統治階層や国民大衆へ自ら自己責任を根本的に自覚させる上で非常に重要な手段であり大切な事になるのです。
 常にその国の国民大衆とエリート達が自ら気付いて自ら進んで無用な戦争への反対行動する自由平等(対等)競争の絶対性の自覚が無い限り、自業自得である自己責任・自助努力の国家の自己啓発つまり本質的自己解決は絶対できず紛争が長期間続くからです。

つまり同一生物種の中で人類だけが愚かに殺しあう動物だという現状認識が絶対必要です。
 犬同士相手をエサや食料として認識し殺し合いますか?。 ライオン同士はどうですか。
 自然生態系の同一種では相手を仲間として認識し、リアルに相手をエサや食料として認識して殺し合い食ったりしないのです。 そのような行動は異種間競争に限定されるのです。
 それは進化の過程で同一種が殺し合えば、その種は絶滅し進化繁栄出来なくなるので、遺伝子の中に「共食い禁止遺伝子」が初めから組み込まれているが、全生物中人間だけには「遺伝子に過剰性の本能が組み込まれた為に」負の作用として、理念や主義や宗教に過剰に埋没した人間による誤った正義感で単に反対意見を持っていると理由だけで仲間を殺す事に抵抗を感じないように教育されてしまうのです。 洗脳教育は恐ろしいのです。
 仲間同士殺しあうのは人間だけで「人間は犬畜生より劣っているのです」。
 故に私の意見は少々乱暴に聞こえるかもしれませんが、内戦や紛争を起こしている国家・国民に対しては、あらゆる手段(インターネットやビラ大量配布等)を通じて「自国生産・自国消費と自己責任・自助努力で同一種の動物同士は相手をエサとして殺した方が勝ちとする弱肉強食競争では無く、仲間として認識して生きて増殖した方が勝ちとする自由平等(対等)競争の絶対性こそ理念や宗教を超えた正義の正しい競争である事、他人や他国の需要や富を収奪する事は悪である事」の科学的知識を徹底して普及する教育努力を通じて、内戦や紛争当事国の国家指導者や国民大衆への科学教育の徹底こそ、根本的な問題解決になるのであるから短兵急に集団的自衛権を発動して武力で安易に問題解決しようとする思想は危険であり現実問題として当該国家の国民自身へ早く自分達の問題として意識させる事が重要で根本的な解決になると考えています。 内戦や戦争で大被害を出せば出すほど人間同士殺しあう愚かさを初めて自覚するようになるから「自己責任に気づくまで安易に助けない事です」
故に欧米思想の「善行や慈善」は必ずしも良策でなく「自己責任・自助努力」が最善です。
 故に国連が宣言すべき事は、科学的にダーウィンが同一種内競争を生存競争と定義した「自由平等(対等)競争の絶対性」の知識の普及や科学教育の普及は、動物としての人類平和の行動であり「内政干渉に当らない」と宣言する事が、善行や慈善の重視より重要です。

今日でも
欧州では固い規律や一致団結を重視する為、日本人が常識的に無害と考える夜間営業や休日営業を歴史的に法律規制していた慣習が、規律として多くの欧州に残り今でも閉店している店が多数あり、欧州の消費者は夜間や休日に消費生活を楽しめる日本に驚きます。
 お客様は神様ですという自然科学的考えは少なく強者が決めたことが正義になるのです。
 結果として欧州列強は優越的国家論が正しいと考え少数の強者の意見へ強制的にまとめようとするので集約した後でも、大多数の弱者の国民大衆の意見が競争へ参加していないので国論が直ぐに分裂したり、最悪の場合は革命が起きて政権転覆の危険性が常にあるのです。

 A結果として「強い者勝ち」の組織化は必然であり、統治階層にも被統治階層にも事大主義(ことなかれ主義)が蔓延します。事大主義(じだいしゅぎ)は、小が大に事(つか)える事・強い勢力に(悦んで)付き従うと謂う組織的な精神構造・行動様式が醸成されます。
 結果として多数の個人の弱者は努力しても組織の壁が社会に厚く敷かれ「努力しても無駄ゆえに怠惰や開拓精神の欠如やヒロイズムの欠如が横行して科学的に健全な批判精神が育たない国家に陥ります」当然に常識にとらわれない天才の誕生を妨害する組織的な社会構造になっている為、ノーベル賞を受賞できる多くの個人の天才科学者が育たないのです。

.同一種内動物の自由平等(対等)競争が自然で正しい競争であると観念する米国では
@法律は政党主導で決めるのではなく、議員個人個人の良心の自由に基づく個人戦投票で国会内の自由競争採決で決まり、契約は自分個人で決めなければならないので結果として個人で決めた事は個人で守るという(正直・誠実)の事実が絶対性となり国家の「正しさ」や「損得」は客観的な全体の集団的知性で決めるという帰納法の国民性を持った国家です。
 米国は機能的国家論の個人優位・組織劣位の多様性や個性を重視して、個人の自由意志を最優先する社会経済構造を目指しています。 自由を規制して良いのは他人へ危害を加える自由に限るのです。(無害な自由行為へ規制抑圧を加える事は絶対禁止の思想です。) 
故に国家の意志は全国民参加の国民政党制で選ばれた有権者の代弁者の国会議員(党議拘束は禁止で国民の代弁者の議員の良心の自由は不可侵)の国会採決で決定するので、国民大衆自身の意志は常に正確に国会採決に反映される為、革命の起きる余地は無いのです。
 国民政党制の米国民主党・共和党の議員は各人の良心の自由の個人戦で国会採決します。
 しかし武士に二言無の道徳を持つ日本は米国の根本的な商業道徳である「正直で誠実である事」の国民性に非常に類似した決めた事を守るという米国の個人優位・組織劣位の思想なのに、正反対の組織優位・個人劣位の欧州思想の税制である欧州型消費税制を平成元年から採用したのは、日本が集団的知性を備えた
米国の国民政党制と正反対の欧州の階級政党制を採用しているので「進化システムと集団的知性の恩恵」を受けられない政治制度・政党制度を固執している副作用で、日本の本質は米国以上に自由な国民性を持った国家なのに明治以来、根本的部分が欧州列強の模倣に固執しているので、税制と政党制度さえ基本に忠実に米国型へ改善すれば科学的な帰納法による「進化システム」と「集団的知性」が長期継続的に作動するようになり、自力経済成長と財政再建の同時達成が過去の多数の再現性の通りに得られるのです。 米国民主党伝統の税制を模倣(消費税無の高累進所得税制=日本の池田勇人税制)する事で、今からわずか239年前の1776年に建国した新興国アメリカが短期間に超大国へ自力経済成長した「進化システムと集団的知性の効用を日本が手に入れる事となり」、結果として日本の地政学的環境や経済環境や自然環境の中で日本独自の環境に適応した国家を創り上げながら国民所得と税収の長期継続的な増加で財政負担増を消化する自力経済成長と財政再建の同時達成を帰納法の科学の因果関係の力で自動的に創造できるのです。  
 ただ現在の米国は市場経済原理主義で民間企業の株主の絶対性と金融資本の絶対性で国益を重視する自己中に迷い込み、条約の力で他国の関税自主権を排除しようとするTPPではポーカーゲームに優れた米国のトラップ(ワナ)に注意が必要で、関税自主権を絶対に手放してはならず且つ将来の想定外の経済危機に足かせとなり自主的に対応できなくなるので米国の最終目的は経常収支の改善である為、日本が自己責任・自助努力で米国の経常収支改善を妨害しない日本の経常収支や対外純資産を過剰に増加しない自己責任・自助努力の均衡政策の通商政策で十分で、日本の将来に関税自主権を放棄する大副作用のTPPは不要です。
 日本国内で商品を自由平等(対等)競争させるには、価格を構成する生産コストは事実として国別・商品別に全く異なるのであるから、日本国内で国内商品と外国商品を自由平等に競争させるには、日本国の経常収支に過剰な黒字や赤字を出さず均衡するように、国別・商品別に競争力を均衡化する輸入関税は、正に経済の原理原則にかなった方法なのです。
 世界各国の経常収支や対外純資産を+−すれば、ゼロになるのであるから、他国の大迷惑になる需要や富の流出つまり危害を加える結果となる日本の経常収支や対外純資産の過剰な大黒字や独り占めは絶対にダメで、逆に大通貨高の大副作用が生じます。 故に外需依存の経済成長理論は経済に無知な経済学者が主張している自己中理論に過ぎないのです。
 故に経済成長理論は内生的な内需依存の自力経済成長理論こそが正しく無限に可能です。
 アメリカ国内でも「TPPは消費者の権利および利益を大きく無視していると同時に、アメリカ政府と大企業の利益を優先した条約であり、製薬企業、大手IT産業、ハリウッド、音楽業界に有利な内容で、まるで大企業へのクリスマスプレゼントだと論評しているが、日本では日本の食糧安保と雇用の根幹である農林水産業や中小企業の価格競争力が大幅低下するので、これらの産業の自国生産・自国消費の放棄政策として悪作用し、工業製品の部品や原材料の遠距離移動に膨大なエネルギー多消費経済を作り世界から安価な大量の部品の組み立てや原材料や製品を集めて商品化する貿易を活発化して価格競争力を世界を相手に強化できる日本の有力な大企業は価格競争力が大幅アップするのでクリスマスプレゼント以外の何物でもなく、雇用の中心の農林水産業や内需中心の中小企業はTPPや消費税等で価格競争力が大幅低下し衰退していきますが経常収支は大幅黒字になり円高になり為替差益は低下するので株安となり国家全体の個人消費性向は低下し現状税制では所得適正再配分機能も進化システムも作動しないので需要と内需要因の国民所得は増加せず自力経済成長は不能となり生活保護世帯が急増し財政負担は増加し財政悪化する為ますます経済不況は深刻になります」
 0.5−1%の強者が有利となり、99−99.5%の弱者が不利になる、強欲で不平等な政策は、結果として必ず経済不況と財政悪化をもたらします。

 本論に詳しく詳述しているので、「自力の自由の効果と平等の高効果」をご理解下さい。
 つまり日本人の宗教観は八百万の神の意識が強く神道も仏教もキリスト教も生活様式に全て自由に取り入れるという突拍子もないことを平気でやってきた極端に「自由な国民」なのです。  故に日本は全てに個人の自己責任・自助努力を強く求められる国家であり、それ故に犯罪率も低く我々が常識と考えている世界で唯一の集団登校や、子供たちが自分達自身で教室や便所を掃除したり、給食の配膳をしたりする他国では全く見られない、貧富の格差や宗教や人種や思想・信条と全く無関係に、自然に全員一人一人が平等に扱われ自主性を尊重する教育慣習を見た外国人は驚愕しますが、実は「これも自ら進んで、自ら気付いて行動する」児童の自由平等の自主性を育む集団内の教育訓練の一環であり、全世界こそ全くの非常識なのです。 つまり日本社会は他人へ実質的に迷惑を掛けない限り、何をやっても良い「自由な社会」であり、メイド喫茶や漫画やアニメやコスプレが異常に発達した自由な風習の社会学的背景を理解下さい。 日本人は自己責任・自助努力の自業・自得の事実に基づく客観性を重視する帰納法の科学的な国民性ゆえに現実の契約や客観的事実にリアルに依存して適応する国民性であり、契約もない客観的事実もないバーチャルな演繹法の主観的な理念(宗教や主義など)に依存して適応する国民性では全く無いのです。 故に「自業自得」は人間個人に内在する原因や、国家という国民全体に内在する原因によって、結果として必ず個人や国家に結果事実として現れます。 であるから自業自得の因果関係の良い原因事実を取り入れる、科学的な国民教育は何にも増して絶対に重要になります。  故に日本国民の正義や正しさとは本来「客観的な事実に基づき科学的な論理を展開する厳密な全国民による進化システムや集団的知性」を促進しようとする無害な個性や多様性を認め誠実で正直な自主性のある制度や税制が必要不可欠です。

 A弱者でも個人の自由に絶対性を与えられるので既存の常識にとらわれない天才が誕生しやすく弱者も強者も才能や努力に応じて対所得で租税を実質的に平等率に負担しさえすれば、高所得を得ても問題が無い経済社会となり、勤勉さや開拓精神や利他的意識やヒロイズムや健全な批判精神へ妨害が全く無く、逆に促進が求められ「他人に迷惑を掛けない限り何でも自由な社会」になり、逆に強者は変化する社会環境の中で強者で存在し続けるには常に環境の変化に適応できる対所得平等率の租税負担が求められます。米国が本格的な景気回復を目指すには高所得者を不平等に優遇する共和党の経済学者の主張を排除して欧州型付加価値消費税無で対所得で租税平等率負担の高累進所得税制の高性能の民主党ウィルソン大統領税制や民主党ルーズベルト大統領税制へ回帰すれば自力経済成長と財政再建が得られます。

人間社会は「自由平等(対等)競争の絶対性を遵守する消費税無の高累進所得税制の時に限り国家経済へ長期継続的な内需主導の自力経済成長の「進化システム」が作動します。
 国会議員へ良心の自由を保証する党議拘束無の国民政党制の時に限り国政へ「集団的知性」が作動します。 故に憲法の自由平等(対等)競争の絶対性は人間社会へ最重要です。
 人間を集団として扱うと統計的に不確定性の人間個人から、あらゆる分野毎の標準的な人間特性が現れ帰納法で論理出来るようになり保険業が人間社会に科学的
に成立しています。

 本論文は事実は小説より奇なりで不可能に見える針の穴を通すような改善策を提示できるリアルな生のデーターや事実を詳細に観察する科学の帰納法の理工科系学問を尊敬し、全分野を科学的に観察せず与件や権威の既存理論に固執して、人間社会に役立つ新理論を提示できず編集されたデーターや情報に基づく非科学の安易な演繹法に依存する文科系学問を軽蔑します。 カビの混入から抗生物質を発見したり、純粋なシリコンやゲルマニュウムの結晶に微量の不純物を混入して導体と絶縁体の両方の性質を持つ半導体を創造した事実・真実を徹底追及して効用と再現性を確認する自然科学のリアルな生の事実に基づく帰納法の理工科系学問の再現性や人間社会への効用を追求する研究方法を尊敬します。
故に「真実を追求し疑問を根本解決する帰納法の自然科学の理工科系学問の真髄を、演繹法の文科系学問へ導入して文科系学問を科学の帰納法へ徹底大改革させる進化を主張します」

 なんだかんだと理屈をこねて「事実や真実を詳細に観察せず、権威や言葉に固執し演繹するだけの文科系学問」の非科学の安易に堕す愚かな「バカの壁」をぶち壊しましょう。
 現状の非科学の文科系理論では継続的な成功実例も再現性も効用も全く無く低迷した現実が証明しています。 さて人類は現状の経済や自然環境の中で最適に適応しようと、より良い商品や生活や、より良い知識や行動を常に追求する内生的な過剰性の本能を持つ特別な動物で地球上で唯一現在を基準に、より良い、より進化した行動を取れる書き換え可能な無限のRAM的頭脳を持った動物であり、この内生的な進化システム能力を最大限活用し自力経済成長へ大貢献します。 逆に人類以外の全動物は過剰性の本能は無く初めから固定的にプログラムされた本能行動しか取れない書き換え不能なROM的頭脳を持つ生物ばかりです。
 つまり人類は地球上の全動物の内、過剰性の本能(生きる為に必要最低限度以上を常に欲求する内生的な本能)を持つ唯一の動物であり、これによって現在の経済環境や自然環境等の外部環境の変化(生産される商品の変化等)に適応して自分自身の行動を常に最適化できる内生的な力を持つ唯一の動物なのです。 この内生的な進化力を全国民個人に発揮させて国家全体として活用する為には、人間の、より良い生活を欲求する力を最大限度に発揮させる「幸福を追求する個人の自由」(経済成長への内生的な力となる過剰性の本能)と「最大多数の最大幸福を追求する集団内の対所得で租税平等率負担税制」を実現する進化システム税制が、自由意志を規制しない因果関係から集団全体の内生的な自力高度経済成長理論となり、財政再建に絶大な効用をもたらします。 つまり地球上で豊かに増殖する自然生態系と全く同一構造を持つ進化システムの市場経済を構築するには「ドライな自由平等(対等)競争の絶対性を遵守する種内競争が作動する国家税制が最適なのです」 
 つまり人間社会は幸福を追求する全国民により、無害な進化システムの個人消費を自由化すると、時代と共に個人消費(企業売上)は、より幸福になれる方向へ増加するので、進化システムの国家税制によって需要側の総需要さえ時代と共に継続的に増加できれば、供給側は企業により需要に合わせた供給の増加を自動実現できる為、歳出の増加や新たな財政負担増加を心配する事なく進化システムの科学的国家税制で消化できて、国民所得の増加や税収の自然増加を自力経済成長で実現できて財政再建へ大効用をもたらします。 結局、人間社会の進化に合わせて国家の歳出が増加するのは自然である為、時代に合わせた国民所得の増加と税収の自然増加を実現できる自然科学の国家税制が最適なのです。 逆に必要があって自由平等(対等)競争で適正に決定した財政負担について、節約ばかりを目指す節減政策は、必ず国家の長期的な経済進化(経済成長)の衰退を招くのです。 本論文は日米が短期間で欧州列強を高累進所得税制要因による内需主導の自力経済成長理論で追い抜いた事実を、証明する日米の長期間のリアルな実データーを別表2  へ掲載しています。
 尚高累進所得税制がなぜ所得増加の規制抑圧にならないのか後段で詳細説明しています。

 科学では人間社会を「集団的存在」として扱うと自由な人間個人の主観的な不確実性は希釈され平等化され自由平等(対等)競争の絶対性で「進化システムや集団的知性」が正しく作動するようになり統計的に階層別の特性が明らかになり、科学の帰納法で再現性のある経済成長をもたらす原因事実(消費税無の高累進所得税制)を因果関係で発見できました。
 実例として民間の保険業は「正に国民を集団として扱い」科学的に危険を平準化(平等化)して帰納法で再現性のある科学的統計理論を構築できる事実と効用を発見できました。

 従来の演繹法主導の経済学では再現性の無い非科学の理論しか構築できませんでした。
本論文は進化論で人間の本質と整合性のある帰納法の自力経済成長理論を展開しています。
 「全国民を集団として扱い」、ビックデーターを統計処理する手法が文科系学問の科学化と帰納法の全事実の「因果関係の発見」と再現性の理論には絶対必要不可欠だったのです。
 しかし現状の株価等の予測は人工知能を使い狭い範囲のビックデーターの相関関係分析で説明する手法で発展しているが、これでは因果関係分析にならず、本質の改善に全く役立たず「外部環境の激変に全く対処できず」改善策も全く提案できないので非科学であります。
 逆に人間の全生活は自業自得と因果応報(関係)の科学に立脚しており、国民個人の生活も国民集団を構成員とする国家経済も無限循環の自業自得と因果関係で成り立っています。
 故に「自己責任・自助努力」は重要で自力経済成長は「需要の増加と供給の増加の均衡」で成り立っているいる以上「自国生産・自国消費の基本原則」は何に増しても重要です。
 故に科学と適正な市場経済は「結果が全てで、良再現性と自力経済成長」を発揮します。
 結果事実の良再現性を得るには、恒常的連接の因果関係の原因事実の改善が必要です。
 ミルの「自由論」から自由の本質は「他人へ実質的な危害や迷惑を与える程度に応じて、本人の行為や行動への国家による規制は容認されます。 しかし他人に対する無害行為や他人へ迷惑を掛けない行為を国家が完全に自由化する表現の自由が進化システム増殖性を発揮させる自由主義市場経済で最重要で経済成長と天才と多様性を創造する大要因になります。
 故に無害な個人消費を罰金規制する欧州型消費税制は憲法の表現の自由を妨害する大違反で本論では経済成長に現実に大悪影響を与えており、消費税廃止を主張しているのです。
 故に本論で詳細解説の通り消費税の「公平・中立・簡素」は真っ赤な大ウソなのです。
 尚高累進所得税制がなぜ所得増加の規制抑圧にならないのか後段で詳細説明しています。

 国際会議で世界で初めて「人種の平等」を公式提案したのは第1次世界大戦の終結の為に1919年に開かれたパリ講和会議において国際連盟設立のための国際連盟設立委員会の委員になっていた日本が「人種差別撤廃」を連盟規約に採用するよう主張し過半数の賛成を得たが、当時は植民地を持ち人種差別意識が強かった西欧列強やイギリス・アメリカの反対により「全会一致の賛成で無い事を理由に」採択されなかったのです。 故に当時から日本は不自然さを嫌う自然信仰の神道や大乗仏教の「ありのままの自然を尊重し受け入れる自由平等意識」が存在し、現代日本社会が世界に受けいれられている大要因になっています。
 日本や世界の経済や政治を正す為には「科学的な自由平等(対等)競争の絶対性を遵守する人間社会へ大効用をもたらす自然科学への文科系学問の大改善」が必要です。
 つまり理工科系学問が自然科学の帰納法を採用して人間社会に対して爆発的な大貢献をしているのに比べ、文科系学問が人間個人の不確実性を強調するあまり非科学の演繹法を採用して人間社会へ害悪さえ垂れ流している現実を、大改善しなければなりません。

 国家の最大の役割は、国家税制で国内総需要(自国民の購買力)の継続的増加さえ実現できれば、企業は需要の増加に合わせて供給の増加を実現できるので、本論文は自国民の望む、外国の影響を受けない内需主導型の自力経済成長を科学で再現し、子孫に負担を残さず全国民と全企業に、職と仕事と所得増加を与え資本を自己増殖する全国民へ適用される大効用の税制システムを構築して、自力経済成長と長期継続的な連年税収増加と所得増加を財政負担無で安全確実に科学の再現性を活用して詳細に原因事実から結果事実へ至る過程を科学的な因果関係で論理証明と疫学証明して政策として採用すべきことを科学的に提言しているのです。 長期継続的な自力経済成長と財政再建は科学的に再現可能だったのです。
 つまり需要側経済成長理論となる自然科学の進化システムの個人消費を税制で人為的に罰金規制せず自由化(無税化)し、且つ「消費税廃止の高累進単独所得税制が低所得階層の高消費性向を発揮させ自力経済成長へ大効用をもたらす事実を」池田税制の戦後43年間、米国民主党のウィルソン税制の長期間、米国ルーズベルト税制の長期間の高度経済成長や税収連年増加や財政再建達成の事実によって疫学証明され本論文によって論理証明されました。
 日米の巨大国富は内需主導の自力経済成長によつて再現されたものであり、欧州やその他の諸国のように他国の富や需要の収奪で成り立つ外需依存の経済成長では無かったのです。
 故に需要側経済成長理論と供給側経済成長理論の融合で真の自力高度経済成長できます。
供給側経済成長に努力しても需要側経済成長を同時達成しなければ経済成長は不可能です。

(一)次に経営とは組織経営の事であり組織経営には「国家経営と企業経営」があります。
 そしていづれの経営でも経営の本質は「PLAN DO SEE の経営サイクル」と「経営予測」を如何に科学で効果的に行い組織目的の経営成果を達成するかの学問ですが「両組織の経営目的が全く異なる為、組織が求めている内容も全く異なります」    
(二)「国家とは独占組織であり憲法通り人間個人(国民)を構成員(部分)とする全体でありシステム的に自由平等(対等)競争の内部競争原理しか作動させてはいけない構造を持ち人間個人に与えられた自由・平等という進化システムと集団的知性を発揮する為の同一種内競争における「自由平等」の不可侵の権利を含む為、税制がこれを遵守する時に限り国家経営に進化システムと集団的知性が自動作動して総需要は自動的に拡大し経済は良循環し「最大多数の最大幸福」で自力高度経済成長と国民所得の増加と財政再建が同時実現します。
 進化システムとは、現状の既成事実をベースに、より良く、より安全に個人や社会集団に役に立つように進化という「内生的な力で改善するシステムを進化システム」と言い無限の改善が可能であり、故に事実の観察に基づき現状改善の論理を構築する科学と同義語です。
 結果として総需要の増加は税制の決定権を持つ国家の役割・専権事項であり、民間企業が逆立ちしても高度経済成長の根源になる総需要の増加は実現できないのです。 これを個別利潤を追及している企業に求めている既存経済学や政治学は根本的に大錯誤学問です。
 故に国家経営は国家を構成する自由平等(対等)競争の絶対性を遵守する全国民の「自己責任・自助努力による自己実現」つまり「全国民を平等に扱う最大多数の最大幸福が経営目的」であり、個人消費の利他的結果を重要視して結果として「国民一人当たり所得の増加」と「国富の対内純資産の増加」が最終経営目的とする組織です。
 故に過剰な通貨高をもたらす経常収支や対外純資産の大幅黒字増加や、過剰な通貨安をもたらす経常収支の大幅赤字増加は国家経営や民間経営にとって最悪の経営要因です。

 故に自由平等(対等)競争原理では競争によって人間個人を淘汰(死の宣告)してはならず、且つ人間個人の自由な個性や多様性を認めることが国家組織全体の経済成長や文明の発展の根源になる事実は自由の国の米国の発展やミルの自由論から明らかであるので、大部分の自由は認め、唯一自由を制限して良いのは他人の自由を実質的に侵害する時に限定するという危害原理に基づく細かい強制力のある行為規制(罰金や禁止等)を法定化し実害が無い場合は絶対に行為規制つまり罰金を課してはならず、完全自由化すべきです。 故に他人に実害を与えない個人消費への行為規制・消費税は絶対に認められません。 逆に他人(つまり市場)が本人へ所得を付与する利他的行為への他人課税ではなく、結果として受給する本人課税である本人へ対所得平等率に課税する高累進所得税制は、当該他人の所得付与者への他人課税(罰金)では無いので罰金効果は皆無で、受給者本人所得への本人課税で所得適正再配分機能が発生するので科学的に巧妙で非常に優れた課税方法で問題は全くありません。

(三)次に企業経営は一部の国民を構成員(部分)とする国家内の一部の組織システムにすぎず、自由な企業組織同士の競争は、組織死(疑似死・バーチャル死)のルールを自由主義経済へ取り入れた「国家という独占組織内の外部競争原理の疑似弱肉強食競争で相手の企業組織を食い殺す利己的な行動も許されており、しかしこれには民事再生法や生活保護法が準備され個体の人間は個別に生きられるように配慮され自由平等(対等)競争における最悪の組織排除でしか無く自然科学の弱肉強食競争ではありません。 結果としてそれらを公にして、株主利益の追求を最終目的とする個別企業組織の行動の良悪は自由平等(対等)競争の絶対性を通じてお客様は神様ですの、最終消費者の企業選択によって個人消費(商品購入)の増殖の優劣と良悪で市場が最終判断して最悪の企業組織を淘汰(死の宣告)できる競争強度を高めた市場経済システムで、不正を厳しく監視さえすれば自由な企業組織の行動を容認し細かい規制を設けなくとも消費者の時代時代の自由平等(対等)競争により最悪企業を倒産等で自然淘汰して、システム(国家経済)全体が努力して生き残りへ向うシステムです。
 従って最悪でなければ、常に最大多数が生き残れる、多様性が常に保持されるのです。
民間企業は企業利益の最大化を追求する組織だが自由平等(対等)競争は遵守すべきです。
 故に目的の為に手段を選ばない殺人の弱肉強食競争は、人間社会では絶対禁止なのです。

(四)従って自由平等(対等)競争の内部競争原理で動く国家経営(全国民対象)と、疑似弱肉強食の外部競争原理で動く企業経営(一部国民対象)は全く異なった考え方と経営手法や組織意識が必要になり、企業経営には疑似弱肉強食と食物連鎖原則が働くとしても、あくまでも自由平等(対等)競争意識を併用する利己的意識が強く求められる企業経営者と、全国民から最大多数の最大幸福の自由平等(対等)競争の利他的意識を求められる国会で行動する国家議員は「全く異なった思想哲学と経営意識で行動しなければならないのです」
 故に優秀な企業経営者が、国会議員に適しているという常識は迷信に過ぎないのです。

(五)共通の課題点
 世の中には悪い人間・人を落とし込もうとする人間は想像以上に多数います。
 そこで最も大切な注意点は「相手が正直で誠実な人間であるかどうか」です。
 そこで武士道の精神や騎士道の精神やスポーツマンシップの必要になります。

 まず上記は自由平等(対等)競争の大前提条件になり、ウソつきの構成員は初めから排除しなければ、客観的事実に基づく科学の自由平等(対等)競争は成り立たなくなるのです。 
その区別は見た目や言葉だけでは絶対に見分けられませんので「行動に注意」する事です。   
 次に本人が理念に基づく個人的好き嫌い(物や人に対する)や個人的損得で経営判断する人か、自由平等(対等)競争の絶対性基準で経営目的を達成する為に事実に基づき誠実で正直で科学的な経営判断できる人かの区別が重要です。 つまり好き嫌いや損得や事実に基づかない理念を国家経営に絶対に持ち込んではいけないので、いわゆる「公私混同は絶対にするな」と言いたいのです。 好き嫌いや損得は個人的な問題であり独占的な国家経営に絶対に持ち込んではいけない原則を貫く事です。 逆に私見では非独占の企業経営には持ち込んでもOKと考えています。  結果として最悪なケースは市場が淘汰・倒産してくれるからです。  人(相手)や物を平等に扱いその中の「良いものは良いとして取り入れ」「悪いものは悪いとして排除」する単純なことの連続と継続する事こそが経営のポイントです。
 これはトップが会社へ悪い個人的好き嫌い(物や人に対する考え方)を会社へ持ち込むと組織つまり会社全体に必ずその悪い個人的好き嫌いが蔓延して長い将来には会社経営の大失敗の原因になるからです。逆に良い個人的な好機嫌いは会社経営に持ち込んでもOKです。
 いずれにしても市場経済では非独占の企業の存続は市場が決めるのが市場経済です。
 つまり周囲の同業他社や他人の意見を無批判に受け入れるのではなく、良く他者の意見に耳を傾け、会社経営にとって事実として何が「良いか悪いか」「正しいか正しくないか」の判断を自分で的確に行う習慣を若い時からつけ、良いことはどんどん実行し、悪い事は徹底して排除する意志の強さが必要になるのです。
◆そして変化する経済環境に適応するように自分自身を変化させることができる人、つまり自分自身を変えられる進化できる人が最終的に経営者としても人生にも成功するのです。
 つまり環境の変化に柔軟に適応できる人つまり自分自身で「良いことは良い・悪いことは悪い」として自分で判断して進化しながら実行できる自己啓発者が成功する人なのです。
 ことわざで言えば「知って行なわざれば、知らざるに同じ」や「去る者は追わず、来たるものは拒まず、対すれば和す」といった自然体の行動が必要なのです。

 文科系学問も科学である以上、フィクションがあってはならず国家財政は税収で成り立ち税収増加を毎年自然に継続的に再現できる、原因から結果に至る全過程の事実を引き起こすドライなルール(税法)を作り「帰納法」で「原因事実と結果事実の因果関係を科学で論理証明」し、集団内でルール(税法)通り実行すれば客観的に継続的に税収増加の結果事実をもたらすルール(税法)を採用し、更に事実に基づき「再現性を疫学証明」できる科学理論でなければなりません。 理論が科学ならば答えは必ず一つに収斂して再現性を発揮するはずなのに既存経済成長理論は無数に乱立し、しかも各々良い再現性を発揮できない事実は理論が非科学である事を逆に証明しています。市場経済の大原則は「結果が全てだからです」
 故に先人の尊い血と汗の結晶の日本国憲法と米国独立宣言が規定しているドライな自由平等(対等)競争の絶対性の規定を遵守したルール(税制)作りが大切で、どんな分野でも自由平等(対等)競争の絶対性を遵守したルールづくりは、ダーウィンの進化論の科学的な事実で証明された同一種の種内競争そのものであり国家内の競争政策の基本になるのです。
 つまり自然生態系の同一種生物の進化性と増殖力を持つ競争こそ自由平等(対等)競争の絶対性を遵守する種内競争であり進化システムの経済効果を現出する「規制緩和(自由化)と、結果の平等率負担」が絶対に必要で、全分野で、その時代時代の経済環境・自然環境に柔軟に適応できる「自由平等(対等)競争制度を立案する事」が全国民・全企業・国家の自己責任・自助努力の多様性を尊重する政策づくりの為の政治家や官僚の大切な仕事です。
 つまり税制では大衆増税なしの消費税廃止の高累進所得税制であり、個人消費への「規制緩和・自由化」で個人消費の進化システム機能(増殖性)を発揮させ同時に結果所得に対する「租税平等率負担」をルール化する所得に対する高累進所得税制で国家の所得適正再配分機能を発揮させ低所得者層の高消費性向を自然発揮させ、その両機能が相乗的に同時発揮される時に限り、経済学の所得恒等式の原則どおり内需主導型の自力経済成長が必ず継続的に発揮される為、ケインズの減税乗数理論に基づくエリート経済学者の反対主張を断固排除して、高累進増税政策を採用した池田税制及び、その起源となったウィルソン税制、ルーズベルト税制等の米国民主党の増税政策が日米の長期継続的な経済的大成功を再現したのです。
 小保方さんは理工科系の科学分野ゆえに再現性が求められ、200回大成功したとの本人の強い言葉に関わらず、本人自身による客観的な再現性を再度求められたら1回の再現性も実現できず「非科学の錯誤」(厳しく言うと虚偽=不正直不誠実)が確定しました。
 つまり文科系学問でも再現性を発揮できない理論は非科学の虚偽か錯誤理論なのです。
 アインシュタインの相対性原理でさえ、50年以上疑い深い多くの学者によって各種各様な方法で再現性の確認が行われ全て再現性が確認されて科学原理として確立されたのです。

 逆に既存経済学のウエットな減税乗数理論で理論武装した経済学者達の主張でで成立した日本の平成元年の、消費税制+累進低下減税政策や、共和党のクーリッヂ税制、レーガン税制、ブッシュ税制等の米国共和党政権の税制と経済政策の再現性の大失敗(バブル発生と崩壊含む)の要因のウエットな減税乗数理論こそ大錯誤理論である事実を事実に基づく科学が証明しています。 経済学のウエットな減税乗数理論は実は真っ赤な大ウソのガセネタ理論で、全く逆の、租税平等率負担に近づく高累進所得税増税政策こそ正しい科学的な増税乗数効果を発揮します。 日米の税制の推移と財政再建・経済成長の結果事実が科学的に事実(別表2)で疫学証明しています。 また事実として変動相場制下の輸出主導型経済成長は限界があり、輸出による無限の経済成長は理論的に絶対不可能で、韓国や中国の自力経済成長出来ない税制と輸出依存度が高い経済構造が災いして深刻な経済危機や内需停滞や貧富の格差の大問題を発生しています。 故に財政金融の研究に偏重し、自由平等の税法をリアルに研究しない非科学経済理論は、結果願望のバーチャルなフィクションに過ぎず既存の現代経済成長理論は再現性がない錯誤理論ばかりです。 さて「合成の誤謬」とは経済用語で個々の行動が合理的であっても多くの人がその行動をとると全体として好ましくない結果が生じることを言い「成熟経済の税制」で特に顕著に現れ、国家国民へ甚大な悪影響を長期間にわたり与え大悪影響を発生します。 成熟経済国家が国民大衆の消費意欲を重視せず一部のエリート達が頭の中で考えた「公平・中立・簡素」で、個人の自由な個人消費の増加意欲を実質的に税制で罰金規制すると「合成の誤謬で消費停滞」へ陥り経済成長せず深刻な貧富の格差拡大や地方のシャッター通り商店街の大発生や深刻な経済不況現象が現れるのです。
 自由平等(対等)競争に反して所得への最高所得税率の低下減税策を取り「貧富格差を広げ」更に、進化システムである個人消費への規制強化の消費税増税つまり「個人消費への参加の自由を罰金抑制する税制」を組み合わせた不自然な税制は、実質的に異種間競争の弱肉強食の税制改革として作用し「経済の縮小均衡」と「総需要抑制政策」として作用します。
 この税制は正に合成の誤謬をもたらし個々の国民が、この税制の条件下で経済原則に沿った努力を全力ですればするほど、国家・国民・企業は疲弊し国民所得は停滞減少します。
 更にフランス革命の「友愛というウエットな精神」を本論で全く使用しないのは、友愛精神が結果として個人を軽視し組織を重視し仲間を同士と呼び合い、過激な全体主義や共産主義組織へ発展していった歴史の合成の誤謬の危険性がある為です。 人間社会に役に立つ米国独立宣言に記載されている、統治者の権力は被統治者の同意を得た時のみ正当とされる原則(全国民と全国会議員の個人の良心の自由)を尊重する党議拘束禁止の国民政党制の政治制度が機能的国家論の「集団的知性と進化システム」を発揮して、全国民の幸福追求への生活改善を追求して実現する最善の政治制度です。 反対にこれに全く反する人間社会に全く役立たずの規律重視の党議拘束有で国会議員の個人の良心の自由を実質的に抑圧し一部の政党幹部の理念や理想に組織を一致団結させ少数の政党幹部による政党支配を公認する金魚のウンコのように同じ意見ばかりを述べる国会議員を作り出し、国会内で自由に採決競争させず政党毎に一致団結させる階級主義政党制の優越的国家論の政治制度では、全国会議員の個人の良心の自由による能力を規制抑圧し国政に反映できない為、結果として国会議員を選択した全国民の自由な意志と意欲を国政に反映できず抑圧する実質的結果となり、ミルの自由論に言う表現や参加の自由への実質的規制抑圧が経済危機や停滞の大要因となっています。

「2.」次に再現性が無い非科学の演繹法に依存した文科系学問の科学化が遅れている為に、現実に再現性の無い人間社会に役立たずの「経済学の危機」「教育の危機」が一気に経済社会の全面に押し寄せてきました。 文部科学省は教育の帰納法による科学化が急務です。
 目的論による演繹法の文科系学問の悪例は、欧州を始め韓国や中国が参考になります。
 逆に真実を追求して科学を遵守する日本の姿勢に世界も理解を示し始めています。
 問題は国民大衆も学者も大政治家も大マスコミも全ての人々は、基本的に何が正しくて何が間違いなのか、真実(正しさ)が、全く分からなくなって来ています。 理工科系学問の絶対性原理は「光速度の絶対性」であり、文科系学問の絶対性原理は全生物種の存在原理であるダーウィンの進化論の進化システムの「自由平等(対等)競争の絶対性(憲法や独立宣言に明記)」であり、これを羅針盤や測量の基準点のように論理の中心に据えて下さい。
情報を隠蔽せず情報公開さえすれば、現場を良く知る国民大衆は自由平等(対等)競争の絶対性を基準に、何が正しく何が真実で、何が間違っているかを直感的に理解できるのです。
 正しい政策とは自然の摂理にかなう再現性のある科学的政策で環境に適応して人間個人や人間集団へ役立つ自由平等(対等)競争の絶対性遵守の科学政策を言い大効用があります。
 これは科学捜査と全く同じで正しさ(真実)を見つける科学教育の大切さを認識し、文部科学省は文科系学問の初等教育から高等教育へ帰納法による科学教育が不可欠になります。
科学とは、「観察というリアルな確かな事実」に基づき「観測事実と矛盾しないように理論を構築すべきという因果関係の帰納法で、真実なら科学が自然に自動で再現性を発揮します」
 正しさとは何か、真実とは何か、社会に役に立つとは何か、の科学的追求が大切です。
 逆に事実を度外視した目的と手段を論ずる目的論の演繹法は再現性が無く大変危険です。
 演繹法は目的や結果への予測された再現性への因果関係が無い論理方法で大変危険です。
 科学では全国民個人を構成員とする集団である国家は自由平等(対等)競争の絶対性を遵守しつつ、情報公開下で当該国家の過半数以上の国民が正しいとする選択が、当該国家の正義や正しさとなります。
 故に進化システムや集団的知性に合致した国家制度の構築が大切になります。
 故に科学の基本である事実に基づく帰納法の優位と三段論法の演繹法の劣位を教育行政の中心にすえて、演繹法による、つめこみ教育を廃し、疑問に対するリアルな事実・真実を追求する、帰納法の再現性を重視する科学の文科系学問へ大改善しなければなりません。

 さて全世界の自然・経済・政治・国際情勢等の全分野の環境条件は事実として常に諸行無常で千変万化している事実・現実を直視し本論は時代時代の諸環境条件の変化に柔軟に適応する科学税制の絶対性ルールとして国家を構成する全国民が遵守すべき基本となる「自由平等(対等)競争の絶対性ルール」と、派生した遵守すべき諸ルールを詳述しています。
 異次元の金融政策で経済成長できると宣言した経済学は、リスクやコストを2年以上大負担しても自力経済成長も財政再建へ近づく結果も全く出せず結果として大失敗だった事を、事実が証明しました。 基本的にデフレを改善するには、需要と供給の均衡が唯一の解決策で、現在最も不足している有効需要の長期継続的な増加税制政策が絶対不可欠です。
 故に進化システム税制で実現可能な「個人消費の自由な増加を所得の増加へ等価変換する所得恒等式によって国民所得を税制で増加する科学的国家税制を構築する大責任を国家が背負っており」、国内総需要を進化システム税制によって長期継続的に増加すれば、市場経済は有効需要を国民所得へ等価変換し自然に長期継続的に国民所得を自然に循環増加し、国民所得と税収は自然に自動的に循環増加して自力経済成長と財政再建を安全確実に実現します。
 私見では仏教用語の「無」とは「人間の作為が混入していない自然状態を無と言い、更に教義が無く人間の作為が混入する余地の無い神道も結果的に自然科学へ通じているのです」
 故に同一種の人類の自然状態の生存競争である自由平等(対等)競争の絶対性を遵守する政治の大仕事は、地球上の生物中、唯一人類が持つ「過剰性の本能」によるありのままの個人消費の自由の発揮の進化システム増殖性を作為的に妨害する本人の自由であるべき消費行為を罰金規制して自力経済成長を妨害する消費税を段階的に廃止して、全国民へ長期継続的な需要増加を自然科学でありのままに発揮させ、より良い所得や職を与える自由平等(対等)競争の所得適正再配分機能を持つ消費税無の高累進所得税は自然科学の進化システム税制であり有効需要の継続増加により過剰なデフレの低価格競争を徹底防止し、過剰な貧富の格差や自殺率を改善し膨大な数の低中所得者層の進化システムの個人消費の高消費性向を活用して自力経済成長で全国民の国民所得を向上できる為、全国民個人へ過剰性の本能を活用した進化システム税制で自然に自動的に毎年所得を増加する税制を活用すべきです。
 そして全国民の人生へ、生きる夢と希望を与える事によって貧富の格差改善や地方のシャッター通り商店街の大改善や・少子化対策・高齢化対策・自殺率減少対策・自力経済成長政策として自動作動するのが消費税無の高累進所得税制です。
 尚且つ科学教育さえ徹底すれば人類は生き残りたい欲求は強烈に持っているのでエコなど人類の生き残りの為に、より良い、より安全な進路を選択する国民は必ず過半を超えます。
 本論の進化システムの自然な個人消費の増加による需要側経済成長理論を実現しなければ、供給側経済成長ばかり努力しても需給が不均衡となり夢も希望もある全国民誰一人有利不利の無い個別と集団事実に基づく帰納法による再現性のある自力経済成長理論・財政再建理論の実現は不可能です。 人間は本質的に過剰性の本能を持ち集団で生活する社会的動物であり国民個人は多様性(個性)を持ち、生き残りの為の幸福追求の権利と自由平等(対等)競争によって「個人がセンサーの役割」を担って環境に適応する唯一の動物です。
 だからこそ本論で詳述している一部の統治階層の意志に左右されない機能的国家論の国民政党制と個人消費の進化システム性を尊重する消費税無の高累進所得税制が最善なのです。

 故に環境条件は常に諸行無常で千変万化する為、時代時代の環境条件の変化に柔軟に適応するには異質の固定理念に依存しては変化する環境に柔軟に適応できなくなる為、再現性の科学にとって、どんな運動する系(空間)にも適用される相対性原理における光速度の絶対性と同様に、どんなに外部環境が変化しても遵守しなければならない自然の摂理の自由平等(対等)競争の絶対性の遵守が、ありのままの真実を追求する科学に不可欠となります。
 故に企業会計原則における真実性の原則は他の一般原則の上位に位置づけられる原則で、企業会計原則全般に共通する原則で、ありのままの自然な真実を追求する原則で科学です。
 これに対して官庁簿記は国家の収支や財産の変動を記録・計算し,予算と決算との間の関係を明示し「管理する事を目的とした会計処理方法」で計算構造や経理方式などが法令によって拘束されている官庁簿記は「目的の為に事実を取捨選択したり編集する管理者の演繹法の人為が入る為」官庁簿記は非科学で不自然です。 科学に「目的」は無用で、ありのままの「事実」を研究する学問で、企業会計原則の真実性の原則は正に自然な科学です。
 科学に重要なのは事実の過程つまり過程を把握する因果関係のルール(税法)であり、税法つまりルールが因果関係の原因事実に悪影響(危害)を与えてはならないのです。
 故に事実に基く再現性のある科学の帰納法の論理基準の中心には羅針盤や確固たる揺るぎのない測量の基準点になる、自由平等(対等)競争の絶対性のルール基準が不可欠です。
そして事実をありのままに原因事実から結果事実を追究する因果関係研究は正に科学です。
 逆に「目的の為に」目的から手段を演繹する演繹法は必ず人為が混入する為、不自然で、錯誤や誤謬が混入する危険性が大きく科学にとって大変危険で、非科学でしかありません。
 つまり帰納法は「客観的事実ありき」で始まり演繹法は「目的ありき」から始まる大差があり科学は事実をありのままに観察する帰納法論理で因果関係・再現性追求が最重要です。
 故に科学理論は事実に基づき自然な再現性を有する帰納法理論の因果関係論が中心です。
 故に目的論の演繹法の非科学理論は再現性が殆ど無く人間社会へ大危険な理論なのです。
 つまり文科系学問の、権威に基づく三段論法の上から目線のトップダウンの演繹法の論理体系は、客観的事実に基づかず原因事実と結果事実の因果関係の分析を行わず科学的整合性や論理的整合性を確認しない為、長期継続的な再現性が全く無く常に悪結果をもたします。
 逆に理工科系学問の下から目線のリアルな個別事実や統計事実に基づくボトムアップの科学の因果関係の帰納法理論は、客観的事実に基づき科学的整合性を有するため長期継続的な良再現性を有し、必ず良結果をもたらします。 故に文科系学問の論理体系を「帰納法を主・演繹法を従」として更に「集団的事実を主に、個別的事実を従にして」全生物共通の環境条件の変化に適応する種内競争(生存競争)の自由平等(対等)競争の絶対性ルールの再現性を追求する科学の帰納法の論理的整合性のある原因事実と結果事実の因果関係を追求する帰納理論へ経済学を始め文科系を全面改革する教育改革が、現代社会の低迷・混迷を打開する秘策となります。 とりあえず日本の経済学と政治学の教育体系を帰納法主・演繹法従へ全面改革すべきです。 故に再現性が無い理論や再現性が証明出来無い理論や言葉による理論は科学では無く人間社会へ役に立たない非科学の迷信か宗教か錯誤理論に過ぎません。  
 理論が科学である為には、本論の如くリアルな個別事実や統計事実に基づく自由平等(対等)競争の絶対性の帰納法の因果関係で再現性を追求する理論へ構築する事が不可欠です。
 帰納理論は再現性がある為、理論通りに実行すれば理論通りの再現性が発揮される為、理論の重要性と信頼性が高まり、初めて人間社会に真に役に立つ大効用理論へ進化します。
 つまり科学の因果関係の帰納法では、原因事実の選択さえ誤らなければ、結果事実は再現性によって自然に自動的に引き起こされるので、一円の財政出動も必要なく自力経済成長と財政再建の同時達成の為に、本論の詳細を熟読して「消費税無の高累進所得税制が過剰なデフレもインフレも防止しながら現状の貧富格差や地方のシャッター通り商店街の大改善を促進し自殺率を減少する
、膨大な数の低中所得者層の進化システムの個人消費の高消費性向を活用して、市場経済を豊かにして全国民の個別所得を向上して、生きる希望と夢を与え長期継続的な自力経済成長と財政再建の同時達成を実現できる有効な経済再生と過去の多くの結果実例と成果を別表2からご確認下さい」
 つまり人間社会を「集団的存在」として扱うと、自由な人間個人の主観的な不確実さは希釈され平等化され自由平等(対等)競争の絶対性で進化システムや集団的知性・集合知が正しく作動するようになり統計的に階層別の平均特性や集団別の特性が明らかになり、経済学を科学の帰納法で理論化が可能である視点を見落としていた事実が哲学の大失態でした。
 「全国民を集団として扱い」、ビックデーターで統計処理する手法が文科系学問の科学化と帰納法の因果関係の発見と再現性の理論の構築には絶対必要不可欠だったのです。
 実例として民間の保険業は「正に国民を集団として扱い」科学的に危険を平準化(平等化)して帰納法で再現性のある科学的統計理論を構築できる事実を発見できたのです。
 1867年に福沢諭吉が書いた『西洋旅案内』で、西洋には火事にあった人や海で遭難した人を助ける制度がある事を紹介しています。そして日本に損害保険を取り扱う会社が誕生しました。「全国民を集団として扱い科学の良再現性」が得られる理論は絶対必要です。
 故に長期継続的な良再現性の無い主張は、錯誤主張やウソ主張で国家国民の大損失です。
 つまり人類は科学的なダーウィンの自然選択(淘汰)説の進化論によって、生き残ってきた最強生物であり、人類に関する全問題は進化論のルール・同一種内競争(増殖競争)の自由平等(対等)競争の絶対性の進化システムルールに支配されており、弱肉強食の不自由不平等(非対等)競争の異種間競争では進化システムの増殖性は全く作動しません。

 同じく不自然に人間社会の競争の強度を過剰に高めて異種間競争の弱肉強食競争に近づけると、進化システムの個人消費の増殖性は実質的に抑圧され作動できなくなります。
 故に自由平等(対等)競争の絶対性の「進化システムルールは自然システムに準じ下記の4つの機構を備えて作動します。」 実例:個人消費、科学技術など
1)遺伝子を要素とする進化システムルールとして遺伝子型が存在する。 遺伝子型は対応する生物の個体(表現型)を作り出し,表現型は遺伝子型の複製の場となる。
2)遺伝子型のシステム構造は変異する機会がある。 それは遺伝子型と表現型の形質の変異を引き起こす。(イノベーションによる生産商品や個人消費の突然変異を表す)
3)表現型の間に資源獲得競争が存在する。それは遺伝子型の間の自己複製頻度の競争にほかならない。 (多様性が維持され個人消費や商品がより多く複製され方が優位となる)
(4)生態系を支える外部資源が存在する。(輸入の自由が重要で、輸出は輸入代金支払限度内に止め、通貨価値を購買力平価に維持する政策が民間企業を進化させるには最重要)

 この
4条件を満たす機構をもつシステムを「進化システム」という。 進化システムは,システムがそれ自身を作り出すことから,分野により自己創出システム(生物系),スーパーシステム(免疫系),自己組織システム(組織論)等いろいろな呼称があるが,その本質は人工的に進化の機構を備えた自己増殖性がその本質であります。 進化システムは仲間をエサとして認識せず仲間と殺し合わず環境に適応して生き残って全体が増殖した方が勝ちの種内競争(生存競争)の自由平等(対等)競争の絶対性であり、反対に相手をエサとして認識し食い殺した方が勝ちの全体が減少する弱肉強食の異種間競争と真逆の競争概念であります。
 自然生態系における自然環境の中でのダーウィンの進化論における「自然選択説」(自然淘汰説)は競争において環境変化に適応して増殖進化したものが生き残り(適者生存)、環境変化に適応できなかったものは滅びる説である。 この自然選択説の中で実際に生存率に差をもたらす環境変化の力を「選択圧」という。 これを市場経済に応用してみると国家内の全国民へ強制的に適用される税制は自然生態系における逃れようが無い選択圧:「環境」に相当し、逆に環境が人間にとって「最適」な時に限り、人間は増殖能力を自然に発揮して環境に適応して生活し自然に人口も個人消費も所得も増殖できる事実を示しています。
 故に本論文の論点である「税の持つ個人消費の進化システム増殖機能を抑圧しない税制」と「国民全員が生き残る所得適正再配分機能」を持つ税制の構築が不可欠です。

 自然に生まれた「自然システム」は自然生態系の豊かな自己増殖と進化が実例であり、進化システムはこの機構をまねたものを言います。 進化システムでは同一生物種内ではお互い殺しあわず生き残って増殖した方が勝ちの自由平等(対等)競争の絶対性を遵守する時に限り生命体が持つ種全体が増殖する増殖進化性が作動し、逆に異種間の相手をエサとして食い殺す弱肉強食競争では強者が弱者を食い殺す全体が減少する最悪原則が作動します。
自然生態系は同一種内の自由平等(対等)競争が持つ増殖性の巧妙な仕組みによって繁栄しており、進化システムの資本主義市場経済は同一種の人間行動である増殖競争する「個人消費」(企業側から見ると商品の生産販売競争に他ならない)は憲法を正しく解釈する同一種内の自由平等(対等)競争の消費税無の高累進所得税制の時に限り個人消費に人間の過剰性の本能の増殖性が作動し無限の自力経済成長(進化と増殖性)と財政再建が同時達成されます。
 敗戦直後に作られた日本国憲法が自由平等を掲げ廃墟の中で「最低限度の生活を保障した憲法25条の生存権」の基本的権利を制定した事実は、その時代時代の強者と弱者の租税負担の平等(対等)率負担の税制の有する当時の米国のルーズベルト税制の持っていた進化システムの所得適正再配分機能を予定したもので、科学的経済的合理的な規定だったのです。
 さて「科学技術の進化システム性」はノーベル経済学賞を受賞したソローモデルから「供給側経済成長理論」へ発展し、「個人消費の進化システム性」は本論の「需要側経済成長理論」へ発展し、両者が合体するときに最大の自力経済成長効果を発揮します。 科学技術と違い「個人消費や設備投資の進化システム性」については、他に文献が無く個人消費が進化システムであることを次の通り詳細に解説します。 つまり「個人消費や設備投資」は「市場経済」で繰り広げる「突然変異を伴った」「商品増殖競争の一環」であり人間文化の表現と理解すれば誤りがありません。 つまり現在、市場で生き残って進化システム増殖競争を繰広げる商品群は古代から現代までの間に競争に生き残っている多様性を維持した商品なのです。  
 故に多様性の維持増殖は市場経済において不可欠で、グローバル化の単純化・標準化で個人消費や国内の多様な商品群を不自然に単純化・標準化しようとする税制政策は最悪です。
 さて「科学技術の進化システム性」はノーベル経済学賞を受賞したソローモデルから「供給側経済成長理論」へ発展し、「個人消費の進化システム性」から本論文の「需要側経済成長理論」へ発展し、両者が合体するときに限り最大の自力経済成長効果を発揮します。
 科学技術と違い「個人消費や設備投資の進化システム性」については、他に文献が無く個人消費が進化システムであることを次の通り詳細に解説します。
 つまり「個人消費や設備投資」は「市場経済」で繰り広げる「突然変異を伴った」「商品増殖競争の一環」であり人間文化の自由な表現と理解すれば誤りがありません。 
 つまり現在、市場で生き残って進化システム増殖競争を繰広げる商品群は古代から現代までの間に競争に生き残っている個人消費商品なのです。 現代でも使われている土器や陶器は縄文時代に誕生し、米は弥生時代に誕生し、木工製品も同時代に誕生し青銅や鉄製品はその後に誕生し、1760年代以降の産業革命によって個人消費の突然変異は無数に発生し、鉄道は1800年代に、内燃機自動車は1800年代終わりに誕生し、飛行機は1900年初頭に、プラスチックス商品は1900年代に誕生し、更にテレビは1950年代に急速に発達し、パソコンは1980年代に急速に発達し、太陽光発電は1990年代に発達し、携帯電話は1995年以降急速に発達し、更にサービス商品については歌舞伎は江戸時代に誕生し、映画は1900年代に全盛を向かえ野球やサッカー、歌、アニメ、ゲーム更に医療、教育、介護福祉、環境保護等の「各種サービス産業の誕生等」時代とともに「内需の個人消費商品の種類、質、量の累積増加」と多様な分化と系統が発生し競争を繰広げながら進化して増加の一途をたどり、この経済的な内需の選択肢つまり「個人消費の種類・質・量の累積増加」が、その国の過剰性の文化で進化システムによる内需主導の自力経済成長です。
 故に本人意志による個人消費は進化するものであり進化経済学の複製子なのです。
 企業は需要の増加さえあれば、地方のシャッター通り商店街の大解消や既存の個人消費商品の増産も、新商品製品の増産も市場経済で適正価格で消化する事が可能であるので、需要の継続的増加は最重要であり、このためには需要の増加の源泉である国民所得の継続的な増加の為に地球上の全生物のうち唯一人類が有する「過剰性の本能を活用したデフレもインフレも防止して、貧富格差を改善し高齢化対策と自殺率を減少する、個人消費の進化システムと膨大な数の低中所得者層の高消費性向を「消費税無の高累進所得税制で強制循環エンジンとして活用する自力経済成長と財政再建を同時実現する税制を採用しなければなりません」


 演繹法の論理体系を構築したのは紀元前のギリシャのアリストテレスであり、アリストテレスの主張した「重いものは、軽いものより速く落ちる」という根拠のない偏見(ウソ)を世界の科学者達は2000年近くも、ずっと信じ込んできたのですが、ガリレオによるピサの斜塔の実験からウソ(軽い物も重い物も等速度で落ちる)が実証されたのです。 同様にアリストテレスから始まりキリスト教が絶対性を与えた偏見(ウソ)の天動説はコペルニクスによる事実の観測に基づく観察で地動説が正しいと大進化しました。 この事から「思い込み」を演繹する演繹法の危険性が知られるようになり「権威に依存せず事実の観察の積み重ねから論理する帰納法の再現性の科学の論理体系」がベーコンにより提唱されました。 つまり日本国の国家政策の基礎となる文科系学問が事実に基づかない非科学の演繹法で構築されているために、国家国民へ全く無効用の税制や政策を多く施行している状況に陥っています。  
 戦争直後の池田勇人も吉田茂も既存の無効用の文科系の経済学を全く信じず、自分達の事実に基づく経験と知識の帰納法の再現性の科学のみを信じて大成功していたのです。 故に現実に文科系学問の経済学と政治学が演繹法体系に完全に依存し国家国民へ経済成長と財政再建の同時達成の再現性の全く無い税制しか政策提案できない為、私は国民へ真に役立っている再現性のある理工科系学問と同様に経済学と政治学を世界にさきがけて
帰納法の再現性の科学へ改革して早期に自力経済成長と財政再建を同時達成する税制提案を主張しています。
 1000兆円を超える国家債務を政治家自身が負担してくれるなら何の問題も無いが、結果的に全国民が負担する事になるのは、「最善が無いからと言って」「次善を選択せず選挙を棄権することによって」、結果として組織力があり強欲で力のある最悪政党を選択した結果をもたらす有権者国民の自業自得です。 常に最悪へ投票しない次善への選択が最重要です。
 未来に最善が出てきたら、その時に次善を放棄し、最善へ投票すれば良いのです。
 常に国家を最悪へ向わさない為に最善が無くても棄権をせず、常に次善へ投票して最悪へ投票しない投票行動が、選挙における全投票率を向上し結果として最悪への投票率は低下して国家の方向性を最悪へ向わせない、若者や無党派層の大自己責任なのです。
 選挙の意義は最善を選ぶのではなく、最悪を避けて次善を選ぶために投票するのです。
 この世は全てが因果関係の科学で成り立っており必ず原因があって結果が生じています
 理工系の科学の世界では理工科系学問分野の唯一の絶対性つまり「理工科系の普遍的前提(絶対的理念)はアインシュタインの相対性原理における光速度の絶対性」だけです。
 世紀の発見とされ絶対と思われたニュートン力学の時間・重力・空間の概念も相対性で変化する事実が発見された相対性原理により「理工科系分野では光速度だけが揺れ動かない絶対性の論理の普遍的前提(絶対的理念)である事実の大発見」により揺れ動かない確固たる理工科系理論の論理的出発点が確立し、その自然科学の基準に基づき宇宙から原子力まで人間社会に真に役に立つ科学の大進化を実現し再現性のある帰納法の科学へ大貢献しました。

同様に「文科系学問の唯一の絶対性の普遍的前提(絶対的理念)は米国独立宣言や日本国憲法に規定する全生物種(人類も含む)の同一種内で行われる自由平等(対等)競争の絶対性
の科学のドライな定義だけが絶対性基準であり、事実に基づく再現性のある帰納法の社会科学の羅針盤(判断基準)として揺れ動かない確固たる文科系理論の論理的出発点の遵守基準として確立しているのに」エリート達が、異質の理念や信念に基づく再現性の無い演繹法でルール作りをしたり相対性原理同様に国ごとに価値基準が異なる「博愛や善行や過剰な愛国心等のウェットな感情を上から目線で自国基準へ強要し、更に他国へ押し付ける誤り」を犯したり、相対的要因を絶対性と誤解した哲学(文科系学問)を強要し、根本的な誤りを演繹した錯誤ルール(税法や法律)作りが日本でも他国でも大変多くなっています。
 文科系学問の自然状態へ科学の自由平等(対等)競争の絶対性の独立宣言の提唱は以下の5人の起草委員によって起案された。 ジェファーソン(弁護士・政治家)、アダムス(弁護士・政治家)、フランクリン(物理学者・政治家)、シャーマン(弁護士・政治家)、リビングストン(政治家)であり、独立宣言の起草者が当時のヨーロッパ的な権威に基づく帝国主義的思想を嫌い、神の前で平等のプロテスタント的な共和制への傾斜による独立戦争の開始によって弁護士・政治家3名、科学者1名、政治家1名の計5名により独立宣言が起草された。
 ここに弁護士特有の弁論主義による原告と被告の対等性を重視する証拠主義つまり真実追求の法治国家の科学性が重視され、更に科学者による自然主義の科学思想が導入され特に「全ての人間は平等に造られている」という自然科学の自然権として「生命・幸福の追求・自由」の権利を掲げた前文はアメリカ独立宣言の現代にも通用する科学的根拠を全面に打ち出したジョン・ロックのドライで多様な社会を構築する自由平等の自然法理論です。
 この独立宣言の基本的人権に関する前文はヨーロッパ的国王の暴政と国家組織の弾圧からの解放を宣言して、党派性の薄い国会議員の自由な多様性を認め一部の統治階層の意志に左右されない党議拘束無の集団的知性を発揮できる機能的国家論による国民政党制を目指すことになったのです。
 米国の独立宣言に触発されて後から起こったフランス革命では「自由平等」の他にお涙頂戴のヨーロッパ的な「友愛」を加えた事が、将来に大禍根を残す失敗の大要因で、仲間同士を同志・同志と呼び合い同じ考え方同士で、群を作るウエットな感情を、本来は自由で多様な個人で競争すべき組織へ持ち込んだ結果が、全体主義や共産主義や金融資本主義・新自由主義等の不自由不平等の、政党組織の一部の意志で政党を支配する党議拘束有の、非科学の優越的国家論の階級政党制で国家組織を支配する単純化・標準化を目指す国家へ変質します。
 優越的国家論の階級政党制では一部の統治階層有利に国家が統治されるので、国家は必ず反自由反平等の国家へ変質し、非進化システム経済に陥り自力経済成長不能国家となります。

 経済のグローバル主義の単純化・標準化の思想は国ごと個人ごと企業ごとの多様性を尊重する自国の自力経済成長や自然環境に大悪影響を与える思想で絶対に採用してはなりません。
 また全世界各国の経常収支を+−すれば、ゼロになるので、自国が過剰に儲けて他国へ迷惑を与えてはならず、過剰に儲けると自国は過剰な通貨高となり他国は過剰な通貨安の大副作用をもたらします。 故に他国の富や需要の収奪を目指す外需依存経済成長理論による国家経営は最悪です。  故に国家毎の自然環境・立地条件・文化の発展度合等によって、国家毎の商品別の輸出競争力は全く異なるので、国家の購買力平価の通貨価値を遵守する為には「特に非基軸通貨国家では国家全体の経常収支=0」を遵守する事が大切で、その為の商品毎・国家毎の関税交渉は時代の時代の国家間の輸出競争力の変化に適応して柔軟に国別・商品別に関税交渉する方式がベストなのです。  そして民間企業が海外で資本増殖したい場合は「他国生産・他国消費」を遵守し他国労働者を雇い、他国消費者へ直接販売する他国経済へ貢献する経済循環が最善です。 自国から輸出して儲ける思想は無知で最悪です。
 これによって経常収支ゼロ均衡を遵守し、通貨価値を購買力平価へ維持する秘訣です。
 経済成長は内需主導の自力経済成長が最善で外需依存の経済成長は大副作用で最悪です。
通貨価値の激変は民間企業経営の安定に最悪の外部環境になるので国家の責任は重大です。
 故に多国間条約のTPP
は商品毎に生産構造と競争力が全く異なる国家同士を不自然に無理やり関税ゼロの自由化させようとする固定的観念に縛られており、国ごと時代ごとの変化に柔軟に適応する自由平等(対等)競争思想が全く不在なので、国家の経済的安全保障に全く役立ちません。無理に締結すると将来の諸環境変化に適応できず大害悪が発生します。
 故に面倒でも国家間の全ての諸環境条件を調整できる時代ごとに二国間の関税交渉と自国の経常収支ゼロの通商政策(他国への直接投資を促進)の立案が最善です。 逆に他国の富と需要を収奪し国家が儲けるという対外純資産を増加しようとする思想は最悪で、科学的なグスタフ・カッセルの説で自然に自動的に過剰な通貨高(円高)となり、民間企業経営は不安定化して株式市場は低迷し国富(対内純資産)は減少し、経済不安、社会不安を必ず引き起こします。  既存の経済学に依存した外需依存型経済の韓国・中国やヨーロッパ諸国が最悪経済の悪い見本です。 経済学は大錯誤に陥っており「経済学の第三の危機」なのです。
 日本は既存経済学を離れ、米国と同じく内需依存型経済を税制で再構築すべきなのです。

現状の「消費税+低累進所得税の個人消費に対する二重課税税制」の下では、いくら頑張っても長期継続的な経済成長と財政再建の同時達成は、過剰な外需依存経済成長政策以外に実現の可能性が無く結果的に円高となり科学的に不可能で結果事実の推移が証明しています。
 逆に消費税無の高累進所得税単独税制の方が、個人消費の自己増殖性の進化システム性を発揮させ
過剰なデフレとインフレを防止し、高累進所得税制が所得適正再配分機能を発揮し膨大な数の低中所得者層の所得増加と個人消費の高消費性向を発揮して長期継続的な国民所得の増加を実現して現状の貧富格差や地方のシャッター通り商店街の大発生や高自殺率を根本改善して、自力経済成長と財政再建の同時達成を実現する科学的で唯一の解決方法として本論文が証明しています。   エリート達が消費税制と低累進所得税制の採用で発生させた1000兆円の国家債務は、税制の錯誤を意固地に固執して修正しない優越的国家論の階級政党のエリート達に個人的に負担させましょう。 日本の全政党は実は党議拘束有の欧州型階級政党で、党議拘束無の米国型国民政党は一つも存在していないのが現実です。
 つまり機能的国家論の国民政党制を厳守しているのは世界で唯一米国だけなのです。

 情報公開の環境下で自由平等(対等)競争の絶対性のルールや過程に基づき全国民が判断した帰納法の結果は「科学であり良再現性があり国民にとって正に真の正義」なのです。
 しかも結果として選択が正しかったか誤りだったかは、貴重な経験として全国民が共有できるので、全国民は経験が増えるにつれ、より正しい判断が下せるようになるのです。
 そして情報を独占し操作して演繹する一部の人々の誤った考え方が、正されるのです。
 故に特定の理念を過剰に重視し演繹して、実質的に全国民の良心の自由を抑圧し情報を独占したり隠蔽する反自由反平等(反 対等)競争のルールや過程に基づき作り出された結果は「非科学であり悪再現性があり国家の不正義・不平等」になってしまうのです。
 本論文中に、自力経済成長と財政再建の同時達成の為に、全国民へ進化システムの科学的で良再現性を発揮する「自由とは、平等(対等)とは、競争とは」の遵守すべき絶対性ルールの定義を詳述しているので、この定義に厳格に則った税制や制度が必要不可欠です。
 更に「文科系学問の最新の科学的知見の進化システムや集団的知性」を経済学へ融合する努力を怠ったている大欠点があります。
 現代の文科系学問の95%がバーチャル(仮想)に基づく演繹法で理論構成している現状では正に非科学で、事実に基づく再現性が確かめられていない学問体系であり、故に全文科系学問をリアルな事実に基づく科学の再現性を追求する帰納法論理への大転回を促進する事は、文科系学問のフロンティアの大開拓となり挑戦すれば、すごい成果の上がる学問となり新発見の宝庫となり、既存の演繹法の文科系学問分野を大転回する帰納法を構築し、再現性を追求する市場経済や人間社会の進化発展に真に役に立つ学問への大飛躍が期待されます。

 文科系学問
の科学的知見には「自由平等(対等)競争の絶対性の遵守」と「過剰性の本能」があり、それから派生した最新の科学的知見には進化システム」と集団的知性」と「多様性」があり、経済学や政治学がこの科学的知見を取り入れず、演繹法が錯誤した普遍的前提や権威ばかりに依存して経済学等を帰納法の科学へ大改善をしなかった弊害が「経済学や政治学の危機の大要因」です。 故に全文科系学問、特に経済学は与件等で研究分野を不正に制限せず、理工科系と同じく全分野を研究対象にして事実の良再現性を追求すべきです。

 故に「人間社会では結果が全てである」ので経済も政治も全て人間社会は、個人でも集団(国等)でも自力解決(自己責任・自助努力)が唯一絶対の根本的解決手段であります。
 故に国家の良結果も悪結果も全ては当該国家の全国民の自己責任なのです。 故に集団(国等)は個人を構成員として成り立っている以上、この世には事実として人間個人を助けてくれる神などは実在しないので、国民個人全員の自発的な自己責任・自助努力を発揮させる事が大切で良再現性の進化システムの自由平等(対等)競争の絶対性の仕組みと制度と事実に基づく帰納法の科学への国民の再教育が重要です。 人間社会は自業自得と輪廻が根本ですので国内だけでなく、海外への援助も、カネや武力の援助より、本論の進化システムの自由平等(対等)競争の絶対性ルールへの教育支援(インターネットや自由平等(対等)競争のモデルの生物の種内競争ルールへの理解普及)の効果の方が当該国家国民の自発的で自主的な行動による自主的改善に役立ち、より根本的で継続的な再現性の政策となり、より効率的な成果や結果が得られます。 そして自由平等(対等)競争の絶対性の国民教育や他国指導には山本五十六の「やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、 ほめてやらねば人は動かじ。」の現場の労働者と共に労働し共感する姿勢と、日本の皇室や神道が持つ労働を尊重し労苦に「寄り添う姿勢」が大切です。 この精神こそが欧米と日本との思想哲学の差になるのです。
 故に少しの期間の混乱と犠牲は貴重な経験であり自由平等(対等)競争の絶対性を遵守したルール作りは、その国自身の自発的な意志に任せるべきです。 ただ当該国家の自由平等(対等)競争への問題点の情報公開だけは当該国家の全国民が判断を下すのに重要な要因になる為、進化システムであるインターネットによる当該国家の情報を世界で公開比較する情報公開の教育は重要な国民教育になります。
 結局のところ、他者を支配服従させる自己中の「カネや力」より、自由平等(対等)競争させる、世のため人の為、他者の為になる「自由競争」を優位とする思想哲学が大切です。
 「統治者の言葉にはウソや錯誤が多く」、「統治者の行為事実に真実や真意が現わします」
 米国独立宣言で、統治者の法律の制定と権力の行使は、情報公開下における被統治者(国民大衆)の過半以上の同意ある時に限り正当(正義)と見なされる、と規定されています。
 この規定により米国の政治制度は「国民個人や議員個人の良心の自由を徹底保証し個人責任を確立した政党による党議拘束を完全禁止した世界で唯一の科学的な一部の統治階層の意志に左右されない機能的国家論の国民政党制の国家で集団的知性を発揮できる政治システムである為、米国は大人口で多宗教・多民族・多文化の最も統治や経済成長しにくい特性を持つ国家にかかわらず、「自由平等(対等)競争の絶対性を遵守し植民地から独立後わずか240年で大過なく、世界一の超経済大国へ自力経済成長できた根本的理由なのです」
 このアメリカの政治思想は、人類はダーウィンの進化論の結果生み出された最強生物であるという「科学的事実の進化の観察」から、同一種内競争(ダーウィンの言う生存競争)の、仲間をエサとして認識せず生き残って増殖した方が勝ちの自由平等(対等)競争の絶対性の進化システムが人類の経済社会進化の絶対性の要件であると理解して採用したのです。
 同一種内のメスを獲得するオス同士の壮烈な争いは、あくまでも優劣を決める競争でしか無く、相手を殺してエサにする戦いでは無く優劣が決まれば深追いは絶対しません。
 つまり「米国は完全ではないが、科学の集団の力の源泉である自由な進化システムと集団的知性・集合知の科学の帰納法の力を最も良く理解している唯一の国家」だったのです。
 故に米国は原理原則を理解しているので個人の才能が開花して世界一位でノーベル賞受賞が多いのです。 残念な事に実は日本では敗戦後の「平成元年までの43年間は池田高累進所得税単独税制で、集団的知性や進化システムの力」を完全に順調に作動させて、敗戦後の徹底した荒廃から、わずかな43年で、過剰なインフレとデフレを防止しながら、最悪
貧富格差や地方のシャッター通り商店街の大発生を改善し自殺率を減少させる、膨大な数の低中所得者層の進化システムの個人消費の高消費性向を活用して米国経済を自力経済成長で追い抜き一億総中流の日本経済へ自力経済成長させ国際競争力世界一に導いたのです。
 本論は文科系学問の論理的出発と論理基準の絶対性には「自由平等(対等)競争の絶対性を遵守すると、結果として、必ず進化システムが作動し経済社会が自然に自動的に自力経済成長を開始する事を科学が保証している為、本論に徹するべき事を主張しているのです。」
 しかし日本を始め他の全国家の政治制度は非科学的な政党組織の一部の人の意志で政策を決定する優越的国家論による階級政党制で非科学的な理念政党による党議拘束や公認候補の決定権を認めている為、政党組織による議員個人や国民個人への政党の支配と服従関係が実質的に存続し、「自由平等(対等)競争の絶対性を遵守されず非科学体質が定着し、国民個人や議員個人の良心の自由は実質的に抑圧され実質的に集団的知性や集合知が全く発揮できない為、経済や社会の自力による改善が進まず低迷後退しています」
 故に意識・無意識にかかわらず全国民の過半数以上の賛成を証明できない主張は、一部の構成員で成り立つ政党組織内で、いくら民主的決定でも、それは単に一部の国民の主張の代弁でしか無く、その理念政党の主張は単純に非科学のプロパガンダの可能性が高く盲信は絶対に危険です。 しかしいずれ世界に情報公開が進むと進化システムは必ず結果が生じる為、どれがウソでどれが真実か結果が現れ、プロパガンダのウソは、科学の真実に必ず敗れます。  
 故に政策決定で重要なのは「予測の科学である集団的知性や集合知の国民政党制」です。
故に主張通りの良再現性が無い主張は、非科学のウソであり錯誤である可能性が大です。

 さてケインズの有効需要の原理とは、「需要の大きさに合わせて総供給水準である総生産量(国民所得)が調整される」という理論をいいます。 これは本論文の総需要の増加さえあれば企業は生産増加は出来るという理論と同一です。これを有効需要の原理と言い国家による公共事業の財政出動による「単発的偶発的な有効需要の増殖拡大政策」の原型です。
 この最も典型的な実例はニューディール政策で「その成功の裏にはルーズベルト税制の消費税無の高累進所得税制が大貢献した事実」を経済学者達が見落とした大失態があります。
 需要の創出には本論文通り公共事業の財政出動は絶対的な必要条件では無かったのです。
 逆に法学部出身の池田勇人は科学的に再現性が証明されていない非科学の俗説が横行する経済学に惑わされず背後にある高累進所得税制の科学的進化システム性を理解していました。
 故に本論は「ケインズの有効需要の原理の単発的偶発的な有効需要の増加政策では無く、盲点となっている国家による長期継続的な有効需要の計画増加税制」の論文だったのです。
 地球上の全生物中、唯一人類がだけが特別に持つ、現状と比べて「より良い、より安全な、より多様な生活を欲求する過剰性の本能」の自力向上能力を計画的に引き出すには、自由平等(対等)競争の絶対性の同一種内競争ルールの進化システムの需要増殖税制が、事実に基づく人間の過剰性の本能を発揮する科学的で有効な競争手段と判明しました。 更に有効需要を自然に長期継続的に増加できる全国民へ計画的に適用できる進化システムの消費税無の池田高累進所得税制は1円の財政出動をする必要も全く無く、統治階層が自己中にならず国民大衆と有利不利なく実質的な自由平等(対等)競争を遵守するだけで、高所得者層の長期継続的な所得増加と「自力経済成長と財政再建を同時達成できる税制ルールで財政収支にも家計収支にも企業収支にも計画的な良効果を上げられる絶対的で最良の税制だったのです。
 故に良税制ルールにより有効需要が継続的に増加さえすれば国家税収も家計収入も企業売上も継続的に増加できて、長期継続的な自力経済成長も、国債の計画返済も、国民所得の増加も、労働者の賃上げも、貧富格差の改善や地方のシャッター通り商店街の大改善や自殺率も改善し、企業利益や資本の増加も改善し、税収も自然増加し将来の年金や医療問題も少子化対策も計画的に前向きな対策が取れるようになれるのです。

 対象を部分が結合して構成される全体として認識するとき,それをシステムといい,部分を要素という。 システムが目的をもち,それを実現するように人工的に作られたシステムを人工システムと言い、税制は人工システムであり国民全員へ所得に対して有利不利なく租税を平等率に負担させ且つ所得適正再配分機能を持ち且つ毎年税収が自然増加する様な税制システムへ仕組む事が重要で、科学的な進化システムの活用が最善です。
 故に個人消費の進化システム性を尊重し、消費性向の高い低中所得階層には過剰に租税負担をさせているので、所得に対して全国民平等率負担の税制で逆進性を完全に除去した消費税無の高累進所得税制は所得適正再配分機能で発揮し、全国民の自然で適正な消費性向を発揮させて市場を有効需要で満たす状況を作り出す継続的な需要増加を実現する税制の採用は、株主利益を追求する個別企業の継続的な売上増加を実現し賃上げや労働条件の向上を実現できる環境を自然に創造する故に、「労働条件向上の真の責任は完全に国家税制にあります」  
 私はドライな自由平等(対等)競争思想の持ち主で、株主利益を追求する個別企業は本質的に自らコスト増加になる人件費の増加を実行するはずもなく、お涙頂戴の労働条件向上要求を企業へ行う国家思想は完全に誤りです。 毎年需要の増加さえあれば自由平等(対等)競争の進化システムによつて労働条件は嫌でも向上できるのです。 需要が継続的に増加しているのに労働条件を向上しない企業は労働者から敬遠され優秀な労働者は需要の継続的な増加に伴い良い労働条件を提示する企業に自動的に就職する当然の経済循環が発生します。
 ケインズが述べるまでも無く有効需要の増加さえあれば長期継続的に、個別企業売上も、労働条件の向上も、株主利益の確保も、株価の上昇も、税収の向上も自然に実現できます。
 そして財政負担無に、毎年需要の長期計画的な自然な増加を達成する税制が、消費税無の高累進所得税制である事実を本論で詳細に論理証明し多くの実例で疫学証明しています。
 最後に「自然には科学的整合性が確実に存在する」ので、自然な多様性を実現する論理的整合性に合致した「科学的な税制の自由平等(対等)競争」は自然科学そのものなのです。

 故に需要増加による「多様な仕事の創造と自力経済成長と財政再建と労働条件の向上」は「国家税制の正に真の役割」で、これを株主利益を追求する個別企業に要求するのは大間違いです。 現代経済学や政治学は国家税制への、この原理原則への大無知が存在します。
 国家税収が毎年継続的に自然増収する税制でなくては、時代と共に必要な計画的な国債返済も、福島の復興も少子高齢化対策も、国防予算の計画的増額も国家財政は前向きな政策を何一つ立案できないのです。 人間社会の市場経済は時代と共に「需要と供給を無限循環させながら両者を同期して増加できる、内需を長期継続的に増加できる進化システム税制と供給を継続的に増加できる科学を重用する多様性を維持した経済構造にしなければなりません」
 そのためには国民一人一人が自ら気付いて自ら進んで、事実真実を追求する「自己責任・自助努力で鍛えられた自主性の高い多数の国民を、教育で創り上げなければなりません」
 他人や上司から言われて動く自主性の無い国民ばかりでは国家は成長進化発展しません。
 さて経済活動のすべてを金融財政政策だけで可能であると観念する現状の非科学の経済学の前提は実は世紀の真っ赤な大ウソで、個人消費を始めとする内需の継続的増加が必要です。
 漫画の世界や仏教の世界の「輪廻転生は現代の経済学に新しい視点を与えています。 これは需要と供給が同期して増加する無限循環の進化システム(競争)を表現していたのです。」
 金融財政政策だけでは「需要と供給を同期して絶対に増加出来ない事実を日米の長い経済史(別表2)が証明しています」 需要と供給を同期して増加するには、内需の需要の長期継続的増加の為に進化システム税制の消費税無の高累進所得税制が必要であり、供給の継続的増加には労働生産性向上の為の進化システムの科学技術の発達が必要であり消費税無の高累進所得税制による個人消費主導で内需の長期継続的増加が自力経済成長を主導しています。
 現状は逆に個人消費(企業売上)の消費税による継続的な内需増加の妨害により、国民所得は増加せず結果として国家税収は増加せず、時代と共に新規に増加する新財政出動のために、既存の国家予算は縮減せざるを得ず、時代と共に進化すべき国家は進化できず、多様性は後退するばかりです。 そして進化や経済成長の為と称してカネの力による生産の単純化・標準化を進めて経済の多様性を抑圧し、雇用の受け皿の多様性のある中小企業を倒産させ、継続意志に反して廃業させ、淘汰して日本中へシャッター通り商店街を拡散しています。
 中小企業も農業も継続的利益があれば後継者は親族や従業員から無限に誕生するのです。

 故に国家運営の最終責任者は国民である以上、最善が無い事を理由に実質的に最悪を選択する組織票有利の国政選挙において、最悪を避け次善を選択する勇気の無い若者や無党派層の国政選挙への大量棄権が結果として、支持者が投票を確実に行う組織政党有利となり最悪の選択をもたらす為、結果として誰も怨めない全国民有権者の結果責任の自業自得なのです。
 日本国憲法の前文には「主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し」とあり最終責任者は国会議員を選ぶ選挙人つまり国民大衆にある事が明記され全ては自業自得なのです。
 故に国政選挙で大切な事は絶対に棄権せず(棄権は必ず組織票有利になり最悪の選択となる為)その都度、無党派層は常に全員選挙に参加し「最善が無ければ次善を選択し、必ず最悪を選択しない意志と勇気を貫けば」最悪を回避できて、時間は掛るが人間社会は少しづつ最善へ向い進化します。 故にその国の成功・失敗は、その国の教育による「最悪を理解して選挙で棄権しない民度」に掛かっています。 「知識は力なり」の名言は帰納法を確立したべーコンの教育名言で、最善が無い場合は、最悪を選択しない為に次善を選択する勇気と投票行動を取り、結果として投票率を上げ最悪を淘汰排除する知識と努力が大切です。
 理性的な目的論の演繹法で構築されている全体主義や共産主義や市場原理主義や金融資本主義は、非科学の反自由反平等の階級主義であり不自然な理念信念で、経済や生物の多様性を否定し、標準化・単純化をめざし、それに同調できない賛成しない弱い劣った仲間を弱肉強食競争で攻撃し淘汰するので、前述の各々の主義は正反対に見えて実は「独裁に至る同一の最悪の選択」で良結果は絶対に得られません。 一億総中流の過程の税制と正反対です。
 故に疑問を持たず理念信念の盲信は大変危険です。常に理念に疑問を持つことは大切です。
 人間社会は結果が全てで
良結果は演繹法の固い論理方法では絶対得られず、帰納法の環境に柔軟に適応する科学論理によってのみ良結果が得られる因果関係の論理が大切です。
 科学は「事実ありき」で始まり、非科学の理念の目的論は「理念ありき」から始まります。
 科学には権威など必要ない「観察という確かな事実と矛盾しないように構築すべきであると帰納法の創始者フランシス・ベーコンは述べて、アリストテレス以来の伝統や権威や偏見に満ちあふれている演繹法の文科系学問を非科学として徹底糾弾しています」

 まず「企業は社会の公器」とは実質的に企業は社会のものであると主張した松下幸之助の名言です。 つまり企業は株主の他に消費者・労働者・金融機関・取引先等があって初めて成り立つ組織で企業は株主のためだけに存在するのではなく全利害関係者の為に存在する社会の公器の認識が重要です。 故に企業における「所有と経営の分離の原則」から、株主の役割は企業を取り巻く全利害関係者の一員に過ぎない認識が重要で、米国共和党の市場原理主義や金融資本主義に基づく株主優越の階級主義・差別思想は大錯誤と言えます。
 自由平等(対等)競争の絶対性に違反する、「市場原理主義や金融資本主義は、持つ者と持たざる者を誕生させる結果をもたらし」実質的な支配と服従関係を創出し、進化システムや集団的知性が作動しなくなり、結果として市場経済の自力経済成長を停滞・後退させます。
 カネ持ち至上主義の中国・韓国の金銭思想は、必ず循環型経済の停滞をもたらします。
 しかし米国も全く同様であるが欧州型消費税税制の不存在が経済循環を促進しています。

 次に需要と供給で成り立つ市場経済において、誰が実質的な税の負担者であるのかの科学的真実の認識と知識の普及が大切です。 つまり商品を生産したり販売したりしている企業に関わる全ての人間や企業が納税している法人税や所得税や固定資産税や消費税等の全税金は全て複式簿記会計による原価計算により、事実として市場経済の全商品へコスト配賦・転嫁されているので、事前に個人消費した消費者が膨大な全税金の実質的負担者なのです。
 次に個人消費=国内企業売上になる為、個人消費を自然に増殖拡大する税制が大切です。
故に全個人消費に罰金課税して進化システム性や多様性を阻害する消費税は最悪税制です。
 消費税は経済に対して「公平・中立・簡素」であるという俗説は、この税制を採用した国家が自力経済成長できない事実で真っ赤なウソであることを論理疫学証明しています。
 つまり市場の経済循環において企業の負担している高額の法人税も、超高額所得を獲得している会社役員の高額所得税も原価計算により、全て商品価格へ価格転嫁されているのです。  
 故に高消費性向の低所得者層は事実として所得に対して全租税を事前に過剰に負担済みであり、低消費性向の高所得者層は所得に対して全租税を事実として過少に負担しているに過ぎない事実認識が最重要です。 それを調整するのが年末調整や確定申告の手続きです。
 この事実を大解決する税制が消費税無の池田高累進所得税制で本論で詳述しています。
 これ以外の税制では自由平等(対等)競争の絶対性違反ゆえに個人消費を自然に増加拡大できず、企業売上も自然増加できず自力経済成長と財政再建の同時達成は望めません。
 結果として市場経済では、企業は消費者から個人消費で売上を得る以外に税金コストを回収する方法はないのです。 これが国家へ無限に納税を続けられる無限経済循環の秘密なのです。 この事実を無視し続けている経済学と政治学は最低の非科学の迷信学問で、真実を追求する勇気が無い為に人間社会に真に役に立つ学問に長年全く進化成長出来ないのです。 従って逆進性の問題は消費税だけの問題ではなく全税目で発生しているのです。

次に生物進化論では「進化スピードは小集団の方が早い」「大集団ほど種内の変異は小さい」という多様性の大原則があり私は人間と言う生物種の経済活動における、ベンチャー企業や中小企業重視の多様性を容認する政策の重要性と、財閥は経済の大停滞要因になります。
 何故地球史上最強の恐竜が滅亡したのか進化論は経済学へも重大な示唆を与えています。
 進化大原則を忠実に遵守するのが自由平等(対等)競争の絶対性遵守の税制や政策です。

 まず国家が年間50兆円に満たない税収しかないのに最終的に国民が負担すべき1000兆円を超える国家債務をどう返済するかを真剣に考えなければ日本経済は破たんします。
 本論は日本国の債務残高を国際比較(対GDP比)して先進諸国並みへ安全確実に低減する税制を主張しています。 景気回復の為の無駄な財政負担は1円も無しに長期継続的に財政再建と経済成長を同時達成して、且つ長期継続的に税収を増加させるには本論文に詳述する高効率の池田税制を採用する以外に無く、その実績(再現性)ある税制でなければ同時達成は不可能です。 つまり長期継続的な税収増加を達成した実績(再現性)が無い税制で財政再建と経済成長の同時達成を実現できるできると主張して、財政再建の為と強弁して反自由反平等(反対等)競争の税制の増税を強行し、同時に過剰な財政負担を繰り返し1000兆円に膨れ上がった国家債務を更に増やし続けるとスタップ細胞問題の小保方さんと同じく、このような政策を主導した政治家や経済学者や官僚に大責任追及問題が発生します。
 故に全国民へ実質的に有利不利なく租税を所得に対して平等率に負担させる、過去日本で長期継続的に実施済みで大成功と大成果をもたらした消費税無の保守本流の池田高累進所得税制は政治的にも過去の実績を知る全日本国民の過半数の賛成を得られる税制です。 
 更に結果として負担が増える有能な高所得者層も継続的な総需要の増加によって過去の実例同様に長期継続的な所得増加の大利益を普通の努力で得られる事実は、本論で再現性を論理証明・疫学証明しています。 そして池田高累進所得税制を遵守すると過剰なデフレも過剰なインフレもバブルの発生も崩壊も抑止できる事実も合わせて論理証明・疫学証明しています。 1985(昭和60)からのバブル発生と1990(平成2)からのバブル崩壊は累進減税政策と消費税採用という反自由反平等税制政策の結果で発生したのです。
 市場経済も科学も「結果が全ての世界」であるので「原因事実が結果事実を引き起こす税制の時に限り、両者の間には恒常的連接という因果関係が存在するのです」
 この因果関係を徹底的に活用して人間社会を大進化発展させるのが「科学」なのです。
本論文は人間社会における「事実の因果関係と事実に基づく科学」を徹底活用しています。
つまり原因事実の選択さえ誤らなければ結果事実は自然に自動的に引き起こされるのです。

以下に詳しく述べますが市場経済や人間社会では「結果が全てであり」良結果は演繹法の固い論理方法では絶対得られず、良結果は柔らかい帰納法の再現性を有する論理方法でしか得られません。それは自然環境や人間社会や科学という経済の外部環境が常に変化する為です。 
 故に成果主義を目指すならば外部環境の変化に柔軟に適応する帰納法による内生的な自力経済成長理論を採用すれば大成果があがり、演繹法の経済成長理論では再現性が無いので、事実として成果が上がらないる事実を理解しなければなりません。
 演繹法と帰納法の優劣比較は権威に基づく演繹法優位のギリシャやEUと、事実に基づく帰納法優位の米国と歴史的・現実的な経済比較の、巨大な格差や達成度比較でも明確です。
 さて「ナゼと思う疑問点の解明」を「権威ある」普遍的前提(理念)から三段論法で解釈する方法を「演繹法」と言い、結果として疑問点の事実を事実から検証分析せず、普遍的前提に基づく演繹法による法解釈で疑問点を解釈するだけの文科系の経済学では新発見や新事実の徹底追求は絶対に出来ません。(非科学教育の弊害は絶対に改善できません)
 つまり「文科系学問は自由平等(対等)競争の絶対性という文科系学問唯一の科学の普遍的前提(絶対的事実)から論理すべきなのに、それ以外の非科学の普遍的前提(相対的理念)から演繹法推論する事例ばかりで真実を徹底探究出来ません」 故に地球上の全生物種(特に社会的動物)の同一種内(人類も適用)の種内競争に共通する唯一の普遍的前提(絶対的事実)である「自由・平等(対等)・競争」という唯一絶対性の厳格に定義した科学の解釈が普遍的前提(絶対的事実)にならなければなりません。
 故に人間社会では自由平等(対等)競争の絶対性を徹底遵守した仕組みや制度が重要で、特に国家を維持する税制は消費税無の高累進所得税の時に限り進化システムが作動します。

 さて「学問の母である真理を探究する哲学の演繹法の論理方法」に大弊害があります。
 根本原理や真実を探究する哲学や文科系学問は古代ギリシャのソクラテス、プラトン、アリストテレス等の大哲学者が真理を探究する為に用いた「演繹法の論理方法はギリシャのアリストテレスが構築し」現代も「演繹法は文科系学問の根本の論理方法」として君臨しています。  しかしコペルニクスの地動説の発見から権威に基づく演繹法の天動説の論理方法の危険性が認識され、コペルニクス的転回が起こりイギリスの大哲学者フランシス・ベーコンによって帰納法の論理方法が創造され、以後人間という不確実性の存在を離れた客観的に認識できる自然科学の理工科系学問分野では、事実に基づく「帰納法の論理方法」が科学の根本の論理方法として、確固たる地位を確立し全世界に莫大な成果を上げ続けています。
 故に文科系学問分野でも人間社会を「集団的存在」として扱うと、自由な人間個人の主観的な不確実さは希釈され平等化され、国民全員の個人としての階層別の平均特性や、集団としての国家特性が明らかにすれば、経済学を社会科学として、科学の帰納法で理論化が可能である視点を見落としていた文科系学問の大失態でした。  つまり学問の母である現代哲学の最大の大失態は人間個人の意志と行動には自由な多様性を認める一方、人間の社会集団には構成員個人の平等扱いが必須である原理を組み合わせた「人間社会を集団として扱えば文科系学問分野の人間社会を帰納法で科学的に論理出来る視点を看過したのは大失態で、文科系学問の科学化が遅れ、莫大な成果を得ることを見過ごしてきたのは大失敗です。
 つまり結果事実が再現できない演繹主張は非科学の虚偽であり錯誤であると断言できます。
 これは文科系学問の経済学において与件(問題解決のために与えられた条件)を多用する為に起きる文科系学問が進化できない大要因なのです。 実は与件にこそ経済の需要と供給に大影響を与える要因が潜んでいる場合があるからです。 これは経済研究の単純化・標準化の為に与件を演繹研究対象から外すので、理工科系の帰納法の全事実を対象にする科学的な研究方法では全く考えられない研究方法です。  理工科系学問では研究対象の全事実を研究するので、例えば研究と直接関係が無いと思われていたカビの混入事実が抗生物質の世紀の大発見につながったり、不純物の混入事実がノーベル賞を受賞した江崎タイオードという世紀の大発見につながったのです。
 だからこそ文科系学問も全事実を研究対象にする帰納法理論への大改革が絶対必要です。

 近代における諸科学の分化によって、「帰納法の科学が独立し」世界で進化し普及した現代は機械化等の労働生産性の向上の「資本の力による供給側経済成長は飛躍的に向上」したが肝心の「演繹法の経済学」の大欠点による機械化出来ない「進化システムの個人消費の需要側経済成長の重要性を認識できず」2500年以上前のギリシャの豊かさは雲散霧消し、成熟経済に到達した現代のギリシャ国民が貧しさに震えて「ギリシャ哲学の演繹法の経済学」が欠点だらけで役に立たずで機能せず錯誤ばかりで、非科学で経済破綻へ向かっているのです。
 さて所得恒等式の第一段階 個人消費+設備投資=−>所得(所得自動生産式) 第二段階 所得=−>個人消費+貯蓄(所得使い道式) 第三段階 貯蓄=−>設備投資(資金変換式) が帰納法の資金の無限循環つまり資金の輪廻転生が市場経済の真の姿なのです。  
 第一段階の「原因(個人消費+設備投資)」での本人行為への課税は絶対不可で、「結果(所得)」への課税は本人行為への課税では全く無いので問題はありません。 つまり等式の左辺が「原因」であり、右辺が「結果」であり、原因である本人行為への本人課税は必ず本人行為へ悪影響をもたらしますが、結果は他者行為への本人課税であるので他者行為へ全く悪影響は生じません。
 つまり豊かな自然生態系の生物進化論の生と死の輪廻転生の進化システム循環に市場経済を一致させる事が市場経済を自然に豊かに自力進化経済成長させる結果をもたらします。
 本人の個人消費行為の増減は所得恒等式の因果関係式から自動的に所得増減へ等価変換結果をもたらす因果関係にあります。 故に本人の個人消費行為に財産刑の本人行為罰金を課す作為的な欧州型消費税制は所得増加へ最悪の効果をもたらします。 逆に本人所得は、第三者行為で第三者の市場が決定するので、累進所得税には本人消費行為への罰金の悪効果は全く無く逆に本論文で詳述の如く全国民への強力な所得適正再配分の大良効果があります。
 更に個人消費が拡大増加しなければ設備投資も増加できず、両者合計の国民所得も増加せず、という因果関係にあります。  つまり「カネは天下のまわりもの」「風が吹けば桶屋が儲かる」という日本の経済格言は経済の良循環の真実を表していたのです。
 均衡とは,普通 2つ,あるいはそれ以上の数の対象がつりあう (バランスする)状態をいう.経済学においても同様の意味で均衡を用いる。 ただし,経済学で想定しているつりあいの対象は,多くの場合財・用役の「需要と供給」である。 そして供給側の進化システムである科学技術支出に罰金課税は無く完全自由で供給の増加を促進する以上、それと対象の需要側の進化システムの個人消費も罰金課税せず完全自由で需要の増加を促進しなければ、経済の「需要と供給の均衡」は達成できません。故に現状消費罰金税制に最悪であります。

 故に帰納法における「企業の役割」は需要の増加さえあれば生産力を増強したり個別所得へ分配する事であり、故に企業は「国家税制による需要の増加」さえあれば、生産を増加したり所得を分配する事は可能な因果関係にあるのです。 故に所得の増加は需要の増加さえあれば経済学の所得恒等式の因果関係によって再現できるのであるから「需要を増加する役割と責任の因果関係は誰かが」大問題です。 実は需要を増加する役割は国家税制にあり、需要の増加拡大は上記の所得生産式で明らかなように、国家税制による全国民個人のより良い、より安全な幸福・福利を追求する過剰性の自然な本能を発揮させる「消費税無の高累進所得税制」により財政出動無しで個人消費の自然な進化システム機能と所得適正再配分機能を引き出し膨大な数の低中所得階層の高消費性向を継続的に活用する事によって成熟経済でも所得の継続的無限増加と個人消費の継続的増加をもたらし高度経済成長要因になるのです。
 エリート達が市場経済に表れている「結果事実ばかりに目を奪われ、相関関係ばかりを演繹法で分析する手法が最悪結果をもたらし」、「帰納法による結果事実をもたらす原因事実の因果関係の研究を全く怠ってきたツケが現在の経済学の人間社会へ全く役ただない経済学の結果事実へ表れて来ているのです。」 「故に相関関係は因果関係を含意しないという科学や統計学の意味」は原因事実と結果事実の因果関係には必ず時系列関係があるのに、逆に原因の後に生じた結果同士ばかりを論ずる相関関係には因果関係を含まず無関係という意味です。
 ここにもエリート達に対してモデルの演繹法ばかりを教育する既存の文科系大学の経済学の科学的後進性が現れ、本質的な事実に基づく帰納法の科学教育の大不足を強く感じます。
 つまり根本原理を追及する演繹法の哲学発祥の地のギリシャで、哲学や文科系学問が発達した現代において経済危機に見舞われているのは皮肉であり「哲学や文科系学問の演繹法の大失敗」が大要因である事を示唆しています。 今から2350年前のギリシャの大哲学者アリストテレスにより「上から目線の不確かな普遍的前提に基づく演繹法(日本では朱子学に相当)」が構築され中世スコラ哲学を経て、現代の「哲学や文科系学問や経済学は演繹法」で記述され、演繹法は不確かな普遍的前提を演繹して構築されていて演繹法の学問構造上、「常に競争で進化する事実の進化システムを含まない非進化システムの論理構造」が最悪を招いています。 その点で理工科系学問分野は光速度の絶対性を唯一絶対性の普遍的前提として全てを事実に基づき論理する帰納法は、再現性を検証手段として科学を確立しました。
 故に文科系学問分野にも自由平等(対等)競争の絶対性を唯一の羅針盤のような普遍的前提(絶対的事実)とする帰納法で論理すれば良再現性を伴った科学になれるのです。
 逆に現代経済学は客観的では無い主観的な相対的事実を普遍的前提として、手段と目的を演繹するので理念と事実の不一致の多い錯誤学問です。 故に文科系学問の演繹法は主観的で不確かな理念を基に演繹するので、客観的事実との不一致が多い再現性の無い非科学の論理方法で、再現性が無いので人間社会には真に全く役に立たない学問です。

 逆に科学とは帰納法で真実を探求する「ナゼという疑問点」を徹底追及する学問で「科学に権威など必要ない」、「科学は観察という確かな事実」を元にして「観測事実と矛盾しないように因果関係の原因事実と結果事実の再現性を検証して構築される論理方法」で、これで原因事実を推論すれば結果事実が必ず現れます。 これが「目的と手段を論ずる演繹法論理」と全く違う点です。
 常に人間社会の普遍的前提(絶対的事実)となる国家の構成員である全国民の「自由平等(対等)競争の絶対性」は、客観的な原因事実から結果事実へ至る全過程の因果関係を帰納法で徹底分析し再現性を確認する手法で科学と言い人間社会に役立つ世紀の新発見が続出するのです。 故に全文科系学問も理工科系と同様に「帰納法を主」に「演繹法を従」の帰納法主導の科学手法で経済学や文科系学問を再構築すれば経済学は更に大進化致します
 故に結果が出ない、言葉による主張や理念は、科学では無く言葉によるプロパガンダや、お遊びにすぎません。
 故に哲学の演繹法が文科系学問を非科学でブレークスルー出来ない学問へ陥らせました。
 ピケテイが従来の演繹法の経済学から改善点を導き出そうとしても普遍的前提(消費税の公平・中立・簡素)から抜け出せず「群盲象を評す」で、科学の根本原理である「事実の観察が不徹底で」高累進所得税の必要性までたどり着けたが、フランス発祥の欧州型付加価値消費税制の欠陥までにはたどり着けず整合性のある具体的改善点を指摘する事までは絶対に出来ませんでした。 しかし彼が高累進所得税制の必要性に到達したのは良い功績です。
 つまり彼の理論では膨大なデーターの相関関係で演繹推論するばかりなので、現実の結果事実を引き起こす原因事実を特定する帰納法の因果関係を観察研究して再現性を確認する科学的推論方法では全く無いので、的を射た的確な政策提言など絶対に出来ないのです。
 彼は簿記会計と原価計算の知識や科学の定義や観察事実の本質理解や、帰納法・演繹法の区別や、因果関係・相関関係の区別や、科学の再現性の知識が完全に欠落しているようです。
 彼の主張の中に科学的に証明された揺るぎの無い絶対性の中心要件が完全に欠落しており、論理の展開に整合性が無く、再現性が保証されない非科学理論で、論理の安全性が全く低い。
 これでは天動説を2000年以上信じていたヨーロッパの大科学者たちの非科学の各種演繹法の延長と全く同様で、経済学の真の科学化のブレークスルーには全くなりません。

 このままではビケティの本は売れますが、事実として安全確実に自力経済成長と財政再建を同時達成する再現性のある科学理論など絶対に確立できません。 事実として安全確実に自力経済成長と財政再建を同時達成する再現性のある科学理論は帰納法による本論だけです。

 演繹法の経済学には小保方さんと同じ非科学の再現性の無いプロパガンダが横行しています。 文科系学問の科学化とは、権威に依存せず人間集団の行動の事実観察を通じて真実を追求するプロセス(過程)でありますので「正直で誠実である事」が大前提になります。
 たまたま小保方さんは理工科系の科学分野ゆえに再現性が求められ、200回大成功したとの本人の強い言葉に関わらず、本人自身による客観的な再現性を求められたら1回の再現性も実現できず「非科学の錯誤」(厳しく言うと虚偽=不正直不誠実)が確定しました。
 これにより小保方さんに対する懲戒や損害賠償請求問題に発展する可能性もあり、今後似たような問題は文科系学問分野の政治家や経済学者や評論家や大手マスコミの政治、経済分野の錯誤判断やプロパガンダに対する責任問題へ波及する可能性があり、常に後から、適正な判断だったかどうかの「結果責任を追求される時代」の到来が切実に予感されます。
 もう無知や不勉強や「うっかり」や「皆と同じ」では済まされない時代が到来したのです。
 故に人の意見を聞かず声高に非科学の理念を主張するエリート達は、いずれ後から発生する正反対の事実で自らの身を危険に晒すことになり、事実に基づき正しい科学的判断をするエリート達は後から事実が正しさを証明してくれる為、一生高評価を得られ安心安全です。

 錯誤・ウソとは本人が理念する「主観的な主張と客観的な事実との不一致」を言います。
 科学理論では客観的事実に基づく再現性が無ければ、その主張は非科学でしかありません。
 故に主観的理念の言葉によるプロパガンダは全国民へ悪影響を与えるので規制すべきです。   
逆に人間の集団行動のもたらす結果事実(統計)の情報公開が科学にとって大変に重要です。

 非科学の典型実例が言葉の理念による「公平・中立・簡素」を事実に基づき科学的な真実性を検証せず、普遍的前提(絶対的事実)として演繹法で無理やり演繹して導入した「欧州型付加価値消費税制の経済的な大失敗です」。 つまり事実に基づき科学の帰納法で検証すると「逆進性があり公平では無く」「中立なら経済は時代と共に自然に拡大増殖し進化成長するのに、逆に経済成長の出発点の個人消費の増加に消費税を罰金課税し個人消費の増加を妨害し事実として経済を縮小させているので、消費税は経済成長に中立では無く」更に「簡素なら徴税に手間が掛からず国が発行する所得税や消費税の手引きのページ数は減るはずなのに平成元年以前と比較して倍増しており、課税から徴税納税には極めて複雑な仕組みでコストや手間は倍増し」、「公平・中立・簡素は事実を検証すると真っ赤なウソでした。」
 これは言葉による「公平・中立・簡素」を普遍的前提とする「上から目線の支配と服従と強制」の演繹法は根本的に大変危険であり、正反対の「自由な市場経済国家の米国の国民全員参加の下から目線の自由平等(対等)競争の絶対性による欧州型消費税制無の高累進所得税制」が憲法に合致した科学の普遍的前提とする当論文の真実性と帰納法の良再現性を、高累進所得税制成功の米国と平成元年までの日本の高経済成長の再現性が証明しています。
 つまり現状日本の内需の個人消費が増加せず停滞減少しているのは根本的に本人の表現の自由の一種である適法な本人の個人消費行為に実質的に刑法の財産刑にあたる罰金を課している消費税制の存在が内需の6−7割を占める年250兆円に上る巨額な進化システムの個人消費の自然な増加を大妨害している税制と、所得適正再配分機能の無い不平等な低累進所得税制によって高消費性向の低中所得者層の長期継続的な所得増加を妨害されており、結果として内需の個人消費を増加したい高消費性向の低中所得者層の所得増加を不当に妨害している税制が結果として、人為的に内需の個人消費を増加させず経済成長大不振の大要因です。
 高所得者層が高累進所得税制によって高率課税されたところで、所得に対する租税負担率は本論文で明らかな通り他層と実質的に平等率(対等)負担でしかなく、且つ有能な高所得者層の高所得は実は膨大な数の低中所得者層の個人消費に支えられている因果関係にあり、高所得者層と低中所得者層とは持ちつ持たれつの相互依存関係にあり、低中所得者層の長期継続的な所得の増加が無いと、高所得者層の高所得も税収増も長期継続的に維持できません。
個人消費の増加を国民所得の増加に等価変換する所得恒等式活用の経済良循環は重要です。
 国民の本質的な幸福や福利の追求や欲求を妨害せず自主的に発揮させる税制が大切です。
 個人消費・内需が自主的に増殖拡大しなければ絶対に本質回復など夢のまた夢なのです。

 敗戦直後の国土が荒廃した国富(国内純資産)0の状況から平成元年末には国富3190兆円(年平均74兆円の増加)に経済成長させた自然に科学的に内需を増加させる消費税無の高累進所得税の池田税制の戦後43年間と、個人消費を罰金課税する消費税導入後の25年間は長期継続的に国富(国内純資産)は全く増加せず全国民・全企業の努力にかかわらず平成25年末にやっと3000兆円を維持する位で国富は低迷減少を続け、更に国民の将来の負担になる、この間の国債大量増加を考えると、どちらが良質な国家税制だったかは事実が証明している上、科学的にも明らかであります。 この間の日本における経済活動への外部環境の大変化要因は国家税制の大変更以外、外部環境の大変化要因は全く無かったのです。
 更に国家は税収や所得が継続的に増加する税制でないと、カネが無いので国債の返済も、福島の復興も遅々として進まず、戦争の際の継戦能力の向上の為の武器増産も食料の自給もできず、医療や社会保障や年金財政が行き詰まり、暗い未来しか予想できない現実を現状の経済状況や財政状況が証明しており、両方の税制の比較から自由平等(対等)競争を厳守する消費税無の高累進所得税制が如何に効率的に国家と国民を豊かにする税制だったかを論理証明しています。 逆に不自由不平等の「消費税制+低累進所得税制」が如何に国家国民を貧しくする税制かをギリシャやEUの破滅的現状と大混迷が明らかにしており、現代の成果主義に反して成果を全く上げていない税制に固執し依存する政治家や一部の高所得者と勇気の無い経済学者の自己中の愚かさを、結果事実が科学で論理疫学証明しています。
 「故に自由と平等と競争と科学の厳格な定義が自力経済成長と財政再建の為に大切です」
 更に他国の富や需要を収奪して他国へ迷惑をもたらす過剰な対外純資産の増加や経常収支の黒字の積み上げは自国通貨高をもたらし、国家間の不平等や自国の経済成長へ大阻害要因となり自国経済に大不幸をもたらします。  経常収支の大黒字を継続しカジノを大々的に開いて対外純資産を積み上げている中国や韓国の大格差大拡大による国民大多数の貧困状況や大不幸を招いている不自由不平等税制と、経常収支と対外純資産の大黒字を追求して民間の輸出企業と輸入企業に経営責任のない巨額の為替差損や為替差益をもたらす経常収支や対外純資産の大黒字や大赤字の不均衡は民間企業経営への大攪乱要因であり、本来は均衡に努力すべき国家通商政策の大不存在を表しており、弊害は現実の経済状態が証明しています。  
 故に経常収支ゼロを目指し対外純資産へ過剰な+−を生じさせない購買力平価の円安通商政策が最善であり、通貨が適正価格で安定する事は民間企業の経営安定化の基礎的条件となります。 経常収支も対外純資産も全世界の国家を+−すれば各々ゼロとなる科学原理とグスタフカッセルの購買力平価説との関係は変動相場制下の自力経済成長に強い示唆を与えています。 通商政策は民間企業経営にとって過剰な為替差損と差益の出ない長期の経営安定の為に経常収支と対外純資産の均衡を目指し購買力平価を維持する通商政策が最重要です。
 故に米国が日本の経常収支の大黒字で迷惑を受けないようになれば、口うるさい米国も必ずおとなしくなります。故に過剰輸出を行い国家が儲けるという発想は最悪思想です。
 故に現代日本の円安の主たる本質的な原因事実は「異次元の金融緩和が原因では無く」「福島原発事故を要因として日本の全原発54基全てが稼働していない為、火力発電所の燃料輸入が膨大に増加し、やっと日本の膨大な経常収支がゼロ均衡に近づいたという事実によって「日本の通貨は購買力平価の円安」に近づき株価は急上昇したのです。 故に異次元の金融緩和のアベノミクスによって円安になったというマスコミ報道は真っ赤な嘘で、せいぜい10%程度の原因事実に過ぎず、90%の原因事実は全原発の稼働停止による化石燃料の大量輸入により「経常収支がゼロ均衡に近づいた事実に依り購買力平価の円安へ接近」したのです。 つまり福島の原発事故は正に「禍福は糾(あざな)える縄の如し」であり「棚からぼた餅」であり「瓢箪(ひょうたん)から駒」であり「雨降って地固まる」だつたのです。
 故に現在の円安で生じた税収増加の多くは、福島原発事故対策に使用するのが本筋です。  
 故に過剰な輸出をして過剰な経常収支の黒字を長期継続的に続け対外純資産を増加させれば必ず円高になることは、グスタフ・カッセルの購買力平価説の基本構造から明らかであり、外需依存の韓国経済の構造的悲劇とウォン高の悲劇を日本へ持ち込んではなりません。
 故に日本は、国家を企業のように考えて経常収支黒字や対外純資産を増やす他国需要を収奪する輸出をし過ぎてはなりません。 故に不自然に外国人観光客を膨大な国家予算を掛けて誘致する戦略は結局外国人の自国へのお土産品や海外持ち出し商品の爆買は輸出になり巨額消費税は全額還付で財政悪化の大要因になるので、母国へのお土産品や海外持ち出し商品の爆買い外国人観光客誘致戦略は財政再建にとって最悪の無駄の経済循環です。
 勿論税抜きの本体価格は民間企業の売上になり、民間企業の爆買いに対応する人件費や諸経費負担には貢献しますが、結局鳴り物入りの外国人観光客の自国への土産品や海外持ち出し商品の爆買いの消費税収入は全額還付になり(年間の爆買売上は3兆円との事で消費税収の2400億円は全額外国人へ還付で消費税収ゼロとなり)観光客誘致予算や観光客対応の膨大な公務員の人件費や諸経費は全て結局日本国民が全額負担する以外に方法は全く無いので日本国民は消費税の重税に苦しむうえに財政再建には全く役立たないのです。 外国人観光客年間8000万人の世界一の莫大な観光客を誘致している、仏の財政赤字の悲惨さでも外国人観光客誘致は、税制構造からの財政再建に全く役立たない構造になっています。
 故に無理せず予算も公務員の人件費もかけず自然に来日する観光客や、消費税を還付する必要のない安定した膨大の額の内需を自然増加させる進化システム税制の採用こそ大切です。
 逆に国家が意図的に外国人観光客ばかりを当てにした観光構造を構築すると、想定外の問題が発生し膨大な外国人観光客が来日せず観光業に大損害は発生した場合、国家に責任問題が生じます。 観光業も国民所得を向上させ地産地消の観光を主力にすべきが原点なのです。
 更にフードマイレージの考え方(食品毎の燃料負荷の問題)で明らかなように、日本は大陸国家のフランスの鉄道や船での観光と違い、忙しい現代では島国の日本に来る観光客の大部分は飛行機で来日しており、鉄道や船の燃料消費率1に対して、飛行機や車の燃料消費率は6−7倍であり、膨大燃料の消費はそれだけで、地球環境(特に大気汚染)にフランスの外国人観光客年間8000万人に匹敵する地球温暖化に危険な過剰な二酸化炭素を、日本の1300万人の外国観光客誘致によって事実として発生しているのです。  特に過剰な輸出をする必要のない日本ではエネルギー効率や財政再建の細かいところにまで気を配り、外貨やカネが大切か人類の生き残りが大切か、腹を据えて再検討しなければなりません。
 一商品を一消費者に提供する為の各部品・材料の生産拠点をコストだけに着目して世界中に分散すると部品や材料の輸送移動距離は長大となりグローバル経済のエネルギー効率は最悪で地球温暖化の最大要因になっています。 「自国生産・自国消費」「他国生産・他国消費」の「地産地消」が地球温暖化を防止する最善の方法で本来のあるべき姿なのです。

 故に為替相場で購買力平価の円安を維持する為にも、更に地球環境の二酸化炭素の発生を抑制する為にも、フードマイレージ(食品毎の燃料負荷の問題)と全く同じ共通の考え方の、「地産地消」、「自国生産・自国消費」、「他国生産・他国消費」が経済的にも最善なのです。

 輸出をしたい企業は当該他国の国民が望む直接投資を行い「他国生産・他国消費」で他国の労働者を雇い、他国消費者へ望む商品を販売して他国の循環経済へ大貢献すべきです。
 故に輸出余力が大きい日本が他国の富や需要を収奪する輸出促進の対外通商政策は、日本の国内経済の国富減少を招き更に他国へ迷惑を掛けて世界経済にも最悪の通商政策なのです。

 また異次元の金融緩和をしたら、デフレを解決できるという訳のわからない理屈は錯誤や迷信に過ぎず、デフレの根本的解決方法は需要と供給の均衡を目指す以外方法が無く、需要不足の日本では、経済成長の原理から「内需の自力増加の消費税無の進化システム税制と所得適正再配分機能を持つ科学的な高累進所得税単独税制の採用による個人消費の長期継続的な増加以外にありません」 故に日本で内需の増加が事実として無いのに、異次元の金融緩和によって銀行にあった日本国債を禁じ手の日銀が大量に購入し人為的に過剰に銀行をカネ余り状態にすれば、カネは金利を求めて金欠病のうえ経営のカバナンスが弱く何でもありの中国・韓国等の他国企業が合法・非合法で日本から当然に投資や借入の形で直接間接に、更に欧米の金融ルートを迂回し大量のカネをマネーゲームへ回すと私は予測している為、もし将来において中国や韓国や他国の経済が破たんすれば日本も無傷では絶対に済まず、サブプライムローンのリーマンショックとは比べ物にならない悪影響が必ず生じます。
 経済すべてを金融政策で解決できると考える既存経済学は非科学の迷信にすぎません。
 結果が全てで、そうなったら一体誰がどのように責任を取るのでしょうか、見ものです。

 更に日本の国民がなけなしの金で購入した個人消費商品から8%の消費税を国家が遠慮なく徴収し、輸出振興の為、膨大な予算を費やして裕福な外国人観光客を呼び込み、爆買のお土産商品等の消費税を全額免税し国家税収増に全く役に立たず、費やした膨大な海外観光客誘致予算を全て自国民へ負担させるという意識・無意識にかかわらず愚かな愚民政策は結果として自国民窮乏化政策として自国民の上に負担がのしかかる税制を国家が強行しています。
 そして自国民の人件費を低下させ輸出競争力を増加させようとする最悪の政策です。
 そんなに無駄な予算があるなら、早く国内の福島や東北の復興に全力を注ぐべきです。
 
 結局現状税制や政策では自力経済成長せず所得は増加しないので、国民は生き残る為に需要側の個人消費は低価格の単純化・標準化商品に集中し、個人消費商品の多様性は急速に失われています。 更に需要側の単純化・標準化・低価格化に応じて供給側は資本の力による企業の独占化・寡占化が進んでおり、供給側の企業の多様性も急速に失われています。

結果として中小企業や多様な技術は衰退しシャッター通り商店街が全国で急増しています。
 貨幣経済の資本主義は非常に厳しく人間はカネがなければ水・電気・食糧を得られず1週間も生きられない事実を肝に銘じ、家計収支・財政収支・企業収支を均衡しながら増殖させるのが長期継続的な正義の生き残り策で国家はそれを長期継続的に実現する為、所得適正再配分機能を持つ進化システム税制(消費税無の高累進所得税制)を構築する責任があります。

 逆に日本や世界を、これ以上経済成長させると地球環境は負荷に耐えられなくなると主張される方々も存在すると思いますが「予測は全く逆であり」人間は生物であり国民所得さえ継続的に増加して国民一人一人の所得が増加し食べるのに困らなくなれば、人間は自分や子孫が生き延びる事を本能的に考える為、国民の過半数は自然環境を維持して生き延びる為に空気を汚す安い化石燃料を無制限に燃やす火力発電や、危険を伴う安い発電コストの原子力発電所等より、発電コストが少々高くても再生可能エネルギーへ大転換したりコストが高くてもCO2
を排出しない水素燃料電池車を購入したり、生き残る事を最優先に考える需要側の個人消費の多様性を追求する科学教育された国民が過半数以上あらわれ、所得恒等式による無限経済循環の中で個人消費や設備投資が時代と共に進化する多様性を予測しています。
 それが進化システムの過剰性の本能を持つ「唯一の生物である人間の本性」ですから。
 つまり所得さえ増加すれば生き残る為に、より良い個人消費を選択するのが人間なのです。
 結果として自由平等(対等)競争遵守の進化システムの「税制改革理論・自力経済成長理論・財政再建理論・政治改革理論・規制改革理論」を採用すると機能的国家論の国民政党制により「集団的知性」が発揮され各国の「自然環境や立地条件、文化や宗教、国民性、科学技術の発達状況等」に適応した当該国家の「国民大衆が望む」需要側と供給側の多様性を持つ独自の市場経済が自動的に自然に構築され全国民による試行錯誤を繰り返しながら自然に長期継続的な自力経済成長を発揮する国家になり所得は豊かに増加し拡大再循環します。
他国に過剰に依存しない、自主独立の多様性のある国家が構築できるのです。
 高度経済成長に有効性があり再現性のある科学理論の進化システムが経済成長要因です。

 更にWTOの補助金協定では、輸出を条件に交付される国家補助金と国内産品の優先使用に基づく国家補助金が、禁止補助金として、WTOでは交付が原則禁止されています。
 つまり消費税には莫大な輸出還付金と言う輸出還付制度があり、明らかに内需専門企業より競争上、輸出企業に実質的に有利に働き輸出補助金的性格があるが、WTOの構成国が消費税の欧州諸国中心であるため大きな問題にもならず外需依存経済学の基礎になっています。
 しかも口うるさい米国は貿易競争では欧州に大負けしていない上、消費税の経済成長への阻害効果を充分知って絶対に消費税を採用しない米国は経済競争に勝つ為に黙っています。
 しかしこの消費税の輸出還付金制度に支えられた商品コストの削減が、内需専門の内需専門企業とのコスト競争で明らかに輸出併用企業有利の不平等となり、内需の減退(内需専門企業の人件費支払いの減少)につながります。 故に自由・平等の進化システム税制を採用する内需大国で且つ基軸通貨発行特権を持つ米国は絶対に欧州型消費税制を導入せず、輸出還付金制度の無い小売売上税のみなのです。 人間社会も市場経済も結果が全てであり、長い歴史が「支配と服従では良結果は出ず、自由平等(対等)競争の絶対性の時に限り」良結果が出る事実が疫学証明されています。故に未来の諸環境変化に適応する企業の経営自主権へ弊害(米国の干渉による裁判多発)をもたらすTPPより、輸出は輸入の範囲内に自己規制する他国需要を収奪しない経常収支均衡を遵守して想定外の未来の環境変化に柔軟に適応できる関税自主権と購買力平価による円安の維持は「自力経済成長の基盤であり」時代の諸環境に柔軟に適応できる日本企業の健全で自主的な企業経営に絶対必要不可欠です。
 武器輸出を逐次解禁して輸出増強を目指す政策は日本の最新の武器技術の漏えいにつながり最悪です。 第二次世界大戦で日本が開戦後の6か月から1年間有利に戦えたのは日本の最新の軍事技術を輸出せず秘匿していたからで、ゼロ戦も捕獲され徹底的にゼロ戦を分解されて研究された後は敵戦闘機に対する優位性を全く失った悲しい歴史で証明できます。
 故に私は日本の武器輸出は厳禁して、たとえコストが高くても秘匿すべきで自国生産・自国消費を主張しています。  自国生産・自国消費で継続的に税収が増加すれば高コストの武器増産は全く問題ありません。 故に高度経済成長の再現性を確実にする本論文の税制改革理論は絶対必要不可欠で高度経済成長要因になります。

 そして「国民所得の増加の自力経済成長理論」は、家計や企業の借入金の増加を個人消費や設備投資の増加に使用して国民所得の増加へ等価変換する科学技術であるので、個人消費や設備投資の為に使用する「前向き良借入金の増加」と、個人消費や設備投資に使用しない、借入金の返済や貯蓄の為の「後ろ向き悪借入金の増加」の区別は重要で、結果として良税制が良借入金を増加させ、悪税制は悪借入金を増加させます。 この区別の認識は重大です。

  成熟経済になると需要も増加しないし経済成長もしないという固定観念に縛られ、他国の需要や富を収奪する他国へ迷惑や実質的な危害を与える外需依存の経済成長理論が正しいと錯誤に陥っています。 自己中政府は自ら気付きにくい非科学の大錯誤です。
 故に現代の経済学や哲学はグローバル化の過剰な資本の力による単純化・標準化が正義であると非科学的な代表性バイアス(思い込み)に陥っている為、最も大切な国家毎の「自然や経済や文化の多様性による個人消費の種類・質・量・価格・の多様性の増殖拡大こそが経済成長であるのに」不自然なグローバル化の理念で個人消費や供給の単純化・標準化・低価格化を強化して経済と自然生態系の原理を度外視し、資本の力と政治の力で何とかなると思い込み、当該国家の国民の意見も良く聞かず、経常収支や対外純資産の大黒字を追求して通貨高に苦しみながら、多様な生態系の自然や経済を大規模破壊している現実は「自国生産・自国消費」:「他国生産・他国消費」の経常収支均衡政策による購買力平価の円安の実現を大妨害する結果となり、無限経済循環の自力経済成長を不可能にさせ経済不況と生物大量絶滅を招いているのは欧州で発達した演繹法という非科学の経済学で成熟経済の自力経済成長は不可能と断定して外需依存の経済成長にのめりこむ、思い込みの経済成長理論の大失敗です。

 戦国時代を経て日本は江戸時代を「朱子学の知先行後の思想」で究極の道州制の幕藩体制と士農工商の身分制度で固く固定化し、低成長の265年間の天下泰平を過ごしました。
 しかし明治維新は日本を取り巻く世界の経済環境・力関係が全面的に大変化したため、対外環境に適応する為に、「陽明学の知行合一の思想」(知って行わざれば、知らざるに同じ)の行動思想で、アメリカ独立を模範に四民平等を、統治階層つまり支配階層の武士階級自身が内生的に自省し、日本と言う中央集権国家を作り世界史に稀有な明治維新を実現し、富国強兵を短時間で自ら実現したのです。 だが日本は支配階層有利の欧州型の友愛を重んじる党派性の強い、政党組織の一部の意志で政策を決定する優越的国家論の
階級政党制を選択した為、時間と共に国家の方向性を大きく錯誤しました。 党議拘束で国会議員を支配統制する民主集中制の党派性の強い政党組織の一部の意志で政策を決定する優越的国家論の階級政党制の政党政治は、非科学の統治者有利の党議拘束とプロパガンダを多用する為、国会議員個人の良心の自由が発揮されず集団的知性が発揮できません。 これに対して国会議員へ「党議拘束禁止の機能的国家論の国民政党制」を採用する米国は全国会議員個人の良心の自由が国会で発揮される為「国会内で議員の独立性・多様性・分散性・集約性が保証され進化システムと集団的知性」が発揮できるようになった事実が米国が超大国への進化した大要因です。
 つまり国家制度をシステム的に構築する科学の知識が統治階層にあるかどうかの違いです。

 日本では池田高累進所得税制で所得適正再配分機能が発揮されて個人消費性向の高い低中所得者層の所得が継続的に増加した為、格差は縮小し個人消費が活発化し、それを消化する企業の設備投資が活発化し「高度経済成長は自動的に科学の再現性で達成されました」
 進化システムで自然に科学的に内需を増加させる消費税無の高累進所得税制の時代が長期継続的に高度経済成長を確実に再現した歴史が日本と米国で別表2の通り事実として多数成果を上げているが、消費税主導税制では世界的に経済成長と財政再建の同時達成実例は皆無です。人生も国政も危険が多い旅の道、科学の基本に忠実で安心安全な道を選択すべきです。


さて国家は全国民個人を構成員とする「集団的存在」の「全体システム」である為、全国民一人一人の進化システム増殖性を充分発揮させれば国家は自然に豊かに自力経済成長できるのです。 次に宇宙で他の星と隔絶された完全閉鎖系の地球上の社会的動物の人間社会では、人間社会は「集団的存在」であるので国家も家計も「自己責任・自助努力」つまり「自業自得」つまり「自国生産・自国消費」の、構成員個人の誰かの+は、誰かの−になる客観的で科学的な均衡の原理原則があるのです。 哲学の歴史の中で人間社会を論ずる文科系学問を「人間個人の主観的な不確実性を原因として人間社会を客観的な科学の帰納法から切り離し演繹法で体系化した点が大失敗です」 今では演繹法の経済学は時代時代の統治階層理念(主張する主観的な普遍的前提)に合わせたプロパガンダ学問に陥っており、既存経済学が全国民の真の幸福の追求に全く役立たない非科学の演繹法のプロパガンダ理論に陥っています。

  池田首相は京都大学法学部を卒業し戦前に税務職員・税務署長さらに大病で5年間の休職中に看病疲れの先妻に先立たれ民間企業就職も覚悟したが大蔵省に再就職できた苦労人で戦中の大蔵省主税局長ですが、たたき上げの税制立案の才能を認められ官僚トップの事務次官へ自由平等を愛した吉田茂に「自らの秘蔵っ子」として戦後大抜擢された天才税制官僚政治家で毎年税収が増加する保守本流の税制要因として「経済学者達の大反対を退け本論の需要側経済成長理論の自由平等(対等)競争の絶対性遵守の消費税無の高累進所得税制を平和時に自ら進んで憲法に忠実に採用して総需要拡大と高度経済成長を再現し」不可能と思われた廃墟の日本の復興に大成功した税制の天才プロで本理論は池田税制研究の大成果です。
 経済学者は当時も現代も池田税制の事実に基づく科学の再現性を全く理解していません。 「経済学者と政治家は経済成長に税制は無関係、セイの法則と公共事業」が要因とする錯誤に陥り、今のままの悪税制では財政は必ず破綻します。 国民の最大の関心事は常に景気回復と財政赤字の改善でありオープンデーターで確かめると「システム的に良再現性がある高累進所得税制」と「システム的に最悪再現性がある消費税主導税制」の2つが有り「税制の最終決定権者の国会議員を選んだ、有権者大衆の自己責任は重大です」

「現代の租税は労働や物納ではなく通貨」による納税方法を強制するので税金と呼ばれ、確実な徴収の為には通貨の担税力に応じた税制が不可欠で「消費税無の高累進所得税」は納税者の担税力を裏付け保証する機能を持ち、且つ所得適正再配分機能を持ち個人消費の自然な増加を促し、且つ経済自動安定化機能(ビルト・イン・スタビライザー)を持つ自然の摂理を遵守した無理のない税制です。

 故に地球上の人間集団内の全員を豊かにする経済は、他から奪うのではなく全国民自身の個人消費を自然に自己増殖する方法が最善である事を示唆しており、人間が全生物中唯一持つ「過剰性の本能」で多様な能力を発揮して一人一人がより良い物を欲求し、より良い物を生産する「自国生産・自国消費」「他国生産・他国消費」で他国の需要や富を収奪しない迷惑を掛けない自力循環型経済を作り、自らの故郷の国・県・市内の個人消費をシステム的に自己増殖させる自由平等(対等)競争の絶対性による消費税無の高累進所得税制で「進化システムの全国民の個人消費の増加」を自動達成すれば、「所得恒等式」から「国民全員の所得増加を得られ」デフレやインフレを自動的に防止しながら経済生態系を自己増殖できる自力経済成長と財政再建を同時達成できるので、消費税無の高累進所得税制は巧妙に仕組まれた手品のようで科学的自力経済成長効果と財政再建効果があります。 故に国内需要に満足できない国際企業は国内需要以上の生産増強は海外の消費地に直接生産拠点を設ける直接投資をして当該他国の国民を労働者として雇用し他国の消費者へ直接販売する現地の循環型経済構造の構築へ貢献して他国へ感謝される企業活動を行うべきで、結果として他国民にも自国民にも感謝されながら日系資本の増殖拡大を行う事が将来の所得収支の+となり日本経済への大貢献につながります。 他国需要を収奪せず過剰な経常収支の増加も対外純資産の増加も追求せず購買力平価の円安を維持すれば、所得再配分機能の発揮により低所得階層の所得増加がシステム的に実現し内需は自然増加し国富は増加し株式市場の大幅株高も維持できます。
 故に個人消費も人間の能力であり、「自国生産」「自国消費」で、より良い、より安全な、より機能の高い自国内の個人消費を常に欲求する国民の過剰性の本能こそが根本的な自力経済成長の力学的要因で、自立的で無限の国民所得増加と財政再建の大要因となります。
 故に機械化できる供給側には生産に貢献できない多数の老人や子供や生活保護者分の供給増加は科学技術の進化の機械化による労働生産性の向上でまかなう事によって供給側経済成長を発揮し、逆に生産に貢献できない低中所得階層の個人消費の消費性向は非常に高いので、税制で進化システムの個人消費を規制抑圧(罰金課税)せず所得適正再配分機能を持つ高累進所得税制を作動させると、これらの国民へも所得が長期継続的に適正に再配分されるので需要側経済成長となり、総需要の長期継続的な増加が発揮され、供給側経済成長理論と需要側経済成長理論が合体すれば完全に再現性のある科学的な進化システム高度自力経済成長理論として作動するようになり、時代時代の環境激変に適応できる税制になります。
 故に労働者不足になるとすぐに安価な外国人労働者に安易に依存する自己中な政策(不用になったら追い返す)は、結果として人間の労働を代替する科学技術の機械化を阻害したり自国民による自助努力を阻害する政策要因になるので多用すべきでありません。 
 しかしもちろん日本を真に愛して定住し日本人になり日本へ貢献しようとする外国人への門戸を閉ざしてはなりません。
 故に100年後に人工知能が高度に発達し全産業が徹底して機械化された超高労働生産性国家になり「自国生産・自国消費」「他国生産・他国消費」で膨大な自国消費を少労働の機械化で全商品を自国生産できて人間の少労働で十分可能な時代になっても、この税制を維持すれば、日本国内における経済的諸問題は、所得適正再配分機能を持つ適正な税制によって常に所得適正再配分機能が作動し自国民の所得の継続的な増大は可能になり全国民が高機能商品を常に購入できるようになり、労働力不足を補う生産の増加は科学技術の発達による機械化等で自動解決できるのです。 だが私はそんな時代になっても労働を伝統的に尊重する日本(日本の神々は労働が大好き)の企業は労働の種類・質・量を分配の基準にし且つ租税等の負担は稼得する所得に応じて平等率負担が正義と考え今まで通り実行すると考えています。  
 故に日本の労働を尊重する神々と同様に勤労を尊重する日本人の国民性においては、資本主義理念と怠惰を好む国民性からキャピタルゲイン等の不労所得を特別視して過剰に優遇する、他国の税制を真似しては絶対になりません。
 キャピタルゲインであろうが、労働所得であろうが、不労所得であろうが発生した所得は平等に扱う科学的な自由平等(対等)競争ルールが自力経済成長の絶対性ルールだからです。
 ここに本人の自然な過剰性の本能を自由化すべきで「自由平等(対等)競争の絶対性遵守の自由な適正行動を求める需要側自力経済成長理論」の根本的な作動原理があるのです。
 故に市場経済では、「ミルの自由論に述べる無害行為は完全自由化し、危害行為は規制強化する事」や、ジョン・ロールズの「正義論」が自力経済成長にとって最重要になります。
 結果として集団で行動する社会的動物の人間には、利己的意識と利他的意識の均衡が大切で、自己中になってはならず、他者への思いやりの「適正な平等(対等)の実現」が国民所得増加をもたらし人間集団としての自力経済成長国家の経済力の増大につながるのです。
 「平等とは」全所得階層に租税等を各人の獲得所得に対して強制的に平等率に負担させる税制を言い、「所得階層毎に特別に有利不利を設けない原理原則を平等と言います。」
 これは市場経済では全ての税金は、複式簿記による原価計算により税金コストは商品価格へ事前に平等に全額事前に転嫁済みであるので、個人消費した国民が実質的な税金負担者であり、故に消費性向が高い階層ほど自然に租税効率負担していることになるのです。
 そこで「消費支出(個人消費等)+非消費支出(税、社会保険料)=総消費支出が国民の生き残りのための絶対的必要経費であるので」各所得階層の総消費性向を対所得で平等率負担になるように、仕組む税制が平等率負担を実現する消費税無の高累進所得税制になります。
市場経済には所得適正再配分機能が無い為、高累進所得税制による再配分機能は不可欠です。
 現在は高所得階層が租税や社会保険料を所得に対して過剰に負担しすぎているという世界の大ウソ俗説や、低所得者層ほど租税や社会保険料を過少しか負担していないという大ウソ俗説は、本論や私の他の論文を良く読めば客観的事実に全く反した大ウソ俗説であり、帰納法による科学教育を受けていない言葉だけの理念や信念を勇ましく叫ぶ、演繹法の誤った錯誤理論を刷り込まれた現代経済学等を深く信じているエリート政治家や経済学者等が陥った、中学生でも理解できる非科学的な思い込み(代表性バイアス)に過ぎない事実が分かります。
 代表性バイアスに陥ったエリート達は「バカの壁によって、意思疎通が不可能なのです」
 故に選挙等で大切な事は、絶対に棄権せず(棄権は投票率が下がり必ず投票する組織政党有利になり独裁へ通じる為)その都度、無党派層も常に全員選挙に参加し「最善が無ければ次善を選択し、最悪を選択しない意志と行動を貫けば」絶対に独裁は成功せず時間は掛るが人間社会は必ず最善へ向い進化します。 故にその国の成功・失敗は、その国の全国民の最善より最悪を避ける意志を発揮できる民度に掛かっています。 大事な事は常時変化する外部環境において最善を選択するより最悪を予測し選択しない知識の重要性を理解する事です。
 (予測の)「知識は力なり」の名言は、帰納法を確立したフランシス・ベーコンの名言です。

 これこそが生物多様性、経済多様性で成立する自然選択説のダーウィンの進化論です。
 つまり豊かな自然生態系を繁栄させるには相手を食い殺した方が勝ちの必ず強者が勝利する全体数が減少する弱肉強食の異種間競争では無く、生き残って増殖した方が勝ちの全体数が増殖する自由平等(対等)競争の絶対性の同一種の種内競争が優位の事実があります。
 故に自然生態系・全体は種内競争優位・弱肉強食競争劣位でなければ豊かに増殖しません。
 つまり正確な土地測量には正確な基準点が必要であるように科学で真実を追求する再現性のある文科系学問理論には、「先人たちの英知を結集したアメリカ独立宣言や日本国憲法に規定された自由平等(対等)競争の絶対性を唯一の基準点(普遍的前提)」として常時遵守した制度を構築すれば、文科系学問も大効用がある科学理論として、有効性があり再現性のある理論へ変身出来るのです。 現在の憲法は「お涙頂戴で作られた条文では無く自力経済成長して資本主義で豊かな国民所得や国富増加を継続できる国家を構築するプロセス(過程)を定めた条文」で、現代の憲法解釈は根本的に科学的で厳格な解釈が全く為されていません。
故に私は色々な法律に違憲立法審査権で異議を申し立てたいがカネも時間もなく不可能です。
 欧州型消費税廃止の高累進所得税制は社会主義的に見えますが実は「需要側の個人消費の大増殖に役立つ財政負担不要で自力経済成長を招き小さな政府を作り出す資本主義強国の税制」であり、この税制で米国は第一次大戦、世界大恐慌、第二次大戦を乗り越えました。
 この税制は国民総生産世界一位の超大国米国と世界第二位の日本を再現した「合理的科学的な税制」で、更に敗戦後わずか43年で日本へ国際競争力世界一位の高度経済成長を永年もたらした再現性は私の論文に添付された別表2の実データーが疫学証明しています。
税金は通貨で納税を強制されている以上、通貨での担税力を維持できる消費税無の高累進所得税制はシステム的に担税力に応じた所得に対して平等率負担の無限循環への最適税制です。

 さて理工科系学問には「与件」という考え方は全く無く、あらゆる分野を研究対象に入れ、例えば不純物さえも研究対象に入れて理論の再現性を確かめているのに、逆に文科系学問である経済学は、演繹論理の単純化と権力を持つ統治階層から非難されない為に、一定の分野を研究対象から外す「与件」を設けて論理を構築するので、結果をもたらす原因となる可能性のある与件を研究対象から不自然に外すので絶対に真実に到達できず、理論の再現性を確かめない非科学的で主観的な論理方法となり、結果として普遍的前提をご都合主義で複数設けたりして千差万別な理論が横行しプロパガンダに利用されています。 現に現代の経済学は金融中心で研究し、権威の力の源泉分野の税制を与件として分析から外す演繹法の経済学に陥っており、科学では全分野研究対象なのに、全く異なる現代経済学は科学になり得ない学問であり、ご都合主義の国家プロパガンダに利用される再現性の無い学問に陥っています。
 故に「既存の供給側経済成長理論によって」発展途上国の人口13億人の中国や12億人のインドは経済成長に大成功したが成熟経済に近づくにつれ経済は大停滞を開始しました。
 更に欧米の既存の供給側経済成長理論では成熟経済に到達した人口1200万人弱のアリストテレスのギリシャ一国さえも絶対に救えず、演繹法経済成長理論は最悪を招来しています。

 逆に時代の競争に適応している客観的事実に基づく科学の帰納法は、今から470年前ころの1543年に絶対的権威の天動説から科学的な地動説への大転回のコペルニクス的転回を経て、自然科学は400年前ころイギリスの大哲学者ベーコンによる「下から目線の競争による進化システムで変化する客観的事実の積み上げ方式による帰納法(実学や陽明学に相当)の科学」が構築され理工科系学問の科学思想は、経験論哲学と帰納法を組み合わせる「競争で変化する客観的事実中心の再現性を重視する真実追求の科学理論」として発達し、人間自身と人間社会へ想像もつかない役に立つ大効用をもたらしました。 結局、哲学や文科系、理工科系を問わず全ての学問は「帰納法を主」、「演繹法を従」とする科学ルールへ自己改革すべきなのに、哲学と文科系学問が自己改革できなかった事実が理工科系学問と全く異なり人間社会に全く役ただない学問に陥り現代における政治経済の大混迷の大要因だったのです。
 つまり経済学等の文科系学問の演繹法を、科学の帰納法へ大転回すれば真実追求の経済学の科学化が促進できて再現性が確かめられ人間社会へ大変役に立つ学問へ大進化できます。
 更に科学の遵守すべき最高道徳は「正直で誠実である事」であり同時に、これは武士道の精神(誠)であり同時にアングロサクソンの商業道徳であります。
 国家は「自己責任・自助努力」の存在であり「自業自得」が本質であるので多くの国民が自ら進んで最善が無ければ常に次善を選択し、常に最悪を選択しない「良い事はやる、悪い事はやらない」「責任感の強い国民」で構成される国家は大成功します。
 逆に虚偽(ウソ)や不作為や棄権の選択は多い国家・国民は最悪です。
 ◆
自ら気づいてやる人、自ら進んでやる人     上の人なり
 ◆言われてやる人、               中の人なり
 ◆横着する人  能力を出し惜しみする人     下の人なり
 言われてもやらない人             下の下の人なり
 
人間は正直で誠実である事が最低条件で且つ自由平等(対等)競争しながら、人の役に立つ、社会に役に立つ人間に成長しなければなりません。
 人間は人(他者)の為に役に立って働く(行動する)人間に成長する事、さすれば結果として他者から所得をもらい自分の人生を他人に依存せず自立して生きられるようになります。
 そして勉強とは、人(他者)の為と自分の為に役立つ人間になる為に勉強するのです。
 人間は一人では生きられず利己的意識と利他的意識の均衡が必要です。
 そして優しくなければ人間でない、しかし強くなければ生きられない。
 上の人が多い国家や企業は成功し、下の人や下の下の人が多い国家や企業は失敗します。
 人間は「生まれる時も一人、死ぬ時も一人」である事は絶対的事実であり、故に過剰に他人に依存せず、一人で適確に予測し判断し、一人で適確に行動できる人間へ成長する事です。
 そして成功の秘訣は「良い事はやる!!悪い事はやらない!!」を徹底することです。
 「去る者は追わず、来るものは拒まず、対すれば和す」で常に自己啓発は重要であり
 「虎穴に入らずんば虎児を得ず」と「君子危うきに近寄らず」の適切な使い分けと
 国家も市場経済も人生も「結果が全てであり」、「真実や正義を徹底して追求する勇気と」、心配性は大切で「最悪からは逃げるが勝ちで、逃げ出す勇気を」持たなくてはなりません!
 類は友を呼ぶというので、最悪に気付いたら素早く逃げ出す勇気が絶対に必要で、悪女の深情けは絶対にダメです。 最悪から進んで離れれば、最悪を逃れ安全安心は確保されます。
 自由平等(対等)競争の絶対性以外には「とらわれない心」「善は善として悪は悪として事実をありのままに感じられる素直な心」つまり「飾らない誠実で正直な心」が大切です。

 哲学の発達過程で人間社会を論ずる文科系学問は、人間個人の主観的な不確定性を原因として、帰納法の客観的な科学理論から切り離されてしまい演繹法で現在に至っています。
 しかし逆に人間社会を「集団的存在」として扱えば、人間個人の主観的な不確実さは希釈され国民個人の平均特性や、国家の集団としての特性を客観的に把握できて、経済学を始め文科系学問全般を帰納法によって、再現性のある科学として論理出来るようになるのです。
本論文は文科系学問が人間集団内部を自由平等(対等)競争の種内競争を唯一絶対的な原理として帰納法で科学化する事が人間社会に大変役立つ再現性のある経済理論へ変身できます。
 逆に理工系の「科学思想の帰納法」は「人間社会に役に立つ学問として大進化しました」
 その科学的な帰納法の論理方法は「科学哲学史(1) 帰納主義」のホームページを参考にさせて頂きました。 以下はその内容です。
科学に、権威など必要ない。 科学は、「観察という確かな事実」を元にして、
「観測事実と矛盾しないように構築されていく」べきで再現性が不可欠です

 このベーコンの「帰納法」は、
 当時、人間社会の諸問題をほとんど解決できない形而上学のスコラ哲学を批判した最も説得力を持った革命的な考え方であり、後の「科学の論理方法」を完全に決定づけました。
 故に経済学を始めとする文科系学問も、今こそ理工科系と同様に帰納法で科学化して再現性を保証される人間社会に真にべらぼうに役に立つ学問へ大進化すべき時です。
 本論文は経済学等の文科系学問も理工科系と同様に客観的事実に基づく帰納法で再現性を重視する科学へ転回すべきを主張し、無意味に結論が出ない議論を延々と繰り返さないで、文科系学問にもコペルニクス的転回を招く学問の科学化・帰納法の採用が今こそ必要である事を本論文で緊急提案しているのです。 現代経済学には各種各様の理論が多数存在するが、真の科学では再現性を有する真実の理論は、この世に常に一つしか存在しないからです。
多数の長期継続的な再現性を証明されていない理論が存在すること自体、非科学の証明です。


 宗教や強制力のある法律より上位に「自由平等(対等)競争の絶対性」の絶対性原理を憲法に定めた米国で2つの世界大戦に大勝利し世界大恐慌も克服した偉大な二人の米国民主党大統領ウィルソンとルーズベルトが採用した、経済学やケインズの減税乗数理論と全く逆の「個人消費行為を罰金規制する欧州型消費税無しの高累進所得税制」は膨大な物量生産の高度経済成長と財政再建の同時達成と長期経済大好況(最高所得税率78%以上のルーズベルト型税制は米国で連続28年間、長期継続的に歳出増加を消化しながら経済成長と財政再建を確実に同時達成していた実例は客観的事実であります)を招来した客観的事実に池田勇人は、この良循環の真の要因は「最高所得税率大幅引上」であり戦争と言う大規模公共事業では無いと自ら気付ました。 そこで日本の戦後復興の責任者・総理大臣になった池田勇人は国税最高所得税率75%へ大幅引き上げしながら10年計画の所得倍増計画を掲げたが、わずか5年で所得倍増計画と高度経済成長を達成し、更に消費税無の高累進所得税制の池田型税制は自力経済成長と財政再建の同時達成を連続21年間にわたり連続達成したのです。
 国の歴史が短い米国は英国の植民地にすぎなかった国家で多宗教、多民族、多言語の大人口の国家で、最も経済成長しにくい国家なのに、長い歴史の他の大国を押しのけ何故建国以来わずか240年の2015年現在で長年世界一の超大国へ経済成長したかと言うと「自由平等(対等)競争の絶対性の憲法を基本的に忠実に徹底して遵守する規制基準」に則り「欧州型消費税無しの高累進所得税制を徹底採用して」世界一の直接税主導経済国家を創り上げ、内需主導の自力経済成長可能国家へ作り変えた成果です。 米国の規制基準の正しさも、米国が超大国になった存在自身が証明する客観的事実で、米国税制の方向性は正しいのです。

 さて「経済の過剰性」とは何なのでしょうか。 実はこれは現代経済学では与件として研究対象から外されている人間の持つ生物学的、人間行動学的特性から過剰性は生じているのです。 地球上に生息する何百万種の動物・植物の中で、唯一人間だけが持っているのが、この過剰性の本能で、これが内生的な自力経済成長力を発生する力学的根本要因なのです。
 つまり地球上に生活する人間以外の全生物は、その生物本来の行動、食性は地域の環境に適応するように何千万年の時間を掛けて進化した結果、固定化され後天的には変化せず、脳が読み取り専用の書き換え不能のROMとして機能し事実として過剰性は、皆無なのです。
 ところが唯一人間だけは「過剰性の本能」を持ち、時代や環境に常に適応できるように自分自身の行動や食性つまり生活様式を柔軟に変化させ教育によって劇的に脳内プログラムを無限に書き換えられるRAMとして作用し、時代の環境に適応して人間を現代の最強生物へ君臨させた原因であり、自分の決定権で貯蓄を取り崩したり、借入金を増加させて、現在を基準に常により良い個人消費の追求を無限に行う個人消費の継続的な拡大は人間のみが持つ「単に物理的に生存する為に必要なもの以上のものを際限なく欲求する性質・特性・本能」を言います。 我々人類はその過剰性の本能を活用し、貨幣経済を利用して進化システム特性を持ち自己決定権のある個人消費の増加を所得恒等式を使って所得の増加へ等価変換して国民所得の継続的増加を実現できることを発見したのです。 逆に所得は自己決定権が無く市場が決定権を持っているので、貯蓄を取り崩しても、借入しても絶対に自分の力では所得は増加できない非進化システム特性を所得は持っていたのです。 そして人類は地球上唯一カネを支払って本人が決定権を持つ「個人消費」という生きる為に必要最低限度以上の過剰性に彩られた過剰性の「食」を楽しみ、過剰性の「衣」を身にまとい、過剰性の「住」に居を構えて、協同して生活し、その本人の個人消費の増加を所得恒等式によって「他者の所得の増加」へ等価変換して国民所得を増加する無限循環を繰り返す過剰性の進化システム競争を繰り返しながら「個人消費を所得に等価変換して所得を生産」し、そして次の増加所得を得るため、その所得を「より良い個人消費」して、所得の増加を繰り返して環境の変化に適応する自己の生活様式を進化させる社会的生物である事は客観的事実なのです。 
 ここに個人消費の自然な自由化つまり規制してはならない重要性があり、尚且つエリート達が不自然に全国民の個人消費を捻じ曲げる個人消費の促進税制や個人消費の規制抑圧税制を導入すると、時間の経過と共に自然な市場経済に不自然な副作用が必ず発生するのです。  つまり原理原則さえ守れば自由な市場経済では人間自身が環境変化のセンサーの役割を果し個人消費を通じて環境に適応する市場経済を構築する為「自然な自由放任が最善」なのです。
 
 資本主義市場経済の民主主義国家では「継続的な自力経済成長と財政再建を同時達成する為には、何を規制緩和して、何を規制強化すべきか」!               
   帰納法による科学的な要因分析の結果の必要な規制基準は!! 結果として経済成長理論の規制基準には「自由平等(対等)競争の絶対性」が唯一の絶対性原理になります。
 故にこれに合致するものは規制緩和・自由化し、これに反するものは規制強化します。
 故に日米憲法やアメリカ独立宣言で規定された「自由平等(対等)競争の絶対性の定義の厳格な科学的解釈が重要です」 それにはミルの「自由論」やジョン・ロールズの「正義論」が重要な示唆を与えてくれます。(これらの論文の趣旨を理解するだけで十分です)
 まず帰納法の論理の再現性を追求する為には、客観的な「原因事実と結果事実」の恒常的連接の因果関係を明らかにする「事実の積み上げ方式」で論理を構築しなければ、再現性は保証されません。
国民の過半数は自分自身や家族や仲間の生命と財産が最重要で、次に大事なのは命や健康や財産を維持するカネ・所得が重要であると考える国民が過半数以上いる事は客観的事実です。
 「本人の意志と行為で行う表現や個人消費は進化システムであることも客観的事実です」
 経済学の所得恒等式は客観的事実であるので、経済成長を継続的に無限に行うには、所得恒等式の計算要素の内、純然たる進化システムは個人消費だけであり、個人消費は所得さえあれば、本人の意志で貯金を取り崩したり、資金を借入して継続的に無限に増加することは、可能なのです。 従って個人消費の増加を国民所得の増加へ継続的に等価変換できる税制が重要です。 その点、本人の意志と行為で行う個人消費に対して課税する消費税は罰金の悪効果が生じて個人消費は増加しなくなるので、等価変換結果の所得も絶対に増加できません。
 しかし所得は本人の意志や行為で増加できず市場で決定されるので本人所得に対する累進本人課税は、所得決定権者を持つ市場に対する課税でないので罰金の悪効果は発生しません。
 しかも役員が負担している源泉所得税や社会保険料も、労働者が負担している源泉所得税や社会保険料も、企業が負担している法人税や消費税も、実は全て企業会計原則により商品原価へ原価計算で平等率に配賦転嫁され商品原価・商品価格に混入されて個人消費(=企業売上)で消費者国民が全額事前負担しているのは、重大な客観的事実です。 故に低所得階層は高消費性向で租税等を所得に対して事前に過剰に負担しすぎており、高所得階層は低消費性向で所得に対して事前に過剰に少ない租税負担しかしていないのは事実です。 これを全所得階層で所得に対して平等率負担へ近づけるのが消費税無の高累進所得税制であります。  
 これで国民所得と税収が継続的に増加し自力経済成長と財政再建が可能となります。

 トヨタもホンダも納税や社会保険負担分の資金が天から降ってくるわけではなく全国民が個人消費を通じて全額負担しているのです。 故に全国民にとっては、消費支出(個人消費)+非消費支出(租税や社会保険等)=総消費(生活する上での絶対的必要経費)が、日本国という市場経済で資金を循環させながら維持継続して増殖するための総費用負担となります。
 そして租税負担や社会保険料等の非消費支出は本人所得から負担するので、各自の所得に対する適正な実質租税負担率を計算するには、家計調査報告による所得階層別に「消費支出+非消費支出=総消費支出」が、所得に対して各所得階層毎に実質的に平等率になるように「非消費支出で負担調整して総消費支出を所得に対して平等率になるように負担調整する方法で租税等を適正負担させる税制システムが消費税無の高累進所得税制なのです」
つまり総消費は全国民が国内で文化的な生活を送る上での必要経費であるので所得階層別に所得に対して平等率にする税制が正解です。 これで市場経済の「平等」が実現するのです。
故に 個人消費+設備投資−>=所得=−>個人消費+貯蓄   貯蓄−>設備投資 
                                      
の経済学の経済循環は、客観的事実で証明されている所得恒等式の無限ループの機能と仕組みつまり因果関係が重要で、この経済循環の資金量の増殖拡大は進化システムの本人行為の個人消費の規制抑圧排除で、自然に自動的に国民所得増が達成され自力経済成長と言います。
 故に人間は全生物中に唯一過剰性の本能により、より良い生活を追求する過剰性の本能を強力に保有している為、それを内生的に発揮させる税制が自力経済成長の大要因になります。
 逆に過剰貯蓄は経済循環に入らず「無駄に滞留」する為、投機資金になり「経済学の過剰な無駄」になり、資産バブル発生や崩壊の大要因になり、経済循環にも大悪影響を与えます。
 更に「所得=−>個人消費+貯蓄」の所得の使い道を表す所得恒等式や、「個人消費+設備投資=−>所得」の所得の生産を表す所得恒等式で明らかなように、「消費税無の高累進所得税単独課税」は、結果として等式の性質から個人消費にも貯蓄にも設備投資にも平等課税している良結果をもたらします。 逆に等式の性質から所得税と消費税の併用税制は所得税の他に個人消費や設備投資への消費税二重課税となって不公平で悪結果をもたらします。
 故に消費税有の低累進所得税制では数式の性質から自由であるべき個人消費は消費税による罰金規制と同時に所得税との二重課税となり、個人消費は消費課税され貯蓄は消費税非課税という結果になり消費者は個人消費せず貯蓄選好に陥るゆえに個人消費の増加が停滞して、結果として国民所得の増加は減退するので、結果として貯蓄も個人消費も減退します。
 同様に過剰な相続課税も自由であるべき貯蓄行為への所得税との二重課税の規制抑圧になり、貯蓄は増加せず、良結果をもたらしません。
更に相続税の安い国家への資産移転や国籍変更の弊害を生じ正直者は馬鹿をみるだけです。
 さて国家論的に言えば、国家の構成員は人間である全国民である為、「国家とは全国民の集団的存在」で国家の判断は「集団的知性」に任せるのが最善・正義であるので、米国の政治システムは国民政党制により「最新の科学的知見である集団的知性」を国家が常に発揮してきたため、最悪の政策選択は常に最小に抑えられてきたのです。 これも客観的事実です。
 更に国家は国民個人の機能を拡張した存在であるので、人間の特性や人間性を理解した国民の過半数が賛成する税制や国家政策でなければ国民に対して良い政策効果は発揮できません。 これも自己実現を求める過半数の国民の人間特性に由来する客観的事実です。
 しかしEU諸国や日本の政治は、政党組織の一部の強者の意志で政策を決定する階級政党制で「システム的に集団的知性が作動せず」常に強者の統治者による理念政治が優先し、最悪税制を淘汰出来ない為、現在は最悪の経済状況にあります。
 もし現状に錯誤があると真剣に思うならば、改善の行動を起こさなければなりません。

 「知って行なわざれば、知らざるに同じ。」の陽明学や実学の示唆は重要です。    
 さて経済不況の真の原因は現代経済学では殆ど強調されておりませんが「日本国内の経済の過剰性が急速に縮小しつつある結果の表れ」なのです。    したがって戦前の正しいと思っていた「欲しがりません勝つまでは」の標語は経済的には最悪だったのです。
故に人間社会では他の動物と全く異なり「個人消費の増加こそが所得増加の源泉」なのです。 
 そして一度市場に出たカネは循環を開始し、消えて無くなることは、絶対に無いのです。
 したがって個人消費額が減少すると、給料切り下げ、リストラが生じるのは当然なのです。
 故に需要側の人間しか出来ない機械化不能の個人消費は、消費税で規制してはならず「しかも個人消費は自然に自己拡大する性質を持つ進化システム」なので自由化して増加させ、供給は科学技術の進化システムの機械化によって増加できる為「自己拡大する性質を持つ機械化出来ない個人消費は完全自由化して需要を自然増加し機械化できる生産は進化システムの科学で機械化して供給を増加し」、「両者が合体した自己拡大する市場経済進化システム」を構築する事が大切であり原則を遵守すれば経済成長は時代時代に適応し無限に続くのです。 
 故に生産に参加せず個人消費だけをする国民も、経済循環の増殖に役立つのです。
生産は機械化で生産性向上できる為、個人消費さえ増加出来れば良経済循環は実現します。
 故に100年後も当論文の税制を維持すれば経済の多様性や自然の多様性を維持できるので失業者は最小限度に抑えられて、自力経済成長により国民所得も税収も拡大増殖できます。
 過剰性無の社会的動物であるアリでさえ3割位は働かない状況の方が、巣が永続できる客観的事実があります。 全員が一致団結し死に物狂いで働く状況の巣は長続きしません。

(税制と経済学は本来「無」から「莫大な富」を生み出す学問であり、所得が先か消費が先かの議論は無意味であり、必要なのは両者が増殖する増殖条件だけなのです。)
1.税制と経済は「無」から莫大な「有(富)」を生み出すシステムそのものなのです。
 そして経済学や経営学はこの問題を研究し結果として国民の幸福に寄与する学問であることを決して忘れてはいけないのです。  そして「地球上の全生物のうち人間のみが行っている貨幣経済」では「消費行動」は「結果」として「第三者へ金銭所得を稼得させる利他的結果」をもたらしているという深遠な意味こそが「消費の本質」なのであり、「所得獲得行動」は「結果」として「自らの金銭所得を獲得する利己的結果」をもたらしているだけという意味こそが「所得の本質」なのであります。  そして人間は他の生物には無い貨幣経済下において「自己回帰的に増加する本人以外の第三者へ所得を稼得させるという利他的結果をもたらす個人消費」を「所得」へ等価変換して安心安全に生活する特殊な動物であるのです。
 逆に所得適正再配分機能を受けず、所得恒等式から外れた「個人の過剰貯蓄」は「経済に合成の誤謬を発生させ」「投機資金となり」バブルの発生と崩壊の大要因になります。
 そして進化システムは結果が全ての世界である以上「結果」をもたらす全ての「原因」に「自由と平等(フェアーで対等な)」条件下で「競争」が行われることを求められているのであります。  つまり人間は他の動物とは異なり高い知能を持つゆえに「権謀術策に優れ」人間一人一人の力関係が大きく異なるので、国家のような独占組織内における内部競争(国の構成員である国民の意志決定のための憲法で定められた正しい内部競争ルール)を公正に保つには、野生動物の種内競争と同様に「人間一人一人の自由と平等を確保しなければ国全体の利益が実現しないのです。」 言葉を変えれば「個人消費」は「商品・サービスの購入欲求を満たすという利己的原因」が結果として「本人以外の第三者へ所得を獲得させるという利他的結果」をもたらしているという深遠な結果を生みだし、これに対して「所得」は「本人が自らの労働を企業へ販売するという利己的意識原因」が「結果」として「本人自身の金銭所得を稼得させる利己的結果」をもたらしているので所得獲得行動には利己的結果のみが存在し利他的結果が存在しない行為なのです。 したがって個人消費行為は利己的と利他的結果をもたらす「バランスの取れた優れた行為で経済活動の拡大の出発点であり利他的結果をもたらすので」、「進化システムの個人消費を消費税で罰金課税せず自由に自然に任せる重要性」があり、所得獲得行動は利己的結果のみをもたらすゆえ「フェアーで対等な平等を実現するために」必要な規制することが重要だという結論へ到達するのです。
 従って個人消費−>所得−>個人消費−>所得の輪廻の中で人間が幸福になりたいという欲求から一人一人の人間の個人消費が拡大する事によって経済が拡大し経済成長するのです。
 現状ではその逆に個人消費−所得の無限連鎖、輪廻の一つ一つに消費税を課税し人間しか出来ない個人消費の増加を規制している為「資金の回転が縮小し」景気が停滞するのです。
 昭和20年の敗戦において日本全国焼け野原で国民も企業も国も無一文の状態から出発しわずか43年後の昭和63年(消費税導入直前)にはアメリカを追い抜き国民も企業も国も現実に莫大な国富(対内純資産)を手に入れ「焼け野原の無から巨額の国富(対内純資産)を築き上げ」世界一の経済大国と世界から称せられる国になり、21世紀は日本の世紀と当時言われたのであります。
 敗戦当時こそアメリカなど世界から援助を受けましたが、それをほどなく完済し、他国へ援助する立場に立った上での偉業だったのです。 その上近隣の友好国へ迷惑を掛けた広い植民地を放棄し、武力で威嚇して資源を収奪したりもせず資源もない戦前と比べ遙かに狭い日本固有の領土だけで食べさせることさえ困難だと思った敗戦時7000万人の人口が1億2千万人まで増加したのに、この国民を全て食べさせた上敗戦によってほぼゼロ円の国富から自己回帰的に個人消費を所得に等価変換し続けながら利他的結果を利己的結果の所得へ変換拡大し国富3200兆円(昭和63年)の国家を作り上げた快挙だったのです。
 この無から莫大な有(富)を生み出す学問が科学的経済学であり、その根本は科学技術の発展と消費欲求を自由にした結果(欲しがりません勝つまではが如何に間違いであったか)であり国を律するシステム(法律、通達、基準、制度など)にどれほど自由平等(対等)競争の絶対性の進化システムが理解され、導入されているかであり、日本は当時のヨーロッパはもとより進化システムの母国アメリカより、さらに基本に忠実に「個人消費に対する完全自由化を徹底して行い」進化システムを取り入れた経済の根幹である税制の存在が最も大きく、それ以外の政策も敗戦のため謙虚になった政治家、官僚が国民の意見(国民の過半数以上の意見=集団的知性)を良く採り入れた結果、実質的に進化システムが順調に作動していた賜物だったのです。特別に日本人が優秀であったわけではなく、偶然に日本の経済システムに進化システムが徹底して機能していただけの話なのです。現状は非進化システムで最悪です。
 ところが日本では池田やマッカーサーによって強制的に進化システムに基づく米国的な税制が導入されていたのに、我々日本人はその意味を十分理解しないまま誰もそれを意識することなく何故日本が無一文から世界一の経済大国へ戦後わずか43年の昭和63年に到達したのかの詳しい分析もしないまま「何となく日本人は優秀だからと誤解し」税制は無関係と理解し、これを大変更して消費税の導入という「個人消費に対する規制強化」つまり「利他的結果(所得)の拡大を妨害する」という、特に日本の特殊性(日本の消費者は主婦等の女性中心)において進化システムに反する消費税制という、消費の拡大を妨害する税制を採用した為に、所得の増加も不能になり長期的な不況の根本原因を作ってしまいました。
 戦後アメリカから強制導入された社会制度、経済制度の多くが進化システムを意識して作られていましたが、戦後それらが日本的改良を加えられる過程で、特に税制は日本ではヨーロッパやアメリカとも全く異なり消費規制つまり間接税はミルの自由論の危害原理を素直に採用し、酒税、タバコ税、揮発油税など国民の健康へ危害を与える要因へ集中した為、課税に無理が無く且つ国民へ理解しやすく更に間接税を最小限に止めた上で、経済成長や自己回帰的な進化システムに悪影響のない所得規制を強化する方向(直接税中心主義)へ税制が特化して進化し、進化システム原理に完全に合致する方向へ革新していったのです。
 それは昭和25年に事業税に付加価値税(現状の消費税と類似)も一案として導入するようアメリカのシャウプ勧告により勧告され昭和25年地方税法に取り入れられましたが、国民からの猛反発により延期を重ね当時の経済状態から中小企業からの徴収が困難と判断され4年後の昭和29年に廃案になった小さな目立たない出来事が実は日本を世界一の経済大国に成長せしめた大要因だったのです。 (逆に日本で廃案になった昭和29年に仏で付加価値消費税が導入され昭和42年にはEU型統一付加価値税へ発展し、必要最低限度の生活が満たされるようになると税制が重い足かせになりEUの経済大混迷の大要因となりました)
 ここに戦後日本では絶対に不可能と思われたヨーロッパ列強経済を、あっという間に高度経済成長による経済規模の拡大を実現して、経済的に追い抜いた強力な秘密があったのです。

2.何故「無」から莫大な「有(富)」を導き出せることが出来るのであろうか。 その秘密は「人間の努力と科学技術の進化による機械化という進化システムによって生産力の無限の増加が計られると同時に」その供給の全てを受け入れる「進化システムである市場経済で生きる人間個人の自己決定と自己回帰性のある本人以外の第三者へ所得を稼得させる利他的結果をもたらす個人消費を増加したいという人間の無限の欲求が、所得適正再配分税制の機能により結果として自己回帰的に個人消費を増加し、結果として国民所得を増加させ自己への個別所得の再配分を市場から受けながら、次の個人消費を継続的に増加させて全供給力を吸収する」という長期継続的な経済の過剰性(本人以外の第三者へ所得を稼得させるという利他的結果をもたらす個人消費)の拡大再生産を実践しながら通貨の増発という通貨政策に支えられ個人消費が国民所得に還元される良経済循環サイクルの中で自己回帰的に、需要と供給の増加をシンクロしながら実現したのです。 この方法ならば過剰なインフレにもデフレにもならず需要と供給を均衡して全体が増加する金回りの良い良経済循環になります。
 いくら高性能コンピューターで市場経済を分析しても、人間の経済活動である経済成長現象の本質をシステム的に理解できなければ絶対に高度経済成長のシステムを発見できません。
 人工システムは進化システムの時に限って強力に自己回帰的に経済成長するのです。 
 つまり経済を生物と例えると消費税導入前の「消費税無の高累進所得税制の戦後43年間」は日本人に適応した「繁殖条件」:「経済の進化システム条件」が整っていたのです。
 平成元年からその繁殖条件が大改悪されたのです。 なお人間の持つ過剰性とは地球上に生きる他の生物と人類の隔絶した相違が「単に物理的に生きるため以上のものを常に欲求し続ける」人間の内生的な自力経済成長特性つまり言葉を変えれば「過剰性の本能こそが人類の生息域を広げ生き残りを図る経済の過剰性の拡大」の根本であり文化なのであります。」
 最後に新自由主義では、規制改革の規制基準である自由平等(対等)競争の絶対性原則に完全違反する、減税乗数理論による株式や資産を特に優遇すべきとする「資本主義理念」の累進弱体化減税政策の米国共和党レーガン税制や米国共和党ブッシュ税制では自力経済成長と財政再建の両立に絶対失敗する悪再現性しか無い事は、本文で論理疫学証明しています。
 同様に新自由主義・金融資本主義やグローバル主義の構造は、基本的に全体主義や共産主義と全く同様で、後からもたらされる事実の深刻さに世界中が驚愕する結果と全く同一になってしまいます。 故に民主国家でも「過度な力の理念の信奉」や「本論文で詳細解説の自由平等(対等)競争の過程を経ない非科学的な固定的理念や税制の信奉」は必ず失敗します。
 国民同士の殺し合いや奪い合いを防ぐ唯一の手段は、教育による「国民一人一人が自ら進んで自ら気付いて、同種の人類の自由平等(対等)競争の絶対性遵守の世界的な教育普及」が必要なのです!  野生の同一種の世界では当たり前に遵守されている同一種の仲間同士では、殺し合わず過剰に奪い合わず協力し合う自然の共生ルール(掟)があるのです。
 つまり同一種における共生ルール(自由平等(対等)競争下の)と共食い禁止は重要です。
 最強のライオンでさえ仲間をエサとして殺さず、他種の大きな獲物をしとめたら、まず自分の腹を満して、残りは他の仲間やメス達や子供達に全て分け与えるのです。 これが自然のルールであり、鳥類は自分で食べた食料を、わざわざ吐き戻して子供達へ与えるのです。
 つまり人間は他の野生動物と異なり「過剰性の本能」を持つ故に、この野生のルールさえ守れず、人類は過剰に自己中に仲間を殺しても所得者一人で所得や富を独占したがります!
これを防ぐには獲得所得に対して租税平等率負担の消費税無の高累進所得税制が必要です。
 つまり自由の定義におけるミルの自由論の「危害原理」の根本理解が重要になります。
 人間は犬畜生より劣ることを「独裁者や宗教指導者は強く反省しなければなりません」

「経済学の目的」は憲法に規定された「全国民の幸福と福利を具体的に実現する事」です。
 簡単に言うと「最大多数の最大幸福」を追求するのが経済学の最終目的なのです。
 「日本の保守本流は」憲法で規定した自由平等(対等)競争を唯一「絶対性の原理」とする柔らかい思想の科学的集団。(これ以外の全理念は、時代や国別に異なる相対的理念)
 保守本流の国家観は外部環境に適応する為に必要に応じて進化システムで大きな政府を作り、進化システムで税収を自然増収する思想で米国民主党に近い思想です。
 故に国家税制は各所得階層の所得に応じて実質平等率負担を求める消費税無の高累進所得税制で国家の構成員である全国民へ豊かな幸福の一億総中流を事実現実に達成しました。
 バブルの発生要因は高累進所得税制へ累進減税を行って過剰流動性を発生させた結果です。
 企業の経営目標は競争現場に存在するリアルな全利害関係者(消費者・労働者等の全国民)の為に経営する全利害関係者優先の思想で、「長期的な利益を目標」として経営します。
 金融政策は間接金融と直接金融を時代に応じて両者競争させ平等に活用する。
 比較的間接金融が多く、リスクは金融機関が負う上に、借入企業は毎月元金返済と利息を支払いさえすれば、自由な企業経営者の経営自主権を尊重し株主の圧力は少ない。
 更に予測の世界では、現場を知る独立分散した従業員の集団的知性を発揮しやすい。
 国家実績として消費税無の高累進所得税制時代の自力経済成長と財政均衡の良再現性は抜群で長期継続的な経済成長と財政再建の同時達成の良再現性の実績は日米で無数にあります。
 その時代は「最大多数の最大幸福」を実現し経済学の最終目的に近い大成果をあげました。

次に日本の「新自由主義・新保守主義とは」民間企業の「株主優先」を絶対的原理とし、自由・平等(対等)競争の絶対性に違反する固い思想の理念信念中心の非科学的集団。
 新自由主義の国家観は減税乗数理論の市場原理主義で税負担を出来るだけ抑え、徹底して小さい政府を目指す、米国共和党に近い思想です。 故に国家税制は資本増加に貢献する高所得者層の実質租税負担率を少なくして資本増加を人為的に促進しようとする消費税有の低累進所得税制で欧州や日本では高所得階層有利の逆進性の強い消費税主導の税制になります。
 企業の経営目標は競争現場にいないバーチャルな株主という一部の国民の為に経営目標を設定する配当優先で、企業も国家も「短期的な利益を目標」として徹底して経営するので、そこには肝心の「人間である消費者も労働者も不存在の競争思想に陥ってしまいます」
金融政策は徹底した直接金融中心主義。 直接金融ではリスクは貸し手である株主が負う上に、更に出資返済も利息も利得できず、唯一配当のみであるので、株主は配当を強力に求めて企業を存立させている全利害関係者(全国民)の存在を平気で無視して、株主の法定地位を利用して、自由な企業の経営自主権に介入して短期利益の配当を強く要求する悪習が頻発してしまい、企業経営者は全利害関係者(全国民)ではなく、株主のみに目を向けて企業という社会の公器を経営するようになるので、必ず国家の構成員である全国民とぶつかります。
 また予測の世界では現場を知らない株主の力が過剰に強すぎて集団的知性を発揮しにくい。
 新自由主義(サッチャーやレーガンや子ブッシュ時代)の国家実績は、小保方さんと同じく言葉ばかり勇ましいが、長期継続的な経済成長と財政再建の同時達成の良再現性は歴史的に皆無で悪再現性ばかりで、この税制の期間の国家国民は貧しさと不幸の連続となりました。  
 消費税ありの低累進所得税制の時代は長期経済不況と財政不均衡の連続で非科学の悪再現性は明確です。 小保方さんと同じく長期継続的な良再現性が実現できない事実は現実が証明しており、いずれ錯誤(=政治や経済学の虚偽)の確定により最悪税制が絶対正しい主張していた政治家や経済学者や評論家は被害を受けた国民から小保方さんと同じく厳しく責任を追求されます。 早く気付いて方向転換を勧めます。 つまり「国民の幸福追求へ良再現性が証明されていない、非科学的な絶対性原理への信念の固執は大変危険です」
(結論として)
 小さな政府とは低租税負担率の国家であり、大きな政府とは高租税負担率の国家です。
 租税負担率は租税負担を国民所得で除して算出するので、時代が要請する歳出増加要請の中で租税負担率を低く抑えるには、経済学的に国民が望む国民所得を増加させる経済成長しか方法が無く、米国は直接税中心主義を採用しているので経済成長力が強く「租税負担率は正に22.6%と低率」ですが、日本の平成22年の租税負担率は22.1%は欧州諸国と比して極めて低率に見えるが、実は日本は本来租税で負担しなければならない「赤字財政の隠れ租税負担部分を赤字国債で負担している」ので、日本が財政収支の均衡する租税負担すると仮定すると租税負担率は倍近い43%程度が実際に近いのです。
 この原因は租税負担率の分母の国民所得が、経済成長不能の税制で増加しない為です。
 注:(平成22年の租税負担率は消費行為を罰金規制する消費税主導のスウェーデン47%、英国37%、フランス36%であり、消費税と累進所得税の併用税制は最悪です)
 なお財政が均衡していた消費税無の日本の昭和63年の租税負担率は27.6%でした。
 つまり素直に国民所得が増加する米国型の直接税中心主義の方が、租税負担率は低くなり、実質的に「小さな政府の構築に役立つ」事実が既に過去の統計事実から証明されています。
 事実真実として科学的に「小さな政府の定義」は「租税負担率が低い国家」を言うのです。
 故に保守本流の税制思想の方が、過去の実績から租税負担率が低く財政均衡していました。
 これは消費税無の高累進所得税制では結果として「国民所得の経済成長率を高くするので」租税負担率の計算上、分母の国民所得が大幅増加するので分子の租税負担等が少々増大しても租税負担率は低く抑えられるという経済成長効果による良再現性が発生するのです。
 新自由主義の税制思想では結果として「経済成長せず国民所得も増加しない為、租税負担率の計算上、分子の租税負担が少しでも増えると租税負担率が高まるので財政支出の減額政策を重視せざるを得ず、時代と共に政府へ求められる財政支出増は全く不可能となります。
 故に少子高齢化対策も社会保障医療の充実も安全保障対策も時代と共に困難になります。
 国家も家計も企業も市場経済ではカネが無ければ、前向きに何もできなくなるという、当然至極の常識を素直に理解できる政治家や経済学者や経営者へ成長する必要があります。
 さて累進所得税がきついので日本から早く逃げ出したいという資本主義的愛国心の無い人間は、日本には必要のない人材なので、早く逃げ出しもらいたいものです。
 適正な税金を負担したくない為に海外脱出した情報を日本国民が早く知れば、全国民大衆はそんな資本主義的愛国心の無い国民や企業の生産した商品やサービスを絶対に購入しないので、早く日本から出て行ってもらいたいものです。 故に情報公開は非常に重要です。
 さすれば日本に残り平等率に適正に納税し日本を愛する日本国民が作った次善の良い商品やサービスが売れる機会に恵まれ市場経済の良経済循環に何の支障も無く良循環する故です。
 逆に海外生活で低租税負担を満喫し年をとってから、日本国籍や日本に戻って日本の高度医療や社会福祉を受けたいとするご都合主義の自己中の人間には厳しく入国審査して課税規制すべきです。故にケインズの減税乗数理論は良再現性の無い非科学の真っ赤なウソでした。
 故に進化システムの個人消費を抑圧する消費税の危険性は科学的に明らかで「ワニの口」と呼ばれる日本国の「歳出と税収」の乖離の推移の図表からも明らかで、消費税導入前のワニの口(歳出と税収)は均衡して閉じていたが、導入後は開きっぱなしで苦しんでいます。

 日本の特殊事情として「日本の国学、実学、神道と科学との関係」と儒教の陽明学と朱子学との関係について触れておきたいと思います。

 儒教や仏教渡来前の日本固有の精神や文化を研究した国学は、儒教や仏教が道徳で人間らしい感情を抑圧することを批判し、国学は実証主義で人間のありのままの自然な感情表現の発揮を評価して文学的には「もののあわれや無常(つねなし)」の自然を追求しました。
 神道は古代日本で創始者も教義も無く、山や川や海等の自然の中に「八百万の神」を見出す自然崇拝の多神教で、自然と神とは一体と認識され、日本人は自然を崇拝してきました。
 それ故に明治初期に日本へ来訪した外人科学者たちは、砂にしみ込むように自然科学の最新知識を素直に抵抗も無く受け入れて消化する日本の若きエリート達に驚嘆したのです。
 特に生物学や進化論などは欧米の学者は「キリスト教の教義によって2000年以上も「人間や宇宙は全能の神によって作られた」という非科学のウソを徹底して叩き込まれた為、事実に基づく科学的な教育環境が育たず、事実に基づく科学を素直に理解する自由な精神の日本の新鮮さと柔軟さに驚嘆し日本の科学技術の急速な発展に大きく寄与したのです」
 そしてインドや中国から伝播した仏教も日本に定着した段階の日本で現在、最も信徒数の多い宗教と言われている親鸞の浄土真宗も「無常」(つねなし・諸行無常)を素直に自然な事実として受け入れたのです。 この哲学は濃淡はあっても日本仏教に共通する信条なのです。 
 正に自然の生命は無常であり確率的存在でしか無い、科学的事実と一致します。
 そして江戸時代初期から中期にわたり儒教の中から人工的な道徳の大義名分を重視する朱子学が興隆し徳川幕府の統治の中心に君臨したが日本国の発展には全く役立たなかった。
 そして江戸時代中期以降、神道の解釈から本居宣長の国学では「もののあわれ、つまり自然の無常観を重視したり」実学など実証的な、社会に自然に役に立つ学問の重要性が意識されるようになり、幕末の明治維新の立役者の精神的支柱になった「知っておこなわざれば知らざるに同じ」の人間個人の意志重視の科学に近い陽明学の興隆に大貢献しました。 陽明学は道徳的な朱子学への根本的批判から生まれた学問で、突き詰めると人間個人は自然な存在であり、その自由な意志を重視する自然科学思想(知行合一)は経験主義だったのです。
 人間には言っている事とやっている事が違う人が多く、更に統治階層有利の非科学の道徳的政策では目的と結果が大きく異なる場合も多々生じます。 本論はそのような「国家政策の錯誤を無くす為に、科学教育や科学的税制改革への本質理解への重要性」を主張します。
 欧米の理工科系学問は完全に事実に基づく帰納法で大成功しているのに欧米の文科系学問は現在でも統治階層有利の道徳的な演繹法に固執しており、欧米も事実に基づく自然な帰納法の科学へ完全に転回できず演繹法で規制されている市場経済は混迷と低迷を続けています。

 最後に安全保障は人間の個人生活の拡張が国家の安全保障であり、人間社会でも「口で暴言を吐きあっても、先に手を出して暴力に訴えた方が絶対に悪いのです。 暴力を受けた人は過剰防衛にならない限り、反撃しても正当防衛で無罪です」
 この国際規範(基準)をしっかり理解すべきです。
 したがって人間社会では予防拘禁は最小限度にすべきであり、先制攻撃は絶対に許容されていません。 一般社会と同様に真意と主張が違う場合も多数あるので日本国民も人間を信じ他国からの現実の第一撃があるまでは絶対に反撃しない勇気を持つ必要があります。
 小競り合いや挑発段階ではチキンレースとなり、先に手を出した方がチキン(臆病者)であり、大義名分を失い不利になってしまう為、直ちに反撃行動を起こさない真の我慢の勇気が必要です。 その上で他国がハーグ国際条約に基づき日本国に対する宣戦布告を行った場合や不意打ちの奇襲攻撃を行った場合で現実に日本が大被害を受けた場合は攻撃された状況や被害の状況の「証拠を集めた上で」、国際社会へ説明し、やられたらやり返す倍返しの継戦能力を持った安全保障政策が必要です。 隣家がおかしいからと言って武器を持って隣家を襲い人を殺したら殺人罪で起訴されるのです。 人間社会では、どんなにおかしくても第1撃を受けるまでは手を出さない事です。 現状の日本の一部負担による米軍基地の貸与はアジアへのアメリカ軍自身へ強力な効用を上げており、更に在日米軍駐留経費負担(いわゆる思いやり予算)の負担も重なり、米国負担による他国への米軍駐留と全く異なり日本駐留はアメリカは最小の財政負担による駐留で米軍自身にも大きな効用があり、日本有利の片務的な日米安保条約の運用の基礎となっているのです。 つまり日米安保条約の片務性は米国に日本防衛の義務があるのに対し、日本には米国防衛の義務がない日米安全保障条約の特異性であり、それ故に米軍駐留経費を日本側で相当部分を負担しているのです。
 一部の論者は条文の言葉の端々だけをとらえて「アメリカは本気で日本を守る意思は無い」などと主張される方がおりますが、アメリカという国家の国民性は「正直で誠実で約束は守るという、嘘つきには騙されやすいお人よし道徳を持った国家ですが、ただ1回騙され相手が嘘つきとわかると、心理戦が特徴のポーカーゲームに鍛えられた国家であるので、あらゆる相手の手を呼んで対応して来ますので、何回も騙される国家では絶対に無いのです。」
 このアメリカという国家の特性を知らない国家は必ず痛い目にあいます。
「自国民や自国に被害が出れば徹底して戦うという経験主義と騎士道精神で日夜拳銃を腰にぶら下げて生活していた安全保障に異常に気を配るカーボーイ国家であり」「故に他国が日本に攻撃を仕掛けた場合、日本に駐留しているアメリカ軍が尻尾を巻いて逃げ出すほどアメリカ軍が腰抜けでない事は長い歴史が証明しています」
 もちろん日本は日本自身で勇敢に戦って自国防衛する体制を作る事が基本になります。
 しかも米国は勇気を持って全力で戦っている同盟国を全力で助けるという伝統があります。
 良い例が第二次世界大戦における共産主義者の自分の考え方が絶対正しいと考える独裁者スターリンのソ連軍を全力で助けたアメリカの連合国最高司令官のアイゼンハワーの姿勢が好例です。 日本は軍人・民間人合わせて犠牲者は300万人強と言われているが、ソ連は独ソ戦で2500万人という甚大な犠牲者を出しながら勇敢に戦ったので、アイゼンハワーはベルリン攻撃の余力があったのに、戦功を共産主義の独裁者スターリンのソ連軍にゆずり、全体主義の独裁者ヒットラーのベルリン陥落はソ連軍によって成し遂げられたのです。
 それが結果としてスターリンのプロパガンダに利用され、戦後のソ連による東欧支配の基礎になってしまったのです。 嘘つきスターリンに手玉に取られたアメリカ軍は、日本占領時にはソ連の北海道進駐に強硬に反対し、ソ連進駐を阻止しました。 共産主義国家のソ連は日ソ不可侵条約に違反して火事場の泥棒のように終戦直前の1945.8.9に対日参戦を強行し、直後の
8.15の連合国軍との終戦後も、武装解除中の日本軍へ長期間攻撃を続け、65万人以上の日本国民をシベリアへ抑留し長期間強制労働させ多くの死者を出しました。

 独ソ不可侵条約を突如破棄して電撃作戦を強行したナチスドイツによってあと一歩まで追い込まれた共産主義国家ソ連が、日ソ不可侵条約を遵守してソ連攻撃を結果的に行わず、逆に終戦の交渉をソ連の仲介に望を託した日本の良心を踏みにじったソ連の行動が、敗戦後共産主義の盛大なプロパガンダにも関わらず、国民が自らの体験からウソを絶対に信じず共産主義化しない基礎をソ連自身が自業自得で作り上げていたのです。 「正直で誠実であることが、個人の長い人生や国民個人を構成員とする国家の歴史に重大な好影響を与えるのです」
 そこでアメリカ軍は嘘つきスターリンの危険性つまり階級主義政党制の国家では現実として政党を支配する強者が国家を支配できるので独裁者が誕生しやすい事実を理解しました。
 国民政党制国家(世界中でアメリカのみ)では政党による党議拘束も無く政党による候補者公認権も無く、国会議員個人は誰の指図も受けず有権者の意見と自らの良心の自由に従って国会採決に個人戦で臨むため一部の人々で国家を絶対に支配できない構造になっています。
 
 つまり不正直で不誠実でウソばかり付く国家との約束より、正直で誠実でウソをつかない国家との約束の方が安心安全である事は、現実の経験主義の社会や歴史で強く感じます。
 故に正直で誠実な国民政党制のアメリカとの相互信頼は何にも増して重要です。
 しかし孤立主義の効用を忘れ、金融資本主義へ狂奔する現在の米国との戦争への協同関与を深めてはなりません。
 私は第二次世界大戦時のアメリカの世界への関与の仕方を今後の日本の安全保障政策の原点にすべきと考えています。 つまりアメリカは第二次世界大戦が開始された1939年9月のドイツのポーランド侵攻から1941年12月に日本の米国本土の真珠湾を攻撃されるまでの2年半、全く第二次大戦に参戦しない孤立主義(個別的自衛権のみ)を貫いた安全保障政策を取っていたのです。  私は米国の当時の安全保障政策こそ日本が踏襲すべき安全保障政策の原点があると考えています。  そしてやられたらやりかえす倍返しの自己責任中心の継戦能力の高い自衛隊の装備が絶対必要です。 それには社会保障予算の増額以外に自衛隊予算の増額も絶対に必要であり、本論の自力経済成長の富国強兵策による連年税収増加ををもたらす対所得租税平等率負担の税制改革が絶対に必要になるのです。
 つまり「日欧が2つの世界大戦の大惨事の開始を自ら経験した事が」現在の日欧の平和の原点です。 戦争を自ら経験・体験させなければ自己責任・自助努力の自ら気付いて自ら進んで改善する真の世界平和は絶対に得られないからです。世の中は全て自業自得だからです。
 故に私の推奨する安全保障政策は個別自衛権を主とする戦前の米国と同一の立場です。

 現状の安全保障政策では憲法9条の文言に拘泥して、戦闘機の爆撃装置を外したり、空母や空中給油機の導入を見送ったり、政治家や学者が個別自衛権の戦闘能力の低下ばかりに精力を費やしている事は自国の真の安全保障政策に反しています。 集団的自衛権の議論より個別自衛権論議を優先すべきです。 集団的自衛権論議は今まで通り、手間はかかっても、その都度の国際状況で個別に判断して対応すれば十分なのです。
 何より通常戦力による個別自衛権の継戦能力の高度化が私の安全保障政策の主張です。
 故に私は日本国憲法第9条の二項を(前項の目的を達するため、陸海空軍その他の「核兵器による」戦力は、これを保持しない。 国の「核兵器による」交戦権はこれを認めない)へ改正する事を強く提案します。
 つまり「核兵器による」という文言を二か所に追加するだけの簡単な憲法改正で済むうえ、現実に国際的に自衛隊は戦力として認められている事実を憲法で国内でも承認する結果をもたらし、更に国際法やハーグ条約や核拡散防止条約との完全な整合性が図られます。 
 しかもこの内容であれば個別自衛権を世界標準で構築できるうえ、核兵器による武装を放棄する世界初の憲法となり日本国民の過半数は賛成してくれると、科学的に予測しています。
更に通常兵器による高度な個別自衛権を胸を張って構築できる利点を憲法が保証するのです。
 日本は戦前に国際条約を突如脱退したり、違反したりする常習犯で孤立主義を長く厳守していた米国を第二次世界大戦へ引っ張りこんだ確信犯である自覚が必要で、アメリカ国民の一部は今でも日本は政権が変われば突如NTPを脱退し、核武装を始めるかもしれないと疑心暗鬼を持っている事は事実であり、世界各国も少なからずその懸念を持っています。
 故に中途半端な集団的自衛権論議は本末転倒であり「核兵器による戦力を保持しないと自己規制の憲法改正宣言して通常兵器による自衛力の強化の方が」どれだけ米国や世界の支持を受けられるか計り知れませんし、憲法が子供にウソを教える事を科学的に排除できます。
 そして本論文の税制改革とTPP無の関税自主権の維持を実現して「食糧安保と内需主導自力経済成長と財政再建を達成して」、長期間の継戦能力を向上する為の通常兵器による軍備を充実する政策を日本の安全保障政策の基本にすべきです。

 そして紛争国とのかかわりでは日本は当該国民自身への真実を追求する宣伝活動や民主化教育の宣伝活動を行い、非民主的な当該国民の目を自己責任・自助努力の自己啓発へ開眼させる事が唯一の国家への発展政策になるという科学に目を開かせる教育や活動に重点を置くべきです。
それは当該国の国民を
自ら気づいてやる国民、自ら進んでやる国民へ、教育によって自己啓発できれば効率よく武力を使わず当該国家を民主的な国家へ自己改革出来るからです。

 人類は過剰性の本能を不適正に使いので全動物中唯一仲間同士を愚かに殺しあいます。
 しかも人命の損失はなによりも不幸で、差別意識の不自由不平等から発生します。
 だが絶対的な例外は核兵器であり、他国が核兵器を持っているからと言って日本国が核兵器を持ってはならず、これが世界平和と人類の生き残りに貢献する日本国民のプライドと恐れを知らぬ真の勇気だからです。 これは国民大衆に寄り添う昭和天皇の自然を尊重する姿勢を正しいとする自然人としての私の科学的思想です。 故に現実に複数の国家が核兵器を持つ以上、日本は核兵器の傘を提供してくれる誠実で正直な自由平等(対等)競争の絶対性遵守の価値感を共有してくれる党議拘束が無く独裁者や一部の統治階層の意志に左右されない国民政党制を唯一厳守している民主国家の米国の国民大衆との同盟と連帯は不可欠です。
 つまり世界で唯一厳格に自由平等(対等)競争を守ろうとする国会議員の良心の自由を保証する党議拘束の無い国民政党制の米国は、超民主主義国家であり特別な存在なのです。
 ただ米国は基本的にカネを追い求める自己中国家であり、民間企業至上主義の自国ルールを加盟国に強制しようとするTPPには各国毎に異なる多様性を重視する日本は最終的には絶対に参加すべきではありません。 国家内の国際的な商品別価格競争力を科学的に算定して商品別の関税自主権を今までどおり活用して日本が経常収支均衡の通商政策(自国生産・自国消費)を維持さえすればアメリカの貿易による経常赤字を防止できるので対日圧力は最小となり円安を維持できて米国の不安も全て解決する事が出来るからです。

 目的を達成するには手段を選ばなくてはならないのが法治国家の原理原則です。
 中世日本では武士道を遵守し大義名分を大切にして正々堂々と戦い、負けたとわかれば領主は部下の命を保証する事を条件に腹を切って城を明け渡したものです。
 「各国の国民性には、客観的な事実としての約束や契約や条約を絶対と考える国民性と、自己が正しいと主観的に考える理念を絶対と考える2つの国民性に国家は分かれます。」
 後者の理念重視の国民性では理念と事実の不一致つまり錯誤が当然発生するが、この主観的な正しさを重視する国民性では理念が事実と異なっても錯誤つまり事実に反するウソが屁理屈をつけて堂々と通用し社会経済は混乱します。 大多数の国家にはその傾向があり、特に共産主義国家や過剰な宗教国家は問題です。 前者の客観的な事実としての人権や約束や契約や条約を絶対と考える国民性を持つ国家の方が少数なのです。
 しかし客観的な事実重視の科学的帰納法では再現性が保証され社会発展に役立つのです。
 沖縄の玉砕や東京大空襲や原爆2発を落とされ甚大な被害を受け継戦能力を失ったのに、軍部は敗戦の現実の受入れを決断できないため、本来は明治憲法では天皇陛下が独断できないのに「天皇陛下は命を掛けて自ら腹を切る覚悟でポツダム宣言を独断受諾したのです」 
 何とか逃げようとしたヒットラーと反対の勇気が日本を救ったのです。 つまり昭和天皇が軍部の最高責任者のように事なかれ主義に流されず「事実真実を追求する法治の個人の勇気と決断」を発揮頂いた事が日本を救ったのです。 日本の武士道の真髄は責任者の善悪の個人的判断を最重視する科学思想なのです。 それに引き換え組織の事なかれ主義に流され「自ら国際法治に違反する戦陣訓を作り、生きて虜囚の辱を受けずという戦陣訓を守った日本の多数の将兵や民間人を死に追いやり、自らは武士道に反した卑怯な不意打ちの真珠湾攻撃を実行したために原爆被害の訴えさえ米国民の心に届かず、自らは敗戦の決断も出来ず昭和天皇にご負担を強い、更に自ら国民に遵守を強要した戦陣訓に反して、自ら捕虜になった軍部最高責任者」の責任は極めて大きいと言わざるを得ません。
 靖国神社の合祀の基準は私は部外者ですので、詳しくはわかりませんがインターネットなどの資料から見ると靖国は国家に殉じた英霊を祭神として祀る神社であり、戦時の戦死でなければならないらしい。 それが事実なら、戦死でもない吉田松陰・坂本竜馬・中岡慎太郎・高杉晋作がなぜ合祀されているのか、逆に明治の大英雄の西郷隆盛でさえ政府に反抗した為に靖国神社に祀られていない事実や、明治天皇の死去に際して自刃までした日露戦争大勝利の立役者の一人の武士道精神を発揮し正々堂々と戦い敵兵の捕虜にも人道的な扱いを実施して国際的にも高い評価を得た乃木希典や、同じく世界三大海戦の一つの日本海海戦のバルチック艦隊に勝利した正直に誠実に武士道精神を発揮し敵兵の捕虜さえ人道的な扱いをした東郷平八郎でさえ靖国神社に合祀されていないのです。
 つまり日本の政治家や宗教家がその時々の政治の流れのご都合主義・事大主義で戦死で無いA級戦犯を合祀したので大混乱を引き起こしているのであって、尊王の意志の強い私は自然重視の昭和天皇や平成天皇が神道の最高責任者としてA級戦犯を合祀してからの靖国神社を参拝しないという自然な決断と行動を高く評価させて頂いている国粋主義にカブレた人間を嫌う、真正右翼の自然人です。 命をかけてポツダム宣言を受諾した昭和天皇が、戦後32年間に8回も靖国神社へ参拝していたのに、戦後33年も経過した段階で政治的発言を憲法上禁止され発言できない神道の主宰者の昭和天皇の本心を確かめず了解も頂戴せず選挙目当てで合祀を強行された当時の統治者たちの物事を深く考えない事大主義と優越的国家論には全くヘドが出ます。 命を懸けて勇気を持ってポツダム宣言を受諾した昭和天皇が本心から靖国神社を参拝したいと御考えなら直ちにご参拝を継続されたはずなのです。 
 憶測や理屈は全く不要で、良心の自由から参拝したくないものは、参拝しないのです。
 ご参拝されなくなったのはポツダム宣言の受諾という勇気ある行動をとった昭和天皇の良心の自由と考えており、政治家たちの選挙に勝ちたいがための事大主義・ご都合主義の政治的パーフォーマンスは戦争責任の本質を外れた極めて見苦しい姿と見えたのだと思います。
 真正右翼の自然思想の正義感を持つ政治家なら天皇陛下のご意志に従うべきなのです。

 靖国神社合祀問題は正に中国や韓国とは無関係の日本の政治家の正義感の問題であり、何故戦後33年も経ってから昭和天皇もお慶びにならなかったA級戦犯をわざわざ靖国神社に合祀したかは、神社の判断だけの責任に帰し得ない「正義とは何か、正しい行動とは何か」を事なかれ主義の日本人のご都合主義の政治意識に問題点を突きつけているのです。
 私は深く尊敬し尊王を重んじ昭和天皇と考えと行動を一にする自然を尊重する真正右翼の人間で、あくまでもA級戦犯の方々の合祀を政治に利用した政治家やマスコミの正義感の欠如であると考えているのです。 故にA級戦犯問題は「戦犯本人の個人的判断の善悪・適不適の責任問題であり」戦犯のご遺族の方々には全く責任の無い問題であり、哀悼の感情は個人的に大切です。 付言すれば昭和20年3月の硫黄島守備隊玉砕と戦艦大和爆沈および東京大空襲と昭和16年にソ連と締結した5年間有効の日ソ中立条約を事前に延長しない通知があった昭和20年4月5日で軍部最高責任者達がソ連参戦の恐れがありこれ以上の長期戦は無理と降伏を決断していれば、5月のドイツの無条件降伏、同年6月に終結した悲惨な国内最大の地上戦の沖縄の被害は最小限度で済んだはずだし、7月のポツダム宣言発表で日本の軍部最高責任者達が武士道に則り部下と全国民を救うため降伏を決断していれば8月の広島、長崎の2発の原爆投下の大被害を防げたはずだし昭和天皇の御心を煩わせることなく戦いは終結できたはずなのです。 それなのに自ら作った戦陣訓に反してアメリカ軍の捕虜になり、グダグダと命乞いしたA級戦犯の東京裁判は見苦しい限りであり、この問題の為に日本人の正義感や何が正しいのかを問われているのであり、A戦犯合祀の為に天皇陛下も参拝されなくなった靖国神社を、わざわざ国家の最高責任者である首相が公式参拝して国内はもとより、海外にまで日本国への批判の種をまき散らすことは国家国民を預かる最高責任者のとる態度ではありません。 ついでに付言すると合祀することは国家が顕彰する意味もあるから(故に戦争中での軍法会議の銃殺刑者は靖国神社で合祀しない)、国家国民に対して情報を隠蔽し操作し不正義行為をした軍部最高指導者を実質的に顕彰がするがごとき行為が、日本人の正義感や武士道や何が正しいかの判断基準について世界から疑問が寄せられていることを忘れてはなりません。
 つまり軍人である軍務官僚達がハーグ条約を良く知る昭和天皇が開戦2時間前の宣戦布告を厳命したのに守らず卑怯な真珠湾不意打ち攻撃で開戦し国際法に大違反して、勝つためにやむにやまれず起こした戦争とはいえ、武士道に則り正々堂々と全力で戦い、力及ばざれば正々堂々と潔く負けを認めて決定的な時点で降伏していれば日本の将兵の被害も敵国の若い将兵の被害も最小限度に止め、更に我が国の民間人の無用で未曾有の大被害を防げたはずで更に昭和天皇の御心を煩わせず、A級戦犯の処刑も更に最小限度で済み、国際的にも諸外国から日本の戦いは、誤解なくもっと高評価されたはずなのです。 それなのに国際法に違反した勝つために手段を選ばない戦法や悪習を実践した国家最高責任者の不誠実で不正直な武士道精神に外れた行動は大問題なのです。 しかも常識ある判断ができない事大主義の組織体質は今の日本にも見て取れます。 敗戦を軍務官僚と軍人組織が冷静に自主判断出来なかった為に「日本は武士道無視の何をするか分からない国家」だが、昭和天皇だけは事実を誠実に正直に受け入れ人間個人として厳しい大人の判断を下す事のできる常識のある国際法を理解した個人重視の科学的な武士道精神の大紳士だったとマッカーサーは理解したのです。
 故に憲法が示している政教分離を厳守すべき時代に、神道は日本の宗教であり絶対的な教義理念が無く、山や川などの自然や自然現象を敬い、それらに八百万の神を見いだす多神教の自然宗教(自然科学と親和性が高く、不自然さや非科学を嫌う)であり「全国の神社は神道を拝し」、皇室の始まりである皇祖(こうそ)天照大御神をお祀りする伊勢神宮を中心とする大組織であるが、靖国神社A級戦犯合祀問題発生以来、皇室神道の祭祀を主宰する天皇陛下自ら、問題の多い靖国神社不参拝を実行しているのに、「国家の最高権力者は首相とは言え、尊王の志を持ち天皇陛下の臣下であると自覚する真正右翼であれば、陛下の御心に従い陛下と同一行動をとるはずなのに、過去の首相の国家主義にカブレた靖国公式参拝強行問題が、憲法問題から訴訟問題から対外的な外交問題まで発展しているのは」常に国家国民の安寧を第一に考える天皇陛下の理性的な正義の御心を困惑させるだけの、「親の心子知らずで」選挙に勝つパーフォーマンスのためだけに国家国民を危険にさらし、いやがる韓国や中国の誤解を更に拡大させ子供じみた靖国公式参拝を強行する姿は、正直で誠実で真の勇者である昭和天皇へ虚偽情報を流し続けた戦前の軍部と全く同様の天皇陛下や国家国民の安寧を無視する政治姿勢は、政治家たちの独りよがりの理念と自意識過剰の利己心を満足させる為だけの無意味な行動で天皇陛下や自国民への敬意の不存在を強く感じます。 「人の口に戸は立てられぬ」訳であり「表現や言論の自由がある」わけであるから、他国が何を言ってもいちいち反論するのではなくほっておき、当方は事実真実を科学的に微入り細に渡り徹底して他国統治者では無く他国国民へ情報発信することが大切です。
 相手国の国民が自ら気がついて自ら進んで自己啓発する以外、非難しあっている現実を根本的に解決する方法は全く無く同時に、力で相手国の言論や表現の自由を押さえつけようとする試みは必ず失敗するので、実生活の裁判における弁論主義と同様に、相手国の表現を受け入れ、後は証拠の情報開示と発信を堂々と行いどちらが正しいか裁判官(全世界の国民や他国民)へ提示して判断してもらうのがベストであり、それ以外の方法は無いのです。
 他国は他国国民で成り立っている以上、我が国は事実をねつ造や編集することなく、事実をありのままに徹底して他国国民へ情報開示し続け、他国国民を自己啓発する努力が最も大切です。 時間が掛かっても他国民や世界中の国民の過半数が、いずれが真実か正しいかを証拠に基づき理解するようになれば他国国民も世界もいずれ変わってくるからです。
更に物事は言葉では無く発生した事実を検証する以外、真実を発見する方法は無いのです。
 さて私は尊王の志が強い真正右翼の人間である為、誠実で正直で真の勇気を持たれている天皇陛下が銃を取れとお命じになれば老いたりといえど陛下と共に銃を取って戦います。
 しかし私は、自意識過剰で自己中の政治家が銃を取れと命じても絶対に銃を取りません。
 人間社会の価値観は千差万別であるので、「他人の嫌がる事や、迷惑になる事はやらない」という「一般社会のいじめ防止の原点」や「ミルの自由論で言う危害原理」さえ理解できずに、相手の嫌がる事を再三繰り返すから相手もやり返してくる再現の無い悪循環に陥っており子供じみた国家指導者同士の異常な幼稚さが欧米の批判を招くのです。 故に自由平等(対等)競争の絶対性や武士道の正義感の存在は政治や経済にとって最重要なのです。
 故に国家政策は人間個人の社会生活と全く同一で「力で解決しようとする試みは必ず失敗し当該他国の国民が自ら気付いて自ら進んで自己責任・自助努力で自ら解決する自己啓発しか根本解決にならず」相手の暴力には正当防衛や緊急避難のみしか無罪になりません。
 つまり最新刑法では予防拘禁は原則的に禁止であり、無理をすると有罪になります。
 相手がどんなに悪態をついても、相手が暴力に訴えないかぎり相手に暴力を加えたら有罪です。 これが国際標準でありチキンレースでは先に手を出した方かチキン(臆病者)であり匹夫の勇はダメで耐える勇気が必要です。
 同様に国家はグローバル経済で他国の富や需要を収奪し企業が低価格商品を生産販売する事が正義では無く、国毎の商品毎の自然な競争条件を平等(対等)競争へ輸入関税で調整し、適正価格で企業が商品を国内販売できるように均衡させ、長期継続的に循環経済で国民所得が増加する消費税無の高累進所得税制と、国際競争力を平準化(平等化)する購買力平価の通貨価値を追求する経常収支ゼロ均衡の「自国生産・自国消費」「他国生産・他国消費」の通商政策が自国他国の幸福追求には不可欠で、この税制とこの通商政策の採用が国家の最重要な政策となります。故に日本人が丁寧に育てるため人件費を多く掛ける職人気質の安全な高価格の農産物を食べられるように国民所得を継続的に増加させる責任は国家にはあるのです。
 故に全商品を世界中でドル建評価して関税を廃止して完全自由貿易を促進しようとするTPPは、科学的に多様性のある事実つまり国毎・商品毎の生産環境である自然・文化・教育・宗教等による国際競争力の大格差を無視したまま、単純化・標準化で全てを無関税で決しようとしており実質的に反自由・反平等の不自然な作為と思惑と錯誤と誤謬に満ちています。
 このTPPの固定的考え方では国家毎の想定外の事態に柔軟に対応できないし、多様性(個性)も全く尊重せず時代と共に変化する環境条件に全く適応しない大欠点があります。

 最後に国家が混迷・低迷を脱するには、天才や努力する者、しない者の全国民集団を豊かにする為には「全国民へ自由の保証」は何にも増して重要であり、自由とは国家権力に対する諸個人の自由であり、これを妨げる国家による規制が正当化される条件は他人に実害を与える場合だけに限定され、それ以外の無害な自由行為については無制限の自由を保障する原理であり個性と多様性重視のジョン・スチュアートミルの自由論で定義されています。
 故に個人の自由な個人消費行為に国家が消費税と言う罰金課税をする消費税制は個人消費行為の増加の自由の大抑圧要因になります。 故に外国人は消費税の抑圧が無い免税店で爆買いするのであり、外国人誘致の財政負担を実質的に負担している日本国民全員へ外人客誘致の税負担を押し付けている消費税制は正に不平等の極みです。 自由への抑圧は人間の生命力の抑圧ストレスとなり、実質的に自由の抑圧が多い複雑な社会経済ではウツ病や引きこもりは自分の自由にならない部分が発症の大原因になっている現代病で、個人消費の自由の抑圧からの解放・つまり個人消費の自由化が消費の拡大につながり結果的に国民所得の増加につながり経済競争強度が適性化し最大の少子化対策やウツ病・引きこもり対策になります。
 つまり自力経済成長の再開には個人消費の自由の抑圧からの解放が必須条件になります。
 故に自由な未開の自然人にはウツ病や引きこもりが極端に少ない事実か知られています。
 
更に平等とは獲得所得に対して国民誰一人有利不利なく、実質的に租税平等率負担の原則遵守の税制を課す事を平等と言います。 更に競争とは同一種内競争(増殖競争)の生き残って増殖した方が勝ちの自由平等(対等)競争の絶対性の競争ルールの事であり、異種間の弱肉強食競争ではありません。 しかも協同は集団同士の競争に勝つ為の一形態なのです。
 更に全国民や議員を規制する法律は「正直で誠実な人」を保護する為に全面的に規制されなければなりません。国家は税制で成り立っている以上、市場経済や科学技術の成長には社会の進歩に真に役立つ企業の成長が必要であり、それには真に経済に役立つ税制が必要です。
 故に欧州型付加価値消費税は実質的に個人消費と企業売上への規制抑圧税制であり結果として経済成長と財政再建の同時達成を不可能にする税制ゆえ必ず段階的に廃止すべきです。
 さて「国家は憲法通り全国民を構成員とする集団的存在である故、全国民個人が生き残る為に生物として国民個人の欲求する機能を拡張した機能を持つ存在でなければなりません」
 憲法は企業について全く触れないのは、企業は国家の基本構成員では全く無い為です。
 故に国家は「国民を主に」して「企業を従に」論理しなければならないのです。 故に民間企業を全国民より優先する市場原理主義や金融資本主義は共産主義と同じ錯誤理論です。
 故に国家は全国民個人が生き残る為の正しい政策を立案する現実を見る目や耳が必要ですし、正しく諸環境に適応する政策を統合する頭脳が必要ですし、人間の身体の末端に当る地方の国民一人一人を増殖させて地方の機能を維持増殖する国内の津々浦々まで血液(カネ)を還流させる血管と血液は、骨格や筋肉を増強する為に栄養や酸素を国民一人一人に供給する消化器系や呼吸器系と同調して経済力増加を発揮する経済循環の拡張機能を持つ進化システムが必要ですし、人間社会にとって不純物となる尿や便を排出する器官が必要ですし、人間を攻撃しようとする細菌やウィルスと戦う免疫系(安全保障)も必要でし国家の最終目的の国民が生き残って増殖する為の生殖系や医療や社会保障政策も必要になります。
 正に国家は国民個人の望む必要機能を拡張して時代の諸環境(条件)の変化に的確に適応して全体を増殖拡大する進化システム機能を持つ必要があります。人間は長い歴史的な経験から適正な情報公開下では正直で誠実な国民が過半数である事実が確かめられています。
 故に国家は誠実で正直で自由な国民が生き残る為に全体が増殖拡大できる進化システム政策が必要であり、このような人間個人の過剰性の本能に則った政策を構築すべきです。
 故に政治制度は全国民の欲求を素直に反映できる自由平等(対等)競争の絶対性を遵守した多様性を容認する党議拘束無の進化システム機能を持つ国民政党制が望ましいのです。
 更に進化システムの自力経済成長には消費税無の高累進所得税単独税制が最善です。

                                      
 最後にホモ・サピエンス・新人(現生人類)は400万年前の猿人に始まり、20万年前に誕生した長い歴史があり、国家も宗教も科学技術も無い、長い長い時代が続きました。
そして人類の経済文化を詳細に観察すると18世紀の産業革命の科学技術の発達以来、長期継続的に人類の幸福追求と生き残りの為の無限の経済成長が続いている事実が観察されます。
 もちろん産業革命以前は長い長い経済成長停滞時代でした。
 しかし地球を一国と仮定すると地球外生物と輸出入つまり貿易していないのに、世界経済全体は一度も対前年で経済成長がマイナスになっていない事実は外需依存経済成長理論は大間違いで、本論文の内生的な内需主導の需要側自力経済成長理論の正しさを立証しています。
 故に供給側経済成長は錯誤・誤謬であり生活に必要な商品を必要最低限度生産できるようになった現代の成熟経済では、進化システムによる需要側主導自力経済成長が正解なのです。
更にウルグアイのムヒカ大統領の2012年のリオ会議の発言は非常に示唆に富んでいます。
 しかし事実として大問題は「低所得者層の最低限の生活さえ不可能な低所得の実態であり」それに比較して「超高所得者層の過剰な蓄財は大問題であり」平等の定義が必要なのです。
 特に大問題は国民総生産世界第一位のアメリカと第二位の中国が、ともに「カネの蓄財」を人生の目標にしている国民性である点が一致して所得適正再配分機能がある税制を超高所得階層の国家統治階層が採用を拒絶する傾向にあります。  しかしアメリカは自由平等(対等)競争の絶対性を国家基準にして、基準に反すれば自国最大の自動車メーカーのGMでさえ自然に倒産させる国家なので、供給側へ市場経済の自律反転の自動調整機能が作動するのです。 しかし中国は国家統治階層の人為的な思惑で動くので、供給側でさえ経済に自然な自律反転の自動調整機能が作動しないので、必ず深刻な経済不況へ落ち込んで行くのです。

 故にムヒカ大統領は消費を問題にしていますが、私は「無限の欲とは」他の人から収奪する「過剰な蓄財(カネ)」が大問題と考えています。 つまり資本主義市場経済では「事故で」死亡しても結局、補償金(カネ)で解決するカネが大役割りの資本主義市場経済だからです。
 故に国家が「対所得で全国民平等率の租税適正負担税制を必要な理由は、平等率な租税なら、税収も、一人当たり国民所得も進化システムで連年増加する」ので、国家は国民の生き残りへ、物への消費ではなくサービス消費である教育充実や医療や介護や社会保障の充実や鉄道や自然環境保護や電気・ガス・水道等への設備投資へ財源を使用するようになり、過剰な地球資源の浪費は防ぐようになり、また進化システムで全国民の子孫も所得増加が保証され安全に生き残れるようになり良質な個人消費への消費を努力するようになるから、税制さえしっかりすれば未来は明るくなります。 そして対所得租税負担平等率税制と科学技術の発展により、需要側が主導して供給側の増加を促すデフレもインフレも無く自力経済成長が実現し税収も一人当たり国民所得の増加も連年実現し自然環境保護に役立つ高価格商品への消費が安全に増加するようになり、結果として自然に地球資源の浪費が防止されるようになるのです。 つまり衣・食・住の商品をグローバル経済化して「他国生産・自国消費」の他国で標準化・単純化した商品しか販売しない貿易赤字を生み出す経済システムでは無く、「自国生産・自国消費の地産・地消」の各国別に手作りや消費地に適応した商品に改善して当該国家の全国民が自国生産して自国消費する便利に使え購入できる適正価格の商品へ改善して生産・販売する貿易赤字を出さない地産・地消の経済システムへ改善する必要があります。
 逆に経済のグローバル化や新自由主義の考え方による現状税制を徹底して固執する考え方こそ、自力経済成長も国民所得増も25年間も足踏みさせ、貧富の格差を拡大させ少子化を促進し高齢化対策を停滞させ、企業の経済環境を悪化させている大要因になっているのです。
税制は未来に安心安全に子孫が幸せに生き残れるように進化システムでなければなりません。
 今のままの税制では「貧すれば鈍すの国家・国民」へ成り下がります。
 「最大多数の最大幸福」などは、絵に描いた餅に終わります。
 逆に本論の消費税無の対所得租税平等率負担税制では超低率だった超高所得者層の最高所得税率は高率となるので、それを負担した上での蓄財は適正蓄財と容認され、現状の不自由不平等税制での過剰の蓄財では「高所得階層にとって低率な租税負担となり過剰な不適正蓄財」と認定されるのです。  逆に低中所得階層の所得税率に変更は無く、且つ個人消費罰金規制の消費税制は廃止大減税されるので、進化システムの個人消費は必ず増加します。
 成熟経済で本論の売上と税収自然増の財政再建の為に悪意の利用で無い限りデマンドサイド需要側が供給側を引っ張る自由平等(対等)競争の本論文の内需主導経済成長理論や自力経済成長理論や講評を発表される事には私は異議を申立てませんので安心して御利用下さい。
 私の考え方はUNIXを発展させて世界的なコンピューターOSのLINUXを作ったリーナス・トーバルズやリアルタイムOSのTORONを作った現東大大学院教授の坂村健博士の、著作権を主張すると独占状態を出現する恐れと科学の進歩に適応した進化増殖性(自由な改善)を失う恐れがある広大な影響力が生じるOS分野へ、無償で公開する事によって、それらを避けた利他的なオープン思想に共鳴したためです。
 日本の国民性から日本の産業界も漫画家の手塚治虫氏などもエジソンやディズニーと異なり厳しい著作権・特許権訴訟などを引き起こさなかった為、安心して中小企業や漫画家やアニメ作家を多数輩出し自由な改善に取り組んだため日本の企業や漫画やアニメの発達を促したのです。
                                以上


                                      以上